RR582

 

自分で子供を教えなさい

−−望ましい教育法

−−ジョン・ホルト著

 

ホームスクーリングを実施している人達

 

子供の興味に沿って教える

  アート・ハリスは、二人の息子が学校に行かずに、独自の方法で学んでいることについてこう書いてきました。

 

  「ただそれらしく見せるために、学校が指定したアドバイザーから退屈な教科書や読本を何冊か借りましたが、私達はそれらをしまいこみ、さっさと自分達のカリキュラムを続けました。長男のほうは高校検定試験を受け、全科目で良い点を取りました。」

 

  別のホームスクーラーの親は、子供を教えるプログラムについてこう書いてきました。

 

  「まず最初に、私達は息子の学習に必要な教材を与えました。第二に、質問があったり、助けが必要なら、あくまでも必要とする範囲内だけ助けるようにしています。第三に、忍耐強くあるよう努めています。息子にはまだ難しすぎるものを無理矢理詰め込もうとはしないのです。」

 

ホーム・スクールの日々

  ジュディ・マッカーヒル夫人は、初めて家庭で教え始めた頃の事についてこう書いています。

 

  「私達は、カルバート校のホームスクーリング・コースを使っていますが、ただ学校の方にそう伝えてあったからです。そのコースを採用していると言っても、指示通り教材を使っていないのが実情です。その教材はやたらと細かくきちっと指示してあって、字が読めさえすればどんなに頭の悪い人でも、その通りに子供に教えられるようになってます。でも指示に全部従ったら最後、それが手かせ足かせになって、かえって子供を教える時間がなくなってしまうのです。

  毎月の月初めに、まず子供達が厚紙ですてきなフォールダーを作ります。そのフォールダーに、1か月の成果が収まるのです。そこにはもちろん、カルバート校から送られてくるテストとか、そういうものも入ります。しかし、指導コースを使っているわけではないので、答案は一切、郵送していませんが。こうして保存するものは、我が子が(ほとんど)すべての科目で良い成績を収めている「証明」になります。

  うちの子供のしたワークブックや練習問題やテストなどの勉強の量は、カルバート校が要求する量には、遠く及びません。しかしどれもパーフェクトです。間違えるたびにその場で消しゴムで消し、訂正するからです。

  子供達が台所のテーブルで思い思いに描いた絵の多くは、そのフォールダーにはさんであります。私達が“芸術”まで手がけていると言っても、信じてくれない人がいた場合の為です。私達は、他の子供達が教室の椅子に座り続けている間、どこか『教育的な』場所を訪ねることがあります。そこから持ち帰った資料は、カラー台紙に貼り付け、例のフォールダーに整理します。上の子供二人は、それぞれのワークブックでやり終えたページのリストを作り、フォールダーにきちんと取っています。だから実際にはそんなにきちんきちんとやっていなくとも、そのように見えるのです。月末になると私達は、フォールダーに集めたものをきちんと並べてホッチキスで留めます。これは子供に達成感を与えるようです。

  私は、子供達が自主的に行った学習活動の記録をノートに取っています。これらの学習活動で忘れてならないのは、自主的になされたがゆえに意義深いということです。子供達が興味を抱いているもの、または最近興味を抱き始めたものを学習するので、彼らはひとたび学んだことを容易に忘れないのです。このことから、子供達が押し付けの学校教育から解放されたら、自分自身で何を学ぶだろうかという私の好奇心はますます高まりました。来年、私達一家は国外で暮らすことになりそうです。そうなったら、さらにこの好奇心を満足させることができるでしょう。」

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ナンシー・ワレスさんからの手紙です。

  「私達は自分達がしないようなことを子供にするようにと命令したりはしません。互いにやる気をかきたてるようにするのです。みんなで本を沢山読み、みんながいっぱい文章を書き、みんなが片言のフランス語をしゃべり、みんなでピアノを弾くのです。他の人はよく、私が何て無我無欲だろうと言います。そして彼らは、自分には子供とそんなに沢山の時間を過ごしたり、すべての科目を『教える』ために要する下準備をすることなど到底不可能だと考えているのです。しかし実を言うと、今ほど好き勝手なことができたことは今まで一度もありませんでした。フランス語もピアノも、もとから学んでみたかったのですが、イシマエルがやってみたいと言い出して初めて、私にもチャンスが到来したのです! 算数にしても、私の場合、小切手帳の勘定がどうも苦手なものですから‥‥それで実益も兼ねて、勉強しているのです。それにイシマエルは私に、字の綴りや歴史のことを教えてくれます(このことは内緒よ!) だから、私は自分が子供達と一緒に生きているという満足感が得られ、とても嬉しいのです。娘のビタも、まだ4歳ですが、知識欲は旺盛です。フランス語やピアノは私達と一緒に学んでいるし、最近は読みをはじめ、数に関心を持っています‥‥」

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ある父親から

  「私は子供を学校に送りこむつもりはありません。その気持ちは今なお変わらないのです。(今長男は5歳で、『普通なら』幼稚園に入る年令です。)長男はもう1年も前から、読書を続けています。以前の私なら、息子がこんな進歩を遂げる事ができるなどと誰かが言っても信じてはいなかった事でしょう。息子は『技術』も何もお構いなしに、宇宙旅行とか天文学の本を片っ端から読破しているのです。その読書のスピードときたら、信じられない程です。そして読み切るたびに新しい本をねだります。惑星に関する本も読んでいて、天体間に作用する重力について理論的な話を私にして聞かせます。(例えば月に大気が存在しないのは、月が大気を周囲にとどめておくだけの重力を持っていないからだとか、木星では人間の体など、ものすごい重力でペシャンコになってしまうとか。)

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ある母親から

  「結局、我が家が最終的に採用したのは、『二人の子供を一人ずつ一日交替で、ずっと教える』という方法でした。具体的に言うと、その日がジョンのすべての学科の勉強をみてあげる日だとしたら、ジムは、自分で本を読み、また綴りの勉強をすることになっています。ジムがそうやって本を読んだり、綴りの勉強をするのは、ちゃんとすべきことをするなら、昼間でも夕方でも、いつしてもいいことになっています。残りの時間は、好きなことができます。次の日は、ジムが私と一緒に学習し、今度はジョンが自由に自分の時間を使う番−−というわけです。息子は二人ともこのやり方が気にいっていて、どちらも読みや綴りが好きなので、これは全く負担になっていません。

  一日の勉強時間もせいぜい3時間。あとは息子たちのフリータイムです。家に閉じ込めて勉強ばかりさせているわけでは決してありません。勉強をやめにして、外へ見学にも出かけます。公園で遊び、近くのピーナツバター工場に行き、それからマクドナルドを見学して、おいしいものを食べるといった具体に。『生活学習』あるいは『学習生活』を念頭において生活している限り、『学校』は家の中にも外にでも、どこにでも存在し得るのです。素晴らしいことではありませんか!

  私達は机もテーブルも使いません。一人一人のためにノートを買い、みんなでそのノートをひざに置いてソファーに座ります。(子供の腕に手をかけたり、抱きしめてあげたり、気が向いたら取っ組み合いをしたりしながら、なおかつ、学習もできるというのは素晴らしいことです。) 家の中ですから、泣いてもいいし、叫んでもいい、大声で笑ったって構いません。面白おかしく身振り手振りをまじえて本を読んだっていのです。誰に注意されるわけでもないのですから‥‥」

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  ある母親はホームスクーリングを始めた時のことについてこのように書いてきました。

  「私は、息子の教育のためカリキュラムを使用しているかと沢山の人から尋ねられます。この1年間、ワシントンに本部をおくホームスタディー協会のホームスクーリング・カリキュラムを使ってきました。もともと堅苦しいカリキュラムなどいらないと思っていましたが、考えを変えました。学校当局者が私達のホームスクーリングに敵対し始める時に備えて、形だけでも整えておこうと思ったのです!」

 

ダウン症の子供のホームスクーリング

  十代のダウン症の娘さんを学校にやらずに教えている母親は、こう書いてよこしました。

  「娘が特殊教育を受けたのは一度っきりでした。知能障害児のために地域の団体が開いている保育園に行ったのです。しかし、何の効果もありませんでした。だからその後は、普通の学校に通わせました。私立の保育園、私立の幼稚園、実験的にオープンクラスを取り入れている公立の小学校、カトリックの私立の中学校、という具合に。私は、娘に特殊教育を受けさせたくはなかったのです。というのも、特殊教育では、障害児の行動の手本が提供されるので、かえって娘の障害の程度が悪化すると感じたからです。

  今は家で娘を教えていますが、水泳、バレエ、絵、レース編みのスケジュールがあります。勿論、これ以外の事でも、娘の教育によかれと思った事は当然しています。水泳は、障害を持った娘がカナヅチでは命取りになりかねないと思ったので習わせているのです。けれども耳の手術をしてからは、特別指導を受けずに自分で泳ぎを学ぶのを怖がるようになったので、個人レッスンをしています。そしてバレエのレッスンは、おもに娘の偏平足を治すため。以前バレエをしているうちに偏平足が治った踊り手の話を読んだ事があるので、娘にもさせているのです。ともあれ私は、娘が一番必要としているのは、学校の校舎や施設の設備がいかに立派であろうとも、学校教育の泥沼から解放される事だと痛感しました。学校は、娘にとっては、どういうわけか、私が期待していたほど助けにもならず、満足できるものでもなかったのです。そこで、しばらく娘を学科の学習からすべて遠ざけ、ただ気楽にやることにしました。

