Raise'em Right!

幸せな子供を育てるために!

 

暗い社会で明るい子供を育てる パート1

 

暗い社会で明るい子供を育てる

ジグ・ジグラー著

 私をすでにご存じの方は、私が楽観主義者であるのにお気づきでしょう。肯定的で、楽観的であろうという私の選択は、盲目的に、理性もなくなされた選択ではありません。私は、すべての生き物と自然界全体の創造主は、肯定的、楽観的、かつ希望をもった方だと信じています。ですから、子供のこととなると、私は本当に楽観主義です。子供にとって、親である私達が、ごく近い将来の唯一の希望であるのと同じように、子供も私達の将来の唯一の希望なのですから。私達は誰しも人生を楽観的に見るか、悲観的に見るかという選択をしなければならず、人生を楽観的に見るというのは、そうした選択の結果ですが、残念なことに、そのことを悟っている親はあまり多くはないようです。私達は各々、人生に対する基本的な見解を選択しますが、その過程において、子供が人生に対する見解を選択していく手助けをすることになります。明るく前向きな子供を育てる唯一の方法は、まず私達が明るく前向きな親になることだ、と私は確信しています。ですから、これから、親である皆さんに、どうしたら人生の「勝利者」になれるかを主なテーマとしてお話ししていきたいと思います。

 

明るい子供を育てる方法は単純明快

--だがたやすくはない

 

 この本を通じて、私は、二つの原則を再三再四、繰り返し述べます。それは、この二つの原則が非常に大切なもので、それらに従うことができるなら、おのずと教育と子育て全体がより単純になるからです。

 第一の原則は、今ある自分と、現在自分のいる状況というのは、自分の頭に入ってきたものによって形成されるということです。だから、自分の頭に入ってくるものを変えることによって、今の自分や自分の状況を変えることができるのです。コンピューター同様、インプットを変えるなら、アウトプットも変わります。つまり、あなたの思考があなたの行動に影響を及ぼすのです。

 第二の原則は、人生は容易なものではないということです。事実、非常に困難になり得ます。これは、家庭の主婦であっても、会社の役員であっても同じです。勝利者になるには、親も子供も、厳しい社会で生き延びなければなりません。そこで、自己鍛練を学ぶ必要が出てくるわけです。

 親の皆さん、これは私が発見した事ですが、もし私達が自分に厳しいなら、人生というのははるかに容易なものになります。ですから、幼い内に自制できるよう子供を訓練することは非常に大切です。しつけがされていないと、子供は失敗者としての人生を歩みます。親がどんなに愛情深くとも、子供をしつけないなら、子供は、大人になった時に、冷酷な社会から冷たい仕打ちを受けるからです。子供が自己をしつけることを学んでいく過程には、しばしばつらい経験も伴いますが、その結果は努力の甲斐あるものです。

 

 私達には問題がある

 

 では、暗い社会とはどんなものでしょうか? 社会問題をうまく言い繕って、それらを単純なものに見せかけようとするなら、私は自分の役割をきちんと果たしていないことになります。それらは決して単純ではないからです。私は、問題解決に対する、最も理に適った、賢明な最初の一歩というのは、問題を見極め、解決のために前向きに働きかけることだと信じています。

 そもそも否定的であること自体が問題です。例えば親は、「車にひかれないようにね!」といった指示を与えて子供を学校に送り出します。肥満体の人は、腰を降ろして食べる時に、「何を食べてもすぐ脂肪になってしまう」と言います。

 当たり前のことですが、夜ふかしして、翌朝早く起きなければならないなら、「きっと明日は疲れるだろうな!」とつぶやくものです。困難な仕事を見ると、「できっこない!」と言ってしまうし、複雑な仕事だと、「終わるはずがない」と言ってしまいます。私たちはいくらでも否定的になり得るのです!

 この四十年で世の中はすっかり変わってしまいました。一九四〇年代に比べて、一九八〇年代の方が明るい子供を育てるのがいかに困難であるかを強調するために、暗く、ぞっとさせられるような事実をここで取り上げてみましょう。

 ダラス・バプテスト大学の学長である、ワトソン博士によれば、公立学校における一九四〇年代の反則の上位は以下の事柄だったそうです。廊下を走る、ガムを噛む、服装の乱れ(シャツのすそが出ていることも含まれる)、騒がしくする、ゴミをゴミ箱に入れない。

 一九八〇年代の公立学校における反則の上位は次の通りです。(順不同):強盗、暴行、窃盗、住居侵入、麻薬の乱用、放火、爆弾使用、乱酒、武器携帯、頻繁な欠席、公共物破損、殺人、ゆすり。これらの内の十二は重罪で、世の中が大きく変ったのは一目瞭然です。子供達がこれらの問題に、学校で、さらには社会の他の場所で遭遇する可能性が高いという事は、家庭での子供に対するあなたの仕事が、ますます困難で重要なものとなっていることを意味しています。

