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思い切ってしつけましょう!

−−ジェームズ・ドブソン著

 

序 文

 

  過酷で、抑圧的で、冷酷なしつけの危険については、いろいろ書かれてきました。これらの警告には確実な根拠があるのですから、留意すべきです。けれども、子供を懲らしめることを一切やめさせようとする人々は、自分たちの意見を正当化しようとして、子供が極端に厳しい罰を受けた例ばかり取り上げてきました。それは愚かなことです。頑固な子供が、こぶしを堅く握って、自分の挑戦を受ける様にと親に挑むことが、時々あります。多くの場合、その子供は、普通の人が考えるように、欲求不満や内的な敵意に駆り立てられているのではありません。彼らはただ、どこに境界線があるのか、またその境界線を強制できるのは誰かを知りたいだけなのです。数多くの専門家は、よかれと思って、寛容の旗を振りましたが、結局子供の反抗に対して、何の解決策も与えませんでした。彼らは、子供に対する親の理解の大切さを強調しました。そのことは私も同意します。しかし、私たちは子供にも、ママについて、2,3の事を知る必要があると、教えなければなりません。

  「しつけ(訓練)」(discipline)という言葉は、罰を伴う行為に限定されません。子供には自己訓練と、責任ある行動も教える必要があります。彼らは生活の中で直面する挑戦や義務に、いかに立ち向かうかを学ぶのに、助力を要しています。また自制を学ばなければなりません。勝手気ままに振る舞うのを許すことは、単なる過ちにとどまらず、ひどい結果をもたらします!

  作家のジャック・ロンドンが言っているように、「何事によらず、最善の測定法は、それがうまくいくか」ということです。正しく行使するなら、しつけは役に立ちます。親子の間で、お互いを尊敬することによって、優しい愛情が通い合います。それは、互いに愛し合い、頼り合うべき家族を隔ててしまう世代の断層に橋をかけます。また、私達の父なる神を、私達の愛する子供達に紹介することができるようにします。教師が自分のゆだねられている学校での仕事をすることができるようにもさせます。それによって、子供達は自分の仲間を尊敬し、責任ある建設的な市民として生きるように励まされます。おわかりのとおり、これらの恩恵を受けるには、代価を払わなければなりません。その代価とは、勇気、一貫性、勤勉、そして熱烈な努力です。一言で言えば、私達は子供達を、思い切ってしつけなければならないのです。(編集者注:多くの国で体罰に関する法律が強化されていることから、私達は、「児童虐待」や親として不適格だとして告発されるのを防ぐため、あなたたちのいる国では子供に体罰を与えるのが法に反しているかどうか、その国の状況を慎重に調査することを勧めます。もしそれが違法だとしたら、祈って、子供を正し、訓練できる他の方法を主に示していただきなさい。体罰を与えずにしつける方法について、これらの本の要約に載っている他の秘訣を参考にするとよいでしょう。)

 

尊敬と責任を子供に教えること

 

  なべの中の蛙 蛙を水の入った鍋に入れて、徐々に鍋の下から加熱していっても、たいていの場合、逃げる様子は見せません。蛙は冷血動物ですから、体温は回りの水温とだいたい同じになり、ゆっくりと変化が起こっているのに気づきません。そして、温度がどんどん上がり続けても、蛙は身の危険を悟っていないのです。蛙は簡単に安全なところに跳ぶこともできるのですが、何か他のことを考えていて、一向にその気になりません。湯気が無気味に自分の鼻の穴の回りをうず巻いているのに、満足そうに、なべの縁をじっと見ながら、ただそこに座っています。結局、蛙は煮えて死んでしまいます。容易に避ける事の出来た、起こらずにすんだはずの不幸にあって死ぬのです。

  人間は、この小さな蛙と同じように知覚の不完全な存在です。私達は、突然の危険にぶつかると、素早く行動します。戦争、伝染病、地震、台風には迅速に対応します。しかし、険悪な問題が、10年または20年に渡って、ゆっくりと起こると、私達はしばしば、あの蛙のように、知らぬが仏で、自分達が「煮える」に任せてしまいます。このように、不幸が次第に増し加わることに盲目なことは、アメリカの若い世代にどんどん広まっている問題に、私達が無知であることに最もよく表れています。私達は、ゆっくりと堕落している「若者の騒ぎ」を、一言の抗議もしないで黙って認めてきました。

  確かに、この本の目的は私達の子供を非難することではありません。彼らは私達にとって、一番大切な価値を持つ財産です。かえって、私達古い世代は、環境が悪化するに任せた責めを負わなければなりません。向きを逆にできた時があったのに、満足している蛙のように、私達は何か他のことを考えていたに違いありません。煮えてしまわず、跳び上がる時が来ました。重い腰をあげて、子供達を脅かす諸問題を取り除くために行動することが、私達の親としての責任です。

  今の若い人達の問題の多くは、まだ幼い子供時代に始まったと言っても過言ではありません。小さい子供は、良きにつけ、悪しきにつけ、保護者の影響を非常に受けやすいものです。また、幼児期に犯した間違いは後で高い代価を払うことになります。子供に正しい態度を教えることのできる4才または5才までの間は重要な時期です。これらの幼い時期にもった考え方は、かなり永久的なものとなります。しかし、この時期の好機を逃すと、普通、最初の感受性はなくなり、それが戻ることはありません。

  遺伝 対 学習。遺伝が子供に正しい態度を授けるのではありません。子供は教えられる事を学んでいくのです。幼い頃に、私達がなすべきことをしてやらなかったら、子供が、望ましい態度を取り、行動する事を期待する事は出来ません。

  愛としつけ。愛は人間生活の根本となるものですが、親の責任はそれよりもはるかに範囲の広いものです。親は、限りなく子供を愛していながら、それでいて有害な態度を教え続けることもあります。愛していても、指導が欠けているなら、自己訓練と自制心を持ち、人を尊敬することのできる子供にすることはできません。愛情と暖かさは、すべての知的・肉体的健康の基礎ですが、それさえあれば、注意深い訓練と指導の必要はないというわけではありません。

  ロサンゼルスで最近開かれた心理学者会議で、主任講師は、この国の最大の社会的不幸は、あり余るほどの愛があれば、しつけは不要だとする信念である、と述べました。人に敬意を払い、責任感のある子供は、愛としつけが正しく結び合わさった家庭から生まれます。

  子供の監督。道理にかなった常識的な原則の中に、子供の正しい監督のしかたを見いだす事が出来ると、私は十分確信しています。その原則の中で、5つの要素が重要な位置を占めています。

1.親に対する尊敬の心を育てることは、子供を育てる上で非常に重要な要素である。

  子供が親を尊敬することは、親のエゴを満足させるために重要なのではなく、自分と親との関係が、他のすべての人に対する態度の基礎となるために、最も重要なのです。

  親子関係は、幼児が持つ最初の、そして最も重要な社会的相互関係で、そのひずみは、それから後の人間関係に影響することがしばしばあります。例えば、キャンディーを欲しがっているのに、両親に拒まれた子供を想像して下さい。彼は拒まれたので、床に倒れて大声をあげて、頭をカーペットに激しく打ちつけます。そこで、お母さんはこの大げさな行為に仰天して、「ジョニー、ほら、一つだけならいいわ。さあ、泣き止みなさい。」と言って、キャンディーをやります。彼女は、ジョニーが感情的に反抗すると得をするようにしてしまいました。彼の泣き声はおいしい配当を受けました。彼は体制に挑戦して、それを崩すことに成功したのです。もし、親切なお母さんが、それからの14年間、彼の抗議に同じような取り組み方をし続けるなら、そのジョニー坊やもだんだん大きくなって、他の誰もが、自分の年老いた母親のように自分の要求を満たすことを期待するような若者になるかもしれません。後で、それほど妥協的でない権威によってはねつけられた時、激しい衝突が起こります。

 

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  子供は世界中で最も優れた児童心理学者であって、大人に対して心理作戦に出る! 気をつけていないなら、子供に裏をかかれることだろう。子供は非常に利口で、児童心理については大人よりもよく知っている。だから、少なくとも子供よりも一歩先を行っていなければならない。

