20.エキソシズムと霊的な諸問題

 

信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らは、わたしの名で悪霊を追い出す。(マルコ16:17)

 

 1.霊的な性向、あるいは傾向−−ほとんど心理的な過敏症とでも呼ぶことの出来るもの−−を持った人々は、霊的な影響を受け易い。またもし彼らが、神と神の聖霊に本当に近くとどまっていないなら、彼らは悪い霊から非常に影響を受け易い。

 2.あなたは、最後まで行き、真に決着をつけ、悪魔か、また悪魔を宿しているその人物のどちらか一方を本当に始末してしまう準備ができていない限り、真っ向から悪魔に攻撃を加えてはならない! 悪魔を公然と追い出し、そしてまた彼を暴露してしまった時、あなたは危機を早めているのであり、また終えてしまった方が良い何かを始めてしまったのである!

 3.神の子が、悪魔によって完全に取り付かれてしまうようなことがある、ということを私は信じないが、もし人が悪魔の嘘を信じるなら、悪魔は時として一時的な支配権を奪うことができるように思われる。そして彼は確かに、外側から非常にあなたを悩ます事ができるのである!

 4.霊的な問題を抱えた人と対処する時には、要点に触れるのを避けたり、そのことについて語らないことで、彼らの気に触らないようにしようと努めてはならない。もし彼らがそのことについて何らかの自尊心を持っているなら、それは他の問題と同じくらい悪いものである。悪魔は決して暴露されることを好まない。悪魔は、一体誰が害を与えているのかを人が本当に知ることのないように、暗闇でまた陰で密かに彼の汚い策略を行うことを好む。悪魔はそれが何かの病気か、あるいは精神的な問題とかなんとかであるといったように、人に思わせるのが好きなのである!

 5.矯正の見込みがない狂気の人々に対しては、彼らに立ち向かったり、あるいは危機を早めたりするのではなく、彼らに調子を合わせなければならない。彼らが勧告を受け入れず、罪を悔いず、また悔いくずおれて、心から救われることを望んでいないことが明らかである場合には彼らを解任するが、その時、ただ彼らをなだめ、彼らを友人として保った方が良いであろう!

 6.初期の段階のエキソシズムに関しては、必ずしも常に当人の協力を得る必要はないが、彼らがその後も清い状態でとどまるためには、彼らはその意志を、あなたたちと主の側に置かなければならないのである。彼らは、清い状態にとどまることを願望し、悔い改め、イエスと聖霊に自分たちのことを守ってくれるように望まなければならない。そうする時、あなたの側には、その悪霊を始末するための、彼らの霊の協力もあるのである。そうでないと、あの悪霊を追い出してもらった人について、主御自身が示して下さったようなことになってしまう。すなわちその霊は出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて、中に入ったのであり、後の状態は、始めよりももっと悪くなったのである!(マタイ12:45)

 7.それは処理しにくい状況、頑固な霊であるかもしれないが、それがいかに頑固であっても関係ない。あなたにはそれを追い出すための権威と力とがある! さてあなたには、それがあるか、ないか、そのいずれかである! もしイエス・キリストが実在するのであればあなたにはそれがある! もしその霊を追い出すための力をあなたが持っていないなら、あなたはイエス・キリストを持っていないのであり、イエス・キリストは実在してはおられないのであり、イエスは一度だって、死人の中から甦らなかったのであり、また私たちは全ての人の中で最も哀れむべき存在であって、私たちの信仰は空虚なものなのである! (Tコリント15:19,2)

 8.「一人では、千人を追うことができ、二人では、万人を敗走させることができる!」 (申命記32:30) 主は一体何のことを語っておられるとあなたたちは思うのか?−−軍隊か、何かの、何らかの兵士たちのことか?−−悪霊たちのことであるのは疑いもない!

 9.私たちは、神の御言葉の権威によって、また主の御名によって、そして主の戒めに従って、彼らが一体何者であっても、その悪霊共を追い出すことができ、またそれに取り付かれた人々を救い出してやることができる−−少なくとも正気に返って、彼ら自身の霊の支配下で悪魔に仕えるか、あるいは主に仕えるかの彼ら自身の決断を下すに十分なだけの時間の間。その後は、彼らがどのような決断を下そうとそれは彼らの責任である。

 10.その悪霊が支配している限り、それを許してしまったのが彼らの罪であるにしても、ある意味では、その取り付かれた人に真の責任はない。だから、彼らを完全に救い出すために、主にチャンスを与えるのは、私たちの責任なのである。

 11.もしあなたたちが、悪魔の支配から誰かを救い出してやっても、その後で彼らがなおも、彼ら自身の霊によって悪魔に仕えるという彼ら自身の自由選択を下すなら、その時にはもはやあなたたちにできることは何もない! その悪霊は、そして恐らく更に多くの悪霊たちは、たちまち引き返して来て、取り付かれた者は一層悪い状態になってしまうであろう! しかしもし彼らが、その霊の影響下から逃れた状態で、彼ら自身の自由意志と自由選択から主に仕え、また救い出してもらうことを望むなら、その時には、主が彼らを救い出して下さるのである!

