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恥ずかしがり屋でも大丈夫!

ミッチ・ゴーラント博士、ボブ・クレーン共著

 

  恥ずかしいという感情は、未知のものから自分を守る防具のようなものであり、新しい人や、場所、出来事に対して慣れる時間の猶予を与えてくれるものだとも考えられます。ある程度そういった感情がないと、私達は、軽率で、衝動的、かつ危険な行動を起こしてしまいかねません。

   故フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は、様々な事柄で人々の記憶に残っていますが、彼が恥ずかしがり屋だったなどというイメージを抱く人はまずいないでしょう。彼は際立って魅力的な人柄で、初対面の人もリラックスさせる名人でした。

  それでもなお、彼は初対面の人について一度こんなことを言ったことがあります。「地上の人間は一人残らず恥ずかしがり屋で、自意識過剰で、自信に欠けている。」 なんと、この魅力的な人柄で知られ、自分もそれを自覚していた人物が、自らも恥ずかしがりで、自意識過剰で、自信に欠け、初対面の人と会うのが苦手な内気な人間の一人だと言ったのです!

  ルーズベルトはまた、貴重なアドバイスもしてくれました。このちょっとしたアドバイスから、彼が初対面の人達の中にいてもリラックスしているように行動できる秘訣をかいま見ることができます。「初対面の人達の中にいる時、最初の1分間、相手をリラックスさせるように努めるなら、自分は決して再び自意識過剰になることはない。」 これは、言うは易し、行うは難し、と思えるかもしれませんが、それでも心に留めておく価値は十分にあるでしょう。

  さて、子供が恥ずかしがることに対応でき、自己に対する安心感と自信を高めるような環境を作ってあげ、さらに子供同士での出来事や、個々の状況をうまく扱っていく能力を持つのを助けようとするつもりなら、私達はまず初めに、大人でも時折恥ずかしいという感情を抱くことがあるということを認め、受け入れなければなりません。また、子供の頃に自分がどんな状況で恥ずかしく感じたかを思い出すのも助けになるでしょう。

  他の人達と接する時の反応の仕方は人によって様々です。外向的で人づきあいがうまい人達も入れば、内向的で人と打ち解けにくい人達もいます。大概の人達はその両方が入り混じっています。その時の気分や、その状況によって違ってくるのです。

  普通の状況にいるとあなたは気楽に感じます。それは子供にとっても同じです。一方、普通と思えるものが必ずしも健全とは限りません。極端に恥ずかしがる傾向にあり、他人との接触はすべて恐れるような場合には、そのまま放っておいてはいけません。身体的・情緒的に成長するのが必要なのと同様、対人関係においても成長が必要なのです。

  子供は「人と変わらない」ことを望みます。子供というものは、友達やクラスメートと同じようになりたがるものです。また同時に、子供は自分が他の子供達と異なる点を痛々しいほど自覚しています。顔にちょっとしたほくろがあるとか、かすかに鼻の形が崩れているとか、ほんのちょっと髪がもじゃもじゃになっているというだけでも、子供にしてみれば、その変わっている所がひどく目立っているように思え、大問題なのです。

  人と接することが少々ぎこちない場合でも、子供は似たような影響を与えます。回りの子供達は人と接する時にも落ち着いていて、自信にあふれているようなのに、自分は違っていると感じることもあります。あなたの子供は、友達も恥ずかしがるということに気がついていないのかもしれません。

  だからこそ、親が子供とコミュニケーションを取って、恥ずかしがるのは普通であって、状況によって、みんな恥ずかしがることがあるのだと知らせるのが重要なのです。

 

恥ずかしがるのは普通だと教えるのはどんな助けになるか?

 

  親が子供にあげられる最も貴重な贈り物は、認識する能力です。子供が自分の感情を理解できないのは、ただ経験不足のため自分を理解するのがとても困難だからなのです。

  ある女性の例をあげてみましょう。子供時代にひどく恥ずかしがり屋だった彼女は、ずっと後になって、何が問題だったのかを理解することができました。その時になって理解したからといって、何の役にも立ちませんでしたが。この女性はパメラ・スミスという名で、現在30代前半です。彼女は2人の子供を持つ画家であり、イラストレーターです。彼女にとって子供時代や十代の思い出は辛いことだらけでした。

 

  彼女はこう語っています。「私はとても恥ずかしがり屋でした。だから、友達づきあいがうまく、落ち着いているように見えたクラスメートのことをうらやましく思っていました。自分もそんなふうになりたいとあこがれていましたが、どういうわけか、私には無理だとわかっていました。

