9.選択と決断すること

 

  すべての道で主を認めよ。そうすれば主は、あなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:6)

 

 1.私が自分の人生で、リーダーとして下さなければならなかった大きな決断のほとんどは、孤独な決断であって私と神だけでしたのであった。

 2.あなたはいつも人々に、その場ですぐに答えたり、あるいは即座に決断を下したりしなくてもよい。もしどうしたらいいかわからない時は、正直に、謙遜になってそのことを認めて、こう言いなさい。 「すまないがわからない」 と。

 3.ほとんどの時、神が使われるのは、何かの直接の、大々的、奇跡的、超自然的な啓示よりも、むしろあなたの持っている良い常識と、み霊の賜物である!

 4.全ての人に高い道と低い道とが開かれている。

   そして全ての人が自分の行く道を決める。

 5.私たちのまわりで起きることは、私たちの力の及ばぬ範囲のことであるが、それに対してどのように反応するかは、私たちの力の及ぶ範囲であることを気付こうではないか。 

 6.もし霊的にうまくいっているなら、何もかも申し分ない。

 7.私たちが、自分たちの行いを決定するのと同じくらい多く、私たちの行いも私たちを決定する。

 8.決断が下され、さいころが投げられたなら、その他の選択は忘れてしまいなさい。

 9.召される者は多いが、立ち上がる者は少ない。

 10.決断することは、ベッドを整えるようなものである:  それをする時に反対の側から誰かが助けてくれれば役に立つ。

 11.状況は、事情を変える。

 12.人生とは、あなたが船も、気候も選ぶことはできないが、多くのことが航海の操作と舵の導きで成しえる船旅のようである。

 13.決心することは、平安をもたらす。

 14.もしあなたが神の子であり、あなたが神に選択を任せるなら、神はあなたにとって最善のもの、あなたを幸福にしてくれるものを選んで下さる。

 15.神の未来のあるものは定まっているが、その未来の範囲内で神は多くの選択できるものを持っていられ、そのうちのあるものを、私たちは自分たちの決断によって変えることができる。

 16.神は、あなたが自由意志と自由選択で神を信じ、受け入れるようになることを、あらかじめ御存じだったのである。だからあなたはすでに救われることを運命づけられ、宿命づけられていたのである。主は、あなたの取る選択を御存じだったからである!

 17.あなたは次の人生でする仕事を選んだか? さて主はおそらくあなたに選択させられるであろう!

 18.神は、何でもあなたのしたくないことをさせられはしないが、それをしなかったなら、主はあなたをひどく後悔させられるかもしれない!

 19.あなたが神を選んだので、神はあなたを選ばれた。

 20.明白に、霊たちや天使たちはいくらかの選択権、いくらかの行動の自由を持っているに違いない。そうでなければ、サタンとその天使どもは反抗できなかっただろうから。

 21.あなたがそれを欲しいか、欲しくないか、あなたにそれが必要か、必要でないか、主がご自分の王国のためにそれを必要としておられるか、必要としておられないかは、あなたとあなたの信仰に非常に多くかかっている。

 22.もしあなたが主を選び、主の奉仕を選ぶなら、神はあなたを助けるために誰かを選んで下さるであろう!

 23.この人生は、絶えざる選択である。

 24.もしあなたが、どれが神の御心なのか確かでないなら、するべき最善のことは主を待ち望むことである。

 25.何であれ、神に栄光を帰するものは正しい!

 26.必ず自分のための神の御心を見付けるように確かめよ。たとえそれが誰か他の人のための神の御心でなくても。

 27.甲の口に合う食物も乙には毒に成りえる。

 28.神は、あなたにあなたの選択するものを与えられるかもしれないが、神だけが何が最善か御存じなのである。だから神が、あなたを何処で必要とされておられるのかを知った方が良いだろう!

 29.神は、世界を創造する前からさえ、あなたが取るようになる選択を知っておられ、あなたが救われるようにと定められたのである! 私は予定説と選択の両方を信じている。

 30.主はあなたに、どのように決断を下すかを教えようとしておられる。そして決断に至ることにかかわる主要な原則の一つとは:  話し始めないで祈りなさい!

 31.主は知っておられる。

    主は愛しておられる。

    主は気にかけておられる。

    何も主の真理をかすませることはできない!

