4.背教者と放蕩者

 

  心のもとれる者は、そのしわざの実を刈り取り。(箴言14:14)

 

 1.背教者には、勝ち目がない。何故なら彼らは、神を捨てたからである!−−彼らは完全に悪魔の領地にいるので、悪魔は自分の好きなだけ攻撃することができ、また神の憐れみが、彼らをそのようなことから救出してくださることができたことでも、悪魔は彼らが受けるのに値する事柄を与える事ができるのである。

 2.ヨナを船に乗せてはいけない。そうでないとあなたは沈んでしまう。

 3.後ろを振り返る時、あなたは後ろに戻って行く! あなたは、自分の見ている方向に行く!

 4.背教者は、あなたの迷える羊である。彼らは放蕩息子であり、神はなお彼らのことを愛しておられる。

 5.もしあなたが、一つの小さな事を主から差し控えるなら、あなたは背教しはじめる。

 6.人々の引き起こす害というのは、内部でよりも外部でのほうが少ない。

 7.神は、人々の背を見るのを嫌われる!

 8.ユダは、主を裏切る事を期待したことも、あるいは意図したことも決してなかった。ユダはただ、おじけづいて尻ごみし、戻って行って、誤った群衆と交わってしまっただけなのである!

 9.何処か戻れる場所があるんだ、という考えが少しでもある限り、戻ったほうが良い!

 10.放蕩息子は、自分の長子の権と相続財産を失ったが、息子としての地位を完全に失ったわけではなかった。

 11.神の進歩の法則とは:  もしあなたがより多くのものを得続けていないなら、自分の持っているものまで失う!−−もしあなたが前進していないなら、後退している!

 12.問題を持った人を内部に置いておく事は、外にいる敵よりも、大きな脅威となり得る。

 13.背教者が一人で背教することは減多にない!−−背教者はほとんどいつも他の人を一緒に連れて行く!

 14.背教者は、まさにあなたの最悪の敵になり得、またあなたの大義に対する最も極悪非道の反逆者となる!

 15.一度羽根を折られた小鳥は、神の恵みによって前よりももっと高く飛ぶことができる。

 16.私が見たことのあるうちで、最悪のことが身の上に起こった人々とは、主から去った人々、すなわち背教者である!

 17.静止しているということはない! あなたは進歩を遂げ、それを示すための成果を持っているか、それとも後退して忘れられてしまうかのどちらかである。

 18.以前友人であった者ほど、悪い敵はない!

 19.少しのパン種が、粉の固まり全体をふくらませる。だからパリサイ人のパン種に気をつけなさい! 一個の腐ったリンゴは、そのまま放っておくと樽一杯のリンゴ全部を駄目にする事もある。また壊疽 (えそ) にかかった一つの部分は、いやされるか、切り落とさないなら、体全体を殺し得る!

 20.偽りの友人を持つよりも、あからさまな敵を持っているほうが良い。

 21.あなたが一旦真理を知ってそれを拒絶するなら、あなたはただ弱いだけではなく、あなたは罪ある者となる−−あなたは、もはや無実な弱い兄弟ではなく、罪ある弱い兄弟である。

 22.あなたが何故やり遂げられなかったか、また何故あなたはやり遂げることを期待されるべきではなかったか、筋道を立て、倫理にかなった、正当な、許容しえる口実を作ることはとても容易である。そしてほとんどの場合、ほとんどの人々があなたの口実を受け入れるであろう。何故ならほとんどの人々も信仰を持っていないからである。そしてあなたを見逃すことで、彼らは自分自身をも見逃しているのである。

 23.もしあなたが神の道を行き始めさえするなら、もしあなたが向きを変え神の方に向かい、家に帰る道を見つけようとし始めさえするなら、父は走ってあなたの所に来て、ご自分の腕の中にあなたを迎え入れて下さる。

 24.私は、内部にいるなだめられた敵を持つよりは、むしろ外にいる危険な敵と戦いたい。

 25.あなた自身の弱さや欠点や失敗を通して、じわじわ入り込んで来る一人の小悪魔よりも、外にいる何人もの小悪魔どもと戦うほうが容易である。小悪魔は、外でどえらい害を与えることができるが、内部のほうがもっとどえらい害を与えることができる!

