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これらのストーリーの内容は迫害と殉教についてなので、親が判断することを勧めます。これを読むジェッツや若い人達の心に、恐れではなく信仰を築くにはどのように紹介するのが最善か、祈り深く考慮して下さい。

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04 フランス ジャンヌダルクオレアンの少女

彼女は幼く、無教育な田舎娘だったが、声を聞き、その導きに従った。

軍隊を勝利に導き、国王に影響を及ぼし、炎に包まれて死んだ。

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10 ボヘミア ピーター

フス信奉者たちの迫害

単純な人生。単純な信仰。これらの単純な違いゆえに命を捨てることになった。

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14 カンボジア フン・セン

僕の聖書か…命か?

カンボジア人のティーエイジャーが、1冊の本とその隠し場所のために生死の決断を迫られる。

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17 エルサレム 聖ステパノ

これらよりもさらに大いなる事を…

初代教会の最初の殉教者が、石打ちで殺された日を回想する。

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よみがえり

来世の人が語った実話テスティモニー

  預言:終わりの日々において、わたしは、全員ではないが、命を捨てるのをいとわない者何人かを殉教者として召すであろう。彼らがそれによって明るく輝き、大勢の失われた者たちがわたしを知るようになるためである。痛みを感じるだろうか? それとも、死ぬ時は痛みを感じないように恵みが与えられるだろうか? 歴史を通じて殉教者として命を捨てたクリスチャンたちは、炎や剣の刃やライオンの牙を感じたのだろうか?

  今わが栄誉の殿堂にいる殉教者たちは、わが名のために苦悩や痛み、死に耐えるのをいとわなかった。彼らの勇気のゆえに、わたしは彼らが耐えられるよう、痛みから解放した。わたしのための苦しみに耐えられるよう、超自然的な恵みが与えられた者もいた。彼らの死を見た者たちが、当時の偽りの偶像を拝んだり、わたしを否むよりも十字架を取るという彼らの愛と献身を見るためである。また、彼らが痛みを感じていないことを、捕らえた者たちに示した場合もある。これらの者たちは炎に燃えながら歌っていた。

  それぞれの状況においてわたしは、わたしのためにこうして命を喜んで与えてくれた愛する子供たち一人一人に十分な恵みを豊かに注いだ。殉教者が受ける拷問や死は耐え難いものなのではないか、並々ならぬものなのではないか、と恐れる必要はない。確かに死の痛みや苦悶を感じた者たちもいたが、わたしは彼らに素晴らしき恵みと耐える力を与えて、喜びのあまりに体に受ける激痛を超越できるようにした。

  わが終わりの時の殉教者であるあなたがたには、大いなる恵みと素早い解放が与えられるであろう。恐れてはならない。心配してもいけない。あなたがたのろうそくは明るく輝き、この世に対して大いなるテスティモニーとなるであろう。殉教者として召された者たちに言う。うろたえてはならない。死の瞬間に直面する時、それはあなたにとって甘美な解放となるであろう。わたしがそばに立っているのがその目で見えるからである。わたしがあなたの手を握って、わが天の王国の門へと導いてあげよう。あなたはこの人生から解放される時を喜び、喜び勇み、栄誉に思うであろう。これはわたしからあなたへ約束である。

 

  質問:主の子供達は皆、このように、その目で主ご自身が見えるようになるという約束を要求し、期待することができるのですか?

  預言:わたしのために死ぬように召された殉教者たちには、わたしがそばにいることをはっきり知るという恵みが与えられる。実際に目で見るのか、頭の中で思い浮かべるのかは関係ない。しかしどの状況においても、わたしがそばにいることを強く認識する。そして常に、彼らは人生の他のいかなる時よりもはるかに強くなるであろう。

 

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オレオンの少女

ジャンヌ・ダルク

  「はい、私は声を聞きました!はい、神に従いました! このために私を殺すのですか? ならば殺しなさい。私は永遠に天国で神と共に生きるのですから!」

 

  はしがき: 私は小さくて静かな女の子が大勢の群衆の端に座っているのを見ました。彼女はまるで妖精のような顔をしていて、大きな目で私を見上げると、「私はジャンヌです」と言いました。彼女は静かに、気取らず、謙遜に語りました。「私の国の人々には『ジャンヌ・ダルク』として知られていました。私の話を聞きたいですか? それではお話ししましょう。何度も話そうとしましたが、今はファミリーの若者たちの助けになる方法であなたに伝えましょう。」

