50.リーダーと羊飼い

 

 あなたの羊の状態をよく知り、あなたの群れに心をとめよ。(箴言27:23)

 

 1.偉大なリーダーたちは、大抵の場合すべての中で最も謙遜な人々であり、どんな事でも喜んで行う。そして実際には、彼らの非常に大きな責任に対して自分たちがふさわしいとは少しも感じないのである。

 2.ある人々は、リーダーになりたいとは思わない。何故なら間違っているかもしれない決断を下さねばならないし、そのために責任を問われるからである。

 3.たいそう良くなければ、真に偉大ではない。

 4.最も目立たない賜物こそ、リーダーたちが最も必要とするものである−−すなわち洞察力、知識、知恵、信仰。

 5.もしあなたが、神の御言葉とこの神の権限の杖の巧みな使い方を知っているならば−−あなたは、あなたの群れを狼から救ったり、あなたの小さな仔羊たちを、永遠に安全な神の群れに導くために、それを使うことができる!

 6.あなたの羊を導きなさい。彼らを無理に追い立ててはならない!

 7.自分自身の愛情深い、思いやりのある手本によって、尊敬や忠誠や従順を自分の従属者たちの心の中に自発的に霊感させるかわりに、それらを強く主張し続けなければならないリーダーは、権限において不安定な小物 (こもの) である。

 8.有利な地位を求めるのであれば、多少の悩みを予想しなければならない。

 9.もしあなたが、あなた自身の家族を、愛と忍耐と信仰と柔和と優しさと穏やかさをもって治めることを学んでいないのであれば、あなたは、神の御国を治めるために信頼されることはない。(Tテモテ3:5)

 10.神が選ばれた最も偉大なリーダーたちは、たいていの場合リーダーになりたがらないものである−−彼らは主によって無理矢理それを強いられるものである!

 11.リーダーシップにおける偉大さは、良い従属者となる能力によって始まる。

 12.全ての良いリーダーは、霊的な事柄を思いやるだけではなく、実務的な事にも感知していなければならない。

 13.あなたは、自分ができる内に二等兵である事を楽しんだ方が良い−−心配も責任も、功績も責めも、非難も名声もほとんどない状態で。いつかあなたは、大部分の仕事と、ほとんど全部の心配−−そして大抵の場合、全ての責めを負わされる大将になるかも知れないからである!

 14.あなたのリーダーたちをうらやましく思ってはならない!−−彼らを哀れみなさい!−−彼らのために祈ってやりなさい!−−彼らを助けてやりなさい!

 15.もしあなたが、自分の行動の結果を潔く受け止めることを恐れないなら、恐らくあなたはいつか指導者になるかもしれない。

 16.あなたは、自分がリーダーになるまで、あなたのリーダーたちに十分感謝することは決してない! 

 17.山羊は非常に自立しているのに比べて、羊は自分ではかなりどうすることもできず、人間なしでは存在できない。だから、山羊には自分自身の世話をさせ、あなたは羊の世話をするのに忙しくしなさい!

 18.羊は、羊飼いの声なしには、道を見つけることができない。

 19.傷のいやし手や羊を養う者よりも、滅亡の預言者である方がはるかに、ずっとたやすい。

 20.良いリーダーのしるしの一つは、常に自分の目を開け、すべてが支障なく行なわれているかを−−すなわち、障害がすっかり取り除かれ−−成し遂げられるべきことがすべて成し遂げられつつあるかを見るためにチェックしていることである!

 21.あなたのすることが何であれ、常に覚えていなさい。良いリーダーの特徴は、常に他の人々と相談することであるということを。しかし、相談する時には、必ず適した人々と相談することである!

 22.羊飼いが羊を養うなら、羊が羊飼いを養うようになる!

 23.私は、独裁主義の断固とした信者である−−あなたは愚かな羊たちに何をすべきか尋ねるのではなく、あなたが彼らに何をすべきか告げるのである!−−しかし、あなたは彼らの泣き言を聞いてやらねばならないこともある!

 24.もしあなた自身が自分にどれだけ多くの憐れみが必要であるかに気づくなら、あなたは、あなたについて行く者たちに対してはるかにずっと憐れみ深くなることだろう!

 25.私が、いなくなった後でも、イエスはなおあなたたちを導いて下さる。そのことについて心配する必要はない。たった今、私たちの頭であるのと同じ方が、その時にもやはり、 あなたたちの頭となるのであり、それはイエスである!

 26.地位や富は金の鎖のようなものだが、 それでもやはり鎖には違いない。

 27.あなたがたリーダーが、自分の間違いを告白することを早く学べば学ぶほど、他の者たちはますますあなたを信頼し、愛し、主はますますあなたを使われるようになるだろう。

 28.牧師は、農夫のように、たくさんの忍耐を持った、こつこつ働く人でなければならない。

 29.リーダーである者は戦う者でなければならない。彼は一方を支持しなければならない!−−すなわち神の側をである!

 30.良いリーダーは、彼だけが処理できる主要な決断や重たい荷やリーダーシップの責任のために、自分自身をとっておくべきである。

 31.如何なる、真に優れたリーダーも、質問や提案、そして彼自身のアイディアに相反するアイディアさえ歓迎する!

 32.統率組織の鎖の強さは、その環の一番弱い所によって決まる。

 33.ほとんどの良いリーダーは、リーダーになりたくはないものである−−彼らはならざるを得ないのである!