  高校3年になるまで、デートしたこともありませんでした。魅力的でなかったわけではないのですが、恥ずかしがり屋のせいで、自分を守るための殻に閉じこもっていたのです。私は他の人達から距離をおき、孤立した存在になりました。そうすると、対人関係であまり恥ずかしい思いをしないですむようになったものの、誰からも近寄りがたい人間になってしまいました。自分が恥ずかしがり屋だということを知られるのが怖かったので、自分だけの心にしまっておいたんです。

  両親も、あまり助けになりませんでした。私の親は子供たちが独力でやっていき、ほとんどの問題は自分で解決することを望んでいました。めったになかった事ですが、クラスメートと付き合うのが難しい事を母に話すと、母は『心配することないわ、じきに乗り越えられるわよ。』と言いました。

  何年か前、私はパーティーでその当時のクラスメートに再会しました。彼女のことはよく覚えていました。ティーンエイジャーとして私の望むものを全て兼ね備えていたのですから。彼女は外向的で、温和で、とても人気がありました。

  一週間ほどして、私達は一緒に昼食を取り、学校時代のことをいろいろと話しました。話しているうちに、彼女も私と同様にかなり不安を抱いていたことを私は知りました。どういうわけか、彼女は恥ずかしがる性格を何とかして隠すことができたのです。とにかくこれは私にとって本当に意外でした。そのことを話すと、彼女は、私達皆が不安を抱いていること、根本的には誰もが恥ずかしがりであることを私が知らなかったことに驚いたようでした。

  過去を変えることはできません。でも、私は貴重な教訓を学びました。だからこれを通して、私の子供が、私と同じようなつらい体験をしなくていいよう助けたいです。」

  このパメラ・スミスの話は非常に深い意味合いがあります。第1に、彼女は自分が恥ずかしがり屋だということを自意識過剰なまでに認識していたのに、自分のまわりの子供達も同様な感情を持っていることは認識していなかったことです。それで彼女は自分だけが他と異なっていて、孤立しているように感じたのでした。これは子供達が比較的、共通して体験することです。

  彼女の言葉を借りると、彼女は「他の人達から距離をおき、孤立」していきました。これもまた、子供にとって比較的共通した点です。これは、自分の不安感を隠すために、子供達が使う防御策なのです。明らかに、このような外見はパメラと友人達やクラスメート達との間を引き離しました。本当は、自分が憧れる人達に対して劣等感を抱いているのに、人によっては、彼女は偉ぶっているように見えたかもしれません。(ついでながら、特に子供の間ではこの逆もよくあります。自分が羨んでいる子供をからかうのです。)

  大人からすれば、疑いもなく、彼女はしっかりした、称賛に値すべき思春期の少女に見えたことでしょう。その心の奥では助けを切望していたというのに。

 

恥ずかしがるのは普通だということを、どうやって子供に教えるか?

 

  ここに、子供達が恥ずかしがるのを克服するのを助ける上で考えていただきたい点を幾つか挙げてみましょう。

  レッテル:親は、子供に恥ずかしがり屋というレッテルを貼ることを避けるべきです。どんなものであっても、レッテルを貼るのは子供の発育に害になる可能性があります。

  子供達、それも特に幼い子供には、親の判断を揺るがぬ事実として解釈する傾向があります。例えば、親が「今日はビリーと遊ばないこと。ビリーはいい子じゃないから。」と言ったとします。親は単にビリーが最近行儀が良くないと言ったつもりでも、子供はそのコメントを、ビリーは良くない子供で、一生そのままだという解釈をする傾向があります。「ああ、この子は恥ずかしがり屋なのよ。」という発言も、同じように解釈される可能性があります。

  レッテルを貼ると、子供がその通りの人間になっていく可能性があります。例えば、子供が低学年の時に成績が芳しくなく、物覚えが悪いというレッテルを貼られたのを耳にしたなら、実際の可能性がどんなものであれ、引き続き成績が悪いままでいる可能性が高いでしょう。

  恥ずかしがり屋だというレッテルを貼られた子供は、「僕は恥ずかしがり屋なんだ、だから友達やクラスメートからちゃんと受け入れてもらうことなんてできっこない」というように、それをいわばある種の宣告として受け入れることがあります。また、レッテルを言い訳にしてしまうこともあります。「私はどうせ恥ずかしがり屋なんだわ。それが私の性格なんだから、友達やクラスメートに受け入れてもらおうとしたって、どっちみち無駄だわ。」という具合に。恥かしがりであるということがひどく大きなことになって、その子は、自分は恥かしがりだからこうなんだと考えるようになってしまうのです。