  彼女は小柄で、体にぴったりしたよろいを着ていました。髪の毛は短くて、耳のすぐ下ぐらいまでしかなく、それは彼女がかもし出している妖精のような印象の一因でもありました。ほお骨が高く、あごがとがっていて、地味とも言えるイメージでしたが、とても優美な若い女性で、肌は青白く、髪は金髪でした。彼女はゆっくりと立ち上がり、山頂の端まで歩くと、さらに多くの山脈や雲を見渡しました。太陽がそれらを照らしています。それからメッセージが始まったのです。

 

  この山々の向こう側にある小さな野原で私は羊と時間を過ごしたものですが、初めて声を聞いたのはそこでした。どのようにしてこれらの声を聞いたか知っていますか? トゥセ? ウィ、ビヤンスゥール。(わかりますか? そう、もちろんですね。) オーケー、では英語で話しましょう。

  まずあなたを愛していること、私と話しに来てくれたことを感謝していると伝えたいです。私は静かで柔和な女の子です。私はごく普通の女の子でしたが、神の御心によって大いなる高みに連れて行かれ、さらに絶望の淵(ふち)にまで突き落とされました。私は苦しみ、また栄光を受けました。すべては神の御心でした。そしてこれが起こったのは、たった一人の娘でも、神に耳を傾ければどんなことができるのかという見本となるためです。

  私は羊と牧草地にいました。一人で座り、考えたり、田園を見たりするためによく行ったものです。私の国はとても美しい所でした。空は時によって青くなったり、紫色になったり、ピンクになったりしました。野原は緑色で、小さな青い花々があたり一面に咲き乱れていて、灰色の岩がところどころ姿を現わしています。とても平和で静かな場所で、私はよく神と語り合いました。神に、「何とかしてあなたへの愛を示したいのです」と言ったものです。神に献身した者、それに誰よりも神を愛した者として覚えられたいと切望していました。私には読み書きも出来なかったし、特別な才能もありませんでした。ただの娘であり、農場に住む無学な少女にすぎません。けれども神を愛していて、神へのこの愛を示したい、それだけを願っていたのです。

  ある日、野原で私に語りかけてくる声が聞こえました。穏やかで優しいけれども、同時にきっぱりとした声です。後になって知ったのですが、天使長ミカエルの声でした。その時私はまだ13歳でしたが、彼に耳を傾け、また他の霊たちが野原で私に語りかけに来ると、彼らにも耳を傾けました。私は彼らの声を聞きました。

  その日私は座って耳を傾けました。また、そうやって頻繁に聞くようになりました。耳を傾け、物事を学び、これらの声は私に勇気を与えてくれました。後になってシャルル王の宮廷に行った時よりも、この野原にいる時のほうが声を聞くのが容易でした。私はシャルル王が王位に就くのを助けたのです。知っていましたか? 本当ですよ。神は私に兵士として行進し、イギリス軍と戦ってフランス軍を勝利に導くという使命を与えました。シャルルを王位に就けるためです。

  これこそ私の熱烈な望みであり、願いでした。神が私の心にその願いを置かれたからです。神はなぜこの仕事に女性を選ばれたのか、と言うかもしれませんね。きっと神に耳を傾けたのが私だけだったので、選択の余地がなかったのでしょう。

  私が王に会いに行った時、王は当時まだ王太子と呼ばれていて、やせて骨ばった少年でした。私が17歳の時のことです。王が住んでいたシノンへ馬に乗って行きました。王太子は廷臣の服をまとい、一人の貴族を王座に座らせて私をだまそうとしましたが、私は人垣の中にいる王を見つけました。王の前でひざまずき、支配者にふさわしい正式な敬称で話しかけました。これでシャルルは勇気づけられました。神は私を送って、神が選ばれたこの人に勇気を与えたのです。

  あなたも、神から与えられた仕事を見てどうしてだろうと考えることがあるかもしれません。私もそうでしたが、自分はちっぽけな人間だとか、柔和すぎるとか、若すぎると思い、神が求めておられることなど成し遂げられないと思うかもしれません。そのように、自分はちっぽけな人間で、恐れを抱き、弱く、もろくさえ感じる時は、私を思い出してくれませんか? 私はそれらの声を聞き、神に求められたことをただ行なったのです。それを思い出して。

  神が天使ミカエルを送って私を助け、過去の他の聖徒たちを送って私を勇気づけて下さったのを思い出して下さい。私はあまりにも小さく、取るに足らなく感じました。弱く、小さな少女にすぎなかったけれど、神が私の内にいて、私を満たし、何をすべきか教えて下さったのです。神は、私が求められたことを行なうのに小さすぎるとは思われませんでした。また私が小さく、無学な一人の女であったからこそ、私の物語はそうでなかった場合よりも多くの関心を集めたのでしょう。