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  親に対する尊敬は、もう一つの同じように重要な理由から、もち続けられなければなりません。子供がティーン・エイジャーになった時、あなたの価値を子供に認めさせたいなら、子供がもっと小さい頃に、あなたは、彼に尊敬されるのにふさわしくなければなりません。

  尊敬の問題は、一定の行動について、いつ罰すべきか、またどの程度、実力行使に出るべきなのかを知るのに役立つ道具となります。まず、親は、望ましくない行動が、親の権威−−父または母としての地位−−に対する直接の挑戦を表すかどうかを見極めるべきです。罰はそれを見極めてから決めなければなりません。

  私の意見では、スパンク(罰として、子供のおしりなどをたたくこと)は、10才またはそれ以下の子供が、反抗的に「いやだ」とか「うるさい」などと言う時にすべきものだと考えます。子供がこのような頑固な反抗をした時は、彼を懲らしめた方がよいので、痛みは不思議な洗浄器の役を果たします。あなたと子供が向かい合って対決している時、服従の徳について論じ合っても無駄な事です。あなたは、子供の行動に一線を引きました。すると、子供がわざとその線を踏みにじりました。誰が勝つつもりでしょうか? 一番勇気があるのは誰でしょうか? ここでは、誰が責任者ですか? もしあなたが、子供に対して、これらの質問に決定的に答えたくないなら、子供はそれを繰り返し繰り返し問いかけるために、別の戦いを企てて、ぶつかってくるでしょう。子供は監督されることを望みますが、両親が自分達の力で監督する権利を勝ち取るようにせがむというのが、子供が根本的に矛盾しているところです。

  あなたが次の手法に従うなら、子供に永続的な害を与える様な事にはなりません。つまり、前以て、原則をよく確認する。何が良い行為であり、何が良くない行為であるかについて、疑問の余地のない様にする事です。子供が横柄な態度で、自分でわかっている限界に挑戦しようと、冷淡にも決めるなら、それを後悔する様に、彼に理由をよく説明して下さい。いつでも、愛と愛情と優しさと理解を示して下さい。しつけと愛とは全く相反するものではありません。一方は他方に作用します。罰とは(上述したように)、親が子供に向かってするものではなくて、子供のためにするものだという事を、親は確信しなければなりません。不従順な子供に対しての態度は、「おまえを心から愛しているから、そんな事をさせることは出来ない」というふうでなくてはなりません。小さな子供には、例を挙げて説明すると、一番はっきりとそのことを伝えることができます。

   「あのね、母鳥とひな鳥の話があるの。母鳥は餌にする小さな虫を見つけに出て行きました。そして、ひな鳥に、『お母さんがいない時、巣から出てはいけませんよ』と言いました。でもひな鳥は、お母さんの言った事を気にとめないで、巣から飛び出して、地面に落ちてしまいました。するとそこには大きな猫がいて、ひな鳥を捕まえてしまったの。お母さんが、『言うことを聞きなさい』と言う時は、お母さん鳥がひな鳥に言った様に、あなたのためになる事を知っているからなのよ。『前庭から出てはいけません』と言うのは、あなたが道に飛び出して、自動車にぶつかってはいけないと思うからなの。お母さんはあなたが大好きよ。だから、あなたに何か起こってはいけないと思っているの。もし、お母さんの言う事が聞けないのなら、言いつけを守る事がどんなに大切か思い出す様に、あなたをたたかなければならないの。わかりますか?」

  尊敬は、一方だけが心がけてもうまくいきません。それは両側通行の道で効果を表さなければなりません。母親は、自分が子供と同じようにしないなら、自分を尊敬するように子供に要求することはできません。母親は、友達の前で子供をけなしたり、困らせたりしないようにして、子供の自我に対して寛大でなければなりません。罰は、普通、いい気味と思っているような傍観者の好奇の目のないところで与えられるべきです。子供の強い感情と要求とは、たとえ、それが馬鹿馬鹿しいものであっても、正しく評価されなければなりません。子供を無慈悲に笑ってはなりません。親は、「自分のことを本当に心配している」と子供が感じるようにすべきです。自尊心は、人間の性質の中で最も壊れやすい特性です。それはごくささいな事件で壊れる事もあります。そして、それを建て直そうとすることは、しばしば困難です。

  母親は、子供が15か月ぐらいになると遅かれ早かれ、母親の権威に対する挑戦をいつも子供から受ける事になります。よちよち歩きの子供は、この世で一番聞き分けのない、法や秩序の反対者です。そしてお母さんを困らせて、ママの生活を惨めにさせる事もあります。子供は無邪気ながらも、意地悪で、利己的で、命令的で、ずるくて、破壊的です。コメディアンのビル・コスビーは、よちよち歩きの子供に、さんざん困らされた経験があったに違いありません。彼は、「2才になる元気な子供を200人下さい。そうすれば、私は世界を征服できます」と語ったと言われています。

  思春期は、それまでに受けた訓練とやってきた行為全体の凝縮、または複合物である事を理解する事が大切です。生まれてから12年間に起こった不安定な問題は皆、思春期に表面化し、爆発する様です。十代の反抗という時限爆弾を奪い取り始めるのに適当な時期は、それが爆発する12年前です。

  最もうまくいっている親とは、子供の心の奥まで見抜き、子供の見ることを見、考えることを考え、感じ取ることを感じることのできる人達です。この能力を身につけることができない限り、親はいつも子供を傷つけるような態度で反応することでしょう。例えば、2才の子供が寝る時に、金切り声を上げて泣く時には、子供が何を伝えようとしているのかを確かめなけれはなりません。もし、本当に部屋の暗さに驚いているのなら、それに適した対応は、寝床に入らなければならないことにただ抗議している場合とは、全く違うはずです。立派な親の条件とは、子供の行動の背後にある意味を解き明かすことに帰します。

 

2.罰の後は、コミュニケーションの最良の機会となることがよくある。

  父か母が反抗的な挑戦を受けた後で、決定的に子供に勝つこと以上に、親子を結びつけるものはありません。子供が、自分は当然罰を受けなくてはならないことを知っていて、「それを求めて」いる時には、特にそうです。親が、自分の権威を示すことは、他のどんな方法よりも尊敬の念を起こさせます。また子供は興奮がさめると、よく自分の愛情を示すものです。親が拒否したのは、子供のやったことであって、子供自身を拒んだのではないことを、はっきりと示すために、罰を与えた後の親の暖かさが絶対に必要です。

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叱られた後の励ましは、雨上がりの陽光のようだ

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3.小言ぬきの監督(それは可能です!)

  子供に向かって金切り声を上げたり、小言を言うのが習慣となることがあります。それは全くむだな事です。「もうこれ以上は言わないわよ。これが最後よ!」とあなたは子供に大声を上げたことはありませんか。親はよく、自分では何の行動もせずに子供に行動を起こさせるよう、怒りを使います。それでは効果的ではありません。一例を挙げてみましょう。

  ママ 対 ヘンリー 8才のヘンリーが床の上でゲームをしています。ママは時計を見て、「ヘンリー、もう9時ですよ(30分もさばを読んでいます)。さあ、おもちゃを集めて、おふろに入りなさい」と言います。ところで、ママはヘンリーに、すぐにおふろに入りなさいと言ったのではないことは、ヘンリーにもママにもわかっています。彼女はただ、おふろに入ることを考え始めなさいというつもりなのです。もしヘンリーがママの無意味な指図にすぐに反応したなら、ママは卒倒してしまうことでしょう。おおよそ10分後、「さあ、ヘンリー、遅くなりますよ。あしたは学校でしょう。おもちゃを片づけて、おふろに入りなさい」とママはまた言います。彼女はまだヘンリーに言うことを聞かせるつもりはあまりせんし、ヘンリーもそれを知っています。彼女の本当に言いたいことは、「もうそろそろおしまいよ」ということです。ヘンリーはママの言葉が聞こえたことを示そうと、のろのろと動き出して、箱を一つ、二つつみ重ね始めます。それからまた2,3分腰を降ろして遊びます。6分たちます。ママがもう一度指図をします。今度はもっと熱を入れて、脅すような声です。「いいですか、急ぎなさい。しなさいと言ったわよ。ママは本気ですからね。」 ヘンリーにとって、これはおもちゃを片づけて、おふろ場のドアの方に歩いて行かなければならないことなのです。もしママが早足で追いかけてくるなら、彼は大急ぎでその指示をやり遂げなければなりません。けれども、この儀式の最終段階を実行する前に、ママの心が迷うなら、ヘンリーはさらに2,3分楽しむことができます。