 34.主に完全に寄り頼むことが、良いリーダーシップの秘訣である。

 35.リーダーは、まず何よりも、神と波長の合った人でなければならない。

 36.リーダーは、少なくとも、自分の従属者たちに一歩先んじて、常に考えたり、祈ったり、計画したり、決断したりしていなければならない。

 37.リーダーに自分自身のチームを選ばせよ。

 38.肩書きは、あなたたち一人一人を含めて、私たち全員に、あなたたちの権限の範囲や責任の大きさ、また同様に責任の制限も、ある程度はっきりさせてくれるものである。

 39.イエスを含めて、すべての偉大なリーダーにはユダがいた。

 40.もしある士官が、上官から重要な命令を遂行する事について、質問があったり、疑いを感じる場合、その時には、それを上官に言うのは、彼の責任である。そして、もしその上官が聞いてくれないなら、その時にはより高い権威者の所へ行くのである。

 41.良いリーダーとは、大抵の場合生れついたものであり−−同様に作られたものでもある。彼らは、神の限りない世話と計画と準備からの、短い間だけ続く最終の所産なのである。

 42.何かリーダーに必要なものがあるとしたら、それは、知恵と知識である! 知恵とは、神の知識の使い方である。

 43.ボスは全ての事ができなければならない。そして、彼がみんなに仕える者であり、どんな仕事でもできるのでない限り、彼は良いボスではない。

 44.もしあなたが従属者となることを学んでいないならば、あなたは決してリーダーとなることはできない。

 45.もし、あなたの地位の力があなたを誇らせ、そのため自分が何のためにそこにいるのか忘れてしまうなら、あなたは単に、あなたがまだ未熟者であって、プライドで満たされていて、リーダーになる準備ができていないということを証明しているに過ぎない。

 46.あなたの人々、あなたの群れは、彼らが特別でない限り、あなたが御言葉に対して持っている興味と同じだけしか、彼らも興味を持たないのである。−−そして、その群れは、大抵の場合、彼らのリーダーシップ以上に良くはならない。

 47.羊飼いの指導に耳を傾ける時間もない程、羊の事で余りにも忙しい、下級羊飼いは、問題以外には何も持たない。

 48.私たちは片腕や片足や何本かの指なしでやることができるかもしれないが、体は、頭なしには余り長く生きることはない!

 49.リーダーの仕事は、他の人々に物事をさせるようにすることである。

 50.特に公のリーダーや教師や牧師や父親や夫に対して、あなたが成し得る世界で最悪のことの一つは、彼の指導権に対する信仰と信頼を密かに傷つけることである。

 51.主は、何処かの輪が弱っているのでない限り、御自身の統率の鎖の順序をとばされることはない。

 52.私は、あなたが幾つかのひどい大へまをやり、幾つかの恐ろしい間違いをし、幾つかの罪を犯し、あなた自身が真に幾度か失敗するまでは、絶対に、良い、賢い、謙遜なリーダーになれるとは思わない。一つには、そうしない限り、あなたは決して十分に謙遜になることはないからである。

 53.ほとんどの良いリーダーたちは、リーダーになりたいとは思わない−−彼らは、それが如何に大きな仕事であり、如何に重大な責任であるかを知っており、彼らは、しばしばその能力があるようには感じないのである。これらが最高のリーダーたちである。何故なら、その時彼らは自惚れたり、自信過剰になったりせず、イエスに寄り頼むからである!

 54.それがしばしばリーダーになる代価である:  つまり、 「名声に生き、炎の中に死ぬ!」 ことである。−−時には、彼らは、世の前に炎の中で生き、屈辱を負って死なねばならないこともある。

 55.それら目に見えない4つの賜物こそ、如何なるリーダーも持つべき最も重要な賜物である:  すなわち、知識、知恵、識別力、信仰。事実、私が考える限りでは、それらの賜物、あるいは少なくともそれらの幾つかがなければ、あなたはリーダーになることさえできない。

 56.あなたは、羊に深い思いやりを持つことを学ぶまで−−大いなる愛と大いなる憐れみを持つことを学ぶまで、あなたは決して真に偉大なリーダーになることはない。

 57.リーダーには2つの重要な特質がある:  第一に、彼は何処かに行きつつある。第二に、彼は、他の者たちを彼と共に行くように説得することができる。

 58.そのリーダーがいなくなる時、その御仕事を結合していたものが、彼の人格だけであったのなら、そのものはばらばらになってしまう。しかし、結合していたものが、メッセージや方法を永続させる強い教えや教義であったのなら、その仕事は、そのリーダーが始め、導いたのとほとんど同様に続けられるのである。

 59.リーダーは、自分たちの恐れを直視し、起こり得る最悪の事について考え、変わりに取り得る道をもって準備していなければならない。

 60.良い幹部はボスではない!−−彼は僕である!

 61.自分の士官たちに耳を傾けず、自分の部下たちに少しも注意を払わない将軍は困難に陥る。

 62.未熟者だけが、ボスになって、まわりの者たち全員に命令したがる。

 63.すべての事を指揮しようとするのは、全く新しいまだ未熟な、新参の幹部だけである。

 64.幹部の手とは、人の能力を引き出すのを助ける力にすぎない。

 65.最高位の幹部は、彼自身は神によって導かれている導き役でのみあるべきである。

 66.暴君的な霊は、リーダーを、神にもその他の天使の軍勢にも耳を傾けたがらない、最初の独裁者になりたがった、悪魔のようにしてしまう。

 67. 「あなたがたのうちで一番偉い者は、皆に仕える人でなければならない!」 (マタイ23:11)

 68.あなたが神を愛し、神に感謝するのと同様に、あなたは、あなたのリーダーを愛し、彼らに感謝すべきである。何故なら、彼らは、あなたの魂の世話をし、あなたがた全員の重荷を背負っているからである。(ヘブル13:17)

 69.リーダーシップの最大の危険の一つは、人間崇拝である!