 26.残念なことには、神の御心をみつけだす最も早い方法は、神の御心からはずれることである。

 27.背教し始めると、止まるところはない!

 28.一旦誤った方向に行き始めると、止まる場所はない。

 29.あなたが背教者にどれだけ多くのものを与えても、彼らはいつもつぶやく。

 30.それはアキレス腱のようなものである:  弱さはいつもそこにあるのだが、そこに圧力をかけるまでは決して分からないのである!

 31.私は、 成功した背教者というものをまだ一度も聞いたことはない。聞いたことがあるか?

 32.背教者が、一人で背教したいと思うことは決してない。

 33.二心と、二つの考えを持つ者は、絶えず優柔不断の状態にある!

 34.人々が神を見捨てる時、神も彼らを見捨てられる。

 35.一個の悪いリンゴは、樽一杯のリンゴを腐らせる事ができる!悪いリンゴが、他のリンゴを腐らせてしまうよりは、リンゴが全くないほうがましである。

 36.背教者: 炎から救われたが、恥からは救われない。

 37.主よ、私たちが後ろを振り向くことさえしないように、ましてや戻って行かないように助けて下さい!

 38.自分の行っている方向を見なさい。そうでないと自分が見ている方向に行くことになる!

 39.背信者、スパイ、信頼できない裏切り者は、私たちと一緒に住むよりも、私たちの中から出たほうがいい!

 40.私たちの最悪の敵は、私たちの仲間内から出る者たちである。

 41.サウルの問題とは、彼はいつも済まないと思ったのだが、決して変わらなかったことである。サウルは心から悔い改めなかった。彼は、正しい理由のために後悔したのではなかった。彼は、それが深刻な愚かな間違いであり、それが見つかってしまったので、ただ後悔したのである。彼は、その原因を矯正しなかったし、思考や心の明確な変化は一度も起こらなかったのである。真の悔い改めとは、方向の完全な転換である!

 42.あなたの短所が長所よりも多くなると、それはあなたの有用さと実力を滅ぼしてしまう。

 43.以前の自分の体制の家や、愛する者たちのことを考えても、無難にやってのけると考えてはいけない! 神のために全てを放棄せず、全てを捨てることをしていない家族と親しい通信を保つことさえ危険なことである。ただ彼らが、神の仕事に対する危険とならないようにし、なだめておくためぐらいの通信を行うなら別であるが。そのことについては気をつけなさい!−−彼らにぶつけなさい。神の御心を告げなさい。そしてもし彼らが従わないなら、自分の力や時間を無駄にし続けることをやめなさい! そして自分の持っている真珠を豚に投げることをやめなさい!

 44.もし戻るなら、あなたは長子の権を失い、相続権を失い、祝福を失い、喜びを失い、救われているならの話しであるが、救い以外の全てのものを失うのである。それでも私は、誰でも正真正銘の救われている者が永久に戻ってしまうことができるなんて信じていない。早かれ遅かれそういった者たちは、主と主の奉仕に戻って来ると、私は信じている。神がつまずきの石となることを止めるために、彼らを殺され取り除かれるなら別であるが。

 45.愛する者よ、あなたは一人で帰れないのだ。戻って行く全ての者が、他の誰かに影響を与えるのであり、誰かを失望させたり、誰かの希望を失わせたり、誰かの人生に悪影響を及ぼすようになる。

 46.かつてそうだったし、今もそうである私たちの最大の敵とは、かつては私たちの一人であった者である。彼らは、悪魔の最善の道具になる。そういった者たちは悪魔の証人としては理想的な存在となる。彼らは私たちのなかにいたが、私たちに属してはいなかったのであり、それが理由で彼らは戻って行ったのである。

 47.立ち去ることなど決して考えられないほど、あなたは御言葉、主の仕事と、主の愛と、ファミリーのなかにとても深く住んでいるだろうか? あなたは悪魔の疑いや、嘘や、誘惑を聞いたり、じっくり考える時間がないほど主のためにとても忙しくしているだろうか?