  王太子は神が私を送ったということを知って力を得ました。私たちは王太子のために数々の戦闘を戦い、神は勝つのを助けて下さいました。こうして彼がランスの大聖堂で戴冠された時、私はすぐそばに立っていました。

  後になって私は捕らえられ、イギリスに引き渡されました。彼らのつまらない物語や談話で混乱させられ、やがて声を聞くのが難しくなりました。一度、主張を撤回したこともありました。死にたくなかったからです。でもその後で再び自分が真実だと知っていることのために立ち上がり、彼らにこう言ってやりました。「はい、私は声を聞きました! もちろん聞きました! カトリック教会やあなたがたの愚かな司教たちよりも、神に従ったのです! あなたがたの政治や気苦労と憎しみだらけの人々などではなく、神に従ったのです! 私が愛する神に従いました! このために私を殺すのですか? ならば殺しなさい。私は永遠に天国で神と共に生きるのですから!」と。

  そこで彼らはやはり私を殺しました。火あぶりにしたのです。汚れた教会や、邪悪な指導者たちや、自分の富と力を増やすことしか興味がない政治家たちに反対して語ったのが、彼らは気に入らなかったのです。私は自由の声、喜びと愛と神の御霊の声のために立ち上がりました。

  彼らは神の御霊が気に入りませんでした。霊の声を通して私に語っていた御霊が好きではありませんでした。彼らは御霊を怖がっていました。自分達にはそれが支配できないからです。彼らは、私がその声に従うと戦いに勝ち、王太子を王位に就けた上、私自身喜びにあふれており、それによって人々が従ってくるのを見ました。だから自分たちが制御できない力が存在するのを許すよりは、私を殺すほうを選んだのです。

  でも私は後悔しませんでした。誰よりも愛する方のために立ち上がれることをうれしく思いました。今でも主を愛しています。その方は私をみ腕の中へと迎え入れて下さり、いつでも私が望む時にしっかりと抱きしめて下さいます。

  もちろん、天国に来た時は、自分が忠実でなかった時や、生き延びるために彼らの政治上の嘘を認めて、自分が誤っていたという告白をし、間違っていたと言った時のことを思って、悲しくなりました。でも真実のために立ち上がり、これらの声の真実性について語るための機会がもう一度与えられたのです。そして、立ち上がった時に解放されました。

  私は死によって解放されました。新しい人生を生きるためです。また死によって解放されたがゆえに、以来大勢の人々に影響を与え、助け、励ますことができるようになりました。至る所にいる、自分には偉大なことなど無理だと思っている人々の心を導き、奮起させることができました。神は、自分で偉大なことができると思っている人々を使いはしません。自分で自分を取るに足らないと思っている人たちや、聖書の中のダビデのように謙虚で小さく、主に呼ばわる人々しか使われないのです。

  私は小さく、若い娘でしたが、神は私に語りかけて下さいました。私はただ声に従っただけです。声に導かれるままに従っただけで、神は私を使って大いなることを成し遂げて下さいました。あなたもそうしませんか? 聖徒たちや天使たちや、神ご自身に語っていただきませんか? 神は私に下さったように、あなたにも大いなる勇気を下さるでしょう。きっとあなたの人生を変え、他の人に対する祝福にしてくれるような使命や召しを与えて下さいます。

  オレアンの小さな娘であった私を見て下さい。教育も全然受けておらず、読み書きもできなかったけれど、歴史を変えました。神の御心だったからです。私があなたに勇気を与え、自分の召しを見出すのを助けてあげましょう。助けが必要な時は私を呼んで下さい!

 

審理中

ジャンヌ・ダルク裁判の記録の謄本

異端者および妖術の罪

西暦1430年ごろ

探索協議会のご好意により証言の抜粋

 

質問:これらの声を初めて聞いたのは何歳の時でしたか?

答:13歳の時に、私を助け、導く神の声を聞きました。初めてこの声を聞いた時はひどくおびえました。ある夏の日の真昼で、父の庭にいました…私の右手の方から、教会の方から聞こえてきましたが、たいてい声と共に光が見えるのです。光は声が聞こえるのと同じ方向から光っています。たいていそれは大いなる光です…。

 

質問:一番最後に声を聞いたのはいつですか?

答:昨日も今日も聞きました。

 

質問:昨日の朝、声が聞こえた時は何をしていましたか?

答:眠っていました。声で目が覚めたのです。

 

質問:あなたの腕に触れて起こしたのですか?