 70.良いリーダーの仕事は、人気のある仕事ではない。あなたは、彼らに、あなたを愛することを教えなければならないが、あなたを恐れ、あなたに従うことも教えなければならない。

 71.あなたの監督と手引きと霊的な指導と共に、彼らに、彼ら自身を運営させ、自分で何をすべきか決断させなさい。

 72.あなたは、自動操作ができる機械を作る必要がある。そして、あなたが、そのハンドルのところ、時には制御装置のところにいるのである。

 73.すべての良いリーダーは、自分の民の僕である。

 74.人々は、彼らが望み、彼らにふさわしい種類のリーダーを得る。

 75.「わが民をよく愛し、治める者は幸いである。」

 76.ボスはいつも正しいとは限らないかもしれないが、それでもやはりボスなのである。

 77.小物は、そのすべてを自分でしたがる。大物はそれを他の者たちに代わってしてもらう。

 78.人々は、あなたの理論の極みによってよりも、あなたの確信の深みによって説得されるものである−−あなたが差し出すことのできる如何なる証拠によってよりも、あなた自身の熱心さによって。

 79.リーダーは−−手本を示す事を除いては−−自分に代わって、他の誰かにやってもらえる如何なることもすべきではない。

 80.私たちは今、次の世を治めるための準備中であり、この世における訓練期間にいるのである!

 81.リーダーシップとは、やってもらいたいと思う何かを誰かそれをやりたいと望む他の人にしてもらう能力である。

 82.あなたは自分が受ける支払いに値する以上に働かなければ、決してリーダーになることはできない。

 83.部下の訓練は、如何なる幹部にとっても主要な仕事である。

 84.まず問題を防ぐ人になりなさい。そうすれば問題を解決する人にならなくてもよいからである。

 85.偉大な人は、彼の偉大さを、小さな者たちの扱い方によって示す。

 86.天才とは、1%のインスピレーションと99%の努力である。

 87.自分のリーダーを密かに傷つける者は、自分の家を滅ぼす。

 88.聖霊の力は、その時のためのリーダーを選ぶ!

 89.神の王国には、民によるコントロールというようなものはない。それは、上からの厳格な支配なのである!

 90.神よ、われわれに人を与えよ!

このような時は、堅固な志と大きな心、真の信仰、

いつでも用意のできた手を要する!

地位に対する欲が殺してしまうことのない人、

官職の利権に身をまかせない人、

意見と意志とを持ち、名誉を愛し、嘘をつかない人。

 91.偉大さの代価は責任である。

 92.自分の仕事を達成するのに、他人の頭脳を用いることのできる者は偉大である。

 93.権力は、ちょうど大きな川と比べてもよい。すなわち、それがその範囲内にとどまっている間は、美しく、役にも立つが、それがその土手からあふれると、猛烈すぎて阻止できない。それは、前にあるすべてにのしかかり、行く所すべてに破壊と荒廃をもたらす。権力は人をだめにすることはない。しかし、もし愚か者が権力の座に入り込むなら、彼らは権力をだめにする。

 94.最終責任を負うのは、あなたである!

 95.リーダーシップの善し悪しを決める一つのことは、問題が緊急事態になる前に、その問題に気づく能力である。

 96.ほとんど全員が逆境に耐えることができる。しかし、もしあなたがある人の人格を試したいなら、彼に権力を与えることである。

 97.忠実に毎日8時間働くことによって、あなたはやがてボスになり、一日に12時間働くようになるかもしれない。

 98.あなたは常に誰がボスかを見分けることができる:  コーヒー・ブレークの最中に時計を見る人がそれである。

 99.激しい非難とは、人が、地位が高いことの故に公衆に支払う税である。

 100.ライオンの軍隊の頭に羊がいるよりも、羊の軍隊の頭にライオンがいる方が良い!

 101.有名になった名前は何と重たい重荷であろうか!

 102.すべての崇高な冠は、今までも、そしてこれからもそうであるように、いばらの冠である。

 103. 「疲れている時、あなたには休息が必要である。あなたが疲れ果てている時、あなたは争いから引退して、戦いを他の者たちに譲る必要がある。あなたはいつ戦い、いつ静まるか、いつ与え、いつ控えるか、いつ働き、いつ遊ぶか、いつ養い、いつ祈るべきかを知る必要がある。」

 104.「群れの女羊飼いとして、あなたは、農夫や羊飼いのように、力の糧として初生りを食べなければならない。あなたは、群れの世話をするだけではなく、彼らを養わなければならない。そして彼らは、あなたの世話をしなければならない。あなたが彼らに仕えるに従って、彼らはあなたに仕えねばならない。」

 105. 「あなたが他の者たちを救う時、本当にあなた自身を救うことはできない。しかし、もしあなたが他の者たちを救い、なお他の者たちを救い、それでも他の者たちを救うつもりであるなら、あなたが自分自身を救わねばならない時もある。」

 106.実行力のある人には、欠点もある。彼らの最大の欠点は、主にそれをやっていたいただく代わりに、自分自身の力で進み続けることである!

 107.事業を管理したり、羊の毛を刈ったり、羊毛の量を計ることだけが、羊飼いの仕事のすべてではない。あなたは、同様にそれらの羊たちの世話をし、彼らを養い、守り、彼らに供給し、愛し、お互い同士のフェローシップの内にとどまらせなければならない。さもなければ、あなたは、羊飼いとしての自分の仕事を怠っているのである!

 108.もしあなたの説教が、あなたの暮らしや、あなたと一緒に住む他の者たちの生活に影響しないなら、もしあなたが、彼らの日々の個人的な問題に世話をやかず、物事を正しい状態に保つことを確認していないなら、もし彼らの霊的な生活に世話をやいていないなら、もし彼らの日々の必要に関して世話をやいていないなら、彼らが幸福であるか、満足しているか、不足はないか、十分に愛されているかどうか、また彼らの必要とするものが何であれ、それに関して世話をやいていないなら、あなたの説教は、空しい! あなたの説教が世話をやくことに至っていないなら、それは十分ではない!