  レッテルを貼るのが、どうしてそんなに大きな害を及ぼしうるかというと、大半の子供達は、まだ色々な経験を積んでないために、自分には変わる能力があるということを全く知らないか、ほとんど知らないからです。だからこそ、恥ずかしがり屋のレッテルを自ら剥ぎ取るのは非常に難しいわけです。子供は、経験がないために、恥ずかしいという気持ちはただ一時的な感情であるか、状況に応じて生じる感情だということが理解できないのです。

  習うより慣れろ:あなたは子供に、経験を積んでいく内に、もっと気楽に他の人達とつきあえるようになると教えたらいいでしょう。また、どうしてそうなのか、他の分野での子供の体験を幾つか例にあげると助けになります。

  たいていの子供は、比較的幼い子供でさえも、何らかの形で、練習することの価値を学ぶものです。靴のひもを結ぶことだって、初めはたどだとしい手つきで努力しなくてはいけませんが、すぐに上達するものです。バットで野球のボールを打つことだって、初めは難しく思えます。でも、繰り返しやればだんだん簡単になってくるものです。楽器を演奏することも、練習すれば簡単になってきます。

  人づきあいにおいても、経験を積めば、たとえ何歳であっても、恥ずかしがりに対処する能力を目覚ましく伸ばすことができるというのを覚えておくのは大切なことです。

  自分のペースで進歩を遂げる:人づきあいにかかわりたがらない子供には、人ともっと接するように励ましてあげなければなりません。かといって、無理強いするのも良くありません。子供は、慣れれば人づきあいもうまくなるという事を理解しておくべきですが、「一か八か」というような状況に無理矢理追い込むのは関心しません。

  子供が興味を持っているもので、何か他の人と接触する活動をするよう勧めるのもよいでしょう。この典型的な例が、チーム・スポーツです。戸外活動に興味を持っている子供なら、ボーイ・スカウトやガール・スカウトが気に入るかもしれません。何にせよ、子供が興味を示すものが何であれ、たいていは、それがグループ活動として行われているものです。

  ポイントは、自分と同じことに興味を持つ子供と知り合いになれるようなグループに子供を入れてあげることです。これは、仲間とうまく付き合うのが難しい子供の緊張を解きほぐすのに最善の方法となるでしょう。

  私達大人も、同じことに興味を持つ大人に引きつけられるものです。そういう人達のグループなら、話すのも簡単になります。共通点があると、会話がもっとはずむのです。私達は、子供も同様で、そのようなグループから益を受けるのだということを忘れがちです。ただ子供同士だという理由だけで、すぐに共通点を持てるわけではありません。

  緊張をほぐす:未知のものへの恐怖というのが、恥ずかしがりの原因ならば、未知のものについて知ることが子供の恐れを和らげる助けになるはずです。たとえば、知らない客が家に来た時でも、お互いに紹介する際に子供が仲間はずれになっていることがしばしばです。こんな状況では、客の前で子供が恥ずかしがるのも理解できます。それが誰なのか、自分の親とどんな関係にあるのか知らないのですから、子供はその大人のことが全くわかりません。

  ですから、形式的に客を子供に紹介するだけではなく、「シンプソンさんは会社でパパと一緒に働いているんだよ」というように、客のことを説明してあげて、子供の心の底にある恐れを和らげてあげましょう。

  それだけでなく、さらに一歩踏み出して、客が来ることを前もって知らせてあげ、その人についてできるだけ教えてあげてはどうでしょうか。

  練習を積むことには2倍の効果があります。第1に、子供が初対面の客に対してもっとリラックスするのを助けます。第2に、自分も大人の世界に入れてもらっているのだという重要感を子供に持たせます。

 

どんな家庭環境が恥ずかしがりを克服する助けになるか? 

