21.信仰と信頼

 

  しかし信仰がなくては神に喜ばれることはできない。何故なら神に来る者は神のいますことと、神御自身を熱心に求めるものに報いて下さることとを必ず信じるはずだからである。したがって信仰は、聞くことによるのであり、聞くことは、神の言葉によるのである。 (ヘブル11:6; ローマ10:17)

 

 1.主は信仰を愛される! 主があなたを愛されるのは、ただ主がそう言われたからという理由だけで、あなたが主を信じるからである!

 2.主は、信仰を愛される。それはあなたの愛の一つの形体である!

 3.「信じ続けなさい。イエスはここにおられる!

信じ続けなさい。何も恐れることはない!

信じ続けなさい。これがその道である。

すべて順調に進んでいる時のように

苦難の時にも信仰を持ちなさい。」

 4.御言葉がない限り、信仰を持つことは不可能である。

 5.あなたが神に、神の御言葉を思い起こさせる時、それはあなたがその御言葉に信仰を持っていることを示す。それはあなたの信仰と、あなたの御言葉の知識との積極的な宣言であり、それが神を喜ばせるのである。

 6.聖書は完全的確なものである。

だからそれを真実なものとして信じなさい。

何故なら、信仰は嘘の影響により死ぬからである。

 7.神の最大の関心事の一つは、あなたに目に見えないものを信じさせることである!

 8.理解することは、信仰の報いである。それ故自分が信じることができるように、理解することを求めてはならない。そうではなくて、理解することができるように信じなさい−−聖アウグスティヌス。 (354年−430年)

 9.金銭を失う者は、多くを失う。一人の友を失う者は、それよりも多くのものを失う。しかし信仰を失う者は全てを失う。

 10.あなたの信仰は、山をも動かすか、山の方があなたの信仰を動かすか?

 11.あなたは、自分が求めるもの、また自分が信仰を持っているものを得る!

 12.信仰は何が起きても賛美する。

 13.もしそれが困難であるならば、私たちは直ちにそれを行う。もしそれが不可能であるなら、それにはもう少し時間がかかるかもしれない。

 14.信仰のない人生は、ガソリンのない車のようなものである。それは下り坂なら進むだろうが、登り坂ならほとんど少しも進まない。

 15.信仰は、真理の光を携え、疑いの陰を取り除く。

 16.勇気のある人はまた、信仰にも満たされている。

 17. 疑いは障害物を見、信仰は道を見る。

疑いはこの上なく暗い夜を見、信仰は昼間を見る。

疑いは一歩踏み出すことを恐れ、信仰は高きに舞い上がる。疑いは 「誰が信じるだろうか?」 といぶかしむが、

信仰は、 「私が信じる」 と答える。

 18.信仰は不思議な方法で私たちの人生を明るく照らし、

悩みの日に、静けさと平安をもたらしてくれる。

信仰は、雨のあとにおおらかな鳥がさえずり、

陽光が再び輝くことを信じている。

信仰は、夜の最も暗い時間の後には、

毎朝夜明けの明るく輝く光が続くことを

私たちに教えてくれる。

 19.信仰は、それがあなたのしがみつく全てでない限り、信仰ではない。

 20.私は、金銭に富んでいて信仰がないよりも、むしろ信仰に富んでいて金銭がない方が良い!

 21.もしあなたに、信仰と、働くための意志と、ビジョンと、勇気と、イニシャティブがあるなら、あなたはどんなことでもすることができる!

 22.適切な時期に素早く行動するために、当然持っているべき信仰を持っていないことによって、あなたは自分の奉仕の絶好の機会を逃がしてしまうことがある。

 23.信仰は、神がそれをして下さることを知っている−−そして神はそれをして下さるのである!

 24.多くの事は、あなたの信仰と、あなたの導きと、神があなたに個人的にするようにと告げておられることに依存する。それがあなたのしなければならないことなのである。

 25.もしあなたが、本当に主と波長が合っていて、信仰ばかりでなく、多くの積極性と熱意とを持っているならば、信仰が成し遂げることのできるものは驚くべきものである!

 26.信仰にあっては、信じることは見ることである! 信仰はあなたが答えを得る得ないにかかわらず、盲目的な従順によって働く!

 27.皆さん、神は世界を、何もないところに吊しておられるのに、一体どうして皆さんは、自分の信仰を何かに吊さなければならないのでしょう!

 28.大きな扉を開くには、ただ一つのちっぽけな鍵が必要なだけである。

 29.落胆は、悪魔のお気に入りの武器である。そしてそれを打ち破る唯一のものは信仰である!

 30.あごを上に上げること (勇気を出すの意) と、首を外に突き出すこと (危険を冒すの意) との間には、ほんのかすかな違いしかないが、それは知っておくだけの価値がある。

 31.私のひざは、時には震えることもあるかもしれないが、わたしの信仰は震えない!

