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家庭で子供を育てる

 

−−レイモンドとドロシー・ムーア著

 

親は責任を負っている

 

社会的な圧力による児童虐待

  幼い子供の世話をするよりも、自分たちのしたい事を優先させたり、軽い気持ちで子供を保育所に入れたり、小さい内から子供に保育施設で長い時間を過ごさせている親達は、知らず知らずの内に子供にダメージを与えているのかもしれません。WHO(世界保健機構)の幼年児主任ジョン・ボウルビーによれば、酔っ払ったか、取り乱したか、イライラした親から時折ケガをするほどひどい暴力を加えらる子供でも、たいていは自分には家族と家庭があり、自分には属する所があるという確かな安心感を持っているという事です。幼児教育を専門とする米国デモンストレーション・センターの前所長マーティン・エンゲルは、どんなにもっともらしい説明がなされようとも、幼い子供が不必要に家庭から他人の手に預けられる場合には、「人道的で個人を尊重する最良の託児所でさえ、幼い子供が無意識に抱く、自分が拒否されているという感情を打ち消す事はできない」と主張しています。この精神的な打撃こそ、肉体的な虐待よりももっと多くの害を後々まで及ぼすとボウルビー博士やその他の人々は信じています。

 

真の教育者とは

  少なくとも子供が8歳から10歳になるまで−−彼らの価値観が確立するまで−−は、殆どの場合、平凡な親であっても、親こそが子供を世話するのに断然最良の人々です。一般的に、最良の教師や世話係でも、親には勝てません。たとえ親が、普通の教育を受けただけで、人並みの経験しかないとしてもです。マーセル・ギーバー博士のウガンダでの研究から、読み書きも知らない部族の母親達が育てた子供達は、教養ある母親の子供達よりも、西欧の基準で見ても、頭が切れ、社会的自覚を持っており、安定しているという事が証明されています。違いは何でしょうか? 部族の母親は子供と親密な関係を持っていたからです。

  幼い子供が学ぶためには、親が優しく、いつも子供に反応してくれ、首尾一貫していることのほうが、親の教養レベルなどよりはるかに大切です。幼い子供が落ち着き、安定しているのを望むなら、子供がもっと親や他の人達の助けとなり、より従順で、より自制心を持つことを期待しなくてはいけません。

  大抵の親は、最高の託児所や幼稚園の職員よりも、より深い安心感や親近感を子供に与え、本能的に子供に必要なものを悟ったり、暖かい反応を返したり、理にかなったしつけを行い、より自然な手本を示すことができます。そして、すべての自然に備わった親の利点が組み合わさるなら、子供はたいてい、自然と、または大人からの単純でちょっとした助けによって、学業においても、振る舞いにおいても、道徳面でも、対人関係でも優れた子供になることでしょう。

 

危険−−いつでも雇える世話係

  8歳以下の子供達は普通、どうして自分が親が最善と考えるような行為をすべきなのか、またはすべきでないのか、その理由が理解できないものです。11歳か12歳になるまで理解できないこともあります。ですから、健全な人格を備えた人間に育てたいと思うのであれば、大人が常に、筋の通った、首尾一貫した手本を示すことが大切です。しかし、幼い内から家庭外での世話に任されると、たいていはそのような人間に育てることが難しくなります。親が教師やヘルパーや乳母など自分以外の人達にも子供の手本となってもらうと、子供は必ずと言っていいほど、大人の手本が首尾一貫していないことで煩わされます。

 

対人関係について学ぶ特別な方法

  大半の大人が信じている社会通念があります。それは子供が社会生活に順応し、人との良い関係を築いていくようになるには、同じ年令の子供達と一緒にいるのが一番だという事です。しかし、子供が真に明るく人づきあいの良い子供となり、成長して外向的で愛他的な大人になる事を願うなら、少なくとも8歳か9歳になるまでは、保育園や幼稚園や小学校で同じ年令の子供達の集団と常に一緒にいるような状況は避けるべきです。

  子供に人とのつきあいを教えるには、他の誰にもまして、親が一番適任です。子供の家庭外での振る舞い−−教会やスーパーの中でや友人に対する振る舞い−−は、家庭での親子関係の質をしっかり反映しています。子供の習慣やマナーや価値観がしっかり定着していない内に、つまり子供がまだ8歳にもならない内に、不必要に子供を家庭外の世話に任せることは、より良い対人関係の持てる人間に育てようとする親の努力の効果を薄め、歪めてしまいます。しかも子供は安心感を持たず、同年令の子供達により依存するようになり、心配や欲求不満を抱きやすく、学習面での問題を数多く抱くことになります。(編集者:私達の子供達を神に感謝しましょう。他の人達に世話されていても、同じ価値観を教えられ、同じ愛を示されてきました!)

  親がやむを得ず子供を他の人の世話に任せたり学校に送らなくてはいけなかった場合には、子供は、不必要に送られた場合よりも事情をよく理解し、自分が拒絶されているという気持ちを持たないことが多いようです。そんな子供達は、まるで神の御手に保護されているかのようです。

  幼い頃から学校に入れられた子供達は、父や母に即座に助けてもらうことはできず、先生から認めてもらうために他の子供達と競争しなくてはいけないということを知ります。また、同じ年令の子供達からの関心を得ようと競うようになり、仲間の言葉やマナーや習慣や道徳観を吸収して、仲間から認めてもらうことが何よりも大切なこととなります。

  だから、親は、子供に対する支配力を徐々に失い、自分の子供に対する責任を委任した学校教育者にその権威を奪われていくのです。権威と責任は常に伴っていなくてはいけないので、一つを放棄すると、もう一つも失います。子供の学習面での問題の多くは専門的な処置によって解決できますが、安定した価値観を失った子供は、ほぼ例外なく、それを取り戻すのは不可能です。

  逆に、8歳か10歳になるまで子供を自分達の毎日の行動に参加させ、常に暖かく、首尾一貫した態度で接している親や親代わりの人達によって育てられた子供は、自分が家族という共同体の一員であるとわかっていて、安心感を持っています。特に、母乳で育てられ、しっかり抱いてもらっていた子供は安定しているようです。赤ん坊がよちよち歩きになる頃には、箱か棚におもちゃをしまうように教えることができます。箱を認識し始め、整頓されていることや責任というものを感じ取れるようになるのです。

  成長するにつれて、キッチンや、家の内外で親と一緒に働くこと、車を洗ったり、庭の手入れをすることを楽しむようになります。自分も子供を抱いて何か読んであげるのを楽しんだり、子供が一人で自分の夢やその他の為に取り組む時間も尊重する、暖かく、いつも反応してくれる親と過ごすのは、子供にとって最も質の高い遊びとなるのです。そのような子供は、自分が必要とされ、望まれていて、頼りにされていると感じることができます。自分は、家族という共同体の大切な一員だとわかるのです。

  そのような子供はより慎重で落ち着いていて、異常なまでに活動的になることはあまりありません。そして、より人づきあいが良いものの、大きくなっても同年令の子供達の価値観に影響される度合いは低いでしょう。つまりより幸せで、順応性があり、思慮深く、有能で、人づきあいの良い子供だということです。

 

良きスタートを切る:新生児

 

母−−と父−−実権を握る

  愛の欠如や厳しいしつけに苦しみ、極端な場合には、親からケガをさせられた子供達もいることから、最近は、子供の安心感を養う根本的な要素となる、幼い頃からの母子のきずなや愛や信頼を確立するための努力が大いに強調されるようになりました。こういったきずなは必要不可欠です。乳児は愛なしには生き延びることができません。幸福な子供時代を送るには、息をしたり、食べたり、暖かくしてもらい、眠たっり、毎日活動したり遊ぶだけでなく、愛されることが絶対に必要です。しかし、この考え方に子供を甘やかすことも含めるというのには疑問があります。

  この理論の奨励者は、過度に愛を与えることによって子供をだめにしてしまうことは絶対にないと主張します。私達も賛成です。小さな子供の健全な精神の土台となる根本的な安定感を築くには、常に愛されている必要があります。しかし、真の愛は無私無欲であるものの、甘やかすことではありません! 赤ん坊は自分で自分の境界を定めることができるほど成熟してはいません。愛によって、子供にとって何が最善かがわかり、愛はしつけに反するものではありません。愛は自制に基盤をおいたしつけを行います。しつけのない愛は愛ではありません。

  新生児にとっては、しつけは最も基礎的な訓練です。これはおもに、赤ん坊のあらゆる要求に対して、賢明に、首尾一貫し、穏やかな厳格さをもって対処し、赤ん坊にスケジュールをきちんと守らせることによってなされます。赤ん坊がむずかるからではなく、母親の経験と知恵によって状況を支配する事で、赤ん坊だけでなく家族にとっても無理のない常識ある毎日のスケジュールを、できるだけ早い時期に定めるべきです。赤ん坊のお風呂や昼寝や食事、遊び時間、寝る時間は、毎日だいたい同じであるべきです。

  知恵を働かせ、権威を振るって下さい。そのような規則正しさや首尾一貫性によって子供は安定してきますし、自制を学び始めます。

  子供と一緒にいるのを楽しめない親が非常に多いのは、赤ん坊の頃から正しく扱ってこなかったからです。小さな子供があまりにわがままになると、親は我慢できなくなるのです。

  幼い内に正しい習慣を身につけさせる必要があるといっても、ひどく厳しくするとか、無視するとか、親密で愛のこもった関係を持たないということでは全くありません。逆に、そのように正しく子供をしつけるには、かなりの優しさと首尾一貫性と愛を要します。

  お風呂の時間が決まっていることについて文句のある赤ん坊は見たことがありませんが、ミルクや食べ物の時間には、赤ん坊は自己中心的で横暴な願望を自然に持っている事から、母親がちゃんと実権を握っていないと、さんざん苦労することになります。

  私達が心配しているのは、必要でもないのにあまりにも頻繁に子供にミルクや食べ物を与え、他の本当に必要な物は与えないままにしてしまうことです。例えば、おなかが痛いかもしれない時には、水を飲んだり、一時的に食べないでおくほうがいいのです。泣く度にミルクや食べ物をあげないで下さい。もっと違った種類の関心が必要なのかもしれません。食べ物で子供を混乱させることがないように、知恵と首尾一貫性と愛をもつよう心がけましょう。

  親は、子供が生まれた瞬間から愛をこめて、優しく、暖かく接し、子供にいつも反応する必要があります。それと同時に、良いバランスをとるために厳しさと首尾一貫性も忘れないようにしましょう。

 

重大な1年目

 

見始める

  7か月か8か月になると、赤ん坊は「どこかな」ゲームを好みます。「ジョニー(兄)はどこかな?」とか、「パパはどこかな?」とか、「鳥はどこかな?」と尋ねると、それを見ようとするのです。指さしてあげるなら、赤ん坊も指さすことを学ぶでしょう。

  また、もういつでも読んであげ始める事ができます。赤ん坊のこれからの長い一生のために、赤ん坊をひざの上に抱いて本を読んでやるひとときは、知性面でも情緒面でも赤ん坊が学べる非常に大切な時間となります。これは毎日行い、ゆくゆくは一度に20分か30分行うべきです。子供に本を優しく、大切な物のように扱うよう教えて下さい。そして、子供がおもちゃと混同しないようにするのです。本をおもちゃ箱に積んで入れたり、あちこちに放り出しておくべきではありません。あなたが子供に持ち物はみな大切に扱うようにと教えない限り、子供は破壊的になり、物を粗末にしがちです。

 

探検者

  注意深く監視している時に、赤ん坊に探検するチャンスを与えなさい。赤ん坊はものすごい好奇心の持ち主で、適切で安全なものなら何でも究明する必要があるのです。

  忍耐を持って、首尾一貫して繰り返し教え、良い振る舞いはほめてやるなら、本当に小さな子供でも、何が許容される振る舞いで、何がそうでないかがわかるようになります。成長するにつれ、「どうして」そうなのかを学び、健全な判断力を備えるようになるでしょう。

  この時期には、小さなたんこぶやアザは避けられません。子供がそれに対してどう反応するかはあなたにかかっています。あなたがひどく真剣に受け止めるなら、子供もそうするでしょう。気楽に受け止め、どちらかと言えばそれほど気にしないなら、子供もさほど気にしないでしょう。子供は、自分を見ている人の様子をさっと伺ってから、笑うべきか泣くべきか決定することがあるのです。

 

小さな働き手

  小さい子供にとって、あなたと一緒に働くのは特に楽しい時間です。手初めに、子供のベビーベッドのそばにある箱を示して、そこにおもちゃを入れるように教え、それをしたら抱き上げてやるとよいでしょう。歩き始めたら、箱を部屋のすみに置きましょう。あなたと買い物に行く前に、おもちゃを片付けることを教えて下さい。これをさせるには、あなたにとって数週間余分の努力を要するかもしれませんが、あなたの忍耐と根気強さがその何倍も報われることになります。あなたの足元におもちゃがいつもころがっておらず、子供が責任や整理整頓、家庭内での協同精神といったレッスンを学び始めるので、あなたはより幸福な親となり、子供も自己尊重の心を持つようになるでしょう。

 

人の心をひきつける1歳児と

さんざん手を焼かせる2歳児

 

優しく愛のこもった世話

  子供がこの上もなく必要としているのは、親が引き続き、自分に優しく、いつも反応してくれ、首尾一貫した関係を持つことです。

  よちよち歩きの幼児は、なお声の調子や顔の表情や言葉や身体的接触を通して、愛されているという安心感を抱く必要があります。愛をもらうにつれ、もっと人にも愛を与えることができるようになるのです。

