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学校体制から子供を守る

 

−−あなたの家族が体制を負かし、簡単で自然な方法で学ぶのを愛するようになるのを助ける方法

−−メアリー・プライド

 

前書き

  17歳で読むことも書くこともできず、フロリダと中国の違いもわからない若者がいることは、誰もがよく知っています。学校に行っている子供達に、麻薬問題や十代の自殺が流行していることも周知の事実です。ラジオでデトロイト市の教育長が、銃を携帯している生徒は、学校に入らせないという「新しい厳格な方針」を定めたと発表したとか(つまり、それまでは、銃を持って登校することが許され、実際に学校で銃を所持していた子供が、いっぱいいたという意味でしょうか?)、ACLU(米市民的自由連盟)は学校職員が生徒達のロッカーを開けて、銃の捜索をするのを、禁止させようとしていると聞いても驚かないくらいです。こうなると、「子供達‥‥いや私の子供達を危険にさらすなんて馬鹿げている。危険を承知で子供を学校にやるなどやめるべきではないか?」と考えずにはおれません。

  今こそ、私達は自分の子供の教育を自分達の手で管理すべきです。

 

「学校体制から子供を守る」とはどういうことか?

  学校体制から子供を守るとは、世間で盛んに採用されている政治的また教育的理論が何であろうとも、自分の子供には必ず優れた教育を受けさせるということです。つまり、この文盲の時代に子供が読めるようになること、また、反抗の時代に子供が正当な権威に従うようになること、この画一化時代に子供が不正に対して堂々と立ち向かうようになることです。つまり、子供達がより賢くなり、より優しくなり、それほど物質的なほうびや罰に頼る事がなくなるのです。学校体制から子供を守るとは、良い教育と悪い教育を見分ける事ができるよう、正しい教育方法を学ぶ事です。だから子供を学校から守るというのは、親が子供の教育に責任を負うという事です。悪い教師を尊敬したりせず、良い教師をもっと尊敬するのです。子供達はもはや上から押しつけられた画一的な教育を受ける必要はないし、親は自分自身で素晴らしい教育カリキュラムを作る事ができます。

  自分で自分の子供を、教えることができるのは素晴らしいことです。子供を持つ親の皆さんに、ぜひこれをお勧めしたいと思います。公立学校は、子供達が同年令の子供達から強い影響を受ける、画一的で長たらしく、退屈な世俗の混乱にすぎないのですから。

 

単純であることは美しい

  単純である事は美しいことです。教えることもシンプルで単純にして下さい。結局のところ、教えることはそれほど神秘的なことではありません。奇跡ではあるかもしれませんが、神秘的ではないのです。人が植えます−−それは神秘的なことではありません。そして、人が水をやります−−これも神秘的ではありません。けれども、神が奇跡によって成長させて下さるのです。

 

生徒たちは人間か?

 

スマイル・ステッカーと添削されていない問題用紙

  現代の教育はおちぶれてしまいました。犬や鼠や鳩‥‥そして機械を教えているようなものです。教師にとって、子供達は訓練すべき動物と考えられているのです。ジェニファーが、「良くできました」を意味するスマイルマークのシールが沢山貼ってある練習問題用紙や、本当にこまごました事柄について退屈な小さな練習問題がたくさん詰まったワークブックを学校から持って帰って来るなら、人間行動尊重者がジェニファーをうまく洗脳しようとしていることは間違いありません。サミーが「創造的に自分の思う事を表現することを学んでいる」ので、教師がサミーのつづりや文法や句読点の間違いを訂正しようとしないなら、その人間至上主義者は、サミーが人間の想像を越えた超進化的発展を遂げる事を願っているのだとわかります。このような人間行動尊重者や人間至上主義者達がすっかり実権を握っている事が、西欧の教育をすっかりだいなしにしているのは明らかなはずです。その結果を見ればわかります。

 

動機づけと支配体制

  私達が子供達を教える方法は、私達が子供の心についてどう思っているか、または思っていないかによって完全に左右されます。生徒に学ぼうという意欲を起こさせると考えられている方法を見てみましょう。

  子供は歯車:教師は神です。子供は「人材資源」なのです。何もかもが教師やコンピューターや教科書といった管理された源から子供達に供給されます。教師も、「カリキュラム指針」に従っていない教師は管理者側がクビにすることができるという規則(しかしホモの仲間を誘うのは違反ではありません)によって支配されています。コンピューターはソフトウェアーの選択によって左右されます。そして教科書は女権拡張論者や統一政府検閲委員会によって支配されています。

  最終的には、生徒たちが、体制を支えることを覚えさせられた小さなロボット作業者集団や小さなロボット福祉手当需給者となることを目標としているのです。

  子供は犬:「ジュディー、アイスキャンデーがほしい? じゃあ、算数の問題をあと10問解きなさいね。」 これが「楽しみの原理」と呼ばれるもので、教師は動物訓練者の役割をするのです。犬用のビスケットの代わりに、自分の生徒にスマイルマークのシールや、キャンデー、遊園地行きを提供します。「ごほうびのためにしなさい。立派に勉強することの喜びのためでなく。」

  子供は地位崇拝者:栄光の原理。成功への猛努力。金持ちで有名になれるからやれ(または少なくともマクドナルドでのパートの仕事に就けるから) 生徒の前にさりげなく掲げる動機づけは、ただ利己心やプライドや貪欲さにつけいるような長期的な目標です。

  おそらく、最も広く使われている動機づけの方法は、権力や野望といった自然な欲望にとり入ることですが、子供の中にある傲慢さにつけいることが子供を傲慢にしていきます。そして貪欲さにつけいることで、子供を貪欲にするのです。

  子供は神:「ジョニー、今日は何をしたいの?」「一日中テレビを見たい。」 「それはすてきだわ。でももう何か月も一日中テレビを見てきたわ。本当にそれだけしかしたくないの?」 「そうさ。」 「いいわ。あなたが決めることですもの。」

  子供の言葉が律法になってしまっています。子供の自由は絶対で、大人は子供が特に要求する場合を除き、誰も子供を指導したり、しつけたり、指図したりすることはできません。

  子供の生まれつきの願望は常に良いものと決めつけられているし、親や「教師」は子供の必要に応じるために仕えるという任務を負っているのです。では、何をすべきか指図する立場にある人は誰でしょうか?

