31.自由

 

  主の霊のあるところには自由がある。また真理を知るであろう。そして真理はあなたがたに自由を得させるであろう。 (Uコリント3:17; ヨハネ8:32)

 

 1.主よ、あなたが下さった自由、団結、解放、喜び、そして心ゆくまで人生を楽しめる幸福を感謝します!

 2.絶え間ない警戒−−それは自由にかかる代価である!

 3.自由がより弱い者の妨げとなる時、その自由は誤っている。

 4.セックスと美と音楽と幸福と愛を神に感謝しよう! 私たちがその全てを楽しむことができるほど自由であることを、神に感謝しよう!

 5.私たちは、神の愛のおきてだけによって束縛されているのである。そしてこれが、私たちに多くの自由を与えてくれる。しかし一方では、このおきては、全ての律法の中でも、一番私たちを束縛するおきてである!−−あなたは、全ての人を愛さなければならないのであり、それは全ての内で最も実行しがたいことだからである!

 6.他人を束縛する鎖を鋳造する者は、彼ら自身、偏屈の奴隷である!

 7.「4つの壁が牢獄を作るのでも、鉄棒が、監禁所を作るのでもない!」  心と霊が自由ではなく、サタンの鎖によって拘束されているなら、どこにいても牢獄の中にいることがある。しかし、心と霊がイエスによって自由にされているなら、鉄格子の中でも自由になれるのである。

 8.私たちの人格は、あらゆる拘束が取り除かれる時、私たちの行動に現れてくる。

 9.私は、自由が足りないよりも、あり過ぎるほうがいい!

 10.悪魔の民は自由を説くが、実際にはそれを持っていない。

 11.絶対的で、完全な安全を得るための代価は、自由と解放を犠牲にすることである!−−自由と解放を得るための代価は、安全を犠牲にすることである!

 12.主は、ある面で私たちを自由にされたが、他の面で、私たちを御自分に縛って束縛しておられる。

 13.私たちは、愛の奴隷であり、それは世界で一番良い種類の奴隷である!−−私たちは、愛のためにイエスに永遠に仕えること以外の自由は全く欲しくない!

 14.共産主義、マルクス主義、レーニン主義、社会主義、アメリカ主義、あるいは主義と名のつく他のどんなものでも、銃や弾丸や、頭を洗脳するプロパガンダによって世界を圧倒することができるかもしれないが、神だけが、心を変えることができるのである! 神の真理だけが、自由をもたらすことができるのである!

 15.神の力と神の言葉の一つ一つの新しい爆発が、あなたを縛っていた鎖を壊し、あなたの牢獄の扉の錠を粉々にし、あなたを取り巻いていた壁を崩して、あなたを自由にしてきたのである。

 16.真のキリスト教は、制限ではなく解放である。

 17.私は自由を信じている、そしてまたそれを実践する。

 18.人を自由にすることが、私たちの仕事である。そしてそれは無料である!

 19.キホーテのために歌を歌おう!

自由のために歌を歌おう!

気が狂っていても歌を歌おう!

私たちは永遠に向かうのだから!

 20.私たちは、肉の人間的限界のせまい束縛より自由の身になり、聖霊の実在の領域の栄光ある自由の内に入ったのである!

 21.教会の各時代、あるいは各世代は、厳しく制約する律法から、神の恩恵による愛の完全な自由へと、一歩ずつ自由に向かって進歩を遂げてきた!

 22.もしあなたが、自分の持っている自由を賢く使っているなら、あなたはもっと多くの自由を与えられるであろう。しかしもしあなたが、それを愚かに、危険に扱うようだったら、あなたから取りあげられるであろう。

 23.あなたは、人生を心ゆくまで生きるほどの自由を任されるほど、十分の愛を持っているか?

