輝くひととき 19

 

明るく生きる...

 

  うつむいていないで、見上げ続けること。足元には泥しかないのだから。 

 

     ◇ ◇ ◇ 

 

  楽天家は、どんな難儀にも何らかの可能性を見いだすが、悲観者はどんな可能性にも何らかの難儀を見い出す。−ウィンストン・チャーチル

 

     ◇ ◇ ◇

 

  エラ・ウィーラー・ウィルコックスの詩、「楽天的であること」は、なかなか賢明なアドバイスを与えている。

 

幸福について語りなさい

 

自分のつらさを語らなくとも

 

十分悲しい世の中だから。

 

全部が全部険しいだけの道はない

 

平らで開けた場所を探しなさい

 

そして、そうした場所について語りなさい

 

絶え間ない緊張によって傷ついた人々や

 

不満と悲嘆と苦悩を抱える人々の

 

疲れきった耳を休めるために

 

 

 

信仰について語りなさい

 

あなたが無知や憂うつな疑いを言わないだけでも

 

より良い世の中になるのだから

 

神に信仰があるなら

 

希望が心にあるのなら

 

口に出して言いなさい。もしないなら

 

信仰が生まれるまで、自分の考えはそっとしまおう

 

あなたの沈黙を、誰も嘆きはしないから

 

 

健康について語りなさい

 

長々と続く病気についての陰気な話を

 

人々はいい加減聞き飽きている

 

暗い病気の話を幾ら繰り返しても

 

喜ばれもしないし、気に入られもしないから

 

 

魔法の仮面

 

昔、何万もの兵士を配下に、大な領土をわがものとした偉大な王がおりました。賢明で勇敢な王は皆に尊敬され、恐れられてはいましたが、誰からも愛されてはおりませんでした。年毎に気難しさは増し、ますます孤独になりました。王の苦々しい顔は貪欲な心を反映し、決して微笑むことのない無慈悲な口元は醜く曲がり、眉間にはいつも深いしわを寄せていました。

   王が治めるある町に、美しい娘が住んでおりました。その娘が人々の間でかいがいしく働く姿を、王は何カ月も見守ってきました。娘に恋をし、妃(きさき)にしたいと考えた王は、娘の所に行って、この愛を伝えようと決心しました。そこで最上の王衣をまとい、頭には黄金の冠をかぶって、娘にどのような印象を与えるだろうかと鏡の前に立ったのでした。しかし、自分の姿に恐れと嫌悪感以外の何ものも覚えませんでした。冷酷で厳しい顔は、微笑もうとすると、ますますこわばりました。

  そこで妙案が浮かびました。王は魔術師にこう命じたのです。「私の顔のしわ全部にぴったり合うよう、できるだけ薄いろうで仮面を作れ。しかしお前の魔法の絵の具で、その仮面の顔が親切で優しい表情になるようにするのだ。そして仮面を二度と取らなくてよいよう、顔にしっかり付けよ。あらゆる技術を駆使し、ハンサムで魅力ある顔にせよ。費用は幾らかかってもかまわん。」

  「承知いたしました。」と、魔術師は答えました。「しかし、たった一つ条件がございます。私が描く仮面のしわに合わせて、表情を保って頂きたいのです。そうでないと、仮面は壊れてしまいます。一度でも怒ってしかめっ面をするなら、仮面は永久に壊れ、元通りにはできますまい。」

  「言う通りにしよう。」王の言葉には熱がこもっていました。「あの娘から愛され、尊敬されるためなら、何でもしよう。仮面にひびが入らないようにするには、どうすればよいか告げてみよ。」

  「親切な事を考えること。そしてこれを行なうには、親切な行いをする必要がございます。ご自分の王国を強力な国ではなく、幸せな国にすること。怒りに代わって、人々への理解と愛を持つこと。国民のために牢獄ではなく学校を、戦艦ではなく病院を建てること。すべての人に対して優しく、礼儀正しくあることです。」

  というわけで、素晴らしい仮面ができあがりました。誰もそれが仮面だとは気づきませんでした。何ヵ月か過ぎ、仮面は幾度かひびが入りそうになりましたが、王は仮面が壊れないように熱心に努力しました。美しい娘は王の妻となり、国民は王の奇跡的とも言える変わりように驚きました。そして、あの美しい妻のおかげで変わったのだと考えたのでした。