  このことは、「自由」とか「随意」の学校、またニューエイジに属している人達のホーム・スクーリングでしばしば考えられていることです。子供は神同然という概念は常に素晴らしい響きを持っています。子供のことは子供自身に任せましょう。そうすればしっぽを振りながら、喜んで家に戻ってくることでしょう。何の干渉をしなくとも、学ぶ必要のあることは自分で学びます。テレビを一日中見たいとか、裏庭に穴を掘りたいとか、ビデオゲームをしていたいと言っても心配はいりません。別に子供を教える必要は全然ないのです。子供との衝突もなし、問題もなし、というわけです。

  子供は人間的な暖かい心を持っている:私達は子供達に生まれつき備わっている動機づけに完全に依存したりはしません。クリスチャン教育は奴隷ロボットや物質主義的な消費者、利己的な野望の持ち主、賢いヒトラーを生み出すことではありません。クリスチャン教育のゴールは愛です。つまり、神に服従する心と、他の人達に仕えたいという誠実な願いとそのための能力を持つことなのです。

 

学習ゲーム

 

  「馬を水際に連れて行くことはできても、無理に水を飲ませる事はできない。」−−英国の古いことわざ

  「馬に無理に水を飲ませることはできないかもしれないが、餌に塩を入れておくことなら簡単にできる!」−−無名のアメリカ人の農夫

 

  学習ゲームは、真剣な学習課題に軽薄なゲームを加えようとすることではなく、学ぶこと自体をゲームにすることです。学習ゲームは、十分真剣で単純な学習課題を取り上げて、それを指人形や小芝居や意味のない歌や黒板でのゲームなど、今まで教師達が私達親や生徒達の時間を無駄にしてきたありとあらゆる方法に変えてしまおうというものではありません。

  子供達は退屈なことを学ぶのが大嫌いですし、教師もそれを教えるのは大嫌いですし、親はそれを声を出して読んでやるのもいやです。「ハハハ、と子猫が笑った。大変だ、ハハハハ。ジェニー、本当にこれを終わりまで読んでほしいの?」

  大人は、子供と一緒に読んでいるものを楽しみ、理解できなくてはいけません。そして、教育的「駄文」の害から子供達を守る必要があります。

 

必須条件

 

従うことを学ぶ

  教え始める時点で、子供は従うことを学ぶ必要があります。「主をおそれる事」は知恵と知識、両方の始まりです。以下の二つのことに集中して努力するなら、後で悲嘆にくれずにすみます。1)子供があなたの指示を理解している事と、それに従うだけの能力を持ち合わせていることを確認する。2)最後までやらせるつもりでない限り命令はしない。

 

  従うのを学ぶのは、それ以降の本格的な学習の土台となります。あなたが適切な指示をしても生徒が従わないなら、どんなトリックを使おうと、どんなにほうびで釣ろうとしても、絶対に従わせることはできません。

  もちろん、子供が従うことが理にかなっていることだけを命令するようにして下さい。「マーティー、ソファに座ってちょうだい。そして、私がこの電話を終えるまで、静かに本を読んでいてね。」「他のおもちゃを出して遊ぶ前に、鉛筆をしまってね。」命令は、具体的であればあるほど良いでしょう。

 

口頭で命じられた通りのことをするのを学ぶ

  口頭で命じられた通りにするのを学ぶのは、従うのを学ぶこととは異なっています。なぜなら、集中すること、覚えておくこと、特定のテクニックを行うことを子供に教えることになるからです。

  最初は、子供が覚えていられるのは、「あの紙を拾ってちょうだい」と言った一つの単純な指示だけです。この段階では、その単純な仕事を行う途中でさえ、他のことに気をとられてしまう可能性が十分あります。しかし、これは不従順なのではなく、未熟だからです。成長するにつれて、もっと複雑な指示を忘れないで行うようになるでしょう。例えば、「リビングルームに行って、ソファの上にある紫色の本を取ってきてちょうだい」といった指示です。最終的には子供はかなり複雑な任務を行うことができるようになるでしょう。「リビングルームに行って、紫色の本を探してちょうだい。どこにあるのか私はよく知らないけど、スージーがそこに置いたの。その本の中に紙が1枚はさんであるから、それをあなたに見せてあげようと思って。だからその紙を取ってきてね。そして覚えていたら、鉛筆も持ってきてくれる?」

  このような口頭の指示に従うのを学ぶことは、学習する練習に欠かせません。指示を与えてはいるものの、その結果もしっかり監督しなくてはいけません。だから、あなたは子供のそばにいる必要があります。

 

書いてある指示に従う

  書いてある指示に従えるようになるには、読めなくてはいけないだけでなく、それをしようとする意欲がないといけません。小さな子供達は、誰も自分の進歩を気にとめてくれないと失望します。そして質問をするのが好きなのです。

 

整理整頓

 

  先生:「ジョニー、どうして算数を始めていなかったの?」

  ジョニー:「本をなくしちゃったから。」

  千里の道も最初の一歩から始まります。旅をする人は、必要な携帯品を忘れたことで、旅ができなくなることもあるのです。だから、その第一歩、つまり、私達が教えるのに使う道具から手をつけましょう。いったんこれらの道具や教材をきちんと管理してしまえば、教えるという創造的な仕事にもっとエネルギーを注ぐことができます。

  授業が脱線する理由で一番多いのは、鉛筆がないとか、チョークがないとか、地図や本が「どこかそこらへんにある」のに見つからないことです。鉛筆が折れたり、なくなった教科書を家族全員が30分かけて探したりもします。そのようなことが教育への意欲に水をさすのです。

  だから、私達全員の人生をもっと楽なものにしましょう。「整理整頓」です。

 

