輝くひととき 29

 

すべてを変える

                            

   

もし私が一人でも傷ついた人のこころをいやすことが出来たら

私が生きていることは無駄ではなくなる

もし一つの人生でも苦しみをやわらげることが出来たら

一つの痛みでも軽くし

一羽のこまどりでも弱り果てているのを

巣に戻してやれたなら

私の生きていることは無駄ではなくなる                                   

        − エミリ−・ディキンソン       

 

 

  知人の若い主婦は沈んでいました! 夫が会社からの派遣で合宿セミナーに行き、結婚以来初めて、一人で家の中に取り残されたのでした。私の妻は、その人を励まそうと、ひょっこりその家を訪ねました。すると驚いたことに、その人は顔に笑みを浮かべて応対したのでした。

  「もう一人訪ねてくださった方があって、その方は私にとても恥ずかしい思いをさせたけれど、私はたいへん喜んでいます。」 私の妻は、何のことか、さっぱりわかりませんでした。その人はわけを話してくれました。

  「そのお客さんは、そこの角に住む方なんです。ご主人を最近交通事故で亡くして、三人の幼い娘さんと取り残されたんです。その人の辛い状況を思うと、自分がどんなに幸せ者かがわかりました!」 知人はこう言って少し沈黙しました。それから静かに付け加えたのでした。「私は何かを学んだように思います。たぶん、自分の不幸を治す唯一の方法は、不幸な目にあっている誰か他の人を助けようとすることなのでしょう。」 − フランシス・ゲイ

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  愛とはどんな姿をしているのでしょうか? 愛には他の人を助ける手がついています。恵まれない人や困っている人の所へ行く足もついています。苦痛や悲しみを見る目もあります。人のため息やうめきを聞く耳もついています。それが愛というものです。

 

  逆境の時の励ましの微笑みは、閉じた花に降り注ぐ陽光のよう。苦しい人生に別れを告げるきっかけとなるかもしれない。

 

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  約2百年前、ある有名な百科事典の「原子」の説明はわずか4行で、「愛」の項目は5ペ−ジもあった。しかし、同じ百科事典の現代版は、「原子」の項目が5ペ−ジで、「愛」は省略されていた。現代の価値観を悲しく物語っているではないか!

 

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  フランス生まれのクエーカー教徒で、1855年にアメリカで亡くなったステファン・グレレを知る人はほとんどいない。しかし、グレレが祈った短い祈りは今も語り継がれている。その祈りは多くの人に親しまれ、励みとなってきた。

  「この人生は一度しかない。だから、私にできる親切な事や良い事があるのなら、後にではなく、今やらせて下さい。二度と通らぬ人生の旅路だから。」

 

一人でも、影響は大きい

デービッド・ブラント・バ−グ

 

  ささいな行為も、その影響は大きい。ほんの少しの愛でも素晴らしい効果がある! 輝く微笑み、優しい表情、あなたの人生が与える影響は、多くの人に希望の光を投げかける。 そして、こちらが何をやっても反応はないに決まっていると思う人に対しても、驚くほどの効果がある。

 

 

  あなたの愛を感じ、また、それは神の愛であるとあなたから知らされた人は、「自分も神に愛されているのかもしれない!」と感じるだろう。その時、人生観が変わり、明るい見通しが開けてくる。

 

 大勢の人が愛を探している! 至る所で人々が、一筋の希望の光や救い、明るい場所を探し回っている。少しの愛、少しの憐れみ、安心を見つけられる場所を。愛は存在するのだとあなたが示すなら、彼らは神が存在することを信じるだろう。なぜならば、『神は愛』だからだ。(聖書:ヨハネの第一の手紙4章8節)

 

 

輝くひととき 30

 

やつは僕が来ると信じていたから!

 

  第一次世界大戦に塹壕(ざんごう)戦で戦った兄弟の話がある。弟は「中間地帯」で重傷を負って倒れていた。そこは、敵味方の境目となる危険地帯だった。塹壕にいた兄は弟のことを聞くと、上官に言った。

 「弟を助けに行かせて下さい!」

 「ダメだ! 塹壕から頭を出したが最後、撃ち殺されるぞ。ここから出るなら、敵が攻撃してくるのは知っているだろう!」と、上官は答えた。

  兄は上官の手を振り切り、塹壕をすばやくよじ登ると、敵から攻撃されながらも弟を探しに走り出た。弟はすぐに見つかった。死にかけていた弟は、あえぎながらこうささやいた。

 「来てくれるって思ってたよ!」

  その時には兄も重傷を負っていたが、何とか弟を塹壕までひきずってくると、二人ともその中に倒れ込んだ。

 涙を流しながら、上官は言った。

 「どうして行ったんだ? 殺されると言っただろう?」

 兄は最期の微笑みを浮かべながら、こう言った。

 「行かなくてはならなかったんです! やつは僕が来ると信じていたんです。期待を裏切るなんて僕にはできなかった。」−デービッド・ブラント・バーグ

 

主は私達のために命を捨てて下さった。それによって、私達は愛ということを知った。それゆえに、私達もまた兄弟のために命を捨てるべきである。(聖書、第1ヨハネ3章16節)

 

人生の栄光

それは愛されることではなく、愛すること

仕えられることではなく、仕えること

助けが必要な誰かを

支える手になること

弱り果てた魂に

力を注ぐものとなること

これこそ、人生の栄光である

 

     ◇ ◇ ◇

 

神は人を通して、人の世話をされる。

 

     ◇ ◇ ◇

 

人は自分の心に触れるように、相手の心に触れなくてはならない。

 

     ◇ ◇ ◇

 

心が愛で満ちているなら、いつも何か与えることができる。

 

  イエスが言われたことを皆が実行するなら、何と素晴らしいだろう。イエスは、「自分を愛するように、隣り人を愛せよ。」と言われた。(聖書、マタイ22章39節) 愛をもって人に接しないなら、問題が生じるし、実際それが起こっている。あなたが信じるかどうかはわからないが、この現代社会のあらゆる問題はすべて、神と互いに対する愛の欠如が原因である。しかし、この複雑になり、混乱した現代においても、単純な神の愛と互いへの愛こそ神の解決策だ。神を愛するなら互いを愛することができ、相手を神から造られたものとして尊敬さえできる。そうするなら人生における神の規則に従い、神からの自由に預かれる。幸せになり、すべてがうまくいく。

  だから神の愛によって隣り人を愛せるよう、神に助けを求めよう。「隣り人」というのは、隣りに住んでいる人という意味だけではない。人種や宗教、肌の色、国籍には関係なく、助けが必要な人は誰でも「隣り人」となるのだから。−デービッド・ブラント・バーグ

 

他の人のために

 

主よ、一日一日を

自分を忘れて生きられますように

ひざまづいて祈る時でさえ

他の人のために祈れますように

 

私の行動のすべてが

誠実で真実なものでありますように

あなたのためにすることが

他の人のためになりますように

 

自己は粉々に砕いて

深く埋めてしまおう

他の人のために生きるためでない限り

自己を生き返らせる努力など無に帰すように

 

地上でのつとめが終わった時

天国での新しいつとめが始まる

もらった冠のことなど忘れて

他の人のことを考えられますように

 

他の人のため、そうです!

主よ、それこそ私のモットー

あなたのようになるために

他の人のために生きられますように

 

−作者不明