19.教育・敬神的な

 

  あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じることのない練達した働き人となって、神に自分を認めてもらうように学びなさい。(Uテモテ2:15)

 

 1.私たちは、世界のリーダーシップのために幹部を養成している、真の士官学校である!

 2.そのやり方を誰か他の人に教えるよりは、自分でそれをする方が常に容易である。

 3.もしあなたが良い生徒であれば、あなたは良い教師となるであろう。

 4.人々は、自分に対して要求する事に応じて成長する。もし自分にわずかなものしか要求しないならば、その発育は妨げられるであろう。もし自分にかなりのものを要求するならば、巨大な背丈にまで成長するであろう。

 5.この人生の全目的は、次の人生のためにあなたを準備させることである。

 6.経験によって学ぶこと以上に、苦痛の多いものがあと一つだけある。それは経験によって学ばないことである。

 7.歴史が私たちに教えてくれること、それはほとんどの人間は歴史からは何一つ学ばないということである。

 8.教えることは学ぶこと。

 9.あなたたちは、教師として、永遠に影響を及ぼしている。その影響力が何処で止まるのかを告げる事のできる者は一人もいない。

 10.月並な教師は語るだけである。良い教師は説明する。優秀な教師は身をもって示す。偉大な教師は霊感を与える。

 11.全ての人は無学である−−ただ異なる主題に関してのみ。

 12.私は今、自分がなるべき者になりつつある。

 13.ある教授が、ある時、 「もし誰かが本当に何かを見たのなら、“I seed" (“I saw"が正しい) と言っても構わない」 と言った。

 14.子供たちは、その性教育を、いつでも好奇心を持っている時に、またいつでも知りたがっている時に自然に受けるべきであると私は信じている!

 15.逆境のような教育は、他にない。

 16.自分がいかに少しの事しか知らないかを知る前に、どれだけ多くの事を知らなければならないかは、奇妙なものである。

 17.彼らにできること、また彼らが自分自身ですべきことをあなたが彼らに代わってしてあげるなら、それはその人にとって永続的な助けとはならない。

 18.人に一匹の魚を与えるなら、あなたはその人に一日分の食物を与えたことになる。人に魚を釣ることを教えるなら、あなたは彼に一生の食物を与えたことになる。

 19.あなたが成長するにはあまりにも小さすぎるような場所に、神は決してあなたを置かれない。

 20.真理の腐敗と戦いなさい。

 21.経験は良き師である−−そしてそれは中途退学を許さない。

 22.私たちが、ある人の縦横の才気を認めるようになる頃には、彼がその域に達するまでに、彼が尋ねた様々な愚かな質問の事を私たちは忘れてしまっている。

 23.人生は魂の育児室である‥‥そこは、永遠の運命のための訓練所である。

 24.人は教えている間に学ぶ。

 25.子供の教育は、その両親であるあなたから始まる。幼な子に聞こえる範囲内であなたが語る全ての言葉は、その人格の形成に役立つ。

 26.生徒に、学びたいという願望を生じさせることなしに教えようとする教師は、冷たい鉄を打ちたたいているのに等しい。

 27.人間は、神の計画、又は神の目的を改良することはできない。

 28.もし私たちがそれから自分の教訓を学ぶなら、全ての過ちは、次の段階への足掛かりになり得る。

 29.私たちは、たった今訓練を受けている。即ち私たちが、なおこれからすべき仕事のために、備えられ、教えられ、技術を与えられ、またテストされているのである!

 30.教師は、人が落とし穴や過ちを避けるのを助け、辛い経験に代わる容易な方法となり得る。

 31.経験は、最良の師であるが、最も辛いものである。

 32.知性とは、コンピューターのようなものである:  それは善であれ、悪であれ、何かによって満たされていなければならない。そして私たちの反射行動は、私たちが教わってきたこと、あるいは経験してきたことに応じて、ある一定の方法において、反応するように精神的に調整されている。

 33.良いものから離れず、その上にさらにより良いものを加えなさい!

 34.全ての転倒は上向きの1ステップである−−もしあなたがそれから学ぶならば!

 35.他の人々に文書を配布する事でさえ、文書を自分自身の内に取り入れることほど重要ではない。

 36.受けるべき最善の教育とは、御言葉と信仰とサバイバルと可動性と福音を宣べ伝えることにおける、今この場での教育である。

 37.答案を直してくれる教師がここにいる今が、学ぶための最善の時である!

 38.アメリカの物理学者であり、ノーベル賞受賞者であるロバート・A・ミリカンはかつてこう言った:   「聖書を知ることは、教育のよく行き届いた人に絶対に欠かすことのできない必要条件である。」

 39.私たちは、人々に教会や教会の建物や牧師や宗派なしにやっていく方法を教えている。私たちは、自分で行うサバイバル宗教を教えているのである!