 販売組織の人達であれ、教育者達であれ、愛国主義者の団体であれ、スポーツ選手であれ、どんな種類の聴衆を相手に話すにしろ、私がその人たちの前で講演をする時に、酔っ払いのバカ騒ぎを奨励したり、コカインやマリファナのような幻覚性の麻薬で淘酔することを勧めたりするなら、彼らは唖然とし、驚きのまなざしで私を見るでしょう。口汚い言葉をぽんぽん交えながら、近親相姦や、姦淫やホモや獣姦や、さらには自殺までさかんに奨励するなら、黙って聞いているグループなど、まずないことでしょう。また、次の日に地元の学校で、私が子供たちに、それと同じスピーチをすると親たちが知ったなら、彼らは何が何でも、それをキャンセルさせようとするでしょう。

 ところが、その親達は、私が今列挙した事をおおっぴらに奨励するレコードやカセットを子供が買うことを知っていながら、あるいは知らないまま、子供たちにお金を与えているのです。音楽も、家庭を脅かす重大な問題となっています。

 さらに深刻なことに、これらの歌の歌詞は強いビートにのって、十回、あるいは百回も聴かれ、子供たちの頭にたたきこまれるので、私がそれと同じ言葉をスピーチで用い、彼らが一回だけ聞いた場合よりも、その影響ははるかに大きいのです。事実、あなたの子供はおそらく、そのような曲を、幾つもそらで歌えることでしょう。

 ここまで話したら、ちょっと明るい面も持ち出さずにはおれません。この否定的で、不道徳な影響に太刀打ちするには、親が、子供の幼い頃から、良い音楽を聴かせるべきです。音楽の好みが一度確立されたなら、土壇場で彼らの選択が変わることはめったにないからです。優れた音楽は、聴く人の心を引き上げ、偉業を成し遂げさせます。調査結果によれば、バックグラウンド・ミュージックに美しいメロディーが流れていると、創造性が高まり、くつろぎ、心地よくなるということです。

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 すべての音楽は‥‥神の栄光をたたえ、人の魂に安らぎを与えることの他にどんな目的も持つべきではない。これを念頭に置かずには、真の音楽はあり得ず、地獄のごとき騒音と怒号のみになってしまう。--ヨハン・セバスチャン・バッハ

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 テレビ

  --価値観を壊すもの

 

 現実的に言って、私達は、テレビがこれからもずっと存在するということを認めなければなりません。問題は、それが良いか悪いかです。数々の事実は、テレビは大きな悪影響を及ぼすということを物語っています。一九八五年三月七日、AP通信は、米国心理学協会が初めて、子供番組の暴力と子供の乱暴な態度には密接な関係があるとの結論を下し、テレビ番組に出てくる暴力シーンの危険性を認めたと報道しました。心理学協会は、テレビで絶えず暴力行為を見ることによって、子供達は、実生活での暴力を何でもないことと思うようになるだけでなく、子供達自身、さらに暴力的になるという結論に至ったのでした。

 テレビは見る人に他のメッセージも伝えています。テレビのおかげで私達は今では、飲酒の習慣は好ましいと信じるようになっています。例えば、テレビで私達は七分三十秒毎に酒が勧められるのを見、十六回中十五回は相手がそれに応じています。勧められているのが悪人であれ、良い人であれ、その割合は変わりません。その思考はしっかり頭に植え付けられ、少しでも楽しい時間を過ごしたいならば、酒が付き物なのです。そして辛い時に気をまぎらわすには、酒を飲むべきだと教えます。アメリカでティーンエイジャーのアルコール中毒が手に負えない問題になっているのも無理ありません。

 テレビのスイッチを入れると、子供が、受け身的な傍観者から、自分で考える思いやりのある人間、分別のある一人前の人間となる過程が崩されてしまいます。価値観が歪曲され、混乱してしまうのです。サンフランシスコに住む九歳の子供は、「外で遊ぶよりテレビを見た方がずっといいや。外はつまんないもん。」と言ったそうです。

 ニュース報道に携わるメアリー・エリソンはテレビ中毒について書いています。その中で一一歳のモニカ・ペンツちゃんは、「どうしても離れられなくって、宿題は終わらないし、友達のこともすっかり忘れてしまうわ。」と言っています。

 一一歳のデイビット・カーン君はこう言います。「一度テレビに夢中になるとやめられなくて、手当たり次第に見ていました。」  デイビット君とモニカちゃんの二人はテレビ中毒で、デイビット君は一日に十時間、モニカちゃんは五時間見ていました。

 シカゴにある、デ・ポール大学の心理学課程の主事であるパティ・リベック氏は、子供達はしばしば、学校の勉強や家族や社会の問題からの逃避という形でテレビを見ると言っています。そして、テレビを見過ぎる子供は概して、内気だそうです。

 親である私達は、子供の頭に入る事柄の大部分を選択することができます。子供の頭に入るものが良いものであるなら、子供からも良いものが返ってきます。否定的であるなら、否定的なものが返ってきます。

 麻薬は第一の問題でしょうか? 今日のアメリカでは、多くの人が、麻薬が第一の問題だと考えています。確かに、それにかかるお金やそれがもたらす悲惨さは、膨大で信じがたいほどです。

 UCLAのフォーレスト・テナント博士は、麻薬、麻薬の乱用、治療及び予防に関する研究で世界的に有名ですが、博士は、喫煙の問題を解決するなら、麻薬問題の大半が片付くと堅く信じています。彼の言う理由は簡単で、その論理は反駁(はんばく)できないものです。マリファナを吸う人の九五%が、最初の麻薬としてたばこをやりました。(マリファナをやるにはその吸い方を知る必要があり、たばこを吸うことでそれを学ぶからです。) また、ヘロインやコカインをやっている者の九五%は、それを始める前にマリファナを吸っていました。博士は、喫煙者全員が、やがてはヘロインやコカインをやるようになると言ってはいません。ただ、それらをやっている人の九五%が最初はたばこから始めたと言っているのです。

