RR476

 

子供に耳を傾ける

−−子供に言語を教えるための手引き

−−デービッド・クリスタル著

 

まず初めに

 

  母国語の習得は幼年時代においておそらく最も重要な行為であると言えるでしょう。いったん言語をものにしてしまえば、沢山の扉を開く鍵を握った事になります。過去の記録への永久の鍵を得た事になるし、現在起こっている事に十分参加し、将来の計画を立てる事もできます。とうわけで、言語の習得は、私達が理解を示すに値する最も秀でた課題と言え、また最近の学問的研究における主要な分野となってきていると言っても、驚くべき事ではないでしょう。それにもかかわらず人々は時々こう尋ねてきます。「何を研究するって言うのですか?」 「子供の言語ジャーナル」が1970年代に最初に出版された時、ある読者が、編集長の私あてに手紙をよこし、なぜ研究の必要があるのかと尋ねてきました。「子供の言語というのは、さほど複雑なものではありません。」と、その読者は言いました。「子供は皆誰でも、親のまねをするだけです。なぜそれが驚くに値することなのですか?」

  もちろん、もしそれだけの事だとしたら、確かに研究誌の必要性などほとんどなく、この本はここで終わりになってしまうでしょう。しかし、子供の言語専門家が最初に発見したことのひとつは、それほど単純な説明だけでは、説明しきれないということです。子供は時々親やまわりの人々をまねますが、子供の言うほとんどの言葉が、大人の言葉をまねたものであるとはとても考えられません。

  子供はオウムではありません。彼らは自分達の言語を熱心に学んでいるのです。だからこの分野が一目見たよりも、はるかにずっと複雑であることは明らかです。そしてその複雑さが、すべての研究の動機となったわけです。

  しかしこの本は、親を皆、研究者にするのが目的ではありません。ただ、言語の習得の過程を詳しく紹介し、それによって、子供がいかに「学んで」いくかをできるだけ知ることから来る満足感、また子供の進歩を見て感じる誇りを味わってもらうことが目的なのです。

 

一歳になるまで

 

  言語の習得はいつ頃から始まるのでしょうか? 重要な時期は一歳の終わり頃、つまり子供が「最初の言葉」を話し始める頃であると、広く考えられています。「今日初めてしゃべったのよ!」というのは、親がしばしば発する喜びの声ですが、ある意味では、それは真実なものと言えましょう。子供が初めて意味の通じる言葉を話すことには、何か特別なものがあるからです。子供が正式にスピーチ・コミュニティーに加わる、胸おどる日なのです。それを記念するバッチがあるべきですね。

  しかし、そういった興奮にもかかわらず、最初の言葉を発したことが、実際に子供の言語習得の始まりを示すことにはなりません。それは一歳になるまで、親と子供の両方が費やしてきた多くの労力の結果なのです。それは、誕生、あるいはそれ以前に始まる言語発達の、複雑な一連のクライマックスなのです。

  では、そこには一体どんな発達があるのでしょうか? まずは一般的に観察してみることにしましょう。話し言葉を使って誰かとコミュニケーションをとるためには、3つの能力がなければなりません。まず第一に、これは、非常に明らかなことですが、音を出すことと、その音をつなぎ合わせて、意味の通じる言葉にする能力が必要とされます。そして第二に、第一の要素ほど明らかというわけではありませんが、音を受け取り、相手の人が話している言葉の意味を理解する能力が必要です。そして第三の要素は、最も目立たぬ要素ですが、その人といかにやり取りをするかを知る必要があるということです。つまりいかにして会話をするかということです。子供は、12ヶ月になるまでには、三つの分野においてかなり上達してくるものです。

 

段階1(0〜8週間):基本的な生物学的な音

  子供も、また親もこのようには見ないでしょうが、赤ん坊が泣いたり、喉を鳴らしたりしている時、赤ん坊は発声器官を動かすことや、口と鼻を通して空気の流れをコントロールする練習をしているのです。それは長い過程のほんのわずかな一歩にすぎませんが、基本的なものです。

 

段階2(8〜20週):クックと喉をならして喜んだり笑うこと

  3ヶ月頃から、あの初期の頃の原始的な音は次第になくなり、泣く回数もはるかに少なくなっていきます。まもなく子供の発声のほとんどが、クックと喉をならす音にとって変わります。そして4ヶ月頃にもなると、喉をならして笑う事が始まります。多くの親にとって、これは、自分達が手にしているのは、ただの自動フードプロセッサー(食物処理機)ではなく、1人の立派な人間なのだという最初の確信を持つしるしとなります。

 

段階3(20〜30週):発声のお遊び

  さて、この段階で、赤ん坊は何を学ぶのでしょうか? 母親と赤ん坊が長い時間、楽しそうに仲むつまじくしている様子からもわかるように、そこには楽しいことがたくさんあるのです。私は、双方とも一見何の意味もなさない音だけを発する2分間の会話を聞いたことがあります! その一方で、「お遊び」という言い方は、この段階においては誤解を招くおそれもあります。なぜならその言葉を使うと、この時期は赤ん坊が発声練習をする大切な時期だという事が伝わってこないからです。この時期には、赤ん坊の頭と首のつり合いが急速に発達し、発声器官は大人のにはるかに似た位置に移ってきます。舌の行動範囲は新しい領域も含めてもっと広がります。それ故、口の中では、かなりの開拓がなされるというわけです。つまり舌を動かせる新しい位置を探索し、新しい音を発声する事などです。それと同時に、赤ん坊はどの声帯が振動するのかを違ったスピードで実験します。声帯を速く振動させると、自分の声のピッチが上がり、ゆっくり振動させるなら、ピッチが下がる、という具合に。