  子供に対する親の愛に劣らず必要なもの、それは、親が互いに愛し合っていることです。夫婦が互いに愛情を示し、一緒に幸せにやっているなら、子供はその雰囲気に親しみ、愛情深い人間となります。子供が頻繁に愛情を表現するような子供なら、幸福で人づきあいの良い大人になることでしょう。

 

小さな弟子を訓練する

  甘やかすことや過保護−−「成長の妨げになる愛」−−は純粋ではありません。どちらも根本的には利己的で、子供の最善を思いやってはいないのです。純粋な愛には、特別な種類の厳しさ、しつけ、親子相互の尊敬が含まれ、これが子供の人格を形成し、将来自制心を持った子供になるための土台となります。最良のしつけは人を立派な弟子にすることと言われています。弟子とは他の人の教えと手本に倣う者で、この場合はパパとママの教えと手本に倣うことです。

  子供達は親の手本によって一番良く学びます。子供と働き、遊び、食べ、読んで下さい。そして子供が休んでいる時−−十分休むべきです−−には、あなたも休んだり、子供と一緒だと難しいことをすませましょう。

  生まれてから最初の1年にしっかり子供をしつけるなら、子供は大きくなっても禁止事項を受け入れるようになるので、親子の対立はそれほど起こりません。今徹底的にやっておかないなら、後になるとはるかに難しくなります。子供は早くも8か月か9か月で、あなたの言うことを理解するだけでなく、あなたが断固とした態度でいるのか、甘い態度でいるのかを見分けます。1歳の誕生日が来る前にもう親のことを見抜いているのです。

  あなたが首尾一貫していて、厳しさと優しさをもって適切な態度で接するなら、子供は快く従うようになります。できれば、子供に動物の家族を観察させて下さい。赤ん坊がの世話をしている母親が常に赤ん坊を自分のそばにいさせているのを見せるのです。じかに観察することのできない動物に関しては、写真を見せて、赤ん坊は従わなくてはいけないことを教えてあげましょう。

  また、礼儀正しさと思いやりも心がけなくてはいけません。例えば、子供のしていることを途中でやめさせなければならない時には、「その積んであるブロックが倒れたら、昼ご飯に来るのよ」といった警告を与えて下さい。最悪なのは、首尾一貫しておらず、同じ振る舞いなのにある時は許容し、別の時には罰を与えてしまうことです。明るく落ち着いて愛のこもった態度の中にも、厳しさと首尾一貫性を持つことが鍵です。

  子供を訓練したり、しつける方法について親の間で意見が違っているのも、子供にとって混乱のもとです。子育てに対する意見の相異は子供のいないところで率直に話し合って解決策を見いだすようにし、せめて争うのはやめて下さい。そうしないと子供は混乱し、恐れを抱いてしまいます。

 

小さな反抗者

  よく2歳くらいのよちよち歩きの子供を持つ親は、自分の子供は本当に否定的な子供だと考えます。けれども実際には、自分の独立権を主張することについては非常に肯定的なので、それほど否定的とは言えません。子供の言う条件に見合うようにし、個人的な必要を尊重し、子供よりも少しばかり知恵を働かせ、子供の一歩先を行くことが大切です。選択の余地がないのなら、子供に選択するよう求めてはいけません。もう寝たいかと聞かれて、「うん」と言う子供はめったにいません。または昼食の前に手を洗うことに賛成する子供も。だから、子供に尋ねてはいけません。ただ寝る準備や手を洗うといった日課をさっさと進めていくことです。

  時には、子供がどちらを選んでも大丈夫な二つの条件から選択させることで、否定的な反応を得なくてすむ場合もあります。「お豆ほしい?」と尋ねる代わりに、「豆を入れるのは緑のお皿にしましょうか、それとも黄色のお皿にしましょうか?」と尋ねるのです。普通に尋ねても否定的な答えしか返ってこないなら、求めることを歌に織り込むと魔法のようにうまくいくことがあります。特に、「さあ、行こう」とか、「さあ、しましょう」と言った言葉が入っているなら。

 

かんしゃく持ちの子供

  子供の泣き声が金切り声に変わり、蹴ったり、床にあおむけになって足をばたばたさせるなら、それはどう見てもかんしゃくです。改めて言いますが、予防は治療よりも単純です。予防策はどちらかと言えば単純です。また、この本の他のセクションの子供の訓練に関する箇所でもこれを取り上げたいと思います。手短に言えば、このようになります。

  1.家庭に、静かでシンプルな環境と規則正しいスケジュールを保つ。疲労やガンガン鳴る音楽や騒音や混乱は、家族全員の忍耐をぎりぎりの所まで試します。不規則な食事や食間のおやつも胃に良くないし、不機嫌にしてしまいます。

  2.子供に家の中を探検する自由をある程度与える。けれども、子供の手の届く範囲に子供が触るべきではない物を置かないようにして下さい。基本ルールは最初から定めておいて、両親がしっかりそれを実行するようにしなくてはいけません。

  3.あり余るエネルギーを発散し、欲求不満を解消させるために屋外で運動する機会を十分持たせる。

  4.知恵と思いやりを持って、子供の気を他のことにそらすことによって、真っ向から子供と対決するのを避けるよう努める。

  5.言葉においてであれ、行動においてであれ、子供に怒りをぶちまけてはいけません。怒って子供を強く押したり、蹴ったり、たたいたりするのはいけません。「怒っても罪を犯してはならない。」−−エペソ4:26。

 

健康に保つことと安全のルール

  屋外での作業や遊びは健康に良いだけでなく、筋肉の発達を助けます。汗を流すような活発な運動は血液の循環を良くし、深く呼吸できます。どちらも体に栄養を行き渡らせ、それによって、脳に酸素を送るのに絶対に必要です。また消化を助け、喉の渇きを覚えるようにし、筋肉の成長や協調運動を助けます。日光を浴びると、自然のビタミンDが作られて雑菌を殺します。日光には、まだ科学によって完全に解明されていない、生命維持に欠かせない作用があるのです。寒い日や雨の日でさえも、子供達は暖かい格好をして、屋外で適度な時間遊んだり、作業するのを許されるべきです。

  この年頃の子供が探検する自由を持つのは、創造性や知性の発達のために非常に重要ですが、子供が世界に対する好奇心を満たすのは、必ずあなたの見ている所にして下さい。気を配りましょう。子供には危険という概念がないので、見たり触ったりするだけでなく、なめたり、握り締めたり、たたいたり、投げたり、飲み込んだりします。幼い子供の死亡原因のトップは事故です。子供に伝染する六つのおもな病気にかかったり、それで死んだ子供の数を全部合わせたよりも、事故でけがをしたり死んだ子供の数のほうが多いのです。例えば、毒物が原因で死亡する人の5分の1がこの年令層です。掃除用洗剤や殺虫剤など、子供が食べたり飲んだりするおそれのある危険物は何でも、子供の手の届かない所におくか、鍵をかけてしまっておくよう改めて警告します。また、玄関のベルが鳴って出て行く時や電話中に、流しの横の水きり板などに置きっぱなしにするのも禁物です。

  あなたはそのような危険物は本当にひどい味がすると思っても、幼い子供の舌は毒物を見分ける事はできませんし、ほんの少量でも病気になったり、あるいは死亡することがあるのです。電気コードや電気のコンセント、暖房設備、ピン、はさみ、ナイフ、包丁には十分注意して下さい。そして、コンロやシンクなどからフライパンの取っ手がはみ出ていたりしないように。小さな物については、子供が飲み込んで窒息したり、肺を傷めることがあるということを頭において常に細心の注意を払って下さい。階段には安全のためのフェンスをつけ、使われていないコンセントには専用のカバーをつけて下さい。子供は小さな大人ではないということを忘れてはいけません!

  幼い子供を浴槽の中で遊ばせる場合には、一瞬たりとも子供だけを残してその場を離れてはいけません。編み物や縫い物か本などを用意してから監督しましょう。そして玄関のベルや電話が鳴って、それに応えなくてはいけないなら、子供をタオルで包み、一緒に連れて行って下さい。電話は鳴っていてもほっておくことができますが、子供は絶対にほっておいてはいけません。

 

子供の働き手としての価値

  家族というチームで、子供を必要とされている貴重な一員として見ることは、子供に自信を持たせるのに非常に重要なことです。仕事というとただ命令や要求に従うこと、としてしまってはいけません。家族全員の益のため、つまり快適で整頓され、きちんとした家庭にするために、みんなで協力してすることであるべきだからです。

  もちろん、最初はあなたが自分で何もかもしたほうがずっと簡単でしょう。けれども、もっと大きくなってそれをやるだけの能力を持つようになってからも快くやってもらいたいのなら、子供がやる気がある時にたとえできないとわかっていても、子供達に始めさせるべきです。お風呂の時間には手と足とひざを自分で洗わせましょう。間もなく子供は食事の前に食器などを並べたり、食事の後にテーブルを片付けたり、家具のほこりを落としたり、床を「掃除」したり、パパが洗車している時に車の車輪やバンパーをきれいにしたりして手伝えるようになることでしょう。

  子供が歩き始めた時から、このような建設的な雑用をさせ始めましょう。幼い時から、子供はただ親に楽しませてもらうために生きているのではなく、親と他の人の役に立ち、助けになるために生きているということを知らせましょう! 子供に一人だけでやらせた後で、あなたが子供の目の前でそれをやり、あなたの腕前がどれだけ勝っているかを見せつけてはいけません。そうではなく、子供と一緒にやり、忍耐強く教え、せっかくの子供の努力を見劣りさせてしまうことなしに、子供が精一杯やったことをあなたの基準まで手直しして下さい。

 

小さな話し手

  話すことは人のまねをして覚える場合がほとんどなので、子供がまねできる良い手本となるよう特別に配慮する必要があるでしょう。おそらく子供はあなたの言い方を一生続けるでしょうから。誤った文法や間違いだらけの発音やお粗末な発声は、後になってどんなに熱心に根気強く教えても直すのが困難です。子供と話す時に子供らしい言葉を使えば子供によくわかってもらえると思うかもしれませんが、実はそうではありません。子供は実際にしゃべるよりもはるかに多くのことを理解するのに、あなたが子供のまねをしていては、あまり話し言葉を上達させることはできません。

 

ぐずぐず屋

  ぐずぐずするのは2歳児の特徴で、親をイライラさせることがしばしばです。子供にとっては現在の時間しか大切に思えないので、時間をありがたく思うということがなく、ちょっとやそっとのことでは急がせたり、遅くさせたりすることはできません。子供はあまり忍耐がありません。たいてい自分が望む時にすぐ望みがかなうのを望みます。

  2歳や3歳の子供は、父親か母親と一緒に店か公園に行けると言って刺激を与え、速く行動するよう促すこともできます。ひたすら一貫した努力を続けていくなら、亀よりは速く行動するようになるでしょう。自分で何でもやろうとするのは、あまり能率的ではありません。しかし、「全部自分で」やるという努力は、一人の人間として独立していくための大切な過程として認めてやるべきです。靴が左右逆になっていたり、シャツを後ろ前に着るとしても、それでもやらせてあげるべきなのです。もし特定の時間までに間に合わせなくてはいけないなら、ガミガミ言ったり叱ったりすることなしに間に合うよう、十分時間の余裕を持って始めさせて下さい。どうしても制限時間までにすませなくてはいけない時に私達が使った効果的な手段は、タイマーを無理のない時間にセットしておくことです。タイマーがないなら、目覚まし時計でもいいでしょう。そうすれば、そこにいる人が直接せきたてるのではなく、ブザーかベルが権威ある合図となるからです。子供達はすぐに、ベルが鳴る前に終わらせるようと頑張るようになり、それを楽しむことでしょう。

 

子供に安定感を与える

  家庭のスケジュールが規則正しいなら、2歳半の子供は毎日毎日同じ方法で同じことをすることに大いに満足感と安心感を覚えることでしょう。実を言うと、その年令の子供は規則正しく、全くもって慣習尊重主義者です。

  今こそ子供に部屋や押し入れやタンスの引き出しをいつもきちんとし、細々したものは片付けるよう教え、何もかも整頓しておくように助けてあげましょう。おもちゃをどこにしまうべきかを示すために、チョークで棚や床にそれの外形線を書くこともできます。たとえば、トラックのための「ガレージ」や飛行機の「格納庫」の外形線を。棚やフックや釘やロッドは子供の背で届く範囲にしましょう。そうすれば、自分にできることは何でもできます。できるだけ、前にジッパーや大きなボタンや一人でできる付属品のついた服を買いましょう。

  突然の来訪客や病院や歯医者や引っ越しの際に子供に行儀よく振る舞ってほしいのなら、前もって子供に心構えさせておくことが絶対に必要です。多分どんなことが起こると予想され、子供がどうするのを期待しているかを説明してあげて下さい。子供は完全に理解できないかもしれませんが、あなたの十分な配慮を必要としています。場合によっては、来たるべき出来事によく備えられるよう、その状況を芝居のようにして演じてみるべきです。あなたが歯医者さんの役をして、歯医者さんが子供を診察する時に何をするかを実演するのです。または客のふりをして、子供が良い応対の仕方を学ぶよう助けて下さい。

 

遊び手か働き手か

  遊ぶことは子供が学ぶために欠かせない手段です。ある意味で遊ぶことは仕事だと言えます。働くことについて誰かが否定的な態度で子供に影響を及ぼしてしまわない限り、子供は遊ぶことと働くことをどちらも同じくらい楽しむのです。

