35.神の道対人間の道

 

  わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道はあなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ55:8,9)

 

 1.この一団を神に動かしてもらう限り、負けているように見えていても、私たちは必ず勝つ運命にある! もしあなたか、私がそれを動かそうとするなら、勝っているように見えていても、私たちは必ず負ける運命にある!

 2.主のご計画よりも優れたものはない! (あなたは、主が作られたゲームにおいて主を打ち負かすことはできない!)

 3.人間は、私たちの滅亡のために空しく物を作る。しかし神は、私たちの益のために物を創造される。

 4.世は、何でも理解できないことは気違いじみていると言う!−−ただ神や愛を理解できないというだけで、神や愛を信じるのは気違いじみているのか?

 5.国際的危機が起こる前に、悪人と義人との間の分裂はもっともっとはっきりしてくる。義人は、それがもうすぐ起こることを見て、もっと良くなり、悪人はそれがもうすぐ起こることを見ないので、もっと悪くなる! 悪人は、もっともっと悪くなり、義人はもっともっと良くなる!

 6.誰もが何かのための愚か者なのである−−私たちがキリストのための愚か者となれることを神に感謝しよう! (Tコリント4:10)

 7.もしあなたが、主のくびきは負いにくく、あるいはまた主の仕事がきついと思うなら、イエスはこう言われた、 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」 と!−−つまり、背く者の道と比べるなら、という意味であり、それこそが本当にきついのである! (マタイ11:30) 8.世界はひどい混乱状態の中にある。しかしすべてのものは、私たちにとって美しい!

 9.神がその時どの側におられようが、私たちは神の側にだけつくのである‥‥それは、どんな論点においても正しい側である。

 10.  とても迅速にさびゆく、

この世の空しい富を切望してはならない。

そうではなくて、決して過ぎ去ることのない、

天の宝を得ることを求めなさい。

 11.私たちが理解できるほどの宗教というのは、私たちの必要を満たしてくれるほどの宗教ではない。

 12.最初の園を造ったのは神、最初の都市を造ったのはカイン。

 13.神の御心だと確信がない限り、私たちは、自分たちの目に良く見え、道理が通っていると見えるような事や、自分たちがすべきだと考えるような常識的なことすらできないのである! 私たちは、危険な仕事についている。だから私たちは、サウルがしたように肉の腕や、当たり前の理由づけをただ当てにするのではなくて、主に近くとどまり、主に従い、必ずそれが神の御心である事を確かめなくてはならないのである。

 14.困難なことは、即座に終えることができる; 不可能なことは、もう少し長くかかるのである。

 15.もしあなたが、イエスから離れているなら、あなたは基準から外れている!

 16.幸福であることが狂気である、と思われる世界では、

狂気とは形を変えた知恵にすぎない!

正気が悲痛と思われる世界では、

賢いことは愚かなことだ!

 17.神が負けることは決してない−−結局神は、どうにかしていつも勝たれる!

 18.もし愚かでいることが喜びならば

賢くなることは全くつまらない!

もし正気でいることが悲しいことなら、

それは、私の頭をひっくり返してしまう!

 19.あなたが愛と、主と、人生の真の価値について語る時、人々は、他の全てのものがいかに価値のないものか、悟り始めるのである。

 20.神がルールを作られた。だからもし神がそれを望まれるなら、またもしそうした方がご自分の目的に適するなら、それを破ることがお出来になる。

 21.あなたは、この世のリストの中では一番下であるかもしれないが、神のリストの中では一番上であることは間違いない。

 22.主が多数決を支持されたことは一度もない。何故なら大多数の人々は悪魔の人々であり、サタンに従っていて、いつも誤っているからだ!

 23.神は、民主主義を全然支持しておられない!−−何故なら義人は、いつも少数だからである。

 24.神は、大多数の悪人に対する、義人の少数派の統治にいつも味方される。

 25.神の目には、最も小さいものが最も大きいのである。(ルカ16:15)

 26.人目を引き、美しいものがいつも良いとは言えないが、良いものはいつも美しい。

 27.神を型にはめ込んで、神はいつも同じ方法を使わなければならないのだ、と言ってはならない。

 28.妥当な方法などくそっくらえ!‥‥妥当な方法は、人間から出たものである!

 29.予期せず、妥当でないこと、因習にとらわれず、伝統的でないこと、正当でなく、形式ばらないこと、人間の自然の期待に反すること、大抵このような方法で神は働かれる。

 30.私たちが、神はこうすべきだと考えることと全く逆の方法で、神は物事を成されるのを非常に好まれる!