 

段階4(25〜50週):バアバアと話す

  バアバアと話すことは、人生の最初の年において赤ん坊が出すありとあらゆる音の中でも、最も耳慣れたものでしょう。6ヶ月頃から起こる典型的な「アバババ」や「ダダダダ」のような継続する音は、誰でも知っています。

  バアバアと話す事は、子供が自分の言った事の意味を心配する事なしに、後に会話の中で使われる音と継続する音とを練習するひとつの方法であると言われています。これはある意味では真実であり、バアバアと話すのが上手な子が、うまい話し手になるというのは、ありそうなことです。

 

段階5(9〜18ヶ月):音楽的な言葉

  一歳の終わりにかけて、赤ん坊が口に出す言葉は、よりバラエティーに富んだものになってきます。見ての通り、バアバアと話す中に、より広い音の領域が入り込んでくるのです。そして9ヶ月頃からは、話す声のメロディーやリズム、調子も発達してきます。それこそ、言語をなめらかで自然に聞こえるようにする技術で、それらを非常に上手に扱うようになる子供たちもいます。

 

感知することと理解すること

  言葉を話し始めるのはおよそ1歳からですが、話された言葉を理解するのはそのずっと以前から始まります。

  どのくらい前まで逆のぼらなくてはならないでしょうか? 大人が話しかける言葉を、子供が最初に理解し始めるのはいつなのでしょうか? もっと基本的に言って、その言葉を感知し始めるのはいつ頃からなのでしょうか? 外国語に接したことのある人なら誰でもわかるように、言葉を感知することと理解することの間には、大切な違いがあるのです。外国人があなたに話しかけているということは、いとも簡単にわかります。しかし、何を言っているのかを理解するのは、全く別のことなのです。赤ん坊は最初の年に、それと同じような問題にぶちあたるのです。

  それではどのくらい前まで逆のぼったらいいのでしょうか? この質問の驚くべき答えとは、一番最初までつまり誕生、あるいはそれ以前まで逆のぼらなくてはならないという事なのです。

  心理学者は新生児の持つありとあらゆる聴覚能力を証明してきました。赤ん坊は、生後2〜3日で声のする方に頭を向けます。早くて2週間もすれば、赤ん坊は人間以外の音よりも人間の声を好むようになります。生後1日にならない前に、赤ん坊には母親の声を聞き分ける事さえできるのです。どうしてその事がわかるのでしょうか? それはいろいろ異なった音を赤ん坊に聞かせ、その反応を注意深くモニターする実験を行う事でわかります。ある一つの実験において、例えば、生後1日の新生児に、母親の普通に話す声と、母親がいつもと違った感じで話す声(単調な調子で)、そして知らない人の声を聞かせます。赤ん坊は最初の声だけに反応を示すのです。

 

いっしょに話をする

  3ヶ月の赤ん坊との会話をここで紹介しましょう。それは一方通行の様に思えますが、そこには確実に2人の参加者がおり、交替で話しをしているのです。片方は、単なる泣き声やゴロゴロと喉を鳴らす音、またクックと喉を鳴らして喜んだり笑ったりする音だけによって、構成されています。そして残念なことに、それはアルファベットの文字を使って表す事が不可能な音なのです。

 

  マイケル:(大声で泣いている)

  母親: まあ、まあ! そんなに大声を張り上げて!(マイケルを抱き上げる)

  マイケル:(しくしく泣く)

  母親:おお、よしよし。誰も来てくれなかったの? おしめが濡れてるのかしら? ちょっと見てみましょう。(おしめの中を見る)おしめは大丈夫ね。

  マイケル:(ペチャペチャという音を立てる)

  母親:じゃあ何なの? お腹がすいたの?そうなのね? 夕食からだいぶ経っているかしら?

  マイケル:(喉をゴロゴロ鳴らしてほほ笑む)

  母親:(赤ん坊に顔を押しつけ)そうね。もうずっと前だったわね。

  マイケル:(喉をクックと鳴らす音を立てる)

  母親:わかったわ。じゃあ、何かおいしい物を取りに行きましょう。どう?

 

  ここでは、相互関連の基礎が築かれました。子供は言葉を話していませんが、沢山のコミュニケーションが交わされています。

 

子供に話しかける

  誰もが赤ん坊に話しかけるのが容易にできるわけではありません。確かに、相手がどの年令であろうと、とにかく人と話をするのがむずかしいと思う人もいます。だから、あなたがもともと物静かな親で、専門家が言うほど十分子供に話しかける事ができないとわかったならどうしますか?