 

  一番理想的な家庭環境とは、子供が愛されていると感じることのできる環境です。ありのままの自分を、無条件で愛してもらっていると感じ、理解と助けを得られる環境です。それと同じく重要なのは、親と子供のコミュニケーションがうまくいっていることです。

  本来、恥ずかしがりは恐れから生まれます。

  良いことをしたから親にもっと愛されるのでもなく、また悪いことをしても親の愛が減るのでもないということを子供が知るのは大切なことです。つまり、愛は努力して手に入れたり、また失ったりするものではないというのを子供は学ぶべきなのです。

  親がいつでも自分を愛してくれると知っていれば、親に拒否されるのではという恐れが減少し、子供はもっと自信を持って新しい人間関係へと加わっていくことでしょう。

  子供が自分にも回りに対する影響力があると感じているかいないかが、人と付き合う能力に大きく影響します。これもまた家庭環境によって左右されるのです。

  時に、子供はどうしようもない無力感に襲われることがあります。子供の人生と行動はたいていの場合「権威を持った人物」−−つまり親、先生、コーチ、またはその時に子供を監督している人−−の命令下にあります。

  親が子供に自分で決断させるなら、子供はだんだん自分にも状況を支配する能力があると認識するようになります。一見何でもないような決断をさせるだけでも、子供は、自分にも状況を左右する能力があるんだと感じるようになるのです。好きなおもちゃや、友達や、見たい映画を選んだり、昼食やおやつに何を食べるかさえ決めることができるのだと子供に教えてあげるのです。あなたが子供に代わって決断を下すような場合には、良い解決策を幾つかあげて、子供にその中から選ばせるとよいでしょう。これは、自己の重要感と責任感を養います。

  自信を育てるには、子供が自分の努力と行いの価値を自覚する必要があります。彼らは良くやったことや、たとえ目標に達しなくても心から努力したことに対して、親からほめてもらう必要があるのです。

  こう考えてみると、子供も大人もたいして違いはありません。私達は自分にとって大切な人からほめてもらう必要があるのです。それがないと、自分の達成は空しく、価値がないと考えがちです。

  自我とは、極端に繊細です。そして、子供の自我は大人以上に繊細です。というのも、大人のように、色々な経験を通して鍛えられていないからです。

  子供の自信を増すには、大人が時間をかけてやること、多くの忍耐をもつこと、そして子供の気持ちに敏感になってあげることを要します。親は、子供の努力や成果をほめてあげる機会を見いださなくてはいけません。

  ジェフリーは、私の知っている医者の息子で10歳ですが、とても恥ずかしがり屋です。ジェフリーの父は成功にこだわり、息子にあまりにも成功を期待しすぎるので、息子は無気力になってしまっています。ジェフリーに科学の課題や難しい作文が課されるたびに、結局父親がほとんど手伝ってしまうのです。

  ジェフリーはそれでAをもらってはいるけれど、実際に自分でやったという満足感や達成感は得られません。どんなに良い成績をもらってもです。ジェフリーは確かに独力で課題に取り組めるほど十分賢い子供なのですが、課題をもらうたびに、それが自分でうまくやれるものであっても、父親に取られてしまって、ジェフリーはますますやる気をなくします。そして、反対にもっと恥ずかしがり屋で内向的になるのです。すると、父親はもっと怒り、絶対息子を落第させまいと強く意気込みます。

 

  たとえ息子のためを思ってであっても、自分の干渉が全く逆の結果を生んでいることをジェフリーの父親がすぐに悟らない限り、ジェフリーはこれからもずっと自信の欠如に悩まされることでしょう。

  たとえ親は子供が当然の責任を果たしたにすぎないと思えることでも、その行動や活動にほめ言葉をかけてやる必要があります。それを心にとめておいて下さい。子供、特に恥ずかしがり屋の子供は、沈黙が返ってくると、認めてもらえなかったと誤って解釈することがよくあるのです。

  学校で成し遂げたことや、さらにはただ頑張ったことでもほめてあげるのは、子供にとって極めて重要です。私達も、子供のしたあまり喜ばしくない行いを非難することに集中し、良いことをほめるのを忘れてしまうことがよくあります。

  いつも子供部屋をきれいに片付けているという決まりきったことでも、ほめるに値します。

  子供の恥ずかしいという気持ちを克服するのを助けるカギとは、コミュニケーションです。親は心おきなく子供とコミュニケーションしなければなりませんし、子供が、思っていることや、悩みや、希望を安心して話せるような環境を作ってあげなければなりません。

  根本的には、恥ずかしがるというのはコミュニケーションの欠如です。つまり、子供が家族以外の外の世界とコミュニケーションをするのに苦労しているということなのです。もしあなたの子供が他人に対して異常なほどに恥ずかしがり屋なら、自己表現するのをどんどん家庭で励ましてあげて下さい。

