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子供から立派な大人へと成長させるには

−−「ティーチング・ホーム」誌より

 

  我が子がティーンエイジャーになりつつあると知って、突然不安にかられたことはありませんか? ホームスクーリングを続けていくのは正しいことだろうか? 自分に、高校レベルの学科を教えることなどできるだろうか? 子供達は大学に行くだろうか? 大人になったら何になるのだろう? (いずれは必ず大人になるのですから)どんな大人になるのだろう?

  子供が立派な大人へ成長を遂げていく為に、一体どんな準備をしたらいいのでしょう? まだ何もしていないなら、この最後の「秒読み」が始まった今こそ、チェックリストを作って、実行すべきです。それぞれのカテゴリーごとに、あなたのゴールを詳細に渡って書き出して下さい。しかしそれを始める前に、これまであなたに影響を与えてきたかもしれない世間一般の考え方を頭の中からきれいさっぱり追い出す必要があります。

 

一般的に受け入れられている神話

 

  神話その1:反抗は、成長過程に欠かせない。世間の人々は実際、子供たちは「自然」の反抗期を通ることなしには、家を出て、独立することはないと信じています!

  ティーンエイジャーの何らかの形の反抗はごくありふれたことであり、私達の社会においては、クリスチャンの間でさえ、ほとんどのティーンエージャーが経験することです。しかし私達は、「一体神は、それについて何と言われているだろうか?」と自問してみなければいけません。両親に反抗した子供たち(大人となった子供でさえも)は、モーセの律法の下で厳しく裁かれました。(申命記21:18-20) そして、子供たちが反抗することを許した両親には、エリの例が良い警告となるでしょう。神の祭司であり、神の人とされていたにもかかわらず、エリはそのために死んだだけではなく、息子たちまで死に、彼の家系は祭司になることを永遠に禁じられたのでした。神は若者の反抗を非常に深刻なことと考えておられます。サムエル記上15:23には、「そむくことは妖術の罪に等しい」とあります。

  確かに、反抗は「自然」なことかもしれませんが、私達クリスチャンは、そうした生まれながらのものを捨て去り、御霊によって生きるよう召されています。嬉しいことに、私達が子供達を従わせるのは、非常に優れた理由があるからです。まず、「これは正しいことである。」とあり、次に「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう。」とあるのです。−−エペソ6:1-3。私達は、反抗を許すことによって(それを期待するなどもってのほかです)、子供達を欺き、彼らがこれらの祝福を受け取れないようにしてしまってはなりません。

  さて、ティーンエイジャーたちは、その若き強い意志を両親に従わせることができるでしょうか? 神がそれを命じておられるのですから、神を愛し信頼する者には、それを可能として下さることでしょう。しかし、私達は親として、どうしたら、それを子供にとってやりやすくしてあげられるでしょうか? それには、子供が幼い内からこれらの聖書の真理をしっかり教えることです。子供がティーンエイジャーになる前から、子供がその年頃になったら、彼らの将来を築いていくために親子で共に協力し、助け合い、楽しい時を過ごすことを期待していると話しておいたらいいでしょう。子供が若者文化(テレビ番組や、本や映画など、世俗の「普通」の若者像を描き出しているもの)に接するのは最低限に抑えましょう。そして、子供がそうしたものに接するたびに、それらの誤りを指摘するのです。また、機会あるごとに、「みんなやっているんだから」といった考え方には問題がある事を指摘して下さい! 両親の意志に従った事で祝福された若者の話を彼らに読ませるのもよいでしょう。(オールコットの「Eight Cousins」や「Rose in Bloom」など。) 罪について長々と話したり、色々な罪を詳細に渡って説明してはいけません。聖書には、「彼らが隠れて行っている事は、口にするだけでも恥ずかしい事である。」(エペソ5:12)とあるのですから。

  ティーンエイジャーの協力を得る為に、私達は妥協をすべきでしょうか? 誰が自分の子供と、たいして重要でもない事で喧嘩をしたいと思うでしょうか? もちろん私達は、規則を再検討したり、親子で話し合ったり、聖書の教えに基づいて修正するだけの余裕がなくてはいけません。しかしあなたがそれでも自分の主張にはしっかりとした根拠があると考え、それが子供に最善と思うなら妥協してはいけません。あなたのティーンエイジャーが、喜んであなたの決断に従おうとするなら、彼らは、あなたが彼らが受ける事を願っていた益を受ける事でしょう。もし彼らが反抗したいと思うなら、あなたがしっかりと制限を設ける設けないにかかわらず、反抗する事でしょう。何かが正しく重要であると言っておきながら、次の日になって子供がその事でかんしゃくを起こすと、自分の言った事をすっかり撤回してしまうようなら、あなたは威信を失う事になります。

 

  神話その2: 子供たちもいつかは独り立ちしなくてはいけないのだから、それを始めるのは早ければ早いほど良い。何という事でしょう! 私達はこの考え方に洗脳されており、愛情深く、子を真に思いやる母親でさえ、自分の赤ん坊を、(多くの恐ろしい事が起こっている)託児所や幼稚園に連れていき、子供の成長の為にはそうする事が必要だと信じるようになってしまいました。しかし親が余りに「過保護」になるのを恐れているために、子供たちは通りで誘拐され、ひどい目にあっているのです。「これがティーンエイジャーと何の関係があるんだ?」と、あなたは思うかもしれません。それはちょっとわかりにくいかもしれませんが、同じ原則があてはまるのです。第一コリント10章13節には、「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることがないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」とあります。小さな子供が見知らぬ者に、「キャンデーをあげようか」と言われたら断れないのは明らかなので、あなたは子供をしっかり見ています。子供を信頼できる時もあれば、「若い時の情欲を避ける」ことができるよう助けてあげなければならない時もあるのです。−−第二テモテ2:22