  ヘンリーとママは一人芝居に夢中になっているのです。彼らは2人とも、相手が決めた規則と役割を知っています。全場面が計画され、計算され、脚色されています。ヘンリーのきらいなことをママがさせたい時はいつでも、彼女は偽りの怒りの目盛りに従って、初めは静かに、最後は真っ赤になって脅しながら、事を運びます。ヘンリーはママが怒りの頂点に達するまでは、動く必要がありません。このゲームはなんと愚かしいことでしょう。ママは無意味な脅しを使って監督するので、四六時中怒っていなければなりません。彼女と子供との関係は汚されています。そして、ずきずきする頭痛で毎日を終えます。彼女は即座に従わせることが決してできません。信用できる程度の怒りをつくり上げるのに、少なくとも5分はかかります。行動をさせるのには、こちらも行動に出ることの方がどんなに良いでしょうか。望ましい反応を引き出す手段は他に何百とあります。苦痛を与える方法もあれば、子供にほうびを与える方法もあります。

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 私達の子供は金のように貴く

 いつも言われた通りにする。

 私達は何年も心理作戦を使い、

 また、子供の小さなお尻をたたいてきた。

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  怒りの無益さ。読者の中には、かわいい小さな子供を、わずかとは言え、故意に、計画的に痛い目に遭わせるとは、過酷で、冷淡な処置だと感じられる方もあるでしょう。そう思っておられる方々には最後まで私の言うことを聞いて下さるようにお願いします。この2つのどちらを選ぶべきかよく考えて下さい。一方では、親と子の間に、絶え間ない小言と争いがあります。子供は、自分が耳にする一千万語の言葉の中に何の脅かしもないことを発見した時、小言に耳を傾けるのをやめます。極度に感情的な言葉、つまり金切り声とどなり声が延々と続いた時だけ、その子供は反応するのです。子供はますます言うことをきかなくなり、ママの神経はすり切れ、親子関係は緊張します。しかし、言葉によるこうした叱責には重大な限界があります。いずれにせよ、結局は体罰に訴えなければならないということがしばしばあるのです。しかし親は、冷静で賢明な体罰を与えるか代わりに、取り乱してしまい、大胆に挑戦してくる子供を、怒りにまかせてひっぱたくようになります。

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  犯罪に見合った罰を与えるようにしなさい! 警告と脅しを十分与えた上で、ルールを破った者を、断固とした態度で確実に罰しなさい。そうすれば、彼らはそのまま悪さを続ければどうなるかわかる。そして、それを必ず一貫して行ないなさい。そうすれば、子供はしてはならないと警告されたことをすれば絶対に罰をもらうとわかるようになる。

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  子供が知っていながら規則を破っているのを決して軽く見過ごしてはなりません。ほとんどの子供は、大人の権威に対する自分達の反抗について、かなり分析的です。彼らは、ありそうな結果を考えに入れて、前もって行動を考えます。もし、正義が勝つ公算があまりにも大きいなら、彼らは安全な道を取るでしょう。この特徴は、子供が片方の親をがまんしきれなくなるまで困らせておきながら、一方、もう片方の親にはやさしい天使のように振る舞っている何百という家庭において立証されています。ママは、「リックはパパの言うことはとてもよく聞くのに、私のことなどちっとも気にかけない」とすすり泣きます。人のよい、ずるいリックは、ママの方がパパよりも安全なことを見てとっています。

  この点を要約しますと、子供にとって重要な措置を手際よく行うことが、子供を監督する一番有効な方法であることを認識しなければなりません。軽い痛みを与えることは、こうした重要な方法の一つです。言葉に次ぐ言葉は、子供達に、ほとんど、あるいは全然やる気を起こさせません。「ジャック、どうして正しいことをしないの。あなたはめったに正しいことをしないじゃない。あなたをどう扱っていったらいいのかしら。いつもあなたに小言ばかり言っていなくてはならないようだわ。あなたがどうして言われたことをしないのか、さっぱりわからないわ。もし一度でも、ただの一度でも、年相応にやれたらいいのに‥‥」などなど。

  ジャックはこの際限のない長口舌に、毎月毎月、毎年毎年耐えています。彼にとって幸いなことには、自然はジャックに、それを聞き流す習性を授けました。線路のそばに住んでいる人は、どういわけか列車が通過するのを聞き流します。同じように、ジャックは彼の周囲の無意味な騒音を無視するのが得策であることに気づいています。もしジャック(または彼と同年代の者はみな)が、協力することが自分の個人的な利益になることがはっきりしていたなら、もっともっと喜んで「正しいことをする」でしょう。

 

4.子供を過度の物質偏重に、浸らせてはならない。

  繁栄は逆境よりももっと重大な性格のテストとなると言われていますが、私もそれに同意したいと思います。子供が、自分の欲しいものは何でもいつでももらえると感じることぐらい、感謝の気持ちを起こさせないようにする条件はほとんどないと言えます。甘やかされた子供が、誕生日とかクリスマスの贈り物の山を破って開くのを見ると考えさせられます。一つまた一つと高価な中身がほとんど一べつも与えられずに、わきに投げやられます。子供の母親は、感激も感謝もほとんどないのを気にして、「マービン、それ何か見てごらん。小さなテープレコーダーよ。おばあちゃんに何と言うの? よくお礼を言うんですよ。いいですか、マービン。おばあちゃんによくお礼を言って、キスするのよ。」と言います。マービンがおばあちゃんに適当なことを言う気になったかどうかはわかりません。彼があまり喜ばないのは、買った人は出費をしたでしょうが、子供にとってはこれは簡単に手に入った賞品なので、価値がほとんどないのです。

 

5.極端な統制と極端な愛を避けること。

  子供のしつけにおいてあまりにも極端すぎることの結果については、ほとんど議論の余地がありません。厳格すぎる場合には、子供は完全支配の屈辱を受けます。雰囲気が冷たく、堅いと、子供はいつも恐れを抱いて生活します。自分自身で決断ができないので、性格は、親の権威という鋲を打ちつけられたブーツの下に踏みつけられます。

  愛されず、触ってもらえず、抱き締めてもらわない赤ん坊が死ぬことが多いというのは、数十年前から知られています。この事実は、13世紀という昔に、フレデリック二世が50人の赤ん坊で実験した時、証明されました。王は、子供が話し言葉を聞く機会を全く持たないなら、どんな言葉で話すかを知りたいと思いました。このいかがわしい研究計画を成し遂げるために、子供をふろに入れ、乳を飲ませる乳母をあてがいましたが、乳母達が勝手に抱いたり、愛撫したり、話しかけたりする事を禁じました。この実験は失敗に終わりました。50人の赤ん坊は皆死んでしまったのです! 最近の何百という研究でも、生後1年間の母子の関係が赤ん坊の生存にとって極めて重要であることを示しています。

  健全で責任感のある子供達を育てようとするのなら、愛と統制の「適切なバランス」を探し求めなければなりません。

 

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  長期ゴールとは、子供達が愛のゆえに従い、何が正しくて何が間違っているかについて確信を持ち、その確信に従って正しいものを選択するよう励ましてやることだ。

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まとめ

 

  誤解を避けるために、今まで説いてきたことと反対のことを述べて、私の説を強調しなければなりません。私は単純な原則をお勧めしているのです。あなたが子供から反抗的な挑戦を受けたなら、断固として勝って下さい。子供が「責任者は誰なの」と尋ねたら、答えて下さい。「誰が私を愛しているの」とつぶやいたら、腕に抱き、愛情で包んでやって下さい。尊敬と威厳をもって子供を扱い、子供からも同じことを期待するのです。それをして初めて、十分に資格ある親としての素晴らしい恩典を享受することができます。

 

質問と回答

 

1.痛みの目的

  問:私は3才になる娘に体罰を与えたことがまだありません。私がそうすることによって、彼女が他の人をぶつことを覚えて、乱暴な人間になることを恐れているからです。私は間違っているとお考えですか。