 31.時々、神の上への道は下がることである−−実のところ、大抵そうなのである!

 32.人間は、永遠に存続すると考えている自分のわざを自慢するが、その終わりはいつも同じなのである−−すなわちそれはまた、忘却の墓であり、神なしで自分自身を永遠化しようとする人間の弱々しい努力に対する、人間のつかの間の寿命をとほうもなく思い起こさせるものである!

 33.当然の期待に沿ってあなたの取った選択が、神に関する限り間違ったものなら、神はあなたの考えを変え、あなたのコースを変え、あなたの標的を変え、神が最善と知っておられることに応じて、あなたのゴールを変えることができるのである。結局、神だけが知っておられるからである!

 34.「あなたが、光と呼ぶこの地 (合衆国) を、私は暗闇と呼ぶ!」

 35.主にとって自然で、普通で、全く合法であることが、しばしば体制にとっては違法であることがよくある。

 36.最も筋の通ったことが、いつも神の道だとは言えない。神は当然の期待とは反して並外れた事、超自然的な事、奇跡的なことを行なわれるからである。

 37.神は間違いを犯されない。たとえそれが、私たちには間違いのように見えても。

 38.神は、敗北のように見えるものの中から、ご自分の最大の勝利の幾つかを収められる!

 39.悪魔は、本当に世界を洗脳してしまっている! 世界は、悪魔のたぐいの義、すなわちこの世が義と考えるものを本当に信じるような状態にまで、悪魔によって洗脳されてしまっている。そのような義は、義に関する神の考えとは全く正反対である。

 40.世界を変えた人たちを変えたものは何か?−−彼らが谷間で教えられていたこととは完全に正反対のことを教える神の声を聞いた時!

 41.正しい答えは、私たちの自然な思いと全く逆であるかもしれない。

 42.ある人々は、神が彼らを地獄に落ちるのを止めようとして、あらゆる手を尽くしておられるにもかかわらず、それと戦って地獄に下ろうとしている! しかし私たちは、悪魔が私たちを止めようとして、あらゆる手を尽くしているにもかかわらず、天国へ向かって、シュッシュッポッポッと進んでいるのである!

 43.私たちにとっての乱雑状態は、時々神にとって、組織化された状態であることがある!

 44.私たちはいつの日か、霊の世界に行ったら、世界の基準と神の基準との違いに、即ち神が悪と考えられるものと、悪魔が世界に悪と呼ぶように教えたものとの違いに、おそらくビックリすることであろう。

 45.たとえ私たちが、自分のしていることが分からなくとも、神はご自分のなさっていることを御存知である!

 46.善良さについての神のお考えというのは、神聖さなのである。−−すなわち自分には神が必要だと知っている罪人である。

 47.主は、あなたが使えるとは思えないようなものを、いつもどうにかして使われる−−そしてそれには、あなたと私も含まれている!

 48.神は、当然の期待に反したことを行うのを本当に好まれる。何故ならそれには奇跡が必要であり、また神が成されたことであって、人間がしたことではないということを示すからである。

 49.神の上への道は下がることである!−−自己と自己正義の敗北の内に下がり、十字架の勝利と、他の人々のために自己に死ぬことの内に上がるのである!

 50.もしあなたが、人間の称賛を重んじるなら、それが通り過ぎている内に素早く捕まえたほうが良いだろう。何故ならそれは、すぐになくなるからである! 神だけが覚えていてくださる!

 51.自分の目から見て、もっと魅力あるものにしようと、あなたが行う 「改善」 が、オリジナルの構造を弱めてしまわないように気をつけよ。

 52.誰もが誰かの愚か者である!−−私たちは、キリストのための愚か者である!−−あなたは誰の愚か者であるか?

 53.これは民主主義ではなく独裁主義である! 私たちは悪魔のための自由、また彼の偽りと彼の教義を説く自由を許さない!

 54.事を計るは人、事をなすは神。

 55.奇跡を生み出すには、不可能な状況を要する!

 56.この世は、見ることは信じることだと言う。しかし私たちは、信じることは見ることだと知っている。

 57.体制ではなく、神が私たちの防御である。

 58.私たちには、神以外の何もない。しかし淫婦のような体制の背に乗り、また間も無く滅ぼされてしまう教会のように妥協し、体制に応じるが故に恩典やそのごちそうや引き立てを刈り取ろうとするよりも、神と一緒の方がずっと遠くまで行くであろう。(黙示録17章と18章)

 59.場所崇拝は人間崇拝であり−−物崇拝であり−−宮崇拝である‥‥そしてそれは今、神が忌み嫌われるものである!