 32.勇敢とは、恐れをものともしない勇気である。

 33.私たちが持っているのは、何もしない宗教ではない−−私たちが持っているのは、何でもする宗教である−−あなたは、自分が信仰を持っていることであれば、どんな事でも外に出ていってそれを自分で行うことができるのである! 私たちが持っているのは do-it-yourself (自分でやる) 宗教である。

 34.信仰は、後ろを振り返って

「キリストは、私のために死んで下さった」 と言い、

上を向いて、

「主は、私のために生きておられる」 と叫び、

前を向いて、

「主は、私のために来られる」 とささやく。

 35.信仰とは、ビジョンに勇敢さと活力を足したものである!

 36.信仰は、神の御言葉にもたれかかって、立っている。

 37.もしあなたの両親が、一粒のからし種ほどのほんのかすかな信仰でも主に対して持っているなら、彼らは主の御国の中に何らかの場所をもつようになるであろう。そしてあなたは、いつの日か彼らと再会するのであり、その時に彼らは理解するようになるであろう。

 38.神が好まれる種類の信仰とは、選択があり、決断があり、他に取り得る手段がある時に神を選ぶ信仰である。大いなる信仰は、他のいろいろな可能性にもかかわらず、なお神の最善を選ぶ。

 39.好天気の信仰は、全く信仰ではない!

 40.御言葉がない限り、信仰を持つことは不可能である。何故なら信仰とは、神の御言葉の忠実な学習によって築かれるものだからである。

 41.何かのために、信仰を持っていないということに対する口実はない!  「信仰は御言葉を聞くことによって来る」! (ローマ10:17)

 42.主は、あなたをはらはらさせ続けることを非常に好まれる。何故ならそれは、あなたの信仰を本当に試すからである!

 43.個人的な問題を抱え、私がそれらを解決し、何をすべきかを彼らに告げることを望む、何人かの人々に対する私の答えは、ただ 「あなたの信仰のとおり、あなたの身になるように!」 ということである。

 44.あなたの心の中に信仰を灯すということは、部屋の中に明かりを灯すようなものである!

 45.信仰はコードのようなものである。それは動力を電源から器具へと伝達する。動力源から動力を得るためには、電線がなければならない。そしてそれが信仰なのである。

 46.愛は神であり、信仰の始まりである。愛は、どんな形体のものでもそれは一つの信仰の形体である。そして信仰は、どんな形体のものでもそれは一つの愛の形体である。神は、神の愛に対する信仰を私たちに与えられる。

 47.どんなことでも 「もし」 と言ってはならない。信仰は信仰である! あなたはそれを知っているか、知らないかのいずれかである。それを信じているか、あるいは信じていないかのいずれかである。

 48.あなたを思い煩いから守ってくれるもの、それが信仰である。恐れを締め出してくれるもの、それが信仰である!

 49.もしあなたが信仰を持っているなら、それはちょうどあなたが手の中に権利証書 「望んでいる事柄の確信」 を、すなわち、望んでいる事柄の権利証書、まだ見ていない事柄の証拠を持っているようなものである!

 50.信仰とは、ただ神が今日行うようにと告げておられることを行い、明日のことについては神を信じるということである。

 51.救いとは、常に律法があろうとなかろうと、キリストに対する信仰によるものだった。キリスト以前に生きていた者たちは、キリストを待ち望んでいたが私たちは振り返ってキリストを見る。すなわち救い、恵み、信仰、そして約束は常に同じものなのである。

 52.もし他の人たちがあなたに信仰を持っていないなら、あなたは自分自身に信仰を持つことは困難である。そして時には、主に対して信仰を持つことさえ困難である!

 53.誰も自分を愛し、あるいは信頼してくれないと感じる時、もしかしたら、神もまたそうなのかもしれないと考えてしまう。しかしもし誰かが、神の愛と信仰を示してくれるなら、それはあなたを成功に向かって新たな努力をしたいという気持ちにさせてくれる!

 54.信仰は、ある種の引き出す力である−−信仰は、あなたが神から力を引き出すことである。

 55.信仰がない限り、従うための勇気を持つことはできない!

 56.たとえあなたが、あなたのミニストリーに必要な、あなたを助けてくれる全ての道具をもっていても、もし気違いじみた信仰がないなら、あなたはその鍵と祝福とを逃してしまうだろう。

 57.あの貧しいやもめが、その生活費全部を投げ入れた時、彼女はきっと多くの信仰を持っていて、神がそれを返済してくれることを期待していたに違いない。そして私は、神がそうされたと確信している!

 58.私は、神を何とかしなければならない立場に置き、神に奇跡を行うよう求めることを信じている!

 59.勇敢な者が、恐れないということではない。ただ彼らは思い切って行うための勇気と信仰を持っているだけなのである! もし彼らが恐れていなかったとしたら、彼らは勇敢でなくても良かったのである!

 60.信仰は何もないことではない!  「信仰とは、望んでいる事柄を確信することである。」 それは神と神がいますことと、またもしあなたが神に従い、神の御心と神の仕事を行うなら、神が何らかの方法であなたの世話をして下さると知っていることである。

 61.もし御言葉と御言葉を読むこととが、そのことに対する信仰をあなたに与えてくれないなら、それはあなたが、その御言葉を拒んでいるためであり、それゆえにそれを受け入れ、あるいはそれに従うことを拒むからである!