  だから、10月、11月の暖かな日に娘を浜辺に連れて行ったり(「学校」に行っていたら、そんなまねはできません。)裏庭でボールの蹴りっこをしたり、そんな事ばかりしました。

  ある日、浜辺へ出かけた時のこと、高速道路の料金を支払う段になって私は、娘が硬貨の種類も区別できないことを改めて思い知らされました。そこで私は、初めて学科を教える冒険に乗り出したのです。それは私に大切な一つの原則を教えてくれました。つまり、娘を教える時には、普通のホーム・スクーラーと大体同じで良いものもありますが、違った方法でしなくてはいけないものもあります。他の子供達は、勉強も自分の興味のある事を学ぶ時も、少しばかり助けてやればそれで事足りるかもしれませんが、娘の場合は、とにかく定期的に絶えず続けなくてはいけません。短い時間であっても、毎日続けなければいけません。たとえ週末であっても中断しないことが重要なのです。

  毎日私はプラスチック製の透明な容器にいろんな種類の硬貨を沢山入れておいて、その前で私が娘に、値札をつけた品物を四つ見せ、値段はいくらか硬貨で表示させるレッスンをしました。そういえばこんなことがありました。私が娘の学校の教師たちに、『どうせなら本物のお金で計算させて』と頼んだら、こぞってけげんな顔をされたのです。彼らには大きな厚紙で作った『硬貨』しか頭にないのですから。とにかく、娘は1か月もたたない内にマスターしてしまったのです。次に紙に数字を書いて娘に数えさせる訓練にも入りましたが、それもマスターしました。

  ホームスクーラーの抱える大きな問題は、カリキュラムをしっかりスケジュールに組まなくてはいけないと考えることのようです。体制の学校は、ホームスクーラーが家庭で、しっかりとしたスケジュールにそって学習を進めていくよう要求していますが、そういう要求があるというだけの理由で、とにかくそれをやらなくてはいけないと考える家庭もあるのではないかと思います。でもそれだと、ホームスクーリングをする意味がなくなってしまいます。『学校』が要求するものに応えるべきで、その要求を満たさなければならないと思いこんでいるがゆえに、子供に心理的なプレッシャーをかけ、ある種の罪の意識を与えるかもしれません。

  娘のレース編みの腕はたいしたもので、バレエにしても、そのクラス(20-40人)の他の年上の子たちと殆ど見劣りしないくらいです。美術の教師は、『これが去年の秋に会った子供なのか、ものすごい変わりようだ。』と言いました。」

 

子供と生活する

子供達、その性質と必要

 

  子供の成長に伴って、その子供の最高の才能を保ち、築いていくために助けられる方法はあります。「連続性の概念」という本の中で、ジーン・リードロフは、新生児が最もよく育ち、健康で、幸福で、知的で、独立心に富み、自信と勇気と連帯心をもった人間に成長していくのは、『連続性』のある人間的環境に生まれ育った場合だということです。ちょうど「未開社会」の母親が子供を育てる時のようにです。生まれて1年、あるいはその前後の時期まで、新生児が常に必要とし、喜びを感じ、熱中するもの、それは母親との身体的なコンタクトだといいます。ハイハイや、ヨチヨチ歩きの以前の段階で彼らが欲するのは、母親、あるいは信頼に足る大人との身体的な接触だと言うのです。

  『文明化』された人々が抱く、とりわけ破壊的な思想の一つは、子供達は元来、性悪なのだから、脅かしてでも罰を与えてでも、周囲の人間の行動基準に合わせなければいけない、というものです。『連続性』のある文化で、子供性悪説を信じているところは存在しないのではないでしょうか。子供は間違った事ばかりする、迷惑千万だ、助けを求めても知らんふり、物を壊し、他人をひどい目にあわせてばかりという、私達が「当たり前」だと考えている『子供観』は、少なくとも他の長い伝統のある文化の中には見当たりません。

  数年前、アメリカの児童問題の専門家グループが中国を訪ねました。中国の子供達の事、その育児法、学校制度を調査に出かけたのです。彼らは中国側の専門家に、子供がかんしゃくを起こしたり、喧嘩したり、相手をからかったり、メソメソしたり、物を壊したり、他人を傷つけたりした時、一体どうするのか熱心に聞いたそうです。ところが中国の専門家達は当惑して、アメリカ人の研究者をまじまじと見詰めるばかりだったというのです。アメリカ側の真剣な質問も、中国側にしたらおそらく、こんな風な非現実的な質問に聞こえたのではないでしょうか? 「子供が危険を顧みず、1キロも跳んだら、あなた方は一体どうしますか?」というような‥‥。これでは中国の専門家が、「我が国では、そんな子供は一人もいません」と繰り返す以外ないのも当然だと言えるでしょう。アメリカ側の専門家も負けず劣らず困惑したといいますが、それもまた当然の事。「中国に悪い子が一人もいない」理由の一つが、子供を最初から性悪とみなしていない中国人の子供観にあるという事など、きっと思いもよらなかった事でしょう。

  結局、豊かな西欧世界における問題児というのは、自動車と同様、私達の文化の産物なのでしょう。

  リードロフ女史自身、こう述べています。「生まれて間もない子供が親との接触や親密な親子関係をもてなかったために受けた深刻なダメージの多くは、後でそういった必要を豊かに満たしてもらうなら、取り返しがつく。十分なやさしさと忍耐、心づかいさえあるなら、これまでの損失を埋め合わせできる。」

 

生まれつきの優しさ

 

  ある大掛かりな調査の結果、たとえ1歳の赤ん坊であっても、困ったり苦しんでいる人を見た子供は心を痛め、なんとかして相手を助けようとする、ということが確認されました。その記事の一部を引用してみましょう。

 

  「2歳になる男の子が、誤って少女の顔をたたいてしまった。困惑顔の男の子は、心配そうに少女に言った。『髪の毛、痛くない?』そして『泣かないでね』とも‥‥」

  「もう一人、これは生後18か月の女の子の話。その女の子は、おばあさんが疲れて横になったのを見て、ベビーベッドからはい出し、自分の毛布を引きずっていって、かけてあげたという。」

  「『この二人の子供は別に天使でもありませんし、例外的な子供達でもありません。ごく当たり前のアメリカの子供です。』というのは、国立精神衛生協会付属発達心理学研究所のマリアン・ラドケ・ヤロウ女史である。女史は生後10か月から2歳半になる乳幼児を詳しく観察した結果、彼らが他者の感情を思いやることができるとの結論に達した。赤ん坊というものは優しさにあふれていて、その多くがかなり早い段階から、他人を思いやる行動をとり始めるという。」

  「しかしながらこの発見は、子供の発達に関する既存の理論と真っ向からぶつかり合うものである。これまでの常識的な見方によると、子供とは自己中心的、利己的な存在であって、5歳あるいは6歳以前に、利他的な行為をする事は絶対あり得ないとされていたのだ。」

  「中でも驚くべき発見は、わずか1歳の赤ん坊でも、苦しんだり、泣いていたりした他者の存在を知った時、幼いながら相手を慰めようと懸命に努力する、ということの確認である。赤ちゃんたちは、かわいそうな相手に寄り添い、やさしく手でたたき、抱き締めようとするのだという。時には相手を助けようとさえする、というのである。」

 

「NO」と言うことについて

 

  小犬でさえ、「NO」という語は必ずしも怒りの爆発を表す音ではないと考えるだけの分別を持ち合わせています。犬にとっても、それはまさしく「言葉」であり、ある種の観念を運ぶものです。「悪い犬ね。二度と悪さをしないようにたたくからね」と言う意味である必要はありません。代わりに、こういう意味にもなるのです。「お利口さんな犬ね。でも、あなたがしていることはいけないことよ。だから、もうやめてね。」

  危険が間近に迫っているなどごく例外的な事態を除けば、子供達に対して、「NO」という言葉も、「YES」と言う時と同じ穏やかな調子で言えるはずです。「NO」も「YES」も、「言葉」です。それは、幼い子供でも理解できる「考え」を運ぶものなのです。「NO」は、「そういうことはしないんだよ」と言っており、「YES」は、「そういうふうにやるんだ」と言っています。多くの場合、それこそ、子供達が知りたがっていることです。子供達というのは、正しいことをしたい、私達のするようにしたい、私達がするのと同じことをしたいと思っています。ただし、疲れ切っている時や、好奇心や興奮や情熱に圧倒されてしまっている時は別ですが。

  カナダのマニトバに住むルイズ・アンドリーシンという母親は、この点に関して次のように書いています。

 

  「あなたは二つの『NO』の違いについて、とても重要な指摘をして下さいました。怒りの爆発の合図としての『NO』と、深い意味をたたえた『NO』と。しかし私には、第三の『NO』があり、それが最も一般的ではないかと思われるのです。それは怒りの表現でもなければ、意味ある言葉でもありません。とにかく、毎日毎日、親の口から発せられ続けている『ダメ、ダメ、ダメ』式の『NO』です。ひっきりなしにダメを言い続けるのは、全く効果がない口癖になっています。

  自分達がどのように『NO』を言うかを意識できれば、その使い方、言い方を変えることができます。私達親は、単に口を閉ざしたらいいでしょう。じっくり腰を落ち着け、冷静に自分の言葉に耳を澄ますことができれば、私達が子供達にどれほど『だめ』という意味の言葉を浴びせるか気付くことでしょう。親が自分の言った言葉に、(子供の耳を通して)真剣になって、第三者の立場から耳を傾けるなら、その瞬間、事の重大さにがく然とし、おそらくは『NO』の使い方、言い方を変えるだろうと思うのです。

