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もう一度、家族との生活をやり直すとしたら

−−ジョン・ドレッシャー著

 

妻をもっと愛するだろう

 

  もう一度、家族との生活をやり直すとしたら、子供達の母親をもっと愛するでしょう。つまり、私が妻を愛しているということを、もっと子供達に知らせるのです。家族としていつも一緒に生活していると、つい、何もしなくとも愛しているのはわかりきっていると思い込んだり、互いのことを感謝することも忘れ、惰性の毎日が最も深い愛情に水を差すのを許してしまうのです。

  子供に、私が彼らの母親を愛していることを知らせるために、妻に小さな事をいろいろしてあげるようにもっと努めるでしょう。妻に小さな親切をするのです。例えば、車のドアを開けてあげたり、食卓につく時に椅子を引いてあげたり、何か特別な機会にはささやかなプレゼントをしたり、家をしばらく留守にする時にはラブレターを書いたりするのです。また子供の耳元で、妻について優しい言葉をささやくでしょう。

  今の私には、かつてなかったほどはっきりと分かります。父親と母親が互いに愛し合い、良き関係を持っているのを見ながら育った子供は、その心に愛が豊かに育まれ、人生の最高の喜びと楽しみについて知り、また自らもそんな人生を歩むということが。両親の互いへの愛を感じたり、見たりすること以上に、子供達の心に喜びと安らぎを与えられるものはおそらく何もないだろうと私は確信しています。

  両親の互いへの愛と、子供の従順さや愛と思いやりには、密接な関係があると私は悟りました。

 

子供達ともっと笑うだろう

 

  もう一度、家族との生活をやり直すとしたら、私はもっと笑うでしょう。そう、子供達ともっと笑うことでしょう。オスカー・ワイルドはこう書いています。「子供達を良い子にする最善の方法は子供達を喜ばせることである。」と。

  子供達と一緒になって笑った時のことを覚えています。彼らが家族のためにユーモラスな劇をした時、学校であった面白い話をしてくれた時、彼らが仕掛けたいたずらに私が引っ掛かった時など。私が子供達と笑ったり、芝生の上やリビングルームの床で子供達と一緒になって曲芸をした時の彼らの歓声は今でもはっきりと覚えています。家族の何年も前のおかしな体験談を子供達が話してくれた時のことも思い出します。確かにそれらは楽しい経験であり、今も記憶に残って、私達の心をつないでくれています。

  車で旅行をしている間に、私達がどんなに笑ったかも覚えています。笑えるほどにリラックスしていると、ほとんど全くと言ってもいいほど叱る必要がありませんでした。ネブラスカ州を旅行した時のことを思い出します。気温40度の暑さでした。私達は、小さいけれどとてもきれいな滝のそばで昼食を食べました。昼食が終わると子供達は川の中に入っていきました。どんどん滝に近付いて行きます。ついに滝のすぐ近くまで来た時、一人がすべって水の中に倒れました。私達は笑いました。服はびしょ濡れです。もう一人の子供もやってみましたが、彼の服もびしょ濡れになりました。私達はまた笑いました。結局、子供達はみんな滝の下に座り込み、冷たいきれいな水を浴びました。それからもう何年もたちますが、これはとても楽しい思い出の一つです。

  というわけで、もう一度、家族との生活をやり直すとしたら、私はもっと自分のことを、自分の過ちや失敗を笑うでしょう。人生において、殊に家族において、緊迫した状況があまりにも頻繁にもち上がるのは、自分達をあまりにも真剣にとり過ぎているからです。だからそんなにもたやすく傷付いてしまうのです。

 

もっと良い聞き手になるだろう

 

  親として、私達のほとんどは、子供の話に耳を傾けることが難しいようです。やらなければならないことで頭が一杯なのです。職場で一日中ありとあらゆる決断に迫られ、家に着いた頃には、すっかり疲れ果てている事がよくあります。何もかも忘れたいのです。あるいは、自分の興味ある事にだけ関心を向け、人の話に耳を貸す時間などほとんどありません。子供の話など単なるおしゃべりで、さほど重要でないように思えるのです。

  子供がまた小さくなったとしたら、今度は子供が話したい時には、私は新聞を読むのをやめるでしょう。邪魔されたという苛立ちの言葉を慎むように努めるのです。そのような時こそ、愛を示す絶好の機会になり得るのですから。