 40.私たちは、主によってプログラムされた神のコンピューターである。そして私たちは、主に教わってきたことだけしか知らない。そしてそれだけが、私たちが言う必要のあることなのである!−−しかしそれは、かなりの量である!

 41.幼い子供にイエスのことをどうやって教えようかと思案している人々は、イエスのことを知ってすらいない人々であるに違いない。

 42.次から次へと他の人々に教えていくように、他の人々に教えること。それが私たちの基礎的な原則である−−Uテモテ2:2

 43.あなたは学ぶことをやめてしまう時、死んでしまうほうがましであろう。何故ならその時には、あなたはもうすでに精神的にも、霊的にも死んでいるからである!

 44.堅い肉をベーブに与えてはいけない! 彼らには、彼らが理解することのできる乳を与えなさい!

 45.もしあなたが、この世で何かを成し遂げるつもりであるなら、その全てを自分だけでやることはできない。他の人々に、次から次へと教えていくように、他の人々に教えなければならないのである!

 46.御言葉は、私たちの全教育制度の基礎的な建築用ブロックである!

 47.御言葉を絶えず読むことによって、あなたの脳の中に決して消されることのない溝を彫り刻むことができる。

 48.私が至福千年に望む仕事は、私が今持っているのと同じ仕事である:  すなわち人々に真理を教えようと努める教育者であり、出版者である!

 49.私たちは、世界のために一つの教育制度を組織し、また確立しているところである!

 50.至福千年の最中には、ただ一つの教育制度しか存在しなくなるであろう−−すなわち、私たちの教育制度である!

 51.私たちは、次から次へと他の人々に教えていくように、他の人々に教えること−−即ち、福音の際限のない、核爆弾の連鎖反応−−を信じている!

 52.私たちの教科書は、モーレターと聖書である!

 53.経験は、最良の師であるが、それはつらく、代価のかかるものである。その一方教師は、学ぶことへの近道である。

 54.私たちの全目的は、教育である−−人々を福音の真理の内に教育することである!

 55.私たちは今、この人生における私たちの訓練期間中にある。それは次の人生において、世界を支配するために、私たちを準備するためのものである!

 56.知っておく必要があると自分で考えているだけのものを知ってしまうまで待つよりも、むしろ自分が知っているわずかなものを、今それが必要とされている場所に用いることによって、時々あなたはより多くのことを学び、また成し遂げることができる。

 57.学ぶべきことは、常により多くある‥‥あなたは決して学ぶことをやめない。私たちは、反対側に到達した後でさえ、学ぶことを止めないであろう。そして私たちはその時にも、私たちがここで学んできたことを用いるようになるのである。

 58.何らかの分野において、あなたが何かの形で得ることのできる全ての経験は、常に価値のあるものである。主は、あなたがこれまでに学んできた全てのものを用いて下さるということを、私は知った。

 59.私たちは、ちょうど学校に通っている子供たちのように色々な局面、段階、および必要を通過する。そして神は、何であれその時に応じて、私たちが必要としているものを与えて下さるのである。

 60.その一生涯の準備期間は−−たとえそれがあの 「決定的瞬間」のためだけであっても、また主による報酬のためだけであっても−−あなたがそのために作られた、その有益さの瞬間は−−その全てを甲斐のあるものとしてくれる。

 61.私たちはただ単に初代教会の歴史としてだけではなく、今日の教会のための模範として、使徒行伝を学ぶ!

 62.あなたたちは今、あなたたちが地球を統治するようになる時のために訓練されている。しかし、地球を統治することができるようになる前に、あなたたちは、自分たち自身を治めることを学ばなければならない。

 63.私たちの革命的な教育は、あらゆる分野と主題において、次のことをその主要目的としているべきである:  すなわちそれは、主の規則に従って、神における信仰を回復し、築くことである。

 64.神は、全ての科学、全ての芸術、全ての知識の分野における、明確な法則に従って万物を創造された。

 65.私たちには、無限の教育がある!

 66.あなたの全ての質問に答え、あなたの全ての問題を解決してくれる、より良い教育を受けるために、神の御言葉とファミリーにおける教育が与えられるここ以外に、一体何処へ行くことができるというのか?

 67.学べば学ぶほど、私は学ぶ必要のあることをもっと悟る。知れば知るほど、私は自分が知らない、ということを知る。

 68.もしあなたが、一度に全てのことを知ってしまったなら、ものを学ぶという胸踊らせる過程における、おびただしいほどの経験からくる喜びとスリルを逃してしまうことであろう。そして更には、生きることに対する興味を失ってしまいさえするかもしれない!