 ところで、テナント博士はまた、一九九〇年までには、社会に出る一八歳の者達が喫煙者として職を見つけるのは、殆ど不可能になるだろうと信じています。(すでに、求人企業の一五%以上は喫煙者を雇用していません。) 喫煙者を雇うには、非喫煙者より四千六百十一ドルも余計にかかるからです。麻薬の使用がたばこだけにとどまり、マリファナやコカインに発展することがなくても、就職のことを考えただけで、たばこを吸わない十分な理由があるのです。

 もう一つ、たばこを吸わない良い理由になることは、一本吸う毎に寿命が十四分縮まるという事実です。今日、アメリカの死亡者の一九%は、直接的又は間接的にたばこが原因で死んでいます。それは年間三十六万人に相当します。(五十万人という統計を出しているところもあります。)(考えてみて下さい。年間三十六万人が欠陥自動車や飲料水の汚染が原因で死んでいるとしたら、政府がそれに対して何の処置も取らないなどということがあるでしょうか?)

 ジョシュ・マックドゥエル出版社はこんな統計を出しています。今後一二ケ月の間に、五十万人の子供が自殺を図り、百万人を越す子供が家出をし、二十七万五千人の十代の女の子が私生児を産み、四十一万八千人の一八歳以下の女の子が望まざる妊娠に終止符を打つために中絶をし、千二百万人のティーンエイジャーが何らかの麻薬をやって、それを定期的にやるようになり、三百三十万人の若者が深刻な飲酒問題を抱え、五百万人の子供達が親の別居の犠牲者となり、四百万人の子供達が殴られたり、いたずらされたり、あるいは親から虐待されたりするということです。

 私達は確かに暗い社会に住んでいます。私達が乗り越えなければならない障害というのは、時に克服し難いものに思えますが、障害についてある人が言っている事を見てみましょう。

 逆境に対する積極的な取り組み方。「Personal Selling Power」の編集者であるガーハルド・ゲシュワントゥナーは、ある賢明なる哲学者がかつて語った言葉を引用しています。その哲学者は、鷲が、より速いスピードとゆとりとをもって空を飛ぶために克服しなければならない唯一の障害は空気だが、もしも空気がなくなり、その誇り高き鳥が真空状態を飛ぶなら、真っ逆さまに地面に落ち、全く飛べなくなるだろうと言ったのです。飛ぶ障害になっているのと同じ要素が、飛ぶための条件にもなっているのです。モーターボートの大きな障害となっているのはスクリューに当たる水ですが、その水がなければ、ボートは全く動きません。障害が成功の条件という法則は、人生にも当てはまります。人生からすべての障害や困難がなくなるなら、全ての可能性や力もまたゼロに縮小してしまいます。障害のおかげで、私達は自分の真の能力に気づくようになるのです。懸命に努力することによって私達は新たな力を得るので、困難に直面することによって新たな力が生まれるわけです。困難に直面することで力が生じ、失望が成長へとつながり、何かを失うことから、新たな願望が生まれるのです。

 明るい子供を育てるには、自分には子供のためにしてやれない事もあるということを理解しなければなりません。子供を、害を及ぼすものから守ろうとしても、子供がこの社会の悪影響を全く受けないようにすることはできません。私達は彼らを、悪からすっかり隔離することはできないのです。足首をくじいたり、指を折ったり、親指を切ったり、病気になることや、その他、子供に起こる沢山の事柄の一つとして、私達がその身代わりをすることはできません。

 子供が実際に困難や苦痛に出くわした時にしなければならないのは、理解を示し、私達がちゃんとついていて、愛し支えていると知らせることです。

 

 真の成功者の資質

 

 成功の土台:人は、学校を卒業して職に就く時に、社会の一員としての人生を歩み始めると一般に信じられています。しかし実際には全くそうではありません。それは、ほぼ受胎する瞬間に始まり、小学校に入学する頃には、すっかり社会の一員となっているのです。まだ母の胎にいる内に、多くの事柄が、私達の将来にしっかり影響を及ぼします。誕生の四ケ月前にして胎児は外からの影響を受けるという事が証明されています。そして誕生の瞬間から、私達の目や耳に入ってくる事柄や環境は、将来を形作る上で大きな役割を果たします。

 子供達のためにしっかりとした基盤を築くには、確固たる道徳的基盤が必要です。子供には正直になることを教えておきながら、自分は正直でない親というのは、大きな問題を抱えることになります。

 例えば、親が日頃、子供に正直でありなさいと言っていても、電話がなると、その電話に出た子供に、「今出掛けてるって言ってちょうだい。」と言うならどうでしょうか。その子供に対するメッセージは明確です。子供は、親のために嘘をつくよう教えられるなら、親に対しても嘘をつくよう教えられていることになります。

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種を持っていた私は、畑を耕し、

  心をこめてその種を蒔いた。

作物の成長をながめながら、

  主が天から送られる雨に感謝した。

だが私は、一日中、本を片手に腰を降ろし、

  作物を伸び放題にしておいたりはしなかった。

世話をしないなら

         作物は育たないと知っているから。

  子供の場合もそうじゃないだろうか?