  ある夜、幼い男の子が、自分の指の擦り傷を父親に見せようとしました。その子供が父親の関心を得ようと何度も何度も試みた後、やっと父親は新聞を読むのをやめて、邪魔されたことに苛立ちながらこう言ったのです。「パパに言っても、パパにはどうしようもないだろう?」 するとその幼い子供はこう言いました。「そんなことないよ、パパ。『痛そうだね』って言ってくれたらよかったんだ。」

  聞くことにおいて、子供の質問にもっと熱心に答えるようにしたいものです。子供は15歳になるまでに、普通、およそ50万の質問をするそうです。親にとって何という特権でしょうか−−人生の意味について何かを教えられる機会が50万回も与えられているのです。

  もう一度やり直すことが出来るなら、もっと「第三の耳」を使うでしょう。子供が質問したり、何か言う時に、子供がどう感じているのかを理解しようと努めて聞くのです。「パパ、今夜も出掛けなくちゃいけないの?」と子供が尋ねる時、今の私にはこう聞こえます。「僕、パパと一緒にいたいの。」

  私がある父親のそばに立っていると、その人の幼い息子が何度も何度も彼を呼びました。私が、息子が呼んでいるのに彼が返事をしていないことを気にかけているのを見て、その父親はこう言いました。「たかが子供が呼んでいるだけですよ。」 それを聞いて私は思いました。間もなく、父親が息子を呼んだ時に息子がこう言うようになるだろうと。「たかが年寄りが呼んでいるだけさ。」

  子供が幼い頃にその不安や心配事を聞いてやることと、その子供が十代になった時に自分の悩みを親に話すかどうかには、極めて重要な関係があると、今私は信じています。また、子供が幼い頃に、その子が言うことや感じる事を理解するために時間を割く親は、その子供が大きくなってからも子供を理解できるようになるであろう事も。

 

もっと正直になろうと努めるだろう

 

  もう一度、家庭生活をやり直すとしたら、もっと正直になろうと努めるでしょう。こう言うと、自分でも変な気分になります。というのは、私はいつも正直さを奨励してきたからです。自分のものでない小銭をポケットに入れたりしないとか、わざと嘘をつかないという面では、私は自分が正直者だといつも思っていました。

  しかし、完壁をよそおったり、子供の頃の自分は非の打ち所のない子供だったとでもいうような態度をとることによって、親は別のタイプの不正直さを実践していることを、私は個人的な経験から知っています。

  一人の父親は、ある大きな教訓を学ぶまでは自分がいかに不正直であったかに気付かなかったと言いました。4年生になる息子が、綴りのクラスで低い点をとってしまいました。叱ったり、余分に勉強させたにもかかわらず、成績は上がらないようでした。ある日、その子供は先生にこう言ったのです。「僕のおとうさんは、学校に行ってた頃、つづりでずっと100点をとっていたんだよ。」「どうしてわかるの? お父さんがそう言ったの?」と先生がたずねると、その子供は答えました。「違うよ! でもお父さんの叱り方でそうだってわかるんだ。」

  その父親はこう言いました。「私の息子に対する叱り方から伝わっていたことは、真実ではありませんでした。実は、私もつづりでは苦労したのです。そこで私は息子に、自分もつづりが不得意だったと告げました。すると、直ちに息子の目に希望の光が輝くのが見えたのです。その瞬間から息子はずっと向上しました。自分がずっと100点をとっていたという印象を与えていたことで、私は息子に挫折感を味わわせていたのです。自分が正直になることによって、お父さんに出来たのなら僕にだって出来る、という希望を息子に与えたわけです。」

  私は、親が過去の失敗をすべて話すべきだ、と言っているのではありません。過去の間違った行為のエピソードやむちゃな悪ふざけを自慢して聞かせる親もいますが、これはもちろん害を及ぼすだけに終わる可能性があります。しかし、子供に、「その問題はお前だけが抱える問題ではない、お父さんも同じ問題に直面したのだから」、と認めることは、希望を与え、人生の困難を克服する助けになります。どの子供にとっても、自分の尊敬する父親が同じ戦いを闘ったと知ることで、新たなる勇気が涌き、その心と思いに勝利感を浸透させることになるのです。

