輝くひととき 23

 

豊かさは与えることから…

 

  「これを街はずれに住む未亡人の所に届けておくれ。」

  そう言って、年老いたドイツ人靴屋は若い見習いに、自分の畑でとれた新鮮な野菜を一かご渡しました。

  靴屋は自分の仕事の他に、貧しい暮らしを支えるために野菜作りもしていました。そして、どんなに少ない収穫でも、必ず困っている人に分け与えました。

  「何もそんなに沢山あげなくともよいのに。」と言われた靴屋は、こう答えました。「何も与えてはいないよ。神様にお貸しすると、神様はそれを何倍にもして返して下さるんだ。みんなから気前のいい男だと言われるが、とんでもない。今までたっぷり返していただいているのだから。昔、たいそう貧しい暮らしをしていた時分に、もっと貧しい人達を見た。何とかしてあげたいと思ったものだが、こっちも自分のことで手一杯で余裕がなかった。だが、とにかくできるだけのことはしたんだ。すると神様が助けて下さった。私は仕事にありつけたし、畑の方も順調だ。それからというもの、困っている人がいると聞く度に私はためらわなかった。たとえ自分の持っているものを全部与えてしまったとしても、神様は私を飢え死にさせたりはされなかっただろう。言ってみれば、銀行に金を預けるみたいなものだ。ただ銀行と言っても天国の銀行だが…。この銀行がつぶれることはありえないし、利息もきちんと毎日返してもらっているよ。」

 

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  あなたの財産とすべての産物の初なりをもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。−−箴言3章9-10節

 

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  分かち合うという美徳を実践する人は、自分のために宝を積んでいます。与えることが投資となるのです。

 

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  成功とは、最大限に得ることではなく、最大限に与えることです。

 

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  この世での人生の旅路が終わりに来る時、

  残るのは、ただ他の人に与えたものだけ。

 

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  ろうそくは、他のろうそくに火をともしても、その輝きはなお変わらない。

 

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  人は得たもので生計を立てるが、与えることによってのみ豊かな人生が送れる。

 

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  施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。−−箴言11章24,25節

 

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  言い伝えによりますと、昔むかし、とても寛大な院長がおられた修道院がありました。物乞いする者は決して拒まれず、不思議なことに施せば施すほど、この修道院は豊かに栄えました。

  やがて、この老いた院長が亡くなり、正反対の性格の人、つまり、けちで冷たい人が院長になりました。

  ある日のことです。老人がこの修道院を訪れました。

  「以前ここに泊めてもらったことがあります。どうぞ、再び 泊めてもらえませんか?」

  新しい院長はすげなく断り、以前のようにもてなす余裕などないと言いました。

  「昔のように見知らぬ者に施すわけにはいかぬ。裕福だった頃とは違うんだ。近頃は誰も私らに献金する気がないようだ。」

  「そうでしょうね。」

  旅人は答えました。

  「修道院から二人の兄弟を追い払ってしまわれたのですから。」

  「そんなことはしておらぬ。」

  院長は困惑しました。

  「いやいや、しましたよ。その兄弟は双子だったのです。一人は『与えよ』で、もう一人の方は『そうすれば与えられるであろう』です。『与えよ』を追放してしまったので、もう一人の方も、それでは私も、と出て行ってしまったのです。」

 

 

  神は人が与える以上に与え返したいと思っておられる。だからいくら与えても、神は必ずそれ以上に、与えたよりもはるかに多くを与えて下さる。与えれば与えるほど、もっと返ってくるのだ。

  神は必ずしも金銭という形で報いては下さらないかもしれない。事故、不幸、大病などからの保護という形で報いて下さる時もある。そうした目にあったなら、あなたが与えたものの百倍もの費用がかかっていたかもしれない。与えよ、そうすれば、いかなる形にせよ、神は必ず報いて下さる!

−−デービッド・B・バーグ