答:触れずにです。

 

質問:声はあなたの部屋でしたのですか?

答:よくわかりませんが、城の中でした。

 

質問:その声に感謝を捧げましたか? ひざまずきましたか?

答:はい、捧げました。私はベッドの上に座っていて、手を合わせました。助けを求めたのです。

 

質問:この声は時折、違った助言を与えることはありますか?

答:互いに相反する意見を伝えてきたことはありません。

 

質問:あなたに語りかけてくるこの声は天使の声ですか、聖人の声ですか、神ご自身からの声ですか?

答:聖カタリナと聖マルガレータの声です。二人の顔は美しい冠、非常に豪勢で高価な冠で飾られています。

 

質問:二人をどう聞き分けるのですか?

答:あいさつの仕方でわかります。私を導くようになってからもう7年になります。名前を教えていただいたのでよくわかります。

 

質問:13歳の時に最初に聞こえた声は誰のですか?

答:聖ミカエルの声です。目の前で見ました。一人ではなく、天の大勢の天使たちに囲まれていました。

 

質問:聖ミカエルやこれらの天使たちを、そのまま、現実に見たのですか?

答:あなたを見るのと同じように、この目で見ました。彼らが去ると、私は泣きました。一緒に連れて行ってほしかったからです。

 

質問:なぜ他の人ではなく、あなたに語られたのですか?

答:王の敵たちを追い返すために、無知な娘を使うのが神の御心にかなうことだったのです。

 

質問:戦いの教会が、その啓示は幻覚であるとか、悪魔的なものだと言うならば、教会に従いますか?

答:私はいつも神の戒めを守っていますから、神に従います。…教会から反対の命令が出た場合、私はこの世の誰にも事を任せることはせず、神のみに頼ります。神の戒めには必ず従っていますから。

 

質問:では、地上にある戦いの教会の決断に譲歩しないようにという命令が、それらの声から与えられているのですか?

答:私は決して自分の思いからではなく、その声が命じるままに答えているのです。教会に従わないようにという命令はありませんが、まず仕えなければならないのは神です。

 

  ジャンヌ・ダルクは13才の時、イギリスとの百年戦争の間にフランスを救うという神授の使命が与えられていることを、神学者の委員会に納得させた。1429年、イギリスとの戦闘でフランスを多くの勝利に導いた。翌年、無許可の軍事行動を実施し、裁判にかけられ、ローマカトリック教会よりも神に従ったゆえに、異端者として有罪にされる。1431年、ジャンヌ・ダルクは19歳にして火刑にされるが、教会は25年後、この有罪判決を覆し、後に聖人と認めた。

(マイクロソフト R エンカータ R 98百科事典より)

 

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フス信奉者の迫害  ボヘミヤのピーター

  僕の名前はピーター。僕は両親や家族、親戚全部や友達とある村に住んでいた。村では誰もがお互いのことを知っていた。僕たちはクリスチャンで、誰もが主を信じ、主を愛していたんだ。僕たちの村は農業で生活している共同体で、羊や鶏やアヒル、豚、ウサギや沢山の他の動物を飼ったり、麦や果樹、野菜なども栽培したりしていた。木を切ってたきぎにし、水も自分たちで汲んで、夜の灯りはランタンやろうそくだったんだ。僕らの家は質素だったけれども、頑丈にできていた。特に冷え込む夜は分厚い毛布にくるまって寝て、常に火を絶やさず、料理や暖房に使っていたよ。

  僕には三人の姉妹がいた。姉が一人で妹が二人。幸せな家族で、互いに頼りあっていた。皆交代で洗濯したり、水を運んだり、料理をしたり、掃除をしたり、畑仕事を手伝ったり、家畜の世話をやっていたよ。女の子たちは優しいけれどもたくましかった。ママは彼女らに衣服やカーテンの縫い方や果物の保管の仕方や、女の子がやる仕事をすべて教えていた。

  姉はジェナと言って、彼女とは小さい時から仲が良かった。特別な料理を作ったりすれば必ず僕のために余分に取っておいてくれたし、僕の服を洗濯してくれたり、読み方を教えてくれたのはジェナだ。お母さんもいつも面倒を見てくれたけど、前からお姉さんとは特別なきずながあったんだ。

  僕はボヘミアにあるブルノ市の近くに住んでいた。今はチェコ共和国と呼ばれている国だね。夏は温かく、冬は寒い地方だ。雪で遊んだり、走り回ったり、そり遊びは楽しかった。天国にも雪があるのを知ってた? 地上にあるような雪とは違うけどね。冷たくて凍りそうじゃないけれど、触った感じは雪そのものなんだ。魔法がかかったかのようにきらきらと光るし…。でもちょっと本題から外れちゃったね。