 69.最も良い教え方とは、人々が自分自身の質問に対する答えを見付けるのを助け、またもしできるならば、それを見ることができるように、身をもって示してあげることである。

 70.霊的なものが、一番上に来なければならない。又新しい国は、何よりもまず霊的なものでなければならない!−−すなわち神の御国である!

 71.洗脳が−−そして洗心が−−私たちの仕事である!−−神の御言葉の清い水で人々の汚れた思いと心を洗うことである!

 72.各人は、誰かに、自分の仕事を行うことを教える!

 73.真理の堅固な基礎を築くためには、惑わしは破壊されなければならない!

 74. 神の御言葉は、無きに等しいこの世の全ての神を敬わない教育や、神を認めない人間の知恵よりも、あなたを一層賢くしてくれる。

 75.あなたは、代わりのものを与えないかぎり、人々から何かを取ってはいけない。

 76.与え方を教えてあげることによって、人々に生き方を教え始めなさい!

 77.クリスチャン諸国は、世界を文明化し、又教える人たちとなっているはずであった。しかし彼らは、自分たちの始めた仕事に失敗したのだった。

 78.世界を征服することは、それが主の文明化されたクリスチャンの方法を世界に教える時にのみ、正しい。

 79.私たちは、臨床方式によって教える。すなわち、あなたのやり方を示し、あなたが実行することによって学ぶこと。

 80.主御自身、主の学校にあらゆる種類の学年と等級を持っておられ、また主の軍隊に、あらゆる種類の位を持っておられる!

 81.今は、下等な呪いをもたらすことしかしない、いわゆる高等な教育の学校内で、神と神の御言葉の真理ために、悪魔自身の途方もない虚偽の忌まわしく、極悪非道な戦慄に対して攻撃を挑み、また攻勢に転じるためのぎりぎりの時である!

 82.学生たちよ、教室内で自分の確信のために立ち上がり、自分の信仰のために戦いなさい!

 83.聞くことは忘れてしまう。見ることは覚えている。行なうことは理解できる。

 84.あなたたちが色々な場所へ行って、他の赤ん坊たちを産み始める前に、もうすでにあなたたちの所にいる、つまりもうすでに生まれているあなたたちの子供たちの世話をし、彼らに教え、また彼らを訓練し、彼らにレターを与えて、彼らを十分に成長させ、十分に教え込み、十分に確立させることの方が、はるかに優れている。

 85.もしそれが御言葉でも真理でもないなら、私は自分の子供たちに教えたいとは思わない!

 86.この世には、洗脳を禁じる法律はない。世界中のあらゆる宗教と教会は、それを行なっている。あらゆる政治組織もそれを行なっている。あらゆる宣伝担当局もそれを行なっている。あらゆる教育機関もそれを行なっている。世界中の全ての大学や学校もそれを行なっている!−−人の頭脳を彼らの方法によって洗おうと努めること。それこそが教育や、宗教や、政治の全目的なのである! 私たちは人の脳を神の方法で洗おうと努めている。

 87.あなたの証しによってさえ、主の物事の教育を人々に受けさせることは、あなたたちの主要な任務である。

 88.私は、いつも聖書の中で明白にとても象徴的であるとは考えられないことを文字通りの意味にとろうとしている! もしそれが文字通りで意味をなしているなら、文字通りに取りなさい!−−それがあなたにとって、象徴的なものとして解釈されているのなら別だが。

 89.あなたがこれ以上聖書から得る必要のある唯一の事柄は、道徳的教訓、霊的教訓や教えが唯一のものであって、このすべての歴史的、地理的詳細や家系の詳細や、きりのない古代史ではない。

 90.過去の事を忘れてしまいなさい! 前に向かって進もう! 今と未来に集中し、私たちの仕事をやり遂げ、古代史に無駄な時間を費やすのをやめよう。

 91.一体全体どうして、すでに過ぎ去り、終わったものであり、全く忘れられているべきはずの過去のことを学習すべきなのか? どうして私たちは、古代史の一つ一つの小さな詳細の、詳しい、込み入った、果てしない学習に時間を費やすべきなのか? それは過去のものであり、それは終わっている!

 92.私たちは、現在と未来に集中すべきである。もはや過去の全てのくずを知ったり、また旧約聖書の歴史を読むことさえ必要ではない。それは時間の無駄である! 詩篇や箴言の書やもっと最近のもの、今日と自分の霊的教訓と毎日の生活とに適用するものや、あなたに主を賛美させるもの、また同様に、未来に関する多くの預言などを読んでもいいが、古代の時代の深さにまで掘り下げて調べる必要は確かにない。

 93.新約聖書、特にキリストの人生、その中でもとりわけヨハネの福音書を読むことは、新しいクリスチャンにとって非常に役立つが、使徒たちの書簡に巻き込まれない方が、彼らはもっと良いとさえ言えるであろう、と私は思う。彼らはそこでパウロとペテロや他の者たちの何人かの間の大きな教義上の口論に突っ込んでしまうからである。

 94.私たちは現在すべきことと、未来を勉強することで非常に忙しいのに、何故後ろを振り返って、過去を学習するのに無駄な時間を費やすのか?