 12.悪霊たちは、私たちに従属する:  彼らは、自分たちの望む通りに事を行うことはできない。私たちが彼らに告げることを行わなければならないのである! もし私たちが、離れ去れと言うなら、彼らはイエスの御名によって離れ去らなければならない! しかし私たちは、それでもなお私たち自身の霊に向かって離れ去れ、と告げることはできない! 私たちの霊には、やはり自由意志があって、それ自身の決断を下せるのである。だからもしそれが、主の選択でないなら、そして不従順か、妥協か、怠慢か、あるいはそれが何であれ、それが原因で、私たちが主の近くにおらず、また主の御霊の支配下にいないなら、つまり私たちの霊が、主の御霊に譲渡されていないなら、私たちの霊はやはり間違いを犯し得るのである。

 13.霊を見極めることとは、ただ単に良い霊と悪い霊とを見極めることではなく、それと同様に、人間の霊をも見極めることである。人々が、誠実であるかどうか、つまり彼らの心と思いの態度が誠実であるかどうかを、あなたたちは、見分けることができなければならない。

 14.私たちをこれほどにも悩ませるのは、問題の方ではなく、その問題を引き起こす問題者の方なのである!

 15.悪霊と対処している場合には、めめしく、弱々しい祈りなどは何の役にも立たない! あなたたちは、悪魔自身に話しかけ、彼を叱責し、もしできる事なら、彼を名指しで呼ばなければならないのである!

 16.何かの悪霊を追い払うのに最も効果的な方法とは、彼らを名指しで呼び、また名指しで叱責し、名指しで彼らを追い払い、名指しで彼らに立ち向かうことである!

 17.もし悪霊を追い出すことができないなら、私たちは、その悪霊につかれた人を追い出さなければならない!

 18.もし彼らが、地獄のような騒ぎを引き起こす者となり、地獄のような騒ぎを引き起こすことを望むなら、彼らを地獄に行くに任せよ!

 19.悪魔にとっては、人混みの中に隠れる方がはるかに容易なことである。

 20.マグダラのマリヤは、7つの悪霊によって満たされた娼婦であった! しかし主は、その全てを彼女から追い払い、彼女を清め、彼女を許された。そこで彼女は、主のお気に入りの恋人の一人、そしておそらくは、王のお気に入りの恋人となったであろう!

 21.攻撃しているその悪鬼の名前を見つけ出し、その後でイエス・キリストの御名によって、権威をもって名指しで彼らに命じなさい。そうすれば彼らは従わなければならない!

 22.人々が、私の母の所にやって来て、奇跡を行い、病人のために祈り、また彼らをいやしに来ることを求めた時、母はまず彼らを座らせて、彼らの魂や霊や、彼らの問題について、また−−それが悪鬼であれ、食餌法であれ、あるいは何であったにせよ−−そもそも彼らに病気を引き起こしたところの、彼らにとって真に誤っていたものについて対処したのである。つまりそれが主からの懲らしめだったのか、あるいは、悪魔からの呪いだったのかを知ろうと試みたのである。母は、単に病気を治療することではなしに、その原因を知ろうと堅く決心していたのである。そして病気は、何か霊的なもの、あるいは自然によるものの徴候にすぎないのである。

 23.イエスの御名を用いることをためらってはいけない。取り付かれている人に何回も繰り返し、イエスの御名によって祈らせ、イエスの御名を唱えさせ、またイエスの御名によって救い出されることを求めさせなさい。

 24.あなたの罪を全ての人に告白する必要はない。もしそれがただあなたと主との間の罪であるならば、ただ主にそれを告白すれば良い。もしそれがあなたと他の誰かの間の罪であるならば、その人にそれを告白しなさい。しかし、もし全会衆をつまずかせてしまったのであれば、全会衆に向かって告白する必要がある。

 25.たとえいわゆるクリスチャンとされている者、すなわち、自分たちでは主を知っており、もしかしたら救われているとさえ思っている、独善的なクリスチャンであっても、悪魔によって満たされている人々は、実際には、彼らがその父、悪魔の者たちであるのに、自分たちは神の御霊によってそれを行っているのだと考えて、誰かを呪うことができる!