 62.いつでも疑いのある時は、信仰をもってそれに当たりなさい!

 63.あなたは、信仰の人を止めることはできない!

 64.疑いのある時はするな!−−しかし信仰のある時は、行え!

 65.真の信仰は、受け身のものではなく、その信じていることを行動で表す。

 66.神は、常にあなたの仕事のための信仰を私に与えて下さるとは限らない−−神が私に与えて下さるのは、私の仕事のための信仰なのである!

 67.信仰を持とうと努力することは、肉の働きである。主の御言葉を通して信仰を受け取ることは、神の恵みの働きである。

 68.神の御言葉そのものは、超自然的な力が混ざっている。そしてあなたの信仰の接触によって力を発揮する。

 69.最も大きな愛は信仰である。もし信仰がないなら、あなたの愛は有り得ない。

 70.信仰は答えに驚くことはない。信仰はそれが起こることを期待していたからである。

 71.信仰は、十字架の上で大きくなる冠を見る。

 72.  信仰、即ち力強い信仰は、

約束に目を留め、

ただ神だけを頼り、

不可能を笑い、

そして、 「それは必ず成される」 と叫ぶ。

 73.ちっぽけな鍵なしに、大きな扉を通り抜けることは、決してできない!

 74.彼は、それを成すのが不可能だということを知らなかった。そこで彼は、構わず前進してそれを成し遂げた!

 75. 「不可能」 とは、ただ愚か者の辞書にのみ見出される言葉である。

 76.ただ信仰だけが人を救う。しかし人を救う信仰には、必ず行動が伴う。

 77.信仰は、神を尊び、神は信仰を尊ばれる。

 78.神は、私たちの信仰と、私たちの祈りにご自身とその活動を制限されている。

 79.信仰は、市場へ出かける時、必ず買い物かごを持っていく。

 80.信じる者は、自分が感じるから信じるのではない。信じるから感じるのである。

 81.彼は、人が不可能だと言ったことに挑んだ時、歌い始め、それを成し遂げた。

 82.信仰は、疑いに対して死に、落胆に対しては唖 (おし) であり、不可能に対しては盲目でなければならない。

 83.信仰は、天的な事柄を描く魂の鉛筆である。

 84.もしあなたの思いが、それを描くことができるなら、またあなたの心が、それを信じることができるなら、あなたはそれを成し遂げることができる。

 85.信仰は、耳に聞こえないものを聞き、目に見えないものを見、信じられないものを信じ、有り得ないものを受け取る。

 86.何も期待しない者は、決して落胆することはない。

 87.三人の人が壁の上を歩いていた−−感情と信仰と事実である。感情は物凄い転落をした。そして信仰も後ろへ引き戻された。信仰は感情ととても近かったので、信仰もそのあと一緒に落ちてしまったが、事実は壁の上に残った。そして信仰を引き上げ、また信仰が感情を引き上げた。(事実は御言葉である!)

 88.信仰は、あなたが愛を持っていることを本当に示す。

 89.「清い者には、全てのものが清い」 しかし不浄な者には全てが不浄である!

 90.テストに耐えることのできない信仰は、全く信仰ではない。

 91.希望は、垣根ごしに明日を眺めることであり、信仰はそれを過去のものとして、すでに成し遂げられたものとして眺める。

 92.信仰によって生きることとは、信仰を行動に移し、自分の祈りに従って先に進むことである。

 93.信仰の創造力を持つ人にとっては、可能性には際限がない!

 94.もしあなたが信仰に弱いなら、それはあなたが御言葉に弱いためである。

 95.もし彼らが十分に弱いなら、この世のほとんどどんな事でも、彼らをつまずかせてしまうことができる!

 96.もしあなたに真の信仰があるなら、たとえそれがあなたを殺しても、あなたは神のために進み続けるだろう!−−そしてそれは、あなたを殺すであろう。何故なら、あなたが日々死ぬ時、それは自己と自尊心とその全ての呪わしい独善とに対する死を意味するからである。

 97.恐れは、信仰の反対である。そして信仰なしには力を持つことはできない!

 98.私はただ、神を信じるに十分なだけ狂っていただけである!

 99.状況が明るい時には、信仰は無用のものである。ただ逆境の時にのみ、神に対する信仰が鍛練されるのである。信仰は、ちょうど筋肉のように、鍛練によって強くなり、また柔軟さを増し加える。

 100.信仰は、ただ神には、それができると信じることだけではなく、神がそれをして下さると信じることなのである!

 101.神は、あなたが、ある人たちが 「盲目的な」 信仰と呼ぶものによって先へ進むことを好まれる−−しかし実際には、それは目で見ている信仰なのである。何故ならあなたは、神を見ているからである!

 102.岸を見失う勇気がない限り、人は新しい海を発見することはできない。

 103.自分が御霊に導かれていることを確かめなさい。確かめたなら前進しなさい!