 95.どうして聖書を学習するのか? 私は、あなたたちが聖書に関して知る必要のあるほとんど全てを教え、今に当てはまり、現在そして私たちが今生きている人生と関係ある現代に及ぶ最新の、今日に対する適用性をもった全ての重要な聖句を引用した。あの全ての時代遅れのユダヤ人のくずを蒸し返すことはせずに。それは私たちの祖先にとっては良かったかもしれないが、私たちにとっては遅すぎる!

 96.どうしてあなたは、向きを変えて過去に戻って行くのか、特に教会的な過去や、教会的な聖書の学習や、その全ての過去や古代史に戻っていくのか? それは中身のない、くだらないおしゃべり大学である!それに中身がないのは、彼らがそれからくずやがらくた以外の何も得ないので、何の意味もないからである。それが彼らの人生に影響を与えたり、彼らに彼らの仕事や証しや、魂を勝ち取ることや、世界に福音を宣べ伝えることや、人々を未来に備えて準備することをさせたりしないという、明白で単純な理由のためである。

 97.あなたは、真理と神の御言葉と今日のための神の御言葉と、今日のための、神の預言者と神のメッセージと、今日のための方法とミニストリーを知っている限り、教会や、教会主義や、教会の教義や、あるいは聖書ですら知らなくてもよい。あなたの知る必要のある全ての聖書は、すでにあなたの預言者モーの中にある!

 98.多くの聖書物語やモーレターの中から教えることのできる多くのものがあるのに、どうして彼らに他のものを教えるべきなのか?

 99.あなたたちは、なお訓練を受けている最中である! あなたが一つの庭と一つの家の手入れの仕方を学んだなら、主はおそらくあなたに数軒の家と庭、多分1ダースの家と庭、多分1つの国全部を与えられるであろう。そしてあなたは、彼ら全員にその仕方を教えるのである。

 100.至福千年で人々は、真理と神の御言葉を教えられ、それによって訓練を受ける必要があるだろう。私たちは、悪魔のわざとサタンのわざと彼の全てのたわごとを着々と滅ぼさなくてはならないであろう!−−彼の全ての音楽や、文書や、彼の言わゆる芸術や、地上にある全ての主のものではないものを。

  (No.54,315,330C,334A,371,376,389,588,606,

619,645,687,688,693,694,715,718,721,722,

728,732,734,739,775,776,779,780,835,897,

986,996,1039,1047,1055,1107,1142,1214,1381,

1398,1470,チャイルドケアー・ハンドブックU&Vも参照。)

 

 

 101.申命記11:18-20 それ故、これらのわたしの言葉を、心と魂に収め、またそれを手につけてしるしとし、目の間において覚えとし、これを子供達に教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、また家の入口の柱と門にそれを書きしるさなければならない。

 102.詩篇16:7 わたしに、助言を授けられる主をほめまつる。夜はまた、わたしを治める者がわたしを教える。

 103.詩篇25:5 あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えて下さい。あなたはわが救いの神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。

 104.詩篇34:11  子らよ、来てわたしに聞け、わたしは主の恐るべきことをあなたがたに教えよう。

 105.詩篇119:24 あなたの証しは、わたしを喜ばせ、わたしを教え悟すものです。

 106.箴言1:7a 主を恐れることは、知識の始めである。

 107.箴言4:13 教訓を堅く捕らえて離してはならない。それを守れ、それはあなたの命である。

 108.箴言12:1 教訓を愛する人は、知識を愛する。懲らしめを憎む者は、愚かである。

 109.ヨハネ5:39 あなたがたは聖書の中に、永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、私について証しをするものである。

 110.ヨハネ6:45 預言者の書に、 「彼らはみな、神に教えられるであろう」 と書いてある。それ故、父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。

 111.使徒行伝17:11  ここにいる人たちは、テサロニケの者たちよりも高潔であって、心から教えを受け入れ、はたしてその通りかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。

 112.Uコリント2:13 このことについて語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって、霊のことを比べるのである。

 113.Tテモテ4:15 全てのことに、あなたの進歩が現れるため、これらのことを熟考し、それにあなた自身を完全にささげなさい。

 114.Uテモテ2:15 あなたは、真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない練達した働き人になって、神に自分を認めてもらえるように学びなさい。

 115.Uテモテ3:15 また幼い時から、キリスト・イエスにおける信仰によって、救いに至る知恵を、あなたに与えることのできる、聖書に親しんできた。