56.互いに愛し合いなさい

 

  わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ15:12)

 

 1.あなたの憐れみと愛の指を伸ばし、彼らの心をつかんで、主の方に引きなさい。

 2.耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、自分が呼ぶ時に、聞かれない。箴言21:13

 3.聖書は、私たちに、自分の隣り人を愛せよと語っている。また自分の敵を愛せよとも語っている;  それはおそらく、しばしばその両者は同じ人々であるからであろう。

 4.ここには、知らない人というのはいない−−ただまだ会ったことのない友人がいるだけである。

 5.他の人々が、あなたにはもう望みがないと思う時でも、真の友人はあなたが試練を乗り越えるのを、助けてくれる。

 6.あなたが馬鹿な真似をした時、それが永久的なものだとは感じないのが、真の友人である。

 7.冷たく、よそよそしい気質の人は、このことを覚えておくべきである: 雪の下に花は見つけられないということはないが、 それらを掘り出すのは、余りにも寒い仕事なので、ほんの数人の人しかそれをしようとはしない。

 8.同情というのは、決して無駄になることはない、自分に与える時を除いては。

 9.あなたが出会う一人一人の人を、あなたの主を捜し求めている人であるかのように見なさい。

 10.彼は、私を締め出す円を描いた。けれども愛と私には、それに勝つ才知があった。私たちは、彼を中に入れる円を描いたから。

 11.愛は、他の人の間違いを、沈黙というベールによっておおう。

 12.人々が孤独なのは、橋を築く代わりに、壁を築くからである。

 13.あなたは人々を見ると同様に、人々の心の中を見なければならない。

 14.友人とは:  あなたのことを何もかも知っていて、それでもあなたを愛してくれる人のこと。

 15.あなたが人を見下げている時に、その人があなたと同じ見解を持つことは期待できない。

 16.別世界(different world)は、無関心な人々(indifferent peo-ple) によっては築かれない。

 17.友人とはあなたの短所を知りながら、あなたの長所が短所をはるかにしのいでいると考えてくれる人である。

 18.他の人々を好む人は、他の人々にも好まれる。

 19.自分の隣人を愛することは、神の愛のようである!

 20.愛は愛を生む!

 21.毎日、より良く愛し、毎日より優しくなり、毎日より大きな祝福となりなさい。

 22.愛は決して敗れず。

 23.すべての人に必要なのは愛である!

 24.自分の隣り人を愛するためには、私たちは神を愛さなければならない。

 25.あなたが、人々に真の愛を示すなら、友人を勝ち取ることに苦労しない。

 26.もしあなたが望むなら、友情を、口座から引き出すものとして使ってもいいが、最初口座に何かを預けておくことを忘れてはいけない。

 27.私たちのファミリーにおいて、犠牲は、愛のための根本的必要条件である。

 28.愛で一日を始めなさい!

 29.私は、プラトニック・ラヴ、すなわち肉体の関係しない全くの霊的な愛というのを信じていない! そのようなものはないのである!もしあなたが、本当に誰かを愛しているなら、その人の肉体も愛するだろう!−−その人の霊だけではなくて! あなたはその人と一つになって、その人の一部となって、その人の愛を感じたいと思うだろう。

 30.たとえ彼らを好きでなくても、愛することはできる!

 31.これが、哀れに思うことと、深く同情することの違いである: 哀れに思うことはただかわいそうだと思うだけである! 深く同情するというのは、助けるために行動に移ることである。

 32.私たちが分け合える最大のものは、単に私たちの持っている物や個人的所有物を分け合うことではなくて、私たちの愛を分け合う事である。

 33.このことを覚えておきなさい、あなたが十分な愛を与えるなら、あなたはいつも十分な愛をもらうのである−−それは相互作用である!

 34.愛は、人々がどう考えようとも気にしない、それは人々が考えることにもかかわらず、ただ愛するのである。

 35.もしあなたが誰かを愛していないなら、あなたは、彼らが歩く時にその歩き方にさえ欠点を見つけるだろう!