お店屋さんごっこ

  何年も何年も毎週毎週私はなくなった物を探すために貴重な時間を何時間も費やしてきました。なぜなら、物を保管する押し入れや棚を備えるのはお金の無駄だと思っていたからです。しかし、時間はがらくたより価値がありますし、がらくたが少なければ少ないほど整理しなくてはいけないものも減ります。絶対に使おうと思っている物なら、それを整理しなくてはいけませんが、全然使いそうにない物なら、さっさと始末するべきです! 私の家庭での整頓方針はこれです。「特別にそれをしまうための場所を作るに値しない物は、捨てる。どうせ見つけられないのだから。」

  本棚は、ホームスクーリングをする者にとって、地上の幸福のための最良の投資です。どの本をどこにしまうか、単純な規則を作るといいでしょう。「自分が読んでいた本をもどすまでは、新しい本を取ってはいけない。」は非常に良い規則です。

  子供によく使ってほしい参考文献は、取りやすいところにあるべきです。百科事典を鍵をかけてしまったり、辞書を1メートル50センチの高さの棚の上にしまってはいけません。誰にも使ってほしくないのであれば別ですが。

  教科書などは、机の引き出しの暗い中に積み重ねて入れておくと面倒です。

  また、ビデオやカセットテープやレコードなどは、扉のついた棚にしまいましょう。

  教材の中には目につかない所にしまわなくてはいけないものもあります。べたつく物、散らかる物、壊れ物などです。よちよち歩きの子供が夢中になってそれで遊んでいると聞いてパニックを起こすようなら、子供の手の届かない高い所におきましょう。

  図画工作の材料、クレヨン、絵の具、糊、金粉、色つきの砂などがカーペットにつくのを防ぎたいなら、親だけが取れる所に保管して下さい。

  理科の教材はたいていは、高い所にしまうのが一番です。試験官や赤ちゃんが口に入れそうな変な材料はそうして下さい。

  ペンや鉛筆や紙などは、赤ん坊を除き、誰でも見つけられる所において下さい。それには二つの方法があります。

  1.沢山筆記用具を買っておき、一人一人が幾つか持ち、中央の引き出しに1ダースくらい保管しておく。

  2.そして中央の引き出しから出された物は使い終わり次第、そこに返却するよう厳格に求める。

  私達は紙類は低い棚に入れ、はさみや糊のス

ティックは机の引きだしに入れます。

 

教え方

 

  教師はすべての授業で幾つかの基本方法を用いるだけです。これらの方法を学んで下さい。そうすれば、教え方を習得できます。

  読む:単純。本を開いて読むのです。あなたも生徒も緊張することはありません。読んでいる途中で、その内容について話し合うこともできます。

  講義:教師がそのクラスや生徒の前に立ってします。教師が教科書に書いてあることよりもはるかに多くを知っているのに、それを生徒に教えるチャンスをみすみす逃すのは非常に残念なことです。しかし、教師が教科書にあることをそのまま教えるだけなら、講義はこの上もなく退屈になります。

  実演:「車のタイヤ交換の仕方を見たいかい?」この方法は、編み物や絵、かきかたや料理に効果があります。

  視覚に訴える:絵は、物事がどう働くかや、どのように見えるかを見せるのに最適の方法です。カラフルな絵を自分の手で持って見せたり、壁に貼って注目させます。最初から全部の部分が揃っている絵よりも、フランネルグラフのように説明するにつれて絵の中に様々な部分を加えていくほうが、生徒の注意をひきつけておくことができます。

  明かりを消し、テレビやスライドやビデオをつけるのもいいでしょう。

  体験させる:「貝を耳にあてて、『海の音』を聞いてごらん。本当は、それは内耳を自分の血液が流れている音なのよ。」と言います。このような体験は科学の勉強に必要です。

  実験:例えば、「同じサイズのガラスびんを集めて下さい。びんにそれぞれ異なる量の水を注ぎ、スプーンで一つ一つのびんをたたいてみて、一番高い音、一番低い音を出すびんを見つけなさい。」

  実際にやらせる:「ブレイク、手を出してごらんなさい。私があなたの手を持つから、一緒にAの字をなぞってみましょう。」 「あごをずっとひいて。さあ、あなたのお尻をひっくりかえして、足を逆さにするわよ‥‥そうそうその通り。初めての宙返りね!」 大人が実際に体を使ってやらせない限り、子供はマスターできないことがあります。これは、書き方や体操のような体を使う動作のための「運動感覚性教授法」と呼ばれるものです。生徒の筋肉や皮膚を使って必要なことを教えることができます。拍手を教えるために生徒の手を両手でたたかせます。はうことを教えるために、子供の足をはう動作にさせるのです。

  調べる:誰かに答を教えてもらうのではなく、子供が自分で答えを見つけるようにさせる事です。一旦調べ方を教えたなら、どこを調べるべきかは教えず、ただそれを見つけ出すようにと言うのです。

  挑戦する:「アダム、今、猫は犬よりも良いペットだと思うと言ったわね? どうして猫のほうがいいと思うのか教えてくれる?」 先生がこのように生徒に尋ねるなら、自分のアイデアは理にかなっていて現実的か、それともただそう感じるだけなのかを生徒自身が悟る助けになります。警告:子供は何かを真実だと信じても、それについて攻撃を受ると、論理的に弁明できないかもしれません。

  演じる:声でドラマを演じたり、実際に演技する。衣装を着けたり、小道具を使ったり、人形劇や腹話術などをする。人形や指人形などは使いやすいでしょう。

  見学:見学場所がより実生活に即した所だと、その課題についてより有益な情報が得られます。歴史的なものを再現したものや、博物館のスライドショーも、部品工場ほど真実性がありません。部品工場では、部品が製造される過程を実際に見ることができるからです。

  自分の言った通りに繰り返させる:「私の言った通りに言ってみて。『わたしは日本語を話せます』」 まねることは、暗記作業を教える正当な方法です。ただ読んだり聞くだけでは頭に刻み込まれないことも、声を出して繰り返すとしっかり覚えることができます。