  子供は市販のおもちゃなど全くなくとも困ったりはしません。目新しくて興味深い物、鍋やスプーンや糸巻、子供が重ねることのできる計量カップやあらゆる種類の容器、それに研究に値する屋外用品などいろいろあるからです。時折、子供が何かに心ひかれ、いつまでもそれに夢中になっているのは驚くほどです。こういった物を扱っていると、問題解決しなくてはいけない状況が生じて、子供の思考を刺激しますし、集中力を伸ばす助けになります。

  例えば、水を使って遊ぶことから、以下のような事柄を学ぶことができます。水はこぼれやすく、運ぶのが難しいこと、底の浅い容器よりも深い容器のほうが水がたくさん入ること、スポンジやタオルは水を吸い取ってしまうこと、容器に穴が開いているなら水が流れ出すこと、浮く物もあれば沈む物もあること、そして、バケツや大きなびんをいっぱいにするには水をカップに何杯も入れなくてはいけないことなどです。後になれば、あなたと遊ぶか働くかする時に、1リットルのびんをいっぱいにするには200CCのコップで何杯入れなくてはいけないかを学ぶでしょう。物を並べだり、触ったり、他の物と比べたりすることで、その特徴も学びます。私達が随分前に学び、今は当たり前のことと思っていることを初めて学ぶのです。

  おもちゃは少なめにし、耐久性のあるものを選ぶべきです。壊れやすいおもちゃは物を壊すことを教えます。この年頃は、男の子も女の子も同じ種類のおもちゃで遊ぶのが好きで、子供がそれに対して何かできるものが良いでしょう。押したり引いたりすると音が出るおもちゃや、小さな手押車、三輪車、簡単なパズルなどです。

  おもちゃを購入する際には、想像力をかきたてるおもちゃこそ優先させるべきです。タワーや家、柵、汽車を作るブロックは、表面をなめらかにした木切れやミルクの1リットルパックの空箱からでも作れます。砂場は、なめらかで安全なカンやいらなくなった砂ふるい、おもちゃのトラックを1台か2台、それにシャベルや大きなスプーンがあれば、創造力を伸ばす可能性は際限がないほどです。子供は自分一人でこの種の遊びに夢中になれるし、またそうすべきです。

 

まとめ

  子供が3歳になる前にすでに非常に多くのことを達成し、実際にこれからの人生のあらゆる面の土台を築いたと知ると本当に驚きを覚えます。人のライフスタイルや性格、言語能力、精神面での可能性、自己概念、権威に対する態度、肉体的土台は、3歳になる頃にはかなり固まっているというのが心理学者の大体一致した意見です。

 

探求する3歳と4歳

 

最善のコントロール

  自制を学ぶための最初の初期のステップ、つまりスケジュールに従うことは、健康や能率性や自己鍛練のために一生続けられるべきです。第二のステップである、親の言うことに無条件に従うことは、3歳までに完全に学んでいるべきです。子供はまだ一貫して理由が理解できているわけではないので、3歳までには従順が習慣となっていなくてはいけないのです。しかし、まだそうなっていなくとも、あきらめてはいけません。最初から正しく始めていた場合に比べて難しいかもしれませんが、はっきりした変化を遂げるのにもう手遅れというわけではありません。その変化というのは大体親であるあなた自身の変化のことです。きつくあたるのではなく、忍耐を持ち、すぐに従うようにと断固とした態度で要求するのです。しつけだけでなく、安全面からもこのことは重要不可欠です。不従順な子供の行く所には、事故がつきものです。

  第三のステップは、規則について学ぶ事で、親が言ったから従うというのを徐々に変えていくことです。子供が3歳半くらいになったら、規則の理由と、どうして従うことが必要なのかを説明すべきです。しばらくは完全に理解できないかもしれませんし、説明するには時間もかかりますが、これは自制を学ぶための重要なステップなのです。

  あなたや家族や友人が実際に経験したことを話すなら、安全や倹約、正直さ、信頼性、その他の良き人格を築く教訓を教えることができるでしょう。

 

小さな話し手

  話す能力を正しく発達させるには、時間と訓練を要します。まず第一に、親は自分達の手本によって子供の話し方を導く責任があります。親の話し方が早口だったり、不明瞭だったり、声が小さすぎたり、大きすぎたりするなら、子供は言葉をよく聞き取ることさえできず、子供はあまりそれをまねられません。ゆっくりと明確で正確に話す必要があります。

  第二に、子供が正しい話し方をするよう助ける必要があります。けれども、子供が自意識過剰になったり、落胆しないように、できるだけ間接的に行うべきです。たとえば子供の言ったことを正しい言いかたで繰り返すのです。もし子供が、「サリーはクッキーが好きくない」と言ったら、「サリーはクッキーが好きじゃない」と言いましょう。または、「小犬おなかすいた」と言ったら、「小犬はおなかがすいているんでしょう?」と答えましょう。

  また、色やサイズや形や物の名前をしっかりと言いましょう。「これをあげるわ」と言うのではなく、「カボチャをあげるわ」と言い、「これをパパの机に置いてきてね」ではなく、「この道路地図をパパの机の上に置いてきてね」と言いましょう。

  聞くことと話すことの技術を身につけている極めて重要なこの時期に、大切な子供との会話の時間をテレビに奪われてはいけません。

  指人形のせりふや詩を学ぶのも話すことの良い練習になるし、記憶力を強化し、韻を踏んでいる言葉やリズムを聞き取る能力を伸ばす訓練にもなります。

同年令の子供に影響を受けやすい

  幼い子供は自分の目で観察し、まねることから学びます。私達が子供に教えようと計画していようといまいとお構いなく常に学んでいるのです。子供は、幼い子供達と一緒のグループに入れられると、彼らのまねをします。良いものと悪いものを区別する能力がないのです。実を言うと、子供は良いものよりも悪いものを簡単に覚えることがわかっています。

  だから、週に数時間託児所に入れておくだけでも、あなたとのつながりが薄くなり、自分と同年令の子供達の価値観により親しむようになります。

  通常、この年頃の子供は家族以外の誰とのつきあいも必要ではありません。ただ大人の良き手本が必要で、その良き手本を見せるのが親であるほうが好ましいのです。

  この年令の子供は、たとえ少人数の子供のグループに入れても緊張します。感情が高ぶることも頻繁にあるのです。例えば、神経質になったり、恐れを抱いたり、気をつかったりという具合に。

  非常に感受性が強いので、子供の遊び相手は注意深く選ぶべきです。悲しいことに、多くの親は、子供がいかに悪い言葉や習慣、乱暴な振る舞い、欺きを身につけるかを身をもって知りましたが、気付いた時にはもう手遅れだったのです。あなたが、注意深く世話していない限り、あなたの子供もそうなるのは避けられないでしょう。

 

恐れに対処する

  子供がどう育てられてきたかに関係なく、他の子供よりも不安を抱きやすい子供達がいます。この場合、無理強いしたり体罰を与えることは、他の分野の子供の訓練と同様、あまり効果がありません。恐れを抱きやすいのは、治すよりも予防するほうが簡単です。

  もちろん、あなたの態度は非常に重要で、言葉で教えるよりは、あなたの手本から学ばせるほうがいいでしょう。あなたが稲妻や何かの動物や物を怖がるなら、子供もまねします。心配性の親が子供(または他の人)に、ケガをしないよう注意しなさいとか、ケガするかもしれないとひっきりなしに警告しているなら、子供は自分が何を恐れているのかわからなくとも、心配ばかりするようになります。もちろん誰でも危ないものから身を守るべきですが、過度に恐れを抱くなら、人生から喜びが失せてしまいます。神の保護を真に求めて神に信頼している人達は、特別な心の安らぎと満足を抱きます。

  恐れには幾つかの原因があります。あなたが何をしようと、あるいはしまいと関係なく子供が抱く恐れもあります。例えば、乳児は生まれた時から落ちることを恐れているようです。また、大きな物音や知らない人の存在、機械の音でおびえます。他の恐れは絶対に防ぐことができます。年上の子供や大人がエキサイティングな体験だと思うことでも、赤ん坊や幼い子供にはショッキングな事である場合があります。花火やサーカス、メリーゴーランド、動物園など、騒がしく、混雑しており、混乱の多すぎる場所に行くことや、テレビ番組をたて続けに幾つも見ること−−子供向けの番組でも−−は、楽しみよりも恐ろしいことになってしまいます。問題は、大人がこれらの事にあらかじめ用心しておかずに、そうした体験をさせてしまうなら、恐れはますます増大して、生涯影響を及ぼす可能性もあるということです。だから、シンプルで静かで、ごちゃごしておらず、できるだけ恐れの原因となるものを取り除いた家庭環境こそ、安定して自信に満ちた子供を育てるための明らかな答えです。

  テレビを頻繁に見ている子供達は、あまり見ない子供達よりも恐れを抱きやすいことがわかっています。架空の恐ろしい物語(「赤ずきん」のようにいわゆる古典と呼ばれているものでも)や残酷な絵も、危険に対して過度に脅える原因となるかもしれません。そして、大人にとってそれほど怖く思えないものでも子供が怖がってしまうのは、「ハッピーエンド」を予期できないからです。十分順応性のある子供が、大人から見ればたいしたことのないものに対して恐れを抱くのを、私達は何度も見てきました。ディズニー映画でトラックが丘から転がり落ちるシーンで、子供が脅えて部屋から泣きながら飛び出たこともあります。

  すでに何かの恐れが子供の心にあるのなら、同情的に忍耐と理解を持ってその子供に接する必要があります。誰か(多分あなた自身)が、子供と同じような恐れを抱いていたけれども、後でそれを克服したことを話してはどうでしょうか? 子供が全く害のない動物か物を怖がっているなら、安心させるようなことを話し、あなたがそれに触っても全く危険ではないことを実際に見せるのです。それに近づくよう励ましてもよいですが、決してそれを子供に近づけてはいけません。子供が自分で、勇気を奮い起こす努力をしなくてはいけません。それには多分時間がかかることでしょう。

 

働くことの効用

  働く経験は、幼い子供にとって学ぶ助けになりますし、働くことに喜びを覚える助けにもなります。働くことは思考力を増し、道徳観も深め、自分で決断する能力を伸ばし、能率的に予定を立てたり問題を解決できるようになります。さらに重要なことに、働くことはより良い性格を築くための一番大切な要素なのです。ヒマな人間こそ、悪魔の格好のカモ。建設的なことをするのに忙しい子供は振る舞いがもっと良いものです。

  この年令でも一人でできる小さな仕事もあるかもしれませんが、大体はあなたも子供と一緒にすべきです。子供と一緒にベッドを整えたり、玄関前を掃いたり、食事の準備をしてはどうでしょう。子供と車を洗ったり、庭仕事をしたり、何かを作ったりすることもできます。子供の仕事ぶりをほめ、ありがとうと言いましょう。何か価値があり、感謝されるようなことをしたという達成感こそ、子供にとって最大の報酬です。このような種類の成功は、子供を励まし、やる気を非常に高めます。

 

指示に従う

  幼い子供にとって最も喜びを覚える仕事の一つは使い走りをすることです。特に自分のしていることが役に立ち、感謝されていると知っているとそうです。単純な第一ステップの指示から始め、指図する前に子供があなたに注意を向けているか確認して下さい。私達の知っているある母親は、どんな種類の指示を与える場合にも、絶対に子供に自分の方を見るよう求めます。それから、その母親はゆっくりと明確に話すのです。こうすると頼み事を繰り返し言わなくともすみます。繰り返し言わなくてはいけないというのは悪い習慣です。1回だけ聞いて、それに従うようにするのは、幼少の頃から始められる貴重な訓練です。

  幼い子供の能力が進歩するにつれ、第二ステップの指示を与えましょう。それからもっと複雑な指示にするのです。「ママのベッドのそばの棚にある赤い本を持ってきてちょうだい」とか、「裏口に置いてある洗濯機にこの箱をのせてね」という具合に。子供に指示に従うよう教える過程において、あなたは子供が前と後ろ、上と下、右上、逆さま、ゆくゆくは右左を覚えるよう助けることが必要となります。

  使い走りの用事に数字が関係しているなら、算数の概念を教えていることにもなります。数字の基礎を理解することは、正規の算数に欠かせません。学校で算数に苦労する子供が多いのは、実際の体験を通して数字を理解したことがあまりないからです。例えば「4」は実際に四つの物だということを。だから、何か数字が関係することや仕事を頻繁に頼んで下さい。「野菜入れの中からジャガイモを四つ取ってきてくれる?」

 

分け合うことを学ぶ

  子供は生まれつき、完全に自己中心的です。3歳までに幾らかは、自分のほしいものを手に入れるのを後にのばしたり、他の人の物を尊敬すること、親や世話をしている人から求められた物を快く手渡すことを学ぶことができます。これらは大切なステップなので、怠ってはいけません。子供には生まれつき感受性が備わっているので、自分に期待されていることを素早く知ることができます。

  順番ですることや分け合うことの公平さや、協力する事がもたらす喜びを、子供が悟る事ができるように助けなくてはいけません。だから、その価値を実際に示す事ができる人と、働いたり遊んだりする経験を何度も積む必要があるのです。

