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コミュニケーション!

−−あなたのティーンに対する鍵

 

−−ノーマン・ライト、レックス・ジョンソン共著

 

どのようにあなたのティーンを信頼するか

 

  親切でありなさい。「親切」とは、同情、優しさ、思いやりといった意味です。エペソ4章32節では、赦すことと親切であることが同格のものとして取り上げられているだけでなく、詩篇86篇 5節には、「主よ、あなたは恵み深く、寛容であって、あなたに呼ばわるすべての者にいつくしみを豊かに施されます。」とあります。ただ自己防衛的な態度でいるよりも、親切でいる場合のほうが、より容易に人を赦そうという気持が生まれます。

  何か脅かされたように感じるとき、私たちはたいてい自己防衛的になります。しかし、自己防衛的な態度をとるのではなく、親切にするなら、それにつけこまれて自分自身が傷つく可能性も多分にあります。ですから、親切にすることは時に至難の技となります。タフになるよりも優しくなる能力が必要とされるのです。強い人でないと真の優しさを持つことができませんが、私たちは時々自分が強くないように感じます。けれども聖句によれば、私達は皆人に親切であるようにと要求されているので、そのための強さも約束されているのです。詩篇28篇7節にはこう書かれています。「主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。」

 

  憐れみに満ちた柔らかな心を持つ。人に親切にすると傷つくこともあるでしょう。けれども、憐れみに満ちた柔らかな心を持っているなら、それ以上に傷つく可能性が多いのです。だから、私たちのティーンが成長できるように、いくらかの痛みは受けて立たなければならないということです。それは自分を守るための壁を取り壊し、家族の者に自分の心の中の感情をさらけだし、また、彼らと一緒になって彼らの感情を感じとるということです。私たちは憐れみを持つ時、もっと容易に人を赦すことができるようになります。

  憐れみに満ちた柔らかな心を持つことの正反対は心をかたくなにすることです。マルコによる福音書10章5節でイエスは人々の心がかたくななのが理由でモーセは離婚の律法を作ったとあります。言い換えれば、憐れみに満ちた心を持つカップルは離婚する必要がないのです。憐れみ深い人々は赦し合えるからです。同じ事が両親とティーンとの関係についても言えます。憐れみ深く、赦すことのできる両親こそ、憐れみ深く心の柔らかい、赦すことのできるティーンを生み出すことができるのです。

 

異なる周波数

 

  他の人に理解してもらい、他の人を理解するためには、自分たちの話している言葉や心に思っていることを忠実に伝えることが本当に大切です。多くの人がその意味を曲げてしまったり、声の調子が言っている内容と全く違っていることがあります。神の言葉には「愛にあって真理を語る」べきと言っています。(エペソ4章15節)

  自分の言っていることが正しく意味を伝えているかを確認するため、自分の声の調子やボディーランゲージ(意志・感情を伝える無意識の身ぶり・表情・態度)が正しいメッセージを伝えているかどうかチェックしてみましょう。これらは、あなたの言わんとすることや感じていることを言葉よりもよく表すものだからです。あなたのティーンに、学校で何があったか興味があると言う時に、あなたが雑誌から目も離さず単調な調子で言うなら、その子はあなたが本当に興味を持っていると思うでしょうか?あなたがティーンの立場だったら、どう思うでしょうか? 統計によると、私たちの実際に使う言葉自体は、7パーセントしかその意味を伝えないのに対して、声の調子は38パーセント、さらにボディーランゲージは55パーセントもその意味を物語るということです。

 

  もしこれが真実であるとしたら、私たちの声の調子はいったい相手に何を物語っていることでしょうか? 自分は十分感情を抑えており、怒ったりなんかしていないと言っても、声の調子がそれとは正反対のことを物語ってはいないでしょうか? ティーンに話す時の姿勢はどうでしょうか? 「どこに行ってたんだ?」と聞く時、前かがみになって、手を腰のところにおき、戸棚をバシッと閉め、腕を組み、ティーンに背を向けたり、眉をひそめたりするでしょうか。これらの動作や行動はすべて相手に何かを伝えるのです。

  よく両親が心配していることの一つに、「なぜうちのティーンは大人のように行動できないのか? 大人のように振る舞うなら、もうちょっと信頼できるんだが。何回も注意してやらなくちゃいけない!」 私の答えは完全な解決にはなりませんが、なんらかの助けになると思います。ティーンを本当の年よりも下に見くだすかわりに、もう少し彼らを大人扱いし、彼らの能力に信頼を寄せたらどうですか? あなたはおそらくこう言うでしょう。「もし彼が大人のようにふるまうなら、その時には、彼を大人扱いすることだろう!」 けれども、相手を信頼してあげるなら、それが助けとなって、おそらくその人はもっと早く成長することでしょう。