 109.もし私たちが、仔羊たちの世話をしないなら、御言葉は、何の役にも立たない。

 110.それに対する人々の言葉を単に受け留めてはならない−−問題がある時には、自分自身で調査しなさい。リーダーとして、詮索好きになり、つっ突き回したり、綿密に調べたり、質問したり、何が問題なのかを知り出すのはあなたの仕事である!

 111.他の者たちに、あなたを彼らのレベルまで引きずり降ろさせてはならない。あなたが、あなたのレベルまで、彼らを引き上げてやりなさい。

 112.普通の馬でさえ、自分自身の畑では目立つことができる。もしあなたが人々を主に導いているなら、あなたは、魂を勝ち取ることにおいてリーダーなのである。

 113.時には、行動を起こすために、あなたは少し厳格にならねばならない。

 114.それを見上げる者たちにとって非常に見事な冠は、それをかぶる者たちにとっては、実に重いものである。

 115.責任は、何にも増して素早くあなたを謙遜にさせることができる!

 116.単に全体的な方向における全体的な絵像をあなたたちに与えるのは私の仕事であり、詳細や戦闘や士官や攻撃の仕方やその他のすべてを考え出すのはあなたたちの仕事である。

 117.その職のマントと共に、御霊の力の油注ぎが訪れる。

 118.すべての偉大な世界的リーダー、すべての偉人は、ある人々から嫌われ、ある人々から深く敬愛された熱狂家だった。

 119.偉人の人生のすべては、

 私たちが、自分たちの人生を、

  崇高なものにすることができるが、

この世を去る時には、

 時という砂の中に、

  自分の足跡を残して行くということを、

   私たちに思いおこしてくれる!

 120.もしあなたに多くが委ねられているなら、多くがあなたから要求されるようになる。(ルカ12:48)

  121.その冠をかぶる者ほど、その重みを知る者はない!

 122.偉大な賜物は大きな責任である。

 123.偉大な責任と共に、偉大な恵みが訪れる。

 124.もし神を除いては、真に統制する頭が誰もいないなら、彼らはそれを殺すことはできない。

 125.人に従っているだけの者たちは、その人がいなくなると戻って行ってしまう。しかし、御霊に従う者たちは永遠に進み続ける!

 126.実行力のある人には欠点もある。

 127.聖書の中で最も偉大な人々は、ひどい間違いを犯し、自分たちが罪人で、神を必要とすることに気づいた者たちであった。

 128.会衆が居眠りしてしまう時、すべき事は一つしかない−−案内係に鋭い棒を与え、牧師を突っついてもらうことである!

 129.あなたにどれだけ賜物があり、どれだけ才能に恵まれ、どれだけ芸術的で、教養があり、美しく、強く、教育を受けていようとも、あなたが何を持っていようとも私は気にしない。もしあなたが100%忠誠でないなら、神はあなたを使うことはできない!

 130.多くの人々は、種を蒔き散らすことが好きなようである。しかしその結果の世話をしたいと思う人々−−これらのベーブたちを忍耐強く、骨を折って良いリーダーたちに訓練したいと思う人々−−は余り多くいないようである。

 131.人間崇拝者は、その人がやめる時にやめてしまう!−−神を崇拝する者は神のために進み続ける。

 132.スピーチは車輪に似ている−−スポーク (話し) が長ければ長いほど、タイヤは大きく、それは大きな車輪 (大物) の為にのみ取ってあるのである。

 133.誰も発言権を独り占めすべきではない。神でさえそのような事は去れない。

 134.能力を持っているのは、良いことである。しかし、他の人々にある能力を発見する能力は、リーダーシップの真の資質である。

 135.十字架を負う者は、冠を受ける。

 136.リーダーとしてのサウルの主な問題は、彼が人にへつらう者だったことである。

 137.神の御言葉は、羊飼いが羊の後について行くのではなく、羊飼いが先頭に立って羊を導くと言っている。

 138. 「羊飼いの声に聞き従わず、羊の世話をしないダビデの子供たちは、災いだ!」

 139. 「見よ、あなたが行なったこのこと、すなわち、死に、打たれ、追い散らされた者たちから、わが僕の言葉を差し控えたことの故に、私は裁きの日にあなたの責任を問うであろう!」

 140.上のリーダーたちは、羊を愛し、羊飼いたちの面倒を見なければならない。

 141.もしリーダーが少しでも何かであるとしたら、彼は人々のリーダーであって、単に書類のリーダーではない!−−しかし彼は、書類の仕事も進めなければならない!

 142.若くて新しい初心者のリーダーは、時々、幾分突然に、激しく反応する。何故なら、彼ら自身不確かで不安定であるため、自信があるような体裁をつくろわなければならないと考えるのである。しかし、その話のすべての側を聞く前に、激怒してやって来て、誰かをがみがみ叱るのは、良い見本ではなく、良い判事でもリーダーでもない。

 143.十戒が簡潔な理由は、それが、幾つもの委員会を通してではなく、直接手渡されたからである。

 144.牧師の善し悪しを決めるものは、彼の会衆が、 「何て素晴しいお説教だったでしょう」 と言わないで、  「私は、何かをするつもりです。」 と言いながら去って行くことである。

 145.主の愛をもって人々を治め、勝ち取ることと、ただあなた自身やあなたの肉の愛に、彼らを得ようと努め、勝ち取るのとは別のことである。

 146.あなたにへつらおうとして躍起になる人間崇拝者たちに用心せよ。もし何かがあなたに起こり、あなたが失脚するか、あなたが迷い出てしまうかするなら、彼らは恐らく、あなたを見捨て、自分たちのブーツであなたを蹴飛ばす最初の者たちとなるだろう!

