輝くひととき 14

 

信仰は、ただ望んだり、信じたり、何となく期待することではない。確信していること、すなわち確固たる確信を持っていることである!

 

信仰とは?

 

  現代人に対し、信仰は、本来の意味を失ってしまった。現在、「信仰」という言葉は、何かをぼんやり、漠然と信じるということを指す。

  ヘブル11章1節には、「信仰とは、望んでいる事がらを確信すること」とあるが、この節で「確信すること」と訳された言葉は、ギリシャ語の「hupostasis」(ヒューポスタシス)だ。4百年近く前に、新約聖書のギリシャ語原典を英語に翻訳した人々は、この言葉をいかに訳すか悩んだ。ギリシャ古典文学では普通使われない、ビジネス用語のようだったからだ。わかっていた事は、ただ、かなり実体のあるものということだけだったので、英語の欽定訳では、「実体あるもの」と訳されている。

  ところが、しばらく前に、考古学者達がイスラエル北部にある昔の宿屋跡を発掘し、小さな鉄製の箱を見つけた。中には、イスラエルに不動産を所有していたローマの貴婦人の貴重な書類が入っていた。ほとんどどの書類にも、一番上に大文字で「ヒューポスタシス」と書かれていたのだ! つまり、彼女の財産の権利書だったのだ! このローマ婦人は、イスラエルにある自分の財産を決して目にすることがなかったかもしれないが、権利書を持っていたがゆえに、自分が所有者であると知っており、それを証明することもできた。

  また、ある時、私に車を譲ってくれる約束をした人がいて、権利書を私に郵送してくれた。私はその車を見たことも、運転したこともなかったが、それが私の車だと知っていた。権利書があったからだ。つまり、信仰とは何か? 権利証書である! 「信仰とは、望んでいる事柄の権利証書である。」 主に何かを求めて、その答えをまだ見ていなくとも、心配してはいけない。真の信仰があれば、受け取る権利を有している。あなたの名前が証書に記されているのだ! それはあなたのものだから、いずれはその祈りの答えを実際に見るようになる!−−ファーザー・ダビデ

 

     ◇ ◇ ◇

 

信仰とは、望みは絶たれ

一筋の光も見えなくとも、ただ信じること

悲嘆や疑いは、目に見えるものを頼りに

  手探りで生きている人々に残して

ただ進んでいくこと

 

信仰とは、神が忘れたのではと思える時にも

神の約束に完全に信頼していること

トマスのように弱く疑い深い人間になるのを拒み

確かなしるしも求めず、

  自分の運命を嘆きもしないこと

 

信仰は、神を信じ、いつか必ず起こるという

将来への希望にひたすらしがみつくこと

信仰は、望んでことはいつか実現すると疑わず

ひたすら信頼する勇気

 

     ◇ ◇ ◇

 

  「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。」(ヘブル11章6節)

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

もっと信仰を深めるには?

 

  御言葉なくして、信仰は育たない。信仰とは、神の御言葉を忠実に勉強することで築かれるからだ。

 

  信仰を持とうと努力することは、肉のわざである。御言葉を通して信仰を受け取ることは、神の恵みのわざである。

 

  信仰において弱いなら、それは御言葉に弱いからだ。

 

  神の御言葉は超自然的な力と深く結びついている。その力は、あなたの信仰によって解き放たれるのを待っている。

−−ファーザー・ダビデ