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殉教者の道  ジェーン・グレー妃

  イギリスにとって大いなる混乱の時代のことでした。カトリックとプロテスタントの抗争が激しく続き、大勢の人々はあれこれと考えるしかありませんでした。どっちつかずの人や、疑問を抱く人も沢山いました。疑う人もいました。自由になりたいと切に願うものの、長年強制されてきた因習の型から放たれるのを恐れる人が沢山いました。彼らは、真理のために立ち上がろうとする人を何よりも必要としていたのです。イエスの教えをただ実践し、従う人を。

  私は若く、教養がありました。本を読み、聖書を勉強していました。多くの書を読み、私は、ある単純な真実に出会いました。人の道や人の知恵は必ず滅びるものの、神の真理、私たちの救い主であり主なるイエスの御言葉は永遠に生き続けるということです。私は、人の思いを本当に変えるには心を変えなければならないことに気づきました。でも、それができるのは神様と、その奇跡を行う力と真理しかありません。

  主が私に示してくださった真理を実践することこそ、私の義務と感じ、それ以外は何もできませんでした。私は若く、固い意志と霊を抱いていました。真理のために戦うには命を懸けるのもいといませんでした。主の素晴らしい御言葉を読めば読むほど、その言葉は私の心の中で明るく生きていき、命を捨てることになっても、無のために生きるよりは何かのために死ぬほうが良かったのです。

  その頃、裏で政治的な操作が多く行われており、巧妙に政治を動かそうとしたり、権力や王座を手にしようとする試みが沢山ありました。私と素敵なギルフォードにとっては、最初から勝算などほとんどありませんでした。けれども、これらすべてにイエスは計画を持っておられ、より大いなる目的があり、私たちはそのご計画の一部でした。主は私たちが生きた短い人生のためだけではなく、死においてもご計画があり、私たちを力強い証し人として使われました。

  私たちの死は、当時の暴虐や腐敗に対する大いなるテスティモニーのためでした。イエスは私の心に安らぎを与えて、信仰と信頼と、主のみが与えたもうゆるしさえ抱いて死刑執行人に会えるようにしてくださいました。禁固されて過ごした何ヶ月の間、イエスが私の心を準備してくださいました。困窮の思える中で、絶えずいと近き助けとなってくださいました。

  私たちの殉教は、腐敗した体制と、その体制を指示している者たちに対する証しであり、神の真理に敵対して戦おうとする者たちに対する神の裁きをもたらしました。

  メアリーは王座を主張しましたが、彼女は心の中では真理を知っていたものの、自分の利得と、体制を喜ばせるために確信を妥協したので、安らぎが得られませんでした。

  私たちを死刑に処した裁判官も真理を知っており、あの後大きな変貌を遂げました。真理は必ず最後には勝利するものです。メアリーや裁判官や、利己的で世俗的な道に身を委ねていたその他の人々たちについて言うと、私たちの死によってすべて終わったわけではありません。彼らは神の御手を一蹴することなどできません。

  裁判官は私が死刑にされた後、気が狂ってしまいました。私が後をついてまわっているかのように霊気が感じ取れたといいます。確かにつきまとっていたからです! 彼らは私たちの体を殺しましたが、私たち自身は生き続けました! あの頑固な男は神と戦おうと一生懸命骨を折っていましたが、自分の強情なしつこさのゆえに苦しむことになりました。今の彼は全能の神ご自身に対して清算しなければなりません。今の彼は自分の道が誤っていたのがわかっています。

  あんなに若かった私が確信のためにあれほども堅く立ち上がれた理由が理解できない人が大勢いました。イエスが、あの最後の日々の私を助けてくださったのです。私自身の力ではありません。私自身が非常に強かったのではなく、神様の恵みのみでした。神様は敗北のように思えたものを大いなる勝利に変えられました。私は自分の力で自分の境遇を変えることはできなかったので、肉体的な逃れ道は与えられませんでした。私がすごく勇敢だったとか、他の人たちと違ったわけでは全くなく、主がその恵みを注ぎ出してくださっただけです。政治が深くからんでいて、私のまわりの腐敗していて陰険な人々は、どちらにしても私を死刑にしようと企んでいたのですから。私は、必要があればイエスがダニエルをライオンの口から守られたように私を救い出せるという固い確信はありましたが、私の殉教を通して当時の邪悪な体制がさらに暴露されることこそ、主のご計画でした。死を通しても私は自分の信仰を貫いていました。私は後生に残る宣言をしていたのです。

  最後の数ヶ月、ロンドン塔で過ごした暗くみじめな日々、イエスは私の心を準備し、人知を超える安らぎをくださいました。主の愛の温かさと光を豊かに注ぎ出してくださったので、周りの湿気や寒さがほとんど気にならないほどでした。確かにあたりはじめじめしていて寒いし、それを感じましたが、主が守り通してくださいました。