  答:あなたは間違っていると思います。しかし、一つの重要な点をついておられます。親が乱暴にふるまうことによって、子供が敵意や攻撃的な性格を抱くようになる可能性はあります。もし、子供がうっかり間違ってしたことのために、親が金切り声をあげたり、大声を出して、感情的に強く叱ったり、たたいたりするなら、子供がまねをする手本となります。親のこういう暴力は、正しいしつけとは全く別のものです。しかし、子供が下を向いて、こぶしを固く握った時には、親を思い通りにさせようと挑んでいるのです。もし親が、適切な反応を示し、おしりをたたくなら、子供に、自然界の教え方と合致する貴重な教訓を与えたのです。

  人生に痛みというものがなぜあるのか、その目的をよく考えて下さい。2才のピーターがテーブルクロスを引っ張っています。テーブルの端に倒れたバラの花瓶も引き寄せられて、彼の両眼の間に、ごつんと当たりました。ピーターはたいへん痛い目に遭います。この痛みによって、テーブルクロスを引っ張ると危ないことを覚えます。同じように、熱いストーブに触って、即座に、火は気をつけて扱わなればならないことを学びます。小犬のしっぽを引っ張れば、すぐに、手の甲に歯型をくっきりとつけられます。ママが見ていない時に、ハイチェアの片側によじ登って、引力とはどんなものかを学びます。3年または4年間、彼はこぶと打傷、切り傷、やけどを積み重ね、その一つ一つが、生活の境界について、彼に教えます。この経験は彼を暴力的な人間にしたでしょうか? いいえ! これらの事故に伴った痛みは、同じ間違いを犯すのを避けるということを彼に教

えたのです。神は、子供の教育の最善の手段として、このようなシステムを作られました。愛情ある親は、ある種の生活上の危険について子供を教えるのに、同じ方法を使うことができますし、また使うべきです。それとは逆に、ピーターの両親がこの原則をピーターに適用することができないなら、彼はきっと乱暴な人間になるでしょう。自分勝手で、反抗的で、押し付けがましいことをすれば痛い目に遭うということをいつまでも学ばなかったために。

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  3歳になるまでに、子供の性格形成の半分以上の過程が終わるということを、すべての父と母が悟るべきだ。

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2.境界線の必要性

  問:先生は少し前に、境界について語られました。子供は、自分の行動に境界が設けられることを、本当に望むでしょうか。

  答:絶対にそうです。長年に渡って子供を扱う仕事をした結果、私は、これ以上の確信を持てないほどになりました。彼らは、どこが境界かを知ることから、安心感を得ます。おそらく、一つの例によって、このことがいっそうはっきりするでしょう。あなたがコロラドのロイヤル・ジョージの上を車で走っていると想像して下さい。滝の上、数百フィートに橋が吊られています。初めて橋を渡るのなら、あなたは運転しながら緊張します。(橋の上から眺めて、とても恐ろしくなった女の子が、「ああ、パパ。ここから落ちたらすぐ死ぬのね」と言ったことがあります)

  ところで、橋の両側にガードレールがなかったとしたら、あなたはどこを運転するでしょうか。きっと道の真ん中でしょう。あなたが、この両端のガードレールにぶつかるつもりがなくても、それがあることを知るだけで安全に感じます。子供の場合にも、似たようなことが、経験によって証明されました。進歩主義教育運動の初期の頃、一人の熱心な奨励者は、保育園の周りの鎖の輪のフェンスを取り壊すことにしました。子供達も、フェンスが取り除かれると、男の子も女の子も、庭の真ん中近くに群がりました。彼らはさまよい出すどころか、庭のすみにさえ、行こうとしませんでした。

  決められた範囲の中にいると、安心感があります。家庭の雰囲気が当然あるべき状態にある時に、子供は安心感を持って生活します。子供が故意に問題を起こそうとしない限り、安全です。またその範囲にとどまっている限り、陽気で楽しく、自由で、周囲の人からも受け入れられるのです。

 

3.しつけが失敗することはあるのか?

  問:私は子供達が言うことをきかない時におしおきをしてきましたが、役に立たないように見えました。このやり方は、子供によっては、うまくいかないのでしょうか。

  答:多くの場合、おしおきに効果がない原因は、個人差ではありません。懲らしめの処置が失敗するのは、普通、その使いかたに根本的な誤りがあるためです。二倍の罰を与えても、半分の効果しか生じないこともあります。子供が自分の受けるおしおきを無視して、同じ規則を繰り返し破って困ると親が訴えた状況について、私は研究してきました。おしおきがうまくいかない根本的な理由が4つあります。1)一番多く起こる問題は、時たま、気が向いた時におしおきを与える事です。ある時は、特に反抗的な行為をしてもおしおきされないのに、他の時に、同じ事をすると平手で殴られるといった場合です。子供は首尾一貫した公平な措置を与えられなければなりません。2)子供が親よりも強い意志を持っているのかもしれません。そして、両者ともそのことを知っています。もし子供が、一時的な猛攻撃をより長く続け、親のとっておきの道具である罰を排除したなら、彼は決戦に勝ったのです。ママがたとえ彼をおしおきしたとしても、母親にまた反抗することによって、彼は戦いに勝ちます。こういう状況に対する解決法は明らかです。子供より、長く持ちこたえることです。たとえ、繰り返し繰り返し同じ手段を取っても勝つことです。関係者双方にとって、こういう経験は苦しいものでしょうが、その利益は日一日と増し加わるでしょう。3)その時まで、一年または二年間、親は罰を与えなかったのに、突然、そういう罰を使おうと決めます。子供が、このような新しい処置に応じるには、しばらく時間がかかります。そして、親はこの調整期間中に失望してしまうのかもしれません。4)おしおきの仕方がやさしすぎるのかもしれません。ちっとも痛くないようなら、その罰にこりて、もう二度としなくなるというわけにはいきません。厚いオムツをしたおしりを平手でたたいたぐらいでは、何の引きとめ役にもなりません。子供をたたきのめす必要はありませんが、子供がその意味を感じ取ることのできるものでなければなりません。

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  まず子供には、従順という教訓を学ばせよ。そうすれば、子供はあなたの望むように育っていくだろう。−−ベン・フランクリン

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4.よちよち歩きの子供のしつけ

  問:よちよち歩きの子供が規則を破るのはあたりまえなら、そのような子供の反抗は許すべきでしょうか。

  答:よちよち歩きの子におしおきや平手打ちをすることは、多くの場合、避けることができますし、また避けるべきです。彼らは手の届く限りあらゆる物に触り、噛み、味わい、においをかぎ、壊したいという自然の欲求のために、実にしばしば、面倒を起こします。しかし、この「手を延ばす」行為は攻撃的なものではありません。

  それでは、よちよち歩きの子はどんな時に、軽いおしおきを受けるべきでしょうか。その子が親の言った言いつけに公然と逆らった時です。呼ばれた時逃げていったり、ミルクびんを床にドンと置いたり、寝る時間に大声をあげてかんしゃくを起こしたり、友達をぶったり、こういうことは許されない行為ですから、もうしないようにさせなければなりません。しかし、こういう場合でさえ、反抗を除くために徹底的におしおきをすることが必要なことは、それほど度々はありません。太ももをピシャリと強くたたいたり、手をぴしっとたたくことも、従わずにおれないような強い警告になります。本格的なおしおきは、子供が一番ひどく反抗する時までとっておくべきです。

  前に強調した点を、更に強調する必要を感じます。よちよち歩きの時期は、子供が将来、権威に対してとる態度を決定する重大な時期です。子供に、大人のようにふるまうことを期待したりせず、言いつけに従うことをしんぼう強く教えなければなりません。

 

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  子供にはおしおきが必要だが、それも常に、愛と憐れみによって和らげられる必要がある。いつも、子供の動機が何だったかを考慮に入れるべきである。

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5.ティーンのしつけ

  問:十代の子供は、不服従や不作法のかどでスパンクされるべきでしょうか。

  答:ティーン・エイジャーは、自分が大人として考えられることを切に望んでいます。だから、子供のように扱われることにひどく憤ります。スパンクは最大の侮辱です。

 

子供にやる気を

促す報酬!