  私達の狭い物の見方が、人の進歩を制限してしまう事がよくあります。私達はティーンに、行動する自由を十分に与えないし、大人に話す言い方で話したりもしません。たいてい私たちのコミュニケーションとは、二人の大人が話しているというよりも、親が子に話しているというパターンです。ティーンの可能性を認め、それを伸ばしてあげてはどうでしょうか? コリント人への第一の手紙13章には、「愛はすべてを信じる‥‥」とあります。私達もこの原理を使い、ティーンがこの先どのように成長していくかを見ることができるでしょうか?

 

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  我らはあなたの子であり、果てしなき所から、我らはあなたの元へ、あなたを通して来ました。我らは年をとりながらも、いまだ若いのです。奇跡の生まれ変わり。

  あなたの朽ちる事のない愛のうちに、人生の不滅の価値観に対する飢えをもち、愛を向かい入れる心に、美を感じることのできる魂に、我らを成長させたまえ。恐れで我らを縮こまってしまうのではなく、我らのうちにあるほとばしる勇気を信仰で生き返らせよ。

  我らと共に、未知の門をくぐって行こう。測り知れない明日に向かって。互いへの尊敬、分担された責任の内に、我らが成長するのを受け入れたまえ。それによって、我らが来たるべき世代の立派な父、母となることができるように。

  −−W.ウエルダマーW.アルゴウ

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ヘッドフォーンをつける

 

  イエスはマタイによる福音書の中で3回も「耳のある者は聞くがよい」と言われました。(マタイによる福音書11章15節、13章9、43節) あなたと私は聞く者として召されているのです。聞く事や聞かれることについて、あと何百もの聖句があります。

  詩篇を読むと、神ご自身がよく聞かれる方である事がわかります。詩篇34篇15、17節では、「主の目は正しい人をかえりみ、その耳は彼らの叫びに傾く‥‥正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助けだされる。」

  知っていましたか。

 

  −−思春期の子供たちの最大の悩みの一つは、両親が彼らの言うことを聞いてくれないことだということを?

  −−ティーンに関する両親の最大の悩みは、ティーンが親の話に耳を傾けず、反応しないことだということを?

  −−たいていの人は聞くということがいったい何なのか知らず、良い聞き手になるためのトレーニングをあまり受けていないということを?

  −−聖書は私たちに、素早く耳を傾けるものでありなさいと言っているということを?

  −−もしも自分の家庭にオープンなコミュニケーションがないとしたら、それはお互いとの関係を制限してしまっているだけでなく、クリスチャンとしての成長、キリストの肢体としての成長を完全に止めてしまっているということを?

 

トータル・リスニング

 

  聞くことの価値を正当に評価している人は一人もいません。両親として、子供たちにあげることのできる素晴らしい資産の一つはトータル・リスニングです。ポール・トーニアーはそれをこのように表しています。「人々が助け合うことを学ぶとき、それはいかに美しく、崇高で、解放される経験であることか。人々は自分の話を親身になって聞いてもらうことを必要としている。この必要の大きさはいくら強調しても強調したりないほどだ。世界中の会話を聞いてみるがよい。国々の間であろうと、夫婦の間であろうと、それは、たいていの場合、つんぼの会話のようだ。」

  S.Iハヤカワ博士はこう発言しました。「話すだけでなく、聞く事もできるなら、年を取るにつれて、知識を与えられ、より賢くなる事ができるはずであり、ある人たちのように25才の時の偏見を持ったまま、65才になってしまう事はないはずだ。」

  「一貫して話し手の言う事を聞く事によって、あなたは次のような考えを伝達している。『私はあなた個人に興味があります。あなたの感じる事は重要であると思うし、あなたの考えを尊重します。たとえそれに同意しないとしても、あなたがそう考えるのは正当なことだと理解できます。あなたには貢献できる何かがあるように感じます。別にあなたを変えようとか、あなたを評価しようというつもりはありませんが、ただあなたを理解したいのです。あなたは聞く価値のある人物であると思います。そして、私があなたにとって話しやすい人物である事を知ってほしかったのです。』」