 36.失恋のための最善の薬は、 新しい恋!

 37.あなたが抑えられないほど、たくさんの愛で満ちているなら、あなたはそれを他の人の上にあふれさせるであろう。そしてあなたは、他の人を成長させ、花のように栄えさせ、また彼らも愛で満たすであろう!

 38.あなたが好きでもない人々を愛するために、神はあなたに超自然的な愛を与えて下さるであろう!−−あなたは彼らのことを好きになる必要はないが、彼らを愛さなければならない!

 39.もしそれが誰かを傷つけるようなものなら、私はそれが良いと信じてはいない! 必ず誰も傷つかないよう確かめる誠実な愛がなくてはならない。

 40.「愛は、長く苦しんでそれから立腹する」 のか? いや、違う、愛は長く苦しんで、なお情け深い。(Tコリント13:4)

 41.「愛しています」 という言葉を言い過ぎるということは、決してない。(ヨハネ21:17)

  42.愛と親切の行為は、決して消えることはない。

むしろそれは、他の人の人生のうちに増えていく。

 43.すべての人がどこかの面で益を得ていて、誰も傷ついていないなら、それは愛である。

 44.あなたたちは、お互いが好きではなくとも、愛さなければならない!

 45.あなたのすべての問題に対する解決法は、自分自身のことを忘れて、他の人のことを考えることである。

 46.自分自身をその人の立場に置きなさい。

 47.私が一番悲しむ時、このことを感じる。

私にふりかかることが何であれ、私はこのことを信じる:全然愛さなかったよりも、

愛して失った方が良い、ということを。

 48.愛が私たちのシンボルとなるでしょう。

愛があなたのものになり、私のものになる。

神とすべての人への愛、

あなたと私と私の者への愛。

 49.愛を蒔くなら、愛を刈り取る。友情を蒔けば、友情を刈り取る。

 50.心は、頭よりもさらに深く見る。

 51.愛は家庭に始まる。しかし家庭で終わるべきではない。

 52.友人とは、あなたの陰で、あなたの良いことを言いまわる人である。

 53.人を訂正してまわる代わりに自分をその人の立場に置いてみなさい。

 54.自分の敵を滅ぼす最善の方法は、その敵を自分の友人にすることである。

 55.他の人を愛し続けなさい、そうすれば、彼らはあなたを愛するだろう。イエスに仕え続けなさい、そうすれば、イエスはあなたに仕えて下さるだろう−−それも、とてもよく!

 56.もしあなたが目に見える自分の兄弟や姉妹や夫や妻やリーダーや従者や、あるいは自分の母や父を愛せないなら、まだ見ていない神や、今、異教徒である神の子供たちをどのようにして愛するのか? (Tヨハネ4:20)

 57.愛は、あなたの心にとどまるために、

心の中に置かれたのではない。

愛は、与えてしまうまで愛にはならない!

 58.弱い者を哀れみなさい!

 59.愛には決して、遅すぎるということは決してない。

 60.小さな真の愛を示すことは、現在に対してその人を励ますだけではなくて、未来についてもより明るい見通しをその人に与えてくれる。

 61.もし私たちが見ている人たちへ愛を示さないなら、見ていない人への愛を持っていると、どうして言えようか?

 62.誰でも心臓 (心) の専門医になれるのである。唯一の必要条件とは、誰かを愛することである。

 63.もしあなたが、助けを必要とする者の叫びを心に留めることができないほど忙しいなら、あなたは神ご自身よりも忙しいのである!

 64.愛は盲目である;  友情は欠点を見ないようにする。

 65.人々を愛し始める時、どれだけ私たちにとって、彼らが良く見えてくることか!