 104.イスラエル人たちにとってゴリアテは、 「一撃を加えるには余りにも大きすぎる」 相手だった。しかし小さなダビデにとっては、ゴリアテは 「あまりにも大きすぎて、外れることのない」 相手だったのである。

 105.あなたたちは誰でも、どんなことであれ、自分が重荷と信仰を持っていることを行うことができる!−−あなたたちは外へ出て、それを自分でやることができるのである!

 106.ただ自分が正しい事を確かめなさい。確かめたなら構わずそれを行いなさい!

 107.私は、あなたたちを自由にしようと努めて、つまりあなたたちが、自分たちの信仰に従って爆発するために、御霊とあなたたち自身のイニシャティブによって導かれるために、絶えず新しい独立宣言を宣言してきた!

 108.あなたは、必ずしも常に、神がそれをなされるまで待つことはできない。多くの場合、自分の足を置こうとしている地面が見えなくても、あなたは信仰によって足を踏み出さなければならないのである!神は、あなたの足が下におりる前に、その足の下に地面を差し出す事ができるのである!−−それが真の信仰の一歩である!

 109.もし私たちが、御言葉を力を込めて読むなら、私たちの信仰は、自動的に成長する。

 110.多くの人々が、ある一定の事柄に対して信仰を持っていないのは、彼らがそれらの事柄のために信仰を持つことを望まないからである。そしてそれゆえに彼らは、それを正当化する神の御言葉を拒むのである。

 111.全てを失っても、神に対する自分の信仰を失わないなら、あなたは何も失っていることにはならない。神に対する自分の信仰を失うなら、あなたは全てを失ってしまう!

 112.信仰とは、狂気である! 信仰には何らの正気もない。信仰は全て、当然の期待や自然の状況とは完全に相反しているのである!

 113.信仰は、成功以外は何も知らないはずである。信じる者にとっては、願望+信仰−疑い=答。

 114.骨を折ってそれを築きあげてはならない!−−祈ってそれをもらいなさい!

 115. 「人は、その心の内で思う通りの者である」 −−そしてもし彼が、そう思っているなら、彼にはその影響力、あるいはその力が働くのである。

 116.疑い、恐れ、落胆、そしてつぶやきは人を殺す! 信仰、信頼、勇気、そして主をほめたたえることは人を生かす!

 117.私は、あなたと共に神を信頼することはできるが、あなたに代わって神を信頼することはできない!

 118.心を尽くして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。全ての道で主を認めよ。そうすれば主は、あなたの道を真っ直ぐにされる。(箴言3:5,6)

 119.人を恐れると罠に陥る。主に信頼する者は安らかである。(箴言29:25)

 120.今日は、あなたがそのことについて、昨日心配した明日である。

 121.あなたは、人間のアイディアや知恵に頼ることはできない−−主と主の導きに頼らなければならないのである!

 122.心配は、難儀に対して、それが満期になる前に支払われる利子である。

 123.災難を恐れる者は、その災難を二度苦しむ。

 124.心配しても明日の難儀は空にはならない。ただ今日の力を空(から) にしてしまうだけである。

 125.思い煩いを携えたままベッドに入ることは、自分の背に荷物を背負って寝ることに等しい。

 126.あなたの顔を陽光に向け続けなさい。そうすれば陰を見ることは出来ない。

 127.非常に多くの者が自分たちの重荷を主の所に運んで行き、それを主の足元に置き、その後それを再び担ぎあげて、それとともに歩き去ってしまう!

 128.なるに任せ、神に任せなさい!

 129.私の煩いを日々主に委ねることは主の御心である。

主はまた私の確信を放棄してはならない、と命じられる。しかし、ああ! 気づかない内に自分の確信を放棄し、また自分の全ての思い煩いを背負ってしまう時、

私はいかに愚かに振舞っていることか!

 130.今日を楽しむことができないほど、未来のことを心配してはならない。

 131.信頼は、決して緊張ではない。真の信仰とは、完全なくつろぎである。

 132.ただあなたの重荷をイエスの上に投げおろして、眠りなさい−−そして主に、一晩中起きていてもらいなさい!

 133.睡眠は、神の御言葉の中では祝福とされている。すなわちそれは、あなたが心配したり、やきもきしたり、恐れたりせず、安らかに住まうのを神が助けて下さるという、 神への信頼と信仰の行為なのである。

 134.ある人がこう言って冗談を飛ばした、 「心配しても何の役にも立たないなどと私に言わないでくれ。私はよく知っているんだ。私が心配することは実現しないと」

 135.昨日のことは、主に感謝するため以外には忘れてしまいなさい。明日のことを思い煩ってはならない−−明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。

 136.万事は、統制下に置かれている。あなたのであれ、主のであれ、あるいは両者のであれ。

 137.私たちには、未来に何が待ち構えているのか分からないが、私たちは、未来を制しておられる方を知っている!

 138.あなたは、神と御言葉以外のどんなものをも当てにすることはできない。

 139.過去を変えることはできない。そして未来のことは、未来自身が思い煩うであろう!

