Raise'em Right!

幸せな子供を育てるために!

 

暗い社会で明るい子供を育てる パート3

 

しつけ

  −明るく優れた価値観を持った子供を育てる鍵

 

 しつけとは、「正し、形作り、強め、完成するための訓練または経験。」

 

 本当の意味での障害児。障害児には様々なタイプがあります。例えば、フレディーは深刻な障害を負った子供です。彼とは何年も前に、南カリフォルニアで、調理用具を売るため彼の家を訪れた際に会いました。一目見ただけでは、皆さんはフレディーが障害を負っているという私の観察に深い疑いを抱くことでしょう。彼は見事な金髪で青い目をした、ませた9才児でした。年のわりには少し体が大きく、父親はフレディーのことを「生れついての運動選手」だと言いました。学校の成績も良く、優秀な生徒であることは明らかでした。それでも私は心から正直に、私が今まで会った子供の内でもフレディーは一番障害を背負った子供の一人だと断言できます。彼は振る舞いの面で障害があったのです。

 フレディーはぞんざいで、思いやりがなく、わがままで、押しが強く、軽率でした。そして、すぐかんしゃくを起こし、脅しをかけては親を自分の言いなりにしていたのです。

 とは言っても、それはフレディーのせいではありません。フレディーはただ、教えられた通りのことをしていたまでです。両親は、こんなに愛している子供に「ノー」などとは言えないとして、彼を甘やかし、したい放題にさせていました。彼のむら気、押しの強さ、短気、がさつさ、わがまま、思いやりの欠如に対して「ノー」と言わないことにより、両親は実際のところ、成長過程において親からめったに「ノー」と言われたことのなかった息子が、会社や学校、大学、その他の社会共同体から拒絶されるようにと仕向けているのです。何と悲しいことでしょう。どんな子供でもそうですが、フレディーも本当は、おしおきをもらうほど愛されることを望んでいたのです。

 時おり権威に逆らうというのは、私達全員の持っている自然な傾向だと思います。成長する上での色々な段階において、子供はそういう反抗のステップを踏むことでしょう。けれども、明るい子供を育てることを目ざしているならば、子供は親を負かしたいとか、親が自分に降伏する事を願って反抗したり逆らったりしているのではなく、単に親を試しているだけなのだということを、親は理解しておくべきでしょう。子供がほしがっているのは、親が強く断固としており、それでいてかつ愛情深いということを知って得られる安心感なのです。子供は、自分に許されている行動や振る舞いの範囲をしっかりと示す境界線と、人生で成功するために必要な指示を与えてくれる、頼りになる愛情深い権威者を必要としています。

 

 

 

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 子供に愛され、かつ恐れられているのでないなら、それは親とは言えない!神と同じことだ。私達は神を愛するたけではなく、神を恐れている!

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 おしおきを受けることからくる安心感。自由放任主義で、子供を「したい放題」にさせ、したがることは何でもさせることには悲しい結果が待っています。子供は、他の人達も自分を同じように扱うべきだし、また、きっとそうするものと考えるようになってしまうのです。それは、無理なことで、非現実的です。

 しつけや命令は、宇宙の自然法則の一部です。自分の小さな世界(家族)において愛によってしつけられていない子供は、大きな世界において、普通は愛なしにしつけられることになります。

 しつけとは何か? 実際のところ、しつけをしても、しなくても、結果的に子供に一定の価値観を植え付けることになります。現実的に言って、親が子供に愛のこもった公平なしつけを行わないと、この社会が遅かれ早かれ子供にしつけを与えることでしょう。しかし、それは必ずしも愛情深く、公平なやり方でなされるわけではありません。1980年の世論調査で、卒業を控えた高校三年生の90%以上が、親や教師がもっとしつけをし、もっと高い基準を要求するほどに自分を愛してくれていたならと願っていたのも、それが理由なのでしょう。おそらく、この若者達は、自分達が入ろうとしている現実の世界(成績表が給料明細に変わる世界)では、学校で受けなかった知識や訓練、学校で得ることのなかった自信を要するということを本能的に知っているのでしょう。彼らは、勝利者は心地良い羽根布団の上で育つのではないと知っているのです。