  子供と一緒に、子供があげてしまえる物の特別なリストを作るようにしてはどうでしょうか?それは、スナックなどのおまけのプラスチックのおもちゃや風船でもいいし、人からもらったもので他の人たちにあげられるような小さなものでも構いません。子供の訪問者が去る時に、または病気の子供や自分ほど物を沢山持っていない子供にあげることもできるでしょう。クリスマスの時には、子供のためのプレゼントを強調せず、他の人達のためのプレゼントを選んで包ませ、あげさせることです。子供の誕生日も、あまりにも子供にばかり関心を注ぐよりは、子供が、自分に寄せてくれた愛と優しさのゆえに家族や友人に感謝する時として下さい。

  分け合う事について教える過程では、前もって子供を準備しておいたほうがよいでしょう。もし他の子供−−できればすでに分け合うことを学んでいる子供が好ましい−−が遊びにくるなら、その友達にどのおもちゃで遊ばせるかを子供と前もって話しておきましょう。最初から子供のお気にいりのトラックを提案してはいけません。ただ何かその子が気にいりそうな物を選ぶよう助けて下さい。実際にその時が来たら、忘れていたり、しりごみしたりしないように、その前に2、3回思い起こさせましょう。または、それについてお芝居をし、あなたが訪問者の役を演じるのはもっと助けになるでしょう。

 

お話の時間

  物語は幼い子供達の思考を深めます。手初めとして、簡単な聖書物語や自然について書かれた実話を集めた本からの話がよいでしょう。そして、子供を寝かせる時にまたその話を話すのです。幼い子供は繰り返しによってどんどん学びます。また子供にあなたの人生で起こったことも話してあげましょう。おじいちゃんの牧羊犬のことや、近所で建築中の新しい家で働いている煉瓦職人のことや、食卓に牛乳のパックが届くまでの過程や、リスは冬にどのように備えるかを話してあげましょう。

  あなたが子供に教えたいと思うことはほとんど何でも、物語を使って教える事ができます。そのほうが直接指示するよりもずっと効果があります。例えば健康や安全や動物に優しくすること、感謝の気持ちをもつ事などどっさりあります。あなたの身内や友人に起こった出来事を話してあげてもよいでしょう。または、子供が小さかった時に起こったことを話してやることもできます。

  子供がまだ赤ん坊の頃から読んであげて下さい。そうすれば、親子で一緒に読むことを楽しむ習慣がつきます。

  このようにして教えるのには特別な価値があります。なぜなら、子供はあなたの言うことに熱心に耳を傾けるからです。あなたの考え方を理解し、興味を示すのです。そして物語を覚えているので、教訓も覚えています。それに子供はまねしたがるので、物語で勧められている通りにすることでしょう。もちろん、お話に建設的な教訓が含まれていて、強調したいポイントを子供がしっかりのみこんでいるようにしなくてはいけません。この点で、高く評価されているテレビ番組、例えば「ディズニー」や「モペット」、さらには教育人気番組である「セサミストリート」などには問題があります。何かの事実を教えるのに、軽薄な振る舞いや現実離れした登場人物が出てきて、子供達はそれをまねしてしまうのです。そして、画面に映し出されている事と事実が論理的に結びついていないので、事実は忘れられてしまいます。

  ピリピ4:8の聖句の基準は、あなたが子供の思考を何かで養う時に、確実にその質を判断するのに役立つ助言です。

  子供に物語を読む時にも同じ基準があてはまります。読む時には子供を抱きながら読み、唇をよく動かし、表現豊かに、ゆっくりと読んで下さい。挿絵を見たり、質問に答えたり、質問したりするのにも時間をかけ、どうしてその登場人物はそのようなことをしたのかを想像しながら短い話し合いをすることもできるでしょう。

  子供が後で読みを本格的に学ぶための準備として、本や標識などを見る時に目を左から右に動かすように助けてあげて下さい。一連の続き絵を見る時や、子供と物を数える時には、このことを心にとめておいて下さい。どこから始めるかを教え、子供があなたの指で右の方に字をたどっていくと助けになります。子供が書いているようなまねをして落書きをしている時には、左から右へと書いていくよう求めて下さい。子供が自分の名前や言葉について尋ねてきたら、その言葉の下を左から右に指でたどりながら読んであげましょう。

 

自立的な考え方

  私達は子供達が論理的に考える能力を伸ばすのを助け、励ましたいのですから、子供が知識をたくわえられるような実体験をできるだけ多くさせなくてはいけません。子供のすべての質問にすぐに答えてしまってはいけません。

  時には、質問が実験や探求のきっかけとなるべきです。この方法によって答を見つけることには時間がかかるかもしれませんし、子供の時間を無駄にしているように思えるかもしれませんが、失望してはいけません。既成の知識を教わるだけでは、あまり思考が刺激されないのです。時には子供が学ぶには試行錯誤が適しています。自分で問題を解決する過程が子供の精神力を強めます。

  すべての大人が時には一人きりになることが必要ですが、子供も一人きりになることが必要だし、場合によっては大人よりもっとこの必要が重要であることに、大人はあまり気付いていないようです。大人からの指示ぬきで想像力を働かせることは、実際の生活に順応する助けになります。子供にはそんな時間が必要なのです。子供がそれを行うのに優れた研究所となる場所は、トンネルや道を作れる砂場や、あなたのそばで容器に水をいっぱいに入れたり空にすることのできるキッチンのシンクです。託児所や幼稚園や、その他の子供を多数集めている施設でこのような重要な特権が許されることは非常にまれです。

 

遊ぶ物

  3歳児は、子供の筋肉を活発に動かす目的で作られた遊具を十分に活用できる段階になっています。子供が何かに登るのを禁じないで、危なくない範囲で安全に登れるよう助けてあげて下さい。田舎のほうで生活していると、低い木や柵などでそれができますし、ジャングルジムやすべり台やシーソーのある町の中の公園や運動場も良いでしょう。

  家事ごっこのできるおもちゃ、やお店屋さんごっこに使う物も、想像力を働かせるなら簡単に用意できます。厚紙の箱を、キッチンのシンクにある物やストーブからソファーに至るまで何にでも見立てることができます

  木工道具も、このくらいの年頃なら使えるでしょう。最初は釘差し盤と、木でできたハンマーや釘を使うほうがよいかもしれません。やがては、打つ部分が広くて短い金づちと、頭が大きく長さが短い釘を使えるようになるでしょう。柔らかな木に釘を打つだけでも、筋肉の協調運動の練習として非常に役立ちます。シンプルな飛行機や船やバンやトラックも、小さな木切れと糸巻きから作ることができます。父親に助けてもらいながら、鳥のエサ台も作れるでしょう。

  どの家庭にも、ふたを回してしめる様々なサイズのプラスチック容器があります。それらを一つの箱に全部入れて、子供にぴったり合う容器とそのフタを見つけさせることもできます。様々なサイズのナットやボルトも、同じようにぴったり合うのを見つけさせることができます。後になれば、子供に目隠しさせてもいいでしょう。

  長い靴紐のついた、父親のはきならしたきれいな靴を使えば、指先の筋肉の働きを発達させ、この年頃を卒業する頃には、ひもの結びかたも学ぶことでしょう。カラー刷りの雑誌を用意して、あまり鋭くないはさみで写真を切り取らせて紙の上に貼らせることや、コラージュを作らせるのは、雨の日に最適です。

  この年頃の子供は太いクレヨンや洗い落とせるポスター・ペイントと太い絵筆で絵を描くこともできます。大きな包装紙や、残った壁紙の白い部分や、広げた買物袋を床に敷いて描かせたり、厚紙やベニヤ板で作ったイーゼル(画架)を使うこともできます。子供には腕を自由に動かせるような運動が必要ですが、小さな道具を使ってはできないのです。絵筆は、細い布や小さなスポンジを1本に縛ったり、テープでとめることによって作れます。最初は1色か2色で、色別のブラシを使って下さい。

  ビーズをつなぐのであれ、絵を作るのであれ、棒を並べるのであれ、就学前の子供にとっては出来上がりよりも途中の過程のほうが大切だということを覚えておいて下さい。

  作品が一つ完成したら、子供にそれについて説明してもらって下さい。こうすれば、子供の作品が何なのか間違って推測してしまったために子供が機嫌を害したり、落胆する危険をおかさずに

すみます。子供の作品をほめて、鼻高々な様子で壁や掲示板に貼ってあげて下さい。

 

感覚を刺激する

  多分、そのような訓練の為に最も興味をひき、全てを含んでいるものと言えば、私達のまわりにある大自然です。神の創造物の色や音や手ざわりやにおいや味を感じる為に時間を十分かけるべきです。

  家庭用品を使って作ったパズルやゲームは楽しい上に作るのが簡単です。例えば大きな厚紙を用意して、家にある様々な形をした物、シンプルなクッキーの型やふたや小さな箱などの回りをフェルトペンやクレヨンでなぞらせてはどうでしょうか。何か三角形や円や長四角の形をした物を与えて下さい。キッチンのスポンジをその様に切り抜く事もできます。最初はあまり苦労しないで学べるよう、少しの種類ずつ試して下さい。そして、能力が増してきたらもっと色々な形を使うのです。それらの物を専用の箱に入れ、厚紙の上に書かれたのと同じパターンを選ばせて下さい。サイズと形の両方を見分けられるようにしなくてはいけません。後で、正方形や円や三角形や楕円といった名前も覚えるでしょう。

  大きくてごちゃごちゃしていない写真を雑誌から切り取って厚紙に貼り、小さな断片に切ってジグソーパズルを作る事もできます。それまでの経験に応じて、10ピースかそれ以上をうまくパズルでつなぎ合わせる事もできるかもしれません。しかし最初はできるだけ早く完成できるレベルから始め、後でもっと沢山のピースのあるパズルにして下さい。

  時折、食事の時に子供に数分間目をつぶらせたり、目隠しをしたりして、味とにおいでそれが何かをあてるゲームをさせてもよいでしょう。色々な材料が混じっておらず、特徴のある食べ物を選び、それをさせるのは一回の食事につき幾つかだけにして下さい。最初はにおいによって、それから味によって見分けることができるかどうかを見て下さい。また、それぞれが甘いか酸っぱいか辛いか、この内のどれでもないかを言わせて下さい。また、食べ物がパリパリかバリバリか、堅いか柔らかいか、水分の多いものか乾燥したものかを言えるように導いてあげるのです。

  食べ物によっては感触によってあてられる物もあります。果物や野菜、豆や米、オートミール、堅ゆで卵、ナッツなど、殻がついている場合とついていない場合の両方を試して下さい。

  子供達は手ざわりになじむべきです。布には色々な種類があります。バーラップや網やコーデュロイ、サテン、ベルベット、フェルト、シルク、ウール、コットン。それからなめらかな革やスエード、ナイロン、紙やすり、毛皮などです。手触りを説明をするのに、「絹のような」とか「ベルベットのような」とか「毛のような」などの表現を使って下さい。

 

安全についての注意を教え込む

  可能な手段は何でも使って、安全についての習慣を身につけさせるために時間と努力を注ぐべきです。この場合、手本が非常に大切です。あなたは、たとえ赤信号でも車が通っていないなら渡ってしまうでしょうか? 子供と一緒に歩いたり、車に乗っている時に、家庭で交通標識や警告を説明して下さい。家庭掃除用洗剤のビンや、中に入っているのが口にしても大丈夫な食べ物か飲み物かどうかがはっきりしない見慣れない容器には触らないようにと教えて下さい。子供にその薬はおいしいなどと教えないで下さい。子供には味を見分ける能力がそれほどないので、掃除用洗剤やその他の毒物性の物を飲んでしまう事があるのです。咳止めの薬をキャンデーみたいなものだと教えるなら、一ビン全部飲んでしまうかもしれません。親が薬を飲むのなら、どうして子供が飲んでいけないのだろうか? ビンの薬を全部飲んでしまってもいいかもしれない。何といっても、それは「キャンデー」のはずなのだから。

 

働く母親

  母親が家庭の外で働く以外に選択がないなら、私達はその母親に同情しますし、できる限り助けたいと思います。また、何からの方法で彼女がその埋め合わせをするよう最善を尽くすとも確信しています。そして、物を与えたり、甘やかすのではなく、「有意義な」時間を子供と過ごしてやることによってそうすることを願っています。もちろん、子供には親の態度が一番声高に語り、その目にはっきりと映ります。子供には、別れ際に母親が子供ともっと一緒にいたいのだけれどという態度でいるかどうかや、自分がどれだけ大切な存在と思われているかがわかります。子供の目はごまかせません。

  また、仕事があまりにもきつすぎて、家族の良き友人や相談相手となるためのエネルギーまで奪ってしまう事がないように願っています。妻、そして母としての最も重要な務めの一つは、家庭を、家族にとって仕事や学校でのプレッシャーから解放される場所とすることです。母親までそのようなプレッシャーに悩まされているなら、家族全員に心の安らぎを与え、リラックスさせるような落ち着いた雰囲気を作ることは難しいし、不可能かもしれません。多分、私達は母親たちに彼女達がどれだけ貴重な存在かや、母親としての役割を果たすことに真に満足するにはどうしたらいいかを悟らせる必要があるでしょう。私達は彼女達が孤独に感じたり、欲求不満になったりしないように助けてあげる方法を見いだす必要があるのです。ずっと子供の世話をしていることから幾らかの時間でも解放される必要があります。父親はそれを助けるための最適任者だと私達は思っています。子供には父親が必要で、父親にも子供が必要なのです。

 

創造力豊かな5歳児と6歳児

 

幼稚園に入れる?