 140.もしあなたが主に従っているなら、あなたは主を信頼することができる! もしあなたが主に信頼しているなら、あなたは主に従うことができる!

 141.神はまず最初に、あなたが神に信頼し、また信じることを望まれる。そしてそうするなら、あなたは答えを見るであろう!

 142.信頼しているなら、くよくよしない! くよくよしているなら、まだ信頼していない!

 143. 「あなたは全ての事を見たり、理解したりする必要はない。またあなたは、あなたの父の心を知ることも、あるいはダビデの全ての言葉を理解することも必要ではない。私が定めたこれら全ての事柄は、もうすでに私の手の内にあるからであり、それは終わっているからである。」

 144.私が知っていることが何かあるとするなら、それは神が一度も失敗されたことはない、ということであり、自分が神を信頼したことを私は常に喜んできたということである。

 145.あなたは、未来を全て知っている必要はない。あなたが知らなければならないことはただ、今現在のことだけである。

 146.物事を前もって心配する必要はない。何故ならその時が来れば、主は何をすべきかを正確にあなたに教えて下さるからである。

 147.何かの事について前もって心配することが一瞬足りともあってはならない。ただ御霊に導かれるままに流れれば良いのである。

 148.後のものを忘れ、明日のことについて思い煩わないことは、あなたの思い煩いのほとんどを取り除くための、神の極めて重要な2つの基本的ルールである。

 149.あなたに自信がなければないほど、あなたはますますキリストへの信頼を持つようになるだろう!

 150.人生に起きる全ての事は、神から来るのだということを、あなたは絶えず自分自身に思い起こさせ続けなければならない!−−すなわち過去と現在の全ての経験、また他の人々との全ての関係、また全ての状況が直接神のみ手から出ており、神の神聖なる計画の一部なのである。それらのものは、主が送られたのだということを知るなら、もっと受け入れ易くなる。

 151.もしあなたが創造主にではなく、おもに手段と人間とに頼るなら、あなたは間もなくひどい目に会うであろう!

 152.もし自分の人生について主を信頼することができるなら、どうして自分の死についても主を信頼することができないのか?

 153.新しい年よ、ようこそ。

それらは我らの主、かつ王である方からの

新鮮な祝福の数々をもたらしてくれるだろう。

 154.あなたは過去を変えることはできない。しかし未来のことを思い煩うことによって、全く申し分のない現在を台なしにしてしまうことができる。

 155.ある者はあなたを憎み、

ある者はあなたを愛するであろう。

また、ある者はあなたにへつらい、

ある者はあなたをみくびるであろう。

人から目を離し、あなたの頭上を見あげなさい。

神に信頼し、正しいことを行いなさい。

 156.神が答えて下さる事を一瞬足りとも疑ってはならない。

神は答えなければならず、

答えたいのである。

神に信頼しなさい。神が嘘をつくことなどありえない!

何もかもがうまくいかない時には、

ただ信頼し続けなさい。

そうすればあなたは、間もなく勝利を叫び、

主の新しい歌を歌うであろう。

 157.暗きにおいて信頼すれば、夜明けには勝利が訪れる。

 158.心配とは、苦労を借りる者たちによって、支払われた利子である。

 159.働いても人は死なないが、心配すれば死ぬことがある。

 160.胃潰瘍は、あたかももぐら塚 (小さな問題事) を、大きな山 (大きい問題) のように登山することによってかかる病気である。

 161.私が見てきた全てのものは、私がまだ見ていない全ての問題に対して、創造主を信頼することを私に教えてくれる。

 162.あなたには、神以外何の保証もない。

 163.御霊に依存しなさい。何故なら全てのものは、それが主が望まれるものとなるために、確かに主の御霊に依存しているからである!

 164.その時がくれば主は、主が適当と思われる通りに私たちの世話をして下さるであろう:  主は、私たちの世話をなさるか、あるいは私たちを取り去られるか、そのいずれかをして下さるであろう!

 165.主よ私たちは今、去年よりも更に優れた新しい年を、あなたが最善であると思われるとおりに、私たちに与えて下さるように求めます。

 166.進退窮まったか?−−問題の縄を離し、神に任せなさい!−−どうしても切り抜けられないか?−−神の薬を取りなさい!

 167.時は、非常に多くの問題を解決してくれる−−1分、数時間、数日間で。あなたは、あなたの助けを借りなくても神が物事を解決して下さったことを知るであろう! 神にチャンスを与えなさい! 神に時間を与えなさい! 主を待ち望みなさい。

 168.Disappointment (落胆)!

−−His-appointment (主の計画)!

一つの文字を変えるだけで、私の目的の挫折が、

私のための神のより良い選択であることが分かる!