  子供の頃の幸せな思い出が沢山あるよ。本当に素敵な思い出がね。知ってる? 天国に来ると自分の幸せな思い出をもう一度観ることができるんだよ。特別な誕生日とか、ある年のクリスマスとか、参加したショーとか、訪れた美しい場所とか、何であれ、君にとって特別な思い出の幸せな瞬間を再び体験できるんだ。すごく楽しいよ。僕なんかしょっちゅうやってる。「幸せなゲーム」に少し似ていて、幸せな時を思い出すってわけ。

  僕たちはクリスチャンで、フス信奉者だった。当時はそれだけで危険なことだった。君たちみたいに宣教師にはなれなかったけれど、僕らのライフスタイルや信条や幸せが僕らの証しだったんだ。他の人との違いが誰にでも明らかだったからね。君たちも、共同生活やライフスタイル自体が最大の証しの一つでしょう。

  僕は若い信者の一人だったけれど、それでもテスティモニーだった。君たち若者たちにとっても同じさ。いつも外で証しをしていなくても、体制から「ドロップアウト」したことがなくても、力強い救いのテスティモニーがないと思っても、力強い個人的なテスティモニーがやはりあるんだ。君のライフスタイルや両親の信仰、全世界に出て行って福音を宣べ伝えることや、目にしてきた奇蹟など、これらすべてが力強い証しになる。

  旅行といえば、僕はいつも旅するのが大好きだった。僕もよく馬車に乗ってお父さんといろいろな場所に連れて行ってもらった。君たちと同じように旅をしたんだ。君たちの何人かのように世界中をまわったりはしなかったし、家からそんなに遠く離れた所まで行くことすらなかったけどね。短い旅がほとんどで、長旅も数回行った。旅するのは楽しかったな。至福千年になったら、君たちも僕らの時代とよく似た方法で旅が出来るようになるよ。馬や馬車に乗って行くんだ。これこそ未来の交通手段だね。イエス様が大きくて美しい白馬に乗って帰って来られる時、昔と同じように馬が交通手段になる。大きくて美しく、たくましく、空を飛ぶ天の馬もいるようになるし、僕が昔乗っていたような柔和で助けになる馬もいるようになる。

  僕らはカタリ派のようだった。法王はカタリ派が嫌いだったので殺すように命じた。神と戦えると思ったとは、何と哀れな愚か者だろう! 聖書をきちんと読まなかったに違いない。「あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわあが、人間から出たものなら、自滅するであろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、神を敵にまわす(英訳:神と戦う)ことになるかもしれない。」(使徒5:38-39)とはっきりと書かれているからね。

  さて、この法王は神と戦ったんだ。でも人が僕らに対して何をしようとしても、「万事は共に働いて益となる」(ローマ8:28)し、僕らを「責めるために造られる武器は、その目的を達しない」(イザヤ54:17)。彼らの武器は僕らの体を滅ぼすのに成功したことはあったけど、目的は達せなかった。あるいは、勝利は得られなかったと言えるね。最後には主が必ず勝つんだ!

  僕は困難な時代に生きていた。争いがものすごく沢山あった時代だ。カトリック教徒たちが僕らの国を征服した時、一瞬にして僕らの人生は追い回される犯罪者の人生のようになった。でも真実であることのチャレンジときたら! 僕の友達の何人かは信仰から離れて行ったけど、僕にはできなかった。理由ははっきりわからなかったけど。「これは僕自身の一部であり、僕が信じている事なんだ。重要な事だ。僕は神もイエス様も知っているから、神とイエス様に対する愛を否定して、冷たく、無情な宗教に従うことなどできない。」と思った。

  だから僕らは攻撃された。兵士たちが村に乗り込んできて僕らを皆殺しにしたけど、僕の死は素早く、痛みも感じなかった。あっという間に天国に来たんだ。

  天国に着いた時、ものすごく幸せで祝福され、報いられたように感じた。僕は信仰のために死んだから、そのテスティモニーのゆえに大いなる栄誉が与えられた。生涯で一番幸福な瞬間だった! 想像してごらん。眠りにつくと、美しいおとぎの国で目覚めるなんて、エキサイティングだと思わない? どこかへ旅をしていて眠ってしまうのに似ている。誰かが起こしてくれて、「着いたよ!」って言われると、目的地に着けて本当にうれしい気持ちになる。天国に来る時も同じような感じだ。僕にとってはそんな感じだった。目覚めたら目的地に到着していたんだ。僕みたいに殉教者として死ぬなら、主はすぐそばにいてくださり、主が君を天国まで連れ帰ってくださる間、その愛に満ちた御腕に抱かれているのを感じるだろう。