 しつけ、それは望まれ、必要とされ、要求されている。私は次の言葉が大好きです。「好き勝手なことをしながら偉大になった人物などいない。」 ちっぽけな人間は好き放題なことをします。しかし偉大な人間は、自分のいる地位や場所を治めているおきてに服従するのです。

 両親への実際的な助言。ジョンソン夫人がある日、子供のビリーの部屋に入ると、ビリーは親指にバンソウコウを貼っていました。

 「どうしたの?」と夫人が尋ねると

 「指をトンカチでぶつけたんだ」という答えが返ってきました。

 「でも、泣き声が聞こえなかったわ」

 「だって、ママは出かけてると思ったから」

 このちょっとした「笑い話」は、現実に起こることです。明るい子供を育てるには、場合によって、親や祖父母が子供を無視しなければならないこともあります。幼い子供がころんだ時に、パパやママが急いで駆け寄って起こしてやり、あの手この手を使って慰め、大丈夫だと言い聞かせ、キスで痛みを忘れさせてやったりすると、その内に、そういうパターンができあがってしまうというのは、ほぼすべての親が気づいていることです。何かが起こるたびに、幼い子供は泣き、パパやママが急いで泣いている子供の所に駆けつけるのです。その子はいつまでもずっと親に頼るようになってしまいます。

 けれども、どうか誤解しないで下さい。子供が転んで、本当にケガをした時には、もちろん、あなたの助けが必要です。

 幼い内に教える過程を始める。幼い内に子供に物事のやり方を教え始めなさい。もちろん、ナイフや電動草刈り機など、ケガをしやすい道具を使った、危険を伴う事ではないという条件つきですが。床を掃いたり、ゴミを出したり、ベッドを整えたりするのは、子供に適した仕事です。

 実際は、親がさっさと自分でした方がずっと簡単です。そのほうがもっとうまく、速くできるし、子供を説得し、やり方を教えたりするのに時間をかけるよりも楽でしょう。問題は、四才児はしばしば自分の限界を知らず、自分には何でもできると信じ、何でもやってみたくてうずうずしているということです。そういう時に、あなたが子供を脇にやって、 「ほら、パパ(ママ)がやってあげるから」と言うなら、子供にあるメッセージが伝わることになります。

 そのメッセージとは、「おまえには上手にできないが、パパ(ママ)ならうまくできる」です。子供がそう信じ込むようになるには、ある程度時間がかかるでしょうが、9才か10才になる頃には、子供は、親のほうが何につけても自分よりずっと上手にできるんだと完全に思い込むようになります。その結果、子供は何でも親に「させる」ようになるだけでなく、家の手伝いを片意地に拒むようにもなるでしょう。または、手伝いをするとしてもいやいややり、親は親で、やっぱり自分が正しかった、この子にはできないんだという結論を下すことになります。そうなると、困難な事やいやな事に取り組む準備もできておらず、そういうことを進んでする気もないというままの状態で、子供をこの世に送り出すことになります。

 子供が幼い時期から家回りの小さな仕事のやり方を教え、それをするよう子供に要求すれば、明るく積極的な子供を育てることになります。子供は自然と一歩一歩成長して、より大きな責任を受け持てるようになり、ついには、多くのことを子供のほうが親よりもうまくできるようになる、幸せな日々がやって来ます。その時こそ、しつけは報われるとわかる時です。

 どの様にしつけるかに注意する。現在、「揺さぶり乳児症候群」がアメリカ各地で報告されています。傷つけるつもりなど全くなくても、親が幼い子供をきつく揺さぶってしまい、その結果、脳に損傷をきたしてしまうのです。たいてい親は、赤ちゃんを泣きやまそうとしたり、悪さをするのを見ておしおきをしようとしただけです。そして、その悪さというのも単に子供の不器用さによるものです。赤ちゃんはまだ幼くて、自分に何が求められているのかわかっていないのですから、こういうことをしても何の効果もありません。幼い子供に対してどの程度のことを期待できるのか、親がもっと理解していれば、このような悲劇は避けられることでしょう。赤ん坊をきつく揺さぶるのはおしおきではなく、虐待です。

