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子供に喜びを教える

リンダ&リチャード・アイア夫妻著

 

前 書 き

  子供が生まれた時、私達二人は目標を探求し始めました。子供のために何を一番求めるか、子供に何を与えたいかを問い始めたのです。問題は、与えたいものがとてもたくさんあったことです。愛、安定、安心感、創造性、友好性、心の平安、自信、想像力、他人への心配り、個性、奉仕の心がけ、などなど。そのリストは長くなるばかりでした。

  ところが、その突破口となるようなことがある夜起こったのです。その夜、大勢の親達に向かって話す機会を持った私達は、それぞれの夫婦に紙を手渡し、片面に子供の年を書いてもらい、裏側には、子供に一番与えたいものを一言で書いてもらいました。「子供のために何か一言で願い事をするとすれば、それは何でしょう?」

  結果は、かなり注目に値するものでした。就学年令前の子供を持つ親はほぼ全員、同じ事を書き、小学生の子供を持つ親達の回答も、就学年令前の子供の親とは違っていたものの、全体的にほぼ一致しており、ティーンエイジャーの子供を持つ親も揃って、別の願いを持っていました。就学年令前の子供には、親達は幸せを望んでいました。小学生を持つ親達は、責任感を持つ事を望んでいました。そしてティーンエイジャーに対してはほとんどの親が、非利己的さ、奉仕の心、もっと自己中心的でなくなる事を望んでいました。

  これが私達の「目的をもった子育て」プログラムの始まりでした。私達は意識的に、以下の目的を、この順序で取り入れる事にしたのでした。

 

0−6歳:子供に喜びを教える。

4−12歳:子供に責任を教える。

0桁0−16歳:子供に奉仕と、思いやりを教える。

 

  これらが互いに重複するということは承知の上です。喜びには、責任を果たす喜びも含まれますし、奉仕には責任という要素もあります。でも私達は、焦点をあてるべきものが必要だと感じたのです。−−つまり、子供のそれぞれの成長段階において目指すべき、明確で、しっかりした、一つのゴールが必要であると。

  この「子供に喜びを教える」は、私達の努力によって生まれたものであり、各章それぞれ、一つの「喜び」について書かれてあります。

  たいていの親が直面する一つの問題とは、自分の成功度を測ることが難しいということです。親達は「基準」となる明確なゴールがないため、行動するというよりは、子供のする事に何とか対応していくだけで精一杯になってしまい、その上、親としての成功度を、自分がしばしば感じる欲求不満やいらだちという感情によって測ってしまうのです。

  けれども、親が毎月一つの基本的な目標を持つなら、どの家庭にも訪れる一時的な危機には目を止めず、その月のゴールを定めた分野における子供の進歩を見ることができます。私達が皆さんに毎月一つの「喜び」を選ぶことをお勧めしているのは、こういった理由からです。

 

天真らん漫な、自然に沸き上がる喜び

 

  ある日私は、昼食を取ろうと、人通りの多いボストンの街を一人で歩いていました。前を見ると一人の老人が物乞いをしています。「どうぞお恵みを。」 若いビジネスマンは「いや、すまない」と言って彼を降り払いました。忙しすぎるのです。乞食のところに近づいてきた私は、彼の顔を見ました。悲しみに満ちた老いた瞳の内に、彼の人格をかいま見た思いでした。「私と一緒に昼ご飯でも食べに行かないかね。」 ふと、その場の思いつきで、そんな言葉が出てきたのです。彼は驚いた様子でした。私も驚いてしまいました。いつもの昼食のことは忘れてしまうでしょうが、この昼食の事は忘れないでしょう。この打ちひしがれた老人は、信じられないような身の上話をしてくれたのですが、それを私に話すのは、彼にとって助けになり、私にとっても、彼の身の上話を聞くのは助けでした。別れる時には彼は腹一杯になり、誰かが自分の事を気にかけ、耳を傾けてくれたことで、一筋の希望を抱いていました。私も幸せな思いでそこを去りました。人助けをしたからというだけではなく、その場の思いつきで、自由に、わだかまりなく、何かをしたからです。

 

子供の観点

  その時、私は自分の寝室にいました。18か月になるジョシュは、その真下にある、彼の姉の部屋にいます。初め、私は彼が泣いているのかと思いましたが、よく聞いてみると、それが何だかわかりました。彼は大きな声で、お腹をかかえて、天真らん漫に笑っていたのです。キッチンのほうから、姉達が妻のリンダと一緒にいる声が聞こえていたので、彼がそこに一人でいることはわかっていました。そこで私は様子を見てみようと、しのび足で階下に降りました。ドアの隙間から中をそっとのぞくと、ちょうど次の大笑いが響きました。ジョシュは私に背を向け、サレンのベッドに向かって座っています。すると、床まで垂れているベッドカバーが、突然もっこりとふくらみ、我が家の愛犬ラブラドール犬がベッドの下からぐうっと出てきたのです。目をキョロキョロさせてベッドカバーの下からもぞもぞと頭を出したバーニーのおどおどした姿は、ひょうきんで、ジョシュはあまり激しく笑ったので、横に転がってしまいました。それでもジョシュは素早くベッドの端の下にもぐり込み(バーニーがその後を追いました)、ベッドカバーの下からまたはい出て、くるっと振り返ると、バーニーがまた出て来る様子を見ていたのです。

  ジョシュの笑い声に、私もつられてほほ笑みました。そして、自由な気分になりました。大人の笑いはしばしば皮肉っぽかったり、馬鹿騒ぎのようであったり、わざとらしかったり、冷ややかであることがあります。ところがジョシュの自然な笑いは、何千ものベルが鳴ったように、自由で、喜びに満ちた笑いとなって響きました。それは、幼い子供なら皆、持っているものであり、ほとんどの大人が失ってしまったものです。

 

教えかた

  カギとなる方法は、励ましによってそれを促進することです。子供は、ほめられたことを繰り返すものです。

  ある行動を励まし、良いものと認めるには沢山の方法があります。中でも一番良いのは、あなた自身も一緒にその行動に参加する事でしょう。

  子供と一緒に興奮し、楽しみなさい。自分の洗練された態度など忘れてしまって、一緒に子供のようになって、感情をあらわにしなさい。子供が「ほら、見て!」と言ったなら、「わあ、すごい!」と言うのです。「ほらほら、落ち着くんだ。」とか、「こんな所でそんなことできないのよ。」などと言ってはいけません。

  子供と一緒に天真らん漫になって、思いもしなかったような事を色々しなさい。「ジョシュ、ママは疲れているようだ。ママに昼寝をさせて、お前とパパで晩ご飯を作ろう」といった具合に。

  とっさの思いつきを最優先させなさい。とっさに思いついた事に十分な価値を認め、少しぐらい不都合でも、それをするに任せるのです。暑い夏の午後に外を歩いているとしましょう。そして、あなたの2歳になる子供が初めて水溜まりに足を突っ込んで面白がっているのを見かけたとします。「こら、やめなさい!」と言って、ぐいっと子供をつかもうとする衝動をグッとこらえなさい。ゴム長靴をはかせ、水溜まり遊びをさせるのです。(または、自分も長靴をはいて一緒に遊んではどうでしょう!)

  音楽が流れ、その気分になったら、立ち上がってちょっとダンスでもしたらどうでしょう。  わくわくする、思いがけない結果を生み出すような遊びをする。

  ストローでシャボン玉遊びをする。(コップに石鹸水を入れるか、入浴の時に風呂おけでする。)

  空になったプラスチックのビン、ストロー、じょうごなどで、水遊びをする。

  シェービングクリームでフィンガー・ペインティングをする。子供達を滑らかな樹脂の台やテーブルの前に座らせ、一人一人の前に、スプレー式のシェービングクリームを少量出し、粉末のテンペラ絵の具の赤を少々振りかけます。子供に、指や手でそれをのばさせます。それから青と黄色のテンペラ絵の具をそれぞれ違った場所に少量降りかけ、色を混ぜるとどうなるかやってみさせましょう。

 

我が家の宝箱

  我が家には「宝箱」があります。ただの古い木の箱に、色とりどりのきれいな色を塗って、大きな錠前をつけたものなのですが、子供は経験から、そこにはいつも思いがけないものが入っていると知っています。

  一週間に一回か二回、何か特別な時かほうびを与える時に、ただ一人、錠前の番号を知っているパパがこの宝箱を開けるのです。たった一個のピーナッツバターボールや、松ぼっくり、またはテーブルを拭くのを手伝うための何でもないスポンジにさえ、子供がどんなに喜ぶかには、本当に驚かされます。宝箱の中から出て来る物なら何でも、思いがけない喜びを生むのです。

 

体で感じる喜びを教える子供の観点

  以下は、我が家の3歳児と私との会話です。

  「どうして体があると思う?」

  「スキップするため!」

  「スキップするため?」

  「そうよ。」

  「そうか。じゃあ、おまえの体の一番いいところはどこだい?」

  「目。」

  「どうして?」

  「花が見えるから。」

  「そう。」

  「でも鼻も大事。お花のにおいをかげるから。」

  「聞こえるかな?」

  「聞こえない、でも、目をつぶると小さな音も聞こえるの。」

  「たとえば?」

  「風とか、木とか。」

  「どんな音?」

  「シューッ、シューッって。でも、もっと静かな音。」

  「他に体で好きなところがあるかい?」

  「舌。しゃべれるから。−−舌をつかむと、しゃべれないのよ。やってみて−−私の名前を言ってみて。」

  「アウ、−−アゥーン。」

  「ね!」(笑う)

  「ショーニー、体があって幸せかい?」

  「体は幸せよ!」

  天真らん漫な喜びと子供特有の好奇心を持っているため、子供は自由に体で喜びを感じます。子供は申し分のない生徒なのです。しかし、それでもやはり教師が必要です。子供の感覚機能は揃っており、感覚を受け取りますが、喜びを感じるには、自分の感じたものを解釈しなければなりません。子供は大人よりも感覚が鋭いのですが、体で感じる喜びは、感じたものをどう理解するかにかかっており、そのために、教えることが必要になってくるのです。

 

教えかた

  体の各部分の名称を学ぶ。

  1.「サイモンが言いました」遊び。リーダーが様々な命令をする。「おなかを触りなさい。」「左足を上げなさい。」「目を閉じなさい。」 リーダー以外の人は、「サイモンが言いました」と言ってから命令が与えられた時にだけ、その命令に従う。