  聖書は耳を傾ける事について、このように語っています。「事を聞かないで答える者は、愚かであって恥をこうむる。」(箴言18章13節)「あざける者が罰をうけるならば、思慮のない者は知恵を得る。知恵ある者が教えを受けるならば知識を得る。」(箴言21章11節)「人はすべて、聞くに早く(素早く耳を傾ける人)‥‥(ヤコブの手紙1章19節)

  耳を傾けるとはいったいどういう意味でしょうか? 他の人の話を聞いている時は、その人が話し終えたら自分は何を話そうかと考えている時ではありません。自分の返答を作り上げるのに忙しくしているべきではありません。相手が何を言わんとしているかに集中すべき時なのです。

  誰かの話を聞きながら、何と答えようかと思いを巡らし、いろいろ口を出したくてたまらない気持ちになったことはありませんか? 息子、娘があなたに何か話している時、次にその子が何を言うつもりなのかと考え、相手の代わりにその文末を言ってしまったという経験はありませんか? 話し合うためには、相手の代わりに答える必要はありません。そして、自分自身の応答を形づくる必要もありません。私たちに求められているのは、話されていることを忍耐をもって吸収し、飲み込むことだけです。ティーンの言っていることに怒りを覚えたり、非難されているように感じる時もあるでしょうが、それでもティーンの言う事を聞かなければなりません。

 

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  他人を納得させる方法は、あなたの言い分を控え目かつ正確に述べる事である。ちょっと頭をかいて、首をかしげ、自分にはそのように思えるけど、もしかしたら間違いかもしれないと言うのである。こうすると、相手があなたの言い分にしっかり耳を傾けるばかりか、相手の考えを一変させ、相手のほうがあなたにその考えが正しいと納得させるまでになるのである。しかし、もしあなたが横柄に自分の考えを押しつけようとするなら、相手はかえってあなたに反対するものだ。

−−ベンジャミン・フランクリン

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  相手の話を邪魔するのは、私たちがあまり聞いていないというもう一つの証拠です。邪魔というのは、言葉でする事もありますが、ボディーランゲージによる邪魔というのはもっと相手をいらだたせます。忍耐のない顔つき、ため息、集中していない目付き、腕を組んだり、椅子か机に指をガンガンならす事など−−これらの事は皆、「もう終わった? ぼくは聞いていないよ。そろそろ、こっちも話したいんだが。」と言っているも同然です。

  これこそ実際に、ティーンの世界に招待され、ティーンの目を通して一緒に世界を見るよい機会なのです! 私達がしっかり全神経を集中して聞いている事を示す一つの方法は、私たちの体で聞く事です。あなたの手はどんな態度で耳を傾けているか考えたことがありますか? ティーンがあなたに何か話している時に、あなたの手は、あなたがどんな態度で耳を傾けていると物語っているでしょうか?

たとえばあなたが

  −−部屋を片付け、テーブルの上の新聞をしまったりしていたら、

  −−新聞や雑誌のページをめくったりしていたら、

  −−部屋を見渡し、あっちの人やこっちの物をきょろきょろと見ていたら、

  −−熱心に耳を傾けている時というのは、相手に手を触れ、腕を肩に回していることがしばしばです。私達のしていることをまずやめて、耳と目と体全体を相手に向けるなら、私たちは聞く準備ができており、喜んで話を聞きたい(ヤコブの手紙1章19節)と思っていることが相手にも伝わります。これも、私達の言うトータル・リスニングの一部です。

 

聞く過程であなたの注意をそらすもの

 

  相手の話を聞く過程であなたの気をそらす主なものをいくつかあげてみましょう。

  一つは、時々私たちが、自分たちのティーンエージャーの人生に何が起こっているのかあまり関心がないことです。聞いてあげることは、愛と十分に思いやる事の一つの現れです。これは神が私たちのことを思っていることを示される一つの方法でもあります。−−つまり、聞いて下さることを通して。

  私たちが上の空でしか聞いていないもう一つの理由とは、ティ−ンエージャーが私たちのあまり聞きたくないことを話すことがあるからです。だから私たちはティーンを無視し、わきにやってしまうのです。多分誰かがあなたにこの様に反応したことがあるかもしれません。あることについてあなたが前もって言ったにもかかわらず、もう一度そのことに触れると、その人はこう言うのです。「そんなことは決して言わなかった。あなたは間違っている。一度も話し合った事はない。確かだ。」あなたは確かに話したのです。ところが、その人があなたをフィルターにかけ、あなたを無視してしまったのです。もしこんなことがあなたの身に起きたら、もう一度前に言ったことを説明し、相手が理解できたかどうかを尋ねて下さい。もしあなたが相手の話をちゃんと聞いていなかったなら、相手にもう一度繰り返してもらうといでしょう。

