47.裁  き

 

生ける神の御手の内に落ちるのは、恐ろしい事である。(ヘブル10:31)

 

 1.神は、全世界がご自身の子供たちをどのように扱うかに応じて、彼らを裁く。

 2.弱い人間でありながら、万能の神の裁きに疑いをかけるとは、私たちは何者なのか?

 3.これが神の普通のパターンである:  復興、刈り入れ、迫害、逃亡、裁き!

 4.地震は神の立腹を表している! 主は、人々を目覚めさせて祈らせ、神を求めさせるために、悪魔が野放しになるのを許すのである!

 5.神が彼の敵を笑う点にまで達すると、彼らは、終わりに−−彼らの終わりに−−かなり近くなる。そして、神の子供たちと仕事に敵対した者たちはいつも、彼らの終わりに来るのである。

 6.神は、邪悪な者たちを、神ご自身の民を彼らの罪のためにさいなませるための、神の剣と呼ばれる。

 7.歴史を通じて、神の民が聞くことや宣べ伝えることをやめた時には、いつでも、神は語ることと導くことを止められたのだった。

 8.神は、つんぼにも、信じない者にも、また耳を傾けようとしない者にも、語るのがお好きではない。だから、神はただ黙ってしまわれるのである。

 9.神の裁きの歯車は実にゆっくりと回ってすり砕くが、それらは実に細かくすり砕く。

 10.「罪に定められる」 というのは必ずしも地獄に行くという意味ではなく、それは裁きを受けるという意味である!−−罰を受けるのである!

 11.神はしばしば、預言者によって預言した裁きを、それが起こらず、その預言者が馬鹿みたいに見える時まで、神の裁きを遅らせられた。それによって、羊を山羊から、つまり信者を嘲笑者から分けるためである。

 12.私たちが、正しい者たちに対する私たちの仕事を終えるまで、主は邪悪な者たちに対する彼の仕事を真に終わらすことはできない。

 13.私たちは、「世界を止めて下さい。私たちは離れたいのです!」と祈っている。主は、 「離れなさい!−−そうすれば、私はそれを止めるだろう」 と言われる!

 14.私は、神の愛と憐れみと同様に、神の公正さを信じている。私は、誰一人として、その人が耐えられない以上に、あるいはその人が受けて当然である以上に、苦しむのを神が許されるとは思わない。

 15.神は常に、馬鹿で、白痴的で、間抜けで、無知な世界に対してよりも、神ご自身の子供たちをもっと厳しく裁かれる。何故ならご自身の者たちは最も教化され、最も多く真理と福音を聞いており、最も責任を問われるからである。

 16.主よ、ある意味では、あなたは言わば、実際には私たちを待っておられるようなものです! だから、あなたが結末をつけられるように、私たちが仕事を行い、できるだけ早くそれを終わらせるのを助けて下さい。

 17.高い所で、それが恐ろしく動く時、

彗星がもたらすものが8つある:

風、飢饉、疫病、諸々の王への死、

戦争、地震、洪水、そして不吉な変化!

 18.ただ一つの解決策がある:  地球を冒涜し、浪費し、汚染し、破壊する超大国に対する神の裁きである!

 19.神は多少ゆっくりと動かれるが、非常に綿密に動かれる。

 20.神が言葉を使い果たされた時には、気をつけよ。彼はまさに大きな杖を振り降ろすところである。

 21.神が真に速く動かれる唯一の時は、裁きの時である! 彼はうんざりされ、それから断固たる処置を取り、ブーン、彼は大抵の場合、速く、不意にそれを行なわれるのである!

 22.私は、ソ連と共産主義が、邪悪な世界に対する神の裁きであると信じている!

 23.神は、あなたの言葉によって、あなたを裁く! それらはあなたのメッセージであり、あなたのコミュニケーションであり、あなたの考えや確信の表現であり、それらはあなたを救うか呪うか、二つに一つなのである! (マタイ12:36,37)

  24.雨が降らない国には、何か間違ったところがあるに違いない。それは神の祝福の差し押さえのしるしだからである。−−人々に対する神の裁きである!

 25.神の裁きと処罰とは、常に完全に正しく、全く正当であり、究極的な完璧さによって与えられ、常に憐れみによって和らげさえするのである。

 26.神は、愛と憐れみと思いやりと忍耐と救いの神であるだけでなく、彼はまた焼き尽くす炎である! 彼はまた、悔い改めない悪人共に対する、公正さと破壊と滅亡の神もである。

 27.最後に笑う者が一番よく笑う。私たちと私たちのメッセージの拒絶の故に、この罪深い、軽蔑に満ちた、キリストを憎む世代に対して、神がご自身の裁きを積み上げる時、神が最後に笑うようになるのである。

 28.主は、今、私たちを通して霊的に世界を揺るがしておられ、いつか主はそれを実際に行なわれるようになる!