  2.「ホーキー・ポーキー」遊び。参加者は輪になってこの文句の身振りをする。「左足を中に、左足を外に、左足を中にやって、ぶらぶらぶら。ホーキー・ポーキーをして、ぐるっと回って、さあ、おしまい。ヘイ!」 このような文句を、体の他の部分の名称を使って繰り返す。

  3.厚手の厚紙で大きな体のパズルを作り、子供に組み合わさせる。組み合わせながら、子供は体の名称と、その部分の果たす役割を言う。

 

  体を感謝することを教える。

  1.「これ、なーに?」ゲーム。子供に目隠しをする。それからいろいろな物の音を聞かせたり、においをかがせたり、触らせたり、味見させたりして、それが何か当てさせる。面白い感触のもの(紙やすり、コットン、艶のある石)や、色々な音がするもの(ビンに入った水、箱に入った小石、ベル)、においの強いもの(香水、ポップコーン、ピクルス)、味の際立ったもの(砂糖、塩、ピーナッツバター)などを使う。

  2.他の動物と比較して、人間の体を感謝することを教える。ゾウや、鳥や、リスのまねをする。−−何ができるか? 何ができないか? (2本足で歩く、指で物を拾う、話す、何かを持って歩く。) それから、植物のまねをする。−−何ができなくなるか? (ほとんど何もできなくなる。)

  3.特定の物と、そのために使う感覚とを結びつける。横に6つの欄の並んだ表を作る。左から2番目から6番目までの欄に5つの感覚を書き入れる(見える、聞こえる、味がするなど)。そして、子供に何か物を選ばせ、一番左の欄にその名前を書かせ、その物から感じ取れる感覚をチェックする。例えば、風−−聞こえる、感じる。ホットドッグ−−見える、においがする、感じる、味がする。

  4.それぞれのゲームの後でそれについて話し、喜びながら振り返る。「どの感覚を使うのか知るのは楽しかったね。」「音を聞き分けるのは面白いね。」などと。またゲームの最中、折りを見ては「面白いねえ。」「人間の体って、すごいんだね。」などと言うようにする。(注:これが、子供に喜びを教える上での一貫したカギです。喜びを味わっている間やその後、子供が喜びを喜びとして認識し、自分が喜びを感じている事を意識するよう助けるのです。そうするなら子供はまたそれを望み、次に喜びを感じた時に、その感情を喜びとして認識できるようになります。)

 

  体の技能を使うことと、その発達。

  1.ダンスと行進。軽く優雅なバレエ音楽から、重々しい兵隊行進曲まで、様々な音楽を使う。リズムがはっきりしていればいるほどよい。何にもとらわれずに、自由に動くように励ますこと。「天井を蹴ってみよう。」「風に揺れる大きな木みたいになろう。」など。

  2.キャッチボールの練習。ボールを受けることができるという能力ほど、子供に肉体的な自信をつけさせ、満足感を覚えさせるものは、あまりありません。大きなフォームかスポンジのボールはキャッチしやすいので、最初のステップとして最適です。

  3.ヒアリングゲーム。良く聞く音を録音し、子供の前でかける。何の音かわかるか、みてみましょう。たとえば、

  ドアベルの音

  ポップコーンがはじける音

  泡を吹く音(石鹸水に入れたストローで)

  水洗トイレの音

  4.戸外障害物コース。できるなら、庭に以下のものを置いて障害物コースを作りましょう。

  ・2メートルから2.5メートルほどの長さで、5×10センチ角の木材を2つのレンガの上に置いて(端に一つずつ)、子供がその上を歩けるようにする。

  ・古いタイヤを列の並べ、その上か、穴の所を歩く。

  ・木と木の間にロープを張り、地面から20〜30センチの高さになるようにして、上をジャンプする。

  ・空気入りの大きなチューブに登る。

  ・大きなダンボール箱の片側を開けておき、もう片側または上に穴を開けて、子供がはって入り、出られるようにする。

  創造力を働かせること。庭やガレージを見回し、何か付け足せるようなアイディアを探しましょう。子供が転んでもケガをしないように、使用する物には裂け目や、釘や、その他危険なものがなく、安全な場所に置かれていることを確認して下さい。子供には、押し合わないよう注意すること。全員、同じ方向に進むこと。

 

  体の世話。

  1.子供に2人の人の写真か絵を見せる。一方は体の引き締まった運動選手、もう一方は体調が悪く、筋肉のたるんだ人の写真。一方の人がしており、もう一方の人がしていないことを挙げさせましょう。例えば、運動、良い食べ物を食べる、体を清潔にする、良く寝るなどです。

  2.「体に良い」食べ物と、「時々食べても良い」食べ物を区別させる。これにはフランネル・ボードがいるでしょう。フランネル・ボードを一本の毛糸で半分に分け、雑誌から食べ物の写真(カラー写真が最適です)を何枚か切り抜きます。それぞれの写真の裏にフランネルを貼り、フランネル・ボードに貼れるようにします。そして、写真を箱に入れます。

  子供に、体を強め丈夫にする食べ物を言わせます。それから、おいしいけれどもあまり頻繁に食べてはいけない食ベ物(ケーキ、クッキー、その他の甘い菓子類)を言わせます。それから、このように言います。「この箱の中には、体にとても良い食べ物と、あまり食べすぎてはいけない、『時々食べてもいい食べ物』の写真が入っているから、フランネル・ボードのこっち側には健康に良い食べ物を並べ、あっち側には『時々食べても良い食べ物』を並べてごらんなさい」

 

自然を楽しむ喜び

  自然は実に美しく、五感全部を使ってその美を感じることによって喜びが生まれます。私の知っていたある詩人は、彼の詩のほとんどが自然を題材としたもので、私が気づきもしないようなものを見る目を持っていました。彼の家の壁には、「五感の鋭さ」と書いた紙が貼ってあり、それについて尋ねると、「感覚の鋭さ」によって、思わぬ発見、思いがけず起こる楽しい出来事に巡り会うことができるということでした。感覚の鋭さというのは、敏感に物事を認識し、味わうことであって、五感全部をフルに使うことによってそれができるのです。ちょっと考えてみて下さい。物事を認識し、感じ取る事から、幸福感が得られるとは、驚くべきメッセージではありませんか。

 

子供の観点

  ある4月のこと、息子のジョシュは生後15か月でした。前の年の夏は、まだ小さくてあまり外に出られなかったので、その年になって最初の暖かい日に、初めて裏庭を見ていました。私は、黙って窓からジョシュを見ていました。ジョシュはまず芝生に触れ、その上に座り、足を前後に動かしたりし、それがとても楽しかったので、声をあげて笑いました。それから寝そべり、頭の後ろと首で草の感触を味わいながら、口を大きく開け、期待に胸を膨らませているかのようでした。その位置から、彼は、空や雲があるのに気づき、今度は両手を上げ、両方の人さし指で空を指さして、口を大きく開き、感嘆をこめて「オー!」と言いました。

  すると、近くの木で鳥がさえずりました。ジョシュは少しびっくりした様子で首をかしげ、その音はどこから来るんだろう、といったふうでした。鳥がもう一度さえずります。今度はどこからかわかりました。ジョシュは立ち上がり、木に向かってヨチヨチと歩きました。鳥はスーッと飛び降り、20メートルほど宙を飛んで芝生に着地しました。ジョシュは目を輝かせ、また驚嘆しつつ、鳥が飛ぶのを目で追いました。彼が身動きもせずに鳥を見ていると、鳥は草をトントンと強くつつき始め、次の瞬間には、クネクネともがいているミミズを引っ張り出しました。ジョシュは信じられないといったように首を振り、鳥のほうへとヨチヨチ歩き始めました。鳥はさえずりながら木に舞い戻りました。

  ジョシュは、雲に向かってしたように、両手で鳥を指さし、「オー!」と言ったのです。

 

教えかた

  自然についての名前を教える。

  1.動物、木、花などの写真が載った大きな本を一緒に見る。写真をさして子供にその名前を言わせるか、あなたが名前を言って子供に指ささせる。

  2.どこに行く時でも、自然の中のものを指さして、その名前を言う。

  3.ピクニックや、自然の中の散歩などに子供を連れて行き、自然に接するようにさせる。動物園、植物園、あるいは家の裏庭で、自然を観察させる。自然について話し、それについて子供に話させましょう。

  子供が自然について認識を深めるよう教える。

  1.自然の中を散歩する。別に森や山でなくても、野原や公園で大丈夫です。いろいろなものを指さします。ただし、あまり説明しすぎないで、子供に探索させなさい。アリ塚を見つけたら、立ち止まって観察しなさい。アリが何をしているか、子供に尋ねましょう。子供が自分で考えるのを助けるような質問をすることです。四季を通じて同じ公園を散歩し、「どこが違う?」と尋ねましょう。

  2.子供に自然のものと、そうでないものを区別させる。自然の中を散歩している時、子供に自然のものでないものを見つけさせましょう。−−カン、紙、ゴミなど。人間が造ったものは自然のものほど美しくないことを指摘します。自然のものはどれを取っても独特だけれど、人間が造ったものは大量生産されている事が多いことなど。

  3.それぞれの季節のコラージュをつくる。色々な雑誌に目を通し、写真を探す。

  4.鳥を観察し、エサをやる。

  5.ペットを飼う。ペットについてや、世話の仕方を学ぶ。

 

  自然を利用することの喜びを教える。

  1.牛の乳を搾る。ミルクを飲み、バターを作る。卵を集め、調理する。

  2.自然食を食べる。ハチミツ、卵、ミルク、ホームメードのパンなどで。

  3.「これはどこで取れるんだろう?」という問いがまだ子供の心にある内に、下に挙げたものを幾つか箱の中に入れます。子供に中身が見えない高さに箱を置くか、持っているかします。順番で子供一人一人に箱の中に手を入れさせ、それがどこで取れるか言わせます。説明が必要な時は、説明してあげましょう。(物の例:にんじん、バナナ、りんご、パン、ツナ缶、ハチミツ、ミルク、レーズン、コーンフレーク、ホットドッグ、コットン、毛糸の手袋、木、ガラス、紙。)