  ロンドン塔に閉じ込められていた時間は、私の最も熱心な祈りへの答になりました。愛する人たちに対して、魂の責任を果たしたいという願望を満たしてくださったのです。これはほとんど手紙を通して行ないましたが、紙に書くことによって、後になってから彼らが嘘のために生きるか、私と同じように真理を受け入れるかが自分で決断できるように、彼らがずっと持っていてじっくり考えられるものを残していたわけです。これは主が恵み深く私に許してくださった、私の心の願いでした。その手紙ゆえに、それ以来、私は、親族をはじめ数多くの人々の人生や心の中に生き続けることができたのです。当時の私はまさかあれらの言葉がこれほども大きな影響を与え、こんなに沢山の人生が影響を受けるとは知りませんでした。

  これは腐敗と虚偽で満たされたこの世界、私が何よりも嫌悪した世界、肉のやり方や肉の思いの世界、競争や軽薄な生き方の世界、偶像や束縛や死んだ宗教の世界を去った時の私の喜びでした。私は嘘のために生きるよりは真理のために死にました。

  まわりのすべてが偽善であり、腐敗した体制と人間の邪悪な道がはびこっていて、邪悪な人々の強欲が普及し、人の信仰や宗教が欲や恐れや偶像礼拝で支配されている時、あなたは何かをしなくてはなりません。これこそ死をいとわずに私に信仰を貫かせたものでした。私は若かったけれども、たとえ死んでもキリストと真理のために死ぬことは益であると知っており、解放されて幸せでした!

  私が空中で主と対面したあの日は、なんと栄光に満ちた日だったことか! あの素晴らしい再会はあまりにも尊いものです。斬首はそんなに困難な死に方ではなく、素早く終わって、私はほとんど痛みを感じませんでした。イエスが安らぎで満たしてくださったので、直前もあまり不安ではありませんでした。

  私は愛するギルフォードと感動的な、愛に満ちた再会をして、天国の流儀の指導を受けました。それから、本当の仕事が始まったのです。イエスは霊の世界から仕事を続けさせてくださいました。地上にいた時にはできなかった方法で人々の人生に触れ、心に働きかけられるようになりました。やっと政治的な策略や腐敗した人々のやり方を黙認することから解放され、主の御仕事を自由に行なえるようになりました。

  親愛するファミリー、恐れることは全くありません。すべての預言者や殉教者や聖徒たちがあなたのそばにいます。神が御名のためにあなたに苦しむように要求されることがあっても、恐れる必要は決してありません。神はあなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないのです。また覚えていてください。ほとんどの人は、生きた殉教者、毎日他の人を勝ち取るために命を犠牲として捨てるのをいとわない証し人となるよう召されています。

  私は死んでからダッドと知り合う光栄に恵まれました。殉教した時の私はまだティーンだったので、ダッドは特に私のことをもっと知りたいと思いました。私は当然ながら、ダッドが天国に来た時から特に会ってみたいと思っていました。ファミリーが初めてイギリスに来た時、チンブルック・ロードやブロムリーやメードストンの頃から興味は持っていました。あれ以来、ずっとファミリーの進展を見守ってきました。

  イエスはあなたの命令にいつでも従う特権を私にくださいました。彼らは私を九日女王と呼びましたが、私がイエスの宮廷とダビデの軍隊で女王になるとは思ってもいませんでした。私はあなたの命令を受ける女王であり、この光栄を大切にしています。私は恵まれています。そして、愛するファミリー、あなたのそばで戦う準備ができています。

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  モーガン裁判官は、ジェーン妃を死刑に処したが、その少し後、気が狂い「ジェーンを追い払ってくれ」としょっちゅうわめいていた。そして自分の命を絶ったのだった。

−−Fox’s Book of Martyersより

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  ひざまずいた彼女はフェックナムの方を向いて、「この詩篇を朗読しましょうか?」と尋ねると、彼は「はい」と言った。彼女は「ミゼレーレ・メル・デウス(詩篇51篇)」を最後まで英語で熱烈に朗読した。それから立ち上がり、手袋とハンカチを、少女のエレンに、本をブルージュ夫人に渡した。続いてガウンのひもをほどき始めた。処刑人が手伝おうと申し出たが、彼女はそれを断り、2人の侍女が上着とネッカチーフを外すのを手伝ってから、目をおおうためにきれいなハンカチを渡した。処刑人がひざまずいて彼女のゆるしを求めると、彼女は喜んで彼をゆるし、「素早く処分してくださるように願います」と言った。

  それからひざまずいて、「横になる前に済ませてくださいますか?」と言った。

  処刑人は「それは出来ません」と答えた。

  彼女はハンカチを目の回りにくくりつけてから断頭台を手で探りながら、「どうすれば良いのでしょう? 台はどこですか?」と言った。

  そばにいた人が台まで導いてくれたので、彼女は頭を断頭台の上に横たえて、体を伸ばしてから、「主よ、あなたの御手にわが霊を委ねます」と言った。

  こうして1554年2月12日、17年ほどの彼女の人生は終わった。このようにしてジェーン妃は断頭され、妃の夫でもあり、ノーサンバーランド公の息子のギルフォード公も共に断頭された。