 169.あなたは誰かに、 「私はあなたを愛しているが、あなたを信頼してはいない」 と、言うことはできない。

 170.希望は決してやめない。信仰は、決して信頼するのをやめない。そして愛は決して敗れない。

 171.明日のことで思い煩ってはならない。

 172.私は、年の門の所にいる人の所へやって来た。

そして自分の道が見えるようにと、

一つの明かりをその方に求めた。

しかし、その方は私に言われた、

「あなたの手を、神のみ手の中に置きなさい。

そうすれば神は、あなたに対して光となり、

知られた道以上のものとなるであろう」

 173.もしあなたがダンプスに陥っているなら、それをイエスに投げかけなさい!

 174.あなたは窮地に陥っているか? 向き直って何とかしなければならない立場に神を置きなさい。

 175.神は、あなたに時に応じた力を、試練のための恵みを与えられる−−すなわち試練の前にではなく、試練が訪れるその時、その時間に!

 176.神が終止符をつけておられるところに、決して疑問符をつけてはならない。

 177.心配するな!−−それは神の御言葉である! あなたがそれを理解しようとしまいと、あなたがそれを食べてしまう限り問題ではない。たとえあなたが理解出来なくても、あなたには食べ物がなければならないのである。赤ん坊はビタミン類における科学的な構成物質や、彼が食べるそのすべての食べ物の一口ずつの専門的、かつ科学的な組織を理解しているだろうか? 理解してはいない。赤ん坊はただおなかが空いているのでそれを平らげてしまう。そしてそれが赤ん坊を成長させるのである。

 178. 私たちが、毎日より主に依存すればするほど、

私たちはあらゆる面で、

益々もっと多くのものを持つようになるであろう!

 179.それを説明しようと試みるのを忘れなさい! それを理解しようと努めるのをやめなさい! その原因を突きとめようとするのをやめなさい! それを分析するのをやめなさい! あなたはただ、すべての楽しみを重労働にしてしまっているだけである! ただスイッチを入れて、それを楽しみなさい!

 180.それらの決断はどれも、山頂における決断であり、私とその次の峰の間にはただ薄い空気しかなかった。私は一人きりでそのステップを踏み、その結果については神を信じるだけだった。神以外には何の請負い人もなく、神の御言葉以外には何の保証もなかった。他の状況は、全てそれに敵対していた。全ての自然的条件もそれに反対していた。波も風もそれに逆らい立っていた。そして私にあったのはただ神のみ手だけだった。しかしたとえ目に見える自然で、平常で、論理的、かつ合理的な助けなしに、神がみ手をもって私を引き上げ、次の山頂へ移さなければならなかったとしても、神は決して私を失望させられなかった。

 181.信仰とは、明確な時に行なわれる明確な取引であり、その後では永遠に終わったとみなされるものである。

 182.希望は信仰ではない。希望は物事を未来の時点においているが、信仰はそれを過去の時点においているのである。

 183.神の信仰の金門の内に住んでいる人々は、どんな事にも生き延びることができる。たとえ死でさえも!−−そして、それでもなおヨブのように、 「たとえ神が私を殺しても、私は神を信頼する」 と言う事ができるのである。

 184.あなたが意気消沈し、失望し、ほとんど希望を捨ててしまおうとする時に、神の御言葉を通して、神はあなたの信仰の残り火を吹きあおぎ、再びそれを生き返らせることがおできになる。

 185.疑い深い知識人たちが不可能だと言っている物事を日々行っている、疑いを知らない子供のような信仰の持ち主がいる!

 186.人生の昨日は、私たちの手の届かないところへ、永遠に過ぎ去ってしまった。神はそれらを保管しておかれるので、そのままにしておきなさい。

 187.私は、決して小切手は見ない。私はその人を見る! もしその人を信頼することができるなら、私は彼の小切手を受け取る!

 188.もろもろの約束を成された方を見つめなさい。そうすればそれらの約束の絶対的な有効性に関しては、疑問の余地は有り得ない。

 189.もしあなたが主に信頼するなら、主は一本の弦からでもメロディーをお作りになれる!−−たとえ、他の弦が皆無くなってしまっても。

 190.先のことは考えず、その日その日にできることをするなら、あなたはほとんどどんな事のためにも信仰を持つことができる!

 191.これが天国の宝の箱の錠を開く鍵である: それぞれの約束につけられている条件を満たすこと。

 192.ああ、いかに多くの愚かな子供たちを、父はその家族の中に持っておられるのか。彼らは年がら年中、 「下さい、下さい!」 と泣き叫んでおり、父はその間ずっと、「わが子よ、取りなさい、取りなさい!」と言っているのである。

 193.信仰は、日の出を早めることはないが、夜をもっと短く思えるようにしてくれる。

 194.私たちはスケジュールによるのではなく、信仰によって旅行しているのである。

 195.心配の始まりは信仰の終わりである。信仰の始まりは心配の終わりである。

 196.懐疑的な若者が、神学校から彼の信心深い祖母を訪問するため家に帰った。彼は言った、 「おばあさん、あなたが信じているとおっしゃる聖書は、ヘブル語とギリシャ語で書かれた事を御存知でしょう。それは偉大な学者たちによって私たちの国語に訳されねばならなかったのです。あなたはどうやってそれらをトランスレート(翻訳)した者たちがそれを正しく訳したとわかるんですか?」  彼女は答えて言った、 「ああ、ジェイミー坊や、偉大な人たちのことを気にかけることはないわ。それらの約束のいくつかを私が自分でトランスレートした(試して、うまくいった)からよ。」