  4.子供と「質問ゲーム」をする。こんなふうに言います。「今、お母さんはこの素晴らしい世界にある何かについて考えているわ。それについて色々言うから、お母さんが何のことを考えているのか、当てられるかしら。わかったら手を挙げること。でも、『何ですか?』と聞くまでは何も言わないのよ。」

  ・「緑の物のことを考えています。それは成長します。小さいのもあるし、とても大きくなるのもあるわ。それには葉っぱがついてます。それは何ですか?」 (木)

  ・「空にあるもののことを考えてます。それは黄色いのよ。たいてい夜に見えます。丸いものです。それは光って、あたりを明るくしてくれます。何ですか? (月)

 

興味や好奇心を抱く喜びを失わせないでおく

子供の観点

 

  ある時私は、人通りの多いショッピング街の脇のベンチに腰をおろして、通り過ぎる人々を眺めていたことがあります。−−誰がよく物を見ているかを見ていたのです。大人は、仕事や、問題や、自分のことで頭が一杯でした。彼らの視線は一度も私の視線とぶつかりませんでした。大人の目には、人込みの間をぬっていくために必要なものしか映りません。

  でも、子供はすべてを見ていました。子供は一人残らず、少なくとも一瞬は、私を真っすぐに見、またすべてのものに一瞬目を止めていました。子供の目や耳は知覚機器であって、見、聞き、あらゆるデータを吸収し、質問します。

  人間は人生の初めの5年間に、残りの生涯で学ぶのと同じだけの量の事柄を学ぶというのも不思議ではありません。その時期には、もっと物を見、感じるのです。人間は生れつき、自然で喜びに満ちた好奇心と興味を持っています。それはどうなってしまったのでしょう? 大人はそれをどこでなくしてしまったのでしょうか? 子供達は、いつ、それを失ってしまうのでしょう?

  ある研究では、赤ん坊は、起きている時間の内5分の1は、動かず、ただ目で物をじっと見ながら観察しているということがわかりました。赤ん坊の頭は非常に柔軟で、感受性に富んでいます! 親はおそらく、良きにつけ悪しきにつけ、子供の体や精神よりも、子供の思考のほうをもっと変えることができることでしょう。

 

教えかた

  子供の例から学びなさい。一緒にやって、子供を励ましなさい。私と妻は、暖かい春の日に一人で花の中で遊んでいる我が家の3歳児を、裏窓から見守っていました。彼女の喜びや熱心な好奇心はあらわで、私達にもそれが感じられたほどでした。私はこうささやきました。「どうしたらこれをあの娘の中に永遠に取っておけるんだろう?」 妻はこう答えました。「彼女が見る姿を見守って、そして、彼女が見るものを私達も見たらいいんだわ。」

  それ以来、私達はそれが秘密だということを悟りました。子供は教師であり、専門家です。私達のほうが、学ぶ者であり、生徒なのです。子供を子供の活動(葉っぱの中で跳んだりはねたり)から引き離して、自分の活動(家の掃除)に引き入れるよりも、時にはあなたの仕事を放っておいて、子供の活動に加わってはどうでしょう。(心配しないで下さい。髪に葉っぱがついても、髪をとかせばちゃんととれますから。)

  答え、質問する。あなたが葉っぱの中にいる間、先生(あなたの子供のことです)はこんな質問をするかもしれません。「毛虫がこの葉っぱに穴を開けたの?」 そうしたら、あなたは次のように答えることを考慮するとよいでしょう。その穴に興味を持つよう教えてくれたことで、子供に感謝し、こう言って答えるのです。「そう、たぶん毛虫が開けたんだね。」 そして、「その毛虫は今どこにいると思う?」と言って、もっと何かを教えるきっかけを作りましょう。

  質問は、何と貴重なものなのでしょう! 観察力が鋭く、問いかけてくる子供心こそ、答を見つけ、発見し、解決策を捜し出す第一歩です。決して質問を無視したり、批判したりしてはいけません。

  子供が色々質問してくると、1つか2つの似たような失敗をしてしまいがちです。(1)無視するか、そっけなくはねつけてしまい、その瞬間の素晴らしさと可能性に気づかない。(2)一緒にどうしてか考えたり、子供が自分で答を見つけるのを助けるような質問をしてあげたりせずに、親が自分で質問に答えてしまう。質問について話し合う時間を取れば、子供が、論理的に考え、概念化し、探求するという素晴らしいプロセスを理解するのを助けることになるのです。

  刺激。赤ん坊は、物が見えるようになったらすぐ視覚の刺激が必要になります。モビール、明るい色、観察できるような動く物などです。親は赤ん坊にいろいろな物を見せたり、話しかけたりして、生まれたての赤ん坊の目や耳や体に、色々異なった物を見たり、聞いたり、感じたりするチャンスを与えるべきです。

  質問ゲーム。夕飯時や、その他都合の良い時に、「良い質問を思いつくことができるというのは、時に、正しい答を言うよりももっと大切である」ということを説明してあげましょう。子供に、「何か題材を言うから、それについて何か良い質問を思いつくかな」と言います。それから題材を挙げます。(「雲」でも、「車」でも、「パパの会社」でも、何でも良い。) 何回かこのゲームをしたなら、子供に、質問には、「何が」「いつ」「どこで」「誰が」「どのように」といった種類がある事を説明してもいいでしょう。

 

我が家の好奇心ブック

  自分の興味や好奇心に誇りを持つよう育てられた子供は、自分の気づいたことをすぐさま教えたがるものです。自分の発見したものや、好奇心や興味の結果を話すチャンスがあるならば、子供はますます、これからも色々な事に好奇心や興味を持ち続けようと思うようになります。

  我が家には、「好奇心ブック」があります。これは、厚紙の表紙がついた、ただの白紙のノートで、家族の誰もが、自分の見たものや見つけた面白いものや興味深いものを書きとめられるようになっています。学校に入る前の子供はもちろん、自分が見たものを大人に言って、書いてもらいます。好奇心ブックを読み返すのは、いつも楽しいものです。

  「青と黒の鳥が家の脇の木に巣を作っている。」(サレン、4歳。)

  「フェンスをくぐって物置裏に通じる穴があるので、バーニー(我が家の犬)はそこをくぐり抜けて友達の家に行くことができる。」(ショーニ、3歳。)

  我が家の好奇心ブックは、居間のフックにかけてあります。そこにあると知っているので、皆そこに何か書きたがります。月に一度かそこら、私達は新しく書かれたものを読みます。我が家の好奇心ブックは、時がたつにつれて価値が増していくのです。

 

想像力と創造性の喜びを教える

子供の観点

 

  ある日の午後、いつもより早く仕事を終えた私は裏口からそっと家に入りました。まだ誰も私が帰ったのに気づいていません。その時に、5歳と4歳の娘の声が子供部屋から聞こえてきました。

  「じゃ、あなたが看護婦さんになるなら、私がお医者さんになるわ。」

  「オーケー。」

  「で、バーニー(犬)がちゃんとふとんの中で静かにしてれば、バーニーが病人になれるわね。」

  「うん、この棒は手術のためね。」

(かわいそうな犬を守ってやりたいという気持ちを、私はぐっとこらえました。)

  「手術する前に、この患者を麻酔で眠らせなくちゃ。」

  「ああ、でもバーニーは目をつぶらないわ。バーニーに歌を歌ってあげないと。−−そしたら、起きていても痛くないもん。ああ、患者さん、患者さん、あなたの舌は大きくて長いんですね。手術しますよ。そうすれば、見た感じも、気分ももっと良くなりますよ。」

  子供の思考はこの世で一番自由で、創造的で、ルールや伝統に縛られていません。ですから、子供に創造性や想像力を教えるのはいたって簡単です。しかし残念なことに、とかく、「そんなの馬鹿らしい」とか、「いい加減にそんな子供じみたことはやめなさい」とか、「あれこれ想像するのはよしなさい」と言いがちなものです。皮肉なことに、親が子供に、「子供じみたことはやめなさい」と言うのは、普通子供が一番楽しんでいて、一番喜びを感じている時なのです。私達は本当に子供達に、「成長して」子供じみたことをやめてほしいのでしょうか、それとも、私達の方が、より自由で想像力に満ち、縛られていない子供心を取り戻すために、もっと「子供のように」なった方がいいのでしょうか。

  想像力に満ちた子供は何かを創造し、独創的な考え方をして、新しい方法によって問題を解決する大人へと成長するものです。さほど明らかでない事にまで目がいき、ありきたりの事ばかりするのでなく、常ならぬものを発見する大人へと。

  親も想像力を持っていると知る時、子供は何と大喜びする事でしょう! ある夜、家の前の雪かきを終えて、2人の娘をベッドに寝かせつけようと2階に行きました。私はまだ分厚い、白い毛皮のコートを着ていたので、フードを顔まですっぽりとかぶり、寝る前の物語を話すために北極から来た「白熊だぞ」と言って子供部屋に入って行きました。それからというもの、白熊は1月に一度は戻ってこなければなりませんでした。−−それに加えて別の時には、物語の時間に、とてつもなく大きな想像力を働かせ、ほんのちょっとした変装をして、別のものになって現れるのです。

 

教えかた

  昔ながらの強い味方:惜しみなく励ます。積み木で何か作る事でも、絵を描くことでも、子供が少しでも創造性を見せたなら、大いにほめてあげて下さい。子供の作品を、傑作にかけられていたおおいが取りのけられた時のような興奮をもって見るのです。時には、励ましは言葉だけでは足りない事もあります。3歳児に絵を描くための紙を沢山与えるといった励まし方も必要でしょう。

  その他の昔ながらの強い味方:子供と一緒になって無邪気に振る舞う。子供が想像を巡らしている時には、私達も想像を巡らしましょう。気分転換に、一緒に泥んこになって遊びましょう。絶対に必要なもの以上に規則を作って子供を縛らないこと。

  ものを作る。材料を買ったり、初めから自分で作ることができる場合には、出来上がった品を買わないようにしましょう。楽器(リズムブロック、弦楽器など)や、その他簡単な役に立つものの作りかたを考えてはどうでしょう。

  まねっこ。

  1.変装ごっこ用に、古着、靴、帽子などを箱や引き出しに集めておく。想像力あふれる子供達にとって素晴らしい宝になる事でしょう!