――Fox's Book of Martyrsより

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ジェーン・グレー妃(1537-54)

  9日間、イギリスの女王を務めた。ジェーン妃が15歳の時に、イギリスの有力な宮内長官ノーサンバーランド公は、息子のギルフォード・ダドレーとの結婚を手配した。宮内長官は慢性的に病的な状態にあった若い国王エドワード6世の死と共に、ジェーン妃を使って王位継承順位を変えた上、彼女を通して国を支配しようという意図だった。エドワードは結婚を認め、ジェーン妃が王位継承者であるという証書の証人も確保した。国王が1553年7月6日に死んだ時、ジェーン妃の即位が宣言されたが、エドワードの異母姉妹のメアリー・チューダーがこの継承順位に異議を唱えた。ジェーン妃はその結果としてロンドン塔に幽閉された。妃と夫は反逆罪のために告発され、1554年2月12日に2人とも断頭された。ジェーン妃が17歳の時のことである。

――Microsoft (r) Encarta (r) 98 Encyclopediaより

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  処刑される前夜に、ジェーン妃が妹キャサリンに送った手紙。これは新約聖書の最後にギリシャ語で書かれていた。

  「妹キャサリン、見た目は金箔で飾り立てられていませんが、中身は宝石よりも価値ある本を、こうしてあなたに送ります。愛する妹よ、この本は主の律法が記された本です。主の契約と最後の遺言書であり、主はこれを私たち哀れな人間に遺贈してくださいました。永遠の喜びの道へと導いてくれるものであり、良い心をもって読み、従おうと熱心に決意すれば、不滅で永遠の命をもたらしてくれるでしょう。生き方と死に方を教えてくれるでしょう。悲惨なお父様の土地を所有することから得られたものよりも多くのものを得させてくれるでしょう。ダビデのように、主なる神の律法を理解するように望んでください。

  この世には公然と反対し、悪魔を否定し、肉をさげすみ、喜ぶ時は主のみによって喜んでください。私のように、キリストの内に喜びなさい。主人であるキリストの足跡に従い、十字架を負いなさい。あなたの罪をキリストの背に委ねて、常に主を抱きしめなさい。私の死についてですが、私がこの腐敗から解放され、朽ちない衣を着ることができるゆえに、私と共に喜んでください。命を延ばそうとして主の真理を否定すれば、神はあなたを否定して命を縮められるでしょう。主にしっかりつながっていれば、主はあなたの慰めとご自分の栄光のためにあなたの命を延ばされます。神は今、私をこの栄光へと連れて行かれ、あなたも神の御心の時に連れて来られるでしょう。妹よ、さようなら。神だけに信頼を置きなさい。神だけがあなたを助けられるからです。」

 

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ライオンの口  ヨセフ

  僕の名前はヨセフです。皇帝が改宗する直前のローマ帝国の時代に生きていました。あれはつらい時代でした。人々は救いを非常に必要としていました。ローマは悪い霊やあらゆる汚れたものにふけっていて、民衆は深い暗黒に包まれていました。

  でも僕と家族と友達にとっては興奮させられる時代でした。真理を知っていたし、真理を宣べ伝え、自分たちが正しいことを知っていたからです。これが僕らを導く灯りであり、霊感であり、僕らを駆り立てた力であり、がんばり続けさせてくれました。まわりのすべてが暗く、見込みがない時に、自分は他の人が切実に必要としていたものを持っているのを知っていると、目前でライオンの吠えていても、耐え抜く安らぎと確信が与えられるのです。

  カタコンベで暮らし、隠れて集まり、常に警戒していなければならず、常に信用できる人が誰かわからず、誰が裏切るかわからないような時代、これは僕にとってはらはらさせられる時代でした。僕は若くて活力や情熱やエネルギーであふれていて、真理で爆発しそうだと感じる時もあったほどです。それにふさわしい時が来るまで待たなければならないのは知っていましたが、まわりに暴虐や、嘘や、痛みや苦しみや、偽善や流血や、イエスの真理を知らずに死んでいく大勢の人々があふれているのを見ると、神の真理のために信仰を貫こうという刺激を受けました。正しい大義のために生きているのは僕らのほうだと知っていたからです。これらのことをどう伝えるかという手段については、気を付けなければなりませんでした。大いなる知恵を用いて、へびのように賢く、はとのように素直に振る舞わなければなりませんでした。

  しかし民衆の前で立ち上がって大胆に語り、ローマのすべての権力に対してよりも神への愛と忠誠心を宣告して、最後の栄光の閃光として去っていくこと、これは僕の生涯で最も興奮させられる機会の一つでした。あの最後の証しの興奮感、立ち上がって民衆に説教すること、自分は正しいことを行なっていて、切実に助けを必要としている国に対して正しいことを伝えているのを知ることから来る刺激、これらの興奮感は僕らを興奮とエクスタシーの絶頂に高揚させてくれました! 何という恍惚感でしょうか!