 

フス信奉者たち

  フス信奉者たちはボヘミヤ人の殉教者で、15世紀初期に火刑にされたジョン・フスの信奉者である。フス信奉者らはあっという間に広まり、ボヘミアの国教会として認められた。しかしカトリック教会の多国軍隊と数々の戦闘を戦い続けた。1620年、ローマカトリック教会の軍隊はボヘミア軍に打ち勝ち、正統派のローマカトリック教が公式な国の宗教として再び強制された。

 

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僕の聖書か・・・命か?  フン・セン

  僕は1960年に生まれた。名前はフン・センで、カンプチア(カンボジア)のカンポット郊外にある農場で生まれ育ちました。10歳の時にジョン・ホワイトという宣教師に出会った。ジョンは近くの村に来ては、村人たちに聖書から読んで聞かせるんだ。村人たちのほとんどは他のすべての外国人や学のある人、特に熱心な仏教徒ではない人を恐れるのと同じようにジョンを恐れていた。けれども、僕はジョンに興味があった。両親には会ってはいけないと警告されたけれど、僕は隠れてジョンに会い、聖書についてもっと学ぶようになったんだ。

  僕は長男だったから、まだほんの10歳だったけれども使い走りを頼まれて村に行くことがよくあった。ジョンと僕は4年間続いた友情を育み、ジョンは聖書についてや、英語や、読み方を教えてくれたんだ。僕はきっとジョンの唯一の真の改宗者だったと思う。この地域に4年間いて、大した結果が出ないのと、自分の健康状態が優れなかったために、ジョンは1974年に故国のイギリスに帰って行ったんだ。

  ジョンがいなくなるのを見て悲しかったけれども、彼は素晴らしい親切心から自分の尊い聖書を残してくれたんだ。それから数ヶ月間、僕は隠れて一生懸命勉強し、両親には自分の信仰について隠しておきながら、最も親しい友達には自分が知っていることをすべて、人生がどのように変わったか、イエスにおいて幸せを見出したことなどについて伝えようと最善を尽くした。僕が14歳の時のことだ。

  1975年、一般的にはポルポトとして知られているサロス・サーと彼の政権であるクメール・ルージュが現存の政府を覆して、国民に非常な圧制を加えた。たった一夜で、比較的平穏だった人生が、身の毛のよだつような不穏と辛苦と交戦状態へと一転したんだ。ポルポトの厳しい支配や石のように冷たい心、残忍な殺人や、反ベトナム的見解、反外国人や反宗教的な姿勢などに関するニュースが国中を素早く駆け巡った。

  友達らと僕はクメール・ルージュの支配下であと2年間、何とか隠れて聖書の勉強を続けた。ポルポトの軍隊が数人、しばしば僕らの村や周辺の地域をやって来ては、脅しをかけたり、国に対する見本として罪のない男女や子供を殺した。奴らは、その恐ろしく、悪魔的で、サタンのような、血に飢えた、権力一本の支配に反対の声を上げる者を誰かれ構わず踏みつけたんだ。

  この頃、聖書は僕にとって地上で最も貴重な所有物だった。詩篇を読み通しては、ダビデが悩まされ、迫害を受けた場面から希望を得たんだ。ダビデの見本にしたがい、イエスに賛美の歌を歌い、主の保護を要求して祈った。聖書はある田んぼの秘密の場所に隠しておいた。腐って中が空洞になった古い木の切り株の中で、この隠し場所については親友と僕しか知らなかった。

  けれども、この聖書についてや、僕がイエスやキリスト教に関わっていることや、怪物のように国を支配している政権を嫌っていることが当局に知れてしまうまで、大して時間はかからなかった。1978年、17歳の時に僕は逮捕され、武装した男たちの前に連れ出された。僕はつばをかけられ、続けざまに殴られ、だまされ、足を銃で撃たれた。すべて僕に信仰を否定させ、聖書を引き渡させようとするためだったんだ。でも僕は絶対にそんなことをするつもりなどなかった。イエスに対する僕個人の誓いを撤回することなどできないし、僕の最も尊い所有物を、神を敬わないこんな奴らに渡すことなどできるはずないだろう。奴らは僕に何の憐れみも示してくれず、その場で僕を銃で撃ち殺した。