  2.生き物でないものや、体のある部分が話せる振りをする。例えば、食べ物がおなかの中に入りたがっている、おもちゃが遊んでほしがっている、耳が洗ってほしがっている、など。

  問題を解決する。「他にどんなやり方があるだろう?」ゲームをする。例:どうしたら手で運ぶことなしに、椅子をここに持ってこられるか?(椅子にロープをくくりつけ、引っ張る。) どうしたらソファの下のおはじきを取れるか? (棒を使う。) 風の強い日にピクニックする時に、どうしたらテーブルクロスが飛んでかないようにできるか? (上に石をのせる。) どうしたら一度にたくさんの物を運べるか? (ポケットに入れる、箱に入れる。)

  耳を使って創造する。一緒に歌いましょう。正しく教えれば、幼い子供も簡単なハーモニーを歌うことができます。

  目を使って創造する。クレヨン、テンペラ絵の具、水性ペンを出して、家族合作の絵を描きましょう。誰々の方が誰々よりもうまいなどとは言わずに、めいめいの絵を公平に、独創的でうまいと言ってほめてあげましょう。材料を与えて、子供に自分のアイディアを活用させてあげなさい。

  掲示版。我が家では、掲示版を「パパ・ママ自慢の掲示版」と呼んでいます。子供の絵、塗り絵、その他様々な作品を貼り、新しいのができたら取り替えるのです。そして古いのは外したら、そのままスクラップブックに貼ります。画家と同じように、子供にも創造性の火を燃えさせるためには、認めてあげる事や、ほめる事が必要です。

 

従うことと決断することの喜びを教える

 

「子をその行くべき道に従って教えよ、

うすれば年老いても、それを離れることがない。」

−−箴言22:6

 

子供の観点

  ちょうどお金の勘定を学んでいる所の我が家の4歳児サレンが、はしゃぎながら果物屋から出て来ました。25セント払ったのに、50セント払った分のおつりをもらったことに気づいたのです。初めの反応は‥‥「来た時よりももっとたくさんお金をもらったわ。おまけに果物も。」という興奮でした。でも、良心がとがめました。「お店の人に返した方がいいわ。」 そして彼女は真の喜びをもって店から出て来たのでした。「パパ、お店の人、みんなが私のように正直だったらいいのに、って言ったの!」 道徳的なルールに単純で自発的に従うことには、真の喜びがあるのです。

  この話は、別の店での、別の子供のことを思い出させてくれます。−−それはサレンの父、つまり私です。私は8歳で、生まれて初めて自転車を買うところでした。祖母からもらったお金と、コートのハンガーやソーダのびんを返してためたお金を合わせて25ドル持っていました。一つは赤いシュインでもう一つは銀のシルバーチーフでした。どちらにしたら良いか、私にはわかりませんでした。こっちが欲しいと思っても、次の瞬間にはもう一方のが欲しくなりました。父は賢くも私を車に連れて戻り、大きな白い紙を見つけて、真ん中に線を引きました。「赤い自転車がいい理由をこっちに書いて、銀色のがいい理由をもう片方に書こうじゃないか。」と父が言いました。私はそうしました。それまで一度も考えたことがなかった方法で考えたことの興奮を私は今でも覚えています。そのリストが出来上がり、私は銀色の自転車を選びました。(結局、そのような自転車を持っている子供は他に誰もいませんでした。)私はその自転車を10年間大事にし、自分で選んだ喜びの記憶は、決して薄れることがありませんでした。

  物事には秩序があるということを学ぶと、非常に大きな喜びと満足感を覚えます。心理学者達によれば、幼い子供は普通自分の欲求が状況を支配し、物事を起こすと信じているということです。事実はそうではなく、自分の欲求とは関係なしに物事は起こるのだということに3歳児や4歳児が気づく時、それは非常にショッキングなことともなり得ます。逆に、肯定的かつ建設的な方法で秩序について教わっているならば、これは正に喜びに目覚める時期ともなり得ます。

  子供は、自分で決断する自由を与えられるべきです。幾つか間違った決断もするでしょうが、私達大人の助けによって、間違いから次第に学んで行くことでしょう。子供が幼い間は、決断をして、それが間違っていても、その結果、永久的なダメージが生じるようなことはありません。そして彼らの決断が重要なものになってくる頃までには、決断の下し方を学んでいることでしょう。

 

教えかた

  子供に、秩序によって支配されているものと、決断によって支配されているものの区別を教える。

  1.「どうしたらいいだろう?」という質問がついた物語を作る。(それについては、きまりがあるのか、それとも自分で決断するのか?)

  2.何もきまりがない家の話をする。どうなるでしょう? 家族は幸せでしょうか? (何も規則がない学校の話でもよい。)

  「喜んで従うこと」を期待し、要求する。「喜んで従う」とは、「はい、ママ」とか「はい、パパ」と言って、いつでもすぐに何かをしたり、やめたりすることだと教えましょう。これは専制的、あるいは軍隊的に聞こえるかもしれませんが、子供は生れつききちんとしつけられることを好むものです。−−しつけは、他の方法では得られない安心感を子供に与えます。子供が自分は尊重され、愛されていると感じるように、子供にも常に丁寧な物の頼み方をしましょう。丁寧な言い方をし、そうやって何か言われたら、いつでもサッと「はい、ママ」と言って言うことをきくよう子供に教えましょう。すぐに言うことをきかない場合には、ただ一言「喜んで従うこと」と言って、「はい、ママ」と言うよう促します。

  子供は、自分には理由を尋ねる権利がある事を知っているべきですが、「どうして?」に対する答をもらった後には、「はい、ママ」と言ってすぐに喜んで従うようにしなければなりません。

  自分で決断する事ができるような機会を頻繁に作ってあげましょう。ベッドタイム・ストーリーは何がいいか選ばせる、2種類あるいは2つの違った色のジュースから選ばせるなどです。

  あなたが下した愚かな決断と賢明な決断について、その結果がどうなったか話してあげましょう。「もしそうしたらどうなる?」、「それをしたら、あなたの妹は喜ぶかしら、それとも悲しむかしら?」など、その決断がもたらす結果を強調し、話し合います。

  謝ることの概念を教える。子供は、心から謝れば罰をもらわずにすむといういうことを学ぶべきです。お互いにごめんなさいということの素晴らしさを子供に教えましょう。我が家では、一人の子供が他の子供をからかったり、傷つけたりした場合、罰をもらうよりは簡単に謝った方がもっと速く気分が良くなるということを学びました。私達は悪いことをした子供に、「謝った方がいいよ」と注意します。私達の子供の場合、次の3つのことをします。(1)相手の子供にハグをする。(2)「許してくれる?」と尋ねる。そして(3)「もう絶対にしないようにする。」と言う。(編集者注:これは当然、どの程度の悪さをしたかによります。それが深刻で、わざとした場合には、何かの罰を与えるのが適切でしょう。)

 

家族ルール表

  私達が一家で過ごした内でも最も思い出深い夜とは、皆で「家族ルール」を決めた夜です。私達は、枠つきのしっかりした厚紙を用意し、壁にそれをつるす釘を打ちました。それからサレン(4歳)とショーニ(3歳)に、ここに我が家の家族ルールを記すと説明しました。

 「守ることによって、もっと幸せになれる家族のルールには、どんなものがあるかな?」    「小さい女の子をたたかないこと。」

 「コンセントに自分でプラグを入れない事。」

 「壊してはいけないものを壊さないこと。」

 「魔法の言葉(お願い、ありがとう、すみません)を言うこと。」

  私達は、子供達が思いつかなかったことを挙げて助けてあげなければなりませんでした。

  「寝かし付けられたら、ちゃんとベッドに入っていること。」

  「車に乗っている時は、後ろの座席にちゃんと座っていること。」

  「赤ちゃんを抱く時は、いつも必ず座っていること。」

  「パパやママの手をつないでいる時以外は、道路に出ないこと。」

  「言い返さずに、言うことをきくこと。」(サレンはこれに、「でも、どうしてかは聞いてもいいのね!」と付け足しました。)

 

  その時には、このリストがどんなに助けになるか、私達もあまり気がついていませんでした。しかし子供達は、自分で決めるのを手伝ったルールに従っているのであり、このルールは私達をもっと幸せな家族にしてくれるということを、比較的素早く理解しました。

  しばらくして、私達は一家でどのルールに対してどんな罰がふさわしいかを決めました。ルールによっては、罰を与える前に一度警告を与えると決めました。私達はそれぞれの罰に関して投票で賛否を取り、それを「家族ルール版」に書きました。

 

秩序、優先順序、目標を目指すことの喜びを教える

 

  ある講演者がありきたりの質問に対して非常に珍しい答をしたことで、私はとても感銘を受けました。その質問とはこれでした。「そんなにすることがたくさんあるのに、どうしてあなたはそんなにリラックスしているように見えるのですか?」 (質問をした少年は、ユーモアを加えるために、また、みんなの関心を引くためにも、自分の父はその半分ほどの責任すらないのに、いつもへとへとで疲れていると説明しました。) その答とは、こうでした。「毎週決まった日決まった時間に、私は独りきりになり、一週間のゴールを定めるのです。始めに家族に優先順序を置き、その次は他の人、私のは最後に置きます。それぞれの分野に目標を定め、したいことを全部するには時間が足りない場合には、優先順序順にゴールを並べます。そうすれば、一番大切なものをやり遂げることができますから。それから実行方法を考え、週間予定表に書き込むんです。」

  私達にとって一番心配になるのは、今どこにいて、何をすべきなのだろうということです。しかし、一番の喜びとはその両方を知っていることです。

 

教えかた

  ゴールを目指して頑張ることと達成は、たくさんの面から成るダイヤモンドのようなものです。その一面一面がそれぞれ異なった喜びなのです。長期に渡る目的を知ることの喜び、責任を持つ喜び、短期間のゴールを持つ喜び、大義とそれに身を捧げることの喜び、組織化し、秩序を持てることの喜び、さらに時には失敗し、間違いを犯す喜びまであります。

  ゴールについての概念を理解する。3歳児や4歳児には、ゴールというものの概念や性質を理解する能力があります。ゴールとは、「私達が求めていて、それを目指して頑張るもの」と説明しましょう。