 66.もしあなたが感情的でないなら、もしあなたが冷たい人であるなら、もしあなたが愛を持っておらず、また愛情深くないなら、あなたは主が望んでおられるような人になっていないのであり、それは自然なことではない。

 67.アフェクション (体で愛情を示すこと) は、非常に多くの方法で表現できるが、時々、それは言葉を見つける必要がある。

 68.愛は、信頼をも意味する。もしあなたがその人に、少しでも信頼を置いていないなら、どうしてその人を本当に愛せるだろうか?

 69.主よ、私たちが他の人々を閉め出す円ではなくて、他の人々を中に入れる円を描くことができるほどの十分な愛と、十分な穏和さと十分な寛容を持つのを助けて下さい!

 70.人間の最大の必要は愛である。だから、人間への最大の奉仕は愛である!

 71.もしあなたの愛が、海を飛んで渡らないなら、それには折れた翼があるのだ。

 72.もしあなたが自分の口から、食物を取り出し、自分の食べる食事を、愛に飢えて愛を求め、それを絶望的に必要とし、それなくしては生きることができないかもしれない人々に与えて、満たし、養うなら、それこそ真の愛である。

 73.真の愛は、自分自身の幸福以上に、他の人の幸福を選ぶ−−利己的な愛は、執着し、しがみつき、束縛することを望む。

 74.愛は間違いを忘れてくれる;  間違いに対して、 がみがみ言うことは、最善の友人を離れさせる。

 75.あなたは、すべての人の心を開く鍵がほしいか?−−愛を試してみなさい!−−それは、絶対に失敗することはない!−−何故なら神は愛であり、神が失敗されることは有り得ないからである!

 76.小さな愛がどんなことをするかは、驚くべきである−−特にそれが超自然的で、奇跡的で、霊感された神の愛ならそうである!

 77.ある人々は、 救うだけの価値があり、またそのために犠牲を払い、更にはそのために痛みを受けるだけの価値がある。

 78.もし愛に肉体的な動作が伴わないなら、 それは 「行いのない信仰」 のようなものであり、「それは死んだものである」 。(ヤコブ2:26)だから誰かを愛していると言いながら、 彼らを肉体的に、 また何であれ彼らが必要としている面によって、すなわち食物や、衣服や、すみかなどによって助けてあげようとしないなら、これは愛ではない。

 79.もし自分を愛するように、あなたの隣人を愛するなら、あなたは彼の立場に自分自身を置くであろうし、自分がそこにいたとしたら、どのように感じるだろうかと思い巡らし、また満ち足りるためには、何を望み、何を必要とするだろうかと思い巡らすことであろう−−だから愛しなさい!

 80.わたしたちのほとんどは、わたしたちの回りにいる者たちに対して、感謝や慰めの言葉を伝えることを、あまりにもしばしば怠ってしまう。私たちは、すべての無益な言葉に対して言い開きをしなければならないように、すべての無益な沈黙に対しても、言い開きをしなければならない。

 81.このファミリーにおいては、私たち全員は、たとえどんな人であれ、すべての人とうまくやっていかなければならない!

  (No.18,25,123,203,302C,309,517,531,572,

583,592,594,595,721,830,1247,1395も参照。)

 

 

 82.サムエル記上18:1 ヨナタンの心は、ダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した。

 83.サムエル記下1:26 わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためわたしは悲しむ。あなたは、わたしにとっていとも楽しいものであった。あなたがわたしを愛するのは世の常のようではなく、女の愛にもまさっていた。

 84.ヨブ6:14a  苦しみにあっている者に対しては、その友から憐れみが示されるべきである。

 85.伝道の書4:10 すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起こす。しかしひとりであって、その倒れる時これを助け起こす者のない者はわざわいである。

 86.マタイ22:39  自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。

 87.マタイ25:35-40 あなたがたは、わたしが空腹の時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅人であった時に宿を貸し、裸であった時に着せ、病気の時に見舞い、獄にいた時に訪ねてくれたからである。その時正しい者たちは答えて言うであろう。 「主よ、いつわたしたちは、あなたが空腹であるのを見て、食物をめぐみ、渇いているのを見て飲ませましたか、いつあなたが旅人であるのを見て、 宿を貸し、 裸なのを見て着せましたか、また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか」  すると主は答えて言うであろう。 「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらのもっとも小さい者のひとりにしたのは、すなわちわたしにしたのである」