  歌、詠唱、詩:「下行って、横行って、下に行くと4ができた!」 これはただ自分の言う通り繰り返させるよりも効果があります。

  ゲーム:練習問題の時間! 退屈、退屈、退屈そのもの! 練習をゲームにしましょう。子供達はビンゴカードで新しい読みのテクニックを練習したり、印刷されている言葉を話し言葉と結びつけることができます。

  ほら、これを自分で学びなさい:生徒のところに腕いっぱいに抱えたワークブックを持って行きます。「これがこの課題であなたが学ぶ必要のあること全部よ。さあ、これを自分で取り組みなさい。」 もし自分でそれに取り組み、学ぼうという気持ちがあるなら、子供は自分の学ぶものを本当に理解し、しっかり覚えていることでしょう。

 

生徒に覚えたことを

説明させる方法

 

  あなたが教えようとすることを生徒がすでに理解していると、教える側も学ぶ側も興奮がさめてしまいます。生徒がすでに何を知っているかを探り出しなさい。自分の知っている事を説明するなら、そうやって説明した事はなかなか忘れないものです。他の人に自分の知識を説明したり、実演する事で、それが頭の中にしっかり刻み込まれるのです。

  待つこと!:生徒が自分から質問をしてくるか、新しく覚えたことを説明してくれるまで待って下さい。それから、生徒の質問に答えたり、生徒の描いたものや話をほめるたり、相槌を打つなどしたり、子供の講義を聞いてあげたりするのです。(子供は先生に教えるのが大好きです!)

  自由解答式の質問:「じゃあ、フランク、あなたはどう思う?」 これにはありとあらゆる解答が返ってきます。

  口頭テスト:口頭での質問は、生徒の間違いを指摘するのではなく、生徒がどんな事を知っているかを見つけ出そうという態度で行われるべきです。

  ペーパーテスト:多人数のクラスで最もよく使われています。人数が多くて生徒一人一人に口頭テストをしていたら時間が掛り過ぎる場合や、答えるのに時間が掛る難しい問題には、これを使います。

  繰り返させる:「マギー、家の中に入る前に、マットで靴の底を拭ってちょうだい。今ママは何て言った?」

  要約させる:要約させるのは、ただ繰り返させることをさらに一歩進めたものです。説明を要約するには、生徒は以下のことを要します。1)最初に教わったことを理解している 2)余分なものと重要事項を区別する。

  書き出す:随筆や本の感想を書いたり、学んだことの要約を書かせるのです。また、先生が文章の部分をゆっくり読み、子供はそれを素早く、きちんとノートに書きます。

  別の方法は、学ぼうとすることをただ書き写すというものです。私達の多くが聖書の節を書き写すのもこの理由からです。生徒が書き写した物を見ると、先生は非常に安心感を覚えますし、子供にホームスクーリングをさせている人は、当局の教育関係者にしっかり見せることができます。生徒がノートに何も書いていないなら、たいていの人にとって、その子供が何かを学んでいると信じるのは難しいでしょう。このことを留意しておいて下さい。

  話し合う:学んだことについて話し合う時には、生徒と平等な立場で行って下さい。(自分が議長か、知識の源であるかのように振る舞うのではなく) 2歳の子供相手でも、成熟した大人の意見を言うことや、子供が言うことに真剣に耳を傾けるのをためらってはいけません。「年齢にふさわしいレベル」で話し合いをするものと決め付けられると、子供の思考能力や納得能力は発達することがありません。チャンスをあげて下さい。

  分析する:「カヤックって知っているでしょう。どうしてカヤックは凍った川で使うのに最適なのか説明してくれる?」

  比較する:私達の仕事は、世間がいろいろ提供してくる選択から子供を完全に隔離してしまうことではありません。そうではなく、どうして幾つかの選択は良く、幾つかの選択は悪いのか、また子供達が自分で善悪を見分ける方法を示してやる事です。

  有形にする:生徒が自分の知っている事を示す事ができます。生徒に目に見える形で現すように求めましょう。人間の目、花の部分、Aという文字、何でも形のあるものは作ってもらうのです。どんな方法でも使えます。紙粘土、布、濡れた砂、粘土、アイスキャンデーの棒、プラスチシン、ろうなど。

  描く:子供に答えを絵に描かせると、素晴らしく表現することがあります。

  演じる:声だけ、または体を使ってドラマ化する。衣装や小道具や指人形、腹話術などを使うのです。歴史や文学をドラマ化するのに、衣装や小道具や指人形を使うのはうってつけです。

  練習する:生徒に一人きりで練習させるのは、フィードバックのテクニックとしてお粗末なやり方です。生徒は悪い癖を持ったまま練習するだけです。目的は、ただ練習させることではなく、上達させることだということを覚えていて下さい。

  利用する:私達はプロジェクトが大好きです。多くのプロジェクトは、すでに学んだことを描いたり、形作ったりするというものです。例:空気力学の学習の一環として、たこを作ったり、最も栄養価の高い材料を使って新しい種類の特製のパンを開発する。プロジェクトには時間がかかるので、それだけの努力の価値があるか確認することが大切です。

  教える:「あなたがよく読めて嬉しいわ。じゃあ妹に読み方を教えてごらんなさい。」 教えさせている間、妹も楽しんでいるかどうかチェックしていて下さい。

  グループに教えること: これには、一人の生徒を教えるよりも、よりしっかりした教授技術を要します。

 

多様化し、征服する

 

  あなたは一人しかいません。だから、同時に複数の場所にいることはできません。これには幾つかの解決策があります。ホームスクーリングをしている人には、年齢の違う子供達を一緒に教える統合されたカリキュラムが一般的になりつつあります。これは、兄弟姉妹が同時に同じ課題を勉強するのですが、ただレベルが違っているのです。

  一般知識は、子供がそれぞれ自分の理解できる事柄を習得していくという方法で教えていくことができますが、基礎的なテクニックとなると、そういう教え方はできません。だから、統合カリキュラムと共に、フォニックスや算数や語学などの個別のカリキュラムも常に必要です。