  ゴールを経験する。3歳児や4歳児は、簡単なゴールを決めて、それを達成する喜びを経験することができます。子供に、何か思いつくゴールがあるか尋ね、何か一つ決めることができるよう、助けてあげましょう。それは以下の面での自己能力向上であってもよいかもしれません。例えば、コートのファスナーを自分で上げる。水洗トイレを流す。または、安全に道を渡る、など。また、問題を解決するものであってもよいでしょう。例えば、学校で服や体をあまり汚さない、指しゃぶりをもうしない、など。新しい友達をつくること、何か特別なものを買うためにお金をためることなどです。

  ゴールを書きとめ、そのわきに大きな丸を書きます。定期的に、ゴール目指して進歩した分だけ、子供にその円の一部分に色を塗らせます。(ゴールが半分達成できた時には、その円には半分色が塗られているわけです。)

  ゴールに達成に近づくための計画を立てるよう助けましょう。例えば、近所の人に何か手伝うことはないか聞くとか、毎晩寝る前にコートのファスナーを上げる練習をする、土の上にひざをつかない、新しい友達を家に招待して遊ぶ、自分の毛布を片付ける、など。

  ゴールを定めたこと、計画、ゴールに向かって一歩前進するごとに子供をほめましょう。

  ゴールを定めて一緒に頑張ることの喜びを感じるのです。これは、本を読むことであっても、一家揃って春の大掃除をすることであっても、価値があることなら何でもよいのです。子供もそれに参加させましょう。始めにゴールを書きとめ、一緒に計画を立てましょう。そしてそれに取り掛かり、各段階の出来具合−−どんな調子か、それぞれの部分が達成できて、どんな気持ちがしたかなどを話し合いましょう。

  1.結果が目に見えるような雑用を一緒にする。雑草抜き、窓を洗う、落ち葉集め、床や車にワックスを塗るなど。結果を見ることからも喜びが生まれます。

  2.家族一人一人に仕事や責任を持たせる。例えば、小さな子供だったら日曜日の夕ごはんの後でテーブルの皿を片付けるというふうに。繰り返しますが、子供に「きれいになったじゃない?」と、惜しまずにほめてあげましょう。一人一人の責任が書かれた表を作り、家族みんなでその責任について話し合いましょう。

  収穫についての法則を教える。自分が蒔いたものを刈り取るようになる事を知ると、子供は安心感を抱きます。実際に種を蒔き刈り取らせて、この喜びを教えましょう。園芸をしましょう。子供に種を蒔かせ、雑草を抜かせ、水やりをさせ、収穫をさせましょう。それから多くの事を説明する方法として、庭を例に取ります。歯をみがく事は虫歯がない事の喜びに育っていく事、親切な行為は幸福感に育っていき、利己的な行為は家族を絞めつける雑草のように育っていく、など。

  整頓と秩序。子供部屋に棚を十分置いてあげましょう。それぞれの物を置く場所を作り、自分の持ち物を整理するのを助けてあげます。それから物を決まった場所に置く毎に、大いに励まし、ほめてあげましょう。秩序正しくするという単純な教訓は、大きくなって自分の思考やアイディアを整理するという極めて重要な能力を育みます。

  子供を部屋の中央に集め、床に座らせて、この2つの言葉の意味がわかるかどうか試してみましょう、と言います。初めの言葉は「散らかっている」。それがどんな意味か、子供に聞きます。そして、物が散らかっていると居心地が悪く、物をすぐなくすことについて話しましょう。

  それから、次の言葉は「きちんと片付いている」という言葉だと言います。子供に、散らかっていない時の事をきちんと片付いていると言うのだと言います。ちゃんと物がそれぞれの場所にあり、何もなくなっていず、全てのものがきちんとなっていて、清潔で整頓されているのが「きちんと片付いている」のだと説明します。きちんと片付いているのがどんなに良い事で、散らかっている事がどんなに悪いかをしばらく話しましょう。

  それから子供達に、きちんと片付けることの秘訣を教えてあげると言います。これは大切な秘訣で、忘れてはいけないと。あなたのささやき声が聞こえるよう、子供を近くに引き寄せましょう。そして、「一度に一つだけおもちゃを出して、別のを出す前にそれを片付けるならば、みんないつでもきちんと片付いているのよ。」と言います。これを2回ほど繰り返して言いましょう。

 

やってみようと努力したことをほめる!

  間違いと失敗をすることの喜び。あなた自身の失敗について話し合いましょう。あなたも完璧ではないけれども、失敗を受け入れ、そこから何かを学ぼうとしていることを、子供に教えましょう。この秘訣は単純です。つまり、失敗した時も、うまく行った時と同じぐらいほめてあげるのです。やってみようとしたことをほめるのであって、結果をほめるのではないのです。

  あなたのゴールを子供にも教えてあげる。あなたがこの本を読んでいるという事実は、おそらくあなたがもっと良い親になりたいというゴールを持っているということを示しているはずです。そのゴールを子供にも話してあげてはどうでしょう。あなたのゴールは、一番良いパパやママになることであって、そのゴールに到達するには子供達の助けが必要であり、どうしたらもっと良くなれるか言ってほしい、と言うのです。

 

信頼と自信を持ってやってみることの喜びを失わない。

 

  私は、次の年の学費をためるために、ハワイで一夏働いたことがあります。そこには、キャシーという友達がいました。それは私にとっても彼女にとっても、ハワイでの初めの週でした。私達はお互いに知り合ったばかりで、また、キキという名前のハワイ人にも出会いました。キキは彼いわく「本場のハワイが楽しめる」というビーチ・パーティーに私達を誘ってくれました。パーティーは土曜の午後、島のずっと遠くのほうの海辺で開かれました。記憶によると、そのパーティーは三つの構成になっていました。サーフィン、食事、ダンスです。その3つを眺めていたいというのが私の性格ですが、彼女の性格は、その3つともやってみたいというものでした。

  色々な事にトライしたり、新しい事に参加したり、興味を持つというのは、典型的かつ重要な喜びです。この世界にはする事が非常に沢山あります。360度の経験です。それなのに私達は、大抵自分の前に差し出された丸いパイの内のたった一切れを何度も何度も食べるのです。それは残り全部を食べるのを怖がっているせいか、または自分を制限しているか(または気取っているか?)です。どこかで私達は、自信を持ってやってみるという、根本的な喜びを失ってしまったのです。

  この世界には、基本的には2種類の恐れがあります。それは、傷つく恐れと、失敗する恐れです。両方とも、人生のすべての局面に当てはまります。私達は、肉体的にも、精神的にも、情緒的にも、社会的にも失敗を恐れます。また、肉体的にも、情緒的にも、社会的にも傷つくことを恐れます。どちらの恐れもその通りになってしまいます。肉体的な恐れはしばしば肉体的な痛みを引き起こし、失敗することの恐れは、ほとんどいつもと言っていいほど失敗を引き起こします。

  子供は、そのどちらの恐れも持たずに生まれてきますが、恐れを覚えることが、喜びを取り去ってしまうのです。

 

子供の観点

 

  我が家の2歳児のショーニが、姉のダンス教室に一緒について行きました。私達は彼女の姉を見ていて、2歳の妹ショーニは並んだ座席に座らせていました。彼女をちらっと見ると、その目がだんだん大きく見開いていくのがわかりました。次の瞬間、彼女は立ち上がってくるくる回っていました。2歳の子供がモダンダンスをまねしたのです。彼女はやってみたかったのです、経験したかったのです。

  これは、いつまでも持ち続けるべき喜びです。すぐに失いがちなのですが、それでも小さな子供ならば最初はほとんど誰でも持っている喜びです。(3歳児が雪に触るのを怖がったり、4歳児が初めて会った人の前で恥ずかしがることを思い出して下さい。) 喜びを失うことの兆候とは、私達の耳になじみがあるこの一言「ああ、私にはできっこない」や、「助けてくれる? 私、怖いの」です。

  子供はいつ、それを失ったのでしょうか? どこに喜びを置きざりにしてしまったのでしょうか? どうしてなのでしょうか? それは、私達大人のあやまちです。私達が、3つの間違いによって、それを保っておくのに失敗したのです。第1は、他のことで頭が一杯なのと「忙しさ」のせいで、私達自身が新しいことを経験し、そこから来る喜びを伝えることがないからです。つまり、失敗ナンバー1は、手本の欠如です。

  第二に、私達が「もっと大事なこと」をする内に、子供の探求心をほめたり、励ましたりするのを怠ってしまうことです。励ます手段は言葉でもいいし、さらに良いのは、私達が子供を見習ったり、子供と一緒になってやってみることです。ほめずに非難することによって、私達大人は子供の心に恐れを築き、続けてやってみるという意欲を失わせてしまうのです。子供がミルクをスープに入れるという大切な実験をすると、私達は子供を汚し屋だと呼びます。草がどんな感触かみるために靴を脱げば、私達は「馬鹿なことをしないで」と言い、汚くなるのがわからないのかしら、と思います。失敗ナンバー2、それはほめる代わりに責めることです。

  第3に、私達はよく子供を、兄弟同士か、または他の家の子供と比べて、劣等感を抱かせてしまいます。ジョニーがかけっこをしようとしたり、ピアノをもっとうまく弾けるようになろうとし、何かに挑戦する喜びに輝いているとします。ところが、大人が「ほんとにジョーンズさんの息子は覚えが速いわ」とか、「スミスさんの所の女の子はどうやってピアノがあんなにうまくなったんだろう? 家のジョニーと同じぐらいの時に習い始めたばかりなのに。」と言って、すべての努力をだいなしにしてしまうのです。失敗ナンバー3は、比べることや、注意しすぎることによって、やる気をくじくことです。

 

教えかた

  体を使うことを子供にやってみさせる。思い切って、子供と一緒に色々な事をやってみる。木登り。飛び込み台からジャンプする。あなたのためにもよいし、言葉と、言葉に現れない励ましによって、子供が自分の体に自信を抱くようになります。特に、あなた自身が得意でないことをやってみなさい。子供に、うまくなくてもやってみない理由にはならないことを自ら示すのです。

  その秘訣とは、始終危ないことを注意するよりも、基本的に安全な環境をつくってあげることです。

  キルトか、厚い毛布をマットになるぐらいの長さに折り、子供に飛んだり跳ねたりさせる。あなたも宙返りの一つや二つしてみせてはどうでしょう。

  子供の信頼を勝ち取り、それを裏切らない。子供は、私達が信頼を打ち砕かない限り、ずっと私達を信頼するものです。信頼が壊されると、その時だけでなく永久的に傷つきます。傷つくことの恐れを覚えるからです。ほんの小さなことでも、絶対に嘘をつかないことによって子供の信頼を保ちなさい。「お医者さんは痛くしないよ」などと言わないこと。またしたらお尻をたたきますよ、と言っておきながらその通りにしないということのないように。子供が電話に出た時、あなたは居留守を使いたいために、自分はいないと言ってくれと子供に言わないこと。約束を忘れないこと。小さなことでも、子供があなたを疑うという事を全く知らずにいるならば、あなたのほめ言葉や、助言や、愛を疑う事も決してないでしょう。