  どうして幼稚園はだめなのでしょうか? その理由を幾つかあげましょう。体の健康は早期教育よりも大切です。ほとんどの時間、子供を教室の中に閉じ込めておく幼稚園が非常に多く、例外はまれです。運動や教室内での新鮮な空気の不足は、子供の肺に害を与えます。

  様々な年令の子供達がいて、年上の子供達が下の子供達を助けられるような家庭では、スケジュールなどの変更も容易にできます。幼稚園に行かないで家にいる子供も、毎日だいたい同じ時間に幼稚園でするのと同じような事をするかもしれませんが、全体的には、一緒に料理をしたり、掃除をしたり、その他の家事や庭仕事をしたり、短い旅行をしたり、散歩をしたり、自然現象について勉強したり、親がしている仕事が何であれ、それに参加したりというように、子供が学ぶことのできる活動の種類がもっと豊富なのです。

  大勢の神経薬理学者の間では、失読症や知覚障害、脳損傷または知恵遅れと宣告されているケースでも、実はまだ発達していない頭脳に過度の期待をかけてしまった結果にすぎないのではないかという強い疑問が起こっています。

  私達は、子供は常に自分のしたい時にしたいことをすべきで、子供に境界線や注意深い監督はいらないと言っているのではありません。幼い子供には予測できる環境が必要です。食事、昼寝、働く時間、お話の時間、ベッドタイムなどは、ほぼ毎日同じであるべきです。子供が標識や言葉、または自分の名前を書くことに興味を持っているようなら、何としてでも子供を助けて下さい。けれども、一度に20分以上続けさせないで下さい。そうしないと、目が悪くなってしまうでしょう。目はもともと遠くに焦点をあてるような仕組みになっているのですから、近いところばかり見ているべきではありません。

 

本格的な「学校」を家庭で?

  家庭での「学校」は、一般的な教育施設よりも優れている場合がよくあります。

  家庭での学校を始める前の朝の日課を忘れないで下さい。ベッドを整えたり、部屋を整頓したり、朝食の準備や掃除を手伝うことは、人が一生の間、学校や仕事に行く前の時間に責任を持ってすべきことです。

  それから、無理がなく順応性のある時間割りを作成しましょう。家庭のスケジュールに沿っていて、一人一人が興味を持っている事にも取り組める時間を組み入れたものです。これは、精神的な訓練にも最適な時間です。1曲か2曲一緒に歌を歌い、お話を読んだり、話したりし、できれば、物や絵やフランネルグラフなどを使って実際に目で見られる説明を使うのです。子供はバラエティーがどっさりある事をさして喜ばないでしょう。同じ物語を繰り返し聞くことで、それが昔からの友人のようになるのです。時には子供に物語を話させましょう。これは子供が自分で考えて、適切な順番に出来事を並べていくよう助けます。あなたは、「それからどうなったの?」とか、「どうしてそんなことになっちゃったの?」と聞かなくてはいけないかもしれません。

  この静かな時間の後には、何か活発な活動をすべきです。例えばピアノの伴奏であるいはレコードに合わせて、行進したり、跳ねたり、つま先で歩いたり、スキップしたりして、その音楽のムードやリズムによってやることを変えるのです。

  自然について学ぶ事は、子供の毎日の時間割の大切な部分を占めるべきです。観葉植物や鉢植え、窓際に置く室内プランター、または庭仕事、それに葉っぱや岩や貝殻などを拾って種類を調べて分類する、自然についての実験を始める、学習材料にするものを探しに散歩に行くなどといったことをしたら良いでしょう。

  この年頃の子供は、自分の名字と名前、住所、電話番号、誕生日と親の名前をはっきりと言えるべきです。また右手と左手がどちらかがわかっているべきです。曜日や月の名前にも親しんでいて、すぐに自然と出てくるようになるはずです。スキップの仕方やブランコに乗った時の体の動かしかたも必ず教えて下さい。

 

屋内で楽しむ

  子供にチョークや大きなクレヨンやポスター・ペイント、それに大きな絵筆と大きな紙を使わせて下さい。黒板やイーゼル(画架)、テーブル、床などに紙を固定して下さい。この年頃の子供では小さな塗り絵帳やクレヨンや鉛筆は使わないで下さい。まだ十分動かせるほど発達していない筋肉に過度の緊張を与えることになります。

  フィンガーペイントは家庭で簡単に作れます。子供に材料を計らせ、子供にできるだけ手伝わせるのです。

  家庭でパン作りを手伝い、生地を様々な形にしたり、クッキーの生地を様々な形に切ったりする子供は、必ずしも粘土で遊ぶ必要はありません。(エールゲセル研究所のルイス・アメスは私達に、学校での「二次元的な」体験と違い、真の家庭での手作りは「三次元の教育」だと話してくれました。) けれども、以下に挙げる遊びは、天気が悪い日のための代替活動になるかもしれません。子供が1歳3か月くらいから始められるでしょう。または少なくとも子供が口に入れなくなってからです。けれども、5歳か6歳の子供のほうがもっと創造的にこれで遊ぶことができます。簡単で安く作れ、サランラップに包んで冷蔵庫に入れておけば何か月も保存できて、何度も何度も使えます。

  濃い液体の絵の具は家庭で作って、白髪染めやシャンプー容器からしぼり出して使うことができます。この絵の具はなかなか面白い道具です。1本の細い線として出てくるので、厚紙や発泡スチロール、紙の卵パックや紙皿などに描く事ができます。表面に変化をつけたいなら、櫛や古い歯ブラシ、爪楊枝も使えます。作品は1日くらい乾燥させて下さい。固くなって、表面が盛り上がり、光沢が出ます。

  描き終わっても乾いていない間にプリントすることもできます。吸収性のある紙、たとえば紙タオルや新聞紙の、字が印刷されていない部分、または、印刷されている部分を絵の上に注意深く置くのです。そして、手で優しくなでつけます。それから紙を取るとできあがりです。もともと使った絵の具の量によって幾つもできることもあります。

  以下はその材料です

 

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濃い液体絵の具

 

小麦粉 2カップ

砂糖 1/2カップ

塩 12カップ

湿っているか乾いているポスターペイント

または食品着色料

  小麦粉をふるって、砂糖と塩を混ぜる。それから水を少しずつ加えていき、泡立て器か調理用の大きなスプーンを使って、なめらかでケーキに使うバターくらいの堅さになるまでかき混ぜる。違う色をつけるために、小さなプラスチックのボールに別々に入れる。まず濃さを見るためにシャンプーの容器などに一つの色のペイントを少し入れる。ペイントが一筋になってうまく流れ出さない場合には、薄めたり、口の大きな容器を使うとよい。濃さがちょうどよくなったら、他の容器にも絵の具を満たし、描き始める。保存のためには、フタを取って洗い、容器の口にサランラップをかけ、それからフタをしっかり閉める。冷蔵庫に保存すること。再び使う前によく振って、サランラップとフタを取る。

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学習道具をうまく使う

  一本一本長さが異なる棒やストローは子供にとってチャレンジになります。手初めに10本使い、1センチの長さや、2センチ、3センチという具合に1本ずつその長さに切ります。子供に一番短いもの、一番長いものを見つけさせ、子供が使っている机やテーブルの両サイドにおきましょう。それから、その間に長さ順に並べさせるのです。

  古雑誌やカタログから写真を切り抜くのは、子供にとって目を疲れさせる細かい仕事ですが、時にはバラエティーのためによいでしょう。その写真はスクラップブックやカードを作るのに使ったり、コラージュでゴミ箱を飾ったり、ポスターにすることもできます。

  ビーズや糸巻きやマカロニ(多分、野菜染料で染めたもの)は、子供の筋肉の協調運動を発達させるのに役に立ちます。

  特に子供が何らかの理由で家の中にいなくてはいけなかったり、静かにしていなくてはいけないなら、物を分類させることは子供の注意をひきます。種類別に分けなくてはいけない釘やネジ、ボルト、ナッツ、ボタン、豆があるなら、そういう時こそ子供にやらせるチャンスです。

  色を塗った棒や爪楊枝でも、子供はしばらく夢中になります。そして色について学んだり、目と手の協調運動の発達を助け、想像力も育みます。じゅうたんの上か、テーブルの上においてある四角いフエルトの上に棒で幾何学模様やその他の形を作ったり、人、動物、家を作らせることもできます。フエルトは使っていない時に棒を中に入れて巻いたり、たたむためにも使えます。

  5歳や6歳の子供は書くことはほんの少しにとどめるべきです。けれども、自分の名前や好きな名前や言葉を書きたがることがよくあります。それを教えることに何の害もありませんが、筋肉を使ったり目を疲れさせる細かい仕事は一度に15分か20分以上させないよう改めて警告します。

 

作曲する

  あなたの5歳か6歳の子供か、あなたが世話しているそれらくらいの年の子供が調子を外さないで歌うことができなかったり、歌うというよりは抑揚のない声で話す感じになってしまう場合、幾つか方法があります。

  レコードやあなたから簡単にまねられるような聞き慣れた音を子供に言わせなさい。たとえ調子外れでもその事を指摘してはいけません。ウーウーとサイレンの音を出させ、低い音域から徐々に音を高くしていきましょう。家の外で風がヒューヒュー鳴る音や、フクロウがホーホー鳴く声、鳥の鳴き声を言わせて下さい。これをゲームとして繰り返してやりましょう。子供は頭と心の中で「その音を感じ」、高い音と低い音の違いを区別できるようになります。また、あなたが言うオーやアーやラーというような単音を同じように子供が言う「エコー」ゲームをしましょう。高い音にはうんと背伸びをし、低い音はしゃがみこみましょう。それから子供にも音を出させて、あなたがそれを繰り返すのです。それから、子供が聴き取り、まねをする能力が増すにつれ、いっぺんに二つか三つかさらに多くの音に進みましょう。このような訓練を正式な授業の形でするよりは、あなたが手を使って仕事している時や車を運転している時、歩いている時など、このゲームを同時にできるような行動をしている時に行うほうが子供もあなたも楽しめるでしょう。

  どこでも気楽に歌いましょう。働いている時でも、遊んでいる時でも構いません。叙情的で明確な女の人の声が最良の手本であることがよくあります。それは大人の男性の声よりも子供のピッチに近いからです。シンプルで子供らしい歌を選び、しっかり学べるくらいよく繰り返して下さい。

  絶対に子供に無理に大声で歌うように求めたり、それをするのを許したりしてはいけません。子供にわめかせたり、大声で歌わせると、声帯を傷つけることがあるからです。特に幼い子供は要注意です。自然で、はっきりしていて、旋律的に歌えるようになることがゴールです。

  子供が自分で音楽を作るよう励まして下さい。聞き慣れた歌に新しい歌詞を付け加えたり、自分が経験した事について自分でメロディーをつけたり、何かリズミカルな動作をつけるかもしれません。家族と一緒に歌うチャンスをできるだけ沢山あげて下さい。

  あなたの小さなミュージシャンのために、お気にいりの歌を集めたスクラップブックを作らせましょう。一つ一つの歌に絵も描かせて。歌詞がなくとも絵があれば十分です。いろいろな楽器について学べる機会も作りましょう。どんな外見をしているかや、どんな音が出るのかを知る機会を。

  様々な音楽のリズムに合わせて創造力豊かに反応するよう助けましょう。手を叩いたり、行進したり、つま先で歩いたり、馬のように駆け足したり、樹のようにそよいだり、鳥のようにちょこちょこ跳ねたり飛んだりする事もできます。ゆっくり歩いたり、息がきれるくらい早足で行進したり、円を描いて歩いたり、ジグザグに歩いたりするのです。腕の動きも試してみて下さい。ぐにゃぐにゃと振り回したり、まっすぐ堅く動かしたり、上げたり、下げたり、曲げたり、まっすぐ伸ばしたりするのです。

  そして、大将ごっこ(大将のすることをまねる遊び)のようにして、お手本のリズム通りに足を鳴らしたり、手をたたいたりするゲームをします。あなたがパチパチと手をたたくと、子供もパチパチと手をたたきます。そして、あなたがパチパチ、お休み、パチパチとすると、子供も同じパターンを繰り返すのです。すぐにあなたの相棒ミュージシャンはリズムをまねできるようになり、あなたも順番で子供のまねをします。

  子供にリズムのことをしっかり学んでほしいなら、初めのうちは、規則的なビートのある聞き慣れた音楽に合わせて楽器を使って下さい。ゆくゆくは子供に強調音符には拍手や「演奏」をさせ、その他には「お休み」や小さな音でさせることです。4分の3拍子の時には、演奏して、休んで、休んで、演奏して、休んで、休んでなどとします。そして、4分の4拍子には、1番目の拍子と3番目の拍子で演奏して、2と4で休むか音を小さくします。演奏して、休んで、演奏して、休んでなどとするのです。またピアニシモの時には小さく手をたたいたり、演奏し、フォルテシモの時には大きくします。

 

キッチンの研究室

  キッチンで学ぶ体験は限りがないほどです。料理やケーキ作りやその他の料理の準備によって、子供は音や味やにおいや手ざわりなどいろいろ学べます。子供を外に遊びに出したり、テレビを見させるよりも時間がかかるし、忍耐もいりますが、非常に大きな幸福感と満足感をもたらしますし、あなたと子供の人生をはるかに豊かなものとします。

 