  ワンルーム教育法。先生がクラスにいる子供達一人一人を順番で個別に教えるものです。生徒に順番で前にこさせて暗唱させたり、教えたりしますが、その間他の生徒達は座って勉強しているというのが、昔アメリカでうまくいっていました。必須条件はこれです。1)優れた先生、2)行儀の良い生徒。

  能力がいろいろ異なっている生徒のグループを一人の先生が教えるという問題に対する解決策のどれを見ても、教える作業はすべて先生の肩にかかってきます。しかし、エレクトロニック時代のおかげで、何十もの、コストのかからない(または低コストの)家庭教師に助けてもらえるのです。

 

人工知能

  コンピューターが最も魅力ある親戚になっているエレクトロニック家族は、復習やドリルや練習問題を教える手間を大いに省くことができます。

  カセットテープとレコード:私は子供に読んでやるのが好きです。しかし子供が望む時にいつもパパやママが読んでやれるとは限りません。だから、お話カセットを使うのです! 「教育的な」、一緒に声を出して読ませる本についているテープなど問題外です。子供達はこの種の小道具で速く読みを覚えるわけではありません。カセットに吹き込んだシンプルなお話で十分です。

  あなたがカセットテープにお話を吹き込んだらいいでしょう。(但し家庭内での使用に限ります。)

  音楽も、カセット・カリキュラムに向いています。

  暗記も市販の歌のテープなどが役に立つ事がよくあります。フォニックスや算数や文法でさえも、カセットテープに耳を傾ける事で難なく学べます。

  外国語を教えるのにはこの方法が最適です。

  ビデオとテレビ:ビデオやテレビは教育手段として高く評価されすぎています。この方法では、画像に映し出されるものに完全に集中しなくてはいけません。編み物をしたり、朝食を食べながら聞ける音響録音とは違うからです。けれども、直接自分達が体験するにはあまりにも危険すぎるか、とても実際に自分でやれない事柄について学ぶ場合には、たとえば外国を訪問する事や危険な科学実験などは、この手段が助けになります。しかし、画面いっぱいに誰かが映し出され、その人が長くて退屈な講義をするのはまた話が別です。

  確かに、自分の家庭や教室にビデオを通して何百人もの教師を招くことができます。先生不要になるような、ビデオのカリキュラム全集を買うこともできます。けれども、退屈な教えかたをしているなら、それがビデオであるというだけで興奮に満ちたものとなるわけではありません。有名大学の教授が画面で講義をしているからといって、生徒が熱心に聴き入るというわけではないのです。

  見せることは話すことよりも時間がかかるし、お金もかかります。本で同じ情報を教えられるのなら、ビデオに投資するのはお金の無駄でしょう。

  コンピューター:コンピューターは練習問題に最適です。コンピューターはジョニーに3足す1の答を100回聞いても忍耐を切らしたりはしません。さらには、手製のフラッシュカードで問題を出すよりももっと生徒の注目をひきます。

  しかし、コンピューターは生徒に人間的な関心を示すわけでもないし、じっくり考える時間も与えません。コンピューターの前であまりにも長い時間を過ごす子供達は、自分が完全に支配している世界に孤立し、真の人間の世界を締め出す事ができます。だから他の人達との人間的なつきあいに堪えられない奇妙な人間に成長する子供達もいるのです。

  何時間も何時間もコンピューターのスクリーンの前に座りっきりの哀れな子供の心に、誰が一筋の光をさしこませることができるでしょうか? 子供達はそのレッスンに反応するのに精一杯で、考える余裕さえありません。

 

人間知能

  すべての子供が教えかたを学ぶべきです。年長の子供は年下の子供の教育に関与すべきです。他の人を教えることは、自分の教える事柄を思い出し、それを理解する助けになると証明されています。家庭では子供達は親をとてもよくまねます。

  生徒が教科書から自分で学べるようにならなければ、行き届いた教育とは言えません。自分で学ぶ事を覚えた生徒こそ、真に学ぶ事を覚えたのです。

 

教育のがらくた

 

  軽薄で馬鹿げたことをするためのひどく巧妙なアイデアが教育市場に氾濫しています。

  分厚い教師用の手引きや賢いカリキュラムを作成する人達は、自分達はただ教師や生徒を忙しくするためのものを作り出しているに過ぎないということを少しでも考えたことがあるだろうかと、私は思います。真の教育は、この才気縦横さの氾濫によって壊滅の危機にさらされているのです。

  賢いアイデアが私達を疲れさせます。マカロニを並べた字でフォニックスを教えるのでしょうか?本物のパイを焼いて、分数の練習のために生徒達に切らせるのでしょうか? 私達はそんなことを全部やることはできません。それに、パイで教えられ、マカロニ文字で学んだ子供達は算数で非常に遅れを取っているのです。

  誰も見ていない間に、わだちから抜け出し、そのさも美しく見える教育のがらくたを近くの川に捨ててしまいましょう。少なくとも自分が20キロは軽くなったように感じることでしょう。

 

カリキュラムのがらくた

  優れた教師になればなるほど、高価なカリキュラムや教材は必要なくなります。真の教師は真に麦をもみがらから分ける方法を知っているのです。

  カリキュラムのがらくた。例えばフォニックスを例にあげましょう。私は、この単純な過程を複雑するために人々がどんなに想像力豊かな方法を考え出すかにいつも驚かされています。

  フォニックスを教えるためのかわいらしいプログラムが幾つかあります。小動物や小さな人のようにうまく文字を飾るのです。しかし、私達は子供達に動物を教えようとしているのではなく、Aの字を教えようとしているのです。

  それぞれの課題の終わりごとに、様々な巧みなアクティビティーが用意してありますが、それは教師が退屈な時間を埋めるためのものです。賢い先生はそのような教材はほとんど無視します。ホームスクーラー達からすれば、学校にいる子供達は実に馬鹿げたことばかりやらされているのです。

  注意をそらしてしまうもの:ほんの2、3の表音文字を学ぶためにワークブックで何百ページもの練習問題をしても何を学べるでしょうか? 変な練習問題をやることにばかり集中し、自分がフォニックスを学んでいることを忘れてしまうのです。「いかさまフォニックス」のコースに忙しくて、誰も読むことを学んでいないのに気がつきません。

 

がらくたカリキュラムを見分ける

  以下の簡単な問いをもとにしてがらくたカリキュラムを見分けることができます。

  1.私は何を教えようとしているのだろうか?