  新しいことをするように子供を励ます。新しい経験となるものを探し、それができるよう準備をする。助けを求められたら、最初は、「いつでも助けてあげるけれど、まず自分でやってみなさい。」と言いましょう。そして、うまくやることよりも、やってみたことをほめてあげましょう。

  やってみたことをほめ、間違っても大丈夫だと子供に教える。結果が良くない時にその結果をほめることは、信頼を壊します。でも、やってみるという努力をたたえること。このようにほめると、子供はもっとやってみようという気になり、結果的にもっと成功するようになります。従って、失敗は成功なりという事があり得るのだと子供に教える事になります。つまりそこから学び、成長することのできる失敗です。「できなくても大丈夫。失敗しても、転んでも、間違っても大丈夫。そうやって私達は成長していくのよ」と。

 

家族の強いきずな、自覚、誇りを持つ喜びを教える

 

  子供だった頃、ある家族の兄弟姉妹達が私と同じ学校に通っていました。私はいつも彼らに感心していたものです。彼らは、自分達が「一番『進んだ』グループにいるか」とか、「自分にふさわしい人」と付き合っているかなど、ほとんど気にかけていない様子だったからです。自分が最新流行の服を着ているかさえも気にしていませんでした。でもどの子供も感じが良く、皆に好かれていました。皆安心感を持ち、失敗を恐れていないようでした。

  6人とも皆それぞれの個性を持っていましたが、全員一つの類似した特質を持っていました。そしてその特質とは、私が心から感服するようになったものです。それは、平安、穏やかさ、安心感、自然さ、自信です。この内のどの形容詞も十分ではありませんが、彼らは確かにそれらを持っていました。他の人が感じることができるのです。彼らには、それがあるとわかるのです。私は常に、それがどこから来るのか興味を持っていました。頭脳明晰だからでもなければ、運動神経が並はずれて良かったからでもないし、また特にハンサムであるとか、容姿端麗だったからでもありませんでした。これらの面のどれを取っても、皆平均的でした。どうやら鍵は、お互いに対する愛と、お互いを受け入れる心にあったようです。

  ある日思いがけなく、彼らの自信がどこから来るのかを発見するチャンスが訪れました。その一家が私の家からほんの1区画先に引っ越して来たので、私は、学校だけでなく、家庭での彼らも見ることができたのです。そして秘密が説き明かされました! その自信、確信、安心感、団結は彼らの家庭にある無条件の愛から来ていました。外から見ると、彼らの家はまったく平凡でした。しかし、内側は他の家庭と全く違っていました。

  私は、その家のちょうど2歳になったばかりの一番下の子供を覚えています。彼が一番初めに口にした言葉は、「ベタベター」でした。それは、家でしょっちゅうハグをしたり、肩をたたきあったりというような、愛を体で表現することに対して面白半分に言っていた言葉でした。

  今では、秘密はその一家の暖かさと、お互いを受け入れる心と、安心感にあったことがわかります。そのような喜びは家庭以外のどこにも得られない、かけがえのない喜びなのです。

 

教えかた

  家系。子供は家系的な意味で、自分がどこから来たのか知るのが大好きです。これを教える幾つかの方法は:

  1.古い家族の写真を額に入れ、特別に一つの壁を決めてそこにいくつも飾る。

  2.簡単な家系樹を描く。それぞれの子供を枝にし、両親を木の幹に祖父母をそれぞれの根にする。両親と祖父母の写真をそれぞれの幹や根に貼り、また兄弟や姉妹の写真を枝に貼る。それを額に入れ、先祖の写真があるのと同じ壁にかける。

 

  一貫性。子供は、人生においてある一定の一貫性に頼ることができるべきです。以下は、一貫性が特に重要である、4つの分野です。

  1.しつけ。家族のおきてが破られた場合。罰は、すみやかに実行され、誰もがそれを承知しており、一貫して行われるべきです。

  2.手本。子供があなたの行動を予知できるようにしなさい。−−子供のいる前ではいつも正しい行いをするよう努め、間違いをしたならしたで、そのことを認めるのです。

  3.夕飯や毎週の家族会議など重要な事柄を、一貫したスケジョールに組むこと。

  4.いつも約束を守ること。

 

  約束をいつも覚えておく

  1.お互いの行動を支持し合う。

  2.配偶者への愛をオープンに表現する。この言葉の通りです。「父親が子供にしてあげられる最高のことは、子供達の母親を愛すること。」

  家族唱歌。「だって家族だから」

 

  ママはいつも私を愛してくれる、

    わかるでしょう?

  だって、家族だから

 

  怖い時はパパがひざの上で抱いてくれる

  だって、家族だから

 

  誰がお互い助け合うの? それは私達。

  だって、家族だから

 

  たくさんハグし、キスをする

  だって、家族だから

 

  いつももっと良くなろうと努力する

  だって、家族だから

 

  家の中をできるだけきれいにする

  だって、家族だから

 

  意見が違う時だって、うまく解決する

  だって、家族だから

 

  ママとパパは私のことを自慢にしている

  だって、家族だから

 

  私は弟を励まし、弟は私を励ましてくれる

  だって、家族だから

 

  誰かが自分を必要なら、

    できるだけのことをする

  だって、家族だから!

 

  子供達のために、喜びをオープンに表現する。子供にとって、自分が家族にとって望まれ、必要とされ、どんなに貴く、重要な存在であるかを知るのは、何と単純で、何と大切なことでしょう。

  子供に、生まれた時の話や、どんなにその子がほしかったか、その子が生まれてどんなに幸せだったかを短いお話しにしてあげましょう。

 

自信と独自の存在であることの喜びを教える

 

  私は大学に、あるお気にいりの教授がいました。その教授は、行動のすべてを通して、「私は大丈夫、あなたも大丈夫」という喜びを回りにいる皆に伝えた人です。彼は、並はずれた忍耐を持っていました。学生が要点をつかめないように見える時でも、彼は小言を言ったり、責めたりしませんでした。その代わりに、彼はその生徒の他の長所をほめたのです。

  彼はうまく歌ったり、話したりすることができませんでした。それどころか、取り立てて際立った能力などあまりないようでした。それでも、常に完全な自信に溢れていたのです。−−かといって自惚れもせず、他を威圧するような態度もありませんでした。ただ口には出さずとも、自分は何でも話し合うことができ、何でもすることができるのだと、信じているのです。

  私はその教授の講義でなかなか良い成績を取りました。彼がとても興味深い人だというのがわかったせいもあるでしょう。だから学年の終わりには時折一緒に昼食を取ったりするまでにその教授と親しくなりました。私は、彼にその自信の源は何なのかと尋ねました。それは2つあって、第一は信仰だと答えました。彼は、躊躇もためらいもなく、私にいと高き神への信仰を語り、神に祈り、神が生涯自分を導き、支え、助けてくれると感じているのだ、と言ったのです。

  「2つめは何ですか?」と私は尋ねました。すると、彼はこう答えました。「そうだな、私は、言ってみれば世界一のバイオリンを作った名工のようなものなんだ。そのストラディバリはこう言った。『神はアントニオ・ストラディバリなくしてストラディバリウスをお作りになることはできない』とね。私も天与の才能を幾つか持っていて、そのほとんどが何かを知った。私は2、3の面で十分に自信を持っているから、誰と比べても特に自分が劣っていると感じたりはしない。」

  私は、彼の言ったことをじっくりと考えてみました。彼の喜びとは、自信でした。彼の自信は、信仰と、自ら見いだした才能との組み合わせでした。そして私は、誰にでもこの両方を持つことができる、信仰を妨げられている人はいないし、独自の才能を持たない人などいないということに気づいたのでした。

  子供も、個人の自信や独自性の喜びを感じることができます。この事実は、私達の実験的学校であるジョイ(喜び)・スクールの子供達自身を見てもわかります。最初の1年目を始めた頃、私達が体で味わう喜びを取り扱っていた頃、私はある事を経験したのですが、その経験から自分に自信を持つことの喜びについて学ぶことができました。子供達のグループがダンスをしており、先生がスキップの仕方を教えていました。私は脇に腰掛け、それを眺めていました。10人ほどいる子供達の中で、4人はどうしてもスキップの仕方やコツをつかめないでいました。スキップができないためにその4人の内3人の子供が気落ちし、恥ずかしく思い、腹を立てている様子に私は興味をそそられました。3人とも、それぞれの方法で投げ出しました。一人は泣き、一人は外に出ていき、一人は、他の子供達の関心が自分がスキップできないことに向けられないよう、彼らの注意をそらそうと悪ふざけをしたり、騒がしくし始めました。しかし4人目の男の子は、スキップができないからといって恥ずかしがったり、回りを気にしたり、自意識過剰になったりする様子も全く見せませんでした。彼はずっとスキップの仕方を観察し、やってみては失敗し、また観察してはやってみるのです。運動の時間が終わった時、私はその子に幾つか質問をしてみました。

  「スキップは好きかい?」

  「うん。でもあんまりうまくできないけど。」

  「そうかい、みんなスキップを止めて、何か君が得意なことをすればいいのに、と思ったかい?」

  「ううん、だって、スキップを覚えたいもの。」

  「スキップできなくて、いやな思いをしたかい?」

  「ううん。」

  「どうして?」

  「だって僕、他のことは得意だから。」

  「例えば?」

  「ママが、僕は絵を描くのがうまいって言ったよ。」

  「そうかい。」

  「それから特に、赤ちゃんの弟をあやすのがすごく上手なんだ。」

  「そうかい、ジミー。質問に答えてくれてありがとう。」

  「いいよ。気にしないで。僕もいつかスキップがうまくなるから。」

  信じられますか、これが4歳児との会話のやりとりなのです! でも、その背景にある理念は特に驚くべきことでもありません。かなり自然なものです。自分に得意なものがあると知っている人は、得意でないことももっと容易に受け入れることができるのです。