           --エドガー・A・ゲスト

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 道徳的価値観に対する要求は高いものです。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、「知的教育だけで、道徳教育をなおざりにするなら、社会を脅かすような人間を養成することになる。」と言いました。ジョン・ホプキンス大学の学長であるスティーブン・ミュラーは、価値観の果たす役割について簡潔に次のように言っています。「特定の価値観を固守しないなら、大学は、高度な技術を持った野蛮人を養成することになる。」 子供に良い影響を与える親になるには、信頼も不可欠です。親が自分の教えていることに信念を持っていると知っているなら、そして、親の教えることと実際に親が毎日の生活で行うこととが一致しているのがわかるなら、子供というのは、親を信頼し、親の言うことに素直に応じるものです。偽善は、今日の子供達の間では全く受けません。「私のすることじゃなくて、私の言うことをしなさい。」などと言うなら、子供を失望させてしまうことでしょう。

 人格とは、信用。銀行家の故J・P・モーガン氏は、銀行にとって一番信用できる担保は何だと思うかという質問を受けて、ずばっと「人格ですよ。」と答えたそうです。ウィリアム・レイク氏は次のように言っています。「経験から学べる最も大切な教訓の一つは、成功の鍵は、知性や運よりも、むしろ人格だということです。」

 金(きん)を捜すこと。アメリカで最も裕福な人物となったこともあるアンドリュー・カーネギー氏は、幼い少年だった頃、生まれ故郷のスコットランドからアメリカに移住して様々な職に就き、やがてはアメリカ最大の鉄鉱業者となりました。ある時には、四十三人の百万長者が彼の下で働いたこともありました。当時、百万長者というのはまれな存在で、その頃の百万ドルは、控えめに言っても今日の二千万ドルに相当します。

 あるレポーターがカーネギー氏に、どうやって四十三人もの百万長者を雇ったのかと尋ねると、彼の下で働き始めた時には彼らは百万長者ではなかったが、彼の所で働いた結果、百万長者になったのだと答えました。

 そのレポーターの次の質問はこうでした。「どうやって、そんな高い給料を払うほど貴重な存在になるまでに彼らを育て上げたのですか?」 

 するとカーネギー氏は、金を採掘するのと同じ方法だと答えました。金を採掘する時には、一オンスの金を得るために、数トンもの土を掘り起こすことになるけれども、人は土を捜しに行くのではなく、金を捜しに行くのです。

 それこそまさに、親が、明るい子供を育てる方法です。短所やあらや欠点を捜してはいけません。土ではなく金を捜し、悪い所ではなく、良い所を、そして人生の明るい面を捜すことです。何にでも当てはまることですが、子供にしても、彼らの内に良い資質を捜し出そうとすればするほど、実際により多くの良い資質を見いだすのです。

 良い点を見つけてほめてあげる。何か良い点を見つけたら(そしてそれは容易なことですが)、その良い点を具体的にほめてあげることです。子供を賞賛するのです。それも頻繁に。自分の子供を愛する親は何千万といますが、残念なことに、なかなかそのことを口に出して言いません。これは非常に残念なことです。ほめることは、子供に自信を持たせるのにとても効果があるのですから。賞賛が非常に効果的であることから、世界でも名高いバイオリン教授法の鈴木方式においては、二、三、四才児が最初に習うことの一つは、おじぎをして賞賛を受ける方法です。先生は、子供がおじぎするなら必ず、聴衆は拍手して賞賛すると知っているからです。「賞賛は、自分の演奏や自分自身について子供に自信をつけさせる最高の原動力」なのです。

 すべての人やすべての状況に良い点を見いだすことを習慣づけるには努力が必要ですが、子供への愛のゆえに、私達はその努力をしなければなりません。親である私達は、良い点を見いだすことを実践し、そのお手本となる必要ががあります。それがでできるというのは成功者の持つ資質ですが、これは教えられるというよりは、手本を見ながら自然と身につけるものだからです。

 良い点を見いだす事の益を刈り取って下さい。ファミリー・コンサーンによる一九八四年九月の研究では、六十人の生徒を二十人ずつ三つのグループに分け、五日間に渡って算数のテストを毎日行い、一つのグループに対しては前回の出来栄えについて常にほめてやり、次のグループは批判し、三番目のグループには全く関心を示しませんでした。結果は、ほめられたグループの子供達はどんどん点が上がり、批判されたグループの子供達も少し点が上がりましたが、関心を示されなかったグループの子供達は全く向上することがなかったそうです。

 チャールズ・シュワッブはこう言っています。「私はいまだかつて、地位がどんなに高い人でも、常に批判を受けている時の方が、賞賛を受けているよりも、より良い仕事をし、より努力するようになったという人にはお目にかかったことがない。」 同様に、常にほめられる環境に育ち、いつも他から認められてきた子供は、絶えず批判を受けている子供よりも、より幸せで、勉強や家の手伝いもよくやり、従順であると言えます。