  2.それは価値があるだろうか?

  3.私のしていることは目標達成に貢献するだろうか?

  4.私がしている事は掛る時間に値するものだろうか? 私は、分数を教えようとしているのに、どうしてパイを焼いているのか?

  率直に真実を述べましょう。学校では、教えるに値しないことが実に沢山教えられています。目標に到達する助けにならず、時間が相当無駄になるものばかりです。

  現代の教育においては、80%を役にたたないがらくたカリキュラムが占めていて、わずか20%の価値ある教育を圧倒しています。

 

ルーベ・ゴールドバーグ式カリキュラム

  アメリカの漫画家ルーベ・ゴールドバーグは、ばかげた「発明」という漫画によって有名になりました。教える方法やカリキュラムの中には、まるでルーベ・ゴールドバーグの発明にそっくりなものがあります。ほんの少し誇張されているだけの例をあげましょう。

 

  「象の剥(はく)製のコレクションを始めましょう。これによって、動物学‥‥剥製学‥‥家の中の収納法‥‥キャンピングが学べます」 「キャンピング?」 「そうです! 象のコレクションを始めると部屋がそれでいっぱいになるので、リビングルームのソファにキャンプしなくてはいけなくなるからです。これによって、貴重なサバイバル・テクニックも学べます。」

 

  ルーベ・ゴールドバーグの発明が、私達の毎日の行動を複雑にする方法を教えているのと同様、この種のプロジェクトも毎日の行動を謎めいた教育過程にしてしまう方法を教えるだけです。

  ありとあらゆるいかさまのテクニックや科目を教えようとするがらくたなど捨て去って、もともとプロジェクトの目的であった真の技術を教えることに専念しましょう。不必要なものや軽薄なプロジェクトはやめましょう。

 

科目を検討する

  幾つかの科目は規則正しく教えていくしかありません。例えば算数がそうです。分数を紹介するためにパイを使うこともできますが、四則計算になると、パイの算数は時間の無駄になるだけで、散らかるし、もともとこれらの概念を教えるのに適してはいません。誰も面積計算のためにカーペット会社のショールームを見学する必要はありません。これもがらくたカリキュラムです。

 

くだらない教え方

  一旦教え方を習得してしまうと、全く単純な課題を教えるだけなのに複雑な方法を10通りも思いつくという問題が出てきます。良い授業をするための最も単純な方法を選び、それに固執しなさい。子供達がそれを学んだ後で、外に出て、ブランコで遊ぶのです。がらくたのせいで実際に学べないなどというふうにしてはいけません。

 

四角い釘と丸い穴

 

  子供達は、無理矢理学校に順応させられています。学校で学ぶのに適さない子供達も無理矢理入れられているのです。つまり丸い穴に打たれた四角い釘です。とても批判的な人も、押しの強い人、ゆっくりで冗帳面な人、ユーモラスな人も、少なくともその性格の人間でいる権利を持っているのではないでしょうか?

  人それぞれです。あなたはこの内のどれかかもしれません。

 

  ・おとなしいか、外向的

  ・繊細か、ちょっとのことでは動じない

  ・冗帳面か、衝動的に行動する性格か

  ・まじめか、ユーモアの持ち主

  ・不機嫌か、楽天的

  ・理想主義者か、現実主義者

  ・エネルギーでいっぱいか、じっとしている

 

  教育の目的は「社会に適応する子供を訓練する」ことではありません。それではロボット教育です。私達の教育は神が与えられた性格を侵害するものではありません! スージーが行儀良く静かに座っているからといって、ジョニーがもうちょっとスージーのようだったらと願って心を痛めることは、やめなくてはいけません。

 

適した学び方

 

 子供に合ったどんな特別な事を与えられるでしょうか?

・子供の様々な学習スタイルを知る

・子供の特性や才能に応じて教える内容を決め、子供が何に興味を持っているかはその次に来る

・教えるスピードを子供に合わせる

・子供の正当な個人差−−例えば成績やレベル−−のせいで、子供を罰しない。

私達が学ぶために神が与えられた4つの主な方法

1.目を通して(視覚的学習)

2.耳を通して(聴覚的学習)

3.触覚を通して(触覚的学習)

4.運動を通して(運動感覚性学習)

 

目から学ぶタイプの人

  目新しいものに気をそらされやすい方ですか?物を置いた場所をよく覚えていますか? タイプミスを見つけたり、パズルをするのが得意ですか? 絵画を見る時、詳細に目がゆきますか? 名札を見るほうが名前をよく覚えていますか? これらの質問に対する答えが「はい」だったなら、あなたは目から学ぶタイプです。

  目から学ぶ人は自分達が何をすべきなのかを見る必要があります。このタイプの人に役立つ教材は以下の通りです。

  ・フラッシュカード

  ・絵合わせゲーム

  ・パズル

  ・使用説明書

  ・チャート

  ・絵、ポスター等

 

耳から学ぶタイプの人

  沢山話すのが好きですか? 独り言を言いますか? 子供なら、「バブバブ」といつも言っているタイプの子供ですか? 名前を簡単に覚える事ができますか? 調子を外さないで正確に歌えますか?音楽に合わせて拍子をとるのが好きですか? 大きな声を出して読んだり、心の中でそこに書かれている言葉を一つ一つ読みますか? 書かれている指示よりも耳から聞く指示のほうが理解しやすいでしょうか? テストを受けている時に、答は知っているのに、それを実際に紙に書くのが難しいことがありますか? それならあなたは耳から学ぶタイプの人です。

  耳から学ぶタイプの人は、聞くことによって最も良く学べます。他から指図してもらう必要があるのです。耳から学ぶタイプの人に適する教材

  ・カセットテープ

  ・教育的な歌やリズム(ABCの歌のような)