  たとえ回りくどい話し方をしなければならないとしても、恥ずかしがることについて子供と話すようにして下さい。例えば、自分の子供の頃の話を引き合いに出すのもよいでしょう。何を恥ずかしいと思うのかを話すことによって、子供が恥ずかしがりの原因をはっきりと突き詰めるのを励ましてあげて下さい。

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  以下のページには、何人かの子供達と、彼らの気持ち、恥ずかしがることについての話が載っています。これらの話は、声を出して読んで下さい。子供に読んであげるか、またはあなたのいる前で子供に声を出して読ませて下さい。これらの話には、幾つかの重要ポイントがあります。第1に、恥ずかしいという気持ちはつかの間のものだということ、つまり、それは状況によって生じてはまた消えていく感情なのだということを強調しています。第2に、恥ずかしいと思うことは、私達全員が、少なくとも時々経験するもので、皆に共通したものだということがわかります。第3に、恥ずかしいという気持ちは最低限に減らすことができるということを強調しています。最後に、親からの助けが子供の益になるということを示しています。

  どの話も、そこから親子で会話を発展させることができるようになっています。この話に出てくる子供と同じ気持ちになったことがあるかどうか聞いてもよいでしょう。

  また、あなたが子供の頃の、または大人になってからの、自分の恥ずかしさについて話してあげるのも子供の助けになることでしょう。

  一度に全部の話を読む必要はありません。子供がどれくらい集中しているかによって、一度に幾つの話を読むか決めて下さい。

 

キャシーの話

 

  キャシーは4年生でした。詩を書くのが大好きです。エームズ先生はいつもキャシーを励ましてくれます。

  ある日、エームズ先生がキャシーに黒板の前に来るようにと言いました。キャシーに、とても良く書けた詩をクラスのみんなの前で読んでほしかったのです。キャシーは驚きました。そんなこと、今まで一度もしたことがありません。

  黒板の前まで来ると、とてもあがってしまいました。キャシーはクラスメートみんなの顔を見ました。そして、詩を読もうとしましたが、とてもあがっていたので、声が出ません。とうとう、キャシーは自分の席に急いで戻ってしまいました。恥ずかしくてたまりませんでした。

  授業が終わってから、キャシーはエームズ先生に「ごめんなさい、こわかったんです。」と言ってあやまりました。

  エームズ先生はこう言いました。「それはごく普通のことよ。みんなの前では誰でもあがってしまうわ。これを覚えておくといいわ。たくさんの人の前で話す時には、みんなあなたがうまくやるよう応援しているの。このクラスのみんなはあなたの友達で、あなたがうまくやることを願っているのよ。」

  キャシーはちょっと考えて、エームズ先生の言う通りだと気づきました。クラスの他の子供達が朗読する時には、キャシーだって、その子がちゃんと読めたらいいな、と思っているのです。

  エームズ先生はこう言いました。「今度また折りをみて、詩を読むチャンスをあげましょう。今いったことを忘れないでね。みんな、あなたがうまく読めるように願っているんだから。だから、間違っても大丈夫なの。」

  もしあなたがクラスの前で話さなければならないとしたら、エームズ先生のアドバイスは助けになると思いますか?

 

ジェニファーの話

 

  ジェニファーは8歳で、ガールスカウトが大好きで、その活動に夢中でしたが、たった一つ例外があったのです。ガールスカウトのクッキーを売る時になると、売れたクッキーの数が隊の中でいつも一番少なかったのです。

  パパやママ、そしておじさんやおばさん、パパとママの親しい友達には幾つかクッキーを売れます。でも、それだけでした。いつもビリになってしまうことでとても恥ずかしい思いをしていました。が、ある年、ジェニファーはもっと頑張ろうと決心したのです。

  ジェニファーは、もっとクッキーを売るには近所を回って、ほとんど知りもしない人にクッキーを買ってもらうよう頼まなければなければならないと知っていました。そのことを考えただけで不安になりました。

  ガールスカウトでのジェニファーの友達の一人に、ベッツィーという子がいて、彼女はクッキーを売るのがとても得意です。ジェニファーは、それはベッツィーが、ほとんど知らない大人の人に話しをするのを何とも思わないからだと思っていました。そして、ベッツィーのことを羨ましく思っていました。