 147.真の羊飼いと雇い人の違いは、簡単である:  雇い人は、自分自身がそこから得られるもののために、全く利己的な理由のためにそこにいるけれども、真の羊飼いは、羊のためにすべてを失い、自分の命を捨てることさえ厭わないのである。

 148.リーダーがお互い同士に成し得る最悪のことは、公然とお互いを非難することである。何故ならそれは、羊たちの信頼を破壊するからである。

 149.あなたは、人々にあなたのことを大目に見て欲しいために、人々を大目に見る傾向があるか? あなたは、あなたが許すべき以上に、彼らが罰を受けないで、やりおおすことを許すか? それは彼らに対して−−あなた自身に対しても−−公平ではない!

 150.誰かから提案されたり、訂正されたりすることに耐えられることができないほど、あなたがそんなにもプライドが高く、そんなにも頭が良いなら、あなたは余りにもプライドが高すぎ、余りにも頭が良過ぎる!

 151.霊的な成熟度は、年月や時間によるものではない。それも助けにはなるが、それは単に、あなたの主と主の言葉とのつながりと、あなたの従順さと謙遜さによるのである。

 152.神は、自分たちの地位や自分たちの高位のミニストリーについて余りに得意になる人々を卑しめる方法をお持ちである。

 153.ボスを持つ必要のない軍隊、組織、事業は世界にひとつもなく、ボスを持つ必要のない家族でさえ世界に一つもない!

 154.羊飼いもまた、自分の羊たちにと同様に、自分自身の魂に平和をもたらすために、丘の中腹に腰を降ろし、賛美のうちに、創造主に向かって甘美な音楽を笛で奏でなければならない。

 155.羊飼いは、羊を養い、彼が得るのと同じ平和を彼らにもたらすつもりであるならば、自分自身が、創造主の御手、そして彼の羊飼いの御手によって養わなければならない。

 156.あなたは、主の内にあなたがまず、その休息と静けさと甘い平和の場所を見出して、腰を下ろし、主に向かってあなたの笛を奏でるまでは、行動を起こすことすらできない。それはすべて霊的なことである。もしあなたが、それを肉の内に行おうとするなら、あなたはそれをやめてしまう方がましであろう。

 157.羊は、自分たちを導くことはできない。彼らには羊飼いがいなければならない。

 158.あなたは、まず何よりも、主の足もとで休息することを学ばねばならない。

 159.その静けさと平和と休息と忍耐と信仰と愛の秘訣は、主のうちに休息することにある! 主の御前に静かになり、主をほめたたえ、まず、主を尋ね求めることである。そしてそれから、あなたはこれをただ羊たちに伝えるのである。それは、あなたが伝える霊であり、あなたが得るのと、まさに同じ雰囲気なのである。

 160.彼らは、ほこりのダイヤモンドであり、全ての創造物の中で最も小さいものである! 彼らこそ輝く者たちである! 私たちは、彼らを捕える床の上のごみのようなものであり、あなたの息が彼らを捕え、陽光の中へと彼らが再び浮かんで行く時まで、彼らはその上で休む事ができる。私たちが、ライムライト(舞台照明)の外にとどまっているのを助けて下さい−−彼らが落ちる時に捕えるためにただそこにいるのを助けて下さい−−彼らに降りる場所を与えるためにただそこにいる事を。

 161.羊飼いは、羊を導くだけではなく、もし彼らが従わないなら、その時には彼らの後ろに回って、杖で彼らを打ったり、犬を彼らにけしかけたりしなければならない!

 162.10分以内に油脈 (反応) を掘り当てない話し手は、穿孔作業 (退屈な話) を止めるべきである。

 163.仕事中である時、あなたは1分たりとも休暇をとることはできない。あなたはその群れの羊飼いなのである!−−あなたは、起こりつつある全てを見守らねばならず、問題を、それが起こる前に捜さねばならない。

 164.霊的なリーダーとは、造られるものであるのと同様に、召されるものである。その選択をするのは御霊である。神の油注ぎがその違いを生じさせる。あなたは、霊的なリーダーに、もう少し実際的になり、組織化することを教える事はできるが、人に霊的なミニストリーの油注ぎと召しを持たせることはできない。神がそれを行なわれるのである。 165.常に人々のことを良く語るように努め、数えきれない程の罪にベールを投げ掛ける人になりなさい。(Tペテロ4:8)

 166.多くの人々に影響を及ぼし得る、大きな責任と大きな決断の重荷を持つあなたがたよ、気をつけなさい! 何故なら、もしあなたが間違いを犯すなら、もっと厳しい裁きを受けるからである!(ヤコブ3:1)あなたが高く行けば行くほど、あなたはもっと長く、もっと遠くに落ちなければならないかもしれない!

 167.どんな新しい仕事においても、人は少しの学ぶ時間を与えられる必要があるのであり、初めの内は少しの過ちを許さねばならない。

 168.リーダーは、進路にとどまり、彼が行きつつある方向に従って、他の者たちをその進路にとどめ、自分の方に彼らを引っ張る。しかし、もしあなたが、従属者たちによって、他の方に引っ張られる傾向があり、その流れに強く抵抗できないなら、あなたは大したリーダーではない。

 169.他の人々には許されても、あなたには許されない。他の人々は、罰を受けないで何かをうまくやりおおすことができるかもしれないが、あなたの地位の故にあなたにはできないのである。

 170.あなたは、すべての人を同じように取り扱う事はできない: ある人々は霊において、非常に鈍く、あからさまな叱責を必要とするが、ある人々は非常に繊細で、少しのほのめかしを要するだけである。

 171.仕事が成されるのを確かめ、あるいは人々にその仕事をさせ、そしてもし彼らが、それをしたがらないなら、彼らに出て行くように話すことのできる堅固で強力なリーダーがいない限り、如何なる家族も、教会も、ホームも、何も運営することはできない。

 172.あなたは、あなた自身が余りにも重い荷を背負うことがないように、もっと多くの権限や責任を他の者たちに任せる必要がある。他の人が誰もできないことだけをしなさい。

 173.もし荷が余りにも重く、困難になるなら、それはあなたが持つべきではなく、他の人が分担するか負うかすべき重い責任を、あなた自身が背負い、それにつながれてしまうことを許しているからである。何故なら、 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」 とイエスは言われる!