  誰もがそれぞれ召しを受けていますが、最後の証し人として選ばれた僕らに、イエスは、この時のために恵みと栄光と超自然的な力をくださったのです。まるで、究極の恍惚感のようでした! 自分は魂を勝ち取っていて、真理を語っているのであり、この真理は敗れることがないのを知ることから来る興奮です!

  ローマの護送兵が僕らを闘技場の中へと連れ出した時、一瞬だけ僕には幼い妹の顔がちらっと見えました。つかの間でしたが、妹がためらいと恐れの誘惑にかられていて、恐れているのを感じ取りました。これを見て感情がかきたてられ、僕は歌い出して一同を導きました。すると直ちに恐れは消え去りました!

  僕が幼い妹のナオミの手を握ると、ライオンが闘技場に放たれました。しかし僕らの戦いの讃美歌は観衆のどよめきよりも高く響き、僕らは力づけられました! まるで空中に舞い上げられ、天の高き所へと運ばれたかのようです。今日の世界で比べられるものは何もありません。地上の刺激や興奮感の内、あの一瞬の興奮と比べられるものはないのです。イエスの御心であれば、ライオンの口を閉ざすことができるのを知っていましたが、僕らの召しは違いました。僕らは肉体的に救い出されるように召されていたのではなく、証しになるように召されていたのであり、霊の内に救い出されることによって大勢の人が救われるためでした。そして彼らは救われました! ローマは改宗したのです!

  僕はあの日、最後の方に死にました。妹をしっかりと抱きしめながら、僕らの兄弟の体にライオンの牙が刺さるのを見る度に、毎回、一撃ごとに天使たちの歌声が聞こえました。鐘が鳴り、チャイムが響き、天国からのメロディーが聞こえました。僕らが歌っていた歌を完璧なタイミングで演奏してくれていたのです。まるで伴奏してくれるバンド、つまり天国のオーケストラがいるかのようでした! 生涯でこんなに素晴らしい音楽を聴いたことはありません!

  僕らは天国から一様に流れてくる明るい光にすっぽりと囲まれました。この白くて温かく、心をなだめてくれる光は、どんな傷も痛みも取り去ってくれました。事実、誰も痛みを感じていませんでした。とても良い気持ちです。あまりに良い気持ちなので僕らはほほ笑むしかできませんでした! 恐れがすべて消え去ったので、あんなに大きくほほ笑むことができたのです! 誰か1人が倒れる度に、空中へ舞い上がっていき、イエスの御腕の中へと真っ直ぐ引き上げられるのが見えました。

  イエスと神と大勢の聖徒たちが、僕たちを歓迎しようと大手を広げて天で待っていました。天が開かれ、その情景が見えました。こうして僕たちはさらに大きな声で歌い、互いに声援を送り合いました。栄光に満ちた日でした。ついに自由になれるのです!

  するとまた、ある事が僕と妹に起こりました。これは主からの余分の祝福だったのがわかります。この最後の瞬間まで、僕は観衆をまったく意識していませんでした。確かに彼らの叫び声は聞こえましたが、僕らはこういう興奮感や恍惚感に包まれていたので、観客席の人々を認識すらしていなかったのです。

  天に引き上げられる時が来る直前に、観衆の中で一番近い所に座っている何人かの目と目が合いました。彼らの目を深くのぞき込むと、自分の奥深くに感じている愛と安らぎが、彼らの魂そのものにしみ込んでいるのがわかり、彼らが完全に変えられたのがわかりました。彼らの驚きが目に見え、メッセージが伝わったのがわかりました。まるでその場で改宗しているのが見えるかのようです。実際、改宗した人が沢山いました。目の前の光景に非常に感動し、あっけにとられ、困惑していました。それを見て、僕は、彼らが残って仕事を続けるように残された兄弟たちから御言葉を受け取る準備ができているのがわかりました。

  また、不安気で、途方に暮れている見物人もいました。これもまた神の御手が彼らの人生に働きかけておられ、決断させようとしておられたのです。僕らの死が観衆に対してどういう影響を及ぼしているかをこの目で見たのは特別な喜びでした。この冷淡で無情な群集は、冷酷で救う見込みなどないように思えましたが、あの日救われた人は沢山いました。大勢が救われ、全員が決断に迫られました。誰も心の中で何らかの決断をせずに闘技場を去ることはできませんでした。

  イエスのための証しになるという栄光と栄誉は与えられ得る最大の使命です。証しのスリルや、魂が救われたり、人生が変えられたのを見たり、世界を変える何かを行なっているのを知ることは、最大の使命です。真理を宣べ伝えるのはすべての恍惚感の内、最高の恍惚です。自分が正しいと知っているのであり、誰もそれを取り去ることはできません。

  闘技場で信仰を貫いたあの素晴らしい日に、イエスは僕らにすべての賜物の内で最も尊い賜物、つまり信仰の賜物をくださいました。僕らの信仰はこの世を征服した勝利であり、今もこの世と、真理に反抗するすべての世の人々を征服し続けています。勝利は僕らのものであり、この勝利は僕らの信仰です!