  子供が一人でまたは最低限の監督によって作れるものを探しておきましょう。早い内に、幼い見習い料理人が家族のためのシンプルな料理を一つ計画したり、実際に作って満足感を覚えるように助けてあげましょう。よく訓練された6歳の子供なら、よくそういうことができるものですし、5歳児でもやれることがあります。あなたがお客さんをもてなしている間に、子供は食事の支度を手伝ったり給仕したりできるよう、その方法を子供に教えて下さい。子供は買い物も助けられます。子供に絵を描くか雑誌の写真を切り抜くかさせて、絵か写真の買い物リストを作らせると、子供は自分自身の買い物リストを「読む」こともできます。

  あなたがすでに確立している協力の精神や従順の習慣は、そのようなキッチンでの学習に大いに役立つ事でしょう。子供をしっかり監督するだけでなく、子供に安全の規則も必ず教えましょう。5歳か6歳の子供は包丁その他の幾分危険な器具を使う事もできるようになるでしょう。(編集者:しっかり監督する事!)こぼしたり壊したりすることも考慮に入れておく必要がありますが、忍耐を持って下さい。ローマと同様、技能は一日にして成らずです。

 

創造力豊かな小さな人間たち

  小犬は好奇心旺盛ですが、幼い子供も同じです。親であるあなたには、その性質を刺激する力も、もみ消してしまう力もあります。だから、あなたがどのようにその力を行使するかが、どれだけ創造性ある子供に育つかを決定するのです。好奇心の強い子供はそれほど強くない子供よりも、創造力豊かな子供になる場合が多いといえます。子供が探検願望を現すようになった時から、現実的で安全な方法でそれを満足させる機会をできるだけ沢山与えるべきです。

  あまりにも早い時期に情報を沢山教えすぎると、特に、機械的な暗記によって覚えることばかり詰め込むなら、子供が経験や観察を通して事実を発見する機会を奪ってしまい、子供の好奇心を制限することになりかねません。子供は自分で多くのことを発見する必要があります。じかに経験し、実際に目に見える物を探求する必要があるのです。子供はまず自分で観察してみて、しっかり理解できるのです。その意味でテレビは子供に大きなダメージを与えます。テレビが子供に何かを教えることはあるものの、それでもたいていは、子供が自分のまわりを活発に探ることを妨げてしまいます。これは特に理科や算数の分野において真実です。そうした科目には、事実だけでなく、考えること、理解することも含まれるからです。幼児期には、ただ教えることよりも、何かを作り出すことに強調をおくべきです。

  一般の学校は創造性の芽を摘み取ってしまう傾向があります。なぜなら、一人の先生が受け持つ生徒の人数が大変多いために、生徒一人一人の興味に沿った指導ができないからです。

  家庭が普通の学校環境にまさるもう一つの点は、子供は、小人数の時や、大人と二人きりの時のほうが質問しやすいということです。子供に大人に質問するよう励まし、あなたのほうからも質問してみて下さい。ただ、単に機械的な答えしか要さない質問ばかりしないよう注意して下さい。むしろ、考えるきっかけとなり、問題に対する解決策を探し出すことが必要とされるような質問をして下さい。

  子供の学習は必ずしも決まったスピードで進められると限りません。びっくりするほど速く学ぶ場合もあれば、長い間あまり学ばない場合もあるでしょう。

  もしも子供が、空想を働かせるゲームを考え出したり、自分の思いついたことを実験するといったことをあまりしていないなら、それはたいてい、テレビ−−子供の想像力を殺してしまう事がすでに証明されています−−か、旅行か授業の過密スケジュール、あるいは遊び相手が多すぎること、そのいずれかの理由で、いつも他から面白そうなことを提供してもらっているからかもしれません。

  一般に、一人きりか親とだけ過ごす時間が多い子供ほど、創造力豊かです。天才とは、子供の頃に親と暖かい接触を持つことと、十分な時間を一人で過ごすこと、この両方が溶け合った産物です。

  アクティビティーは子供のためにではなく、子供自身によって考え出されるべきです。子供は、面白いアクティビティーを考え出すのに、自分の発明の才を使う必要があります。親はただ、子供からの協力を促すような雰囲気にし、いつでも子供がその場の思いつきで何かを作ったり、遊んだりできるように必要な物を揃えておけばよいのです。必要な物と言っても、私達のほとんどがガラクタと呼ぶようなものですが。つまり、いろいろな種類の箱や木切れやその他の原料や道具などです。子供はたいてい、そのように幾らか粗く、安価な道具−−釘や板や缶や石や砂−−に夢中になりますし、店で買ったおもちゃよりもはるかに子供の創造力を育みます。すでにこまごました所までできあがっていて、一つの目的にしか使えないおもちゃは、想像力を制限してしまいます。最善のおもちゃとは、どちらかと言えばシンプルで、子供の想像力に合わせて様々な使いかたがあるものです。

  ある日の午後、私達は幼い息子が一人いるある夫婦を訪問して感心しました。父からほんの少し助けてもらっただけで、その子は中に仕切りのある平たい大きな箱を作り、それを「動物園」と呼びました。それから、シリアルの箱からプラスチックの動物をいろいろ出してきて、大人の客が来ている間、友達と一緒に静かに部屋の片すみで1時間かそれ以上遊んでいました。別の家庭では、そこの手作りの人形の家に感心しました。ドレープのカーテンがついている立派なもので、そこの小さな女の子と姉が作ったものでした。ある家庭では「町」を作っていました。小さな厚紙の箱を集めて、それに建物の絵を描き、「通り」にはプラスチックの車が何台か通れるようになっていました。そのような遊びは特に天気が悪くて子供達があまり外にいられない時に良いものです。

  ほぼ例外なく、テレビの作り話や市販のおもちゃは子供の自然の発達を遅らせてしまうようです。用途が限られているのです。あなた自身の人生に起こった話、庭、金づち、釘、いらない木切れも、子供の想像力と組み合わさると、ちゃんとした農場や美しい城ができあがります。

  大人の服を着てみたり、椅子を並べて列車を作ったり、それに毛布をかけてテントや家を作ったり、お店屋さんごっこをしたり、お家ごっこをしたり、大人の行動をまねしたりすることで、子供は発明の才能を発揮することができます。

  家庭にはある程度の秩序や整頓された状態が絶対に必要であるものの、子供が寝る前などにいつもいつもすべてを片付けてしまわなくともよい場所があるとよいでしょう。裁縫をする母親や木工仕事をする父親は、また始める時にすぐ手がつけられるよう、仕事をやめる時に片付けないでおくのを好むものです。何かに取り組んでいる子供、例えば鉄道やおもちゃを作っている子供も同じことかもしれません。継続して取り組む事によって、自分の「仕事」に対する忍耐強さや集中力を学ぶことでしょう。

 

話す能力を伸ばす

  たとえ幼い子供が6歳になる頃にはかなりよく言葉を知っていても、子供が聞いたり使ったりする多くの言葉の意味を完全に理解しているとは限りません。たいていは、一つの言葉に対して文字通りの一つの意味しか知りません。例えば、痛いという言葉はわかっていても心が痛いとはどういう意味か知らないかもしれませんし、重いという言葉はわかっていても、頭が重いとなると意味がよくわからないかもしれません。

  幼い子供は殆どみんな、普通に話す際に、同じ音や言葉を沢山繰り返します。自分の考えを自由に表現できるほど十分に言葉を知らないのです。特に自分の見た事やした事で興奮している時にはそうです。また、話している相手が興味を示さないか、話に集中していないか、考え事をしていると、それがますます助長されるようです。

  重度のどもりは神経的な言語障害で、舌がもつれるとか、口蓋裂といった実際の外的障害とは別個のものです。そのような神経的な障害は、あなたも含めて誰の神経にもさわらないようなシンプルで静かで落ち着いた環境を作るよう努力する事で防げます。たいてい、私達は自分のペースやプレッシャーを調節することができるのだから、家庭では、いつでもどこでも、できるだけ衝突や緊張がないようにして下さい。

  たいていの言語障害は、失読症や意欲の欠如といったその他の適応障害と同じ原因からきていることが多いようです。子供があなたに特に伝えたいことがある場合には、十分時間と関心を払ってあげるようにして下さい。あなたが代わりに話を終わらせてしまってはいけません。どんな場合でも、子供の言語の問題に不必要に他の人の注意をひいたり、子供の前でその事について誰かと話してはいけません。普通、時間をかけることと、プレッシャーや心配や批判を避ける事によって、この障害から脱するのが可能になるのです。(編集者:それに主と祈りによって。)

  話す能力を発達させるには、リラックスする事と適切な呼吸が大切です。家庭で状況が幾らか緊張してきたか、手に余るようになってきたら、あなたも子供も床に座って、漂うふりをするよう提案して下さい。しばらく目を閉じて、自分が静かなプールを漂っているふりをするのです。

  子供が何かの音を出すのに苦労するなら、さりげなくその音を重点的に発音させる方法を考えて下さい。例えば、「は」を発音するためにハックション、「ら」にはラララ、「し」にはシーッなどといった言葉を使わせるのです。場合によっては口の形を実演してみせる必要があることもあります。

 

特別な学習

  子供に詩を読んであげて、韻を踏んでいる言葉を探させたりすることで、聴き分ける能力を伸ばすこともできます。または、あなたが提案する言葉と同じ韻を踏む言葉を探させてもよいでしょう。たとえば「おか」(さか、しか、ゆか等)や「バット」(ポット、ヨット、ネット等)です。また聴く能力ものばし、同じ音で始まる言葉を言えるべきです。たとえばくま(くり、くし、くさ等)。これを乗り物に乗っている時や歩いている時、書いている時、休んでいる時、またはいつもの手を使う仕事をしている時にするゲームにもできます。

  人や物や生き物を、形や色、大きさその他の特徴を言って描写するのを学ぶのは、言葉数を増やし、話す能力を伸ばす練習として最適です。子供とあなたの間のクイズにして下さい。「私が考えているのは何か小さなものよ。」(または大きいとか、緑だとか、赤だとか、柔らかだとか、ざらざらしているとか、きれいとか、汚い等)

  子供に良きもてなし手となるよう教えて下さい。立派に家族の自己紹介をしたり、相手の自己紹介に正しく反応したりする練習をさせて下さい。子供が最初に年上の人の名前を言い、それから年の若い順に移っていき、名前をはっきり発音するという事を学ぶまで、お客さんごっこをしましょう。あなたから促されなくとも、子供がほほ笑んで握手をするように−−堅く、しかし乱暴でなく−−励ましてあげて下さい。勿論、あなた自身が客を暖かくもてなすのを子供が見る事も、最も実用的で有意義な指導の内に入ります。他の人の事を思いやる練習は、子供の引っ込み思案の最善の治療法です。引っ込み思案なのは普通、自意識過剰によるもので、それがそのまま許されて進展するなら、利己的な性格になるかもしれません。

 

子供達の目標を広げる

  様々な動物のいる農場を訪ねるか、特定の種類の動物のいる農場、例えば、酪農農家や、養鶏場、果樹園、野菜農場、穀物農場を訪ねましょう。都会の子供の中には、自分達の食べ物がどこから来るのかほとんど知らない子供もいますから。

  あなたのいる地域で、家がどのように建てられているかを観察するなら、子供達は、電線によって家に電気や電話が引かれることを知ります。子供達に、暖房設備から送風管がいろいろ通じているのや、水道の蛇口に通じるパイプ、また、石油やガスを暖房に送っているパイプなどを見せて下さい。それから、自分の家やアパートの中についてできるだけ沢山見せてあげるといいでしょう。電気のメーターとか、ヒューズの箱、目に見えるあらゆるワイヤー、パイプ、通風口や暖房をです。

  郵便局や消防署、警察署、市役所、地元の車整備工場やパン屋、製造工場を時折見学するのも、子供の地域社会への理解を深めることになります。なるべく父親の方がこれらの見学の教師になることを願います。5歳児や6歳児にあうよう入念にし、教育的体験としましょう。

  子供がまだ図書館に行った事がないなら、定期的に行き始めましょう。チャンスがあれば、多分休日か休暇、または休日の家族揃っての外出の時に、動物園や水族館、自然生活博物館、その他の特別な展示物を見に行ってはどうでしょうか。空港や、鉄道やバスの終着駅も見逃してはいけません。

  子供がスーパーマーケットに行ったことがあるのは間違いないでしょう。けれども、それを子供が直接参加して、何か学べる機会としてあげましたか? 買い物には、栄養のバランスの計画、金銭管理、製品の質の選択、量についての選択などが含まれます。このような頭の中で行なう技能をあなたは長年に渡って習得してきましたが、あまりにも複雑だから分析したことはないかもしれません。就学前の子供には理解できないと思っても、それでも説明してやって下さい。食べ物の価値について話し合い、子供にもできるだけ手伝いをさせるのです。

  キャンピングもこの年齢の子供が特に楽しむ家族揃っての素晴らしいアクティビティーです。計画、準備、キャンプでの仕事に、幼い子供にも参加させましょう。コンパスを使って、簡単な地図を読みながらハイキング道を進むことを教え、子供にも責任を与えましょう。木や植物や流れや鳥や動物を観察しましょう。子供にあなたに「教える」ように求めて下さい。実際に教えてくれることがよくあります。野性での家や家族の習慣について学び、自分の家での生活習慣と比べましょう。説明し、手本を見せることで、天然資源を守ることの必要性と価値を教えて下さい。子供にキャンプファイアーの正しい消し方や、来た時よりもキャンプ場をきれいにして去ることを教えましょう。

 