 174.時には、人々がその仕事をうまく処理できると知っているので、あなたは彼らに仕事を与える。他の時には、それが処理できるかどうかを証明する機会を与えるために彼らに仕事を与え、時には、彼らがそれを処理できないことを知るために仕事を与える。そして時には、たとえ幾つかの間違いを犯しても、彼らがそれを学ぶことを望んで、その人々に仕事を与えるのである。

 175.私は、大抵の場合命令をするのが好きではなく、ただほのめかすだけである。もし彼らが、そのほのめかしを感じ取れないなら、その時には提案をするのである。しかし、もし彼らがその提案を受け入れないなら、その時には命令をするのである!

 176.羊飼いの主な仕事は、主と連絡を取り続けること−−甘美な音楽と賛美とフェローシップをもって、その日を始めることである。

 177.自分の群れのために、語られている預言を見極め、検討し、また判断するのは、出席しているシェパードの、神より与えられた責任である。

 178.もしリーダーが疑いを持っているなら、彼の下のリーダーたちは、必ず苦しみに遭う。すなわち、彼らは必ずそれを感じ、それを知り、ずっと下にいる者たちにまでそれを伝達するようになる。

 179.私はチームを任命しない。私は一人の人を任命し、彼に彼自身のチームを選ばせる。そして詳細を遂行することは、彼の責任とする。

 180.あなたは、あなたの群れの状況や、統計を知るために、あなたのデータや統計によく通じていなければならない! 神の御言葉は、良い羊飼いはその群れの状態を知っている、と語っている。(箴言27:23)そしてあなたは、これらのスタッツを心に留めている必要がある。

 181.もしあなたの導いているのが、ただ一人か、あるいは二人以上の子供を連れた姉妹だけであるとしても、好むと好まざるとに拘わらず、また知っていようと知っていまいとあなたは霊的なリーダーとなっているのである。そしてあなたは、あなた自身の家族を治める方法を学ばなければならない。そうでないなら、決して神のファミリーの治め方を学ぶことはないであろう。

 182.誰か他の者に教えるよりは、あなたか、あなたのお気に入りの少数の者たちで、それをしてしまうことの方が常に容易である。仕事が彼らの手に負えなくなるくらいに大きくなってしまっても、あなたはむしろ、あなたがもうすでに訓練してきた者たち、すなわちあなたの所にいる選ばれた少数の者たちに何カ月も、あるいは何年間もそれに取りくませる方を好むであろう。

 183.信じようと信じまいと、神は私たちに、多くの行動の自由と選択とを与えられる。だからもし可能であれば、私たちも他の人々にそれと同じ事をするように努めるべきだと思う。その方法でする方が、協議もあるいは十分な祈りや同意もなしに、ただ軍勢に命令を下したり、あるいは働き人たちに、強制的にあなたの仕事をさせたりすることよりも、はるかに良い強調を得るようになるし、結局長い目で見れば、遥かに遠くまで行くであろう!

 184.率直なところ、人々は大抵の場合、はしごの一番下から始めて、その間の全ての踏み段を通って、努力を重ねて上に行くべきだと私は信じている。そして私たちが、この手順に従ってこなかったところでは、後になって、経験不足の、訓練が不十分なリーダーシップによって、被害を被っているのである。

 185.モーセが山上で過ごした40日40夜は、彼らの全ての問題を、自分自身で裁こうと努めながら、 自らその王座に座して彼が過ごした、その全ての歳月よりもより多くの問題を解決した。

 186.それが一体何という絶望的な混乱状態であるのか、また自分では決して、その全ての問題を解決することができないということをモーセがついに悟った時、彼は一人で山に登り、二枚の石板を受け取って、それに書き留めることによって、幾世紀にも及ぶ、国民の諸問題の一切を事実上解決してしまった! それらの書き記された律法は、彼らに対して成された幾年にも及ぶ、その全ての無駄話よりももっと役に立ったわけである。

 187.この 「せわしさ」 の霊−−すなわちあなたに対して、余りにも忙しすぎる霊、またあなたの預言者に対して、余りにも忙しすぎる霊−−から、主よ、私たちを救い出したまえ。

 188.もしあなたが、全ての人を見、全てのことを行おうとして、走り回り続けているなら、あなたは困った羽目になる。

 189.あなたは、自己とあなたがしたいと望んでいる事柄の幾つかに対して死に、 「主よ、私は、あなたが私に望んでおられる事柄を行うために、それを誰か他の人に委ねなければならなくなるでしょう!」 と言わなければならない。

 190.私たちはファミリーを牧さなければならない。そして羊飼いの仕事の一部とは、ただ単に羊を養うことだけではなく、羊の毛を刈ることでもあり、また幾つかの場合には、羊の乳を絞ることでもある。羊飼いはまた、明白な管理と監督によって彼らを導き、案内しなければならない。

 191.初代教会にさえ、ビショップ、長老、執事、監督、使徒、預言者、牧者、福音伝道者、教師、すなわち羊を牧さなければならなかったあらゆる種類の役員や、職員がいた。だから私たちは、ただ単にファミリーを養うための資料を出版しなければならないだけではなく、ローカルレベルに至るまで彼らを指導し、監督し、また管理するという責任を請負っている。

 192. 「息子よ、あなたの手にあるそれは何か。それはイエスの御名によって、あなたが愛をもって用いるようにと私があなたに与えている、私の言葉の権威の杖である。」

 193.もしあなたが、何の監督も、何のレポートもないまま、つまり彼らが成し遂げていることに関する何の点検もしないまま、ただ人々を走り回らせているなら、彼らはややもすれば、何も成し遂げない傾向がある。

 194.ピッグズ湾の侵略に関して、ジョン・ケネディがこう言った通りである。「誰の過失であるかは問題ではない。私がボスなのだから、それは私の責任だ!」

 195.私たちは、どうしても仕事を成し終えなければならない。そして私たちはそれをすることのできない、あるいはそれをしようとしない、またそれをしていない人々を私たちのために働かせておくことはできない!