  ガールスカウトのクッキー売りが始まった日、ジェニファーはついにベッツィーに、一体どうしてあがったり、怖がったりせずに人にクッキーを買うように尋ねられるのか聞いてみました。するとベッツィーは、「あら、私、いつもドキドキするのよ。」と言ったのです。

  ジェニファーはびっくりしてしまいました。「ベッツィーもそうなるの?」

  ベッツィーは言いました。「もちろんよ、でもみんなとても優しいの。みんな、私達が良いことのためにクッキーを売っているって知ってるから、助けようとするの。やればやるほど、簡単になってくるのよ。あなたもやってみればいいの、それだけよ。」

  ジェニファーは、自分もやってみようと思いました。ママにも一緒に来てほしいと頼みましたが、ジェニファーは全部自分で売ったのです。話したのも全部ジェニファーでした。ジェニファーは、ほとんどの人がどんなに優しいかを知って、驚きました。そしてベッツィーの言う通りだとわかったのです。やればやるほど、簡単になっていきました。

  ジェニファーの成果は上々でした。クッキー売りで一番にはなれませんでしたが、ビリでもありませんでした。とても良い気持ちでした。

 

アレキサンドラの話

 

  アレキサンドラは9歳、3年生でした。彼女のクラスでは、国立歴史博物館への遠足を予定していて、アレキサンドラはそれを心待ちにしていました。

  遠足の何日か前、アレキサンドラのクラスの先生は、グループリーダーとして誰か一人を指名するつもりだと言いました。グループリーダーは、博物館に行く途中で、クラス全員が揃っているか確認する責任を持つのです。誰でも、グループ・リーダーの指示に従わなければなりません。

  先生が「アレキサンドラが遠足のグループリーダーになります。」と言った時には、アレキサンドラはショックを受けてしまいました。

  家に着いた時、アレキサンドラはお父さんにその日起こったことを話しました。お父さんはこう言いました。「おや、すごいじゃないか、アレキサンドラ。きっと先生はおまえのことを高く評価しているんだよ。」

  アレキサンドラはこう言いました。「でもパパ、変だと思うの。私の言う事なんか聞かない子供もいると思うわ。私はいばるタイプでもないし厳しくもないもの。全然そんなじゃないの。」

  するとお父さんはこう言いました。「アレキサンドラ、リーダーになるのにはいばり散らしたり、厳しくなる必要はないんだよ。先生はグループを率いる権威をおまえに与えたんだ。それが大事なことなんだよ。みんなおまえのことをちゃんと聞くよ。おまえが先生の代理だって知っているからね。ただしっかりした態度を取ればいいんだ。そうすれば絶対うまくいくよ。」

  アレキサンドラは遠足の間、少し緊張していました。一度か二度、何人かの生徒に遅れないようにちゃんと歩くように言わなければなりませんでしたが、結局、誰もアレキサンドラを困らせるようなことはしませんでした。

  見学が終わり、全員がバスに戻った時、先生がこう言いました。「あなたはグループリーダーとしてとてもよくやったわ、アレキサンドラ。今回は、私が博物館に連れて行った見学旅行の中で一番きちんと団体行動がとれてたわ。」

  アレキサンドラはとても良い気持ちがしました。お父さんの言う通りでした。リーダーになるにはいばったり、厳しくなる必要はないのです。

  あなたも、何かの責任を持つのを恥ずかしく思ったことはありますか?

 

ナンシーの話

 

  ナンシーは7歳でした。学校に入学して初めての劇に出ることになっています。目立った役ではありませんが、とても重要な役です。絶対に間違わないように、何度も何度も自分のセリフを練習しました。

  リハーサルでは万事がうまく行き、ナンシーは劇をする夜を楽しみにしていました。お父さんやお母さんや、皆の両親も来て劇を見るのです。

  ところが、劇をする何時間か前になって、家にいる時に変な気持ちになってきました。少し体が震え、おなかが痛くなってきたのです。とてもひどくなってきたので、お母さんにそのことを言いました。

  お母さんはナンシーのおでこにさわりました。「熱はないわ。きっとステージ恐怖症になったのよ、ナンシー。」

  ナンシーのお父さんがこう言いました。「ナンシー、つまりおまえも有名な劇団俳優や女優の仲間入りをしたってことだな。」

  「私が? 私はただ馬鹿みたいに怖くなっただけだと思ったわ。」

  するとお母さんがこう言いました。「そうじゃないわ、俳優や女優でもそうなるのよ。劇場で何年も芝居をしていても、まだそうなのよ。」

  ナンシーの気分が、少し晴れてきました。そしてほとんどつっかかる事なく自分の役を演じたのです。家に変える途中、ナンシーはこう言いました。「劇が始まったとたん、ステージ恐怖症がなくなったの。」彼女は気分が良くなったことに気がついて、とても驚いていたのです。