  親が子供にもっと責任を持たせたいと望む事柄は無数にあります。しかし、その仕事は容易なものではありません。母親はどうすれば、子供に規則正しく歯をみがかせ、洋服を着せ、正しいテーブル・マナーを使うようにさせることができるでしょうか。お金のことにもっと責任を持つように、どうしたら教えることができるでしょう。親はどうすれば、ぐずぐす声を出したり、めそめそしたり、目立って無精だというような子供の悪い習慣を取り除くことができるでしょうか。

  行動を統制するための「強化の法則」と呼ばれる最も素晴らしい学説が、ずっと以前にあみ出されました。この学説は素晴らしいものです。何しろ効果があるのですから! 「強化の法則」とは、簡単に述べますと、「望ましい結果を生じる行動は繰り返す」ということです。つまり、もし人が何かをして、好ましいことがその結果として起こるなら、また同じことを繰り返しやりたがるだろうということです。サリーが新しいドレスを着た日に、男の子達から好意的に見られるなら、彼女はそのドレスを繰り返し着たいと思うでしょう。パンチョがもし、あるラケットを使って勝ち、別のラケットを使って負けたなら、勝ったことのあるラケットの方を使うでしょう。この原理は無邪気なほど単純ですが、人間の学習に対して深い意味を持っています。

  強化の原理によって、動物に、凝った行動を教える真剣な試みがなされてきましたが、その結果は著しいものです。ベルトコンベアーに乗って動いていくラジオの真空管を検査することをハトが教えられました。ハトは一つ一つの真空管を鑑定して、不良品をベルトからたたき出します。そうすると、ハトは穀物の玉をもらいます。ハトは一日中、そこにとどまって自分の仕事に専念します。労働組合がこの方法に悲観的な観測をすることは容易に想像できます。ハトはコーヒー・ブレイクやその他あれこれと待遇改善を要求しませんし、賃金はみじめなほど低いのです。ほうびを与えられることによって人間の仕事を覚えさせられた動物は他にもいます。

  子供達にこのテクニックを適用するための具体的な諸要素について考えてみましょう。

 

1.ほうびはすぐに与えなければならない。

  ほうびを与えることによって最大の効果を得るためには、望ましい行動がなされた後、すぐにほうびが与えられるべきです。メアリーが7月に自分の部屋をきちんとしているなら、クリスマスに新しい人形をもらえるというのは不十分です。ほとんどの子供は、ずっと先にあるゴールを、来る日も来る日も心の中に留めているほどの知力はありませんし、それほど成熟もしていません。彼らにとって、時はゆっくり進みます。したがって、強化を達成することは不可能で、ほうびを予期することなどおもしろくないように思われます。動物に関しては、行動が起こされてから、だいたい2秒でほうびが与えられるべきです。ハツカネズミは、もし迷路の最後にチーズが待っているなら、5秒遅れて与えられる時よりもずっと早く、迷路の曲がり方を覚えます。子供は、動物よりは長い遅れに耐えることができますが、ほうびの力は時とともに弱まります。

  即座の強化は、親が子供に責任を教える際に役立つ最も有効な方法です。親はよく、子供の無責任をつぶやきますが、それでいて、このように勤勉さに欠けているのは、今まで子供がそう学んできたからだというのに気付いていません。人間の行動はみな教え込まれます。望ましい応答も望ましくない応答も。子供は笑い、遊び、走り、跳ぶことを学びます。彼らはまた、ぐずぐず声で話し、弱いものいじめをし、ふくれっつらをし、戦い、かんしゃくを起こしたり、おてんば娘となることも学びます。

  その普遍的な教師は強化です。子供は、自分でうまくいったと考える行動を繰り返します。ある子供達は、自分の行動が親に与える効果を見て喜ぶので協力的となり、親の役に立つでしょう。別の子は、同じ理由から、すねたり、ふくれっつらをするでしょう。親が子供の中に、自分達の好まない性質を認めた時には、良い行動は成功するにまかせ、悪い行動は失敗するにまかせることによって、よりりっぱな特性を教え始めるべきです。

 

2.ほうびは有形なものでなくてもよい。

  言葉による強化は、人間の行動の最も強力な励ましとなることができます。次に、短い言葉の恐ろしいほどの影響力を考えてみましょう。

  「フィルがここに来る。学校で一番かっこうの悪いやつ。」

  「ルーシーは全くばかだね。教室で正しい答をしたことがない。」

  「ジョーは三振だよ。いつもそうだ。」

  こうした冷たい評価は、その評価を受けた子供にとって、全く辛らつなもので、彼らの将来の行動を限定させるものとなります。フィルはおとなしく、引っ込み思案で、すぐに赤面する子となるかもしれません。ルーシーは、きっと前よりももっと学校の勉強に興味を示さなくなって、教師たちに怠け者のように見えるでしょう。ジョーは野球や他のスポーツの努力をやめてしまうでしょう。

  私達大人も同じように、友人知人からのつまらない批評に敏感です。私達が、友人の(または敵の)でまかせの言葉にどんなに傷つきやすいかを観察すると、時にはこっけいでさえあります。「マーサ、あなた2,3ポンド太ったんじゃない。どう?」 マーサはその瞬間は、その言葉を無視するかもしれませんが、晩には鏡の前に15分も座って、翌朝には、大規模なダイエット計画を始めるでしょう。

  言葉による強化は、親子関係全体に行き渡らなければなりません。非常に多くの場合、私達親は、子供ののど元に、百万もの「いけません」の言葉を押し込んで、彼らを指導しようとします。子供が良い行動をした時に、たとえ、心からの賛辞しか「ほうび」として考えることができなくても、ほうびをあげるためにもっと時間を使うべきです。子供が、自信を持つことや人から受け入れられることを必要としていることを考えて、賢明な親は、大切な概念や行動を教えるのに、それらを用いる一方で、これらの重要な願望を満たさせることができます。次に、効果のある二、三の例をあげてみましょう。

  息子の前で夫に向かって母親が言う。「ジャック、ダンが今夜、ガレージに自転車をどういうふうに入れたか、気付いた? 今まではしまいなさいと言われるまで外に出したままだったのに。ずいぶん、責任感を持つようになったものだわ。そうでしょう?」

  息子に対して父親が言う:「お父さんが報告書の仕事をしている間、静かにしていて、偉かったね。おまえは本当に思いやりがあるよ。この仕事をやってしまったから、時間ができた。今度の土曜日、動物園に行こうか。」

  どんないたずらな子供の内にも、探しさえすれば、心からのほめことばを与える根拠となる特別な行動を見つけ出すことができます。

 

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  子供はほめてやるとどんどん良くやるようになる! 良い行いについて子供をほめてやる方が、悪い行いを叱るよりも大切だ。常に良い点を強調しなさい!

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  3.強化によって習い覚えた行動は、あまり長い間、報酬が与えられないとやらなくなることがある

  強化されない行動は結局消えてしまうことは厳然たる事実です。心理学者によって「消去」と呼ばれているこの過程は、子供の性格を変えたいと思う親や教師にとって、非常に有用なものとなります。

  この原則を一般的な子供にあてはめてみましょう。子供は何故、普通の声で話さないで、ぐすぐず声で話すのでしょうか。親がそうすることを強化したからです。3才のカレンが普通の声で話している限り、ママは忙しすぎて、彼女の言うことに耳を傾けてくれません。とにかく、カレンは一日中、ペチャペチャしゃべります。ですからママは、彼女のきりのないおしゃべりにほとんど調子を合わせることをしません。しかし、カレンがキィーキィーといらいらした、いやな調子で話すと、ママはどうしたのかと思ってふり向きます。カレンのぐずぐず声には効果がありますが、普通の声では効果はありません。彼女はぐずぐず声で話す子となります。

  ぐずぐず声で話すことを止めさせるには、強化を全く逆にしなければなりません。「カレン、あなたがぐずぐず声で言うから、お母さんには聞こえないわ。お母さんの耳は変なのよ。ぐずぐず声は聞こえないの」とママはまず言わなければなりません。2,3日の間、こう言い続けて、泣き声が聞こえないふりをしなければなりません。次にママは、カレンが普通の声で頼みごとをしたら、すぐ注意を向けてやらなければなりません。もしこの強化のこの規則が正しく適用されるなら、望ましい結果に達することは請け合いです。すべての学びはこの原則に根差しています。そうすれば、結果は確実で明らかです。言うまでもなく、おばあさんやアルバートおじさんが、あなたが取り除こうと努力している行動を強化し続けるかもしれません。彼らはそれを生かし続けることができます。