 196.ある人々に対しては、 「これこれの期限までにそれを終わらせなければならない。ただそれだけだ!−−もしそれができないような場合には、誰か他の人にそれをしてもらう!」 と言わなければならない。人々は、締め切り時間と最終通告が必要である。

 197.リーダーであるなら、たとえ何者であっても、立ち上がって無造作に主を見捨てて行くことができる、といったような考えを、つまり主とフェローシップを持ち、主に傾聴し、御言葉を聞き、 自分の家族の残りの者たちとフェローシップを持ち、他の羊たちに対する良い模範を示すこと以上にもっと大切な仕事がある、といったような考えを持つべきではない。

 198.もしあなたが、何らかの公の演説を行うつもりであるならば、前もって細かい検討をしておきなさい。あなたが立ち上がって語る際に、心から溢れることを口が語るように、読み、研究し、思考し、祈り、その主題で完全に満たされなさい。

 199.もしあなたが聴衆の前で話をするようなことがあるなら、自分の主題で心を満たし、メモの事は心配しないで、心からあふれることを語りなさい。そうすれば神があなたを霊感し、導いて下さるであろう。

 200.一つの主題に関する一部始終の陳述を得るためには、全ての人の話をまとめ、全ての人の意見を聞かなければならない。あなたは、他の人の意見に関して寛大でなければならない。

 201.あなたの教訓を常に緩和し、必ずこう言いなさい。 「さてもしかしたら、この中にはあなたにとってうまくいくようになるものは一つもないかもしれません。もしかしたら、あなたの場合には、あるいはあなたの弟子たちやあなたの子供たちの場合には、この内のどれ一つとして当てはまらないかもしれません。でも私にはこのようにしてそれが起こり、まただれそれには、このようにしてそれが起こったのであり、彼らのほとんどの者たちには、このようにしてそれが起こったのです。だから恐らくは、このようにして起こるでしょう。」 独善的な態度から抜け出なさい。柔軟性のない態度から抜け出なさい。 独裁的な態度から抜け出なさい。 体系的で、厳格で、形式的で冷淡な、因習尊重主義から抜け出なさい。あなたは意見の相違や自由を認めなければならない。

 202.しなければならないもっとも重要なことを、まず最初に行いなさい。そして最も重要なこととは、あなたが他の人々を忙しく保ち、彼らに彼らの仕事をさせ続け、当然彼らが行っているべきことを行わせ続けることである。

 203.執事の仕事は、食卓のことに携わることであり、必要を見て取ることである。波を見て、それがどれだけ高いか、またどれだけ深いか、そして嵐がどれだけひどいかを知り、私たちに知らせるのは彼らの仕事である。霊的リーダーとしての私たちの仕事は、私たちの目を主に留め、答えを見つけることである。私たちは、神の使徒、すなわちリーダーであって、自分たちの時間を御言葉と祈りとに捧げて神からの答を受け取っているべき者たちである!

 204.神の御霊によって霊感を受けた、神の一人の男、あるいは女は、現在の世俗的な政治家たちの誰よりも、この世界の国々を管理運営するための、より優れた知恵を持つ事ができる−−そしてそれこそが、いつかその内にあなたがしているようになることなのである!

 205.今世界を管理運営している全ての御偉方たちに主がうんざりされ、また愛想を尽かされる時、主は彼ら全員をゴミ入れの中に放り込み、あなたたちを用いて世界を管理運営させるであろう!

 206.レターにリーダーになってもらいなさい! ローカルエリヤには彼ら自身の裁量運営をさせなさい。彼ら自身の財政、彼ら自身の監督、彼ら自身のリーダーシップ、彼ら自身の政府の責任は彼らに引き受けさせなさい。

 207.ヨブ 9:20 は、自分が間違っているのに、自分が正しいことを証明しようとしているような状況に適応される。それは人々に、ある状況における彼らの行動に関して、道理にかなった謙遜な説明をさせないようにするための口実として用いられるべきではない。

 208.リーダーたちは、当然自分たちが行っている仕事、及び時間やお金や労力や人員の節約の仕方、すなわち手っ取り早い方法で事を行い、削減したり、また幾つかの場合には削除したりする方法を考えているべきである。リーダーは、それが一体どんなものであれ、自分たちの特定の責任の分野において、そういった事柄を行うべきである。

   (No.18,24,25,26,31,38,39,47,48,49,52,

71,75,98,113,124,126,127, 143, 154, 154A, 156C,

161,210,213,233,244,263,297,302B,315A,328C, 329C,337A,354,546,606,653,662,674,675,734,813,

962,974,985,1001,1002,1250,1367,1380,1442,1547も参照。)

 

 

 209.申命記1:17 あなたがたは、裁きをする時、人をかたより見てはならない、小さい者にも大いなる者にも聞かなければならない。人の顔を恐れてはならない。裁きは、神のことだからである。あなたがたで決めるのに難しいことは、わたしの所にもって来なければならない。わたしはそれを聞くであろう。

 210.士師記21:25 そのころイスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところを行った。

 211.サムエル記下23:3,4 イスラエルの神は語られた。イスラエルの岩はわたしに言われた。  「人を治める者は正しい者、神を恐れて治める者でなければならない。彼は、雲のない朝に輝き出る太陽のような、朝の光のようなものとなり、雨の後の光の輝きによって、地から芽生える若草のようになる。