  数日後、友達も逮捕されたけれど、彼も脅しに負けず、僕らの聖書の隠し場所を教えなかった。だから友達も殺されたんだ。でも今は2人とも天国で幸せだよ。こちらに来てからさらに沢山学んだし、尊いイエス様にも会えた。僕らにとって本当に大切で、何があっても御名を否定することなどできないほど、尊いイエス様に…。

  僕らは霊の助け手として任命され、生まれ故郷のカンボジア、それにラオスやベトナム、タイなど周辺の国々、さらには中国のクリスチャンたちを助けている。僕らの助けが必要ならば、ぜひ僕らを呼んで欲しい。宣教師たちを助けるのが大好きなんだ。イエスを愛していて、僕らの民にイエスのことを伝えたがっている人々、そしてファミリーを助けるのが大好きなんだ。

  僕らの聖書は今もまだあの古い木の株の中にあるよ。僕の家族のものだった、あの田んぼの裏にね。僕らの霊は今も元気で生きていて、僕らが地上にいた時に感じ、こちらに来てから完全に知るようになった幸せを、他の人が見出すのも助けたいことの証しとして…。イエス様とダビデの言葉は宝であり、戦争や政治的戦慄を通して圧制され、壊滅近くまで追いやられたアジアの国々に住む人々にとって、尊く、希少な必需品なんだ。

  あなた自身が行けないなら、行ける人のために祈ってほしい。あるいは、少なくともこれらの国々の人々が同じ国の人々に自分の知っていることを分かち合うだけの信仰とガッツが与えられ、それによってさらに沢山の人が僕らの素晴らしい救い主であり、主であるイエス様を知るようになるよう、祈ってください。

 

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これらよりもさらに大いなる事を・・・

聖ステパノ

  主の聖徒の死はその御前において尊い。それはこの上なく尊いのです。あの祝福された日、私が天のふるさとに帰ってきた日を思い出せることは、光栄であり、大いなる名誉です。自分はその祝福に全く値しないと感じました。主と同じように苦しみもせずに死んだのですから。主は罪人と同じ死に方をされ、体の痛みや苦しみだけではなくて、父に見捨てられたと思って心も悲嘆に暮れたのです。わが愛する主は肉体の激痛を体験し、罪人の死を経験されました。私たちが自由になり、主を通して罪人の死を逃れ、死における罪の痛みを克服して、神の素晴らしい王国の栄光あふれる光の中へと連れ去られ、肉体の領域から離れて、神の御前という栄光に満ちた光の中に入れるように…。

  そう、私はわが主のために死ぬというような高き召しにふさわしくないと感じましたよ。サタンの者どもが私に向かって石を投げつける間も、私は痛みを超越することができました。上を見上げるとイエス様が天の扉を開いてくださったのです。私には、主の温かい御顔だけしか目に入りませんでした。そして私は天へと引き上げられたのです。主は私を安全で心配などなく、危険が及ぶ事もない御腕の中へと引き上げてくださり、私は下に残った古く、生命のない肉の死体を見ました。彼らは私の体は殺せたけれど、魂を殺すことはできなかったのです!

  私が聖霊の力により激しく説教をしたあの幸いな日、羊とヤギが完全に分かれました。主のお言葉は、彼らがどちらかの行動を起こすようにしたのです。中には信じて後(のち)に従ってきた人もいましたが、大半は激怒し、私に駆け寄って私に噛みついてから、石を拾って私に投げつけました。

  あの日の私の説教によって、同朋のユダヤ人たちが何らかの行動に出るだろうとわかっていました。そうなるのが肌で感じ取れたので、上を見上げて天に目を留め続けなければならないのもわかっていました。私が天を見上げていると、愛するイエス様、愛する救い主の御顔が見えてきて、その時に周りで何が起こっていようと関係なくなったのです。自分の体や肉体の痛みさえ気づかないほどでした。

  私には主の愛すべき御顔しか見えず、主の優しいタッチと、その温かく、愛と安らぎに満ちた光に包まれていることしか感じませんでした。激怒した群集が投げつけている石すら感じなかったのです。イエス様がものすごく大量に恵みを注ぎ出してくださったので、私は迫害している者たちを赦せるほどの恵みと愛が与えられました。私は、彼らの多くはその時の自分の行動を完全に理解していなかったので、彼らを責めないようにと愛するイエス様に祈り求めたほどです。

  主は私にとって非常に耐えやすくしてくださいました。まるで横になって眠りについたかのようでした。そんなに簡単だったのです。長く、深い眠りにつくかのようでした。そして目を閉じるやいなや、わが愛する主の御腕の中で目を覚ましました。

