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元プレイボーイバニーがセックスと救いについて語る

  私の名前はアン、一般に言う高級娼婦だった。たくさんの人とメイクラブしたわ。よい時もたくさんあったけど、悪い時もあった。たくさんのお金を持っていた時もあれば、お金に苦労する経験もしたわ。私は容姿に恵まれていたお陰で、色んなとこに行ったり、たくさんのきれいなものを買ってもらうことができた。でもしばらくすると、ステキな物に囲まれた生活なんて何の意味もなさなくなったわ。一つ言えることは、物って、たくさんあればあるほど、もっとほしくなるっていうこと。決して満足することはないの。いつももっとほしくなるのよ。

  私は自分の職業を楽しんでた内の一人。セックスやメイクラブは好きだったし、男の人が好きだった。選り好みも結構できたわ。ハンサムな人もいればお金持ちの人もいた。幸せな時もあったけど、完全に満足することはなかった。本当に幸せではなかったの。自分の容姿やスタイルについてたくさんの誉め言葉をもらって、それはそれで嬉しかったけれど、私自身、美しい顔やスタイルの中にある本当の私について何か言ってくれる人はほとんどいなかった。そのせいで、かなりふさぎ込み、落ち込むようになったものよ。

  長年の経験から、大勢の知り合いや男友だちを通して、私は人の心はどこでも同じだってことに気づいた。気ままにセックスをして愛し合うのも、その時はステキだけれど、それは続かなくて、完全には満たしてくれないの。神がご自分で満たすようにと造られた心の空間は満たされないから。

  そのことは、死ぬまで知らなかったけど、イエスのことは信じてたわ。そうね、私たち[プレイボーイ]バニーは、イエスが聖書の中で言われた娼婦のようなものよ。自分で自分は正しいと言ってまわるような人たちよりも、先に天国に入るのね。私には弱点や欠点もあったけど、人を見れば、誠実な人かどうかわかったわ。

  私のようなライフスタイルはそう長くは続かない。競争の世界で、若々しい体や新しいきれいな子が次々にくるから、すぐに締め出されちゃうの。私なんて、長く続いたほうだけれど、それはきっと、性格が強くて、自分の思っていることをはっきり言うだけのガッツを持っていたからね。

  でも私の人生はそう長くは続かなかった。40までももたなかったわ。何で死んだのか結局ハッキリしなかったけど、ただ身体が弱くなって衰退していったの。医者は、何かの神経疾患か麻痺だと言ったけれど、神さまは私の時が来たのを知っていて、何もない失望の人生から私を解放したかったに違いないわ。私を霊の世界へと連れていって、神ご自身のことや愛について教えてくれた。子供の頃は、神様のことよく知らなかったけれど、それでも神様のことを愛していた。そして天国に行ってから、その神様についてもっと学んだの。

  地上を離れて霊の世界に入ってからたくさんのことを学んだけれど、本当は、イエスについて最初に学んだのは地上でのことだったのよ。イエスを愛する男の人に出会ったの。多分みんな「イエスを愛する男がプレイボーイバニーと何をしてたんだ?」と思うわよね。そうよ、それこそ私が知りたかったことよ。彼はプレイボーイクラブで何をしていたのかしら? 彼はあちこち旅をして回るセールスマンで、仕事で街に来ていた。寂しそうなのが分かったわ。夕暮れ時に話を始めて、また会うように取り決めたの。

  その出会いは、それまでで一番変わった体験だったわ。この男性が私のベッドにいて、メイクラブの後で話をしてると、話は宗教やイエスのことになって、彼はこう言うの。「僕は教会通いのクリスチャンではなく、主を信じていて、神は愛だ」って。彼が正しかったのがわかるわ。なぜなら今はイエスや彼の愛について自分で学ぶチャンスがもっとあるもの。

  彼は神の人だった。その時彼はまだ自分の使命に気づいていなかったけれど、神は特別な目的のために彼を召されておられ、彼はすぐにその召しを見つけ、今は私も知ってる。彼の名前はデービッド、最終的に彼はファミリーを始めて、あなたもそこにいられるという祝福を受けているわ。すごいと思わない?