    主は、主に選択を任せる人に最善のものを与えられる!

 32.どうして神はヒットラーを止められなかったのか? もし神が首を突っ込み、干渉され、ヒットラーを止めたなら、神は世界にいるすべての罪人が、罪や悪を行うことを止めなければならなかったことであろう!−−神が実際にそうされる時は世界の終わりである!

 33.私は、自分が主から突然の直接の啓示を得ない限り、素早い判断を下すのは好きではない。

 34.もしあなたが、全心をこめて主を愛しているなら、あなたの個人的な願望は大抵正しいものである。何故ならあなたは、主を喜ばすことだけを望むからである。

 35.一般人の意見とは反対に、神は大抵あなたのために選択はしてくださらないのである。あなたは自分で選択をし、自分自身に対する主の御心を見付け、主の御心を知るために勤勉に主を尋ね求めなければならないのである。

 36.エデンの園から現在に至るまで、私たちがまず第一にここにいる理由は、神の導きのもとで、どのように決断を下すかを学ぶことである。

 37.私は、人が信仰を持っていることに対して、選択させることを信じている。

 38.あなたが神の答えを求めて、考え、祈り始める時、あなたがいつも、考えるべき最初のことは何であるか? 御言葉の中で似た状況があったかどうか、考えてみるべきである−−彼らはどうしたか?

 39.あなたは今日のために生きて自分の命を救い、結局はそれを失うようになるのか?−−それともキリストのために生きて自分の命を失い、結局は永遠にそれを救うようになるだろうか? その選択はあなたに任せられている!

 40.神は、大抵人間が選択したことをくつがえすことはされない。

 41.どのような種類の決断であれ、その必要に応じて他のリーダーたち、またはキリストの体の残りの者たちとの同意なしに、たった一人の人だけで決定されるべきではない。

 42.聖霊の塗油で満たされている時というのは良く分からないかも知れないが、それがない時というのは確かに分かる。

 43.最初の印象が大抵正しい。もしあなたが、心から主に尋ねているなら‥‥

 44.あなたは運命づけられ、前もって決められていたのである。何故なら神は、あなたが取るようになる選択を御存じだったからである。

 45.あなたが選択をしなければならない時に選択しないなら、それ自体も選択である。

 46.あなたの持っている最も危険な敵とは、あなた自身である。全ての天の力を利用できるにも拘わらず、あなたはなお選択の主権を占めていて、あなたの強情な霊は、全く好き勝手なことを成し得るからである。

 47.神に出来ない事が幾つかある。神はそれらのことをしようとされないからである。何故なら神は、自らをある一定の制限内に拘束しておられ、あなたの選択の権限を邪魔しないようにご自身を制限しておられる。何故ならあなたが決断を下さなければならないのであり、主はご自身の意志を行わせるように、あなたを強制されないからである。

 48.いつでもあなたが真実をもって人々と対決する時、あなたは決定的段階を早めているのであり、彼らは決断しなければならなくなる!

 49.決断を下していない優柔不断の状態ほどあなたを苦しめ、神経をすり減らさせるものはない。

 50.あなたが決断を下して、従い始めるや否や、神は残りの全てのことをして下さる!

 51.ある人々は、自分の代わりにあなたに決断してもらうことを好む。そうすれば自分たちが祈ったり、その状況を真面目に分析する努力をしなくてもよいからである‥‥特に後で、決断したことで責めを受けるかもしれないような場合はそうである!−−だがそれは、決断を下す時に払わなければならない代価なのである!

 52.一度しか決断できないような事は、長い時間をかけて考慮されるべきである。

 53.開かれた扉の全てが主からのものというわけではない:  悪魔の企みということもあり得る。

 54.テストや試練やふるいにかけられる時はいつでも、決断の時である。

 55.人々がしくじる時、神が人間の問題に干渉しなければならなくなる。

 56.私たちが、自分自身の意志を行うか、それとも主のみ心を行うか、それとも悪魔の意志を行うかを見るために、主は、私たちが私たち自身やりたいことをし、自由に選択するという機会を与えなければならないのである。

 57.人間の意志の驚異と神秘とは、あたかも人生が秤であるかのようであり、人間の意志は、その秤をどちらの側にも傾けることができる指である。

 58.決断を下さない、ということはほとんどの場合あなたが犯すことのできる最悪の間違いである。

 59.決断を下すことを学ぶこと−−そのためにこそ、あなたはここにいる!