 88.ヨハネ13:34 わたしは、新しい戒めをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 89.ヨハネ15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛の内にいなさい。

 90.ヨハネ15:12,13 わたしの戒めはこれである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 91.ヨハネ15:17  これらのことを命じるのは、あなたがたが互いに愛し合うためである。

 92.ヨハネ17:26  そしてわたしは、彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が、彼らの内にあり、またわたしも彼らの内におるためであります。

 93.ローマ12:9a  愛には偽り (偽善) があってはならない。

 94.ローマ14:21  肉を食わず、酒を飲まず、その他の兄弟をつまずかせたり、その気分をそこねたり、弱らせたりしないのは良いことである。

 95.ローマ15:1,2 わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。わたしたちひとりびとりは、隣人の徳を高めるために、その益をはかって、彼らを喜ばすべきである。

 96.ガラテヤ5:13,14  兄弟たちよ、あなたがたが召されたのは、実に自由を得るためである。ただその自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、 「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」 というこの一句に尽きるからである。

 97.ガラテヤ6:10 だから機会のあるごとに、誰に対しても、特に信仰の仲間に対して善を行おうではないか。

 98.エペソ4:32 互いに情け深く、あわれみ深いものとなり、神がキリストにあって、あなたがたを許して下さったように、あなたがたも互いに許し合いなさい。

 99.ピリピ1:9  わたしはこう祈る。あなたがたの愛が知識において、またあらゆる裁きにおいて、いよいよ増し加わるように。

 100.ピリピ2:4  おのおの自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。

 101.Tテサロニケ3:12 どうか主が、あなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを、わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように増し加えて、豊かにして下さるように。

 102.Tテサロニケ4:9 兄弟愛については、今さら書き送る必要はない。あなたがたは互いに愛し合うように神に直接教えられているからである。

 103.ヘブル10:24  愛と善行とを励むように互いに努め。

 104.ヘブル13:1 兄弟愛を続けなさい。

 105.Tペテロ1:22 あなたがたは御霊を通して、真理に従うことによって魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くに至ったのであるから、互いに清い心から熱く愛し合いなさい。

 106.Tペテロ3:8  最後に言う、あなたがたはみな、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、礼儀正しくありなさい。

 107.Tペテロ4:8  何よりもまず、互いの愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。

 108.Tヨハネ2:10 兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。

 109.Tヨハネ3:11 わたしたちは、互いに愛し合うべきである。これがあなたがたの初めから聞いていた、おとずれである。

 110.Tヨハネ3:14 わたしたちは兄弟を愛しているので、死から命へ移ってきたことを知っている。兄弟を愛さない者は、死の内にとどまっている。

 111.Tヨハネ3:16-18  主は、わたしたちのために命を捨てて下さった。それによってわたしたちは愛ということを知った。それ故に、わたしたちもまた兄弟のために命を捨てるべきである。世の富をもっていながら兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が彼の内にあろうか。子たちよ、わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。

 112.Tヨハネ3:23 その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように互いに愛し合うべきことである。

 113.Tヨハネ4:7,8  愛する者たちよ、わたしたちは互いに愛し合おうではないか。愛は神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている。愛さない者は神を知らない。神は愛である。

 114.Tヨハネ4:11,12  愛する者たちよ、 神がこのようにわたしたちを愛してくださったのであるから、わたしたちも互いに愛し合うべきである。 神を見た者はまだひとりもいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちの内にいまし、神の愛がわたしたちの内に全うされるのである。

 115.Tヨハネ4:20,21 「神を愛している」 と言いながら、兄弟を憎む者は偽り者である。現に見ている兄弟を愛さないのに、どうして目に見えない神を愛することができようか。神を愛する者は兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。