  失敗した場合の結果が深刻で、後々まで影響が残る場合には、ティーンエイジャーに、自分でしっかり責任が持てる以上の自由など決して与えるべきではありません。確かに、彼らが誘惑に負けなければ、よりいっそう強くなることでしょう。しかし、現実的に考えて、一体どのぐらいの者が誘惑に負けずにいられるでしょうか? たいていのティーンエージャーは妥協し始め、どんどん落ちていき、放縦で、罪深く、欺きに満ちた生活に陥ってしまいます。ヨセフや、ダニエルのような若者になることもできたのに、ただの打ち負かされたクリスチャン−−あるいはそれよりもっとひどくなってしまうのです。

  誰が彼らに一人でやらせろと言ったのですか? 独立するよりは賢くなる事を彼らに教えなさい。私達は皆、弱く、罪深い人間です。だから、この世で自らを清く保つためには、得られる限りの助けが必要です。子供達の思考を守り、信仰篤き人達との交わりや、精神的な支えとなるものへと導き、「自分の力で運命を切り開く」といった独立的な考え方に染まらせないようにしなさい。

 

  神話その3: すべての人が自分自身の選択をしなければならない。両親に、自分の選択を子供に押し付ける権利はない。私達の殆どが、これには正しい面もあれば間違った面もあると思っています。しかし、その境目の線はどこに引いたらいいのでしょうか?

  ティーンエイジャーに自ら選択させるなら、どんな結果になるでしょう? 子供に完全に選択を任せてしまう前に、その選択が本当に「自由な選択」と言えるかどうか考えてみましょう? まだ数学をしっかり習得するチャンスに恵まれてないまま、自分は数学嫌いだと思っている14歳の子供が生涯の職業を決めるとしたら、その選択は限られてくるのではないでしょうか? 又は女の子が16歳で夫を選ぶなら、真のクリスチャンである若い男性とあまり知り合った事がない事で、彼女の選択は限られてしまうと思いませんか?

  親として、私達は先のことを考え、彼らが将来真に自由な選択ができるよう下地作りをすることができます。ティーンエイジャーに、彼らがまだ自分で選択するだけの準備ができていない事柄について選択するのを許すのは、彼らが自分の経験不足によって束縛されるのを黙って見過ごすようなものです。子供に対して、代数を勉強したり、セミナーや祈りのミーティングに参加するよう強く言い張るのを恐れてはいけません。今少し自由を失っても、将来、より大きな自由を得ることができるのです。それに、ティーンエイジャーは認めようとはしませんが、彼らの選択は多くの場合、真の独立した選択ではなく、仲間からのプレッシャーに負けて選んだものに過ぎないのです。私達は単に、彼らよりも長い人生経験があり、その上、彼らのことをよく知っているおかげで、彼らにとって何が最善かを知っています。それに加えて私達には、求める者に与えられる神の限りない知恵があるのです−−ヤコブ1:5。

  神が私達に子供達を賜わり、その世話を任されたのは、私達には数多くの欠点があるにもかかわらず、私達の子供一人一人がちょうど必要とする親としての様々な資質がすべて備わっていると知っておられてのことだと信じますか? 謙虚さをもって(そして私達の罪に対する悔い改めの心をもって)、私達は、神が私達に授けて下さった子供が一人の大人に変わっていくのを導くという責任を、勇気をもって受け入れなくてなりません。

 

  神話その4: ティーンエイジャーは、繊細な自我を持っており、私達は、彼らの自己イメージを高めるよう、十分気を使う必要がある。低い自己イメージに対する治療法とは何でしょう? 私達の益のため、また神の栄光のために私達の生活における全てのものを設計して下さった神の知恵の故に、神に信頼し、感謝する事です。(あなたがここで説教していることを必ず実行に移すようにして下さい。) また、一心に神を愛し、他の人々を愛する事です。そうすれば、自分のことなど考えなくなり、他の人に仕えようという思いでいっぱいになります。もしあなたのティーンエイジャーの思いが、いつも他の人を助けることに向けられており、いつも建設的なプロジェクトに取り組んでいるなら、自己を哀れむ時間などなく、自分は何か重要なことを成し遂げているという自覚を持つことでしょう。回りからいつも「ほめそやされて」いないと、すぐに「落胆のぬかるみ」にはまり込んでしまう人というのは、欠陥人間です。それに、もしあなたの子供がたまたま反抗的で、なまけ者で、だらしないティーンエイジャーであるとしたら、子供がそのままの自分の姿に「好感を持つ」ことをあなたは本当に望みますか? 

  もちろん、だからと言って、子供をぞんざいに扱っていいというわけではありません。意地の悪い事を言ったり、つらく当たったり、罵倒したり、見下げる事に対する言い訳はありません。そういうのは、全くクリスチャンとしてあるまじき行為です。私達は、優しく、愛情深くあり、子供をひどく憤慨させたり、恨みを抱かせたりしないよう、特に気をつけるべきです。−−エペソ6:4。どの年齢の子供にも愛情深くし、思いやりを示し、彼らがあなたに対していつも心を開いていられるようにして下さい。(この本に載っているギャリー・スモーリー著の“Key to Your Child's Heart"《日本語未出版》も読んでみてください。)

"PREPARING YOUR CHILDREN FOR ADULTHOOD"--JAPANESE.