 

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愛のために死ぬ  ジュリアス

  僕はイエスについて何も知らない若いティーンでしたが、イエスのために立ち上がった、ある人への愛のために殉教しました。

  僕は宮廷にいる、ある貴族の侍従でした。彼は皇帝にとって息子のような存在でした。僕は彼にとって召し使い以上のものであり、友達同士であり、彼は僕を信用してくれました。ある日、彼はクリスチャンの見本を見て、イエスの愛を感じた後に改宗しました。彼が僕に何が起こったのかを説明する間もなく、皇帝が彼の改宗のことを耳にしました。それで彼は牢獄に連れて行かれ、直ちに処刑される予定でした。彼は信仰を否定するかどうかの選択を与えられました。僕は彼が何のために戦っているのかは知りませんでしたが、彼があんなに堅く信仰を貫いたのを見て、彼は容易に自分の人生を危険にさらす人ではないと知っていたので、きっと真理を見出したのだろうと確信しました。僕は、死ぬまで彼について行こうと決心しました。彼が見出したものは、僕が今捨てようとしている空しさすべてよりも価値あるのがわかったからです。

  僕と話しをしたり、自分の人生にどういうことが起こったのかや、見出したこの大いなる真理とは何かについて説明してくれる時間は彼にはありませんでしたが、主は、僕が話しを喜んで聞くこと、またそのために死ぬのをいとわないのをご存じでした。彼の目に輝く愛を見て、それが本当のものだとわかったからです。こうして僕は救われました。イエスの素晴らしい愛について聞くことによってではなく、主人の目に光る確信を見て、また主人がそのために死ぬ価値があると思われるなら、僕も同じように命を捨てようと思うことによって、救われたのです。主人と共に闘技場までに行き、共に天の王国へと連れ去られ、僕はここで何のために命を捨てたのかを知りました。それはイエスだけが知っていて、この世界は全く知らないような、素晴らしい愛のためです。

  僕と全く同じようなティーンは沢山います。天の領域と王国を一瞬でも垣間見ることができれば、誰かが神の御霊の塗油を受けて立ち上がって、ローマ皇帝に反対するメッセージを伝えるのを見れば、彼らも、たとえそのためだけであっても立ち上がって殉教するでしょう。彼らの多くは今でさえローマ(体制)を憎んでいますが、その他の何のために立ち上がるべきかわからないので、ローマの力に流されています。

  ローマ全体があなたに敵対していても、真理のために大声で語っているのはあなただけであっても、忠実に証しをしなさい。真理のために語り、急進的なメッセージを伝え、人々が毎日頻繁に聞いている音よりも高く響く何か、彼らを振り向かせて耳を傾けさせるような何かを伝える機会があったら、それを逃さないように。誰が知るでしょうか? あなたもまた、もう1人の誰かをこの天の王国へ連れて来ることになるかもしれません。

 

ローマの殉教者ガリエン

  ローマの時代には、僕らのような殉教者が沢山いました。僕らは迫害や死を目前にして勇敢にならなければなりませんでした。私達はもともと勇敢ではありませんでしたが、勇敢にさせらたのです。今僕らは、あなたが勇敢になり、強くなるのを助けられます。

  ローマ時代のような時代がまた来るでしょう。体制は変わっていません。僕らはローマ人と共に働かなければなりませんでした。また、奴隷にもなったし、召し使いにもさせられました。体制にいましたが、体制の一員ではありませんでした。あなたが残るつもりなら、強くならなければなりませんし、僕らの助けが必要です。だから僕らを呼んでください。舞台の脇にいてカーテンコールを待っています。僕らの役目を果たそうと、またあなたが役を果たすのを助けようと待っています。

 

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「自由」の国で拷問を受ける ウェコの犠牲者 

  ハロー! 私はウェコの悲劇で死んだティーンの女の子です。実に悲惨な出来事でしたが、神はきっと耐え抜くのを助けてくださると信頼できたことを感謝しています。神への信仰がなければ、気が狂ってしまったことでしょう! でも、聖書と神の恵みが、あの恐ろしい体験を耐え抜くのを助けてくれました。

  このような事件が起こるなんて、全然思っていませんでした。自由の国にいて、自分の家にいながらにして、まるで狂暴な犯罪者のように扱われるなんて、ショッキングでした。政府の人が罪のない人を殺そうとやって来るなんて、「E.T.」のような映画の中だけだと思っていました。まさか現実だとは思っていませんでした。こういうことが実際に起こり得るとはまさか思っていなかったので、あっけに取られてしまいました!