  親が完壁をよそおって間違いを認めない限り、子供達は、自分が失敗者であり不適格なのだという考えから抜け出せないでいるのです。今になってわかるのですが、どんな状況にもよく溶け込み、幸せな子供は、すべてが完全でほとんど失敗をしないというような雰囲気の家庭で育ってはいません。むしろ、親が多くの間違いを犯したけれども、そのことを認められるほど正直で、オープンで、愛情のこもった家庭で育つのです。

 

家族のために祈るのをやめるだろう

 

  家族の為に祈るのをやめるなど、変に聞こえますか? さて私の言わんとする事はこうです。

  過去に私はよくこのように祈りました。「主よ、息子が良い子になるよう助けて下さい。息子の態度を変えて下さい、主よ。息子に2倍の超自然的な愛を与えて下さい。息子が私達家族の気にさわるようなことをそんなにしないよう助けて下さい。息子が従順になるよう助けて下さい。」

  しかし、ある夜の事です。私が一人でいると、突然、この類いの祈りをやめなければならないという思いが心に浮かんだのです。私の祈りだけでは十分でなかったようです。子供達は幼かった頃ほど愛を示さなくなったようです。思いやりや親切といった良い点が失われつつあったのです。私は家族の為に祈る事をやめなければならないと気付きました。祈りが必要なのは彼らではなかったのです。

  というわけで、私は家族のためにそのような祈りをすることをやめました。自分の子供達がキリストの愛を知るようになるには、父親である私が、もっとキリストの愛をじかに経験し、その愛を目に見える形にしなければならないことに気付いたのです。他の人達との関係における真の愛について少しでも子供達が知るには、私が、子供達や他の人達とのすべての関係において、天からの真の愛を示す手本となる必要があったのです。そこで私の祈りはこう変わりました。「主よ、あなたが私にして下さるように、愛情深く、親切で、共に生きるにふさわしい者として下さい。」

  私は、妻にこうなってほしい、ああなってほしいという祈りをやめました。私の仕事は彼女を良い妻にする事ではなく、妻を幸せにする事だと気付いたからです。妻が仕事を終わらせるようにと神に祈るべきではないのです。そうではなく私が妻を助けられる事を見つけ、妻の荷を軽くしてあげられるようにと神にお願いするべきなのです。今、私の祈りはこう変わりました。「主よ、私を真の夫として下さい。妻を幸せにする為に、自分に出来る事を何でも喜んで熱意をもってする夫にして下さい。」 私は神の余分な恵みによる助けが必要だったのは、他ならぬ自分であった事に気付いたのです。

  そしてその夜以来、私の世界は変わりました。家庭も変わりました。突然、妻や子供達も変わったように思えました。家の中や、ドライブしている時でさえ、新しい愛に満ちた雰囲気でいっぱいです。子供達は以前より優しくなったようです。全ては、私が家族の為に祈るのをやめて、愛する者を傷つけたり、彼らとの関係の妨げになるような事は何であれ、それを慎むように私を助けて下さい、と神に祈った事から始まりました。つまり、私が、妻や子供達を幸せにする為に必要なことは何でもしたいです、と神に言った時からです。他の人を変えてほしいと望む以上に、自分を変えてほしいと神に願った瞬間、何かが起こったのです。

 

もっと一緒にいようと努めるだろう

 

  もう一度、自分の家庭生活をやり直すとしたら、もっと一緒にいようと努めるでしょう。共に食事をし、同じ屋根の下で眠っている家族が、もっと一緒にいようと努めるというと妙に聞こえるかもしれませんが、同じ家に住んでいる人の多くは、全く離れ離れになっているのです。ここ数年間、親の集まる修養会や会議において、他のどんな言葉よりもよく耳にした言葉は、「もう一度やり直すとしたら、子供達ともっと時間を過ごすようにするだろう」です。私達の思い出として残るのは、一人でやり遂げたことではなく、一緒に時間を過ごした時のことなのです。

  すべての父親には1週間に168時間あります。その内の40時間は仕事です。56時間は睡眠としましょう。これらを差し引くと、72時間、何かに費やせる時間が残ります。その内の何時間が、家族と過ごすために使われているでしょうか?

  ある調査で、300人の中学1、2年生の男子生徒が、2週間の内にどれだけ父親と時間を過ごしたかを記録しました。すると、ほとんどの生徒が父親を見たのは夕食の時だけだったと報告したのです。中には、何日も続けて父親の姿を全然見なかったという生徒も数人いました。結局、父親が息子と二人だけで過ごした時間の平均は、まる1週間でわずか7分半でした!