  答えは簡単です。あなた自身が余分の努力をしてでも、子供に必要な刺激を与えなくてはならないという事です。優れた言語能力を養うには、最初から言葉を教える以外に方法はないという事が、研究でかなり明らかにされています。

  毎日の生活の中で、会話が自然にかわされ、いっしょに何かができるような状況を利用しなくてはなりません。そのガイドラインのいくつかをここに挙げてみましょう。

  * 赤ん坊が自分の方に注目するチャンスを与えなさい。もしいつも騒がしいなら、特に音のパターンがいつも変化しているとしたら、(例えば、人の出入りの音や機械をつけたり消したりする音のように)これはむずかしいでしょう。毎日子供とだけ過ごす時間をさくようにして下さい。

  * 「話しかける」という事はその人を「見る」ということなのです。赤ん坊と真のコミュニケーションを持つためには、目と目のコンタクトを保つ必要があります。

  * 子供の言葉を訂正してはいけません。もちろんこれは、2〜3歳児に対してもっと言えることですが、ここでもその事を挙げておきましょう。文法を訂正するには、適切な時と場所とがあります。そして3〜4歳になるまでは、その対象には当てはまりません。言語においても、子供が走れるようになる前に、まず歩くことを覚えなくてはいけないのです。

  だからもし子供が、「ぼく、持ってる、車を。」と言っても、「テッド、『僕は車を持っている。』と言うのよ。言ってごらんなさい。」などど言い返してはいけません。もっと巧みに言うのです。「ほんと。車を持ってるわね。見て、ママも車を持っているのよ。」という具合に言うのです。これで一石二鳥という訳です。あなたは、普通の人間としてすべき方法で、子供の言った事に応え、そのすぐ後ではヒントを与え、そういった文章を表現するにはもっと良い言い方があったかもしれないと、ほのめかす事ができるからです。

  * それと同じように、子供の発音も訂正してはいけません。あなたが何かあげる前に、子供に「正確に」発音するよう言い張る以上に悪いことはありません。これはよくあります。1歳半の子供が、ボールを見て、「ボー」と言いました。すると親は、「『ボール』と言ってごらん。」と最後の「ル」の音を強調して言ったのです。でもまた子供は「ボー」と言いました。「『ボール』と言えるまで繰り返して。」と言って親はききません。このやり取りがかなり長い間続きました。その結果は予想の通り、汗と涙の結末となったのです。子供版の発音を受け入れる方がずっと賢明です。そしてその後でボールを投げながら何気なくその言葉を言うことによって、正しい発音を教えてあげるのです。

  * 現在起こっている事を、特に赤ん坊の分かる言い方で話しなさい。過去の出来事や、これから起こる事については、それほど話さないように。話題を「現在」の事にとどめておきましょう。そしてできるだけ具体的ではっきりとした言葉を使いましょう。「あれを見て。」と言うのは、「あの車を見て。」と言うのほど、分かりやすくはありません。

  * 赤ん坊というものは、人々が赤ん坊を最初からコミュニケーター(伝達者)として扱う時初めて、コミュニケーションを学ぶものです。赤ん坊の「話す」すべての事に興味を示してあげなさい。親が耳を傾ける事は、親が話しかける事と同様、大切な事なのです。

  * 最後に、やりすぎてはいけません。いつも話してばかりいないように。赤ん坊には、平安と静けさも必要なのです!

 

結 論

  一歳の終わり、つまり子供が「最初の言葉」を話し始める頃までには、そのための下準備の多くがすでに始まっています。赤ん坊は発音のし方や音に耳を傾ける方法について、すでに多くを学んでいるのです。また彼らのまわりでかわされる言葉を理解する事について進歩を遂げており、いかにして会話をするかといった、人とのあらゆる相互関係の基礎を学び始めているのです。次の段階は、学んだ事の全てを実行に移すこと、つまり自分達の言語の音や文法、語いを、実際に使っていくことです。今、言語の土台が築かれました。次には一階を建てることが必要なのです。これは1歳の時に行われます。

 

一歳から二歳

 

  12ヶ月頃から、子供は最初の言葉を話し始めます。勿論それは、あくまでも平均ですが。早くて8〜9ヶ月頃から、聞き分けのつく、はっきりした言葉を話す子供もまれにいます。また18ヶ月になる頃まで、はっきりした言葉を全く言う事ができず、バアバアとしか話せない子供もいます。1歳になると、全く黙り込んでしまい、2歳近くなるまで話し始めないという子供もいます。そういった子供は、しばしば、「最初の言葉」を話す段階を完全に飛び越え、急に完全な文章を話し出す段階へと乗り出して行くのです。私の子供のひとりもそうでした。もし私がそのような場合があることを知らなかったなら、彼女が18ヶ月になる頃までには、たぶん心配し始めていたことでしょう。でもその心配はいりませんでした。その2〜3ヶ月後には、彼女は他の2歳児と同じようにしゃべりまくっていたのです。どうしてこのような遅れが出るのかは、いまだかつて、誰一人として説明できた人はいません。

  18ヶ月頃になるまでには、子供は約50語を話すことができるようになり、理解できる語はその5倍にも及びます。2歳になるまでには、話せる言葉が200語までに増え、理解できる言葉はと言うと? −−さあ、ここで難問にふつかるのです。子供がその言葉を理解したかどうかを決めるのは、子供の言語を研究した者なら誰もが直面する、最大の苦痛の種なのです。そこには、ありとあらゆるあいまいな面があります。