 

  両親や教師は、一旦なくなったはずの子供の行動が再発し続けるとしても、勇気を失うべきではありません。反応を除去する全過程はかなりの期間を要するでしょう。

 

4.親と教師もまた、強化によって影響を受けやすい。

  私は、強化の原理について学んでいた大学院の心理学のクラスのことを知っています。その学生達は、教授を実験台にした実験をすることに決めました。その教授は二通りの教え方をしていました。一つの方法は、教授のノートを使って説明する講義でしたが、それは学生たちにとって、無味乾燥で憂うつなものでした。けれども、学生の質問に答えたり、豊富な知識から語ってもらうことができた時は、その先生の話はずっとおもしろいのでした。ある日、授業の始まる前に、学生たちは、教授に自由に話してもらい、型にはまった講義調の行動をやめさせることで、意見が一致しました。教授がノートを使って話す時はいつも、学生たちは足を貧乏ゆすりをしたり、窓から外を見たり、あくびをしたり、互いにひそひそ話をしたりしました。一方、型にはまらない講義には、全くうっとりと聞き惚れている様子をしました。教授は型にはまらない講義をして、その反応に応えるようになりました。彼はその学期の終わりまで、おだてられていることを知りませんでしたが、講義のムードを型にはまらないやり方に変えたのです。

 

  5.親は、望ましくない行動を強化し、好ましい行動を弱めることがよくある。

  子供の望ましくない行動が成功するにまかせて、それに励みを加えることは、ことのほかたやすいことです。たとえば、ウィックニー夫妻が今夜の食事にお客を招待したとします。そして7時に3才のリッキーを寝かしつけると想像して下さい。2人はリッキーがいつものように泣くことを知っていますが、だからと言って、どうしたらよいのでしょう。やはり、リッキーは泣きました。彼は初めは調子を下げてします(が成功しません)。だんだんに、調子を上げた激しい泣き声になります。とうとうウィックニー夫妻は息子の行動に困って、ベッドから出るのを許します。その子は何を覚えたでしょうか。起きたい時は、大声で泣かなければならないということです。今晩リッキーの作戦は成功したのですから、ウィックニー夫妻は、明晩の泣き落とし作戦に備えた方がよいでしょう。

 

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  一貫性のないしつけは、最悪の種類のしつけだ! そんなのはしつけではない。あなたは首尾一貫していなくてはいけない。率直で、公平で、誠実で、愛情深くあり、かつ確固とした態度をとり、一貫性を持ちなさい。

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質問と回答

1.怠惰なティーンにやる気をおこさせる

  問:怠惰な十代の子供にやる気をおこさせるための、同じような方法を詳しく説明して下さい。

  答:強化の原理は、十代の子供に特に有効です。というのは、人生の中でも、この典型的に自己中心的な年頃の子供達に、ほうびがアピールするからです。けれども、怠惰は、多くの少年達にとって、避けることのできない状態です。彼らの勤勉の欠如と一般的な無感動には生理的な原因があります。急速な成長に、エネルギーが再び向けられているのです。また腺の変化は、肉体の再調整を必要とします。数年間というもの、彼らはお昼まで眠りたがったり、その後は一日中、足を引きずるまで歩き回りたがるかもしれません。もし、何かの方法で、彼らの機能の落ちた電池が充電されることができるとするなら、それはおそらく、ある種のほうびを使うことになるでしょう。

 

2.タラントのたとえ。

  問:教会や日曜学校で報酬システムを使うことができますか。

  答:ある日曜学校では、強化が非常に大きな効果をあげて、役立っています。子供達はお金をかせぐかわりに「タラント」をためることができました。「タラント」とは、いろいろの種類のおもちゃのお金のようなものです。(タラントという考え方は、新約聖書の、イエスのタラントのたとえ話から取られました。)子供達は、聖書の聖句を暗唱したり、日曜学校に遅れずに来たり、一回も休まなかったり、友達を連れてきたりして、タラントをかせぎました。こうしてためられたタラントは、次に、ガラスケースに陳列してあるものの中から、新しい品物を「買う」のに使われました。聖書、万年筆、本、パズル、そのほかの宗教的な賞品や教育的な賞品を選ぶことができます。この方法を採用した教会では、児童部が盛んでした!

 

3.動機をもたせる方法!

  問:私は中学の教師ですが、毎日、科学の授業を受けに、5クラスの生徒が私の部屋に来ます。この生徒達に、本と鉛筆を持って授業に来させることが、私にとって一番難しい問題です。私は、必要な備品を彼らに貸すことができますが、彼らはそれを決して返しません。何か良いお考えがありますか?

  答:中学校で教えていた時に、私も全く同じ問題にぶつかりました。生徒達には悪意はありませんでした。彼らは心の中にあまりたくさんの関心事があるので、勉強の為の用具を持って来ることを思いつかないだけなのでした。彼らに何とかして用具を持って来させるために、私はいろいろな方法を試みてみましたが成功しませんでした。この問題で協力してくれるように、生徒達に訴えましたが、少しも熱意をかき立てることができませんでした。彼らの心情に訴えるように長いお説教もしましたが、そんな小さなことに、わざわざそこまでするのは、エネルギーの大きな浪費のように思われました。もっと良い方法があるはずでした!

  私はとうとう、生徒達は、もしそうすることが自分達の利益になるなら、協力するにちがいないという確信に基づいて、ある解決法を見つけました。ある朝、私は、もう彼らが鉛筆や本を教室に持って来ようと来まいとかまわないと宣言しました。私は彼らに貸すことのできる余分な本20冊と、きちんと削られた鉛筆が入った箱をいくつか備えました。彼らは、こういう用具を忘れたなら、貸してくれと頼みさえすればよいのです。私は歯ぎしりしたり、顔を赤くして怒ったりはしません。彼らは、私が資産をとても気前よく分け与えるのに気づくでしょう。けれども、一つの障害を置いたのでした。用具を借りている生徒は、その1時間の間、自分の席に腰かけてはいけないのです。彼は、私が教えている間、自分のいすのそばに立っていて、何か書く仕事が要求される時には、立ったままで、机にかがみこまなければなりませんでした。

  想像どおり、生徒達にとって、これはあまり良いながめではありませんでした。授業の前に、彼らが走り回って、本や鉛筆を借りようとしているのを見ながら、私は一人ほほえみました。この問題が、私の、というより生徒の運動となったので、立っている規則をそう度々強制する必要はありませんでした。週に一度かそのぐらい、生徒が直立の姿勢で1時間を過ごさなければならないことがありましたが、その子は同じことを決して繰り返さないようになりました。

  子供を統制するための有益な処方を繰り返し述べてみましょう。あなたの要求に応じるように、最大限の動機を子供に与えて下さい。怒ることは、私が思うに、最もやる気をなくさせるものです。

 

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  子供に対して、どんな規則があるのか明確にしなければならない。そして一番いいのは、規則に関して子供の同意を得ることだ。

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教室でのしつけ

 

  アメリカでは、現在ほど、学校当局によって生徒が統制されていなかったことは過去にありませんでした。基準をしっかり守ることは、しつけの重要な要素です。子供に何も要求せず、子供の振る舞いに何も口をはさまないのは大きな間違いです。

  フットボールの優勝チームなり、壮大なオーケストラなり、儲けているビジネスなり、その背後にある成功の秘密を探ると、そこに必ずある大切なものは、しつけ、訓練という要素です。何とも不幸なことに、教育のおきては、計画的にむしばまれてきました。少数派の親達が、アメリカ自由人権協会の助力を得て訴訟を起こし、年老いたおいぼれの裁判官から法的な助けを受け、巧みに教育のおきてを徐々にむしばんできたのです。というわけで、多数派の意志にかかわらず、反しつけ派が幅をきかせてきました。生徒の行動を制御してきた規則は排除され、代わって、教育者に対して数多くの規制が課されました。たとえどの神に祈っているかを明らかにしなくても、学校での祈りは全て違法となり、聖書も、神から霊感を受けたものとしてではなく、単なる文学としてしか読む事が許されていません。国旗に対する忠誠も要求する事ができず、教育者が生徒を罰したり、退学処分にするのは非常に難しくなっています。教師は、親からの攻撃を非常に気にしており、生徒が反抗的に挑戦をつきつけてきても尻込みする事がしばしばです。その結果、この国の学校における勉学面のしつけは死んだも同然の状態です。