 26.悪魔と波長の合っている者たちは、文字通り悪魔に対して祈り、それによって人々を煩わせるために、悪魔に彼の使い、あるいは彼の妨げの霊たちを送ってもらうことができる。

 27.人々が救い出されることを求めて祈る時、彼らがする必要のあるのは、ただ悪魔と悪魔の邪悪な霊たちと、その悪鬼どもから救い出されるために祈るだけではなく、それらの背後にいて、その後ろ立てを成し、こういった悪霊たちという手段を使って、自分たちの呪いを送っている人々の何人かに対しても祈る必要がある−−つまり、問題の核心に取り組むのである!

 28.クリスチャンでも、もし霊からはずれたり、主の道に立ちはだかったりしているなら、人々を呪うことができる!

 29.もし人々が、私たちを受け入れないなら、彼らは主を受け入れてはいない、 「私の味方でない者は、私に反対する者である。」(マタイ12:30)  だからもし彼らが、私たちに反対する者であるならば、彼らが悪魔に仕えているということが分かる。

 30.悪霊たちでさえ、私たちに服従するが、私たちはそれに対して積極的で断固とした態度を取り、その反対勢力を認知し、それに反駁し、異議を唱えて、呪い、追い払い、離れ去るように命じなければならない!

 31.悪霊たちは、あなたが彼らに対して許すこと以外には、何もすることができない。彼らは私たちに服従するが、時には彼らを遣わす者たちにも服従することがある。

 32.神もまた神の魔よけを持っている! 霊的に成熟している大人には、物体は必要ないはずである。しかし子供が、絵やイラストを必要とするように、無学な者たちには、十字架、十字架像、マリヤや聖徒たちの絵や像、そしてまた自分たちの信仰を霊感してくれる奇跡的な表明といったようなしるしや良い魔よけが必要である。問題なのは、どこでその象徴が崇拝に変わるかということである。そして恐れは、一種の崇拝の形態である!−−気をつけなさい!

 33.悪魔と渡り合う方法を知っており、またそうするための力と霊的な権威とがない限り、悪魔を相手に渡り合おうとしない方が良いであろう。

 34.人は、もはや自分自身をコントロール出来なくなり、自分自身の霊がもはや支配的ではなく、別の霊の完全な、あるいは全体的な支配下に置かれてしまうまで、取り付かれていることにはならない。

 35.私が完全な悪鬼つきと呼ぶのは、人がもはや全然自分をコントロールすることができず、悪鬼が思いのままにやって来ては、何でもその望むことを行ったり、あるいは、彼らに何であれ、その望むことを行なわせたりすることができるようになる時のことである。

 36.人が悪霊たちによって悩まされ、かつ同時に良い霊たちによって助けを与えられるというのは、可能なことである。

 37.あなたは時々、あなたの口を通して、間違った霊に物を語らせ、間違ったことを言うようにあなたを霊感させることさえできる−−しかしそれは、 必ずしも取りつかれているというのではない。 その違いは、 あなたの人生を敵がコントロールし、また治めるのをあなたがどの程度許すかというところにある。

 38.精神的な問題をもった人々は、非常に容易に取り乱し、いらいらしたり、悩ませられたり、大した事もないのにかんしゃくを起こしたり、憤ったりして、しばしば神経が非常に過敏な状態に陥るが、それは主として、彼らが霊においてやや弱いからであり、霊的に影響力を受け易いからである。だから彼らが間違った霊によって影響されてしまうのを避ける事ができるただ一つの方法とは、主の間近にとどまり、主の霊によって存分に満たされていることである。暗闇が隠れ場所を見つけられなくなって、逃げ去ってしまうほど、明るく光を内に入れなさい!

 39.「また悪魔に機会を与えてはいけない」  (エペソ4:27) は良い聖句である。 何故ならそれは、 必ずしも完全に占領されたり、あるいは取り付かれたりしないでも、時として悪魔に機会を与え、活動し、また入り込むための場所を与えてしまうことがあるということを示しているからである。しかし、これは本当の話だが、あなたが与える領域が一体どんなものであれ、悪魔は確かにそれを使うであろうし、 あなたの舌、あなたの辛辣な批判的な霊、他の人々への暴力的手段を含めて、手に入れることのできるものなら、何でも利用するであろう!