  警察が来ると最初に聞いた時、私たち子供たちはどんなに深刻な事態か、気づきませんでした。それどころか、映画みたいでちょっとエキサイティングだと思った子もいたほどです。でも警察が銃を撃ち始めて、ヘリコプターの音が聞こえ、外に出られなくなると、その危険に気づきました。狙撃兵が打つという噂もあって、命を落とすのではと恐れました。私たちの身に何が起こるのか、全然わかりませんでした! 私達は囚人のようで、電気が止められ、水道水が制限されてからは、もう刺激的などとは言っていられませんでした。寒くて気味悪く、こういう悪条件から病気になった人も何人かいました。

  私が特に怖かったのは、戦車が行ったり来たりして地面が揺れたことです。まるで侵略のようでした! 自分がまるで虫けらのように小さく感じました。「これは現実に起こっているの? 私たちは無害な人間なのがわからないのかしら?」と思いました。私たちはただ聖書を信じていて、昔ながらの人々のように聖書を勉強したり、イエスのような生き方をしようとしていただけでした。

  誰1人として虐待されていた子供はおらず、とても幸福でした! 外に出て遊んだり、ゲームをしたり、勉強もしていました。聖書のクラスをしたり、歌を歌ったり、踊ったり、親や皆ととても親しかったのです。誰も私たちを殴ったりしませんでした。両親はもちろん厳しかったものの、児童虐待は全然ありませんでした。両親は私を愛していて、一緒に沢山の時間を過ごしました。

  けれども、私たちに対するこの襲撃を通して、私は外の世界にはあまり愛がないのをすぐに知りました。それは確かです! 私たちの宗教上の信条や見解のゆえに私たちを殺そうとしている人々がいるのを知るのは恐ろしいことでした。聖句を引用したり、詩篇を読んだりして、主は私たちを慰めてくださいました。主はたとえ何があっても私たちが主のものだと知る恵みをくださいました。死んでも、生きても、主のものです。一緒に集まると、親や長老たちは、私たちを迫害している者たちのために祈りました。それには沢山の愛が必要でした。

  私たちは、ライオンの穴の中のダニエルについてや、火の中に放り込まれたシャデラク、メシャクとアベデネゴについての物語を読みました。その意味がわかってきました。主は何か猛烈な事件が起こると警告されました。予感があったのです。1日1日が過ぎていくに連れ、事態はますます厳しさを増しました。夜は眠れず、まるで拷問のようでした。政府の機関員こそ私たちをひどく虐待しているのに、私たちの親を虐待者として非難していたのです! 昼間は戦車やヘリコプターや騒音で私たちを囲み、夜は明るい探照灯を照らし、死んでいく動物の鋭い叫び声やぞっとさせられるような恐ろしい音をスピーカーで送り込んでくるのです! ホラー映画の中に暮らしているようでした! 小さな赤ちゃんや子供たちは泣いていて、私たちは睡眠不足で疲れきっていました。

  私たちは、歌を歌って、スピーカーで流されるすさまじい、すごい騒音をかき消そうとしました。戦争のような音で、銃が発射されたり、爆弾が破裂するように聞こえるので、スピーカーからなのか、本当に起こっているのかわからない時もあるほどでした! また地面は戦車のせいでガラガラと鳴っていました。絶え間ない恐怖でした。親の顔の表情からして、この状況を生き延びれないかもしれないのがわかりました。私はまだ若いティーンにすぎませんでしたが、死と直面することを学びました。考える時間は沢山あり、子供たちすら気づいていました。

  私の疑問は、「これは誰の責任? 誰がこういう命令を出しているの? 誰が私たちを殺すように人に命令しているの?」でした。彼らは、私たちが武装していて危険だと言っていましたが、私たちは誰も傷つけようと思っていませんでした。それから何人かが撃たれました! 私にとって父親のようなデービッド(コレシュ)が撃たれてけがを負いました。信じられませんでした! デービッドが生き延びるかはわかりませんでした。でも彼はとてもポジティブでした。彼には、どちらにしても神が自分も私たちも面倒を見てくださるという信仰があったので、私たちもがんばり続ける励みになりました。私たち子供たちはなぜ人を助け、愛そうとしかしなかった人を、こんなに憎み、殺したいと思う人がいるのか理解できませんでした!頭がとても混乱しました!

  私は母を励まし、小さな子供たちを楽しませ、幸せに保つためにも勇敢にならなければなりませんでした。まわりの出来事から思いを離させるために遊べるゲームを考え付かなければなりませんでした。ものすごい死闘でした! ローマの時代にライオンの餌にされるのに似ていました。ほんの少し違いはありましたが。

  事態がきつくなりすぎてきたので、私たちは素早く終わるように助けてくださいと神に祈ってお願いしました。すでに何人かが撃たれて死んだので、銃で無差別に撃たれるのかもしれないと思って、外に出るのが怖くなりました。どうしても彼らを信用できませんでした。弁護士たちは施設が盗聴されていると教えてくれました。また、政府はすでに私たちをだまして嘘をついてきたのですから、外に出るなんて無理です。あまりに怖すぎました。前に出ていった何人かは、刑務所に入れられ、犯罪者のように扱われたと聞いていました。どうすればいいと言うのでしょう。

  時間がなくなってきていました。そして、何人かにとっては耐えられない状態だったので、神に何かをしてくださるように求めました。だからあの最後の朝に戦車のガラガラという音を聞いた時、戦車が突入してきた時に地下にいなければ圧死するのを知っていたので、私たちは身を守るために地下室へ降りていきました。自殺なんてとうてい考えていないことでした! 何とばかげた話しでしょうか!