 ゴールに到達すること。私が非常に貴重だと考えている特別な秘訣があります。それは、肯定的なインプットをするのが最も必要とされる時間帯は、朝早くと夜遅くだということです。一日の始まりに経験した意味のある出来事は、その後の五つの出来事よりも、私達の思考や態度により大きな影響を及ぼすと考えている心理学者もいます。その事を考慮すると、一日の始まりに非常に肯定的なインプットをするよう努力するのは、極めて大切な事です。

 朝の次に、肯定的なインプットをするのが大切な時間帯は、夜遅くです。もう何年も、私は、眠る前に何か肯定的なものを読むようにしています。

 

 意欲と、肯定的な考え方

 

 とりわけ悲観的な考え方をする人々がいます。この社会において、意欲や肯定的な考え方というのは、他のどんな事柄よりも理解されていないと言っていいほどです。数年前のハーバード大学の調査研究によれば、人が仕事に就き、群を抜いて昇格していく場合、その理由の八五%は、その人の物事に取り組む姿勢によるものだということです。ですから、子供が社会に出ていくための準備をしてやりたいと望む親は、常に前向きで積極的な態度をもって物事に臨むことを教えるべきだということは明らかで、その裏付けも十二分に揃っています。意欲や肯定的な考え方というのは、電気のようにスイッチ一つでオンやオフにするものでもなければ、特別な機会だけに使うものでもありません。それは、考え方であり、行動様式であり、人格であり、それがあれば、あなた自身、さらには家族も素晴らしい益に預かることでしょう。

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  最も貧しい者とは、

 一文なしのことではなく、

  夢のない人のこと。

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 肯定的な考え方、否定的な考え方を持っていると、どうなるか。別に肯定的な考え方をしているからといって、特別に何かができるというわけではありません。しかし、何をするにも肯定的な態度で臨むなら、否定的な態度で臨むよりも、より良く行なうことができます。

 動機づけ、意欲、やる気とは、そもそも何でしょうか? これは、興味深く、かつ、誤解されやすいテーマです。「動機づける」というのは、動機となるものや意欲を与え、行動するよう刺激することです。

 インタビューを受けるとよく、やる気を起こさせることや、意欲といったテーマについて質問をつきつけられます。たとえばこんな質問を受けるのです。「ジグラーさん、『意欲向上のためのセミナー』に参加するとやる気満々になるが、一週間もたつと、セミナーに参加する前の状態に戻ってしまうと言う人達がいます。つまり、意欲をかきたてられても、その意欲は永久には続かないという事です。」

 これに対して私はこう答えます。「もちろん、一度意欲をかきたてたら、その効果が永久に続くというわけではありません。風呂も同じで、一度風呂に入ったらそれでおしまいというわけにはいかず、やはり毎日入らなければいけません。」 食事にしても、一度食べたらもう永久に食べなくてもいいわけではなく、毎日食べなくてはいけません。

 皆さん、意欲を持ち続けなさい。明るい子供を育てるには、このことを理解しなければなりません。つまり、自分自身や子供達が常に意欲的であり続けるためには、常に、やる気や意欲をかきたてるようなことを自分や子供にインプットする必要があるということを。定期的に肯定的なインプットを受けているなら、毎日の生活の中で難題に出くわしても、自然と、肯定的で前向きな姿勢で取り組もうとするようになります。たとえば、子供が学校から帰ってきたら、肯定的な態度で迎えましょう。「今日はどうだった?」とか「学校で何したの?」と聞く代わりに、この様に調子を変えて尋ねてはどうでしょうか? 「今日、楽しかった事は何?」「今日教わった事の中で、何が面白かった?」「今日一緒に遊んだ子の中で誰が好きだった?」「今日、先生がおっしゃった事で、一番うれしかった事は何?」「誰かに何かいい事してあげた?」(このアプローチは、帰宅したばかりの夫または妻への会話で使っても、驚くほど良い効果をもたらします。)

 こう言っておいてから、後で、子供とゆっくり時間を過ごしている時に、その日の出来事について尋ねたらいいでしょう。

 昇給のために働く。心構えというのは、家庭でも、学校でも、仕事場でも大切なものです。私は少年期に、ミシシッピーのヤズー市にある小さな食料雑貨店で働いていました。そして、通りの向こう側の店で働いていた少年と知り合いでした。当時は大不況で、ほとんどの店は、経済的な理由から、店頭に置く品物の量を限定して、ぎりぎりの線で商売をしていました。だいたい基本的な商品が揃うと、店主は、次の週に何が売れるか予想をたて、その予想に応じて仕入れをしました。こういうやり方をしていたので、当然ながら、よく品不足になり、足りなくなると、店同士で互いに貸し借りをしながらやっていました。

 向かいの店で働いていた少年、チャーリー・スコットは、こうした時の「使い走り」で、私も、こちらの店の「使い走り」でした。チャーリーは何度も何度も、勢いよく店に入ってきて、大声で、私の店主に向かって、「ミスター・アンダーソン、トマト缶、六缶借りていいですか!」と尋ねてきたものでした。アンダーソンさんはいつも、「いいよ、チャーリー、自分で取っていきな。どこにあるか知ってるだろう。」と答え、するとチャーリーはまたかけ足で棚の所に行って、借りる品物をひっつかみ、カウンターにまっしぐらに行くなり、どの品物を借りたかを記した紙に自分の名前をさっと書き込み、また、駆け足で店に戻って行ったものです。

 店がちょっと暇になった時に私は、チャーリーがなぜ、あんなに走り回っているのか、アンダーソンさんに尋ねてみました。すると、チャーリーが走っているのは、給料が上がるようにで、実際にそうなるんだと教えてくれました。そこで、どうしてチャーリーの給料が上がることを知っているのかと尋ねると、アンダーソン氏は、そこの店の主人が給料を上げてやらないなら、私がチャーリーを雇ってもっと高い給料をやると答えたのです!