  昨日こんな事がありました。娘のリージー(この手紙が書かれた時は3歳)は、冷蔵庫から一人で2リットル入り牛乳のカートンを取り出し、口を切って小さなコップに注いで飲んでいたのです。でもコップが小さかったせいで、牛乳をテーブルの上にこぼしてしまったのです。慌てた娘は紙タオルで拭こうとしましたが、こぼした牛乳の量が多かったものですから、逆に床まで流れ落ちてしまいました。

  私が台所までやって来たのはちょうどその時で、思わず『ダメ、ダメ』と泣きそうな声で口走ってしまいました。『リージー、ダメじゃない。牛乳飲みたいなら、誰かに頼めばよかったのに。ダメ、それ以上、拭いちゃダメ。床に牛乳がたれるでしょう。やめなさい。ママがやるから‥‥テーブルだけでもダメなのに、床をみなさい。余計な仕事を作ってくれちゃって。』

  幸いな事に、ここまで愚痴をこぼした後、私は正気の光に打たれたのです。そういう事が起こるのはごくまれですが。その光は私にこう言いました。『馬鹿なまねはよしなさい。リージーは一人で自分のコップに牛乳を注ぐという初めての冒険に挑戦したまでの事じゃない。ダメ、ダメばかり言って、せっかくの意志をくじいてしまうつもりなの。』

  私はとっさに娘を見ました。大きい子になろうと熱心な一人の少女が、牛乳を独力で飲むために引き起こしてしまったトラブルと懸命に戦っている姿を。私は娘に言いました。『リージー、スパークル(犬)なら、この牛乳、特別なごちそうだと思って飲んでくれるわね。』

  リージーはタオルを使っていた手を休め、私の顔を見あげました。私は彼女についに、意味のある言葉を投げかけたのです。その時まで彼女は、胸の中の悲しい思いを忘れ去ろうと必死だったのでしょう。

  私は続けてこう言いました。『スパークルのお皿、持ってきてちょうだい。こぼれた牛乳、いれちゃいましょう。』

  リージーはスパークルの皿を取ってくると、私と一緒に、紙タオルに牛乳を吸い取ってはお皿に絞る作業を始めたのです。それまで、一言もしゃべらなかった彼女の態度が一変したのはその時です。途端に生き生きとよみがえった彼女は、スパークルがこの牛乳をどんなに喜んでくれるかとか、結局スパークルの分まで自分で注ぐことができたわけね、とか楽しそうにおしゃべりをし始めたのです。私がもしも彼女を冷たく突き放し、『いいから、あっちに行っていなさい。ママが掃除し終わるまで、台所に入ってちゃダメよ』と言っていたら、たかがこぼれた牛乳ぐらいのことで娘に涙を流させなければならない羽目になっていたでしょう。

  しかし、ハッピー・エンディングで終わらせるために私が使ったエネルギーは、それほどのものではありません。私は自分の心を客観的に見詰めることができたので、娘に対する物の言い方をコントロールし、変えることができたのです。」

 

大人を試す

 

  ハーバート・コール氏は、その著書『子供と共に育つ』の中で、子供について書いている人々と同じ調子のことを書いています。「子供達はどのへんに限界があるのか見きわめるため、大人を絶えず試し続けなければならない」 この意見に私は全面的に反対です。確かに、子供達は常に大人を試しています。それは疑うことのできない事実です。しかし、私は、子供達が大人を絶えずテストしていなければならないという考え方には賛成できません。彼らをそのように仕向けることにも反対です。もしも彼らが家庭生活あるいは社会生活のルールを知りたいのであれば、他にもいろいろ道があるはずです。

  私は多くの子供達と出会ってきた経験から、5歳、あるいはおそらく3歳の子供でも、人を『試す』という意味を理解していると、確信をもって言えるようになりました。『試す』というのは、誰かに対して、あるいは誰かの前で、その人が好きでないとわかっていることをやってみて、どんな反応が返ってくるか見たり、それが良くないことだということを理解しようとすることなのです。だから、私は子供達が「あっ、またやり始めたな」と分かったら、こう言ってやります。「私がどんな反応を返すか見ようとして、わざと悪いことをしてるの?」 子供が「そうだ」と答えたら、私は言います。「おじさんは、そんなやり方好きじゃないよ。そういうことをされるといい感じがしない。君にそんなことしてほしくない。おじさんは、君がどんな反応を示すか見るだけのために、君にいやがらせをしたりはしないよ。だから、おじさんをテストしようなんて、フェアーなことじゃないね。」

  この説得の意味を子供達は100%理解できると私は信じています。その理解の上に立って彼らが素直に行動できるようになれば、子供と大人の共同生活は、ずっとやりやすいものになるでしょう。

 

「いい?」

 

  私達は子供に何かさせようとする時、『いい』を無意識に使います。例えば、「さあ、コートを脱ぎましょう、いい?」とか、「お昼寝しましょう。いい?」とい具合に。が、この「いい?」は、まずい言い方と言わねばなりません。こうした物の言い方をキッパリやめることができれば、私達大人と子供達との共同生活は、さらに楽しいものになるだろうと思うのです。なぜ、こうした「いい?」の言い方が好ましくないのか、それは、本来、子供達にとって選択の余地のないことを、あたかも選び取る事ができるかのように提示する点にあります。断る事のできない命令を下しておいて、それから「いい?」と言うなら、反抗を招くことになるのです。実際、子供達にすれば、本当に選択の余地があるかどうか知るためには、大人達の「いい?」を拒否してみる以外ないのです。子供はそうする事によって、「本気でそう言っているの?」と聞いているわけです。

  たいていの大人はただ、「いい?」と言ったほうが、子供に対して丁寧な物の言い方をしていることになると考えています。しかし、これは「丁寧」という意味のはき違え、というものです。自分は相手に選択させているのではなく、してほしいことを告げているんだということをはっきりさせ、きっぱりとした態度を取りながら、なおかつ、丁寧な物の言い方をするのは、十分に可能なことです。

  私の友人の一人は、家の中で「禁煙」のルールを実行しています。家族そろって煙害追放に熱心なのです。玄関のドアの内側には「禁煙ご協力ありがとう」の文字。でもこの文字を見逃したり、ただのお願いと解釈して命令と思わない客もいて、タバコに火をつける人がいるそうです。そんな時、友人はやさしく、しかもきっぱりとした調子で、タバコはポーチで吸ってほしいということを客に告げるそうです。客は誰一人として抗弁しませんし、機嫌をそこねることもありません。

 

かんしゃく

 

  かんしゃくについて本を書いている人達でさえ、2歳の幼児がかんしゃくを起こすのは何かの理由があってのことだとは考えていないようです。彼らの本を読んでいると、幼い子供達は、フロリダの海辺が時折ハリケーンに襲われるのと同じ調子で、非合理的な『攻撃的感情』や怒りの爆発に襲われるという印象を受けます。しかし、私は違った見方をしています。全く理にかなっていないと思われる幼い子供の怒りの爆発−−「かんしゃく」−−も実は、彼らに起こった出来事や、誰かが彼らに言ったことやしたことが原因となっていることがほとんどで、さらには、私達大人でも、子供と同じ目にあえば、同じようにかんしゃく玉を破裂させることでしょう。優しく、愛に包まれた家庭でさえも、2歳の子供は毎日毎日、百回も、親の小言や態度によって、あるいは状況から、「自分は小さくて弱い」「何も知らないお馬鹿さん」「不器用」「ふざけてばかり」「全然目が離せない」「面倒ばかり起こしている」「壊してばかり」「汚くて、臭い」「うんざりだ」ということを思い起されているのです。

  幼い息子を持つ母親は、息子のかんしゃくと、いかにしてそれを防ぐかを一緒に学んでいる様子を書いてきました。

 

  「私はあれだけ、物事をうまく組織化できる子供を知りません。ドミノを家を立てる煉瓦だと言ったり、干し草だと言って積み上げたりするかと思えば、今度はきれいに並べたり、そうかと思うと、何かの完璧な模様に並べたりするんです。トラックでも同じです。そして、沢山のトラックで遊んでいる息子を捕まえて、お昼ご飯を食べさせようとなどしようものなら、あなたの2歳児についてのご説の通り、さあ大変、泣いたりわめいたり、急に不機嫌になってしまうのです。でも、トラックを定位置に駐車したりする時間を前もって与えてやるなら、ちゃんと食卓に来ます。あなたのおっしゃる通り、子供を一個の人間として扱うことは何と大切なことでしょうか。それはいつもとてもうまくいっています。」

 

人生学校

 

  若いティーンエージャーの読者は、のびのびと過ごす生活から、どれだけ学んでいるかを非常に流暢に書いてきました。

 

  「私が6年生の終わりから2年間学校に行くのをやめた時に、私は悟りました。根本的には学校の成績は何の証明にもならないことを知ったのです。また、もし公立学校に通っていたなら学ぶことのできなかった、実に多様なことを学ぶことができました。公立学校は経験というものを十分生徒に与えることができません。子供達は皆、学校に行っていたから、私は大人と一緒に多くの時間を過ごすことになり、そのため、大人との接し方や話し方を学ぶことができました! 公立学校では決して学べない実際的な技能も沢山習得しました。

  私と同じ年頃の人達を見ると、学校に行かなくて良かったと思います。他の人達よりはるかに多くのことができるようになって、自分でも驚くほどです。それもみんな、私には学ぶ時間があり、楽しんで学ぶことができたからなのです。」

 

  ジャド・ジェローム氏は、『人生学校』で学ぶ娘の経験について書いてきました。

 