  ハイチェアーに座っている15ヶ月のジミーに母親がこう尋ねます。「おわんはどこ?」 するとジミーは、素直に、おわん一杯の食べ物を指さします。お皿洗いの終わった後、母親はきれいに洗われたおわんを持ってジミーの前を通ります。その時また同じ質問をします。ところが今度は、ジミーは当惑したような顔付きをし、返答しません。彼には「おわん」という意味が分かっているのでしょうか? それとも分かっていないのでしょうか? もし分かっていないとしたら、では彼の最初の反応をどう説明するのですか? 彼は「おわん」という言葉を「食べ物」とか「夕食」と考えており、だからきれいに洗われたおわんは「おわん」ではなくなってしまうのかもしれません。

  一歳を過ぎると、子供にはこういった類いの問題が、数多く見られます。2歳になると、こういった問題はやや減ってきます。なぜなら子供は、もっと世の中の事を学び、より複雑な文章を取り扱うことができるようになるため、言おうとしている事をはっきりと説明することが、もっとうまくできるようになるからです。

 

子供は何を意味しているのか?

  裏口のドアをたたく音がすると、マークは興奮して飛び上がりました。母親が行ってドアを開けると、それは牛乳配達人でした。その人を見るとマークは、「パパ」と嬉しそうに言ったのです。

  もちろんマークが間違っていたとは言えません。マークの父親は牛乳配達をしているのかもしれませんから。しかし牛乳配達人が皆マークのお父さんではあり得ないのだから、「パパ」という言葉のこの奇妙な使い方には、他に何かの理由があるに違いありません。

  実のところ、子供が、その言葉の普通の意味を越えて、それ以外の意味で使うことは、一歳児の言語の発達過程においては、ごく普通の特徴です。そしてそれは、2歳半頃まで続きます。子供がなぜこのように、言葉自体が持つ意味より広げて考えるのかを理解するためには、言葉を学ぶには二つの側面があることを考慮しなければなりません。言葉の「形」、つまり音を学ぶのと、言葉の意味を学ぶのとは、全く別のことなのです。子供は、言葉の意味を、大人が考えるような四角四面の意味には取らないのです。子供は想像力を働かせて、その言葉の意味を推測しなければならないからです。外国語で新しい言葉に出会った時、もし辞書がないなら、私達も同じようにその意味を推測しなければなりません。ところが、しばしば間違った意味に解釈してしまうものです。

  たぶん子供は、「パパ」という言葉は、ズボンをはいた人を見た時、あるいは低い声で話す人を見た時に使うものだと解釈したのかもしれません。だからそういった人達は、皆「パパ」になってしまうのです。

  子供がその言葉の正確な意味をつかむまでには、かなり時間がかかるかもしれません。子供は言葉を一つ一つ学んでいるわけではないからです。全ての事がいっぺんに起こっているのです。二つの物体が全く対象的な場合には、それ程問題ではありません。「猫」と「犬」は違いが明らかな為、子供には早い時期からその見分けがつけられます。そして言語の数が増していくにつれ、違いを見分ける事ももっとうまくなっていくのです。

  勿論その為には親の助けが必要です。親はその違いを子供に示してあげる事によって、子供を助けてあげるのです。例えばこんな風に言います。「あれは猫ではなくて犬なのよ。」 それからこう説明します。「ほら、『ワンワン』って言ってるでしょう。猫は『ミャーン』と鳴くの。」 親はそれに関連して話を続けていく事の名人です。子供が「緑の車だ。」と言ったなら、親は他の色をした車も示してあげ、色の違いを子供に教えるのです。

 

質問すること

  子供が最初に質問をしだすのはいつ頃でしょうか? 最初にする質問は何でしょうか? 一歳の始めから2歳にかけて、次の3つの発達段階が見られます。

  段階1:早い子供では、一歳の誕生日を迎える前に、質問をしたがる徴候が現れ始めます。もちろんこの時点では、文法的な技術は習得してはいませんが、声の抑揚を使って質問の意味を相手に伝えることはできます。これは、大人が使う方法でもあります。「昼ご飯?」と聞かれるとします。文章では、そこに疑問符がついているので、それが疑問文である事がわかります。また会話でも、声の調子が高く、語尾を上げて言うため、質問している事がわかるのです。子供は、父親の帰宅する時間に、外で物音を聞いた時、「パパ?」と言います。またハイ・チェアーの縁にジュースを隠して、「なくなっちゃった?」と言い、それを床にこぼしてしまった後、自分のこぼしたジュースを見ながら、声を低くし、きっぱりとこう言うのです。「なくなっちゃった!」

  段階2:一歳になると、子供は質問用語を使い始めます。それは「なに」「どこ」「いつ」「なぜ」といった言葉です。「なに」と「どこ」は、普通、子供が話す最初の言葉で、子供が15〜18ヶ月の頃は、単独で使われます。しかし間もなく、「それはどこ?」「それは何?」「何してるの?」というように、他の言葉を伴って使われるようになります。「なぜ」「どんなふうに」「だれ」という質問を子供が聞き始めるのは、しばらく後の事です。そして「いつ」という質問は、まだそのずっと後になります。

  段階3:2歳になると、子供はもっと複雑な質問をするようになり、文章も長くなります。「パパどこ行くの?」「そこで何してるの?」 この時期に子供は肯定文を疑問文に置き換える法則を学びます。その法則はきわめて簡単なものです。「これは車です。」という肯定文を疑問文にするには、文章の最後に「か」をつけて、「これは車ですか?」とすればいいだけです。子供は2歳になると割とすぐに、この法則を身につけます。しかし時間のかかる文章もあります。