  ・リズム楽器

 

触感や運動感覚を通して学ぶタイプの人

  いつも物をさわるほうですか? 木の柵のそばを歩く時には、その板の上に指を走らせますか? よく動き回り、話す時に生き生きとした身振りや表情を使いますか? バランスを崩さずに、縁石の上を歩けますか? 夫か妻からは、口でほめてもらうよりも、抱き締めてもらったほうが好きですか? 物を分解するのが好きですか? 電話で話している時に、机の上の紙などをいじるほうですか? それなら、あなたは運動感覚を通して学ぶタイプです。

  このタイプの人には実践学習が絶対に必要です。運動感覚を通して学ぶ人は、読みを覚えるには書くのが一番です。運動感覚を通して学ぶタイプの人は、黒板を見ながら何時間も座っているのが苦手です。このタイプの人たちはこれを試してみて下さい。

  ・自然の中の長い散歩

  ・模型セット

  ・うきあがっているパズル

  ・庭仕事、園芸

  ・手で書くよりは、タイプする(このほうが速くて、いらいらすることも少ない)

  このタイプの人達が一番よく「失読症」のレッテルを貼られやすいのですが、手先を使う教材や優れたフォニックス・プログラムによって克服することができます。

 

男の子達を神に感謝しよう

  男の子は女の子よりも活発で積極的で、口数が少ないです。平均的な男の子は切実に学校体制から守る必要があります。というのも彼らは走ったり、騒音をたてたくてたまらないからです。けれども学校では座ってじっとすることを要求されます。彼らは活発な事がしたいのに、学校では控え目になるよう要求されます。彼らは特に自分の気持をどんどん話すというわけではありません。学校では、即座に言葉を返す能力がないと「障害がある」とか「治療の必要がある」とみなされます。道理で男の子達には「学習能力に障害がある」子供達が女の子の2倍いるわけです!

  男の子は本能的な積極性を発揮するチャンスを奪われ、女の子はもっと積極的になるよう励まされます。両方とも同じ生涯のゴールを与えられているものの、一つ違いがあります。それは、男の子が「男性的」になればなるほど、望まれている目標に達することができなくなるということです。成功への道は女性のようになる事、つまり教師に従順で、静かで勉強好き、話す才能があることです。ほとんど女性が占めている教育施設が手渡す卒業証書は、手を使ってやる仕事の能力を全く無視してしまっています。

  男の子達の事を恥じるのをやめるよう私は提案します。男の子が手を使って何かを成し遂げたら、それに誇りを覚えましょう。ワークブックのページが人生のすべてではありません。レーシングカーの模型を組み立てたり、旋盤を動かせる男の子には可能性があります。不平も言わず、汗水たらして、苦労しながらも肉体労働に取り組む子供も同様です。そのような資質を伸ばしてあげましょう。

 

スピードとタイミング

  人というのは、繰返し学んでいながらどうしても理解できなかったことが、突然頭に入り始めたりするものです。子供に応じて学習ペースを変え、他の子供と比較して気に病んではいけません。

  時折、そのままにしておきましょう。生徒がポイントがつかめず、どうしても理解できないなら、その分野をしばらくやめて、何か別のことに移るのです。その面倒な分野は、1週間か1か月後にもう一度取り組みましょう。

  幼い子供は、自分がどこがわかっていないのかわかっていないのです。はっきり言うと、不明な部分を発見するために、どんな質問をすればよいのかがわからないのです。子供によっては、あなたが教えようとしていることの概念が、理解できるほど成熟していないのかもしれないし、または、子供はそれを理解できるほど十分学んできたとあなたが思っていても、実はそうではなかったのかもしれません。どちらにしても、問題の分野を攻撃するのをやめて、遠回しに触れていくほうがうまくいくでしょう。それでも何の進展もないなら、生徒も先生もその課題を扱うのは、しばらく後にしたほうがいいでしょう。

  もちろん、子供達はあなたが彼らにお手柔らかにするよう取り入ろうとするでしょう。そうなるとあなたは、それが大器晩成型か、怠慢か、能力の欠如かを見分けなくてはいけなくなります。

  ・子供にもっと学ぶ時間が必要な場合は、大器晩成型です。

  ・子供がやり方を知っていながらやらない場合は、怠慢です。

  ・子供が身体的に何か障害がある場合は、能力の欠如です。

  学習ペースについてより柔軟な姿勢を持つなら−−その時に何も進歩がないのが明らかならそれをさっさと飛ばすだけの勇気も含みます−−子供の学ぶスピードは増すことでしょう。

 

成績尊重主義 対 第二のチャンスの学校

  現代の学校は生徒に勉強させるために成績を使うことがしばしばです。ほうび‥‥または罰です。これを私は「成績尊重主義」と呼びます。生徒が将来学ぼうとする努力をかきたてる為に有意義なフィードバックをするのではなく、ただ成績を使って生徒を支配しているのです。特に悪質な場合には、生徒が宿題テストでどんなに良い点を取ろうとも、出席日数が足りないという理由で子供を落第させています。

  自分の子供をそのような学校に行かせている場合(私は推薦しませんが)、「成績尊重主義」に負けずに真の教育を受けるようにする最善の方法は、成績表に何と書いてあろうとも、あなたが子供の努力や進歩に気をくばることです。だから、何の苦労もなしにAを取る子供は、Cを取るために苦労した妹よりも、精神的に進歩したというわけではありません。

  また、良い成績を取ることが、勉強の究極目標であるという考え方から、子供を遠ざけるために全力を尽くして下さい。より一生懸命に勉強し、もっと学んだ子供が、悪い成績を取ることもあるのです。

  自分で子供を教えたり、自分で学校を開いている私達は、子供にダメージを与えるのではなく、子供の役に立つような記録や成績をつけられるという有利な立場にいます。手初めに、私達は途中の段階にこだわらず、結果だけを残しておくことができます。ビジネスマンは最初の自分のメモの下書きを残しておいたりはしません。大人は当然ながら、途中の間違いではなく、最終結果で批評してもらいたいのです。