 

教えかた

  明確で、オープンな、無条件の愛。かけがえのない親の愛を感じている子供には、自信の基盤がもともと備わっているものです。こういった子供は、どんな失敗や間違いをやらかしても、その愛を失うことはないし、家族から受け入れられなくなるということもないと知っているのです。子供に、不変の愛を語りなさい。

  それぞれの子供を、個人として知る。あなたが子供に生まれつきどんな素質や才能があるかを知らないでは、子供がそれらに自信を持つのを助けることはできません。これには2つの方法があります。(1)子供と二人だけでおしゃべりし、その子にどんな素質や才能があるかを観察したり、評価したりする。(2)夫婦で時間を決めてそれぞれの子供について話し合ったり、意見を述べたり、ノートを取ったりして、一緒にそれぞれの子供の性格や個性をもっと発見する。

  それぞれの子供とその子の才能を純粋に尊重する。子供達は人間であって、私達の愛だけでなく、尊敬をも受けるに値します。これを念頭に入れておくと、以下のことがもっと容易になってくるでしょう。(1)どんな失敗をした後でも、その子に信仰を持っていることを示してあげること。(2)私達自身の失敗や、そこからどんなことを学んだかについて話すこと。(3)特にその子の特別な才能だと考えられる面においては、子供のしたことを大きく、心からほめてあげる。(4)決して子供自身を非難したりけなしたりしない。代わりに、子供がした悪い行為をとがめるようにし、必ず私達の子供に対する完全な愛をいつも子供が感じているようにすべきです。決して人の前で非難してはいけません。人前ではほめ、2人きりのところで間違いを正すのです。

  幼少の頃の自立、自信、責任。自信とその喜びは、自分には何か役に立つことができるということに、直接つながっています。子供はそれぞれ、家庭で、家族のためにする仕事を持つべきです。−−特に、毎日または毎週の仕事です。−−それをすればほめられ、自分にはできるんだという気持ちや重要感を持たせ、家族の一員であることを実感するような仕事です。

  自分独特の素質が何なのか、そしてその素質が他の人と劣らないものだということを子供が気づくのを助ける。

  1.「あなたについて好きなところ」ゲーム。子供を5、6人輪になって座らせ、真ん中に1人座らせます。それぞれの子供に、真ん中にいる子供について好きなところを言わせます。例えば「私がトミーについて好きなところは、靴のひもを自分で結べるところです。」など。

  2.個人のプロフィール表。白紙に映った子供の横顔の影をなぞります。それからそれぞれの顔の下に目の色、髪の毛の色、性別、年令、家庭での立場(例えば長女など)、特技などを書きます。そのポスターを壁に貼り、ぞれぞれの子供に自分の独自性に対して誇りを持たせます。

  それぞれの子供に特別なニックネームをつける。愛のこもったニックネームから、自分が特別であるといった感情が生まれます。特に、片方の親からそのニックネームで呼ばれている場合はそうです。パパにとってはサレンは「王女さま」で、ショーニは「ピキシー(いたずら好きな妖精)」、ジョシュは「ハーキマー」、サンディーは「シュガープラム」か、「テータートット」、ジョナは「ブーマー・バンプキン」、タルマージは「マッジー」、ノアは「ノービー」です。

  ママとパパとのデート。毎週、子供一人ずつが母親か父親(又は両方)と過ごす時間を取っておきましょう。これをするのに計画を立てる事が必要かもしれませんが、そうでない場合も、短い時間を最大限に使う事もできるでしょう。

  「白紙の本」 私達の上の2人の子供がまだ小さかった頃、親しい友人が、子供がまだ赤ん坊の時に「白紙の本」(全部空白のページがしっかりと綴られているもの)を買って、それに特別な出来事や、子供の成長に伴った性格の変化などを記録すると、大きな満足感が得られると話してくれました。その最終目標は、その子が結婚する日にその本をプレゼントすることです。

  私達も彼女の例に習い、思ってもみなかったような益を受けました。子供達も、私達がその本を持っていると知っていて、結婚する日までほとんどの内容は秘密だと知りながらも、自分が独自の存在であることと誇りを感じ、両親から一人の独自の存在として見られているのだと感じているのです。彼らは、私達がそれらの特別な出来事を書き込むのを見て、私達が彼らのために時間を取っていることにひそかに興奮を覚えています。また、最初の何年間かの出来事を読み返してみると、もし記録しなければ私達がそういった子供の人生の記念すべき瞬間をどんなに簡単に忘れてしまうかに気がつきました。そういった記録は、素晴らしい「我が家版体験ジャーナル」となり、いつの日か子供達の子供が読めば、たいへん楽しいことでしょう。また、その本に目を通すことは、私達にとっても、それぞれの子供の進歩や必要を評価する機会となります。

 

真実を言うこと、正直さ、

誠実さの喜びを保つ

 

  この前私が3歳のジョシュを風呂に入れようとした時のことです。買ったばかりの大きなシャンプーの容器が空っぽになっていました。「ジョシュ、中身を捨てたのかい?」 息子は眉をしかめ、最悪の事態を案じているかのようでした。「うん、パパ。」 我が家には、「捨てること」についての家族の決まりがあり、ジョシュはそのことを知っています。ですから、彼にはちょっとした罰が必要でした。でも、私はジョシュが本当のことを言ったことに対して、罰よりもずっと勝る賛辞を与えたのです。

  ジョシュの体をふいてあげながら、私は誠実さと正直さについて考えていました。すると、6歳になるサレンの声が聞こえてきました。私達は、それまで彼女の誠実さ、正直さを保ってあげようと一生懸命になっていたのでした。彼女は学校の新しい友達と一緒に自分の部屋にいて、人形について色々と話し合っているところでした。

  サレン:このお人形だめだわ。スカートのゴムがなくなってるから、すぐに落ちてしまうの。

  友達:回りをひもで結びましょうよ。

  (何分かの沈黙。)

  サレン:クリスティー先生に指されて本を読まされる時、私、こわくなっちゃうわ。あなたはどう?

  友達:少しね。

  サレン:今ではだいぶましになったけど。

  友達:何度も読めばだんだん簡単になるわよ。

  サレン:きっとそうね。ほら、スカートがほとんどできあがったわ。

  (少し沈黙)

  友達:サレン、私のこと好き?

  サレン:当たり前じゃない、馬鹿ね。あなたのこと、全部好きよ。

  友達:全部?

  サレン:休み時間にあなたがパティーと遊んでいる時は別だけれど。でも、ママが、私はただやきもちを焼いているんだって言ってたわ。

  友達:やきもちって何?

  サレン:誰かに自分よりも多く持ってほしくないことよ。

  友達:私もあなたのこと好きよ、サレン。

  正直であること、オープンであること、本当の気持ちを自由に話せることと−−それは、何という喜びなのでしょう!

 

教えかた

  例。あなた自身の子供のように、正直で、オープンになりなさい。喜びや愛もそうですが、自分の本心、恐れ、不安を言葉に表すのです。自制と同時に正直さも示しなさい! 自分がどんなふうに感じているかを子供に話しなさい。−−「ママは今日の午後あったことで頭に来ているの。だからあなたのことを余計におこってしまったのよ。」 あなたが誰かに嘘をついたなどということが子供の耳に入ることなど決してないようにしましょう。

  強化の法則とほめ言葉。子供は、何でも注目を得られることならば多分もう一度することでしょう。また、何でもほめられることなら、またする可能性が大いにあります。楽しく、しかも、すればほめられるようなことであれば、もう一度するのはほぼ間違いありません。子供がどのように感じるかを言うように励ましてください。−−あなたに対してだけではなく、他の家族や、先生や、友達に対しても。

  正直に話し合うこと。子供にこんなふうに尋ねて下さい。「本当の事を言うって、どんなことか知っている?」 必要ならば、子供が答えたことに言葉を付け加えてあげて、本当のことを言うとは、事実−−つまり実際何が起こったのか、自分が実際に考えている事、感じている事−−をそのまま言うのだという要点を引き出して下さい。

  質問と答。質問の例。もし間違ってお母さんの大事にしてた鉢植えの植物にぶつかって葉っぱが何枚か落ちてしまったのに、『赤ちゃんが葉っぱを抜いたんだ』とお母さんに言ったら、それは本当のことを言っていることになるかしら? (いいえ) それは何かしら? (嘘。)

  次の状況に移る前に、「嘘をついたら、どんな気持ちがする?」と尋ねましょう。(悲しい、気まずい思い、心配になる、恥ずかしい、ひどい気持ち)

  他の質問の例:お昼ご飯の前に手を洗うのを忘れた時に、ママに、「手を洗った?」と聞かれて、「ううん、忘れちゃった」と答えたら、本当のことを言っていることになる?(はい)

  ベッドタイムは、親子で正直に大切な事について話し合う時間を少し取るのに格好の時間です。何年も前に、私達は子供を寝かせる時に、「今日『嬉しかったこと』、『悲しかったこと』は何だい?」と一人一人に尋ねる習慣を始めました。子供達は一日を振り返って、自分の気持ちについて話すのが好きです。「嬉しかったのは、友達が遊びに来てくれたこと」とか、「おやつを二つもらったこと」、「落ち葉の山に飛び込んだこと」、「パパが帰ってきたこと」、「悲しかったのは、学校が終わってからリサが遊んでくれなかったこと」、「ケンケンパーでうまくケンケンできなかったこと」、「指を切っちゃったこと」、「今日は悲しいこと何もなかった」というような答えをします。

  子供の答えがきっかけとなって、心の奥底にある気持ちについて話すまたとない機会が訪れます。「スーザンと遊んで楽しかった?」、「どうしてリサが遊んでくれなかったと思う? 何かリサに悲しいことがあったの?」という具合に。

 

コミュニケーションと

人とのつながりについての

喜びを教える

 