 

結 論

  2歳の誕生日を迎える頃までには、子供は200語もの重要な語いを身につけます。そしてその言葉を組み合わせて、簡単な文章を作ることを習得するのです。また音の数も増し、少なくとも12音、あるいは多くて20音はうまくこなす事ができるようになります。しかし多くの進歩がみられたにもかかわらず、2歳児の言語はまだかなり未熟です。たぶんこの時期は言語発達における最もかわいい時期と言えるでしょう。長い文章を言おうとして四苦八苦したり、むずかしい言葉を使い、複雑な音を発音しようとして、子供が一生懸命になっている姿はかわいらしくてたまりません。でもそういった時期は長くは続きません。2歳を過ぎると、子供はとても重要な時期に突入していくようになります。

 

二歳から三歳

  言語的な観点から言うと、2歳から3歳にかけての時期は、きわだったものがあります。その時期にはかなりの進歩が見られます。今までの年とは比べものにならない程、たくさんの事が同時に起こるのです。

  典型的な2歳児が話す文と、3歳児の話す文とをいくつか挙げてみると(いく人かの子供達から集めたもの)、そこには言語面でのかなりの飛躍が見られます。3歳児の世界は全く別の世界なのです。

 

2歳児:

  くまさん、落ちてる。

  それ、はまった。

  ママ、いっちゃった。

  パパ、行かないで。

  開けて。

 

3歳児:

  そこに置いて。

  僕、ジミーと同じくらい、たくさん車持ってる。

  ママが庭に出るようにって言ったの。

  赤いシャベル持って、どこ行くの?

  僕、パパに庭で会った。

 

語 い:

  2〜3歳児の話し言葉の数を正確に把握した人は、未だかつてまだ誰もいません。

  2歳児の語いについて研究してきた人達は、2歳半〜3歳の間に、子供の語いが急激に増えると話しています。ある研究発表によると、2歳半までには500語を、そして3歳になるまでには1000語を学ぶと言われていますが、これは、多くの子供にとっては、確かに少なく見積もった数だと思います。またこれは、この時期に複数の意味で使われる言葉を考慮に入れてはいません。2歳児にとって、犬という言葉は動物の犬をさし、それ以外の意味はありませんが、子供は3歳になる頃までには、多くの言葉が、いくつかの違った意味を持っていることを理解し始めるのです。

  一つの単語に多くの違った意味がある事は、言語においてはごく当たり前のことです。辞書を開いてみれば、すぐわかるように、英語のほとんどの単語にはひとつ以上の意味があり、辞書にはその違った意味が全部挙げられています。例えば、「テーブル」という単語には、家具のテーブル、テーブルに出た食べ物、会談の席、一覧表、平地などの違った意味があります。そしてその単語を使ったありとあらゆる熟語があるのです。語いを学ぶことは、このすべてを学ぶこと、あるいは少なくとも最も一般的に使われる意味を学ぶことなのです。

  もちろん、「テーブル」のほとんどの意味は、大人だけによって使われるものですが。3歳児は、意味の違いを見分けなければならないような単語に多く出くわします。

 

 

Funny:「おかしい」「奇妙な」

Call:「大声で叫ぶ」「ちょっと訪問する」「電話する」

Leave:「去る」「〜を(ある状態のままに)しておく」

Plug:「洗面所の栓」(触れてもいいもの)「壁のコンセント」(触れてはいけないもの)

Side:「(体の)わき腹」「(紙の)一面」「(競争する)チームのひとつ」

Low:「低い」「静かな(声で)」

 

 

  さて、2歳半の子供が二人いると想像してみて下さい。二人とも上記の6つの単語を学んだとします。しかし一人は一語に対して一つだけの意味を、そしてもう一人は、その単語の持つすべての意味を学びました。学んだ単語の数だけを数えるなら、二人とも同じ数の単語を学んだ事になります。ところが、知っている意味を数えるなら、最初の子供は6つの意味を学んだのに対し、2番目の子供は14の違った意味を学んだ事になるのです。

 

あなたと私と第三者

  言葉って何て変てこなんだろう!−−どの子供でも、「私は」「私を」「あなたは」「あなたを」という代名詞に初めて出会ったなら、きっとこういう結論を出すにちがいありません。さて、子供の立場になって考えてみましょう。こういった状況に初めて出会った時、あなただったら一体どんな事を考えるでしょうか?