 48.神があなたを祝福され、またサタン自身を誤り導いてしまった同じ誘惑、すなわち自尊心、嫉妬、貪欲、所有欲にあなたがおちこまないように、守ってくださるように。

 49.これらのサウルたち、失敗者たち、神の期待にそわなかった者たちは、とても悲しく、とても惨めである! 彼らは、私を悲嘆に暮れさせるのと同じように、実に神を悲嘆な気持ちにさせるに違いない。

 50.あなたは色々なことで不平を並べたて、批判し、つぶやき、くどくど苦情を言い続けながら、自分の仕事のために神の聖霊を保っておくことはできない。サウルのように、聖霊は彼を離れたが、彼はひどく頑なで冷たかったので、聖霊が離れたことさえ分からなかった! 彼は、自分がそれを失った事も知らなかった。考えてもみよ!

 51.反逆者、裏切り者、背教者というのは、世界で一番惨めな人間である! 彼らは、もはや自分自身にも耐えられない。ましてやファミリー、あるいは体制などなおさらである。

 52.ほとんど全ての背教者は、自分が正しいと確信している。彼らは、真理をとても長い間拒絶し、抵抗していて、自分自身の嘘でさえ信じるほども、徹底的にだまされ、欺かれている!

 53.あなたが、神とのフェローシップから離れていて、不従順である時、あなたは反対方向に走って、できる限り主と主の民から遠く離れていたいと望む。ただ彼らを見るだけで良心の呵責を感じるからである。

 54. 「私は、主を裏切るつもりはない。私はファミリーを裏切るつもりはない。」 というのは、全ての背教者、私が今まで聞いたことのあるほとんど全ての背教者の言うことなのである。

 55.後を振り向く人々のことを、神が、どれだけ忌み嫌われることか! 主はクリスチャン、または主ご自身の子供たちが妥協し、後ろを振り向き、なまぬるで、優柔不断の二心になることよりも、はなはだしく恐ろしいあからさまな罪のほうがもっと容易に耐えることができられるくらいである! 主は、そういった者たちに我慢できられない!

 56.背教とは、たいてい突然の、最後の瞬間の決断で起こるものではない。それは背教者がずっと長い間熟考していたことである。

 57.多くの背教者は、あまりにも早くあきらめてしまったのである。主が、彼らに冠を授けようとされる直前に、彼らは落第してしまったのである。神の故に、あなたがほとんど勝利をつかみそうな時に、また主があなたに報いを、あなたに塗油と冠とを与えようとされる時に落第しないように私は望んでいる! あなたがしくじらないように私は望んでいる!

 58.私は、象のしっぽをつかんで、象をひきずることができるのと同じくらいの信頼感しか背信者に対しては持っていない。

 59.聖書の中で最も悲しい節の一つは、「デマスはこの世を愛し、私を捨て」 であると思う。さあそれを直視しよう。だからこそ背教者は去って行ったのである。すなわち彼らは、主の仕事や主のファミリーよりも、何かをもっと愛しているからである−−本当に主以上に何かを愛しているのである。

 60.サウルのことでも、ユダのことでも、またどんな背教者のことでも、私に最もショックを与えることとは、彼らの神に対する恐れの欠如である。

 61.誰も裏切り者を愛しはしない! 体制はあなたをおびき出し、しばらくの間あなたを賞賛さえしてくれ、汚い仕事をするのに銀貨30枚支払ってくれるだろう。しかしその仕事が終わると、体制はあなたの顔につばを吐き、あなたとそれ以上何の関係も絶対に持たないであろう!誰が裏切り者を信用するだろうか? 