 197. 「みずから良いと定めた事について、やましいと思わない人は幸いである」 (ローマ14:22)−−もし自分でやましいと感じている事、つまり罪の意識を感じていたり、罪悪感を抱いている事、それが正しいということに自分で確信がないことを行わないなら、あなたはもっと幸せになるであろう。事実、もしかしたら間違っているのかもしれないと懸念しているのであれば、それはあなたにとって間違ったことである。

 198.主に信頼するのは、引き合う。アァメン?−−たとえ従うことが気違いじみているように、あるいはそれによって痛手を被るように見えたとしても、引き合う。そのことでしばらくの間は、痛手を被るかもしれないが、もし主に従うなら、結果は常により良いものとなる。

 199.信仰と祈りとは、天国の通貨である。

 200.神は私たちに、超自然的な力を約束して来られたばかりではなく、今現在のためにも、それを約束しておられるのである。そして主は、幾世代にも渡ってそれを約束してこられたのであり、それは以前にも成されてきたのである! それはただ、患難期においてのみなされるのではなく、もしあなたがそれに対する信仰を持っており、またそれを必要としているならば、今なされるのである!

 201.祈った時に、奇跡が直ちに起こらなくても、落胆してはいけない。何故ならもしそれが主の御心であるならば、あなたは確かにその力を持っているのであり、主の時に起こるようになるからである。

 202.たとえ主が、何が起ころうとしているのかを示して下さらなくても、その事は、あなたが働くのを止めるべきだという意味にはならない。時々それは、あなたの行っている事をそのまま行い続け、自分のしている仕事にせっせと取り組み続けるのであるが−−しかし、待て−−という意味である! それが起こる時に不意を突かれたり、あるいは備えができていないような状態にならないように、おそらく、幾つかの小さな事を別にすれば、何か思い切った行動、あるいは変更をしてはならない。

 203.あなたのホーム・シェパードが間違った決断を下すのは、時としてあなたたたがどのような反応を起こすかを見るために、主があなたたちをテストしておられるのだということが考えられる−−つまり、あなたたちがすっかり取り乱してしまうか、それとも主は主の御仕事にあなたたち以上の関心を寄せておられるので、主の御仕事に対し、何か劇的な事を起こされる事はないということをあなたたちが承知の上で、主が何らかの方法でそれを処理してくださるということを、ただ信頼するかどうかを見るためである。もしかしたら主は、あなたが本当にローマ8:28を信じているかどうかを見ようとしておられるのかもしれない。

 204.起こるのではないかと懸念しているが、まだ起こったことはなく、また、決して起こらないかもしれない事柄についてあなたが思い煩っているなら、あなたはそれを解決していただくためのチャンスを、神に与えてさえいないのである。物事を、ただ主のみ手の内に委ね、主にそれを解決していただいたら良いではないか。

 205.信仰とは、私たちが見ていないものを信じることである。そしてこういった信仰に対する報いは、私たちが信じているものを見ることである。

   (No.M,T,73,87,238,313,317B,594,599,604,700,

708,717,731,753,778,860,900,947,1005,1009,

1268,1281,1565,1654も参照。)

 

 

 206.詩篇27:13  生けるものの地で、主の素晴しきを見ることを信じていなかったとしたら、私は気をくじいていたことでしょう。

 207.詩篇31:24  すべて主を待ち望む者よ、勇気を持て、そうすれば主はあなたの心を雄々しくしてくださるであろう。

 208.詩篇32:10  悪しき者は悲しみが多い。しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。

 209.詩篇37:3-5 主に信頼して善を行え、そうすれば、あなたはこの国に住んで、豊かな食物を得る。主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえられる。あなたの道を主に委ねよ、主に信頼せよ。主はそれを成し遂げられる。

 210.詩篇125:1  主に信頼する者は、動かされることなくて、とこしえにあるシオンの山のようである。

 211.箴言3:5,6  心を尽くして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない、全ての道で主を認めよ。そうすれば主は、あなたの道を真っ直ぐにされる。

 212.箴言16:20b 主に寄り頼む者は幸いである。

 213.箴言30:5b 神は、彼に寄り頼む者の盾である。

 214.イザヤ26:4 とこしえに主に信頼せよ。主なる神は、とこしえの力だからである。

 215.イザヤ41:18b わたしは荒野を池となし、乾いた地を水の源とする。

 216.イザヤ43:19b わたしは荒野に道を設け、砂漠に河を流れさせる。

 217.エレミヤ17:7 主に頼り、主をその望みとする人はさいわいである。

 218.エゼキエル28:26 彼らはそこに安らかに住み、家を建て、またぶどう畑を作る。かつて彼らを卑しめた全ての隣人たちに対して、私が裁きを行う時、彼らは信頼を持って住む。こうして彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知る。