 

 正しいねばり強さは明るい子供を作る

  

 がんばり通さなくては! 子供は皆、中国の竹の話を知っておくべきです。アリゾナ州フェニックス出身の優れた講演家である友人ジョエル・ウェルドンがこの物語を話してくれました。中国人が種を植えました。水をやり、肥料をやりましたが、初めの年は何も出てきませんでした。2年目も水をやり、肥料をやりましたが、何も出てきませんでした。

3年目と4年目も水をやり、肥料をやりましたが、何も出てきませんでした。5年目も水をやり、肥料をやると、ある時たった6週間の間にその中国竹はぐんぐん伸びて25メートルを越す高さになったのです。 ここで質問があります。その25メートルは、6週間の内に伸びたのですか、それとも5年間かかって伸びたのでしょうか? 答は明らかに5年です。もし毎年水をやらず、肥料をやらなかったなら、この中国の竹は生えてこなかったでしょうから。

 誰でもこの竹のような経験をしたことがあるはずです。たとえば、幾何学や、物理や、化学で難しい問題に直面した時に、一生懸命やっても答がわからず、もう一度やってみてもまだ駄目。またやってみても、まだわからない。ついに先生の所に行き、ニヤッと笑って、「先生、わかりました! 教科書が間違っています!」と言います。すると先生は私達の方を見てほほ笑み、こう言います。「もう一度やってごらん」 そして今度やり直してみると、答が出ました。事実、その答は一度わかるととても簡単で当たり前なもので、どうしてそれまでずっとわからなかったのか驚いてしまうほどでした。ここで指摘したいのは、答がわかったのは、頭がいいせいではなく、ねばり強さのせいだったのです。

 しつけがまず先、楽しみは後。明るい子供を育てるにあたって、子供に教えるべき非常に大切な教訓は、ねばり強さだと私は信じています。子供は多くの場合、とにかくがんばり通さなければなりません。したくてもしたくなくても宿題は出ます。学校に行きたい気分であれ、行きたくない気分であれ、やはり行かなければなりません。

 

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アトランティック・マンスリー誌の編集者であるチャールズ・W・モートンが、あるハーバード大学の新入生について、こんな話をした。彼は、論文の提出が遅れた理由を説明するためにブリッグス学部長のオフィスにやって来た。「すみません、気分が良くなかったんです」 そして、遅れた論文を提出した。

 すると、ブリッグスはこう言ったのだった。「君、世界中のたいていの仕事は、気分がすぐれない人によって行なわれているということを覚えておきたまえ」

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 とにかくやる。私が知っている成功した人は皆、男女にかかわらず、100%好調でない時に多くのことを成しました。面白いのは、自分のしたくない事でも、やり始めると、その内にやる気がわいてくるということです。これは、単純でありながら、深い意味を含んでいます。理屈で感情(気分)は変わりませんが、行動することによってなら変わります。この教訓を子供に教えるのは非常に大切ですが、とても難しいことです。だから、私達が愛をもってねばり強く教えていかなければなりません。

 偉大なる発明家チャールズ・ケタリングは、一旦失敗したら、何が問題だったのか分析し、失敗した原因を突き止めるべきだと述べています。一つ一つの失敗が成功という聖堂への一歩だと信じているのです。「失敗を恐れるのは、もう一度やってだめだったらもうやめると決めている時だけである」と彼は言っています。失敗したら、正直に敗北を認める必要があります。偽って成功したふりをする事などできません。失敗したなら、その失敗を無駄にせず、そこから学べるだけ学ぶことです。失敗をするたびにその経験から何かを学ぶことができ、何かを学ぶなら、実際、失敗したことにはなりません。そして何よりも重要なのは、失敗を、「もうやりたくない」という言い訳に使わない事です。誰も、歩き始めた子供が一度転んだからといって、「もうそれまでだ! これっきり! 一生椅子にすわっていなさい」とは言わないでしょう。