  死は恐れたり、怖がったりすることではありません。あの日、主が私に注ぎ出してくださった力と恵みは非常に大きく、素晴らしいものでした! 人知をはるかに超える安らぎをくださいました。その瞬間私は、「主の聖徒の死はその御前において尊い。」という、大昔に書かれた言葉の意味がやっとわかったのです。何年も後にパウロが書いたように、私にとって生きることはキリストであり、死ぬことは益でした。(詩篇116:15、ピリピ1:21)痛みではなく、益だったのです。

  どちらにしても失うことはありません。イエス様はあなたを守ると約束されたのであり、私を守られたようにあなたも守られるでしょう。私のためにしてくださったことはあなたのためにもくださいますから、心配はいりません。恐れ、つまり迫害や拷問、殉教に対する恐れという策略によって敵に怖がらされるのを許してはいけません。明日起こるかもしれないことのために足かせなどを着けて練習する必要はないのです。明日迫害や体や身体の害すら加えられるとしても、主はそれらよりもはるかに大いなる方です。人があなたに危害を加えようと考え出す、どんな手段をも恐れる必要はありません。私のように石打ちにされようが、逆さづりにされようが、電気イスに座らされようが、銃で撃ち殺されようが関係ないのです。神はあなたを守ることができるのであり、あなたは煙のにおいすらなく出てくるでしょう。

  卒業の日を恐れてはいけません。楽しみに待ち望むべきです。大勢に対する証しとなるように主に召されたなら、突然の栄光の強い光として輝くように召されたなら、恐れおののいてはいけません。主は今までにないほど恵みを注いでくださることを知りなさい。その瞬間になれば、天の全軍勢があなたを出迎えてくれて、あなたが無事にふるさとに帰ってきたゆえに神に栄光を帰し、幸せに賛美を捧げる場で一緒に歌を歌い、踊って、勝利を叫ぶでしょう!

  私の先例にならった人々、歴史を通じての神の偉大な聖徒たちを見てみなさい。彼らの物語を調べてみなさい。驚くような物語が沢山あります。それを読んで、祈ってみたらいいでしょう。人間が書いた歴史の本は時々、真実を小さく見せたり、控えめに言うためにサタンの嘘でゆがめられているからです。人々は真実を語ることにどうしても耐えられないのです。この男や女を釜ゆでにしようとしたけれども煮えなかったとか、刑車で殺そうとしたら体は傷がないのに車輪のほうが壊れたとか、誰かの頭を切り落とそうとしたらどうしても切れなかったとか、ほえたけるライオンの前に投げられ、救い主に会う備えをする神の教会が、心に歌を抱き、くちびるは賛美を語り、顔はほほ笑んでいたなどというのは、ただの伝説や言い伝えだと言い張るのです!

  私たちの力強い神の力を立証する物語は数々あります。神の手が短くて、救い得ないのではありません。痛みや絶望にあえぎながらも、自分を捕らえた人の心を勝ち取ったというテスティモニーが数え切れないほどあります。イエス様が痛みを克服させてくださり、絶望はなかったからです。イエス様は耐えられないような試練にあわせたことは決してありません。

  だから天からのこれらの物語に耳を傾けて、魂を掻き立ててもらいなさい! これらによって霊感され、来るべき日々に備えて信仰が強められるように。サタンがまたも子羊の教会を滅ぼそうと新たな情熱をもって企む、暗く邪悪な日々が来るからです。しかしその患難の日々においても、この世がかつてないほどの混乱を経験する時においても、あなたはイエス様に世話をしてもらえると安心できるでしょう。神を知るあなたがたは堅く立って、数々の奇跡を行うからです。そうです。ダビデの子供たちよ、世の終わりがやって来る時の子供たちよ、あなたがたは確かにこれらよりも大いなる事をするでしょう。

 

  預言:多くの歴史家はこういうことが実際にあったと認めない。でも祈れば、この天国にいる大勢の聖徒のライブラリーを利用できる。聖徒の中には有名な者たちや知られていない者たち、この世でいう偉人もいれば、小さき者たちもいる。天国では誰もが偉人であり、私のために命を捨てたゆえに大いに栄光が与えられている。彼らは語るべき物語があるし、歴史を通してわが子供たちを迫害し、殺した者たちによって失われ、隠されてしまった物語を語りたがっている。わが尊い殉教者は数多くいるのであり、彼らの死が莫大な結果をもたらさなかったにしても、天国の見方では全員が証しであり、全員が聖徒であり、全員が大いなるテスティモニーである。全員が目的を果たし、わが意思を成就した。他に何もできなかったにしても、わが目の玉に触れた者たちの罪のさかずきを満たしたのである。