 

  「パパがこう言う。『私に見せてごらん。』 この場合の『私』はパパを意味する。

  でも、ママがこう言う。『私に見せて。』 この場合の『私』はママのことなの。

  そして私がこう言う。『私に見せて。』 この場合の『私』は自分のこと」

 

  「ころころ意味が変わる言葉があるのなら、それをどうやって学べばいいというの? 『犬』という言葉が、動物の『犬』だけを意味していた頃に戻れたらいいなあ!」

  2歳に入ると、子供は代名詞に出会うようになります。びっくりすることに、その複雑さにもかかわらず、子供はそれをうまくこなすのです。「私」「あなた」という代名詞は、誰が話しているのかによってその意味が変わってくるという状況に直面した時、子供はいつもそれを混同して、「私」の代わりに「あなた」、またはその反対に言ってしまうのではないかと、私達は考えてしまいがちです。しかし実はそういう事はめったにはありません。

  子供が、英語の代名詞のシステムの複雑さを全て把握するには、ほぼ2年はかかるでしょう。でもそれは努力する価値のあるものなのです。その中のいくつかは、子供の生涯でもっと頻繁に使われるようになります。

 

ノーと言うこと。

  あからさまにノーと言わないで、否定を意味することを言うのは、とても大切な技術です。とりわけ両親は、3歳以上の子供と話す時、それをうまく使えます。子供がこう尋ねます。「クッキー食べてもいい?」 すると母親は「もうすぐおやつの時間よ。」と答えるのです。母親の答えには、否定的な言葉は全く使われていませんが、否定的な意味を表しています。子供は最初の内は、そういった返答を聞いても、それをどういう意味に解釈したらいいのかよくわからないものです。

 

  子供:「ママ、クッキー食べてもいい?」

  母親:「今、食べたばっかりでしょう。」

  (沈黙)

  子供:「でもまた食べていい?」

  母親:「だめよ。言ったでしょう。今食べたばかりじゃない。」

 

  でも子供はすぐに学びます。母親は2回めの返答の中で、否定の意味をはっきりと表現し、きつい声の調子でも、その事を強調しています。子供は5歳になる頃までには、大人の話す文の言外の意味をくみとるのがかなりうまくなります。

 

結 論

  子供は2歳で、お話しするトドラー(よちよち歩きの子供)となり、3歳では質問と議論の好きな言語分析家となります。今までよりはるかに多く話すようになり、その流暢さと正確さとで私達を感動させるのです。もちろん直さなくてはならない間違いはまだたくさんするし、言語面においてまだ未開拓の分野もかなりありますが。

 

   ――――――――――

  コロンビア大学のアーネスト・ブレンネッケ教授は、「only」という言葉を挿入する場所の違いによって、意味が8通りもある文を考え出した人物です。この文です。

 

I hit him in the eye yesterday.(昨日私は彼の目を殴った。)」

   ――――――――――

 

学齢期前

  3歳頃になると、子供の話す言語に急激な変化が起こります。言葉の上での重大時点と呼べる時があるなら、それはこの時です。しかも、そのきっかけは一番短い言葉の部類に入る言葉、“And”(「と」または「そして」)です。

  子供が話すのを注意して聞いていると、最初にこの言葉を口にするのは、おそらく2歳半頃ではないかと思います。それは“Mommy & Daddy”などの短い文節で使われていて、しばしば“n”と途切れて発音されています。

  では、“and”を使い始めることがどうして大きな突破口になるのでしょうか? それは、文法で言う「複文」を使うことの最初の真の兆候だからです。

  その効果は著しいものです。途端に子供の口から出る言葉が以前の2倍の長さになります。一度この方法で“and”の使い方を学ぶなら、それに歯止めをかけるものは何もありません。間もなく、同様に言葉をつないで、1文全体が出て来ることでしょう。それを制限するのは、子供の記憶力と息の短さ、それに大人の忍耐のなさぐらいなものです。

  ある日のこと、庭から急いで入って来て深呼吸をしたかと思うと、ジョアンナはこの物凄い武勇談をし始めました。

  「パパ−−パパがね、すきをこわしちゃったの。そして、そして、それがこわれちゃって、パパもけがしちゃったの。そして、そして、赤く腫れちゃって、そして‥‥」

  彼女の話はそこまでにしましょう。この例を挙げたことの要点はもうつかんでいただけたと思うので。

  だいたい3人に1人の子供が、複文を話し始めるのにかなり苦労するようです。複文を話すことによって、一時休止が多くなり、彼らの話ははるかにたどたどしいものになります。次の例にあるように、一語だけでなく、一まとまりになった言葉を繰り返すようになるからです。

  「マークに会ったら、車ぼくに−−車ぼくに−−車ぼくにくれたの。」

  最も顕著なのは、次に挙げるように、一つ一つの音を繰り返し始めることです。

  「犬がね、道路を走って渡って行ったら、ほ−−ほ−−骨があったんだ。」

  これは大変! どもりです! どうしましょう! しかし、慌ててはいけません。慌てるには及ばないからです。

  この種のたどたどしさは、この年齢ではごくありふれた事です。今までの2倍の長さの文を話すという膨大な作業に直面し、それゆえ一度に今までの2倍の事を覚え、しかも次に言いたい事を同時に考えるなら−−これではどもりになっても無理はありません! どもりにならない子供のほうが多いというのは、驚きなくらいです。

  放っておけば、普通、数カ月でどもりはなくなってしまいます。

  「放っておく」というのはどういう事でしょう? それには幾つかの事が含まれます。そのような子供に対して、言葉が口から出て来ないからと、忍耐を切らさない事。「いいから、早く、1日中待ってる時間はないんだ」などと言ってはいけません。そんな事をしたら、どもりに注意を引き、益々ひどくなりかねません。大人は、子供自身は普通、どもっている事に気付いていないのだと知っておく必要があります。いつもの調子で話すので、彼らが気付いていない事がわかります。つまり、あなたの前に立って、一つの言葉の最初の音を10回以上言ったところで、全く何も気にかけていないのです。大人のどもりのように、しばしばある音を発音するのに苦労しているわけではないのです。子供には、これについて緊張や心配がなく、ついつい心配するのは、両親ぐらいなものです−−それこそ、隠さなければなりません。そうでないと、子供はそれを感じ取り、かえって問題を起こす事があるからです。事実、どもりになる理由を説明する学説の一つは、この点をおもに指摘しています。この学説によると、この一般的な発育段階でとがめられた子供は、自分が流暢にものを言う能力について神経質になり、その結果どもりのままになってしまうという事です。