  「昨年娘は政府の職業プログラムに参加する申し込みをしたいと考えました。しかしそのためには高校の卒業証書が必要だったので、大人向けの高校教育講座に数か月通い、試験を受け、トップクラスの成績で合格しました。(しかも様々な大学の奨学金受給の誘いも受けました。)娘は学校に通っていた他のクラスメートよりも早く『卒業』してしまったのです。娘の例は、特に学校がどんなに時間の無駄をしているかを明確に象徴していると思います。娘は勉強好きなタイプでは全くありません。自分を知的だとはまるで考えていませんし、いつも本よりも牛の乳しぼりや野菜畑の除草や2頭立ての馬車を乗り回したりすることに興味があります。13歳から18歳にかけて、穏やかに一人前の女性として成長を遂げ、膨大な数の技能を身につけ、大人の世界で広範囲に渡る経験を積みながらも、学科では極めて高い成績を収めているのです。比較してみると、学校に通っているクラスメートたちの多くは、ぼーっとしていて、感情が不安定で、人生に意義ある目的も方向も、しっかりした価値観も持ち合わせていないのです。」

 

日々の生活で用いる技能

 

  以下は1980年4月のホームエデユケーター・ニュースレターのトップ記事からです。

 

  「一人の子供は家の車などを整備して、かなり良い状態に維持してくれるし、別の子供は、農場で働いて、食卓に出す牛乳や卵や肉を供給してくれるし、また別の子供は素晴らしい美術の腕前を持ち、もう一人は庭仕事をとても楽しんでいます。

  カトリーナは朝と午後の数時間を農場の仕事で費やします。しかも、自分のした労働の利益を受け取っているのです。というのも、彼女は与えた餌や干し草やその他の購入品の代金をきちんと記録に取り、動物が売れた時には、その利益を得るためにどれだけの労働力と経費がかかったかを計算して、実質利益を割り出すことができるからです。私は個人的にはどんな種類の農業にも全然興味はなく、これによって、私がカトリーナに教えられることをはるかに越えた能力を彼女は発展させていることを知っています。市場に出す前に、1匹の豚は週にあるいは月に大麦をどれだけ食べるか? どの動物が一番早く利益になるか? 農場経営には、どのような種類の労働時間が必要か? 以上の質問には私は一つとして満足に答えられません。けれども、カトリーナにはできるのです。11歳の娘にしてはなかなかのものだと思います。

  ジョンは7歳ですが、電気のこぎりや電気ドリルも含めて、自分の道具を一揃い持っています。ミニチュアの美しい丸太小屋も作れますし、部屋を仕切って二部屋にするためのプロジェクトでは、測量と材木を切る責任者になる予定です。

  ケビンは幼稚園の頃から、私の器具のめぼしいものはみんな修理しています。

  私の皿洗い機は子供が修理したもので、バスルームも子供がパネリングし、トイレも子供が下水管修理をしたものです。

  普通は大人か専門家しかしないことを子供達がやるのをどうして許可できるのかと、よく人から聞かれますが、私は子供をしっかり監督するのです。そして、子供には難しすぎるようなことを押しつけたりもしません。絶えず実験して、生まれつきの能力を発見するよう努め、危険でなく、費用のかからない方法で子供の能力を試させています。子供が何かの分野に能力がありそうなら、例えばパイプ修理に能力がありそうなら、二つのパイプが直角につながっている部分を分解させ、それから水漏れさせることなく、元通りにすることができるかどうかを見ます。次は蛇口、またはトイレの設置です。次にシャワー器具の取り付けでしょう。そして、いよいよバスルームの配管をするに十分な能力ありとみなされるのです。13歳の息子に家全体のパイプ修理を私は安心して任せられます。何と言っても、この息子はまだ8歳の時に、直流電気の配線をしたのですから。娘のキャシー(19歳)も、彼女の家の改築をしています。彼女は、自分で配管や左官工事、壁紙貼り、大工仕事をすべてやってきました。」

 

生活と仕事の空間

  ハーバード大学出身で、フランス語を教えたことがあり、それからコインランドリーの経営者となった後で、失意の農夫となったビル・マクエルウエイン氏は、マサチューセッツ州のウエストンという繁栄している都市に移り住みました。そこで彼は、郊外で非常に良く肥えた土地が荒れ果てているのを見たのです。

  郊外のティーンエージャーは、フットボールやテニスをするか、ドラマを見るくらいしかやる事がなく、退屈しているのを知りました。そしてウエストンよりも、ロックスベリーという貧しい町の人達の方がもっと食費を払っていたのです。

  1970年の4月、ビルは道具を借り、種や肥料を寄付してもらい始めました。ほんの数人の献身的な助け手達と共に、およそ1エーカー耕しました。収穫はトラックでロックスベリーに運ばれ、子供達の食糧援助プログラムや住居プロジェクトのために無料で配布されました。ロックスベリーの住人達は献金を集め、そのお金を農場の為に使い、農業の仕事に戻れるようになったのでした。

  1年もしない内にビルは、新しく発足したウエストン青少年委員会のプロジェクト責任者に任命されました。1972年、彼は市を説得して、農場を買わせました。そして、少数ながらも献身的な援助者を得たのでした。その中には、彼のプロジェクトを後押しし、市が経済的援助を確実に続けていくよう助けてくれる市議会の人達もいました。農場に参加する若者の数は増えていき、野菜の収穫から(1カゴあたり1ドルという値段でボストンで売られました)、働き手たちに最低賃金を支払いました。市はさらに多くの資金と器具をこのプロジェクトに投入し、1975年には、農場は年に100トンの作物を栽培するようになりました。この内の25%が地元で売られ、残りは、ボストンに出荷されました。

  そして、ビルが50歳の時に市は農場を買い上げたのでした。今でも彼は青少年委員会のプロジェクト責任者を務めると共に、ウエストン・タウン・クライヤーのコラムも書き続けています。そのコラムを通して、若者たちが参加できるその他の活動を紹介しているのです。

  例えば、ある秋のことです。ビルはウエストンの道路沿いには600本のメープル(カエデ)の樹があることに気付き、1年半もしない内に、彼は仲間たちと共に中学校の近くに製糖所を建てました。(地元の松の木の木材を使って) シロップを集めるバケツや蛇口や蒸発器具も揃えました。そして、一級品のメープルシロップを250ガロンも集めたのです。それは立派な換金作物です。また果物を圧縮して果汁をとったり、果樹園を開いたり、薪切り、荷車作りもしますし、小さな天文観測所も作りました。

  事実上彼の様々なプランは大小にかかわらず、共通の要素があります。それは、若者に賃金の支払われる仕事を供給し、しかも教育的で社会の役に立ち、楽しめるということです。それらは小規模経営で、資本金も少なくてすみます。また資材も、簡単に手に入る物を使います。できれば、もう使われておらず、簡単に寄付してもらえるような物を使うのです。また、様々な人間達が一緒になって、楽しめる方法で共通の問題を解決していくのです。

 

自家製の物語

 

  都会の子供であろうと、田舎の子供であろうと、子供はたいてい、自分が登場し、日常生活で遭遇するものが沢山出てくる物語に興味があるようです。親、または子供達をよく知っている大人こそ、そんな物語を作るのに理想的な人達です。たとえ洗練されていなくとも、そのような物語は市販の小さな子供向けの本に出てくる物語よりもはるかに興味深い場合がほとんどです。

 

非常に早熟な芸術家

 

  ある父親が「早熟」の芸術家について書いてきました。

  「娘は、生まれて6か月で絵を描き始めました。娘の描いたものは何でもほめてやりました。1歳になる頃には、回りにいる誰よりもよく描けるようになったのでした。自分が誰よりも、それも、まわりの『有能な』巨人たちよりも何かに秀でていると知ったことで、ますます自信を持って絵を描くようになりました。そのおかげで、他の面においても難しいことに挑戦し、うまくできるようになるまで努力し続けるという確信を抱くようになったのです。

  1歳でイーゼルとテンペラ絵の具をもらいました。2歳の誕生日には、無害なアクリル樹脂の絵の具をプレゼントされ、すっかりお気に入りとなり、それ以来ずっとそれを使っています。私達は娘が子供の画家でありながら、子供のような絵を描かないということを発見して驚きました。彼女の作品は児童画とは極端にかけ離れているのです。

  子供は他の子供達とのつきあいを通して、本来の想像力を破壊されてしまい、大人の画家は子供の頃に持っていた想像力を取り戻すのに苦労すると言われています。これに対する一番はっきりしている策は、学校に行かせず、インチキな児童画と呼ばれるものを見せないことでしょう。娘は、1日中学校に行くよう強制されたなら、絶対に堅苦しく、つまらない絵しか描けなかっただろうと思います。きっと、子供の絵は「こうあるべき」というような絵、つまり、たいていの学校にあるような、かわいらしく、ほめられやすいものばかり描いていたことでしょう。

  私は、娘がずば抜けて優れた才能の持ち主だと思いそうになります。しかし、日本で鈴木教授法でバイオリンを習っている4歳から6歳の子たちがバッハやビバルディなどの難曲を完璧なリズムと音程でひきこなせると聞いた時に感じたのですが、多分他の子供達も、その才能を真剣に受け止めてもらい、それを発揮する機会を与えてもらうなら、同じように美しく、力のこもった作品や演奏ができるのではないでしょうか。

 

教えずに学ぶ

見つけ出す

 

  とても大勢の人達が、「学ぶ」というのは学校でやることとか、学校でやるべきことと考えているので、私は、「学ぶ」と言う代わりに、私達人間が生活の中の自然な過程において行う事を表現する別の言葉を使いたいと思います。「見つけ出す」というのは、かなり適切かと思われます。この絶え間ない過程について、ある読者は次のように語っています。

