輝くひととき 1

 

主人の手が触れたから

マイラ・ブルックス・ウェルチ作

 

傷だらけの古びたバイオリン

「こいつは、時間をかける値打もない」

内心そう思いながらも

競売人はバイオリンを持ち上げ、微笑んだ。

 

「さあ、このバイオリンは幾らから?

誰か値をつける人は?

1ドル、1ドル。2ドル、たったの2ドルかい

2ドルがついた。3ドルは?

 

3ドル出た。3ドル。他にいませんか。

では3ドルで売却!」

その時、後ろの席から白髪の人がやって来て

弓を握った

 

古びたバイオリンのほこりを払い

緩んだ弦を締めると

甘美な調べを奏で始めた

情感こもった美しい調べを

 

音楽が止むと、競売人は

弓と一緒にバイオリンを持ち上げた

低く優しい声でこう聞いた

「では、この中古のバイオリンの競り値は?」

 

「千ドル、二千ドルはいませんか?

二千ドル、三千ドル!

三千ドル、三千ドル。他にいませんか?

では三千ドルで売却!」

 

皆が喝采した。だが驚く人達もいた

「あんなに買値が上がるとは

一体どういうわけだ?」

その答えは…

「主人の手が触れたから。」

 

正しい音を奏でなくなった心

罪によって傷だらけになった人が大勢いる

彼らは、冷たい人々によって、安っぽく扱われる

あの古いバイオリンのように

 

そして、主がやって来ると

愚かな群衆は、魂の真の値打ちも

主が起こされる素晴らしい変化も

全く理解できない

 

ああ、わが主よ! わたしは調子の外れた楽器のよう

あなたの御手で触れて下さい

わたしを変え、心に歌を与えて下さい

主よ、あなたへのメロディーを!

 

 

 

  ヒューバート・デビッドソン博士は、有名な詩人マイラ・ブルックスを訪問した。彼女は、「主人の手が触れたから」の傑作によって広く知られている。さて、別れ際にマイラ・ブルックスは車椅子を軽くたたき、「これを神に感謝していますよ!」と言った。車椅子の生活を心からありがたく思っていたのだ! 実は彼女の才能は、車椅子の生活を送るようになってから見いだされた。彼女は、この身体の障害を恨むのではなく、かえってそれをバネに、より良い人間になろうと決意した。それから、素晴らしい人生の使命の扉が開いたのだった。

 

 

輝くひととき 2

 

  美しい人生を送るのに、偉大である必要はない。小さな花の美しさは、高くそびえ立つ木に劣らず美しく、小さな宝石も、大きな宝石に劣らず美しい。美しい人生でも、この世界の目からは小さなつまらぬ人生に見えることもある。この世界での自分の役目を果たす人生こそ、美しい人生。それは、神が望まれる通りの者となり、神が望まれる事を行なうこと。平凡な才能しか持ち合わしていない人は、ともすれば、自分には美しい人生など送れない、この世界に役立つ事もないという考えに陥ってしまう。しかし、自分の役割を立派に果たす最も小さな人生こそ、神の目には美しい。

−−ミセス・チャールズ・カウマン

  偉大な作曲家ヘンデルを、病が襲った。右半身が麻痺したのだ。一文無しになり、金貸しからは、投獄すると脅された。その悲惨な経験によって落胆したヘンデルは、ほとんど信仰を失いかけ、絶望のどん底に落ちた。しかし、彼はその試練を乗り越え、生涯の最高傑作を作曲したのだった。「ハレルヤ・コーラス」である。それは、彼の偉大な作品「メシア」のクライマックスを飾った。

  使徒ヨハネはこう記している。「私達の信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。」(第1ヨハネ5章4節)

  偉大さは、持ち物や、権力、地位や、名声にはよらない。優しさ、謙虚さ、奉仕、人格による。

  神は、自分が偉いと自惚れている人をお使いにならない。何も持ち合わせていない、名もなき人を使われる。

  水面下でサンゴ礁を形成しているポリプ(ヒドラ)は、そこで草木や動物が住み、神の子供達が生まれるようになる新しい島の基礎を築いている、などとは夢にも思っていない。

  神の奉仕における自分の場所が、目立たず隠れたものであっても、不平を言ってはいけない。神が今の場所に置かれたのなら、神の御心から抜け出ることを望んではいけない。ポリプなしには、サンゴ礁は作られない。神には、喜んでポリプのような存在となる人たちが必要だ。人の目につかない所で働くが、聖霊によって支えられている人たちである。天国におられる主は、そういう人々にも常にその目を注いでおられる。

  イエスから報酬を授けられる日が、やがて訪れる。イエスはそれぞれの受けるべき報酬について、決して間違いをされないが、どうしてあなたが素晴らしい報酬を受けるのかと不思議に思う人々もいるかもしれない。今まであなたの事を一度も耳にしたことがないからだ。

  どうして小さな鳥だけがさえずるのか、考えたことはあるだろうか? 鷲がさえずるのを聞くことはないし、七面鳥もダチョウも同様である。しかし、カナリアや、ミソサザイ、ヒバリの鳴き声は聞く。自分を取るに足らぬ者と考え、主の御前に小さな存在でしかないクリスチャンから、最も甘美な調べは流れる。「主は卑しい者を引き上げられます。」(ルカ1章52節)

  あなたこそ、神の目的を果たすために生まれてきた人。神は、あなたのような人が現れるのを長い間待っていました。あなたが神を拒むなら、神は、あなたを通して実現させようと期待していたことができなくなってしまいます。他の人ではだめなのです。この地上にあなたと全く同じ人など存在しないのだから。

 

あなたの賜物を神に捧げなさい

神は他の人を召す必要はありません

    それをするのはあなただから。

神は賜物に祝福も加え

あなた達は二人でそれを行なう

     そう、神とあなたと二人でです。

         −−R・E・ネイバー