  だから、子供達も同じように尊敬されるべきです。これは、いい加減な仕事を奨励するようにという意味ではありません。先生であるあなたは、生徒が本当に頑張っているのかどうかを判断しなくてはいけないでしょう。人間の生れつきの性質からして、子供は、正しくやるまで繰り返しやらなくてはいけないと知っているなら、同じ間違いはあまりやりません。

  私達は子供達にあらゆるレベルの知識にトライさせることができます。子供自身のイニシャチブに任せ、彼らがそれを学ぶ準備ができていようといまいと、何でも興味をそそられたものを学ぶようトライさせるのです。

  人間は常に、誰にも予想できないほどの能力を持っているものです。ですから、生徒にはまだ時期尚早なものを無理にせきたてたりしないように用心すると同時にまた、生徒に先の段階に進ませるのを、怠らないように用心しなくてはいけません。子供たちの努力にAだのFだのレッテルを貼ることなく、トライさせて下さい。それから先に進むのです。

 

正しく学びたいなら、自分で学びなさい

  私は、どうしてみんながそんなに宿題が好きなのか常々考えてきました。宿題とは生徒が自分ですることです(それが理想です)。そして、誰にも教えられずに自分で学ぶ習慣をつける唯一のチャンスなのです。

  自分にあった学習プログラムなら、前もって決められた学習過程を通して自分のペースで進歩し、宿題をしなくとも、宿題をするのと同じ益を受けることができます。

  最近の「ワールド」誌の記事では、成績優秀な生徒を持つ、あるワンルーム学校の先生がこう言っていました。彼女の生徒達の成績が良いのは、彼らが自分で学ぶことを覚えたからだと。

  早く終わった子供達には、静かな屋内での活動(読書や図画や工作)と、騒々しい屋外の活動とどちらがいいかを選ばせてはどうでしょうか? 屋外の活動をどんどんやらせるには、フルタイムでその屋外の活動を監視する人を雇うとよいでしょう。それなら、他の人が外で子供たちの世話をしている間に、先生は遅めの子供たちを助けることができます。早く終わった子供は自分達でのびのびできますし、助けが必要な子供は余分に構ってもらえます。

 

学校を素晴らしくする

 

教育デパート

  どうして沢山のクリスチャンの学校は、公立学校で行われている1クラスに1学年のパターンに従うのでしょうか? 2年生が1年生の算数のクラスに入り、1年生が3年生の英語のクラスに入るなら、それは世の終わりなのでしょうか?

  教育デパートとは、自分のほしい通りの教育を買いに行く所です。例えば、フォニックス2年、算数1年、ギター1年、歴史3年という具合です。私はそれらのコースを小さく区切り、一つの区切りが3か月以上続かないように提案します。生徒が一つの区切りで遅れを取ってしまっても、まるまる1年間やり直さなくてもいいよう、1年に2回以上やり直すチャンスが得られるようにするのです。

  以下は、教育デパート方式の利点です。

  1.すでに学んだ事になっている科目や技術を学年ごとに長々と繰り返す必要はない。現在私立学校も公立学校も、すべての学期や課題の初めごとに幼稚園に戻って繰り返さなくてはいけないと思っています。これは、膨大な時間の無駄で、すでにそれを学んでいる子供達の気をくじいてしまいます。学習プログラム全体はこの膨大な復習を取り除くだけで、少なくとも50%ほど濃縮する事ができます。

  2.子供達は1個の人間として扱われ、その進歩に応じて報酬を与えられます。その報酬とは、先の課題に進めることです。

  3.遅めの生徒が、全部の科目において新しいものを学ぶチャンスを失う上に落第児のレッテルを貼られるということもありません。どのクラスも、子供の能力に完全に基づいており、様々な年令の子供がいるのです。

  4.教育の落伍者は存在しない。自分がマスターしていないレベルに戻り、そこから進んでいくことができます。

  5.生徒は同じ年令の子供たちだけと一緒にいるより、もっと広い層の人々との接し方を学びます。

 

就学前の子供の自由

  幼い子供達は以下のことを楽しみ、また必要としています。

 ・図画工作の経験(材料を使い、きれいな作品を作る)

 ・子供にお話を読むか話して聞かせる

 ・家族で実地体験をする。(スーパーマーケットや郵便局、図書館、公園などに行く)

 ・「教育的」とされている興味深いものに接する(動物や地球儀、文化的遺産など)

 ・屋外で沢山の時間を過ごす

 ・親と沢山の時間を過ごす

 

クリスチャン訓練

  クリスチャン訓練の難しい仕事は、親に対してよりも神に従順な子供を育てる事です。子供達は、比較評価されず、大切に扱われているなら、自分の目標に到達することにより専念でき、他の人達へのイメージや印象を取り繕うことばかり考えたりはしません。

 

現代のクリスチャン教育

  クリスチャン教育が、公立学校の模倣になってしまっている場合があまりにも多すぎます。クリスチャン教育も、体制の教育委員会ではなく、聖書がその内容を決定するのでない限り、真のクリスチャン教育とは言えません。クリスチャン教育のゴールは、神と隣人を愛し、神に仕えるために必要な知識や能力などを、人々に与えることであるべきです。

 

基礎技術

  これらは「閉鎖系」技術で、一度学べば、もうそれで習得したことになります。だから、これらの技術を教え、実践させるべきです。これらの技術を永遠に身につけさせるためのカリキュラムを行う必要はありません。

 ・フォニックス

 ・書くこととタイプ

 ・文法:適切な言葉と適切な句読点を知ること

 ・算数

 ・絵を描く

 ・工作

 ・家事−−料理、掃除‥‥

 ・教える:教え方の根本的な原則は誰でも学べま  すし、誰もが学ぶべきです。

 

  専門技術:高等数学、エンジニアリング、物理学やその他の高等科学、家畜農業、エンジンメカニックなど。

  母親業と父親業:基本的な家事や社会生活のための技術といった、母親業や父親業の訓練も、本来は家庭で行われるべきものです。