 62.私がそのような悪い状態になり、自分が誤った場所にいると悟る時はいつでも、素早く悔い改めるのである! そしてできるかぎり早く、神の御心に走り戻ったのである! そしてそれが文字通り、私を命拾いさせてくれた唯一のものだと思う。 「しばしばしかられても、なおかたくなな者は、たちまち打ち敗られて助かることはない!」

 63.あなたが神を失望させ、後戻りし、主に逆らって進むなら、何もかもうまくいかなくなる。それはハムレットの言った事を思い出させてくれる。 「悩みが起こる時は、束になってやってくる!」

 64.ある人々の忠誠心のことはあまり心配しなくてもよい、と私は堅く確信している。もし彼らがあなたのことを愛し、あなたに忠誠を尽くすなら、彼らは他の誰の言うことも聞かないで、あなたの言うことに耳を傾けるであろう。イエスがそう言われた! イエスは、 「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。他の人にはついて行かない!」と言われた。

 65.神はダビデ王を罰せられ、しばらくの間おしおきされた。しかしそれからダビテ王を連れ戻されたのである。そして神に感謝することに、ダビデ王の終わりは初めよりも偉大であった! 彼が後悔し、謙遜になって自分の罪を告白したからである−−だからその結果として、あの美しい詩篇51篇があるのである。

 66.聖書の中に、悔い改めた例が少しはあることを、神に感謝しよう。たとえばダビデと他の幾人かのように。そのような人々は大きな間違いを犯したが、大きな悔い改めもあったのである。−−だから彼らには、大きな許しが与えられたのである。PTL!

 67.敵が提供している人生を生きることは、苦悩と死と、また死ぬ価値もないもののために耐えず死ぬこと以外の何もない!

 68. 「あなたが愛した意見を持つ者があなたを滅ぼし、あなたが最も偏愛し、誉れをあなたに与えた獣が、あなたを食い尽くすだろう。ああ、背教の娘よ、どうして私に戻らないのか? どうしてあなたの霊的姦淫を悔い改めないのか?」

 69.もし誰かが、持ちたい何かのために、主の前に置いた何か他の神のために、主と主の仕事を捨てるなら、神はその人にうんざりされ、愛想をつかされ、大抵ほとんどどんな事にもそのような人を使われず、全く祝福されないのである。だから彼らは、体制に戻って行って、この世と悪魔のところに戻り、主の代わりに拝んだ神を扶養するために生活費を稼ぐのである。

 70.聖句や教会の歴史において、素晴しく大きな悔い改めがあったが故に、大きな許しを与えられたという背教者の顕著な例が幾つかあった!−−だが大抵同時に大きな罰も与えられたのである。

 71.背教者は、問題を起こす者以外の何者でもない! 彼は、自分自身を悪魔に引き渡してしまっている。彼は、悪魔に譲渡しているのであり、神の道を行く代わりに悪魔の道を歩んでいるのである。だから彼をそばに置いておくのは危険である!

 72.人々が主に対して失敗し、私たちに対して失敗する時、彼らは明らかにそれがどんな大きな失敗か、それがどんなにひどいものか、自分たちがどれだけ遠くまで後退しているか、全然分からないのである! 73.誰でも主のための仕事の上に、自分の家族を選ぶ者は背教者である!

 74.背教者は、神に吐き気を催させるので、神はそれを吐いてしまわれるのである!−−背教者は神のへどである!

 75.神が私たちに憐れみを持たれ、私たちを背教者から守って下さるように! 背教者は、全ての者の内で最悪の敵であり、神の仕事に対する最悪の不名誉であり、考えうる最悪のテスティモニーである!

 76.もしあなたが主との接触からはずれたなら、あなたが接触することのできる相手は他にひとりしかいない。それは悪魔である!

 77.誰でもやり遂げられる。その人次第である。もしあなたがやり遂げられないなら、それは神の責任ではない。

 78.あなたはどんどん良くなっているか、悪くなっているかのどちらかである! 静止の状態というようなものはあり得ない! あなたは前進しているか、後退しているかのいずれかであり、二つに一つである!