   王の人生に、優しさと思いやり、そして正直さや善良さがはぐくまれました。やがて王は、美しい妻をこの魔法の仮面でだましていることを後悔したのでした。ついに耐えられなくなり、あの魔術師を呼びました。

  「この偽物の顔を取ってくれ!」と、王は叫びました。「取ってくれ! 私の本当の顔ではない、この偽りの仮面を取るのだ!」

  「もしそういたしますと、また作り直すというわけにはいきません。ですから、ご自分の顔のまま一生過ごされることになりましょう。」と、魔術師は言いました。

  王は答えました。「下劣なやり方で愛と信頼を勝ち取るよりは、その方が良い。私は妻の愛を受けるには価しない、この仮面でだまし続けるよりは、軽蔑された方がましだ。この仮面を取れ。今、取るのだ!」

  魔術師は仮面を取り、王は恐れと苦悩の内に自分の顔を見に行きました。鏡には、輝く目と、素敵な微笑みを浮かべた口元が映っていました。醜いしわは消え、しかめっ面もなかったのです。王の顔は、あの長い間つけていた仮面の顔と全く同じでした! そして愛する妻の所に戻ると、妻の目に映ったのはいつもの愛する王の顔だったのです。

  そうです。この昔話は私達に告げています。顔にはその人の魂が表われ、考えたり、感じたりしている事、心の思いがさらけ出されると。これらの聖句は、いかに賢明で真実なことでしょう。「人が心の内で考えることは、そのままその人の人格となる」(箴言23章7節)「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」(ピリピ4章8節)

 

     ◇ ◇ ◇

 

  美を求めて世界中を旅したとしても、まず心の内に美を持っていなければならない。そうでないなら、それを見つけることはできないから。

−ラルフ・ワルド・エマーソン

 

     ◇ ◇ ◇

 

  快活さは、世界を回す軸にさす油のようなもの。

 

     ◇ ◇ ◇

 

  私は、子供の頃から、正直であるようにと教えられて育ちました。偽善的であったり、嘘をついたり、人をだましたり、何かを言わないで隠したりするのは、私にとって辛いことです。だから、悲しく感じている時にも幸せそうに振舞うべきだというのは納得がいきませんでした。「本心はそうじゃないのに、微笑んで幸せそうにするなんて。」と思ったのです。けれども主はこの疑問を解消し、満足のゆく答を与えてくれました。その答とは次の通りです。

  イエスが心の中にいるなら、私達はもはや私達自身ではないことに気づかなくてはなりません。喜びに溢れた表情と幸せな微笑みによって示しているのは、私達の幸福ではなくて、主の幸福なのです。悲しい時に幸せな顔をするのは、偽善ではありません。幸せなふりをしているのではなく、ただ主の幸福を見せているのです。

  だから幸せに感じない時に喜びの表情を見せるのは偽善ではありません。それどころか、自分を通してイエスの素晴らしい見本を輝かせているのです。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2章20節) あなたは主の顔を見せているのです。それは私達の内に人々が見るイエスの美しさなのです!

−マリヤ・フォンテーン

 

     ◇ ◇ ◇

 

あなたは自分にがっかりしていますか?

 

  「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル記上16章7節)

 

人はよく不満を抱き がっかりする

認められたいという願いが

満たされないから

 

美しさも魅力も聡明さも

十分与えられていないのは不公平と感じ

すべての「得たもの」を忘れて

「失ったもの」のことを考える

 

自分にはあれこれの才能がないと考えて

みじめな気持ちになる

利己的なプライドのせいで

「自分にあって当然なのに欠けている」と

くよくよ考える

 

憎しみがじわじわと増し

妬みが心に満ちる

他の人を「とても賢く見せる」何かが

自分にはないために

 

自分の性格に

深い罪悪感を覚え

苦悩をさらに誇張することで

失意のどん底に落ちていく…

 

おお、主よ、私達の虚栄心とプライドを

ゆるして下さい

心を見るあなたではなく

人にへつらおうとしたことを

 

満足した生活が送れることに

人はなかなか気づかない

主よ、あなたが心に触れて下さるなら

私達は美しい存在となると知ってさえいたら!

 作者不明

 

     ◇ ◇ ◇

 

  イエスは価値のない者のために、あのような大きな代価を払うことはされない。

 

     ◇ ◇ ◇

 

  神は二つの場所に住んでおられる。一つは天国、もう一つは感謝の気持ちに満ちた心の中。

アイザック・ウォルトン(1593-1683年)