 両親の皆さん、手本を見せて下さい。「途中であきらめる者は勝利する事がない。勝利する者は、完全に終えるまであきらめない」 これは古い言葉ですが、真理です。残念な事に、子供というものはねばり強さを備えて生まれくるわけではありません。子供の多くは生まれつきあきらめやすい性質を持っています。何かに夢中になっても、その内に飽きてしまい、ほったらかしにする、幼児や小さな子供はそんなものです。けれども、大きくなって、おもちゃを片づけるとか、家の整理整頓を手伝うとか、ゴミを出すとか、自分のベッドを整えるとか、皿洗いを手伝うとか、家まわりの様々な雑用をするとかいった責任を受け持てるぐらいになると、親は子供にねばり強い態度を持つよう教え始める事が出来ます。

 子供が、すべき事をすべき時に行い、それがきちんと行われ、完了したかどうか、親が最後までしっかり見届けることの効果は絶大です。子供が幼い内から、理由が何であれ、自分に課せられた責任から逃れているなら、大きくなってもやはり逃れようとすることでしょう。親が、子供に幼い頃から悪い習慣を身につけさせているわけで、残念な結果を生むことになります。

 その昔、米大統領だったクーリッジはこう言いました。「この世に、根気強さにまさるものはない。才能もそれに及ばない。才能に恵まれながら、成功には恵まれない人はいくらでもいる。天才でさえも例外ではない。不遇の人生を送った天才の話は、昔から数々語り伝えられている。教養も助けにはならない。高い教育を受けながら落伍した人はいくらでもいる」

 

 真の愛

 

 ハグ(抱擁)とキス。多分、たいていの親、特に父親が一番誤解しやすいのは、子供にどれだけ愛情のこもった行為をすべきかについてでしょう。私達の、「勝つべくして生まれた」セミナーに出席した、40代、50代、60代の人々の中には、幼い頃でさえも、親から「愛しているよ」と言われたり、抱き締めてもらったり、キスしてもらったという記憶がない人々がどれだけいることでしょうか。残念なことに、そのような人々はたいてい、自分の子供や孫にも愛情のこもった行為を行ったり、愛を示したりしていません。これは非常に悲しむべきことです。

 しかし、幸いなことに、子供を抱き締めることが全くないという習慣は、断ち切ることが可能です。子供の頃、一度も抱き締めてもらったことがない大勢の親は、自分の人生に、ある種の寂しい感情が存在するのを知っており、その結果、その鎖を断ち切ろうと決意するのです。ゆっくりながらも着実に、大勢の親が、子供に愛情のこもった行為をしたり、感謝の気持ちを示すことを学びつつあります。これは絶対に可能です。

 

 エピローグ

 

 きっと多くの方たちは、私が書いた事について、私自身の子供たちはどう考えているのだろうと思っておられる事でしょう。そこで、私の子供たちに、私と妻のしたことで、効果があったと思うこと、または効果がなかったと思うことについて提案やコメントを求めてみました。

 

私達がした幾つかの間違い

 1.何の理由もなしに、だめと言う。最も効果がない行為の冠たるものとは、頻繁に、だめと言うだけで、理由をまるで説明しなかったことだそうです。私達がよく言う答えは、「パパ(又はママ)がそう言うからそうなんだ」でしたが、やり直しがきくなら、それこそ私達が改めたいことです。

 2.家族揃って出かけることが少なすぎる。子供達は、家族揃って何かをやることが少なかったことにがっかりしていると言いました。ピクニックをしたり、スポーツ、たとえば野球やフットボールをしたり、キャンプに行ったりといったことをもっとしたかったそうです。

 3.あまり罰を与えなかったこと。子供に何かの仕事を言いつけておいて、子供がそれをしなくても、何も罰を与えないままでいることがよくあったそうです。

 4.責任を任される事が少なすぎる。家の仕事をもっと任されていたなら、もっと成長し、将来のための準備になったのにと、子供全員が言いました。

 

私達がした幾つかの正しいこと。

 子供たちの作った、私達が「しくじった」ことのリストよりも、私達のした正しい事のリストの方が長かったことを、私達はとても嬉しく思いました。

 1.物事の善悪をはっきりと教えた。例えば、子供が、自分に電話をかけてきた人や、家にきた人と話したくない場合にも、母親は、子供のために嘘をついてやるようなことはしなかった。

