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子供の可能性を信じ続けなさい!

−−ポール・A・キーネル博士著

 

  主が12使徒を選ばれた時、成績がクラスでトップ10%に入るかどうかを基準にして選ばれたりはしませんでした。主は、福音を未来の世代に永久に伝えるために、最も柔和な者たちを選ばれ、そのほとんどが無学でした。

  主の使徒とまでいかなくとも、偉大なリーダーとなった人々の中には、子供の頃、学校ではいつも「絶対成功しそうにない」子供のグループに属していた人達もいます。

  アルバートという少年の話はこの典型的な例と言えるでしょう。とても有名な話です。アルバートは話すのを覚えるのがとても遅くて、親は彼にどこか異常があると思ったほどです。学校の先生は彼のことを落ちこぼれと呼び、クラスメートも彼を避けました。彼は、大学入試も1度目は不合格でしたが、驚くことに、後に世界でも最も偉大な科学者の一人になったのです。その名はアルバート・アインシュタインです。

  ウィンストン・チャーチルは、おせじにも賢い子とは言えませんでした。それどころか、初めの内は何年も、クラスで一番成績の悪い子供だったのです。おまけに、ひどいどもりだったので、親も先生も彼の言っていることがほとんど聞き取れませんでした。後になり、彼は英国の首相になり、歴史上最も流暢に話す政治家として知られるようになったのです。1953年、彼はノーベル文学賞を受賞しました。

  たとえあなたの子供が学校で四苦八苦していても、子供の可能性を疑ってはいけません。希望はあります! もちろん、「オールAの天才児」でさえも必ず成功するとは限らないように、学校で悪戦苦闘している子供も、後に成功することが保証させているわけではありません。しかし見ていて興味深いのは、学校で苦労しながら努力を続ける子供のいかに多くが、決断力を備えるようになり、大人になって優れた市民となるかということです。あなたの子供が「秀才」には及ばなくても、次にあげるコロンビア大学の343人の卒業生の調査結果を見れば慰められることでしょう。調査によれば、「コロンビア大学を優等生として卒業し、成績最優秀賞を獲得し、ファイベータカッパ(成績優秀な学生から成る、米国最古の学生友愛会)に選ばれた者達は、後に自分の専門分野において、トップレベルというよりは、それに劣るレベルに落ち着く傾向がある」ということです。

  どうしてそのようになるのか。それは、学校でいつも良くやっていた生徒は、苦労する生徒や奮闘する生徒だけが学ぶ貴重な教訓を決して学ばなかったからだ、という考え方が適切でしょう。学校にいる間秀才だった人達は、決断力に欠けていることがよくあり、失敗する危険性があることをするのをためらいます。これは別に、人生で成功するには、頭が鈍くて、学校で苦労しなければならないということではありません。頭脳明晰なことは、欠点ではありません。しかし、人材についての神の摂理においては、恵み深き神は人間を公平に扱われ、神の御国における私達の価値は、学業成績によってのみ決まるということは決してないのです。神は薄暗い電球も、明るい電球と同じように使われます! 私達が神の導きに従っている限りは、神は私達の弱い面を強みに変えられ、私達の人生を通して、神の御名に栄光が帰するようにされるのです。

  親としての第一の責任は、子供をイエス・キリストへの完全なる献身へと導き、子供が、自分の人生の進路について、主の導きに心から信頼するようにさせることです。箴言3:5-6にはこうあります。「心をつくして主に信頼せよ。自分の知識に頼ってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道を導かれる。」

  学校生活において、子供の生れつきの短所やハンディキャップが何であろうと、もし子供が神を愛し、家族と愛のきずなで強く結ばれているならば、将来、社会に貢献する人物となる可能性は大です。キリストが自分を愛して下さり、親も愛してくれていると知っている子供は、どんな嵐をも耐え抜くことでしょう。親が様々な方法で愛を表現するのを常に怠らないことは、子供の精神的かつ情緒的幸福にとって絶対不可欠です。

  私は、キーネル家の人間は皆、自分の家庭が、愛情のこもった家庭だと思っていると、確信を持って言えます。妻と私は3人の娘に毎日最低1度はキスし、娘達に親らしい愛情こめた言葉をかけてあげます。私と妻も、子供が見ている前でお互いにキスします。だから、私の家では風邪が急速に広まるという事実に加えて、我が家には純粋な家族の愛がふんだんにあるのです。私の意見では、キリストへの愛の次に来るのは、家族に対する絶えざる愛だと思います。家族は社会の基本的な単位であり、家族の結合は愛に基づいているのです。

  神が自分を愛してくれるという安心感と、家族も自分を理解し、愛してくれるという安心感があれば、子供が学校、教会、そして近所での日々の圧力を乗り越える能力は高まることでしょう。キリスト教の学校で教育を受けることも重要なのは確かですが、それはキリストに栄誉を与える愛が満ちあふれるクリスチャンの家庭の次に来るものでしかありません。

  あなたの子供の可能性を信じ続けなさい。その子供には希望があります。もしキリストの愛があなたの家庭や、教会、学校、そして特にあなたの内にあることが顕著ならば、なおさら希望があります!

 

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すべての娘に捧げる詩

すべての家庭には娘がいるべきだ

  娘というのはなかなかの存在だから

娘のまわりはいつも

  ひっちゃかめっちゃか大騒動

地上にやって来た時から

  大人になってからもずっと、

娘は理解しがたい

  女性であり続ける‥‥

笑っていたかと思えば

  次の瞬間は泣いている

男には女の気持ちはわからない

  いくら理解しようとしても無駄‥‥

彼女は柔らかくて抱き締めずにおれないが

  賢く、頭もいいときている

彼女は精神と頭脳と心の

  素晴らしきコンビネーション

赤ん坊の頃でさえ

  生まれながらにして男の心を魅了した

そしてほしいものは何でも

  どうにかして手に入れた‥‥

年端も行かぬ頃にさえ

  彼女はあらゆる手管を使う

そして石のように固い心さえも溶かす

  その太陽のようなほほ笑みで‥‥

彼女の人生の初めは美しさを秘めた

  バラのつぼみのよう

それから幸せな少女時代に

  つぼみは開き始める‥‥

彼女はじきにかわいい女の子を卒業し、

  ほおを染めた花嫁となる

そして麗しき女性となり

  美しく花開く‥‥

そしていつか将来

  神の恵みあふれた御旨ならば

彼女も母になり、

  あの敬謙なる興奮を味わう

その興奮は心が愛に満たされた

  母なる者すべてに訪れる

彼女が天から神が与えたもうた

  「天使」を見る時に‥‥

そして、この世にもかの世にも

  生命は絶えることになる

やがて母となる

  愛すべき娘がいないならば!

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