 60.ここ地上での私たちの全人生と経験は、賢い決断を下すことを学ぶためにある。

 61.私は、自分が聞く全てのことを信じるわけではないし、また自分が聞く全てのことに従うわけでもない。しかし少なくとも私は、耳を傾けて聞く。私はそれに何かの価値か、真価があるかどうかを見ようと検討するのである。

の特定の動き、または計画の利点と、不利な点とをはかろうとする貸借対照表のようなものである。

 62.時々あなたは、除去の過程によって決断に達することができることもある。つまり決断に有利になる全てのことと、その特別の選択に反対する全てのこととを比較して検討するわけであり、それは言わばその特定の動き、または計画の利点と、不利な点とをはかろうとする貨借対照表のようなものである。

 63.あなたが決断を下した時、いつもこう祈りなさい、 「主よ、もし私たちが誤った決断を下したなら、 どうか止めて下さい。」

 64.その選択がある一定の境界の内に、即ち神の御心のトンネルにとどまっている限り、神の御心における選択の変化には、ある程度のゆとりがあり、容認されるのである。勿論そのトンネルの中にさえ、いつも最善のものがあるわけなのだが、あなたがその正しい大体の領域にとどまっている限り、主はあなたの選択するものを与えられる。

 65.決断をするにあたって、主は御自分が御霊によってあなたに与えられた知恵と、あなた自身の良い常識を、使うよう求められる。

 66.神は、あなたが選択するのを助けるために、必ずしもあなたに特別の啓示を与えなくてはならないということはない。神はただあなたに知恵と、御霊の導きと、あるフィーリングを与えられる。もしあなたがこの方法で決断に達したなら、その時は神が、あなたを止められない限り、単にその方向に前進するのである。あなたは、新しい正反対の指示を受けるのでない限り、自分が受け取った最後の指示を実行するのである。

 67.初代教会が下した一つの決断は、神の御霊がそうせよ、と告げたとか、また神の御霊が何かの啓示を与えたとか、書かれていない。ただ彼らが、これこれの事をすべきだとかいうことが 「みんなにとって良いように思われた」 と書かれてある。

 68.神の御心は、言わばトンネルのようであり、そのトンネル内であなたは行ったり来たりできるし、神の御心内で自分の道を選べるわけである。そしてそれにはとても多くのバラエティーがある。

 69.全ファミリーに影響を与えるような、主要な決断については、ファミリーに一緒になって祈ってもらう事をしないで、私が決めたことは減多にない。大抵神が何をすべきか、すでに私に示して下さっているか、あるいはある事をするかある方向に行くか、あるいはある場所に行くという導きを私は感じるが、私はいつもファミリーにそれを確かめてもらうためにファミリーに集まって祈ってもらい、彼らにも同様に良いように思われるか、見てもらうのである。もし彼らが何か他の考え、または異義があるなら、あるいは何かの点を持ち出すことができるなら、それがいけないことがあろうか? 論じ合うことは助けになり、たいてい正しい選択をしてくれる。

 70.私たちは、常識や多数の者の助言や、状況や状態や、羊の毛や聖句や、導きや神の御心を見つける、あらゆる種類の方法に従って、かなり多く決断を下す。

 71.時々、主の御心を見つけるにあたって、それにかかわってくる多数の要素がある。それらは必ずしも常に一致するとは限らないが、大抵そのうちの大部分は一致する。

 72.時々神の御心を見つけることは、ただ進んで行って決断を下すことであることもある。そしてもしそれが誤った決断であれば、主は確かにあなたを止めて下さる! 神は、どうして他のあるものがもっと良いのか、その理由を持っておられたり、知っておられるかもしれない。だからそういう時にこそ、あなたは本当に波長を合わせ続け、必ず自分たちが主に従っていることを確かめなければならないのである。

 73.神の御心を見つける一つの確実な方法は、間違った決断を下すことである。何故なら、もしあなたが、喜んで示してもらうことを望んでいるなら、主はほとんどいつも即座に、あなたの間違った決断を訂正して下さるからである。

 74.私はただ多くの常識を使い、ただよく考えて、考え抜き、さて私たちが絶対にどうしてもしなければならないことは何か、またしなくてもよいような事で省けることは何か、それなしでやっていけることは何か、と言うことで多くの問題を解決できることを知った。

 75.どのようにして神の御心を見つけるか?−−自分自身の意志を持たないことによってである!