 60.神の子供たちは、主によって洗脳されている。悪魔の子供たちは体制によって汚脳されている。

 61.非常に勇気ある偶像破壊者が、自分たち同士で比較することによって、自分たち自身を正しいとするような、誤りだらけの大衆が受け入れ、使っている偶像や、また常識的な心理行動といわれるものをあえて指摘し、打ち壊そうとするなら−−もし精神や肉体や科学の分野において、ある勇敢な開拓者が正常とされる社会の、この非常に膨大な、うるさい大衆に何か誤ったところがあるなどと向こう見ずに指摘などするなら、彼は即座に気の狂った者としてあざけられ、精神錯乱者として攻撃され、離反者として迫害され、さらに犯罪者としてさえ宣告され、異端者としてさらし者にされ、社会を脅かす者として苦しめられるのである。

 62.私たちは、今日の極端主義者であるが、私たちは体制がしくじったところでは、極端に成功を遂げている! 私たちは、今日のどうしようもない民であるが、体制の完全な失敗にもかかわらず、若者たちの人生に奇跡を生み出しているのである!

 63.私たちが完全と呼ぶものと、神が完全と呼ばれるものは、二つの異なったものになり得る。神は、殺人を犯した男を選んで、使徒パウロを造られた。神は、町でもっとも人気のある売春婦を選んで、主のお気に入りの弟子の一人とされた。だから完全さについての神のお考えは、しばしば教会の考え、または律法の考えとはかなり違っているのである。完全についての神のお考えは、愛なのである!

 64.神に計画されなかった自然発生的な力や、原因というようなものはない。何故ならそれは、全て神の創造物であり、神の支配下にあり、何ものも神の御心と神の設計、あるいは少なく言っても、神の許しがなければ起こりえないからである。

 65.時々、神はただ私たちの信仰をテストし、たとえ何が起ころうとも、ヨブがしたように、私たちがなお神に従うかどうかを見ようとするために、違法であるように見えることと同様に、慣例にとらわれない、正当でない、因習にとらわれない、伝統にとらわれない、非常に革命的なことを行なわれると思う!

 66.神の道は私たちの道とは異なり、神の思いは私たちの思いとは異なる。そして神は強い者を辱めるために弱い者を使い、賢い者の知恵を無にするために愚かな者を使われる。そして主の愛の奇跡を成し遂げるために、しばしば非常に不思議な方法で働かれる。

 67.聖人らしさについての神のお考えは、罪のない完全さや自己正義ではない。それは恵みによって救われた罪人であり、自分自身の完全さや、義がまったくなく、信仰によって神の恵みと、愛と、憐れみに完全に頼る罪人なのである。このような者が唯一の聖人であり、これ以外の者ではあり得ない。

 68.人間の窮地は、神にとっての好機である。そして神は、敗北のように見えるものの中から、ご自分の最大の勝利を収められる。

 69.神のわざは善であって、悪ではない。それらは悪のように思われたり、悪のように見えたり、またある人々の目には悪として映るかもしれないが、いわゆる悪と呼ばれているものでさえ、もし神がその中におられるなら、善である。

 70.決められた方式ではなく、主の導きに従いなさい。いつでも神の別の計画の一つが生じた時に断ち切ることができないほど、どんなお決まりの管理法にも、お決まりの方式にも、旅程にも、スケジュールにも、自分自身をはめ込んでしまってはいけない。

 71.神は、民を通して支配されない。神は普通一人の人、任命された長老、任命された司教、任命された使徒、任命された預言者、任命された裁き司、任命された王を通して支配されるが、決して民を通して支配されることはない。神はリーダーたちを選り抜き、それらの者を民の上に立てられる。だから民は、政府とか、国を統治することには全く何のかかわりも持たないのであり、ただ神に任命された統治者に従うだけである。

 72.世界は、超満員という状態とはかけ離れている。世界はまだ完全に発展さえしていない。世界にはまだ耕して栽培されていない所さえある! 今の状態でも、地球では、もう何十億の人々を養うことができるのである! だから全ての人間を養うことができないので人口を減らさなければならないというのは、全く悪魔の大きな嘘である!−−それは、産児制限や殺人的中絶を擁護しようとする悪魔自身の策略である!