道徳観をもった子供にする

  子供が一貫して論理的に考えられるようになる−−7歳の終わりから11歳の半ばの間にそうなります−−までは、まわりにいる人達の特徴を自分もまねする傾向があります。子供が、協調や親切やその他の社会的によく受け入れられている振る舞いを身につけるための最善の方法は、その手本を子供に示し、子供達もそうした振る舞いをするようにと願っている人々のまねをすることです。

  親は権威を持ち、子供が善悪を正しく判断するのを助けてやらなくてはいけません。子供は、他の人の権利や気持ちを思いやることや、自分のした行動がどんな結果を生むかを学ぶ必要があります。まずは、どちらも容認できる二つの選択の内から一つを選ぶことを通して、決断を下すのを許されるべきです。子供には、方針に基づいて、できるだけ素早く自分で考え、行動する機会を、できる限り与えるべきです。けれども普通は9歳か10歳、11歳になるまでは、自分に課せられた規則の意味やその理由が完全にはわかっていません。それくらいの年になって初めて、それらの規則の根本となる原則について理解できるようになるのです。

  健全な信仰の土台を持っているなら、性格や道徳観は最も安定した基盤をもつことになります。幼い内から、愛情深いイエス・キリストについて教えることができます。しかし、善行をして天国に行くことを教えるのではなく、天の父が最善と知っておられることを行うことで、父の愛に帰ることを教えるべきです。

  仕事というのは、良い性格を築くのにとりわけ貴重なアクティビティです。子供は、責任を受けもって、落胆した時でさえも放棄しないことを学びます。怠惰でいることや、遊んでばかりいることとは正反対に、余って仕方のないエネルギーを役に立つ方向に向けさせ、体と思考を益となることで忙しくすることになるので、否定的なアクティビティを行う時間も傾向もほとんどなくなります。思考がますます清められ、計画を立てる事で知性も養われ、思慮深さや勤勉さや責任感が備わり、頼りになる存在となってきます。たいていの子供達は親が求めるよりもはるかに多くの仕事ができ、はるかに多くの責任を負えるものです。

 

TVの誘惑

  TVに出てくる暴力が、子供の反社会的な行動の原因となっていることは明らかになっています。子供達は見るもの、聞くものを吸収し、まねします。そして、自分達が見た乱暴な行為を部分的に、または全体的に行うのです。

  たとえ子供達に暴力シーンを見せないでいても、テレビというのは現実の生活から子供を遠ざけ、子供の対人関係に明らかに否定的な効果をもたらします。子供が論理的に考えたり、正常な日常生活に慣れる前に、大人が作り出した空想に子供を入りこませ、浅はかで、非常識で、芝居めいたシーンばかり見せるなら、子供の価値観を正しく形成すべき時期にかえって歪めてしまうのです。私達はすでにおとぎ話を読むことの無駄を述べました。中には、実際に大勢の子供に恐怖心を植えつけてしまうものもあります。

  テレビは建設的な仕事や遊びを奪い、受け身になることを教え、創造力を奪い、学習していく時に忍耐のない子供になってしまいます。ショービジネスの小細工や娯楽を提供しながら、実は多大の害を与えている番組を見た子供は、ほんの少しの努力や自制心しか必要としない仕事を頼まれても、さっさと断りがちです。「セサミストリート」のような「教育番組」でさえも、一つのテーマにめまぐるしい変化があるので、子供の集中力をかえって弱めることになります。

  子供はものすごくうぶで、見るもの、聞くもの、ほとんど何でも信じるので、コマーシャルのせいで多くの物を無駄にほしがったり、危険でさえある願望を抱くようになります。最近ある著名な栄養医学専門家は、TVで盛んに宣伝されている朝食用食料については、箱の中身よりも、外箱を食べてしまったほうがもっと栄養があると、真剣に語っています。

  こう尋ねる人がいるかもしれません。「子供は実生活で起こっていることを知る必要があると思いませんか?」 このような質問に、私達は即座に、確かに子供はゆくゆくはこの世の人生の現実に直面しなくてはいけないと答えます。しかし、すべてのことには適した時と場所というものがあります。子供が自分で論理的に考えられるようになるまでは、幼い子供を、不必要な悪影響から遠ざけておくべきです。「世間で起こっていること」を知るために、子供がわざわざ麻薬や飲酒、殺人、強姦、強盗その他の暴力に直接かかわる必要はありません。

 

論理的に考え始める7歳、8歳、9歳

 

学ぶための材料

  子供は生まれた瞬間から、見るもの、聞くもの、味、におい、手触りをどんどん学びながら、自分の住む世界を発見していきます。

  どんなに子供が賢くても、感覚の成長具合が子供の学習能力を左右します。けれどもこの国の現代の教育基準は、大半の幼い子供の知覚能力の限界をはるかに上回っているために、落第や中退、非行、犯罪の率が非常に高くなっています。感覚、つまり聴覚、視覚、味覚、触覚、臭覚が、能率的な正規の学習に要する成熟度に達するには、7歳の終わりから8歳、または9歳、時には10歳までかかるようです。

 

論理的に考えられるようになる

  スイスの心理学者、故ジーン・ピアジェは、子供がどのように考えるかについて非常に興味深く、重要な発見を幾つかしました。ピアジェの研究結果は多くの研究者によって調査され、真実であることがわかっています。

  ピアジェは、論理的思考をする能力度は、ある特定の物理の法則を理解することができるか否かによってわかると結論づけました。その法則とは、置き方や形が変わっても、重量は不変であるという法則です。この法則を理解し始める年齢は、大体、7歳か、8歳から12歳までの間です。

  そのような論理的に判断する能力を計る実験には、様々な種類があります。例えば、4歳の子供には誰にでも次の実験をすることができます。子供の目の前で、形もサイズも同じ背の低い厚めの二つのコップに同じ高さまで水を入れます。子供に、どちらにも同じ量の水が入っているかどうか尋ねましょう。もちろん子供は、そうだと言うことでしょう。それから、子供が見ている前で、一方のコップの水を背の高い薄めのコップに注ぎます。それからこのどちらにも同じ量の水が入っているかどうかを尋ねるのです。5歳か6歳の子供はよく、背の高いコップのほうにもっと水が入っていると言います。(そちらのほうが背が高いからです。) しかし、7歳か8歳の子供はたいてい、形に関係なく、同じ量の水が入っていると言います。

  後で私達はこれと似たようなピアジェ式の実験を行いました。10個の硬貨(キャンデーでも、豆でも、その他何でも都合のよい物)を積み重ねた山を二つ作ります。私達は5歳の子供に両方の山を数えて、どちらにも10個あるのを確認させました。それから、一つの山をこわして、硬貨を20センチくらいの長さに一列に並べ、もう片方はそのままにしておきました。二つとも同じ数の硬貨があるかと子供に尋ねると、子供は、「ううん、積み重ねたのより、一列にしたののほうが沢山ある」と答えたのです。

  私達はもう一つ試してみることにしました。今度は、価値観を伴う、子供の動機や理由の理解度を試す物語です。私達は子供達に、4歳のジミーとその姉スーについて話しました。野菜を食べるまではデザートを出してくれない母親に腹を立てたジミーは、怒ってコップを床にたたきつけました。スーは母親をかわいそうに思い、破片を拾おうとかがみました。するとその拍子に誤って4個のコップを床に落としてしまいました。誰が一番悪い子だったでしょうか。ジミーでしょうか、それともスーでしょうか。すると5歳の子供はすぐに、「スー」と答えました。「なぜ?」 「だって一番沢山こわしたから。」

  以上は幼い子供の論理的な判断能力の簡単な例ですが、これらから、どうして親がなぜかを説明しても子供が満足しないことがよくあるかがよくわかります。だからと言って、5歳の子供にはどうして何かをすべきでないかを説明しなくてもよいというわけではありません。例えば、道路に出たり、近所の家の車庫の屋根に登ってはいけないことについて。私達は子供が原因とその結果の関係、つまり原因と起こり得る結果について理解できるよう助ける努力をしなくてはいけません。私達は子供の論理的な判断能力をのばすような経験を与えてやるべきです。けれども、私達は子供の限界をよく知り、大人並みの能力を期待してはいけません。

 

競争意識の問題

  水中で時間や距離を競い合うのは子供達がよくやることですが、それは特に危険です。ドロシーが溺れていた男の子を助けた時のことを私達は思い出します。その子供は比較的浅いプールの水面下を泳ぐことにしました。深呼吸を数回した後で、もぐりました。ドロシーはその子供とスピードを合わせながら、水面を泳いでいました。突然、ドロシーはその子供があおむけになり、泳ぐのをやめたのに気がつきました。口からは泡が出ています。事態の深刻さがよく飲み込めていなかったドロシーは、その子供の楽しみを奪ってしまうのもいやだったのですが、とにかく子供をプールからあげました。すると、子供の顔は真っ青になっていたのです。そして、新鮮な空気を吸って、すぐに回復したのでした。後でわかったことですが、これは決して珍しいケースではありません。呼吸昂進、つまり呼吸過多によって体に化学変化が起こり、呼吸しなくてはという気持ちが減退します。泳いでいる人は呼吸する必要を感じる前に血液中の酸素が低下してしまい、知らないままに意識を失うのです。監視員のいるプールでもこのような事故がたくさん起こっています。というのも、無意識のまま泳ぎ続けることがあり、それも水面下のため、誰も異常に気がつかないからです。

 

次は何か?

  子供達は自分で発見する方法によって一番よく学びます。何かをしたり、実験したり、観察したり、まねしたりという具合に。それも軽く一度やるのではなく、繰り返しやる事によってです。

  一般に、子供は本を読むことによって一番多くの情報を得て、学ぶと考えがちです。本で学ぶことは確かに価値がある時もありますが、字を一生懸命読まなくとも蓄えられる知識はどっさりとあるのです。読みを覚えることにばかり力を入れすぎないなら、他の知的成長がそれによって妨げられることも少なくなります。

  子供に簡単な地図に従ったり、自分で地図を作成する練習をさせましょう。これには、右と左、東西南北を知り、子供がよく知っている場所を誰かが探している時にそれを教えてあげられる能力を持つことも含まれます。あなたが運転する時には、「ナビゲーター」(運転者に道を教える人)になってもらいましょう。また地球儀に親しませ、大陸や海洋、最近の出来事に関する場所や、家族が興味を持っている場所などを教えましょう。

 

あなたの生きた教科書

  自然は常に、子供の好奇心と喜びの源です。散歩や遠足は絶好の活動です。つぼみや花や岩は子供の興味をそそります。そして、無理矢理にではなく、あなたも興味を示し、励ますことによって、その興味を大きくかきたてるのはあなたの責任です。これは、子供と楽しみ、子供の学習意欲をかきたてるためです。あなたと子供が一緒に色々な発見をしていく内に、子供は自然と学んでいくのです。

  それぞれの日付の箱に空白がある大きなカレンダーがあるなら、それをお天気カレンダーにしたらいいでしょう。または、あなたと子供で、天気が記録できるような−−たいていは小さな天気のしるしを手でかく−−カレンダーを作ることもできます。あなたが雲の種類や、太陽を書いたり、雨の日はブーツと傘や、雨のしずくや、稲妻を表すジグザグの線をかくのもよいでしょう。天気について話す時には、霧や霧雨、かすみ、ひょう、みぞれなど具体的な言葉を使いましょう。平たい鍋などで、雨量を計るための簡単な雨量計を作ることもできます。歩道の水たまりがどうなるかを観察して、蒸発について教えましょう。多分、道や屋根から湯気がたちのぼるのも見えることでしょう。また、日没の時間を記録して、日が長くなっているか、短くなっているかを知るのです。

  また温度を記録することもできます。天気予報によって、どんな服を着るか計画したり、実際にその予報があたるかどうか見る事もできます。

  簡単な天文学の勉強も7歳から8歳の子供達になかなか適しています。月の相を観察したり、星座を見分けるのです。地球と太陽の動きを観察し、どのように季節の変化をもたらしているかを学習しましょう。また、季節が木や野性の生き物にもたらす影響を教えたり、観察することもできます。一日の様々な時間の影の長さも計りましょう。

  現在あなたの手元にある簡単な事柄から始めるので十分です。子供向けの本はどっさりあります。ただし、子供には正確な事柄を教えるのが非常に大切です。

  自然学習のための道具は普通、あなたのいる場所や、家庭の興味によって異なります。揃える必要のある精密機器と言えば、それほど高価でない双眼鏡や小さな天体望遠鏡くらいのものです。普通の良質の拡大鏡があれば、見慣れた物体が、全く新しいエキサイティングなものに見えます。

  そしてチャンスがあればの話ですが、熱帯や亜熱帯の海の中を見るのは、驚異と興奮をもたらします。普通のシュノーケルか、自家製の防水箱か缶を使ったらいいでしょう。これは、底がガラスになっていて、下の部分を浅い磯につけて、水中の庭や魚やサンゴを見るのです。

 

特別なペット

  大勢の大人にとってはミミズは特に興味をひかれる生き物とは言えませんが、子供は心ひかれます。もしミミズの飼育場を子供と一緒に作って、ミミズが土を耕して、植物の成長に貢献しているのを観察するなら、ミミズの運動もかなり貴重なものに思えることでしょう。大きな容器に種類の違う土や砂の層を幾重も重ねます。土の表面には、草の種をまいて、そこを冷たく、湿った状態に保ちましょう。ミミズは暗い所が好きで、暗い所で働くので、容器の半分を黒い布か紙でおおいましょう。10匹のミミズを中に入れてしまう前に、ミミズがどのように動くか観察し、触れてみます。時折、ほんの少しの間だけ黒い紙をどけて、ミミズの働き方や生活の様子を見ましょう。容器の中の土の層をどのように変えるかも観察します。