  ある夜、私がうとうとしていると、廊下で足音がし、3歳になるデイビッドがゆっくりとドアから入ってきて、私のベッドのそばに立ちました。

  「デイビッド、どうしたんだ?」と、私は尋ねました。

  「何でもないよ、パパ。パパのとなりに入って少しお話したかったの。」と息子が答えました。

  私がふとんをめくってやると、息子が入ってきました。少しの間、黙って寄り添っていましたが、やがて息子はこう言いました。「パパ、あのライオンのおりの前で、パパと一緒に手をつないでいるの、とても楽しかったよ。」

  「そうだね。」と私は答えました。「怖かったかい?」

  「少しね。」彼が答えました。

  少し黙っていた後で、デイビッドはこう言ったのです。「今日、本当に楽しかったね、パパ。」

  「ああ、そうだね。」と私は答えました。

  それで終わりでした。デイビッドはふとんをめくると、素早く自分の部屋のベッドに戻って行きました。息子は間もなく眠ってしまいました。しかし、私はしばらくの間、眠れませんでした。そう、幼い息子が、家族揃って共に時間を過ごすことの重要性について、新たに目覚めさせてくれたのです。

 

もっと励ますだろう

 

  もう一度、家族との生活をやり直すとしたら、私はどんどん感謝の言葉やほめことばを口にしようと努めるでしょう。私は子供が間違いを犯すと叱りました。時々、ほんのささいなことで、叱責したこともあります。でも、私の子供達は、何かをうまく成し遂げたり、行儀良くした時に、称賛の言葉や励ましの言葉を聞いたことは殆どないのです。

  子供が何かを立派にやった時に誠実なほめ言葉をかけてやることほど、子供が人生を愛し、何かを達成しようと努め、自信を抱くように励ますものは、おそらく他にないでしょう。もちろん、それはお世辞ではなく、心のこもった正直なほめ言葉でなくてはいけませんが。

  ウォルター・スコット卿は、学校ではできの悪い子供だと見なされていました。彼はよく、円錐形の帽子をかぶらされ、劣等生がいつも立たされる教室の隅に立たされました。彼が12歳くらいの時、たまたま訪問していた家に、何人かの有名な文芸家たちが客として来ていました。スコットランドの詩人ロバート・バーンズは、下に対句の詩が書かれた絵を盛んにほめていました。

  バーンズはその対句の詩の作家について人に尋ねましたが、誰も知っている人はいないようでした。やがて一人の少年が彼の脇に歩み寄って、作家の名を告げ、その詩の残りを引用したのです。バーンズは驚き、また喜びました。その少年の頭に手を置いて、彼はこう叫びました。「ああ、君は今にスコットランドの偉大な人物になるぞ。」 その日から、ウォルター・スコットは変わりました。励ましの一言が、彼を偉人への道へと導いたのです。

  励ましの言葉を与えるために、私は自分の子供がした良いことを覚えているようにし、それに対する私の喜びや感謝の念、またほめことばをどんどん口にするよう努めるでしょう。

  励まされると、新たなる活力が涌いてきます。ヘンリー・H・ゴダード博士によると、そのエネルギーは研究室で測定することも出来るそうです。ヴィンランド訓練学校で、ゴダード博士は疲労の度合いを計る「エルゴグラフ」と呼ばれる測定機を使いました。疲れた子供に、誰かが「ジョン、君はよくやっているよ。」と言うと、その少年のエネルギーを示す曲線が急上昇しました。落胆させる言葉やあらさがしの言葉をかけると、逆の結果が出ました。

  ほめてあげる機会を探している時には、私は、子供が一瞬の不注意で服を汚してしまった時にも、苛立って叱りとばさないようにすることでしょう。

  子供の隠れた才能を励ますことの出来る能力は、努力によって伸ばしていかなくてはいけないことが今の私にはわかります。そうするなら、現在の子供の姿だけでなく、どんな子供になれるのかその可能性も見て、成長を励ますことが出来るようにです。これこそキリストにならうことであり、主はいつも人間の現在の姿だけでなく、その人の可能性をも見ることがお出来になります。そして、家庭内ほど、これを実行する必要がある場所は他にありません。

 

もっと小さな事に関心を払うようにするだろう

 