 

ミス・ピーチと

ミセス・ジャスティス

  私は大学院を修了する前に何年か教鞭を取ったのですが、その日々子供達と接する体験は、専門書以上に、子供の考え方について多くを教えてくれました。また、他の教師のしつけのテクニックを観察するのも、非常にためになりました。何の苦労もせずに、クラスを完全にコントロールしている教師もいれば、しょっちゅう生徒からの反抗にあい、絶えず屈辱を味わっている教師もいました。私は、クラスに対する両者のアプローチに、根本的な違いがあることに気づきました。経験の浅い未熟な教師は、男女生徒の前に立ち、即座に彼らからの熱烈な反応を期待します。良い教師はたいてい自分の生徒に好かれたいと願ってはいるものの、子供に受け入れられることにあまりに重きを置きすぎている教師もいるのです。

  新しい学年が始まる9月の始業式の日、新任教師ミス・ピーチは受け持ちのクラスに簡単なあいさつをしました。それは、以下のようなメッセージを伝えるものでした。「一緒になれたことをとても嬉しく思います。皆さんにとっても楽しい一年となると思うわ。石鹸を作ったり、スープを作ったり、壁一面に壁画を描くのよ。また、野原に遠足に行ったり、ゲームをしたり‥‥素晴らしい一年になるわ。皆さんは私の事を大好きになるでしょうし、私も皆さんの事を大好きになり、私達はとっても素晴らしい時を過ごすのよ。」彼女のカリキュラムは飛び切り楽しい活動で一杯で、それが彼女のクラスへの愛情表現なのです。

  生徒は皆、新学年のスタートに緊張気味なので、第一日目は万事順調に進みます。しかし3日もすると、教室の左すみに座っているブッチが、他のどの生徒も考えていることを試してみたくなります。つまり、ミス・ピーチにどれだけ押しをかけることができるのか、ということです。ブッチは、勇敢なたくましい男の子として名を上げたくてうずうずしており、ミス・ピーチを犠牲にして、そういう評判を築くことができるかもしれません。しっかり計算した上で、彼はちょっとした反抗的な態度に出て彼女に挑戦します。さて、ミス・ピーチが一番避けたいと思っているのは、対立です。今年は、その種のことは避けたいと願っているのです。彼女はブッチの挑戦を受けて立ちません。しなさいと言ったことをブッチがしなかったのに気がつかぬふりをしています。かくしてブッチは、この最初の小さな出来事で勝利を収め、クラスにいた全員がそれを目撃しました。別に大きな事ではありませんでしたが、とにかく、ブッチは何の罰も受けなかったのです。

  翌日、トミーはブッチの成功を見て血気盛んになっており、朝の国旗敬礼の少し後、ブッチよりももう少しあからさまな反抗をします。ところが、ミス・ピーチはまたしてもその挑戦を無視します。その時から、混乱状態が始まり、だんだんひどくなっていきました。2週間して、ミス・ピーチは、クラスがあまりうまくいっていないことに気づき始めます。彼女は毎日何度も大声を張り上げますが、どうしてこんな事態になったのか、その始まりがわかりません。暴力的な教師になるつもりなど全くありませんでした。2月頃には、彼女にとって、教室にいる時間は耐え難いものになりました。彼女が新しい事を始めても、教室における統制が欠けているために次々と妨害されます。そして、彼女が一番望んでいなかったことが始まります。生徒があからさまに彼女に対する憎しみや軽蔑を表すようになったのです。生徒は彼女をののしり、弱みを笑いものにします。鼻が大きいとか、目が悪いなど肉体的な欠点があると、それを始終口にします。ミス・ピーチは休み時間に声もなく泣き、夜遅くまで頭がズキズキ痛みます。校長がやってきて、この無秩序状態を目撃し、「ミス・ピーチ、このクラスをしっかり統制して下さい!」と言います。しかし、彼女にはどうしていいかわかりません。どうやって統制を失ったかもわからないのですから。

  わずか一年で退職した新任牧師の80%は、教室内でしつけを徹底することができなかったことが原因でした。

  では、対照的な、ミセス・ジャスティスの巧みなアプローチを見てみましょう。彼女もクラスに好かれることを願っていますが、生徒に対する責任をもっと自覚しています。学校が始まる日、彼女は始業の挨拶をしますが、ミス・ピーチがしたのとは全く違っていました。要するに、こう言ったのです。「今年は素晴らしい一年になりますよ。皆さんを受け持って嬉しく思います。私にとって、一人一人が大切な存在だということを覚えておいて下さい。皆さんが、何でも自由に質問し、このクラスで大いに楽しみながら学ぶよう望んでいます。私は誰かのことを笑い物にするのを許しません。笑い物にされるのは心の傷つくことですから。わざとあなたたちに気まずい思いはさせませんし、皆さんの友達になりたいと思っています。でも、一つだけ知っておいてほしいことがあります。それは、私にあえて挑戦してくるなら、私にはあなたをみじめにさせる方法が千通りもあるということです。信じないなら、そう知らせて下さい。1番目の方法から始めますから。

  皆さんの両親は今年、皆さんにとても大切なことを教えるという責任を私に託されました。だから私は、皆さんが来年教わる事を学ぶための準備をしなければなりません。だから、一人や二人の目立ちたがり屋に私の仕事を邪魔させるわけにはいかないのです。学ぶことはたくさんあるのだから、さっそく始めましょうか。数学の本を出して、4ページを開いて下さい。」

  3日ほどして、ブッチ的存在が活動し始めました(各クラスに、少なくとも一人はブッチがいます。学年の途中でクラスの反抗者がクラスを去っても、新しい扇動家が出現するものです)。彼が慎重な態度でミセス・ジャスティスに挑戦すると、彼女は彼を思いっきりやっつけます。ブッチの大敗でした! クラスの全員が要点をつかみました。つまり、ミセス・ジャスティスを攻撃しても無駄だということです! おわかりのように、かわいそうに、ブッチは成功しませんでしたね? クラスは全員、彼女の方が自分達よりも強く、頭が良く、勇敢だということを知りました。それから、彼女は、こうした基盤ができあがったことの喜びを享受し始めるのです。そのクラスは共に笑い、話し合い、また共に遊ぶことができますが、ミセス・ジャスティスが、「さあ、勉強に戻りましょう」と言うと、生徒は彼女の言う通りにします。彼女には自分の提案を断固として施行する能力がある事を生徒は知っているからです。彼女は大声を張り上げたり、生徒をぶったりはしません。それどころか、子供達が切実に必要としている愛情を個々に注いでやることができるのです。クラスは深い愛情でもってそれに応え、教え子の32人は生涯、彼女の事を忘れないでしょう。

 

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  あなたの最初の忠告は必ず、愛情深く、優しく、祈り深く、筋の通った、どうしていけないのかを説明する、明るい調子の警告としなさい。しかし、もし彼らが構わず同じ事をし続けるなら、直ちに対処しなさい!−−しかし、決して実際にケガをさせる様な過酷なものであってはならない。ただ痛みを感じさせるだけのものだ。主がされる様に、愛の内にしなさい。−−ヘブル12章。−−あなたが心から彼らを愛しており、彼らにもそれがわかっており、また彼らもあなたを愛しているなら、彼らは結局あなたの戒めを守る様になるだろう!−−ヨハネ14章15節。そして、最後にはみんながもっと幸せになる!

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質問と回答

1.悪事は割に合わない。

  問:今まで、小学校、さらには中学校の生徒を見てきて、彼らは厳しい先生を尊敬するようです。どうしてでしょう?