 2.よくない言葉を使わない。まぬけ、バカ、憎い、オエッなどの言葉を使うのを許されなかった事、また親の私達もそういう言葉を使わなかった事は非常に大切だと、全員が感じていました。また、私達がののしったり、汚らわしい言葉を言っているのを一度も聞かなかったと言いました。

 3.子供に、礼儀正しい答えかたを教えた。親も含めて、年上の人に対して尊敬を払い、丁寧に「はい」、「いいえ」と答えることを教えたことです。また、人に何か頼む時は丁寧な言い方をし、「ありがとう」を頻繁に言うように教えたことも、子供にとって大きな助けになったそうです。

 4.個人的な責任を遂行するよう要求した。私達の真ん中の娘のシンディーは特に、宿題を期限までに終えるのは彼女の責任であると教えたことを喜んでいます。また、大学の最初の一年を終えた後で、残りの進路について、自分で選択するのを許されたことを。

 5.子供の言うことに耳を傾けた。娘のスザンナは特に、彼女が私達と話す必要があったり、話したがったりした時に、私達が耳を傾けるだけの時間があったか、そのための時間をさいたことを感謝していました。

 6.えこひいきしなかった。子供たちをみな平等に使い、全くえこひいきしなかったことは、彼らのリストの上のほうにあがりました。

 7.あけっぴろげに愛を示し、愛情のこもった行為をする。彼らにとって一番大切だったのが明らかなこと、それは私達夫婦がお互いへの愛を遠慮なく表し、子供たちに、パパとママは互いに尊敬し合い、愛し合っているという安心感を持たせたことです。

 実際、私達がやった正しいことの内で子供にとって最も重要だったのは、子供に無条件の愛を示したことでした。愛こそ、善のため、またこの世界で明るい子供を育てるための最も強力な武器です!

 

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 子供がいつまでも恨みを抱くことはめったにない。それが子供と大人の違いだ。子供は、愛玩犬と同様、長く心に憤りをためこまない。病気と同じで、起こった事は起こった事であり、ものすごく不公平な事でない限り忘れてしまう。親は、子供を叱ったり、お仕置きをした後で、子供に怒った目で見られたり、ひたすら泣かれたりすると、自分がひどい冷血漢のような気持ちがするが、30分もすると、傷心の大人とは裏腹に、子供は部屋に飛び込んできて、父親の首にしがみつくなり、「お父さん、大好きだよ!」と言ったりする。

       --フィリス・マギンリー

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 主よ、この様な息子に育てる事が出来ますように。自分が弱気になっている時、自分でそう悟れるだけ強く、又、恐れている時には、その恐れに直面できるほど、勇気ある息子に。敗北しても誇りを失わず、不屈の精神を貫きつつ、正直に敗北を認め、勝利しても、あくまでも謙虚で穏やかである息子に。

 ただ願うだけでなく、実行に移す息子に育てる事が出来ますように。あなたを知っており、己を知ることが、知識への扉を開くと知っている息子に。

 楽で快適な道へとではなく、困難と挑戦に満ちた道に、息子を導いて下さるよう祈ります。嵐の中でも堅く立つことを息子に学ばせて下さい。また、失敗した人達を思いやることを学ばせて下さい。

 心に確信を持ち、高い目標を持った息子に育てることができますように。他の人の上に立ちたいと思う前に、まず己を制することを学びますように。また、未来に向かって前進しつつも、決して過去をうとんじる事のないように。

 そして、これらすべてのことに加えて、十分なユーモアの感覚を備えた息子に育てることができますように。常に真剣であっても、あまりにも自分の事を深刻に考えすぎない息子に。そして、謙虚な心を息子に与えて下さい。真の偉大さとは、単純素朴であることだということを忘れず、真の知恵はいつでも歓迎し、真の強さは弱さの中にあると忘れないように。

 それを達成した時に、彼の父である私は、こうささやくことができます。「私の人生は無駄ではなかった」と。

  マッカーサー元帥