 

発 音

  3歳から5歳にかけて、子供の話す言葉は著しく増えます。この頃には、話す際の最も大切な規則の幾つかは、殆ど習得ずみです。例えば、文中の単語の順番がそうです。そして、実際に使う語いも、おそらくは5000語近くに達しています。幸いなことに、発音能力も、この発達にペースを合わせてくれています。

  5歳頃に問題になるのは、より微妙な摩擦音の入った子音ぐらいなものです。この年令の子供は、例えば“fin”と“thin”“sin”と“shin”のような言葉の一部をはっきり言い分けるのにまだ苦労するかもしれません。こういった問題は、子供が次のような言葉を発音する時に見られます。“red”が“wed”となって、“w”と“r”を混同してしまうのです。しかし全体的に見れば、子音の発音を間違えるのは、長い言葉かあまり使い慣れない言葉に見られるだけです。例えば子供達が“disturb”などのような言葉を聞くと、彼らはしばしば最後の“b”を“v”と発音してしまうのです−−普通は“b”と“v”を決して混同することがなくてもです。

  “r”の音がはっきり言えなくて、“red”を“wed”と言ったり、“brick”を“bwick”と言うのは全く普通な事です。事実、非常に一般的なので、それを「間違い」と呼ぶのは、実際にはかなり的はずれです。特定の段階に達して、唇と舌でそれを言い分ける能力を身につけるまで、子供達がそれに関してできる事は何もありません。その時になれば、かなり自然に言い分けられるようになります。あせりは禁物です。この年令では、親が子供の特定の発音が気に入らないからと、躍起になって変えようとしても、成功しないでしょう。双方が気分を害してしまうのが落ちです。

 

学齢期の初め

  大半の5歳児というのは、かなり流暢に話せるものです。彼らが遊びながら話す言葉に耳を傾けると、言語習得の期間は終わったという印象を確かに受けるものです。とても沢山の事を話し、沢山の事を理解します。これ以上学ぶべき事は何もないのです。これで全部に違いありません。言語は習得されたのです。完了です。

  そう考えたくなるのも無理はありませんが、これは正しくはありません。言語を学ぶ事には、決して終わりがないという事を私達は悟る必要があります。思春期前の子供達の語いのレベルは、10,000から20,000語の間であると思われます−−しかし、これは、存在するすべての語いに比べたら、ものの数にもなりません。足元にも及ばないのです。英語には、百万語以上にのぼる言葉があります。勿論、全語いの10分の1以上の語いを習得する人は殆どいませんが。残りは、非常に多くの技術専門用語や地方特有の言語で、わずかな人々しか学ぶことのないものだからです。しかし、百万の10分の1でも、やはりかなりの数です。あなたが9歳であれ、90歳であれ、学ぶべき語いというのは必ずあるのです!

 

2カ国語を話すのは複雑な事?

 

  たまたま外国人を配偶者に持つ読者の方は、「では、うちの子はどうなるのだろう?」と思っているかもしれません。ある人が心配して、このような手紙をくれました。「私はフランス人で、夫はイギリス人です。私達はイギリスに在住しており、ちょうど最初の子供を出産したところです。私は娘にフランス語を話したいのですが、夫は英語しか話せません。どうすべきでしょうか? 子供を混乱させたくはないので‥‥」 このような考え方はかなり大勢の人が抱いているようです。つまり、「幼い年令で2つ以上の言語にさらされるなら、混乱してしまい、2つの言語をごちゃまぜにして、どちらもろくに話せず、学校で他の子供から遅れを取ってしまうのでは‥‥」という考えです。

  心配ご無用です! 心配する理由がありません。この世界には、何の問題もなしに成長して2カ国語を話している人達が大勢います。世界中の子供達の半数以上が、多数の言語を話す環境で成長しているのです。イギリスとアメリカは従来そういったケースに入らないので、私達はそういった環境に慣れてはいませんが。この2つの国では、子供達はたいてい1カ国語しか話しません。しかし、ヨーロッパ、アフリカ、南アジア、中国などを旅行すると、1カ国語しか話さない方がむしろ例外的だという事がわかるでしょう。2カ国語、さらには3カ国語以上の言語を知っており、また、それを目標にしている子供達は、世界に何百万といるのです。複数の言語を話すことによって、遅れたり、不利であったりということは全くありません。逆に、2つ以上の言語を巧みに操れるという能力は、真に役立つものであることを証明しています。

  仏語と英語の話に戻って、この場合にも全く支障のない事を見てみましょう。この母親はおそらく、娘が仏語と英語を同時に多く耳にする事によって、どうしてもごっちゃにする事が避けられないと考えているのでしょう。しかしそれは有り得ません。乳児期に、子供が2つの言語にちょうど半々に接するということは普通ないことです。普通は母親といる時間がはるかに多いので、子供はおもに1カ国語だけの環境にいることになるからです。乳児期や幼年期に、父親が子供に話す言葉は、母親のそれに比べて10分の1ぐらいのこともあるのです。