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幸せ、不幸せは、地位のあるなしではなく、心の持ちようによって決まる。

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 仕事を維持する方法。最初から子供に最善を尽くすよう教えるなら、子供が大人になった時、職を探すのは一回ですむでしょう。ただし、会社が倒産した場合は別ですが…。早めに出勤し、遅くまで熱心に仕事をし、しかも顔にほほえみを絶やさない人は欠かせない存在になります。新しいことを覚え、いろいろと新しく責任を受け持つようになるなら、その内に管理者側もそのことに気づきます。

 これは世界共通の法則ですが、もらっている給料以上の仕事をするなら、遅かれ早かれ、その仕事ぶりのゆえに給料が上がります。余分な仕事を任され、快く引き受けるなら、私達はちょうど帆船のような存在になります。帆船は、帆の数を増やせば増やすほど、より速く、遠くまで航海できます。ですから、より速く、どんどん進んでいきたいなら、もっと帆を張らなければ、つまり、自分の取り組んでいる仕事にもっと打ち込まなければなりません。

 

 明るい子供を育てるための、前向きのステップ

  

 ここまで話すと、真の明るさを持った子供を育てるためには、アインシュタインの知力、心理学者の洞察力、スポーツマンのスタミナ、ボブ・ホープのユーモア、ライオンの穴にほうり込まれた時のダニエルの信仰、それにゴリアテと対決した時のダビデの勇気が必要だという結論を、あなたは出されるかもしれません。

 私が話してきたことを読んで、あなたがそういう印象を受けたなら、おわびしなくてはなりません。確かに、明るい子供に育てるのは、たやすい事ではないということを伝えようとはしてきましたが、愛情深い献身的な親が、比較的明確なガイドラインに従うなら、その大仕事をなしとげることは可能です。そればかりか、限りない喜びという報酬が得られることでしょう。

 教育を始めるのは今です。幼少の時からフォニックス(発音をもとにした語学の教え方)を教えるのは、子供の成育にとても大切であると多くの教育者が言っています。子供はフォニックスさえ学べば、大学の教科書でさえ読むことができます。

 子供がまだ胎内にいる時から子供に話しかける事の効果を信じているジョセフ・スセディック氏は、子供が出生時から親を完全に信頼するようになるためには、母親は妊娠中に、落ち着いた、穏やかな雰囲気の中にいるべきだと強調しています。「子供が完全なる信頼を抱いて初めて、私達は子供に教える事が出来ます。子供には、愛とやさしさを持って教え、子供が学びたいという気持ちになっている時にだけ教えるようにしなければなりません。」

 スセディック氏は、「子供は、五、六才までは、どんどん難なく学んでいきます。」と語り、親ができるだけ子供と時間を過ごすことの必要性を力説しています。「子供が質問をしてきたら、後回しにしないで答えてあげることです。」

 テイラー博士は、スセディック氏の子育て法や、幼児期に言語表現の能力を伸ばす必要性に賛同し、こう語っています。「親と先生は、ただ子供に向かって話すだけではなく、真の意志の疎通をはかるべきです。いくら忙しくても、『後で聞いてあげるから』と言って子供を向こうへやってしまうべきではありません。」

 規則が与えられる時期:「時のしるし」(一九八四年四月)の中で、著者のジョン・ドレッシャーは、子供には三つの成長段階があると言っています。最初の段階は「規則が与えられる時期」で、一才から七才までの間です。

 この間に子供は、自分に何が求められているかを知る必要があります。はっきりとした明白なルールがないと、子供は手に負えなくなってしまいます。そういった子供はみじめで、不安を抱き、だんだん自分は愛されていないと思うようになります。そして、色々反抗してみて、時には親をひどくいらだたせるような方法を使ってまで、自分にはどこからどこまで許されているのかを探ろうとします。

 子供がまだ幼い内にコントロールしておかないなら、永久にコントロールできなくなってしまいます。まだ幼い内に、親がしっかりと子供をコントロールしているなら、後になって規則を緩めることもできます。もう子供が自分で自分をコントロールできるようになっているからです。小さい時にそういった制限やコントロールを受けないと、子供は大きくなって混乱してしまうだけではなく、いかなる規制も受つけない反抗的な子供になってしまうでしょう。幼い内は、直接的な命令をするのが一番です。「いけません」や「だめ」を連発したりせず、それは最低限に抑え、愛の内に一貫性をもってしつけるのです。

 まねする時期:子供の第二の成長段階は、まねをする時期です。これは八才から一二才の間です。この時期は、ジョン・バルガイが言っている通り、「親がいかに優れた指導を与えていても、子供に悪い手本を見せているなら、それは、片手で食物を食べさせながら、もう一方の手で毒を盛っているようなもの」です。この時期には、子供にとって、良い手本となる存在こそ最も大切なのです。規則も大切ですが、手本が素晴らしい刺激となるわけです。