  今日、私は、人生が楽しくなるか悲しくなるかは、小さな事に左右されると確信しています。小さな事によって、良い関係が築かれる事もあれば、あるいは壊される事もあります。また、家族の一体感や愛が強まる事もあれば、それが粉々になる事もあります。それによって思いやりのある態度を取ったり、あるいは無礼な態度を取ったりするようになるのです。ですから、もう一度、自分の家庭生活をやり直すとしたら、そういった小さな事にもっと忠実になろうと努めるでしょう。

  特に子供に対しては、小さな事が実はとても大きな事になりえます。年配のある男性が子供の頃の思い出を次のように語ってくれました。「私が子供の頃、父と母は容易ならぬ困難に直面していました。にもかかわらず、私達の家庭生活はいかに輝いていたことでしょう。困難でさえも、父の暖かい態度のおかげで軽く思えたものです。

  父はよく、朝早く起きて外へ出掛け、バラ園から最高に美しいバラの花を見付けてきました。それを母が朝食に来たときのために、母の席に置いておくのです。それをするには、ただ、ほんの少しの時間と愛のこもった心があれば十分ですが、母がそのバラを手にとる時に、父が母の後ろに来て朝のキスをすると、その日が輝いた一日となるのです。寝起きが悪く、けんか腰で二階から降りてきた子供でさえ、恥じ入りました。ささやかながらも優しいこの行為によって、人生が美しく輝いていたからです。」

  小さな親切や愛には、測り知れない力があります。そっと触れること、優しい微笑み、思いやりのあるほめ言葉、暖かい抱擁によって不思議なことが起こります。「ありがとう。」という小さな一言をもらうと、大きな報酬を受けた気がします。ちょっとした助けや、注意深く選んだ小さな贈り物が愛を伝え、心暖かい愛情は相手の心に何週間も残ります。「愛してるよ。」とか「ごめんなさい。」という一言で、それを受けた側も与えた側も、心が豊かになるのです。

  小さな事にもっと関心を注ぐ為、「君はいつもそうなんだ」とか「お前は絶対これこれしない」といった言葉を、私の語いの中から消し去ろうと努めます。今ではそれらが全く真実でないと悟りました。そういった言葉は、いやみであり、率先性をくじき、人を挫折に追いやる事になります。

 

家族のきずなを強めるだろう

 

  もう一度、家族との生活をやり直すとしたら、子供達に家族の一員であるという意識を植え付けるように努めるでしょう。子供にはこの意識が必要であり、もし自分も家族の一員であると感じないなら、また家庭内で子供が忠誠心や愛を感じ取り、また自らも忠誠心や愛を注ぎ出すことがないなら、その子供はすぐに家族以外のグループを自分が第一に属するところと考えることでしょう。何かに属しているという感覚に欠けると、途方にくれた思いや、孤独感、愛の欠如などが心を深くさいなむようになります。しかし、子供が、自分は家族の一員であり、必要とされていると感じるなら、社会に堂々と出ていくことが出来ます。愛され、受け入れられていると感じながら、また他の人をも愛し、受け入れる能力を持って。

  家族のきずなを強く感じたことが何度かあったのを覚えています。−−ものすごい嵐が吹き荒れ、テントの中でほとんど吹き飛ばされそうになった夜のこと。フロリダのベニスという海岸を、サメの歯を探して歩き回った早朝のこと。広い夜空の下で寝転んで、いろいろな話、例えば一緒にキャッチボールをした時のことや、芝の手入れをした時のこと、みんなで家族の誰かの部屋を修繕した時のことなどをした夜のこと。何かを成し遂げるために自分が必要とされていたことで、自分も一員なんだと感じました。また、誰かが旅行や学校に行くために家を離れる時に一緒に祈ったり、手紙や電話で「みんなおまえのことを愛しているよ。」と言われた時、自分が家族の一員であることを強く認識したのです。

  この一員であるという意識を養うために、もっと食事の時間を使って、その日経験したことやその日の出来事について話そうと思います。しかしながら、食事の時間が、大急ぎで済ませてしまう儀式のようになってしまうことが、あまりにも頻繁に起こります。本来はリラックスして気分転換をすべき時であるはずなのに。