  襲撃されているのはわかりました。私たちは銃を一丁も出しておらず、皆一緒にちぢこまっていました。何が起こっているのか全然わかりません。小さな子供たちは泣き叫んでいて、私たちは互いに抱きしめ合って祈り、何人かは歌を歌っていました。次に催涙ガスで攻撃され、私たちはむせ、建物が燃え、噴煙が立ってから爆発し、すべてが終わりました。突然の死は突然の栄光です! 私は子供の殉教者として死にました。信仰のために、信条のために、いわゆる自由の国でクリスチャンであったという理由で、十代の殉教者として死にました。この自由の国は、赤ちゃんや子供や母親や父親を生きたまま火あぶりにした、無情な人々やリーダーによって治められています。

  しかし今は、私たちが勝利者です! 私たちは、恐怖や、苦悩や拷問や迫害から解放されたのであり、殉教者たちが受け取れる報酬を授かったのです! 今、私たちは前のように、痛みも、恐れも迫害もなしに遊んだり、踊ったり、聖書のクラスをしたりできます。自由になったからです! 誰も私たちに触れたり、炎で燃やしたりできない場所にいます。ダディー・デービッドも、一緒に死んだ人たちも、皆、幸せです。面白いのは、彼らはデービッド・コレシュを殺したと思っていますが、彼は今、以前よりも生き生きしているのです! デービッドは前よりもよくわかっていますし、誤った行動や誤った理解を正すことができました。私たち全員がすべてを正しい見方で見ることができるようになりました。

  私たちの死の責任を負う者たちはいつの日か、罪のない人々を殺したゆえに申し開きをしなければならなくなるでしょう。火事で死ぬことは恐ろしいものですが、その責任を負う人々がそれゆえに通らなければならない苦しみとは全く比べられません。そういう責任がある人も、はやり火を通らなければなりません。イエスのもとに来てイエスを心に受け入れ、ゆるしを求めない限り、地獄の炎を通らなければなりません。私たちは彼らに対して恨みはないし、彼らを憎みはしません。彼らもイエスを愛して、天国に来てほしいのです! そうするならば、彼らをゆるしますし、イエスも彼らをゆるすでしょう。

  イエスは私たちの涙を拭い、傷をいやしてくださいました。あなたや、他に殉教者として死ぬすべてのクリスチャンにも同じようにしてくださいます。ヴィッキー・ウィーバーと彼女の息子のように。彼らも天国にいて幸せです! 主は柔和な者を愛され、聖句にあるように、絶対に、「柔和な者は地を受け継ぐ」のです。

  だからクリスチャンの皆さん、ティーンの皆さん、信条のために立ち上がりなさい! 聖書のために、イエスのために立ち上がりなさい! イエスはあなたを御腕に受け入れられ、イエスに対して忠実であったゆえに永遠に報酬を与えてくださるのですから、その価値はあります。

 

テキサス州ウェコでの悲劇

  1993年2月28日、日曜日の朝に、武装したアルコール・タバコ・火器局(BATF)の機関員150人が、クリスチャン生存主義者のブランチ・ダビディアンのコミュニティーであるマウント・カーメルを襲撃した。BATFが建物を急襲すると、銃が発砲された。次に砲撃が交わされ、ブランチ・ダビディアン数名と機関員4名が死亡した。誰が先に発砲したかは現在も議論中だが、BATFの圧制的な戦術は不必要であり、不得策だったとして、他方に非難が広まっている。

  ぶざまな襲撃の後、FBIがBATFから仕事を引き継いで、素早く敷地を包囲し、戦車、ヘリコプター、さらに多数の機関員を連れてきた。こうして52日間に及んだ籠城(ろうじょう)が始まった。武装した籠城の期間では、アメリカの近代史で最長であった。

  BATFの準軍事的な襲撃に対する当初の正式な理由は、火器取締法違反の令状を出すためであった。この違反は軽罪であり、小額の罰金で済むものだ。教団のリーダーのデービッド・コレシュ本人は何の犯罪にも問われていなかった。ところが、この作戦をやり損なったことで、政府当局はすばやく筋書きを改めて、まずダビディアンらがウェコの人々を攻撃するのを先に封じるためだと主張し、最後には「敷地内に住んでいる子供たちにとって最善のことであり、彼らの世話を怠り、虐待している親から救い出すためだ」と断言した。

  政府のこの最後の主張は、センセーショナルなネタを求めるマスコミによって、一般人の思いに焼きつけられた。この主張は証拠をもとにしたものではなく、恨みを持った元メンバーや、リック・ロスのように反カルト主義者と自称するディプログラマーの発言のみをもとにしていたことは、ほとんど注目されなかった。それどころか、テキサス社会福祉局は、すでに全く同じ主張をもとに、ダビディアンたちを2度も取り調べていたが、児童虐待や怠慢の証拠は得られなかったのだ。