  すべての子供が蝶の一生を観察する経験をすべきです。自然の中を散歩する時に数枚の葉と1匹か2匹の幼虫を見つけましょう。それから、ビンをガーゼか網でおおって、口のまわりをゴムでとめます。さなぎになるまで、新鮮な葉をやってよく養いましょう。それからは忍耐が肝心です。蝶が出てくるまで、忍耐強く待ち、観察し、出てきたら、自由にしてやるのです。起こっている過程を絵や写真で記録していくと楽しいという人達もいます。

  そして都会でさえも、鳥のエサ台をつけるようにしましょう。特に冬は最適です。エサ台は、ミルクのパックで作り、片側を切り、木に吊り下げます。羽根のはえた友達をもっと細かく観察するために双眼鏡を手元に置いておきましょう。また、見慣れない鳥や新しい訪問客の種類を知るための鳥の本も。

 

エコノミー・ガーデン

  庭仕事は7歳や8歳、9歳の子供の学習活動として非常に価値があります。天候の関係で、または庭がないなどの理由で屋外での庭仕事ができないなら、窓際などにプランターなどをおいてはどうでしょう。

 

体について学ぶ

  骨の名前や、それがどのように組み合わさって骨格を構成しているかを子供に学ばせるとよいでしょう。食べた食べ物が体内でどうなるのかも学べます。胃がどんなものかを風船を使って教え、腸はロープか長くて柔らかいホースを使って教えましょう。筋肉の作用の仕方を示すにはゴムバンドが役に立ち、肺はスポンジが良いでしょう。もっとも肺はほとんどが水ではなく空気に浸っていると説明しなくてはいけませんが。自転車用の空気ポンプやガソリンスタンドにある空気コンプレッサーで、心臓のポンプ運動を実演することもできます。子供に、自分の、あるいはあなたの脈拍数をどうやて計るかを教えて下さい。そして休んでいる時と、走った後の脈拍数を計るのです。両者を比較させ、また、1分毎の子供とあなたの呼吸数も調べさせましょう。また、簡単な応急処置法も教えてはどうでしょうか。

  スタンプ台を使い、親指の指紋を紙かカードの上に押してみましょう。そして、それを拡大鏡で観察して下さい。これを使って、子供がどれだけ特別な存在なのかを理解するよう助け、子供と同じ指紋の人間はこの世に誰もいないことを教えましょう。子供の外見の違いや物事の仕方や考え方は、全く独自のものであって、家族や神にとって非常に貴重な存在であることを。子供に好きなだけ、指紋を使った絵を作らせたりしましょう。

 

仕事の崇高さ

  残念なことに人間は、仕事の時間や仕事に要するエネルギーの量を減らす方法を発見してしまいました。その余った時間をスポーツや娯楽にあてるようになったのですが、その多くは、さほど活発に体を動かすわけではありません。産業の発達や大量生産の教育制度によって手を使う事が減り、頭を使ってする事が増えました。この偏ったバランスが私達の社会の質をひどく低下させてしまったのです。手を使ってする仕事は、情緒的に安定する為に欠かせない事が証明されています。

  手を使う能力が発達するにつれ、精神的能力もそれに比例して発達するというのは、不思議なことですが、事実として認められています。

  あなたの小さな働き手が7歳、8歳、9歳になる頃にはかなり熟練した助け手になっているはずです。その年齢の子供は、自分が家族というチームの大切な一員で、家庭でなされる必要な仕事に加われるという事を自覚すべきですし、また、その報酬として、責任という権威を与えてもらうべきです。子供は、働き過ぎになっていない限り、日頃から、助けとなる仕事をできるだけ忙しくしているべきです。たいていの場合、仕事をする時には片方か両方の親が一緒にいなくてはいけません。子供と共に仕事をすることの価値は計り知れないほどです。手を忙しく動かしながら、子供は、心の中を打ち明けたり、イライラの原因になっていることを話したり、現実に即した貴重な教訓について話し合うこともできます。このどれも、もっと堅苦しい設定ではあまりうまくいかないことでしょう。

  この年頃の男の子や女の子両方が学べる実用的な技能とは、自転車のタイヤ交換の仕方や、車のタイヤ交換、オイル交換、バッテリー液を入れること、また、安全についての注意を守ることです。バッテリーがあがった時でも緊急事態にエンジンをスタートさせるためのジャンパー線の取り付けの仕方を学ぶ子供もいます。また壊れた電気器具やランプや電気器具のプラグの修理や交換も学ぶことができます。また水がもれる蛇口やキーキー音をたてるドアの修理、銀食器や靴を磨いたり、服を繕ったり、洗ったり、アイロンをかけることも学べます。

 

出納係

  算数は小数や分数も含めて、ただ実際の物を記号で表しただけです。子供が最初にキッチンや庭での仕事や実際にお金を扱うことを通して、分けたり、計ったりする知識を学んだなら、学校の算数にもたいして苦労しません。

 

他の人達のために生きる

  私達は、子供達が自分達ほど恵まれていない人達を助ける機会を持つべきだと強く感じます。助けの必要な人達に奉仕することは、子供達が自己中心的になるのを防ぎ、満足感と喜びを覚えさせます。毎日他の人達を思いやるというあなたの手本と実際の行動に従うことで、他の人達に親切にし、思いやりを持ち、非利己的になることを学ぶでしょう。

  庭があるなら、そこでとれた物をあげる事もできるでしょう。それについて計画を立てたり、実際にそれを贈る際には、子供も必ず参加させましょう。一緒にキッチンで作った物も他の人達におすそわけすることができます。子供を病院や孤児院の訪問などに連れて行きましょう。

 

  病気の子供や足の悪い子供のために何かを作ったり、買ったりさせ、すでにあなたの子供が持っている物があれば、それを譲ってあげるようにするのです。また老人達はよく、励ましてもらったり、助けてもらうことを特に必要としています。家族がよく一緒に歌うなら、家に閉じこもりきりの人の所や、療養所、老齢者居住施設などに行って、何曲か歌う計画を立てましょう。そのような施設の責任者はたいていそこの孤独な人々に関心が注がれることを喜びます。

  幼い子供のことも忘れてはいけません。家庭内の小さな弟や妹でさえ助けや慰めを必要としていることがしばしばあります。子供が他の人の立場に立って考えるよう助けるために、幼い時は自分がどんなだったかや、それほど多くのことができなかったことを思い出すこともできるでしょう。そのような行為をあまり子供に押しつけ過ぎでもいけませんが、それでも互いを思いやることは家族の責任として重要です。

  他の人を思いやることには、約束を守ることや、自分が借りた物を返すこと、損害を与えたものは弁償することも含まれるということを話してきかせたり、その手本を見せることによって教えて下さい。この自己中心的な時代には、不作法や思いやりの欠如、さらには破壊行為が横行しています。このような社会の崩壊は、まずあなたの家庭からあなたと子供によってくつがえすことができます。

 

方針を学ぶ−−基本的な理由

  しつけの最初の段階をしっかり踏んできたのなら、7歳、8歳または9歳の子供は、方針にしたがって、つまり、どうして自分が何かの行動をするのかといった基本的な理由にしたがって、できるだけ自分なりの決断を下すようになるはずです。子供は自分で考えたり、自分で行動するという経験を沢山積んでいるべきです。筋肉と同様、子供の判断力も鍛えれば鍛えるほど成長するからです。あなたが首尾一貫しているなら、子供もあなたやその他の責任能力のある大人の豊かな経験に基づいた助言や判断を尊重するという知恵が備わるでしょう。

  子供があなたに問題について相談してきたり、何かの許可を求めてきたら、それを、子供に選択させるチャンスにして下さい。子供の代わりに自分が選択しようとしてはいけません。助言を与えようとするよりは、たくさん質問するようにすることです。そうやって理解のある態度を示すなら、子供はもっとあなたに相談しやすく感じ、もっと協力的になります。必要なら断固とした態度を取るのをためらってはいけません。子供は、自分のしている事を気遣うくらい自分を愛している親を望み、必要としているのです。長い目で見れば、子供はあなたの気遣っている事と一貫した態度を尊敬する事でしょう。親が首尾一貫した態度を取り、教育機関に頼らず訓練した事によって自立心と正しい価値観を身につけた子供は、「皆がしているから」と言う理由で簡単に同じ年令の子供達に追従してしまう事がないでしょう。

 

より良い生き方をするためにもっと考える

  以下は、普通、全粒粉を材料とするパンの方が白いパンよりも消化が良く、栄養があるという事がよくわかる実験です。子供に店で買った白いパン半切れと100%の全粒粉パンを半切れを渡して下さい。それぞれをボールのように丸めさせましょう。良質のものなら全粒粉パンは非常に細かく砕けますが、白いパンはゴムボールのようになります。それが胃の中でどうなるかを話しましょう。消化液はどちらをよく消化できるでしょうか。できれば、本物の麦の穂を手に入れ、白い小麦粉を作るには外皮とはい芽が取り除かれてしまう事を子供に教えましょう。

  通常精製の過程で取り除かれる米の外側の15%の部分に、実は一粒の米全体のビタミンとミネラルの98%が含まれています。手本によって子供に体に最良の食べ物を供給する事を教えましょう。毎回、白砂糖やその他の砂糖製品−−キャンデーや清涼飲料水や甘いロールケーキや砂糖入りシリアル、白い砂糖を体に取り入れる度に、それを消化するのに無機質が必要だという事を説明しましょう。そして子供に、無機質が食べ物の中に含まれていないなら、体内の無機質を奪う以外にそれを供給する方法があるだろうかと尋ねて下さい。生きる為に食べるのであって、食べる為に生きる事のないよう、子供を助けて下さい。

  幼い内に、子供に教え込んでおきたい別の方針は、アルコールは人の判断力を奪い、体の自由がきかなくし、脳の栄養や細胞を破壊してしまうので、危険な飲み物だということです。比較的幼い年令から絶対に飲まないという決断を下しておくことは、非常に目覚ましい結果を生みます。

  同様に喫煙の危険性も、教訓と手本によって教えるべきです。子供に自由な人間でいたいか、それとも麻薬の奴隷になりたいかを尋ねて下さい。子供が一生に渡る良き生活習慣を築くのを助けるために多くのことができるのは、この論理的に考え始める年頃からなのです。

  子供によくある問題の一つは睡眠不足です。子供には11時間か12時間の睡眠が必要で、体が必要とするものを十分取らないと、長期に渡って影響を被るということを子供は理解すべきです。寝ている時に体が成長し、筋肉や神経が発達し、エネルギーが蓄えられるということを子供が悟るなら、自分にとって最善のことをすることに興味を覚えるはずです。また夜の12時になる前に最も質の高い睡眠がとれるということも知っておく必要があります。

  この年頃では悪い姿勢になりやすいので、正しい姿勢で立ったり座ったりすることの大切さを子供が理解するよう助けましょう。自分が上からひもでつりあげられているかのように歩くよう提案して下さい。そうすれば、子供は背筋をしっかり伸ばし、背が高くなったかのように感じることでしょう。また、優雅で円滑な歩きかたができるよう、本を頭に乗せてバランスを取りながら歩かせて下さい。休息や睡眠の不足は悪い姿勢のもとになることを子供が理解するよう助けてあげて下さい。

 

正式な教科過程を始める前に

  子供が自分が住んでいる世界について本でさっと読んでしまう前に、その世界を見て、聞いて、におって、触って、味わわなくてはいけません。最初に実際的な経験をしてこなかったなら、生まれつきの能力を発揮する準備が十分できておらず、学習意欲も十分ではないでしょう。

  正式な教科過程を始めるずっと前からこの基礎的な学習において進歩するチャンスを与えられていないなら、子供がバランス良く成長することはありません。

  子供を助けるには、三つの原則が非常に重要です。それは、親の暖かい愛情、肉体労働、他の人達への奉仕です。(1)子供には暖かく、いつも一貫して反応してあげましょう。そうすれば自分が必要とされ、頼りにされていると感じます。(2)家の中や庭で子供と一緒に働き、子供に責任や勤勉さや整頓や信頼や自制心について教えましょう。(3)家族も含めて、他の人達のために、老いた人、若い人、病んだ人、貧しい人、恵まれない人のために何かをすることの報いを理解し、ありがたく思うように助けましょう。自分を人間として価値ある存在なのだと自覚させるのに、これ以上確実な方法はありません。性格療法も足元にも及ばないのです。

 

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私のもとにやってくる

これらの小さなことをさせて下さい。

つい忘れられがちな

小さな目立たないことを。

老いた人がよりかかる杖、

弱き者を助ける強い手、

慰めを求める人に開かれる

愛でいっぱいの心を持てますように。

人が何をしようと、何を言おうとも

きつい言葉は口から出さず、

かえって優しい言葉を言い、

人を厳しく裁いたりしませんように。

他の人の重荷を共に負って軽くしてあげ、

言葉や励ましによって

倒れた兄弟を助け起こし、

天により近く導けますように。

主のように、私が自分を

愛する人達のために捧げるなら

豊かな喜びと安らぎが訪れます、

そして天での甘い休息が。

いつこの人生に

終わりが来るか知らないけれど

人生の晩鐘が鳴る時も

主が見守られる中、

私が小さなことをしていますように。