 219.マタイ9:29b  あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように。

 220.マタイ14:31  イエスはすぐに手を伸ばし、彼を捕まえて言われた、 「信仰の薄い者よ、何故疑ったのか」

 221.マタイ15:28  そこでイエスは答えて言われた、 「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように。」

 222.マタイ17:20b もしからし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって、 「ここからあそこに移れ」 と言えば移るであろう。このようにあなたがたに出来ないことは何もないであろう。

 223.マルコ9:23,24 イエスは彼に言われた、「もし信じることができるならば、信ずる者にはどんな事でもできる」 その子の父親はすぐ泣き叫んで言った、 「信じます、不信仰な私をお助け下さい。」

 224.マルコ11:22,23 イエスは答えて言われた、 「神を信じなさい。よく言っておくが、誰でもこの山に、動き出して海の中に入れと言い、その言ったことは必ず成ると心に疑わないで信じるなら、その通りになるであろう。」

 225.ルカ1:37 神には、何でもできないことはありません。

 226.ルカ1:45 信じる女は何と幸いなことでしょう。主がお語りになったことが必ず成就するからです。

 227.ルカ5:5 シモンは答えて言った、「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかしお言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」

 228.ルカ7:9  イエスはこれを聞いて驚嘆され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、 「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない。

 229.ルカ7:50 そしてイエスは女に向かって言われた、 「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 230.ルカ18:27 イエスは言われた、「人にはできないことも、神にはできる。」

 231.ヨハネ11:21,22,27  マルタはイエスに言った、 「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえてくださることを、わたしは今でも存じています。主よ、信じます。あなたがこの世に来たるべきキリスト、神の御子であると信じております。」

 232.ヨハネ20:27b 信じない者にならないで、信じる者になりなさい。

 233.ヨハネ20:29 イエスは彼に言われた、「トマスよ、あなたはわたしを見たので信じたのか、見ないで信ずる者は幸いである。」

 234.使徒行伝27:25  わたしは神を信じている。万事はわたしに告げられた通りになっていくであろう。

 235.ローマ1:8  まず第一に、わたしはあなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神に感謝する。

 236.ローマ1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり、信仰に至らせる。これは、 「義人は信仰によって生きる。」 と書いてあるとおりである。

 237.ローマ3:3  するとどうなるか、もし彼らの内に不信仰な者があったとしたら、その不信仰によって、神の信仰が無になるのであろうか。

 238.ローマ4:14,15  もし律法に立つ人々が、相続人であるとすれば、信仰は空しくなり、約束もまた無効になってしまう。一体、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには、違反なるものがないからである。

 239.ローマ4:18 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために 「あなたの子孫はこうなるであろう。」 と言われている通り、多くの国民の父となったのである。

 240.ローマ4:20,21  彼は、神の約束を不信仰の故に疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することもできると確信した。

 241.ローマ5:1  このようにわたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。

 242.ローマ8:24,25  わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。何故なら、現に見ていることを、どうしてなお望む人があろうか。もしわたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐してそれを待ち望むのである。

 243.ローマ10:17 したがって、信仰も聞くことによるのである。聞くことは、神の御言葉によるのである。

 244.ローマ14:5,14  ある人は、この日がかの日よりは大事であると考え、他の人はどの日も同じだと考える。各自は、それぞれの心の中で確信を持っておるべきである。それが汚れていると考える人にだけ汚れているのである。

 245.ローマ14:22,23 あなたは信仰を持っているか、それを神のみ前に、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについてやましいと思わない人は幸いである。しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから罪に定められる。すべて信仰によらないことは罪である。

 246.Tコリント2:5  それはあなたがたの信仰が、人の知恵によらないで神の力によるものとなるためであった。

 247.Tコリント12:9 また他の人には、同じ御霊によって信仰、また他の人には同じ御霊によっていやしの賜物。

 248.Uコリント1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために、共に働いている者に過ぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである。

 249.Uコリント5:7  わたしたちは見えるものによらないで、信仰によって歩いている。

 250.ガラテヤ5:6  イエス・キリストにあっては、割礼があっても無くても問題ではない。尊いのは愛によって働く信仰である。

 251.Tテモテ4:10 わたしたちはこのために労して、苦しんでいる。それはすべての人の救い主、特に信じる者たちの救い主なる生ける神を信頼しているからである。

 252.Uテモテ2:13 たといわたしたちが、不信仰であっても、彼は常に忠実である。彼は自分を否定することができないのである。

 253.ヘブル6:19 この望みは、わたしたちにとって言わば魂を安全にし、不動にする錨であり、かつ 「幕の内」 に入り行かせるものである。

 254.ヘブル10:23  わたしたちの告白する信仰を動くことなく、しっかりと持ち続けようではないか。 (約束をして下さったのは、忠実な方であるから。)

 255.ヘブル10:38  義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしの魂はこれを喜ばない。

 256.ヤコブ2:26 霊魂のない体が死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

 257.Tヨハネ5:4  何故なら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。そしてわたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利である。

 (ヘブル11章も参照)