 子供は、見た通りのことをします。私が自分の家庭を持ち始めた時に、私の母が何度も繰り返して言ったように、「子供達は、親の言うことよりも、親のすることに注意を向けているもの」です。

 何年か前の調査によると、牧師になる人達の半分以上が、その決断を一一才までにしたということです。この時期には、親は他のどの時期にもまして、子供になってほしくないような人になったり、子供にしてほしくないことをしたりしてはいけません。この時期には、自分が子供に教えている通りの、矛盾のない一貫した生活をすることが常に要求されます。従って、この時期に子供を教え導く大人は、子供が見習うにふさわしい人であるべきです。

 感化されやすい時期:この次の段階は感化されやすい年頃で、一三才以上がこれに入ります。ティーンエイジャーの年頃になると、子供は何かの偉大な思想に大きく影響されます。この年令の子供には絶対に英雄が必要で、英雄が与えられないなら、自分で見つけ出します。正しい種類の英雄によって感化されないなら、間違った種類の英雄によって感化されてしまうでしょう。この時期、ティーンエイジャーは、何かの目標を持っていると、精神的にもずいぶん安定し、性格形成もうまくいきます。ティーンエージャーには短期的な目標と長期的な目標の両方が必要です。もちろん規則や制限は、この段階にあってもまだ大切ですが、この年令になると、親がいつも付き添っている事など不可能なので、自分で自分を制御する事が出来ないならうまくいきません。ティーンエイジャーは、過去の色々な経験をもとにして判断できるようになる必要があります。

 早い内に子供の創造性を伸ばす。子供が何に本当に興味があるかを示す典型的な例を挙げましょう。クリスマスの時、おもちゃを箱の中から取り出すと、子供はよく、おもちゃよりも箱で遊び始めるのです。子供は箱を使って色々なものを作り上げます。箱や、棒切れ、枕、古いタオルや毛布、その他何でも、親からせしめた物を使って、男の子なら自分のとりでを作り上げ、女の子なら人形の家を作るものです。

 ユーモアは助けになる、試してごらんなさい! 明るい態度をとり、明るい子供を育てる可能性を伸ばすために、ユーモアのセンスは、時々直面する問題や障害や落胆を克服していく上で欠かせないものです。

 ユーモアは、大きな励ましにもなります。ユーモアは、教え、意欲を奮い立たせるのに非常に役立つことが証明されています。サンディエゴ(一九八四年八月ファミリー・コンサーン)での調査では、ユーモアのおかげで学生のテストの成績が良かっという結果が出ています。心理学のクラスを取っている大学生の四つのグループが、真面目な講義か、ユーモアたっぷりの講義のどちらかを受ける選択を与えられました。講義のすぐ後で行ったテストでは皆、同じ成績だったのですが、六週間後にもう一度テストを行ったところ、ユーモアのある講義を受けた学生のほうが、よく覚えていたことがわかったのです。

 子供は、自分が特別な存在だと感じる必要がある。これは、とても重要です。ダラスのダイナミックな実業家、リチャード・グリーン氏は、自分の子供に対してユニークなアプローチを用い、効果をあげています。彼には二人の子供がいますが、両方とも養子なので、グリーン夫妻は一年に二度ずつ誕生祝いをします。一度は誕生した日、もう一度は、養子にした日です。こうすることで、子供達は自分が特別な存在だと感じ、養子だという事実もプラスに働きます。子供達はこれによって自己イメージが高まるのですから。

 この章の締めくくりとして、私の友人のジェリーとジョー・ベーコン夫妻の話してくれたことをお話ししたいと思います。夫妻は南カルフォルニアのチャールストンに住んでいますが、何年か前に、この夫妻の美しい娘のことで、興味深い事に出くわしました。この娘ベスは、まるで、幼い「ミス・アメリカ」といったタイプの子で、熱意があり、意欲的で、礼儀正しく、責任感があり、明るく、愛情深く、積極的で‥‥言うことなしの子だったのです! 朝目覚めた時から、夜寝るまで、一日中底ぬけに明るい子でした。

 数年前、ジェリーとジョーは、クリスマス・プレゼントとして、彼女に目覚まし用のラジオ・クロックを買ってあげました。けれども、そのラジオがロック放送にセットされていた事に夫妻は気づきませんでした。それから毎朝、ベスが目覚めるごとに、五分間、前日のニュースが流れ、それから、ロックミュージックが流れてきました。

 変化はゆっくりとした微妙なもので、気づかないほどでしたが、二、三カ月立つ内に、ベスはだんだんイライラしやすくなり、色々な事で機嫌を損ねるようになりました。以前ほど笑わなくなり、不平を言う回数もぐんと増え、あの愛情深く優しいベスではなくなったのです。まるで別人のようになってしまったのでした。

 ジョーとジェリーはその変化に気づき、色々話し合って、問題の根源を探りました。そして一つ一つ物事をたどっていき、ついにクリスマスの時にあげたラジオ・クロックのことを思いついたのです。解決法は簡単でした。そのラジオ・クロックをベスの部屋から出したのです。(もちろん、ベスはそれをいやがりましたが、責任感のある、愛情深い親は、子供や家族にとって最善のことをしなければなりません) 毎朝、どちらかの親がベスの部屋に行ってハグとキスで彼女を起こし、新しい朝を快く迎えさせました。この話の結果は言わなくてもわかると思います。ご察しの通り、数週間の内にベスは、前のようにハッピーで、優しく、熱意のある女の子に戻ったのです。インプットを変えるなら、その結果、アウトプット、つまり行動も変わるものです。