  答:おっしゃる通り、秩序を維持する教師がしばしば、教員の間で生徒から一番尊敬を得るものです。ただし、意地悪だったり、気難しくない場合ですが。過度に厳しくなることなしにクラスを統率できる教師は、必ずと言っていいほど生徒から愛されます。一つの理由は、秩序があれば安心感が得られるからです。クラスに秩序がないと、特に小学校レベルでは、子供は互いに恐れ合うようになります。クラスの子供にちゃんとした振る舞いをさせることができないとしたら、その教師にどうやってガキ大将が他の子供達をいじめるのをやめさせることができるでしょうか? どうやって、子供達が成績のあまり良くない子供を笑い物にしないようにすることができるでしょうか? 子供というものは必ずしも、互いに公正で、理解を示すわけではありません。だから子供は、公平で、理解を示してくれる強い教師がいると安心するのです。

  第二に、子供は正義を好みます。誰かが規則を破ったなら、彼らはその子が直ちに罰される事を望みます。彼ら、公正な規則システムを施行できる教師を尊敬し、理にかなった社会的ルールがあるととても安心します。それとは反対に、自分のクラスを統制できない教師は、悪事が割に合う事を必然的に許してしまい、子供の価値観における基本的なルールに反した事をしているのです。

  第三に、子供が厳しい教師を尊敬するのは、混乱状態は神経をまいらせるからです。叫んだり、たたき合いをしたり、動き回ったりするのは10分間ほどは楽しいでしょうが、その内に子供は混乱状態にうんざりし、イライラし始めます。

  私は、2、3年生の子供達が、色々な教師のしつけを比較して、鋭い評価を下すのを見て、思わずほほ笑んでしまったことが何度もあります。子供達は、クラスがどの様に指揮されるべきかを知っています。教師の方も子供と同じぐらいそういう側面に注意を向ければいいのにと思います。

 

スローペースの生徒

 

  私たちは、人から期待されている通りの者になる。成功は成功を生むというのをお忘れなく。学ぶペースがスローな子供に一番やる気を起こさせるのは、自分が進歩していると知ることです。その子の生涯で、大人がその子に信頼を示すなら、その子も自信がわいてくることでしょう。事実、ほぼ誰もが、そういう傾向を持っています。私たちは、人から「こう見られている」と思うと、そのように行動するものです。私が州軍に入隊した時に、この事実がはっきりしました。当時、私は大学を卒業したばかりで、軍の現役勤務に2年間従事するよりも、何年か予備軍で経験を積むことにしたのでした。私はすぐさま荷物をまとめ、6か月の秘書訓練プログラムに参加するために、カリフォルニアのフォートオードに向けてバスに乗りました。募集のポスターに書いてある事とは違って、この胸高鳴る就職の機会というのは、個人の選択によるものではありませんでした。それは、私にあてがわれたのです。それでも、その後の6か月間、軍の書類や、タイプや、書類整理という素晴らしい世界について学びました。183日して、私は実地用の新しい知識を身につけて地方の州軍に戻って来たのですが、意外なことに、私は熱い歓迎を受けることなど全くありませんでした。

 

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  何年か前、セントルイスの殺人事件の裁判で、若い犯罪者はこう語った。「父さんはいつも、僕は役立たずだと言っていた。母さんは、僕なんかろくな人間になれないと言いました。学校の先生も、僕には見込みがないと言った。郷里の人達も、僕など犯罪者ぐらいにしかなれないだろうと考えていた。僕はいつも、どうしてだろうと思った。僕に言わせれば、僕は他の少年達とさほど違わず、ただ少し独立心が強かったぐらいだ。僕を理解し、信じてくれていたみたいだったのは、僕の犬だけだった。その犬が死んだ時、僕は浮浪者になったんだ!」

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  誰でも、兵卒というのは間抜けだと知っていました。兵卒は全部間抜けだと決まっているのです。私は兵卒だったので、頭が鈍いという十分な理由がありました。私は、他の何人かの間抜けな兵卒を除いた全世界のすべての人よりも劣っていたのです。上等兵から大佐に至るすべての者が、私が馬鹿な事をするだろうと考えており、驚いたことに、彼らの予想通りになったのです。6か月の秘書訓練の後で最初にもらった仕事は、簡単な手紙を2通タイプすることでした。タイプライターに向かって25分間一生懸命頑張った末、私はカーボン紙が裏表逆に入っているのに気づきました。裏返しの文字が元の原稿の裏一面に汚なく付き、それは一級士官を大喜びさせるものではありませんでした。また、「足並みを揃えて」行進するというような、しごく簡単な動作も、なぜかひどく難しいことでした。今になって振り返ってみると、私の行いは私のイメージとぴったり合ったものだったことがわかります。同様に、学校で出来の悪い多くの子供達も、単に、人から期待されていることをしているにすぎないのです。仲間内での評判というのは、私達に大きな影響力を有しています。

 

学業成績の低い者

  自己のしつけ。ここで言っているのは、能力があるにもかかわらず、学業成績が低い生徒のことです。知能指数は120以上でも、成績表にはDやFばかりもらいます。知能指数に比べて学業成績の低い子供は、スローペースの子供や大器晩成型の子供よりも多数いますが、あまり理解されていません。理解が難しいのは、学習面で秀でるには2つの要素が要求されるものの、第2の要素がしばしば見逃されているからです。第一に、知的能力がなければなりませんが、頭の能力だけでは十分ではありません。自己をしつけることもまた要求されるのです。子供に能力があるからといって、その子が、大変で困難に思われることに毎日毎日全力を傾けていくのに必要なだけの、自己をコントロールする能力を兼ね備えているとは限りません。知能の高さと自己のしつけの度合いは相関関係にないことがしばしばです。一つは持っているけれど、他方は持っていない子供をよく見るものです。時に、才能に恵まれていない子供が自分に期待されているレベルより上を目指して頑張って、能力以上の学習成果を上げることもありますが、この逆のほうがずっと一般的です。つまり、かなり知的可能性があると思われる子供が、その可能性を無駄にし続けるのです。

 

お母さんのための時間!

  立派な親としての責任を果たすことは、時にはめまいを覚えるほどたいへんなものです。特に母親が、自分の、親としての任務の複雑さに圧倒されるような気持ちになることは珍しいことではありません。自分が育てる一人一人の子にとって、母親は、その健康、教育、知性、人格、性格、情緒の安定のための第一の保護者です。彼女は、医者、看護婦、心理学者、教師、牧師、料理人、そして警察官の役をしなければなりません。どんな母親の生活にも、鏡に向かって、「今日、私はそれをどうやって切り抜けられるだろうか」と尋ねる機会があるはずです。その腹立たしい質問に母親が答えるのに役立つような、簡単な提案を記してみます。

 

1.自分のための時間をとっておいて下さい。

  母親が、優先順位のリストの中に、自分を入れることも大切です。誰でも、四六時中働くことは不健全なことです。母親が定期的にレクリエー

ションをすることによって、家族全体が利益を得るでしょう。それよりももっと必要なのは、母親の結婚生活において、ロマンスを保持し、それを維持することです。夫婦は、毎週か、隔週にデートをするとよいでしょう。女性は、自分が夫にとってただの妻ではなく、愛しい人でもあることを知ると、生活をはるかに楽しいものと感ずるのです。

 

2.どんな大問題も、夜遅く取りあげてはなりません。

  疲労は人間の知覚に奇妙な働きをします。一日の激しい仕事の後では、一番簡単な仕事でも、耐えがたく思われるかもしれません。夜は、すべての問題の解決がより難しく見え、その時に下される結論は理性的というより、感情的になりやすいものです。夫と妻が寝る直前に、家計や他の家庭問題を話し合うなら、二人は問題を招いていることになります。失敗に対して寛容な気持ちがなくなっているので、よく、決して起こることのないはずのけんかになります。重要な話題を話すのを、ただ朝まで待つことによって、緊張と敵意を避けることができます。十分な夜の眠りは、その問題を解決するのにかなり役に立ちます。

 

3.予定表をつくってごらんなさい。

  仕事の負担が特に重くなった時、やらなればならない仕事のリストを作っておくと気楽です。

 

4.神の助けを求めましょう。

  結婚と夫婦の概念は、人間がつくり出したものではありません。神が無限の知恵によって、創造ときずなの基本的単位として、家庭を創造され、定められました。現代の親の問題は、偉大な創造主に対する祈りと個人的な訴えの力によって、解決を見いだすことができます! 神のみ顔を仰ぎ、「思いきってしつける」にあたって、神があなたを祝福しますように!