  その後の51日間、FBIはコレシュと信徒たちを降服させようと交渉しようとしながら、農場スタイルの敷地を包囲し続けた。コレシュの考え方に通じている宗教専門家の助言に耳を貸す代わりに、FBIは心理戦争の技術を借りて、ダビディアンたちの士気を失わせ、追い出させるために、間断なく様々な恐ろしい騒音(うさぎが殺される音など)を流し、競技場用の投光照明をまばゆく照らしかけた。

  4月19日、籠城がもうすぐ終わりそうな前兆が見られたにもかかわらず、アメリカ司法長官のジャネット・レノは、強制的にダビディアンたちを立ち退かせるために、戦車や催涙ガスの使用を認可した。戦車は木製の建物に穴を開け、CSガスを注入した。CSガスは、アメリカも参加した1993年の化学兵器会議で、交戦での使用が禁じられた種類の催涙ガスである。

  襲撃とガス攻撃を6時間続けた後、建物が燃え出した。戦車が打ち抜いた壁の穴が通気管となり、激しい風が炎に吹き付けたために、火はすばやく建物全体を包み込んだ。メンバーは窒息し、ガスと煙で混乱していたので、生きて脱出したのは9人しかいなかった。建物は全焼して、17人の子供を含む、85人が犠牲になった。

  FBIは火事で死んだコレシュと信徒たちが自殺しようと自ら火を放ったと主張しているが、残された事実を見ると、まず、そうではないらしい。政府の機関員が戦車攻撃中に、誤って、あるいは故意に放火したのか、ダビディアンたちの1人か複数の間違いのせいだったのかは、明白ではない。しかし、地元の消防士らが火災警報に応えようとした時に、なぜFBIがそれを何時間も遅らせたのかを考えると、FBIはダビディアンに誰一人として生き延びてほしくなかったのではないかと思わずにいられない。事故、あるいはアメリカ国民の政府の部隊による悪意からの虐殺のどちらであったにしても、いくら良く見ても司法省は状況の取り扱いを誤ったのであり、あるいは犯罪的なほど不注意だったか、最悪の見方をすれば殺人を犯したということには、疑問がない。この全実態は、我々の時代では決して明かされないかもしれない。

 

  ダッド:ブランチ・ダビディアンの悲劇的な結末は、体制はまだ火あぶり刑をしているということを示している! 火刑柱にかけるのではなく、もっと近代的な方法によってだ。これを見ると、政府は火あぶりをするのを恐れていないことがわかる! 彼らは異端者と考える者たちを拷問し、火あぶりにするのを恥じていない! 体制は前と同じぐらい残酷だ。ローマ帝国や、どんな国と同じぐらいに! こんなに恐ろしいことをするあつかましさと神経が彼らにあるなんて、驚きだ! 

  コレシュが、体制や、ブランチ・ダビディアンが死ぬ前に何を味わうかについて預言したことは、確かに成就された。私は彼らが殉教者だと思う。彼らに神の祝福があるように!そして、神は祝福された。神は、もはや敵から拷問されない場所に、彼らを連れて行ったのだ。(ML 2859:1、19)

 

  ママ:コレシュが多少風変わりで、自分がイエスだとか何とか考えていたからと言って、何なのですか? 他の教義については、彼らはかなり健全でした。たぶん、彼は正しい道からはずれ、自分が実際よりも偉いと思って、人々からの称賛を求めたかもしれませんが、明らかに彼らが多くの事柄についてかなり正しいということと、社会福祉局から漏れた幾つかの情報によりわかったことですが、彼らの子供たちが行儀が良く、社会的にも適応していて、スイートで、虐待されていないという事実はなくなりません。彼らは、善良で誠実な人々でした。「政治路線」を行くマスコミから、あれこれと小さな情報が漏れて、彼らが素晴らしい人々であり、明らかに御言葉に従い、強い信仰を抱き、主のために生きていたということがわかります。ですから、リーダーが多少、道からはずれたとしても、それが何なのですか? コレシュと、信者たちは、今、間違いを正しています! 背後にある本当の理由は、もちろん、悪魔は本気でクリスチャンをつかまえようとしており、手始めにカルトをつかまえているということです! アンチ・キリストの反カルト・キャンペーンは大衆を強い感情に走らせ、同時にあざけりと恐れ、憎しみを起こしました。強い信仰を抱いている人は誰でも、今、狂信者と見なされており、その人の順番も回ってくるでしょう。神が、神の民を憐れみ、民を苦しめる者たちをさばかれますように! 神はきっとそうされるでしょう! (ML #2860:25、30)

 

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02 イギリス ジェーン・グレー妃

殉教者の道

「9日女王」のジェーン妃が自分の死と、それにまつわる出来事について事実を語る。

 

08 ローマ ヨセフ

ライオンの口

兄と妹が競技場にいる。ライオンが放たれると、天国も共に放たれた。

 

12 ローマ ジュリアス

愛のために死ぬ

主人の信仰に揺るがぬ確信があったために、彼は共に死んでいった。

 

14 アメリカ ティーン・ガールが「自由」の国で拷問を受ける

ウェコの悲劇におけるティーンの犠牲者が、ブランチ・ダビディアンの敷地内で何が実際に起こったのかを語る。