 

  「大切なのは自分で学んでいく能力です。私の上司がよく言います。『私達はこの仕事について沢山知っているように思えるかもしれない。しかし、私達が成功するのは、自分の無知を認め、それからその無知を克服しようと努めることによってである。』と。

  よく私は、あれやこれについて非常によく『知っている』と人から言われますが、実はたいてい私は普通の人と同じくらいかそれ以下の知識しか持ち合わせていないのです。しかし私は、何に関してでも、何を知る必要があるのかがすぐにわかるし、独立独歩の精神のゆえに、その必要な知識をすぐに得ることを学んだのです。要するに、知識を得ること自体が絶対的な目標であるかのように考えるのではなく、知識は何かの実際の目標に到達するために必要なものとして考えるなら、人々はもっと、どうやって知識を得たらいいかわかると思います。『教師』を提供するのではなく、自己学習に必要な教材や参考図書を供給するフリースクールならば、需要があり、多くの人々が関心を示すことでしょう。」

 

ティーチング・マシーンの短く幸せな生涯

 

  サンタフェ・コミュニティー・スクールが開校したばかりの頃、「ティーチング・マシーン」というのが世の中ではやっていました。ある若き発明家が、これを売り込むつもりで、自分の製品を一つ学校に置いていきました。子供達はしばらくは交替で、ボタンを押して、カードに書かれている問題を解いたりしていましたが、間もなく飽きてしまいました。それから、「箱の中を開けてよ! 中が見たいから!」と言うようになりました。誰かが中を開いて、回転盤にカードがセットされている様子を見せました。それぞれのカードの横には五つの小さな穴があいており、金属のプラグがそのカードの問題の「正解」につながる穴に入るようになっていました。

  合点がいった子供達は、みんな仕事に取りかかり始めました。カードを作り始めたのです。一人の子供が自分の作ったカードを入れ、答えのボタンを入れます。それから他の子供がやって来て、その問題に挑戦するという具合に、かわりばんこにするのです。しかしこの楽しいゲームも1日か2日しか続きませんでした。この機械を使ってやれるだけのことをやってしまった子供達は飽きてしまい、もう興味を示さなくなり、結局全然手も触れなくなったそうです。

  この小さなエピソードから、子供の本来の性質がわかります。私達人間は羊でもなければ、鳩でもありません。緑のランプがついたり、食べ物が転がって出てきたりする限り、満足してその機械を動かしている、従順で何の疑問も抱かないような生き物ではないのです。そのスクールの子供達のように、私達はいかにして機械が動くかを知り出し、自分で動かしてみたいのです。そのカラクリを知って、自分でも実際にそれを引き起こしてみたいと考えます。私達はそういう生き物です。もともと私達をミミズかネズミか鳩のようなものと決めこんでいる教育理論はナンセンスです。その理論のおかげで、現に起こっているように、子供達は、際限のない欲求不満に陥り、学び損なうことになるのです。

 

外国語を覚える

 

  私の父はビジネスの世界から引退した後、母と一緒に、毎年冬をメキシコで6か月間過ごすようになりました。大卒の父は、6年以上、「スペイン語を学習」しなければならないと厳しく自分に言いきかせてきました。母のほうは、大学へも行っていませんし、あまり出来の良い生徒とは言えなかったそうで、スペイン語の「学習」などといった大それたことを考えてはいませんでした。ただまわりの人達と話せるようになりたかったのです。母は物の名前について尋ね、また、スペイン語で「これは何ですか?」の聞き方を覚えました。話しかけられた人達は、話し返してくれ、物を見せながら、名前を教えてくれたそうです。母がきちんとしたスペイン語を話せるようにと、発音や文法の間違いまでやさしく訂正してくれ、一生懸命助けてくれたのでした。すぐに母はどんなことについても、簡単に流暢に会話を交わせるようになったのですが、父ときたら、まるでダメでした。自分はスペイン語の「学習」に努めていると思っているのですが、まず正確に話せるようになってから回りの人達と話をするつもりでいるので、結局、メキシコで何年も過ごしたのに、覚えることができたのは、単語が20個というお粗末さなのです。学校で身につけてしまった失敗恐怖症や、自分が馬鹿のように見られたくない一心から、一言も言えなかったのです。父は人との交際を避けるようになり、スペイン語を学ぶべきではあるけれども、「年を取ると物覚えが悪い」とか、「自分はそれに向いてない‥‥」などと言い続けるのでした。

 

音楽を学ぶ

 

  ハンガリーやチェコスロバキアを流浪するジプシーたちは、何百年にも渡る音楽的な伝統を持っています。実におびただしい数の演奏家、特にバイオリニストがこの華やかな民の中から出ました。ジプシーは乳児が歩くことを学ぶのと同じように楽器を弾くことを学ぶのです。教授法もレッスンも練習も、そこには一切存在しません。楽譜というものもないのです。子供には、1個の小さなバイオリンが与えられ、ジプシーバンドへの参加を許されます。誰が教えるわけでも、誤りを正すわけでもありません。その子の出す音は他の邪魔にもなりません。おそるおそる奏でる音は、回りの大きな音楽の音にかき消されてしまうのです。子供はただ耳を傾けます。そして聞きながら同時に自分も同じものを弾こうと努めます。そうして次第に、正確な音を出せるようになるのです。2、3年もすれば、あらゆる曲目をこなせる一人前のバンドの一員となります。

  そういうジプシーの子供達は、音楽的に特別な才能の持ち主なのでしょうか? そんなことはありません。ほとんどどの子供でもそれと同じことをやれるのです。バンドそのものが、子供に音楽そのものを通して語りかける教師の役目を果たします。初心者は、いきなりバンドに加わることによって、一番学びやすい音楽的な空気に浸り、心理的にも最高の条件を得ることができます。かくして、最初の段階から、音楽の正しい学びかたを見いだすのです。」

  他の多くの芸術家のように、バイオリン奏者ミルシュタインも、教師の役割が誇張されすぎているのではないかと考えています。「教師というのはそれほど役に立たない。助けになる教師というのはあまり多くない。若い人たちは、教師の所に行けば何かを教えてもらえる、などと考えているが、そうじゃない! 誰も教える事などできない。教師は確かに、それなりの方法で上手に弾けることだろう。しかし、それと同じように演奏するよう教えられるなら、その教え子は教師ほど上手には演奏できないかもしれない。だから私はこう思う。教師の役目とは、生徒、とりわけ才能のある生徒に、教師にできるのはただ、生徒が自分自身の思考を発達させていけるようにと、その思考を開こうと努める事だけだ説明する事だと。実際のところ、生徒は自分で学んでいかなくてはならない。教師がしてくれるわけではないのだ。」

 

自分で学ぶ

 

  私達の読者の一人が、その人の兄についてこう書いています。

 

  「私の兄は、職業はエレクトロニクスの技術者で、天与のエレクトロニクスの才能の持ち主です。十代で早くも、エレクトロニクスの専門家として必要な数学や言語などを独学で学び、オシロスコープやコンピューターなど複雑な機器を自分で組み立てました。兄は今、専門技術者としてお金を沢山設けていますが、そのかたわら、余暇には家で自分の機器を使って、いろんなエレクトロニクスのアイデアを試しています。」

 

教えること 対 学ぶこと

 

  赤ちゃんや小さな子供達が好きな人なら、自分の見るものを言葉で教えてあげたり、一緒にしている事を言葉に出して言うのは楽しくてしかたありません。外出前に、母親(または他の大人)は子供に支度をさせる時に、こんなことを言うでしょう。「さあ、靴のひもを結びましょうね。きちんと結ぶのよ。右の靴は右足に、左の靴は左足に、次にコートを着ましょう。腕を袖に通したら、きちんとジッパーを上げるのよ。そしたら次はミトンの手袋ね。左手のミトンは左手に、右手のは右手に、いいわね。今度は帽子よ。耳を隠すようにね。」 このような会話は楽しいものです。子供はそこから単語だけでなく、単語がぴったり包みこまれている句や文を学んでいきます。

  しかし、これは、例えばコートを着る時に、「これはコートだと学ぶ」よう、「コートよ、コート」と子供に繰り返すのとは違います。ただ子供に学ばせるだけのために話すのと、ただ楽しいから話していて、その結果として子供が自然と言葉を覚えるかもしれないというのとでは大きな違いがあります。

  例えばこのゲームはどうでしょうか。「急いで朝食をとりながら、あるいはゆっくり夕ご飯を食べながら、『おしゃべり』ゲームを楽しみましょう。このゲームは、子供達が自分の考えていることを書く能力を身につける準備になります。『おしゃべりゲーム』のテーマは、『夏』とか『友達』とか『朝食』、『学校』といった簡単なものから始めましょう。すると子供達は次のような文を言ってきます。『夏は一番いい季節』とか『友達は、好きなことが同じ』というような文です。子供達の能力が発達していくにつれて、より複雑なテーマについて、複雑なことを言えるようになります。」

  私が教師生活を始める数年前、ある家庭を訪れたのですが、若い両親が子供に対して語る言葉やする事といったらすべて「教える」ことを目的としたものばかりでした。親子の会話や行動のすべてがレッスンだったのです。その家庭の雰囲気は不安と緊張に満ちていました。

 

 

 

  知性とは、やり方をどれだけ知っているかではありません。そうではなく、どうしたらいいかわからない時にどう振る舞うかです。適切な質問を考え出して何が問題かを認識し、有効な答えを見つけて解決していく能力のことなのです。