 79.人々が自分の道を行きたくなり、いずれにせよ、どうしてもそれに向かっていて、自分でそれをすると言い張る時、あなたはただ、彼らがそれをするがままにしておかなければならないことがある,

  (No.71,140,312,313C,383,395,641,

756,759,763,772,778,830,880,952, 954, 967,1014,1040,1045,1049,1056,1058,1089,

1202,1651,1652,1653も参照。)

 

 

  80.創世記19:26 しかしロトの妻は、うしろを顧みたので塩の柱になった。

 81.申命記28:63 さきに主があなたがたを良くあしらい、あなたがたを多くするのを喜ばれたように、主は今あなたがたを滅ぼし絶やすのを喜ばれるであろう。あなたがたは、はいって取る地から抜き去られるであろう。

 82.ヨショア記24:20 もしあなたがたが主を捨てて、異なる神々に仕えるならば、あなたがたにさいわいを下された後にも、ひるがえってあなたがたに災いを下し、あなたがたを滅ぼし尽くされるであろう。

 83.歴代志下30:9 もしあなたがたが主に立ち返るならば、あなたがたの兄弟および子供は、これを捕らえていった者の前に憐れみを得て、この国に帰ることができるでしょう。あなたがたの神、主は恵みあり、憐れみある方であられるゆえ、あなたがたが彼に立ち返るならば、顔をあなたがたに背けられることはありません。

 84.エズラ記8:22b われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上に優しく下り、その威力と怒りとは、すべて神を捨てる者の上に下る。

 85.ヨブ14:7 木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。

 86.ヨブ34:26 彼は人々の見る所で、彼らをその悪のために撃たれる。

 87.詩篇37:31 その心には神のおきてがあり、その歩みはすべることがない。

 88.詩篇44:20,21 われらが、もしわれらの神の名を忘れ、ほかの神に手を伸べたことがあったならば、神はこれを見、あらわされないでしょうか。神は心の秘密を知っておられるからです。

 89.詩篇51:3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。

 96.伝道の書7:10 「昔が今よりも良かったのは何故か」 と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。

 97.イザヤ30:1,2 主は言われる、 「そむける子らはわざわいだ。彼らは計りごとをおこなうけれども、わたしによってではない。彼らは同盟を結ぶけれども、わが霊によってではない。罪に罪を加えるためだ。彼らはわが言葉を求めず、エジプトへ下って行って、パロの保護に頼り、エジプトの陰に隠れようとする! 

 98.イザヤ54:7,8  「わたしは、ほんのしばらくの間あなたを捨てたけれども、 大いなる憐れみをもってあなたを集める。あふれる憤りをもって、しばしわが顔を隠したけれども、とこしえのいつくしみをもって、あなたをあわれむ」 と、あなたをあがなわれる主は言われる。

 99.エレミヤ書5:6 それゆえ林から、ししが出てきて彼らを殺し、荒野からおおかみが出てきて彼らを滅ぼす。ひょうは、彼らの町々をねらっている。そこから出る者はみな裂かれる。彼らの罪が多く、その背信がはなはだしいからである。

 100.エレミヤ書7:24 しかし彼らは聞き従わず、耳を傾けず、自分の悪い心の計り事と強情に従って歩み、悪くなるばかりで良くはならなかった。

 101.エレミヤ書15:6 主は言われる、あなたはわたしを捨てた。そしてますます退いて行く。それゆえわたしは、手を伸べてあなたを滅ぼした。わたしは憐れむことに飽きた。

 102.エレミヤ書24:7 わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは、一心にわたしのもとに帰ってくる。

 103.ダニエル書9:9 憐れみと許しは、われわれの神、主のものです。これはわれわれが彼に背いたからです。

 104.ホセア書4:17 エフライムは偶像に結びつらなった。そのなすにまかせよ。

 105.ホセア書6:1 さあわたしたちは、主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んで下さるからだ。