  家族の一員であるという意識を深めるために、寝る時間を一日の最も楽しい時にするよう努めたいです。寝る時間というのは、とげとげしい時間になりがちです。皆が疲れているからです。ある幼稚園児は、「君が家族の一員だと感じるのはどんな時?」と聞かれて、こう答えました。「夜寝る時に、ママがふとんをかけてキスしてくれる時。」 また、ある若者はこう言いました。「僕の子供の頃で、一番楽しくて有意義だった時間は、僕達が寝る前に母が物語を読んでくれた時です。」子供がせきたてられ、またお仕置きを受けながらベッドに行くというような家庭は本当に気の毒です。寝る時間というのは、自分は家族の一員なんだという暖かい意識を育てるのに絶好の機会なのですから。

  私は、余暇の時を、家族がみんな互いに属していると感じる時間にしようと努めるでしょう。余暇の時間が増えてくると、家族がばらばらに、違った方向に向かって計画を立て、家族以外の人と連れ立って行くようになるという危険が伴います。一緒にいることの素晴らしさや、共に遊ぶことの楽しさを育んでいきたいものです。

  家族としての責任や仕事を与えることによって、子供に自分も家族の一員であるという意識を持たせるようにしたいです。ある作家が、幼い子供でさえ他の人のために出来ることがあると指摘し、次のように書いています。「彼らにとって、仕事とは分担することであり、何かの一員であるという意識であり、また一個人として、自分も家族全体の福利のために必要とされ、大切な存在とみなされていると知ることである。」

  子供は、自分が愛情深い、地上の家族に属していると知っているなら、愛情深い、天の父と神の家族にも属していることを自然に確信するようになります。

 

もっと親しみをわかせるような方法で

子供達に神について

教えようとするだろう

 

  もう一度、家庭生活をやり直すとしたら、もっと親しみをわかせるような方法で子供達に神について教えようと努めるでしょう。つまりキリストご自身のように、日常の様々な事柄を使って、私達の内におられ、又私達が仕えている神を説明しようと努めるだろうという意味です。結論としてこの願望を最後に記したのは、先に述べた事柄はすべて、ここに含まれるだろうからです。ジョージ・マクドナルドは、妻にあてた手紙にこう書きました。「最愛なる妻へ、私がもっと神を愛するなら、君の事も当然愛すべき程に愛するようになるであろう。」 私はこう付け加えたいです。私が神を愛すれば愛する程、家族や近所の一人一人も、当然愛すべき程に愛するようになるだろう、と。

  肉体的あるいは社会的、知的な面に力を入れるだけでは十分ではありません。私達は霊的な生き物です。私達の人生は創造の神につながっており、神は私達がご自身と一体化する事を望んでおられます。神の愛と世話に信頼して安きを得る時、私達は人生に堂々と立ち向かう事が出来、召されたと感じるままに貢献する事が出来るのです。

  自分の子供に、神がどんな方かや神の御心を教えるために、私は一日中、自分の信仰を子供に伝えようと努めるでしょう。それらのことを教えるための時間を計画したり、特に設けたりするよりは、むしろ日常生活の形式ばらない状況や、予期しない出来事を通して教えたいのです。

  ある著名なイギリスの校長が、ある時こう尋ねられました。「お宅の学校のカリキュラムでは、どの時間に宗教を教えるのですか?」

  「一日中教えています。」その校長は、自信を持って答えました。「算数の時間には、正確さについて教え、国語の時間には正直に話す事を教え、歴史の時間には人間性について教え、地理の時間には心の広さを教え、図工の時間には綿密さを教え、天文学では畏敬の念を教える事によって、宗教を教えているのです。又、動物に優しくする事や、召し使いに礼儀正しくする事、互に対する良いマナー、何事についても嘘をつかない事などを教えることによっても、宗教を教えています。」

  子供に信仰をさりげなく教えられるような状況を作る為に、子供と同じ歩調で歩くように努めたいです。小川をぶらつく時間や、天の父の造られた花を摘んだり、大きな神の創造物の中だけではなく、小さなものの中にも偉大な創造主の存在を認識する為の時間をもっと作りたいです。今の私には子供が神の造られた世界、つまり自然と霊的な世界の両方の素晴らしさを子供がどんなに素早く感じ取れるかがわかります。夏には寝袋を持って、神の造られた空の下に家族と共に寝転び、星について話したり、自然の音を聞いたり、目に見えない生き物の小さな音を聞いたりする時間を、もっと取りたいです。