 

学習困難

病的障害か、困難か

 

  子供を家庭で教える親の中には、子供によって、逆向き(右から左)に書いたり、つづったりし、左右がごっちゃになってしまう子がいることに気付いた方もいることでしょう。子供を学校に行かせた親も、子供にその問題があると言われた方がいることでしょう。たとえそうでもパニックに陥るべきではありませんし、学校や専門家が、子供の状態や必要など子供について言うことは絶対に鵜呑みにせず、疑ってかかるべきです。そして、何よりもそのような親は、学校やそこでの緊張や心配がこれらの困難の原因となっているのはほとんど間違いないこと、そして、おそらく子供を学校に行かせるのを完全にやめることこそ、最善の治療法だということを理解するべきです。   私は、「学習障害」について話してくる学校関係者やその他の人々に、たいてい以下のように尋ねることにしています。

  「ただの学習困難と学習障害の区別はどのようにつけるのですか? 学習困難の原因が学習者の神経組織にあるのか、それとも外的なもの、例えば、学習環境や教師の説明、教師自身、または教材にあるのか、どうやってわかるのですか? そしてもし困難の原因が学習者にあると決定した場合、誰が、またどんなことを基準に、それが治せる見込みがあるか、つまり、そのことで何か打つ手があるかどうか、さらに、もしあるのなら、それが何であるかを決めるのですか?」

 

  以上の質問に対して私は一度として筋の通った答えを受け取ったことはありません。答えどころか、相手はたいてい、学習障害は「実在」する、つまり、子供の神経組織の内にあるのだと怒って言い張る始末です。私がそうでないと思う理由と、真の原因と思われるもの、私達のとれる賢明な策を次にあげましょう。

 

左右逆に見る人はいない

 

  読みを覚えるのに苦労する子供達がいるのは、皮膚や頭脳の中の何かが、頻繁に字を逆さまや左右逆に見せたり、順番を変えてしまうからだという理論があります。それよりもはるかにシンプルではるかに筋の通った説明があります。

  「学習障害を信じる人々」は、これらの子供達はPを左右逆に見てしまうので、左右逆に書いてしまうと言います。けれども、脳の障害のせいで、見るものが何でも左右逆なら、最初から左右逆のPを書いても、やはり左右逆に見えるはずです! 「間違っちゃった」と思い、Pをまた逆に書くはずです。

  だから、「知覚障害」とか、「この子供は左右逆に見るから、左右逆に書く」という説はお払い箱でしょう。説明すべき事柄を説明していないのですから。

  どうしてPを左右逆に書く子供がいるのでしょうか? この答えは、子供が字を書き始めるのを見守ったことのある人なら、誰にでもはっきりわかります。子供はPを見ます。そして、上から下に線があるのを見ます。それから紙を見て、手に「上から下に線をひけ」という指令を与えて、その通りにします。それからまたPを見て、手に一番上に行くようにと命じ、それから外側に向かって線をひくようにと命じます。できました。またPを見て、その線がぐるっと回っていて、それからもとの上下の線に戻るのだと知ります。だから手にそうするようにと命じるのです。  この時点でたいていの子供は、自分の書いたPと、お手本のPを見比べます。多くの子供は自分が左右逆に書いたことに気づきます。しかし、中には、どうも違うほうを向いているなあとはわかっても、それはたいした違いではないと考える子供もいるのです。

  自分の書いたPが「逆」だとか、「間違っている」とか、Pではないと言われると、子供は当惑してしまうに違いありません。馬や犬や猫、車を描くなら、どっちを向いていてもいいのに、どうしてPやBやEは好きな方向に書いてはいけないのだろう? 犬は左向きに書いてもいいのに、どうしてPをそのように書くと「間違い」なのだろう?

  そのように字が逆になっている場合、私達は、「正しい」とか「間違っている」という言葉を使わないよう、十分配慮しなくてはいけません。子供にPを書くようにと言ったのに、Tを書いたなら、「違うね。それはPじゃなくて、Tだ。」と言うことができます。しかし、Pを書くように言われた子供が左向きのPを書いてしまったなら、こう言うべきです。「そう、それはPだ。でも、Pを書く時には、私達はいつもこっちのほうを向くように書くんだよ。犬や猫を描く時みたいに、どっち向きにでもすることはできないんだ。」

  よく文字を逆に書いてしまう子供の大半は、実はお手本と自分の書いたものを比べていないのではないかと私は強く感じています。私が出会い、教えた子供の多くは、不安そうで、規則に縛られていて、大人が自分に何を期待しているのかいつも心配でならないようでした。子供達は、Pを見て、それを頭の中で一連の指示に変換し、その指示を暗記し、それから、自分の書いたPと指示とを比べるのです。「ちゃんと正しくやったかな? 上から下にのびる線もあるし、上から外側に出てる線も、カーブもある。それがまた上から下までの線に戻ってきてる。ルールに従って、正しくやったから、ちゃんと書けたんだ。」

  または、形を比べようとしたけれども、あまりにも緊張していて、はっきり見ていなかったのかもしれません。または、おどおどしている生徒なら、お手本のPを見てから自分の書いたPに目を移した時に、お手本のPがどんなだったか忘れたり、自分が記憶したPが正しいとは思わなかったのかもしれません。突然、自分の記憶が信頼できなくなるのはよくあることで、特に不安を抱いている人はそうです。

  私が教えてきた、いわゆる出来の悪い生徒たちは、頭のどこかに、「自分がそう思うなら、それは間違っているに違いない」という観念が永久に刻まれてしまっていると私は確信しています。

 

 

緊張と知覚

 

  長い間蓄積された不安や緊張や恐れは、人間の神経組織に破壊的な影響を大いに与えます。私が教えた子供達の中にだけでなく、私が初めて楽器の演奏を習い始めて悪戦苦闘していた時に、自分自身の内にも発見したことですが、不安があると、子供達も私自身も、考えたり、覚えたり、さらには見ることさえ、はるかに困難になってしまうのです。

  子供に知覚障害があるために学ぶことに問題があると主張し始める時、教育者たちは、障害と考えられるものと、子供の恐れや不安との間につながりがないか探すことでしょう。

  けれども、子供達の「知覚障害」の発生と、その教師の不安や緊張との間にどんなつながりがあるかを見るのは実に興味深いことでしょう。

 

右と左

 

  子供が右と左の区別がわからないと、腹を立てたり、心配したりする大人が大勢います。子供が文字を左右逆に書いたり、幾つかの字を間違った順序で読んだり、子供が左右が見分けがつかないと思えるようなことがあると、大人は興奮して、「知覚障害」だとか、「学習障害」だとか言い始めます。その子供は重大な問題を抱えていると、素早くレッテルを貼られてしまうのです。さっそく専門家が呼ばれ(その家族または学校が専門家を呼ぶだけの余裕があればの話ですが)、その問題に取り組むよう頼まれます。

  ある子供が私にした質問から、私は非常に驚き、また、子供が左右を間違えてしまうのは、子供のせいではなく、大人のせい、つまり私達が右と左について話す話し方のせいではないかと思うようになりました。

  ある時、私が机の中から何か必要だったので、ある子供にそれを取ってきてくれるようにと頼みました。子供は「はい」と言って、それがどこにあるか尋ねました。そこで私が、「右手の一番上の引き出しだよ」と言うと、少し沈黙があり、子供が口を開きました。「誰の右手なの。机の、それとも僕の?」 

  一瞬私は困惑しましたが、やっとわかったのです。子供が机を見る時には、生き物が自分を見ているように感じるのです。だから私は、「君の右手だよ」と言いました。それで子供は、そこに行き、私が頼んだ物を取ってきました。

  そのことについてさらに考え始めて、私は、右と左についての大人の規則は、私が考えていた以上に混乱を招きやすいものだということに気づきました。子供に私達のコートの右のポケットから何かを出してほしいという時には、コートの右手であって、子供のではありません。私達が車の右のヘッドライトについて話している時には、車の右側です。しかし、家の右の入り口と言えば、私達の右であって、家の右ではありません。私達大人は時々、物が人であるかのように話す時もあれば、そうしない時もあります。それについて、ちゃんと筋道立った説明をすることはできません。車やボートや電車には自分の右があるのに、どうして家にはないのでしょうか?