 24.あなたは、自分の持っている自由を、人をいやし、また助けるために使うか、それとも人を傷つけ、邪魔するために使うだろうか? 答は、あなたに任されている。

 25.もしあなたが、霊にあって強く、主の愛によって満たされているなら、主の自由を任されるであろう。

 26.私の願いは、主を喜ばせることである。だから主は、私に好きなことをさせられる!

 27.自由とは、責任を意味する。だからこそほとんどの人は、それを非常に怖がるのである。

 28.私たちは、自由のために、代価を支払うのをいとってはならない。自由を持たないことの方が、より代価がかかるからである。

 29.自由の大義は、神の大義である。

 30.牢獄の鉄格子の中から見れば、自由は最も良く映る。

 31.もし真実を語れないなら、あなたには自由がない!

 32.自由を、自分の思うままのことをする免許証に変えてはならない。主もあなたのすることを喜んでおられるなら別であるが。もしそれが、主が望んでおられることである時だけ、あなたは自分の思うがままに成すことができる。

 33.罪深い人間だけが、衣服をまとわなければならなかったのである!−−罪のみが現実を隠す、という必要性をもたらしたのである! 救いは、私たちを衣服の呪いと、裸であることの恥から自由にしてくれる! 私たちは、エデンの園にいた罪を犯す前のアダムとイヴと同じくらい自由である! もしあなたが、それほど自由ではないなら、あなたは救われてはいない!

 34.自由は、何かの代価がかかる。自由のままでいるためには、大抵犠牲と、熱心な努力と、真の戦いを必要とする。

 35.正しいことを行う権利は、戦うだけの価値がある。

 36.大きな嘘は、真理に我慢できない。束縛されている者は、自由な者が持っている自由に激しく憤慨する。

 37.私たちは、自由に反対する律法で満ちた世界に生きている。だからたとえ神が、私たち自身に自由を与えられていても、自由でない世界に私たちが生きているので、完全に自由にはなれない。

 38.悪魔は、体制の張本人であり、この世の神である。悪魔は、彼らの全体制の張本人であり、彼らには自由に反対する律法がある。だから彼らの法律に違反しないように気をつけなさい。少なくとも彼らが見つけることのできるような場所では。

 39.最大の危険とは、谷間にある安全と、保安である。何故ならその時、あなたは山の自由と解放を失うからである。

 40.ああ、霊よ、それは霊である。

そう、それこそ私の人生!

霊において、霊によって、

あなたは、自由な人生を生きることができる!

 41.私たちは、自由、自由、自由なのだ! 神に感謝せよ!−−主の御心を行う自由を持ち、主が導かれる所へはどこへでも従う自由がある!−−人間の境界を捨てて、神の限りない、豊かさを受けるためである!

 (No.O,57,286,302C,335A,647,648,1018,1253も参照。)

 

 

 42.詩篇116:16b あなたは、わたしのなわ目を解かれました。

 43.詩篇119:45 わたしは、あなたのさとしを求めたので自由に歩むことができます。

 44.ヨハネ8:31,32  もし、わたしの言葉の内にとどまっておるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理はあなたがたに自由を得させるであろう。

 45.ヨハネ8:36 もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは本当に自由な者となるのである。

 46.ローマ8:1-5  こういうわけで今やキリスト・イエスにあるもの、すなわち肉に従わず、霊に従う者は罪に定められることがない。何故ならキリスト・イエスにある命の御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。律法が肉により無力になっているために成し得なかったことを神は成し遂げて下さった。すなわち御子を、罪の肉の様で、罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が肉によらず、霊によって歩くわたしたちにおいて満たされるためである。何故なら肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。

 47.Tコリント8:9  しかしあなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように気をつけなさい。

 48.Tコリント8:12 このようにあなたがたが兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。

 49.Tコリント10:23  すべてのことは許されている。しかしすべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかしすべてのことが人の徳を高めるのではない。

 50.ガラテヤ5:1  自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放してくださったのである。だから堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

 51.ガラテヤ5:13 兄弟たちよ、あなたがたが召されたのは、実に自由を得るためである。ただその自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。