 40.精神病患者とうまくやっていくための最善の方法は、彼らをあまり調子に乗らせ過ぎることなしに、できる限り彼らの機嫌を取りながら調子を合わせることである。幼な子に対するのと同じように、常に必ず停止を命じ、何かにストップをかけなければならない限界が訪れる。そして大抵の場合、もしあなたが断固とした態度を取り、あなたが本気であることが彼らにも分かるなら、彼らは静かになるであろう。しかしあなたは、その事に関して、はっきりと、また断固とした態度を取り、またその事について、非常に明確でなければならない。つまりあなたがどんなものに我慢し、またどんなものに我慢しないかということに関して、非常にはっきりとした制限の一線を設け、従順に関する必要条件を設けるわけである。あなたが一体どんなものに我慢しないか、また彼らがどこまで行けるか、そしてどこまでなら許されるかを前もって彼らに警告し、ちょうど幼な子に対してそうするように、あなたが本当に本気である事、またそれを実行するつもりである事を彼らに知らせなさい。

 41.あなたの人生におけるどこかの領域内で、悪魔が引き続き活動するのを許してしまうなら、それは完全な鬼神信仰に発展してしまうことがある。そういった悪霊たちは、らくだの鼻のように、支配権をもっともっと欲しがるのであり、それを手っ取り早く芽のうちに摘み取り、ただ単に鼻だけではなく、その後ろにいるらくだも始末してしまうのが、早ければ早いほど良いのである。

 42.神経衰弱は、過度の肉体的疲労によって始まる。過度の肉体的疲労は、その後で神経的な過労となり、その結果、精神的な過労が生じ、結局はほとんど霊的な過労といったような状態になってしまう。

 43.悪霊を始末するためには、あなたは霊的にかなり強くなければならない! その問題に真っ向から攻撃を挑まなければならない。 「主よ、この愛する兄弟を祝福して下さい。」 とか何とかいったような漠然とした祈りによって、それと対処することなど到底できない。あなたはその悪霊、あるいは悪鬼に向かって個人的に直接語りかけ、怒りをもって、ほとんど暴力沙汰で彼を叱責しなければならない!−−そして離れ去るように彼に命じるのである。何故なら希望はそれしかないからである。悪魔に対しては、彼が理解できるような類いの言葉で対処しなければならない。そしてそれはかなり多くの力であり、また力のこもったものである!

 (No.K,33,66,99,168,171,287,291,303,334A,602,

603,664,666,678,710,719,720,727,764,856,857,

947,952,954,980,1008,1023,1041,1090,1379, 1399,

1408, 1409, 1420,1432,1436,1438,1442,1443,1444,

1448,1452,1454,1459,1464,1467,1527も参照。)

 

 

 44.マタイ8:16,17  夕暮れになると、人々は悪霊につかれた者を大勢み元に連れて来たので、イエスは御言葉をもって霊共を追い出し、病人をことごとくお癒しになった。これは預言者イザヤによって 「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた。」 と言われた言葉が成就するためである。

 45.マタイ10:1 そこでイエスは、12弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

 46.マタイ12:29  また誰でも、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその人の家に押し入って、家財を奪い取ることができようか、縛ってから、初めてその家を略奪することができる。

 47.マルコ1:34 イエスは、様々な病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また悪霊共にもの言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。

 48.マルコ9:29 するとイエスは言われた、 「この類いは、祈りと断食によらなければ、どうしても追い出すことはできない。」

 49.マルコ16:17,18 信じる者には、このようなしるしが伴う。即ち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をつかむであろう。また毒を飲んでも決して害を受けない。病人に手を置けばいやされる。

 50.ルカ9:1  それからイエスは、12弟子を呼び集めて、彼らに全ての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。

 51.ルカ10:17 70人が喜んで帰って来て言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します。」

 52.ルカ11:24-26 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水のない所を歩き回るが、見つからないので出て来た元の家に帰ろうと言って帰ってみると、その家は掃除がしてあるうえ飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って自分以上に悪い他の7つの霊を引き連れて来て中に入り、そこに住み込む。そうするとその人の後の状態は、初めよりももっと悪くなるのである。

 53.使徒行伝5:16 またエルサレム付近の町々からも大勢の人が病人や汚れた霊によって苦しめられている人たちを引き連れて集まってきたが、その全部の者が一人残らずいやされた。

 54.ヤコブ2:19 あなたは、神はただ一人であると信じているのか、それは結構である。悪霊共でさえ信じておののいている。

 55.Tヨハネ3:8b 神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。