  私達は自分達が一体どのようにしてそれを学んだかを考えてみたらいいでしょう。私達のほとんどは、文法や言語を学ぶ方法で学びましたが、その学び方というのは非常に微妙で複雑なので、未だにコンピューターにこれを教えることのできた人はいないと私は聞きました。子供達はとても幼い時から、「私、あなた、彼女」などといった言葉が、誰がそれを言っているかによって、違う人を指しているということを学びます。そういう使い方をし、うまくいくのです。これと同様に、たいていの子供は自分でわざわざ、「車もボートもコートも電車も飛行機もみんな自分の右があるけれど、本や写真や机や家にはない」などと考えたりはしません。ただ経験から学び、その矛盾に悩んだりもしません。

  要するに、たいていの子供がこの混乱した右と左の区別をしっかりマスターしてしまうのは、その混乱に気づいていないからです。または、混乱に気付いてはいても、それで頭を悩ますことのない子供達もいます。けれども、中には哲学者の子供達がいます。そういう子供は何でもしっかり吟味します。そして、物事がちゃんと筋が通っている事を期待し、そう望みます。そうでないと、どうしてそうでないのかを知り出そうとするのです。さらには、この混乱と矛盾に、そして何よりも、何かが明らかに筋が通っていないのに、他の人達がちゃんと筋が通っているかのように行動しているのを見て、脅え、深い不安感を抱く子供達もいます。彼らは心の奥底でこう考えます。「気が狂っているのは、自分なのだろうか?」と。

  学校や生活の中で、右と左に長いこと苦労している子供達の大半は、後者だと思います。右と左について何度か間違いをすると−−そういう間違いをするのも、ただ、私達の気違いじみた左右の規則をまだ学んでいないからというだけの理由からなのですが−−子供達は、「自分はきっと馬鹿なんだ。右と左の区別なんて、僕には絶対にわかりっこない。」と考え始めてしまいます。だから、右とか左のことが話に出てくる度にパニックに陥ってしまいます。そこで、わかっているフリをしたり、そういうのを避けたりするのです。他の人が右と左について聞いてくると、他の手段を使うようになります。「窓のそばにある物のこと?」と聞き返すという具合に。

  一般的に、そのような子供達は、自分はどこかおかしいと思い込むようです。それが真実なら、私達はどう対処すればよいでしょうか? 一つすべきでない事は、右と左の規則を「教え」始めたりする事です。大半の子供は、右左についてあまり教えられなくとも理解します。ただ小さい時に、「これはあなたの右手、これはあなたの左足」などと教えられるだけです。だから、その調子で学び続けさせて下さい。けれども、子供がこれについて混乱したり、不安を覚えているようなら、その規則をもっと具体的に話すとよいでしょう。こう言ってはどうでしょう。「あなたの右手のことで、机の右じゃないのよ。」とか、「あなたの右じゃなくて、コートの右ね。」 そして、こう付け加えてあげるのです。「確かに変てこに聞こえるけど、私達はそういうふうに言うの。心配しなくていいのよ。じきに慣れるから。」

  子供が右と左について混乱しているようでも、動揺しないで下さい。子供が自分で納得するまで忍耐強く待ちましょう。ほんの小さなことでも助けになるかもしれません。最初に子供にどちらが右手でどちらが左手かを教え始める時には、多分大人も子供も同じ方向を向いておくほうが良いでしょう。子供を私達の前に立たせるか、ひざに座らせます。適当な時に、あなたと子供が同じ方向を向き、二人とも右手におもちゃを持ち、同じ方向を向いている時には右手が同じ側にくるけれども、互いに向きあうと、右手が違う側にくることを教えたらいいでしょう。私達がしてきたように、このことについてあまり沢山話すのは控えたほうが良いかもしれません。ただ、世の中の興味深い事柄の一つとして、時折、教えるのです。

  また、子供が自分の右手と左手がわかるからと言って、右の引き出しや右のコートのポケットなど、右と左についての私達の奇妙な規則をみんな知っていると決め込んではいけません。しばらくは、そのようなことを話す際に、どちらの側をさしているのかを明確にしてあげるべきです。子供がこのすべてを難なく理解しているように見えるなら、何も言う必要はないし、言わないほうが賢明でしょう。けれども、これについて子供が過度に悩んでいるようなら、右と左の規則をもっと具体的に教えたらいいでしょう。

 

子供と仕事

自分の仕事を見つける

 

  私が「仕事」と言っているのは、人々が「天職」とか「召命」と呼んでいるもののことで、たとえ金を必要としていなくとも、または、割に合うような仕事でなくとも、それでも喜んで選ぶような、何かやる価値がある仕事のことです。この意味では、私達が仕事を見つけることは、人生において最も重要かつ困難なことです。そして確かに、一度見つけても、後でまた探さなくてはいけないかもしれません。なぜなら、ある段階では自分に適切だった仕事も、次の段階には適切でなくなるかもしれないからです。学校(または他の大人)はあまり、「自分が本当にしたいのは何か?何が一番やる価値のあることだろうか?」という重大な質問を私達に迫ったり、私達が自問するよう促したりはしません。大概、学校は、ただ私達を仕事に就けるよう準備することだけが自分達の仕事と考えているようです。どんな仕事が必要とされており、またこの世の中ではどんな仕事がなされており、どこでどのように私達が仕事に携わるかというのは、私達が自分で見いださなければならないのです。

  世の中で非常に真剣な仕事(ただの金儲けではなく)をしている人達の多くは、働きすぎで、助け手に不足しています。若い人でも、そう若くない人でも、誰かが彼らに、「あなたのしている事は素晴らしいと思います。だから、できる限りの方法で助けたいのです。どんな種類の仕事でももらえたら、あるいは、見つけることができたら、喜んでそれをします。給料は少しでいいし、または、住み込みにしてもらえるなら、給料はいりません。」と言うなら、多くの人が、「もちろん、一緒に働いて下さい。」と言うことでしょう。彼らと働くことで、新参者は徐々に彼らのしていることを学んでいき、もっと興味深く、重要な仕事を見つけるか、与えられるかすることでしょう。そして間もなく、非常に貴重な働き手となり、給料を支払ってもらえるようになることでしょう。何にしても、学校や大学に行くよりも、そういう人達と共にいて、一緒に働いていたほうがはるかに良く学べます。

 

一番の早道

 

  人は自分の選んだ仕事を目指して一直線に進んでいけるのだということが、「スポーツ・イラストレーテッド」(1979年12月17日号)に掲載された記事を読むとわかります。それをここでご紹介しましょう。

 

  「現在の海洋レース・チームの中で、発足して間もないながら最高の成績を誇るチームの主将はロン・ホーランド(32歳)である。ホーランド自身、希にみる存在で、若くして成功を収めている。しかし、ニュージーランドのオークランド出身のホーランドは、少年の頃、最も基礎的な全国中学入学試験をすべったという。幾度も数学(ヨットの設計のための必須事項と多くの人が考えている)で落第し、海洋建築についての正式な資格は何も取得していない。しかも、ボート建造のための見習いも途中でやめてしまった。だのに今日では誰もがホーランドの設計を望む。

  ‥‥16歳で彼は高校を中退した。彼に言わせれば、「あまりにも非実用的」だったからだそうだ。その時でさえ、彼は自分が将来ボートの仕事をすると知っていたようだ。ホーランドはボートの製造会社に見習いとして入ったものの、すぐにやめてしまった。上司が彼にヨットレースに出る時間を与えなかったからである‥‥

  彼はおよそ3年間、アメリカ人のボート設計者たちの所で働いた。最初はギャリー・ムル、そして最後は有名なチャーリー・モーガンの所で働いた。

  あちこちで設計の経験を積んだ期間も3年足らずで、1973年、ホーランドは再びコースを変更した。モーガンの元を去り、英国ウエイモスで開催される世界選手権で、自らが設計した重量250キロのエイグシーン号のキャンペーンをしたのだ。このヨットはかなり画期的な設計で、ホーランド自らも、それが『純粋な数学』ではなく、直観に基づいて設計されことを認めている。そしてエイグシーン号は優勝した。」

 

  ロン・ホーランドの例は、仕事を見つけようとしている人達の良い手本です。自分がどんな種類の仕事をしたいかわかっているなら、できるだけ最短コースでそれを目指すことです。

  まず念入りに調べることもしないで、学校こそ、何かを学ぶための最善の唯一の方法だと思い込んではいけません。もっと早く、安く、興味深い方法があるかもしれないのですから。

 

真剣な仕事

 

  以下は私がある夫婦に書いた返事です。この人達の娘は、彼らと一緒にリンゴの収穫を手伝い、母親の帳簿つけも手伝っています。

 

  「あなたがたは、娘さんが他の同じ年頃の子供達と比べてどんなか知りたがっていらっしゃるのでしょう? 私は、娘さんはかなり良くやっていて、おそらく他の子供達よりも賢く、自信を持っていて、真剣で、思いやりがあり、やる気や自立心や正直さをよく持ち合わせておられることと思います。

  日常生活の中の詳細に常に関心を注ぎ、それについて考えること、現実的で重要な問題を解決していくことによって、人々は賢くなっていきます。現実的で重要な問題を解決する場合には、正しい答えを出すことが非常に大切で、生活や自然が素早く、その答えが正しいか正しくないかを教えてくれます。森はそんな場所ですし、海もそうです。真の、技術を要する仕事がなされている所はみなそうです。」

 

  2年前の夏に、私は少し、ノバ・スコティアの農夫と一緒に働きました。私は彼の近所に住む友人を訪問中で、彼らも友人同士でした。彼は広い農園を所有していて、食べる野菜はほとんどそこでとれたものでした。それに、20エーカーくらいの土地で干し草用の牧草を育て、クリスマスツリー用の木も育てていました。また、植林地も所有し、そこから木を切っては自分の家で使ったり、売ったりしていました。彼は72歳で、それだけの仕事を全部一人でしており、助けと言えば馬2頭だけでした。毎日の仕事で彼が見せる技能、冗帳面さ、判断力、経済性といったら、本当に見事でした。私が訪問していた友人は非常に知的で教養ある人間ですが、都会ずれしておらず、あくまでも田舎者で、長年に渡って自分の食糧はほとんど自分で育て、食べる肉もほとんどは自分で動物を殺して、塩漬にするか、冷凍にしていました。その友人は、自分がかなり運に恵まれ、良き助言を受けて、15年か20年農業を続けていくなら、ゆくゆくはあの年老いた隣人のように立派に農業がやれるようになるだろうと言っていました。それは見せかけの謙遜でもなく、全くの本心でした。

 

落ち葉集め

 