  例え子供が2カ国語に同等の割合で接したとしても問題はありません。事実、5歳頃までに、2カ国語を話す子供の大半は、双方の言語において、1カ国語だけを学んだ子供の場合と同じ発達の段階にまで達しているからです。

  今では、2カ国語を習得することに関する研究が幾つか行われてきていますが、その伝えるところは明確なものです。親が子供を普通に、思慮深く扱い、ごく自然に話し、自意識過剰になったり、わざとらしい話方をしないなら、懸念の理由は全くありません。まず何よりも、言語を教えるために複雑な方針を設ける必要はありません−−両親共2つの言語に長けていると、それをすることがあるようですが。子供が複数の言語を同等に話す能力を養うために、時間割まで決めたという家族の話を聞いた事があります−−月曜は英語、火曜はウェールズ語といった具合にです。もちろんそれは長続きせず、そのアイディアをすっかりやめるまで、家庭内はかなり緊張した雰囲気だったそうです。

 

言語の遅れ

 

  子供達には非常に多くの個人差があるので、同じ年令の子供に比べて遅れているように見えても心配する必要はありません。ですから、子供が1歳までに幾つかの言葉を片言で言い始めなかったり、2歳になっても、言葉をつないで1つの文にして話すことができないとしても、心配は無用です。私は、2歳までは文字通り全く話さず、それから物凄い勢いで話し始めたという子供を沢山知っています。

  その反面、「平均」にもまた意味があります。たいていの子供は1歳までに最初の言葉を言うのに、自分の子供が1歳半になっても一言も言わないとしたら、心配するのも無理はありません。他の親達が子供の話す言葉を誇らしげに話していると、自分はその場に溶け込めない思いをするものです。そういった場合の私の最善のアドバイスは、心配なら、それについて話しなさいということです。−−誰でも耳を傾けてくれる人に。他の親達の体験と自分の体験を比べてみることです。7人の子供を持つ母親が、「うちの2人の子供は、3歳になるまで話さなかったんですよ」とか、そういった意味の事を言うのを聞けば、あなたもずっと気が楽になるでしょう。

 

言語の発達を助けるゲーム

 

  ほとんどのゲームには言語がかかわっていますが、中には、特に話し言葉を集中的に教えるのに適したゲームがあります。以下のセクションには、学齢期前の子供達に使えるゲームが挙げられています。

  *読み始める前の本。例えば、レディバードの“Talkabout”の本です。興味深い絵や絵物語が盛り沢山で、それらを主題に会話をすることができます。また、例えば「それぞれの動物はどんな鳴き声をするかな?」などのように、話し言葉に焦点を充てた特別なクイズも載っています。

  *お気に入りのおもちゃ。一つのテーマに沿ったおもちゃは、語いを増やすのに役に立ちます。例えば、お人形の家と家具、農場と動物など。ところで、男の子も、女の子同様、人形の家で楽しく遊ぶものです。

  *言う通りにして。一連の動作を指示する言葉を順番に言います。例えば「鼻に触って、手をたたいて、耳をかいて」など。つながった文を作るのと同様に、聞く力を養います。

  *ハンティング・ゲーム−−積み木でも、コインでも、おもちゃの車でも何でもいいのですが、親と子が順番に隠して見付ける遊びです。「車はどこ? 椅子の下かな? 時計の後ろかな?」などと。このゲームは、場所を示す言葉を沢山用います。親が一つの場所にいなければならない時には、特に役立つものです。(料理をしたり、他の子供に食べさせたりなど。)

  *何かな? 親と子が順番に部屋にある物を選び、一度に一つずつその特徴を描写します。「それは大きくて‥‥足が4本あって‥‥」 子供がその品物の際立った特徴に焦点を合わせるのを助けることによって、語いを増やす助けになります。

  *指人形を使えば、質問や命令形の文や、大人に対しては子供があまり使うことのない言葉を使わせるのに非常に役に立ちます。

  *何がないかな? 子供になじみのある品物を幾つか選んでそれを見せます。その内の一つを取って、どれがなくなったか子供達が覚えているかどうか見るのです。この遊びは、言葉に関連した記憶力を養う訓練になります。けれども、できればこの場合は順番でしない方がいいでしょう。子供よりも当たる回数が少なくて、あなたが気まずい思いをしなくてすむようにです!

 

   ――――――――――

「ママのために特別に描いたんだ」

  と言って息子が私にくれたのは、

ぞんざいにぬられた、おぼつかない絵だった

 

馬? それとも、猫? 魚? 靴?

  一体、何にこじつけられようか?

たとえそれが、何なのかわからなくても

  それは、息子が真心こめて描いたもの

 

「素晴らしいわ」と私は言った−−

  息子の贈り物は私には最高のもの!

その誇らしげに輝く目は、

  百万ドルでも買えない

 

「ママのために特別に」−−

  この3つの言葉には

実に力強い不思議な力がある

  世界で一番小さな贈り物も

一塊の、純金の贈り物に変えてしまう。

       −−ヘレン・マーシャル

   ――――――――――