 212.詩篇75:6,7 上げることは東からでなく、西からでなく、また南からでもない。それは裁きを行なわれる神であって、神はこれを下げ、彼を上げられる。

 213.箴言20:28  いつくしみとまこととは、王を守る。その位もまた、いつくしみによって保たれる。

 214.箴言27:23 あなたの羊の状態をよく知り、あなたの群れに心を留めよ。

 215.箴言29:14 もし王が、貧しい者を忠実にさばくならば、その位はいつまでも堅く立つ。

 216.エレミヤ3:15  わたしは、自分の心にかなう牧者たちをあなたがたに与える。彼らは、知識と悟りとをもってあなたがたを養う。

 217.エレミヤ23:4 わたしは、彼らを養う牧者をその上に立てる。彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、かけることもない、と主は言われる。

 218.マタイ20:26,27 あなたがたの間で、偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。

 219.マルコ9:35 そこでイエスは、座って十二弟子を呼び、そして言われた、 「誰でも一番先になろうと思うならば一番後になり、みんなに仕える者とならねばならない」

 220.マルコ10:42-45 そこでイエスは、 彼らを呼び寄せて言われた、  「あなたがたの知っているとおり、 異邦人の支配者と見られている人々はその民を治め、 また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかしあなたがたの間ではそうであってはならない。かえってあなたがたの間で偉くなりたいと思う者は仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子が来たのも仕えられるためではなく仕えるためであり、また多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである。」

 221.ルカ15:4 あなたがたの内に百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

 222.ヨハネ10:4 自分の羊を皆出してしまうと、彼は羊の先頭に立っていく。羊はその声を知っているので彼についていくのである。

 223.ヨハネ10:12 しかし羊飼いではなく、羊が自分のものでもない雇い人は狼が来るのを見ると羊を捨てて逃げ去る。そして狼は、羊を奪い、また追い散らす。

 224.ヨハネ10:14,15 わたしは良い羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊は、またわたしを知っている。それはちょうど父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そしてわたしは、羊のために命を捨てるのである。

 225.ヨハネ21:16b  「わたしを愛するか」 彼はイエスに言った、 「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたが御存知です。」 イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。」

 226.使徒行伝15:36 いく日かの後、パウロはバルナバに言った、 「さあ、前に主の言葉を伝えた、すべての町々にいる兄弟たちをまた訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか。」

 227.使徒行伝20:28 どうかあなたがた自身に気をつけ、またすべての群れに気を配っていただきたい。聖霊は、御子がご自身の内であがないとなられた神の教会を養わせるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。

 228.Tコリント4:10 わたしたちは、キリストの故に愚かな者となり、あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、わたしたちは卑しめられている。

 229.Tコリント6:3 あなたがたは知らないのか。わたしたちは御使をさえ裁く者である。ましてこの世の事件などは言うまでもないではないか。

 230.Uコリント6:3 この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんなことにも人につまずきを与えないようにせよ。

 231.ガラテヤ6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることが分かったなら、霊の人であるあなたがたは柔和な霊をもってその人を正しなさい。それと同時にもしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと反省しなさい。

 232.Tテサロニケ2:7 むしろ、わたしたちはあなたがたの間で、ちょうど乳母がその子供を育てるように優しく振舞った。

 233.Tテサロニケ2:10,11 あなたがたも証しし、神も証しして下さるようにわたしたちは、あなたがた信者の前で清く、正しく、責められるところがないように生活をしたのである。そしてあなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、勧め、慰め、またさとしたのである。

 234.Tテサロニケ5:12,13 兄弟たちよ、あなたがたに勧める、どうかあなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、彼らの働きの故に特に愛し、敬いなさい。互いに平和に過ごしなさい。

 235.Tテモテ3:2-7 さて監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、良く教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、貪欲でなくて人と争わず、忍耐があり、金に淡泊で、自分の家を良く治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。 (自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会をあずかることができようか) 彼はまた信者となってまもない者であってはならない。 そうであると高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかもしれない。さらにまた、教会外の人々にも良く思われている人でなければならない。そうでないとそしりを受け、悪魔の罠にかかるであろう。

 236.Tテモテ5:1 長老をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように話してあげなさい。若い男には、兄弟に対するように。

 237.Tテモテ5:8 もしある人がその親族を、ことに自分の家族を顧みない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上に悪い。

 238.Tテモテ5:17-19 良い指導をしている長老、特に御言葉と教えとのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。聖書は 「穀物をこなしている牛にくつこをかけてはならない」 また 「働き人がその報酬を受けるのは当然である」 と言っている。長老に対する訴訟は、二人か三人の証人がない場合には受理してはならない。 239.Uテモテ2:2 そしてあなたが多くの証人の前で、わたしから聞いたこと、さらに他の者たちにも教えることのできるような忠実な人々に委ねなさい。

 240.Uテモテ2:24 主の僕たる者は争ってはならない。誰に対しても寛容であってよく教え、よく忍びなさい。

 241.Uテモテ4:2b あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、すすめなさい。

 242.テトス1:7-9 監督たる者は、神の家令として責められる点がなく、わがままでもなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、かえって旅人をもてなして、善を愛し、慎み深く、正しく、清く、自制する者であり、教えにかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは彼が健全な教えによって人を悟し、また反対者の誤りを指摘することができるためである。

 243.ヘブル13:7 神の言葉をあなたがたに語った指導者たちのことをいつも思い起こしなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。

 244.ヤコブ3:1 わたしの兄弟たちよ、あながたの内の多くの者は教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりももっと厳しい裁きを受けることがよくわかっているからである。

 245.Tペテロ5:2,3 あなたがたの間にいる神の羊の群れを養いなさい。強いられてするのではなく、自らすすんでなし、恥ずべき利得のためではなく、心から喜んでそれをしなさい。また委ねられた者たちの上に権力を振るうことをしないで、むしろ群れの模範となるべきである。

  (出エジプト19:7,8; ヨシュア1:1-9; 士師記6:11-16; 歴代志下1:6-12; ローマ13:1-7も参照。)