  子供達は、自分達が役に立つ存在になることや、大きな成果をもたらすことがどんなに好きかということを、何度も何度も示してくれます。

  2年前に、私は都市農業についての小さな実験を始めました。毎年秋になると公共の庭園の地面は落ち葉で埋まります。私は数缶のゴミの缶いっぱいに落ち葉を集めて、それを圧縮し、アパートの私の地下室の裏のくぼんだ所に置くのです。そこで私は、落ち葉とミミズで幾つかの実験をしています。

  ある朝、私が集めた落ち葉は、12缶以上にもなりました。落ち葉で遊んでいた4人の少年たち(8、9、9、10歳)がやって来て、私が缶に落ち葉を入れるのを助けてもいいか聞いてきました。どの缶もいっぱいになったので、荷車に積むと、その少年たちは、家まで持って行くのを手伝ってもいいか尋ねたのです。私達が中に入ると、二人の少年は空のゴミバケツを階下に持って行くと言い張りました。そして3人目の少年は、苦労しながらも、荷車を、少し段になった所を引っ張りあげて片付けてくれました。

  公共の庭園に戻ったところで私は、悪いけれど家に帰って他の仕事をしなくてはいけないと言いました。この賢くて、親しみやすく、好奇心と熱意がいっぱいで、助けになる子供達と別れるのはとても残念でした。彼らと一緒に働き、いろいろな物を見せたり、彼らの質問に答えるのは本当に楽しいことでした。彼らも私と別れなくてはいけないのを残念に思っているようでした。アパートに戻る途中、一人が私ではなく、他の子供に、誠実な調子で、「本当に楽しかったね!」と言っているのが聞こえました。他の子達も同意していました。ただ落ち葉で遊んでいるよりも大人の真剣な仕事を助けるほうがはるかに楽しいのです。あの子供達が、彼らのしていることに関心を持ってくれる大人と共に働けるチャンスがもっとあるようにと私は願います。

  先日、若い人から、「子供相手の仕事をしたいです」という手紙をもらいました。こんな手紙はよく来ます。しかし、私はそれを読むとこう言いたくなるのです。「つまり、子供に対して何かしたいのでしょう。子供の助けになると自分が思う素晴らしいことを、子供に対して、または子供のためにしたいのでしょう。さらにあなたは、子供が望むと望まざるとにかからわず、それらのことがしたいのでしょう?

  どうしてあなたは子供達が自分をそれほども必要としていると思うのですか? 心底、子供相手の仕事をしたいと思うなら、まず自分が、やりがいのある仕事、自分がこれこそは価値があると信じる仕事を見つけ、それから、子供達も−−もし彼らがしたいなら−−あなたと一緒にその仕事ができるようにする方法を捜し出してはどうでしょう。」

  その違いは決定的です。私がやっていた落ち葉とミミズの仕事が、あの少年たちの興味と興奮を引き起こしたのは、それが私の仕事だったからです。それは私が、彼らのためではなく、私のためにやっていたことだからなのです。彼らが興味を持つだろうと思って、わざわざ考え出した「プロジェクト」ではありませんでした。私は、どこかの子供達が自分を見て、一緒にやりたいと思うことを願って、落ち葉を集めていたわけではありません。彼らに助けてほしいなど一言も言わなかったし、そんなそぶりも見せませんでした。向こうがどうしても助けたいと言ったのです。私が彼らのためにしてやったことと言ったら−−私のしたことは、そうした状況で大勢の大人がするであろう以上のことだったかもしれませんが−−それほど助けたいのなら、やってもいいと言っただけです。これこそ、私が世の大人に、すべての子供に対してしてほしい選択です。

 

ボランティア活動

  12歳の少女が、事務所のボランティアをすることについて書いてきました。

 

  「1978年の7月に、母は出産教育協会の事務を頼まれました。その時、妹が3か月だったので、母は私に、母が仕事をしている間、その事務所で妹をみてくれないかと尋ねました。けれども、実際にやってみると、お腹が空いている時以外は、赤ちゃんはほとんど眠っていたので、ちょっとした仕事をそこで始めました。そこにいた人が小さな仕事をくれたのです。彼女の娘のR(今私の親友です)が、私がもっと大きな仕事を始められるよう助けてくれました。彼女は登録ファイルの作りかたを教えてくれました。今でも家で週に100は作ります。そして折り機の使い方も教えてくれたので、私達は登録ファイルやメモのための紙を折ることもできるようになりました。これは楽しい仕事でした。母よりも私のほうがよくできるくらいです。母がすると紙がつまってしまったりすることがあるからです。また、電話の応対の仕方も学びました。つかえてしまって、一息に『出産教育協会』と言うのに苦労したり、電話を保留にする代わりに切ってしまったりすることもありましたが。

  文書注文に応じる仕事をしたのも忘れられません。それは最高でした。私達は適切な書類を探し、数えます。請求書を書いて、封筒に宛名を書くのはとても楽しい経験でした。Rと私はどちらも、どの文書がどこにあるか、そしてどれがないかを知っていたので、母親たちよりも、在庫についての質問によく答えることができました。

  それから、一日の終わりには、郵便料金をチェックしなくてはいけませんでした。私は、合計を出すために、いつもL夫人の計算機を使っていました。けれども、時には自分の頭で計算しなくてはならず、それはあまり好きではありませんでした。

字下げ 1桁字上げ 1桁  けれども、仕事ずくめだったわけではありません。時には、Rと彼女の弟と一緒に、ゲームをしたり、図書館に行ったりもしました。事務所に行くのを私は心から楽しみにしていたのですが、間もなく、いやな時が訪れました。学校が始まったのです。学校カレンダーをもらった途端、学校が休みで、事務所に来れる日を全部リストアップして事務所に提出しました。

  私は今、夏が待ち遠しくてたまりません。また事務所に行き、お手伝いできるからです。」

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  少し前、私達の事務所には、「Growing Without Schooling (学校教育なしで育つの意)」や子供を家庭で教える事についての問い合わせの手紙が殺到し、返事を出すのがとても間に合いませんでした。それで私達の雑誌の中で、誰かタイプができて、テープレコーダーも持っている人で、助けてくれる人はいないか尋ねました。すると大勢の人が連絡してくれ、その中には、先に書いたダウン症のLの母親もいました。彼女は、自分が返事をタイプする手紙は、Lが封筒に手書きで宛名を書いてもいいか尋ねてきました。私はそれで結構と言い、返事を録音したテープを送りました。すると間もなく、タイプされた手紙と、きちんと宛名が書かれた封筒が送り返されてきました。それから、今度は彼女達に国中からの手紙の束をどっさりと送りました。これらはもう返事は出されているものの、地域ごとに密接なフォローアップを行うため、州ごとに分類しなくてはいけないのです。これらの手紙と一緒に、私は指示を吹き込んだテープを送りました。以下はLの母親がこれについて書いてきた手紙です。

 

  「Lはこのプロジェクト全体にすっかり夢中で、特に、テープで自分の名前が言われていることに感心していました。彼女は熱心に、分類し、ファイルに入れる仕事をしました。娘には言いませんでしたが、実はこれも学校関係者に、何か『実際的なこと』をさせるようにと説得するための私達の『プログラム』の一環だったのです。学校では、娘に、紙の上でアルファベット順の分類をさせようと何度も試みました。私は娘に、インデックス・カードや料理の作り方などや、またはフォールダーを使わせてほしいと思いましたが、そうはいきませんでした。そこで、今年になって私達の計画を立て始めた時には、彼女にファイル・フォールダーを沢山作らせました。コースや予定されている活動ごとにフォールダーを作らせたのです。そこに、領収書やパンフレットなどいろいろ入れます。また、娘が金額を出したり、算数の問題や文章など書いた紙もそれに取っておきました。

  だから、娘はすっかりそれに慣れていました。娘はフォールダーを作りました。(州をアルファベット順にリストアップするのは私が助けました。) 最初の手紙の束をした時には、私が手紙を全部チェックして、一つ一つの手紙の差出人の州名にアンダーラインを引きました。2つ目の束の時には、住所がちゃんと書いてあることを確認し、読み取りにくいものを除外しただけで、州名にアンダーラインを引くことはしませんでした。娘が自分で州名を読み取ったのです。とにかく、Lはこの仕事が大好きで、始めるのが待ち遠しくてなりません。夕食後でもやりたがります。これはLにとって理想的なことです。仕事を体験できるし、堅苦しい「教育」なしに、ファイル分類やアルファベット順の分類、州名、略語などに接することができ、実際にどんどんやっていくことができるのですから。これは完璧な方法ですが、こういう仕事は、特に娘のために見つけるのがとても困難です。」

 

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天国からの特別な子供

 

地球から遥か遠く離れた所で

ミーティングが開かれた!

天使が主にこう言った。

「また子供が生まれる時がきました。

この特別な子供には沢山の愛が必要です。

 

成長は遅く、

あまり進歩が見られないかもしれません。

それに出会うすべての人から

特別な世話が必要です。

 

走ったり、笑ったり、

遊んだりしないかもしれません。

何を考えているのか

つかみにくいかもしれません。

多くの面で順応できないでしょう。

そして、身体障害児と

呼ばれることになります。

 

ですから、この子の送り先は

慎重に決めましょう。

この子に満足のゆく人生を

送ってほしいものです。

主よ、この子のための両親を探して下さい。

あなたのために特別な仕事をする両親を!

 

自分達が大切な任務を

任されているということに

すぐには気がつかないことでしょう。

でもこの子と共に、天から

より強い信仰とより豊かな愛が

与えられるのです!

 

やがて、天国からの贈り物を世話することの

特権を喜ぶようになるでしょう。

柔和で優しい、彼らの尊い預かりものは

天国からの特別な子供です!」

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