 76.クリスチャンにとって決断とは何か?−−あなたは何を知ろうとしているのか?−−神の御心である!

 77.私たちが、自分たち自身の選択をしない時、私たちは私たちの仕事や私たちの責任を避けているのであり、また私たちがここに置かれた第一の目的、すなわち、主にあって主の導きのもとで決断することを避けていることになる!

 78.人間は、善か悪かを選ぶために、正しいことをするか誤ったことをするか、神に仕えるか、それとも自分に仕えるか、悪魔に仕えるかを選択するために、また神に仕える利益を学ぶために造られ、ここに置かれたのである。その利益とは、天の父を感謝している子供として、自分自身の益のための、神の愛情深いル−ルを守り、神を拝し、御返しにそのすべてを神に感謝する、という喜びと幸福と快楽を刈り取ることである。

 79.正しい事をするか、誤ったことをするか、その決断を下すために、主はこの世界に私たちを置かれた。

 80.たとえ誤った決断であっても、決断を下せば一時的な安堵があるだろう。だが長い目で見れば、困難な目に合う!

 81.多くの事は正しい事でも、あるいはまた誤った事でさえないだろうが、ただ神が最も成し遂げることを望んでおられることではないだけなのである。

 82.結論に急がないように注意深くあらねばならない。結論に急ぐというのは結末に到達すべき前に、あまりにも素早くそこに飛躍するということであり、まだ定かではない何かをあまりにも素早く考えてしまうことである。

 83.人々は決断を下したことで責めを受けたくないから、自分の代わりにあなたに決断してもらいたいのである。彼らは、何かがうまくいかなくなった場合、あなたにその責めを受けてもらいたいのである。

 84.物事に関して早まった決断を下し、早まって始めないように!

 85.主は正確に何が起こるか、正確にいつ起こるかに関する明確な情報をあまり多く私たちに与えられないその一つの理由は、おそらく多くのことが私たちにかかっていて、私たちが何をするか、私たちがどれだけ早く私たちの仕事を成し遂げるか、また私たちが下す決断や選択にかかってくるからである。

 86.将来のとても多くのことが、私たちと私たちが何をするか、どれほどうまくそれをするか、あるいは私たちが、それをするかどうかにさえかかっているのに、私たちは、独断的に将来を予告することはできない!

 87.主は私たちにしるしを与えると約束された。出来事に関するヒント、指示、時の小さなしるしと、また個人のなかにあるしるし、人々の生活、思い、心、行動、反応、勤勉さ、忠実さ、忠誠さの中にあるしるしを見守りなさい。

 88.私たちが、いつも正確にどうしたらいいのか知っているとは限らないのは、知る必要がないからである。

 (No.4,74,127,238,317C,829,1324,1394も参照。)

 

 

 89.申命記30:19 わたしはきょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死、および祝福と呪いをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。

 90.詩篇27:11 主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだの故にわたしを平らかな道に導いて下さい。

 91.詩篇37:27 正しい人の歩みは、主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

 92.箴言19:21 人の心には多くの計画がある。しかしただ主のみむねだけが堅く立つ。

 93.箴言20:5 人の心にある計りごとは深い井戸の水のようだ。しかしさとき人はこれをくみ出す。

 94.箴言20:18 はかりごとは、共に議することによって成る。戦おうとするならば、まずよく議しなければならない。

 95.箴言24:6 賢い指揮によって戦いをすることができ、勝利は多くの議する者がいるからである。

 96.箴言24:26 ただしい答えをする者は、くちびるにくちづけするのである。

 97.箴言27:9 油と香とは、人の心を喜ばせる。心のこもった助言という友の優しさもそのようである。

 98.Uコリント13:1 すべての事柄は、二人か三人の証人の証言によって確定する。

 (また申命記30:19,20; サムエル記下24:12-14を参照。)