  以前、知り合いに、ある中年の男性がいました。会計士のその人は、クリスマスカードを送る人達の住所録を持っていましたが、その住所録は分厚いもので、何百もの住所と名前でぎっしりと埋まっていました。「仕事関係の人の住所録ですか?」と私が尋ねると、その人は、私のほうに目をやり、何か大切な事を言うべきかどうか迷っているふうな様子で沈黙しました。それからこう言ったのです。「いいえ、つながりがある人達です。」 そして、私が次の質問を言いたげなのを察した彼は、会計用語を使って話し始めました。「あなたが築く関係は、どんなに小さなものであれ、それが純粋なものならば、永遠に持続する資産となるのです。新しく誰の名前を書き入れても、他の名前を取り消したりすることはありません。人によっては、一時的な資産のために一生を費やす人達もいます。お金や地位や業績といったものです。私達は人とのつながりのような、永遠の資産のためにもっと投資すべきです。そのつながりが一つ増える度に、私はその人の住所をクリスマスカードを送る人の住所録に登録します。」

  それ以来、私はこの会計士をじっくり観察するようになりました。そして、その言葉通りのことを実践していることを知ったのです。例えば、飛行機の機内でも、仕事先でも、PTAのミーティングでも、誰かに会うと、この人は、「あなたからどんなことを学べますか? あなたについて興味深いこと、独特なことは何ですか?」という態度を取るのです。この人にとって、人生は数限りない人々との様々なつながりを映し出す万華鏡で、それぞれの人は無限の興味をそそり、新しい車や新しい地位よりももっと喜びをもたらす可能性を有しているのです。

 

教えかた

 

おもなアイデア

  1.耳を傾けるという習慣を築く。熱心に耳を傾ける。

  2.ユーモアのセンスを持つ。自分自身の間違いを笑い、機会あるごとに、子供達と笑う。

   3.意見の相違があった時には常にその後で、子供に、ハグをして仲直りするよう励ます。

  4.夫婦の間でロマンチックな愛を示す。手をつないだり、別れる時にキスをしたり、車のドアを開けたり、寄り添って座ったり、きつい言葉を使わないようにしたり、愛のこもった言葉を強調する。

  5.「自分がしてほしいことを人々にもせよ」を教え、説明する。

  6.役割を交換する。子供に親の役を演じさせ、あなたが子供の役をすると、子供は親の抱える問題に気付き、あなたに感謝するようになる。

 

  意志を伝える

  1.子供に率直に、筋の通る方法で話す。

  2.子供達が手紙を書くのを助ける。あなたが彼らの言うことを書いてあげる。ちゃんとした文で言えることをほめる。

  3.子供が特に上手に説明したり、言うことができたら、惜しみなくほめる。

  4.夕食の時には、子供が良く知っていることを話すよう励ます。多分、覚えたばかりのこととか、知っていて得意に思っていること。

  5.いつでも可能な時に、子供と電話で話す。

  6.子供が人々に話をする機会はいつでも利用するよう励ます。子供達が聞いている人達にしっかり言いたいことを伝えられるよう助ける。

 

  人との関係

  1.子供とあなたとの関係を真に美しいものとする。

  2.子供同士、面と向かって話させ、問題や意見の相違を解決させる。

  3.いつもいつも子供同士の関係に介入したり、自分でそれを指揮しようとしないこと。子供達自身に解決させる。(私の子供達は、私が喉頭炎の時に、ステーションワゴンの後ろの座席で大喧嘩を始めました。しかし、私がとやかく言う場合よりも、自分達だけのほうが立派に解決したのです。)

  4.子供とあなたとの友情の重要性を強調するために、子供のために何か特別なことをする。ドライブに連れて行ったり、突然、何かプレゼントを持って帰る。

  5.「より良い方法はどっち?」のゲームをし、誰が一番になるのを決める方法や、日曜の夕食の後で皿洗いをする方法など、良い例と悪い例を子供に演じさせる。

 

分け合うことと

奉仕の喜びを教える

 

  「あなたの回りで真の幸福を見いだす人とは、いかに奉仕すべきかを探し求め、実際に見つける人であ中央揃える。」−−アルバート・シュバイツァー

 

  喜びについて教えてくれた友人がいます。彼は公の人です。つまり、大衆は彼を知っているということです。(多分、西欧諸国の人々の50%が、彼の名を知っており、スポーツに興味のある人なら95%にのぼることでしょう。) ある日の彼との会話は、楽しみについてでした。余暇には何をしたか? 自分のための時間を持つというまれな機会には何をしたか。そして、彼にとっては私よりも、そんな時間を持つチャンスは少ないことでしょう。(ここで皆さんに言っておきたいのですが、彼はしたいことは何でもでき、好きな所にはどこでも行け、お金で買えるものは何でも得られるのです。) 彼はこう言いました。「自分のための時間があるなら、その時間を使って、誰かを助ける方法を見つけるよ。僕はそれに幸せを見いだすんだ。自分のために何かするよりも、そっちのほうがずっと楽しいからね。」

  余暇に何をするかで、その人の人柄がわかるというのを聞いたことがあります。私はこの基準に従って、この人物は立派だと判断しました。いいえもしかしたら、この人は喜びに満ちていると言うほうがもっと重要なことでしょう。なぜなら、与える喜びはとても深いからです。喜びは、他の人達を助けるために自分を忘れること、自分の心配をやめて、他の人のことを心配してあげることからきます。私達は、自分が得るものによって生活していくものの、自分が与えるものによって人生を築くのです。エマーソンは言いました。「大勢の人間はあれこれ心配して、名もない人間のまま墓に眠るようになる。その一方、まれな存在ではあるが、偉大で、非利己的な人間は、自分を忘れ、永遠の命を獲得するに至る。」

  個人的な思い出(リンダの)は、真の喜びをさらに浮き彫りにしてくれます。

  とくに私の人生でみじめだったのは、6年生の時のことです。11歳の私は、自分が幼い頃のまま、まだぽちゃっとしていることなど、かわいくも何ともないと思っていたし、自分のかけていたサーモンピンクの「猫目」メガネが大嫌いでした。自分がやぼったいと思っていたし、最悪なことに、友人がいないと思っていました。私は誰が自分のことを好きで、誰がそうでないのかを心配していたのです。そして、かろうじて自分の友達と思っている人が自分にやさしくしてくれるかどうか心配する毎日でした。

  ある土曜の午後のことです。私は学校のパーティーに行く準備をしながら、自分の気持ちを母に訴えていました。以前にはわざわざ母にそれを言う気持ちもなくて、その日まで黙っていたのか、それとも、私が前にそれを言った時に、母は子供っぽい気まぐれと思って軽く受け流していたのか、どちらなのか覚えていませんが、この日は、母は私の言葉を真剣に受け止め、私が深く考え込んでいるのを悟りました。服を着ながら、私は言いました。「ママ、他の人達と一緒にいる時に、時々、自分が取り残されているような気がするの。何を言ったらいいかわからないし、でも、誰も自分に話しかけてくれないなら、居心地が悪くなってしまうの。」

  母は知恵をもって、数分間、私に助言をしました。そして、その助言は私の人生を変えることになったのです。「リンダ、他の人達が集まって互いに話をしている時には、回りを見てごらんなさい。ちょっと後ろに下がって、しばらく回りを見回すの。ほとんどいつもと言っていいくらい、あなたを必要としている人を見つけるものよ。落ち着かなくて、友達を必要としている人をね。目を見たらわかるわ。神経質なそぶりで、みんなから離れてぽつんと一人座っているの。誰が自分を必要としているかわかったら、その人のところに行くの。そして話しかけて、質問をしたりして、その人のことを気づかっている事を示すのよ!」

  このアドバイスは、私の悩む魂に魔法の薬のように効き目をあらわしました。パーティーに行った私は後ろのほうに立ち、観察しました。ビバリーを見たとき、「いたわ」と思いました。ビバリーは針金のような髪をしていて、出っ歯です。優しい子ですが、頭の良いほうではありません。誰もが、彼女が町の郊外の変てこなあばら屋に、9人の兄弟姉妹と暮らしていて、どの子も揃って汚らしく、みすぼらしい格好をしているのを知っていました。その時のビバリーの姿はまるで昨日のことのように覚えています。まわりではみんなが、笑ったり、おしゃべりして、彼女のことなどまるで無視している中、椅子に静かに座って、自分の手を見つめていました。けれども、みんなどう思うだろうかと、私は幼心に足がすくみました。私があの子に話しかけたら、みんなは私があの子と同じように、ばかで、ちょっとおかしいと思うだろう。けれども、心の中で良心の声が、それは正しいことだと言ったので、彼女のほうに行きました。突然私は、友達がいないという自分のみじめな状況でもがくのをやめ、彼女の友達になったのです。彼女の家族や農場のことなど尋ね始めました。パーティーの時間が過ぎるにつれ、私は彼女が私を暖かく受け入れてくれており、しかも、自分のことを誰かが気づかってくれているとわかってその目に喜びが宿っているのを見ました。けれども、それよりも私にとって大切だったことがあります。それは、自分が必要とされていたということです。彼女に仕えることによって、だんだん彼女のことをもっと感謝するようになりました。また、私が彼女の友達になっているからと言って、私を避けるような人は誰もいませんでした。

  この経験によって大きな満足感を得た私は、他の状況でも、誰かを必要としている人を探そうとするようになりました。すると、他の人のことを考えることに忙しくなって、自分のことを忘れ始めたおかげで、ありのままの私を好きな友達が何人もできたのです。

  その時の私の年齢よりもさらに幼い頃から、私達の子供達にこの事を教えられるなら、子供達の受ける報酬はどんなに大きいものとなるでしょう。大人はよく、「この子たちは幼すぎて、理解できないわ」と言いますが、本当にそうでしょうか? この原則を4歳の子供に教えてごらんなさい。驚くような結果が待っている事でしょう。

  互いに「奉仕」をすることから始めてもいいでしょう。その奉仕とは、弟が靴下を見つけるのを助けることから、妹に新しいクレヨンを使わせてあげることまで、何でも構いません。子供に人を愛する人間になってほしいなら、仕えることを教えなくてはいけません。年上の子供達が弟や妹に仕える方法は数えきれないほどありますから!

 

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あえて異なる者となれ。

世の中は他の人と同じことをする人達で

いっぱいだから。

哀れな人々、彼らは苦労して、

名前以外は皆と全く同じだというフリをする。

 

神は人々をそれぞれ異なって造られた。

だから、あなたとも私とも全く同じ人はいない。

魅力、つまりすべての創造物の栄光は

この違いがあるからこそ輝く。

 

あなた自身の魅力、栄光は

あなたが他の誰とも同じでない

独自の存在であること

そして、最善のあなたでいることからくる

他の誰とも違うあなたでいることから。

−ヘレン・マーシャル

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