 

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珍 客

 

 父が、私達の住むテネシー州の小さな町には初めての、この珍客に出会ったのは、私が生まれる数カ月前のことでした。一目会った時から、父は、この魅惑的な新参者に夢中になり、間もなく、私達の家に来て一緒に暮らすよう招待しました。この珍客は素早く受け入れられ、数カ月後、私がこの世に生まれた時には、家にいて私を迎えてくれたのでした。

 大きくなっても、私は、家庭での彼の存在に対して疑問を抱いたことなど一度もありませんでした。誰にでも、各々にふさわしい場所があると幼心に思ったのです。兄のビルは五才年上で、私の手本でした。妹のフランは私に、「兄」の役を演じ、からかう技術を磨く機会を与えてくれました。両親は、互いに補い合う教師でした。母は私に神の御言葉を愛することを教えてくれ、父はそれに従うことを教えてくれました。

 そして、この珍客は私達に物語を話してくれました。彼は、実に興味をそそる話を作り上げるのがうまく、冒険、ミステリー、コメディーというのが、彼にとっては普段の会話でした。彼は、毎晩、何時間も、家族全員を夢中にさせたものでした。

 政治や歴史や科学について知りたいなら、彼からそのすべてを聞くことができました。彼は過去を知っており、現在を理解していたし、将来を予測することまでできるかのようでした。彼の描写は真に迫っており、それを見ては、笑ったり、泣いたりしたものです。

 彼は、家族全員にとって友達のような存在でした。父とビルと私を、初めて大リーグの野球の試合に連れて行ってくれたのも彼だし、いつも映画を見るようにと言い、何人もの映画スターに会わせてくれたのも彼でした。兄と私は、特にジョン・ウェインに深く感銘しました。

  その珍客は、ひっきりなしに話す人でした。父はそれを何とも思わなかったようですが、母は、私達が彼の遠い国の話に心を奪われている間に、静かに席を立って自分の部屋に行き、聖書を読んだり、祈ったりしていました。今思うと、母は、この珍客が出て行くよう祈ったこともあったのではないかと思います。

 おわかりと思いますが、父は特定の道徳的信念をもって家庭を治めていました。ところが、どういうわけか、この珍客は、それに敬意を払うべきだとは思わなかったようです。例えば、私の家では、神を冒涜(ぼうとく)する言葉を使うことは許されていませんでした。私達子供も、私達の友だちも、大人も許されていなかったのです。ところが、ずっと私達の所にいるこの客は時たま、タブーとされている言葉を使いました。それを耳にすると私は当惑し、父も気まずそうにしていましたが、私の知っている限りでは、その事で父が彼に面と向かって話したことは一度もなかったと思います。

 父はまた絶対飲まない主義で、家の中で断じてアルコールを許さない人でした。料理用の酒でさえも。ところが、この珍客は、私達もそういうのに接する必要があると感じたようで、私達に別の生き方を教えてくれました。彼はしばしば、私達にビールや他のアルコール飲料を勧めるのでした。

 彼は、たばこはおいしく、パイプは気品があるかのように見せ、セックスについてもはばかることなく(おそらくはあまりにも開けっ広げに)口にしました。彼のおしゃべりは時に押し付けがましく、また時にはいかがわしく、たいていは当惑させられるようなものでした。今になってわかるのですが、男女関係について私が最初に抱いた観念は、この珍客によって影響されたものでした。

 振り返って見ると、その珍客が私にそれ以上の影響を与えなかったのは、神の恵みだったと思います。再三再四、彼は両親の価値観に反対しました。ところが、彼が叱責を受けることなどまずなく、出て行ってくれと言われたこともありませんでした。

 この珍客がモーニングサイド・ドライブの若い家族と共に暮らすようになって三十年以上がたちました。父はもう、彼が来た当初ほど彼に興味を抱いてはいませんが、今でも、私の両親のこじんまりとした部屋に足を運ぶなら、彼が部屋の隅に腰を据え、誰かが自分の話に耳を傾け、自分の描く絵を見てくれるのを待っているのが見えるでしょう。

 彼の名前ですか? 私達は彼の事をいつも、ただTVと呼んでいます。

 --ケイス・カリー

 

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子供はまわりから学ぶ通りの人間になる

 

子供は批判を耳にしながら成長すると

 人を批判するようになる

子供は敵意の中で成長すると

 人と争うことを覚える

子供はいつもあざけられながら成長すると

 引っ込み思案になる

子供は怒られてばかりいると

 罪悪感を抱くようになる

子供はまわりの人がいつもおおらかでいるなら

 忍耐強くなる

子供はいつも励ましの言葉をもらうなら

 自信を抱くようになる

子供はいつもほめ言葉をもらうなら

 感謝することを覚える

子供はいつも公平な扱いを受けているなら

 正義を学ぶ

子供はいつもまわりから良く思われているなら

 自己嫌悪に襲われることはない

子供はいつも暖かく受け入れられているなら

 この世界に愛を見いだすようになる

−−ドロシー・ロー・ノルト

 

 −−パート2へ続く−−