  お母さんがこう言いました。「そうね、いつでもそんなふうになった時には、思いきってやってみれば、後は簡単になるものなのよ。それは人生での一番難しい教訓の一つなのよ、ナンシー。そして大変なのは、何度も何度も学ばなければならないって事なの。今度劇に出る時も同じような気持ちになるはずよ。でもそれはごく自然な事だし、今ではそれに打ち勝つ事ができるってわかったわね。」

  ナンシーはこう言いました。「もう、どうすればいいかわかったわ、たぶん私、大きくなったら映画スターになるかもね。」

  「パパやママにとっては、おまえはもうスターだよ。」とお父さんが言いました。

  あなたもステージ恐怖症になったことがありますか? その時、どうしましたか?

 

マークの話

  マークは10歳でした。ある時、マンガ雑誌に、こんな広告が載っているのを見ました。雑誌予約購読を15件取るだけで、野球のミットがタダでもらえるというのです。マークには新しいミットが必要だったので、お父さんにお金をもらう代わりに、自分でミットを手に入れようと決めました。それで、マークはどうしたらミットがもらえるか、雑誌の会社に手紙を書きました。

  何週間かすると大きな封筒が届きました。それには、どうやって雑誌の予約購読を取るかが書いてありました。それで知っている人全部の所に行って、10件の予約購読を取りました。後5件だけです。でも誰の所に行けばいいのでしょう?

  突然マークは、自分が知らない人の家のベルを鳴らして雑誌の予約をするよう頼まなければならない事に気がつきました。初めマークはお父さんに、会社であと5件予約購読を取ってもらえないかと尋ねました。お父さんはこう言いました。「おやおや、マーク、そんなのずるいぞ。ちょっと勇気をふりしぼって知らない人の玄関のベルを鳴らすだけでいいんだ。もし一緒に行ってほしいなら私が一緒に歩いて行ってあげてもいいが、自分でちゃんとやらなくちゃいけないな。」

  マークは複雑な気持ちでした。そんなことしたくはなかったのですが、あとほんの少しで野球ミットがもらえる所なので、ここで後に引くことはできません。

  ついに、マークは知らない人の玄関先でベルを鳴らし、話をすることになりました。お父さんには、歩道で待ってもらうように頼みました。そして、歯を食いしばって、知らない人の玄関先のベルを鳴らしたのです。初めはあまりうまく行きませんでした。どもっては謝ってばかりで、ある女の人は、予約購読する気だったのに、マークの恥かしがりのせいでその気をなくしてしまったほどでした。でも、話すごとに、少しずつ雑誌のことも話しやすくなったし、知らない人と話すのも楽になってきました。

  そしてついに、やりました。予約購読を15件取ったのです! マークは思いました。「思ったほど難しくなかったな。」

  マークは最後まで頑張り通した自分に満足していました。お父さんの言った通りでした。時には、勇気をふりしぼって何かをしなければならないのです。たとえそれが難しいことでも。

  あなたも知らない人に何かを売ったことがありますか?

 

アキラの話

  ある日、アキラは友達と公園にいました。アキラは9歳で3年生です。何人かの男の子達が、スケートボードで遊び、ちょっと自慢気にそれを見せびらかしていました。

  アキラの友達テディはスケートボードがとても上手です。テディは幾つかの技をやって見せてから、こう言いました。「おい、アキラ、僕のスケートボード使いたいかい?」 アキラはとてもしたかったけれど、「いいや、いいよ。僕、ここで見てるから。」と言いました。

  アキラのお兄さんトシローが近くに立っていました。そしてこう言いました。「アキラ、テディの言うようにスケートボードを使ったらどうなんだい?」

  アキラはこう言いました。「僕、スケートボードうまくないもん。かっこ悪いじゃないか。だって、他の子と比べたら、バカみたいに見えるだろ。」

  トシローはこう言いました。「誰もおまえがテディみたいに滑れるなんて思ってないよ。おまえにスケートボードを貸してあげたいから、ああ言ってるんだ。間違ったからって何だよ? みんな、おまえがあまり練習したことがないって、よく知ってるよ。やってみなきゃ、覚えられるはずがないだろう?」