 29.神は常にご自身の子供たちを先に裁かれ、それから向きを変えて、彼らの敵を殺戮するのである! 彼は、ご自身の子供たちを懲らしめるために、彼らの敵を送られるのであり、それから向きを変えて、ご自身の子供たちが十分に懲らしめを受けた後、その敵を懲らしめるのである。

 30.神は、人々に当然受けるべき警告を与えるまでは、彼らに受けて当然の裁きを与えることはできない。あなたには警告があるのだ。もしあなたが警告を与えないなら、あなたは歴史を押しとどめていることになる。何故なら神は、裁きの時を延ばさねばならないからである。

 31.私は、これらの 「自然の災害」 、つまり、それらが単に科学的な原因によって引き起こされたという理論を信じない。それらは、全く適当な場所で、適当な時に、適当な人々に対して、余りにもしばしば起きるからである。もし、何千人もの人々が死ぬなら、彼らは、何かの理由で、裁きか救いに対して熟していたに違いない。

 32.神は、大抵の場合、世や神のない者たちよりも、ご自身の子供たちに対して、もっと厳しく対処され、 物事をもっとわきまえている者たちに対してもっと力強く対処される。

 33.神は、良い人々、最良の人々、真に良い人々に対して、もっと対処される。神は、彼らに対して、もっと厳しく対処され、完全に神のない、反神の、悪人共に対してするよりも、ご自身の子供たちとして、彼らの方をもっと懲らしめるのである。悪人共は神の子たちではなく、神は彼らを気にかけられさえしない。神は彼らを滅ぼす必要はない。彼らは自らを滅ぼすのである。

 34.神が、何かの恐ろしい災害を許される時には、神は、悪人たちを懲らしめておられるか、正しい者たちを、この邪悪な生活から解放しておられるか、あるいはその両方である。ある者たちには懲らしめとして、またある者たちには、報酬として。それは、良くても悪くても報いなのである。

 35.善人さえ、悪人に対して腕力や暴力を使わなければならない時が訪れる。それは聖書の時代を通じて確かに明確なことである。何故なら、腕力と暴力というのは、悪人が理解できるほとんど唯一のものだからである。

 36.もし最悪の事態になり、あなたの両親があなたを悩ますのを止めさせるために神に向かって、彼らを呪って下さいと求めるしか彼らを止める方法が他にないなら、そうしなくてはならないだろう。

 37.人々の偽りの保護や偽りの富が剥ぎ取られ、神以外には何処にも隠れるところがなくなる最後の裁きの日々において、私たちの内、ある者たちは多くの者たちを義に導くことを望んで邪悪な世界に対する最後の証人となるために生き残らなければならない! これらの者たちに対して、私たちは救いの使者となるが、他の者たちに対しては、神の呪いの使者となり、何故彼らが裁かれているのか、私たちは彼らにそう告げたのであり、ずっと以前にそのことを彼らに警告したということを、彼らに思い起こすことができるだけなのである。

   ( No. 120,160,162,188,269,278,280,283,295,577,610,612,

613,798,801,955,959,1191,1192,1193,1194,1195も参照。)

 

 

 38.サムエル記上26:9b 誰が、主の油注がれた者に向かって手を伸べ、罪ありとされない者があろうか。

 39.詩篇7:11 神は義なる者たちを裁かれ、日ごとに悪しき者に向かって憤りを起こされる。

 40.エレミヤ51:20,21 おまえはわたしの戦斧 (せんぷ) であり、戦いの武器である。わたしはおまえをもってすべての国を砕き、おまえをもって万国を滅ぼすからである。おまえをもってわたしは馬とその騎手とを砕き、おまえをもって戦車とそれに乗るものとを砕く。

 41.マタイ10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである。

 42.ヨハネ3:18 彼を信じる者は裁かれない。信じない者は、すでに裁かれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

 43.ヨハネ12:47 たといわたしの言うことを聞いて、 それを信じない人があっても、わたしはその人を裁かない。わたしが来たのはこの世を裁くためではなく、この世を救うためである。

 44.使徒行伝17:31 神は、義をもってこの世界を裁くため、その日を定め、お選びになった方によってそれを成し遂げようとされている。すなわち、この方を死人の中から甦らせ、その確証をすべての人に示されたのである。

 45.Tコリント5:5 彼の肉が滅ぼされても、その霊が主イエスの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。

 46.ヘブル9:27 そして一度だけ死ぬことと、死んだ後裁きを受けることが人間に定まっている。

 47.ヘブル10:31 生ける神の御手の内におちるのは、恐ろしいことである。

 48.黙示録20:12 また死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。数々の書物が開かれたが、もうひとつの書物が開かれた。これは命の書であった。死人は、その仕業に応じ、この書物に書かれていることにしたがって裁かれた。

  (申命記21:18-21; 申命記28:14-68; イザヤ1:5-7も参照。)