 106.ホセア書14:4 わたしは彼らの背きをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである。

 107.ヨエル書2:12,13 主は言われる、「今からでも、あなたがたは心を尽くし断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」 あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、憐れみあり、怒ることがおそく、いつくしみ豊かで、災いを思い返されるからである。

 108.マタイ5:13 あなたがたは地の塩である。もし塩の効き目がなくなったら、何によってその味がとり戻されようか。もはや何の役にもたたず、ただ外に捨てられ、人々に踏み付けられるだけである。

 109.マタイ13:22 またいばらの中にまかれたものとは、御言葉を聞くが世の心づかいと富の惑わしとが御言葉をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。

 110.ルカ8:13 岩の上に落ちたのは、御言葉を聞いた時には喜んで受け入れるが根がないので、しばらくは信じていても、試練の時が来ると信仰を捨てる人たちのことである。

 111.ルカ9:62 イエスは言われた、 「手をすきにかけてからうしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」

 112.ルカ15:32  しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに行き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである。

 113.ルカ17:32  ロトの妻のことを思い出しなさい。

 114.ヨハネ6:66,67 それ以来、多くの弟子たちは去って行って、もはやイエスと行動を共にしなかった。そこでイエスは12弟子に言われた、 「あなたがたも去ろうとするのか?」

 115.ヨハネ15:6 人が私につながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて焼いてしまうのである。

 116.ガラテヤ4:9 しかし今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力で、貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか?

 117.ガラテヤ5:7 あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして真理にそむかせたのか?

 118.エペソ4:18,19 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神の命から遠く離れ、自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身を委ねている。

 119.Uテモテ4:10a デマスはこの世を愛し、わたしを捨てて‥

 120.ヘブル3:12,13 兄弟たちよ、気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは不信仰な悪い心を抱いて、生ける神から離れさる者があるかもしれない。あなたがたの中に罪の惑わしに陥って、心を頑なにする者がないように、 「今日」 といううちに、日々互いに励ましあいなさい。

 121.ヘブル5:11 このことについては言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳がにぶくなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。

 122.ヘブル6:4-6 一旦光を受けて、天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また神の良き御言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちがそののち堕落した場合には、またもや神の御子を自ら十字架につけてさらしものにするわけであるから、再び悔い改めに立ち返ることは不可能である。

 123.ヘブル10:26,27 もしわたしたちが、真理の知識をうけたのちにもなおことさらに罪を犯し続けるなら、罪のためのいけにえはもはやありえない。ただ裁きと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火とを恐れつつ待つ事だけがある。

 124.ヘブル11:14,15 そう言い表すことによって、彼らが故郷を求めていることを示している。もしその出てきたところのことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

 125.Uペテロ2:20-22 彼らが、主また救い主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れから逃れたあと、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は、初めよりももっと悪くなる。義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めに背くよりは、むしろ義の道を知らなかったほうがよい。ことわざに 「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われてもまた泥の中に転がっていく」 とあるが、彼らの身に起こったことはそのとおりである。

 126.Uペテロ3:17 愛する者たちよ。それだからあなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがたの確信を失うことのないように心がけなさい。

 127.Tヨハネ2:19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし出て行ったのは、元来、彼らが皆、わたしたちに属さない者であることが明らかにされるためである。

 128.ユダ4:5 そのわけは、不信仰な人々が忍び込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らはこのような裁きを受けることに、昔から予告されているのである。あなたがたは皆十分に知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出してのち、不信仰な者を滅ぼされたことを思い起こしてもらいたい。

 129.黙示録2:4,5 しかしあなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこであなたは、どこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もしそうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところに来て、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

   (申命記8:11-14; 申命記13:4-11; 申命記30:1-10; 申命記32; ヨブ22:23-30;  ゼカリヤ10:6; マラキ3:7; マタイ4:7-19; ルカ15:11-27; Iコリント10:1-13; ヘブル6:4-8; ヘブル10:26-29,38も参照。)