  アキラはそのことを少し考えました。そして、お兄さんに「そうだね、お兄ちゃんの言う通りだ。」と言いました。アキラはテディの所に言って、スケートボードを借りられるかどうか尋ねました。「でも僕、あまりうまくないんだ。」とテディに言いました。すると、テディは、「別にいいじゃないか。」と言いました。

  アキラはスケートボードに乗りました。とても楽しかったです。2度ほど転びましたが、誰もアキラを笑いませんでした。テディはアキラのことを声援していました。「おい、アキラ、すごいぞ! 君にこのテクニックを教えてあげるよ。」

  間もなくすると、二人は順番でスケートボードに乗り始めました。アキラはこう思いました。「わあ、このチャンスを逃していたなら、こんな楽しい思いはできなかっただろうな!」

  あなたも、初めて何かをする時、緊張したことがありますか?

 

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恥ずかしがるのは自意識過剰から!

 

  英語の"shy"(シャイ)、すなわち恥ずかしがるという言葉は、私という意味の"I"(アイ)という言葉の前に"sh"がついているだけであって、"shyness"(恥ずかしがること)というのは、本当は"I-ness"、つまり自分本位であることに過ぎないと言われています! 恥ずかしがり屋の人というのは、たいてい自分の事で頭がいっぱいで、他の事に対しては、"sh"(シー)と言ってしまい、その事について話そうとしないのです! 恥ずかしがることは、多くの場合、単なる自意識過剰に過ぎません。つまり、自分の事ばかり考え過ぎてしまっているのです。

字下げ 1桁  それでは、恥ずかしがることや引っ込み思案を克服するにはどうしたらいいのでしょうか? 一つの方法は、自分のことを忘れて、他の人達のことを考えることです! 自分のことを思い煩うのをやめなさい! 本当の自分ではなくて、他の人に気に入られるような人になろうと気に病むのをやめ、その代わりに、神が造られたありのままの自分に満足するなら、私達は、それほど恥ずかしがることも、自意識過剰になる事も、他の人の意見を気にすることもなくなります!

  有名な小説家であり、劇作家でもあるジョージ・バーナード・ショーは、引っ込み思案や内気さを克服して、非常にウィットに富んだ、卓越した雄弁家になった人の顕著な例です! どのようにしてその弱点を克服したのかと尋ねられて、ショーはこう答えました。「ちょうどスケートを学んだのと同じ方法ですよ。ともかく何回もヘマを繰り返して笑い物になり、それに慣れるようにしたんです!」若かった時ショーは、ロンドンでも一番の内気な若者でした。彼はしばしば、知らない人の家のドアをノックできなくて、通りを20分ほど行ったり来りしたそうです! ショーは自らこう言っています。「私ほど臆病で、その事をひどく恥じていた人はまずいないでしょう」と。

  ところが、ついにショーは、内気や恐れを克服するための方法を思いつきました! そして、自分の弱点に取り組み、それを一番の長所にしようと決意したのでした! 彼は、討論クラブのメンバーとなり、ロンドンで大衆討議会というものがあれば必ず出席しました。そして、いつも立ち上がって、議論で積極的に発言することを自分に強いたのです。そのように練習を積むことによって、彼の人前でのスピーチは上達していき、ついに、ジョージ・バーナード・ショーは、20世紀前半でも指折りの自信と才気に溢れた雄弁家となったのでした!

  クリスチャンである私達には、内気や引っ込み思案を克服するためのもっと確実な方法があります。なぜなら、私達にはイエスと聖霊がいて下さり、神の言葉があるからです!

  では、イエスや聖霊や御言葉は、私達にとってどんな助けになるのでしょうか? 恥ずかしがることは、基本的には恐れとプライドが入り混じったものです。恐れというのは、信仰の反対です。ですから、恐れを克服するには、もっと多くの信仰を持たなければなりません!−−では、どうやったらもっと多くの信仰を持てるでしょうか?−−聖書や神の御言葉を読むことによってです! 「信仰は、神の御言葉を聞くことから来る!」−−ローマ10:17。神に対する信仰があればある程、あなたはもっと神の愛で満たされ、他の人々に対してもより多くの愛を持つようになります! あなたは、自分よりも他の人のことを気にかけるようになり、それによって、それほど自分を意識しなくなり、キリストのことをもっと意識するようになるのです! ですから、自分のことは忘れ、あなたを通してイエスに他の人を愛していただきなさい!

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