  どうして聞くのにいろいろと困難な点があるかというと、生理学的に人間は話すよりも5倍速く聞くことができるからです。もしあなたが仮に、1分に400文字聞けるとし、あなたのティーンが1分につき120文字の速度で話しているとしたら、この余分な能力が話し手から気をそらすものとなるのです。あなたは退屈したり、反対論の準備に取りかかるかもしれません。

 

あなたの聞く能力を伸ばす

 

  では、どうしたらいいのでしょう? どうしたらあなたの聞く能力を伸ばすことができるのでしょうか? 目、耳、全身をもって聞けばいいのです。ティーンの話すのを観察し、ティーンを見つめるのです。彼の声の調子や感情に聞き入りなさい。

  話をさえぎってはいけません。相手が言っている事に全神経を集中させなさい。他事に思いをめぐらしたりしないように。そんなことをすると聞く事に集中できなくなってしまいます。相手を急がせてもいけません。あなたは1分につき200語話せて、ティーンは80語しか話せないかもしれません。それでも常にティーンのペースに合わせることです。

  ティーンと話したい時には、適当な時間帯を選ぶようにすると良いでしょう。もし忙しすぎるのなら、7時に話すと決め、その時間は誰からも邪魔が入らないようにするとティーンに言いなさい。とにかく、何よりもまず、彼の悩みや思い煩いに喜んで耳を傾けてあげることです。

 

あなたのユーモア指数はどうですか?

 

  ユーモアは重苦しい雰囲気を取り除き、緊張感をほぐす事もできますが、ややもすれば、ティーンを怒らせてしまう事もあります。親からしょっちゅう、「ふざけてたんだよ、冗談がわからないのかい?」と言われるなら、ティーンにとってつらいことにもなりかねません。箴言には次のような警告があります。「隣人を欺いて、『「私はただ戯れにした』という者は、燃木または矢、または死を投げ付ける気違いのようだ。」(箴言26章18、19節)

  ティーンが意気沮喪して気落ちしている時に軽薄にユーモアを使うなら、なおさら気落ちさせてしまうかもしれません。ティーンは、あなたが自分のことをあまり気にかけてくれていない、自分の立場から物事を見ようとはしてくれないと思うかもしれません。時にかなったユーモアや冗談はいいかもしれませんが、やはりいつ言うかが問題になります。箴言15章23節には、「人は口から出る好ましい言葉によって喜びを得る。時にかなった言葉は、いかにも良いものだ!」とあります。

  いつも相手を冗談の対象としたり、冗談を使って、自分のほうが優れているとか勝っていることを見せようとするなら、ユーモアは武器となってしまう事もあります。冷笑、あざけること、軽薄さはほとんどの場合破壊的なものです。

  両親が自分の問題を全然真剣に受け止めてくれず、それについて話し合うこともしてくれないことで不満を抱いているティーンもいます。ガールフレンドやボーイフレンドと別れた後や学校でみじめな日を過ごした後に、コメディアンに来てもらって笑わせてもらおうとは思いませんし、全然ほほえみもしない「石のように無表情な顔」をした人に来てもらいたいとも思いません。

  両親があまりにも真面目すぎて、気にしすぎて、水を差してしまうこともあります。良いバランスをとることが大切です。

  人生には明るい面がいっぱいあるはずです。恐らく私達のティーンがそれを見つけるのを助けてくれる事でしょう。もし私達がティーンと一緒にティーンの目を通して人生を見つめるようにするなら!

 

 

かわいい子供!

 

  ベッドの脇で小さなキムはお母さんと一緒に祈るためにひざまずいていました。突然キムは、「ママ! ママ!」と呼びました。

  でもお母さんは「今は祈っているのよ、後にしなさい。」と返事をしただけでした。祈り終えると、お母さんはキムに尋ねました。「いったいどうしたの?」 

  「もう大丈夫」とキムは言いました。「だけど、ママが私の指の上にひざまずいていたの。」

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  日曜のディナーに客が招待されていました。マーサは不作法をしてお母さんを困らせてしまい、罰として、一人ですみっこの小さなテーブルで食事をすることになりました。

  残りの家族と客は、彼女が食事のために祈り始めるまであまり彼女のことを気にとめてはいませんでした。「主よ感謝します。私の敵の前で私の前に宴を設けてくださったことを。」

"Communication!--Key to Your Teens"--Japanese.