 73.人間に基づいて、神を計ることはひどい事である。

 74.神はただ、ご自分の力を私たちに示し、またご自分が因習にも、伝統にも、しきたりにも、体制にも、あるいはどんな類いの不可能にも縛られていないことを示すために、物事を異なった風に行ったり、また私たちにはあからさまに馬鹿らしく見えたり、突飛なほどおかしいように見えたり、一見不可能に見えたり、完全に滑稽に見えるような多くの方法で物事を行うことを好まれる!

  (No.A,E,M,6,7,12,23,35,45,57,117,122,

179A,309B,330C,368,373,376, 568, 599, 601,

609,624,647,736,800,865,935,981,996,1027,

1036,1332も参照。)

 

 

 75.サムエル記上16:7 しかし主はサムエルに言われた、「顔形や、身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てているからである。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔形を見、主は心を見る」

 76.詩篇108:12 われらに助けを与えて、悩みから免れされてください。人の助けは空しいからです。

 77.詩篇118:8,9  主に寄り頼むは、人に頼るよりも良い。主に寄り頼むは、もろもろの君に頼るよりも良い。

 78.箴言3:7  自分を見て賢いと思ってはならない。主を恐れて悪を離れよ。

 79.箴言4:18,19  正しい者の道は夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪しき人の道は暗闇のようだ。彼らは何につまずくかを知らない。

 80.箴言14:12  人が見て自ら正しいとする道でも、その終わりはついに死に至る道となるものがある。

 81.箴言16:2  人の道は、自分の目にことごとくきよしと見える。しかし主は人の霊をはかられる。

 82.箴言20:24  人の歩みは、主によって定められる。人はどうして自らの道を理解することができようか。

 83.イザヤ55:8,9 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道はあなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道はあなたがたの道よりも高く、わが思いはあなたがたの思いよりも高い。

 84.エレミヤ27:5,6 わたしは大いなる力と伸べた腕とをもって、地と地の上にいる人と獣とを造った者である。そして心のままに地を人に与える。今わたしは、このすべての国をわたしの僕であるバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、また野の獣をも彼に与えて、彼に仕えさせた。

 85.エゼキエル17:24  野のすべての木は、主なるわたしが高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木を緑にすることを知るようになる。主であるわたしはこれを語り、これをするのである。 86.マタイ11:25 その時、イエスは答えて言われた、「天地の主なる父よ、あなたに感謝します。これらのことを知恵のある者や、賢い者に隠して幼な子に現してくださったからです。」

 87.マルコ10:27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが神にはできる。神は何でもできるからである。」

 88.ルカ1:52 主は、権力ある者を王座から引き降ろし、卑しい者を引き上げられる。

 89.ルカ16:15  あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし神はあなたがたの心を御存知である。人々の間で尊ばれる者は、神のみ前では忌み嫌われる。

 90.ヨハネ7:24 うわべで人を裁かないで、正しい裁きをするがよい。

 91.使徒行伝5:38,39  そこでこの際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いてその成すままにしておきなさい。その企てや仕業が人間から出たものなら自滅するだろう。しかしもし神から出たものなら、それを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵に回すことになるかもしれない。

 92.ローマ11:33  ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。その裁きは極めがたく、その道ははかりがたい。

 93.ローマ12:21  悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい。

 94.Tコリント1:18 十字架を宣べ伝えることは、滅びゆく者には愚かであるが、救いに預かるわたしたちには神の力である。

 95.Tコリント1:21 この世は自分の知恵によって、神を認めるに至らなかった。宣教の愚かさによって信じる者を救うことを神はよしとされた。

 96.Tコリント1:25-29  神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い。兄弟たちよ、あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい、人間的には知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それなのに神は、知者を辱めるためにこの世の愚かな者を選び、強い者を辱めるためにこの世の弱い者を選び、ある者を無き者とするためにこの世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無きに等しい者をあえて選ばれたのである。それはどんな人間でも神のみ前に誇ることがないためである。

 97.Tコリント2:14 生まれながらの人は、神の御霊の賜物を受け入れない。それは彼には愚かなものだからである。また御霊によって見極められるべきであるから、彼はそれを知ることができない。

 98.ヤコブ2:5  愛する兄弟たちよ、よく聞きなさい。神はこの世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神の愛する者たちに約束された御国の相続者とされたのではないか。