  子供が神を、愛の神であって、親切で、いつも助けて下さり、心の頑な者にも憐れみをもたれる方、また全て良きものを与えて下さる方だと考えるようになるよう努めましょう。それこそ聖書に書かれている神なのです。でも、時々親でさえ、神は私達を打ちのめそうとする恐ろしい神であるかのような印象を子供に与える事があります。

  4歳の男の子が、お姉さんの機械仕掛けの人形で遊んでいました。母親は昼寝をする為にソファーに横になっていました。すると息子が荒々しくこう言ったので驚いてしまいました。「私は神だ。お前達子供はひざまずいて、祈るんだ。」 (人形達はしませんでした。)もしひざまずいて祈らないなら、私はお前達を打ちのめすぞ。」とチビッ子が言いました。そして、大きな一撃のもとに、人形が全部床に落ちてしまったのです。祈らないなら自分を打ちのめしてしまうような神に、子供が愛や信頼を寄せる事が出来るでしょうか?

  人生における神の導きについて、毎日小さな歴史を物語っていこうと思います。神の偉大さやその永遠の性質についての質問にことごとく答えようと努めたりはしないでしょう。私はむしろ、子供に、神はとても大いなる存在であって最高の賢者でもそのすべてを理解することはできないという驚異の念を心に抱きながら生きていってもらいたいからです。

  今わかるのですが、自分の子供にただ神の事を話したり、簡単な祈りを教えるだけでは、子供が神を知るよう導くにはとても及びません。

  小さい子供が、稲妻と雷を恐れて、暗闇の中でこう叫んだのを思い出します。「パパ来て、怖いよ。」「神様はお前を愛していて、お前の世話をして下さるんだよ。」と父親が言うと、「神様が僕を愛していて、僕の世話をして下さるのは知っているよ。」と幼い息子は答えました。「でも今は、誰か手を握れる人に一緒にいてほしいんだ。」

  もう一度、家族との生活をやり直すとしたら、何にも増して私はそうなりたいのです。−−触れることの出来る、神の愛に。

   ――――――――――

  D・L・ムーディは、ある集会から戻ってきて、「2人と半分」が救われたという話をしたそうです。「2人の大人と、1人の子供という意味でしょう。」彼を招いた人が言いました。「違うね。」ムーディ氏は答えました。「2人の子供と1人の大人だよ。わかるかね、子供達は全人生を与えることが出来る。しかし大人は、半分の人生しか残っていないから。」 何という真実でしょうか! パウロが25歳ではなくて、70歳の時に改宗したとしたら、歴史的に有名な人物になることはなかったでしょう。マシュー・ヘンリーも、70歳ではなくて11歳で救われました。ジョナサン・エドワーズも80歳ではなくて8歳で救われました。そしてリチャード・バクスターも60歳ではなくて6歳で救われたのです。

 

羊が迷えば

 

迷い出たのは、小羊ではなく、

羊だった。

イエスはたとえ話の中でこう言われた

大人になった羊が迷い出た

寒い寒い丘の上に

群れの99匹を離れて。

良い羊飼いが見つけたのは、羊だった。

群れの元へ、安全に連れ戻してやったのは。

なぜ羊のために

私達は熱心に求め

希望を持って、

祈らなければならないのだろう?

それは危険だから。

羊が道を間違えば

小羊も皆、迷ってしまう。

小羊は羊に従って行く

羊がどこへ迷おうとも

羊が迷い出たら、間もなく

小羊も同じように間違いを犯す。

だからこそ、私達は羊について熱心に願う。

それは今日の小羊のため。

羊が迷えば、何匹かの小羊は

どんなにひどい代価を

払うことになるだろう。

 

 

誰のせい?

 

新聞やテレビが

殺人や盗難や

犯罪が氾濫していることを報じる。

そして、時代の移り変りを見ては

溜め息をついて、こう言う、

「この若い世代は、

いったいどうなるのだろう。」

でも、それが彼らだけのせいだと

心から言えるだろうか?

もしかしたら、その一部は

我々のせいではないだろうか?

子供は映画を作ったり

ギャングや悪漢を楽しく描いたような

本を書いたりしない。

アルコールも作らないし

酒場を営業することもしない。

法律も作らないし

車を買うこともない。

頭を狂わせる麻薬も作らない−−

それはすべて大人達が

欲のために為したこと。

これが真実だという証明は

あまりにも多い。

非行を働いているのは

若者だけではない。

 

"IF I WERE STARTING MY FAMILY AGAIN"--JAPANESE.