  あの一夜の情事を通して私の心に種が蒔かれたのよ。あの人が意図的に分かっててしたのか、どうやって話がそうなったのか分からないけど、彼があの夜に話してくれたことは決して忘れなかったわ。私に命があるのは、彼の忠実さと救いを与えてくれたことのおかげよ。

  今は真理についてもっともっとたくさん学んでいるわ。愛が一番大切なことで、セックスや女性が美しくあることは何も悪いことはなく、ただそれがあまりに大切なことにならないよう気をつける必要があるだけ。自分の体を、利己的な理由や物を得るためや、自分に栄光を帰せるために用いるのは正しい事じゃないし、よくない事だけど、神を高めたり他の人に愛を伝えるために用いるなら、何も悪いことではないと教わった。悪いのは利己的に得ようとすることで、自然の美しさやセックス自体は悪くないのよ。

  だから今度、奥さんか旦那さんか恋人と愛し合って大きな喜びや安心感が得られたなら、そのあなたが感じる安心感と喜びと幸せはイエスからの祝福だって思ってね。それは、あなたのための神の愛の現れで、イエスを人生と心に受け入れることで霊の内に永遠に得られるものの、肉体的な現れなの。-- 永遠に終わる事のない絶頂感よ。ハ! きっとみんなの関心を引いたわね。本当のところ、「終わることのない永遠の絶頂感」というのが、イエスと彼の愛を最高に表現しているわ!

 

  ヒューヘフナー氏のプレイボーイ社は、1960年、初めてのプレイボーイクラブをシカゴに開いた。クラブは、食事と「男性向けエンターテイメント」を提供し、うさぎの耳としっぽのついた、肌を露出する衣装をつけたプレイボーイバニーとして知られる女性スタッフメンバーを売り物とした。

 

ママ

  驚きですね。証しがどれだけ人の人生を変えるかは測りしれません。もちろんレターの中でダッドは、私たちが行った様々なナイトクラブの事や、彼がフレッドジョーダンのセールスマンとして出張していた時に一緒に過ごした女性たちについて話していました。具体的にこの女性についてダッドが私に話したかどうか覚えていないので、これについて何か言いたい事があるか彼に聞いてみました。これがその返答です。

 

ダッド

  そう、アンは私の改宗者の一人だ! 主をほめよ! アンに初めて会ったのは、ロサンゼルスで、フレッドジョーダンの「チャーチ・イン・ザ・ホーム」の出演契約をしようとして短い出張に出ていた時のことだ。イブから離れて一人で旅をしていた時は孤独な夜がたくさんあって、時々は一回で2,3週間離れていた。だからレターの中で言ったように、誰か一緒にいてくれる人を探したんだ。彼女は優しい女の子だったが、主を知らない大勢の人たちのように中身が空っぽだった。そんなに一緒に時間は過ごさなかったが、いつもの習慣で女の子に証しをし、少なくともどれだけ主が彼らを愛していて、どうやって天国での場所を見つけられるかを教えようとした。それでアンは申し出を受け入れたんだよ! 彼女だけじゃなくて、私が言うところの簡単な証しを通して天国に送られた大勢の人々と会うのは素晴らしい! あなたの手本がどれほど遠く広く影響を及ぼすかは決して分からない。それを軽視してはいけないよ!

 

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UFO 霊のこと

  質問:空飛ぶ円盤(UFO)が目撃されたという報告がありますが、本物ですか? 異星人か、それとも飛びまわっている天使ですか?

  預言の答え:わたしの霊達は、善い方悪い方両方ともそのような形で飛ぶ。人の理解を超えた旅の仕方だが、恐れる事はない。あなたを傷つけることはできないから。邪悪な霊はものすごい力を持っているが、わたしの天使や守衛や保護警備隊の力に比べたら微々たるものだ。

  けれども、地上には類似した移動方法を研究し、学び、開発した者達がいる。だが、それがアンチキリストの策略の一つとなるので、彼らはこれを極秘にしている。彼はしるしと不思議とをもってやってくるが、これはその不思議の一つとなるだろう。これは人々が彼に対して畏れの念を抱くようにさせ、「この世界の外」からやってきたスーパーマンに違いないと思わせる。人々の思いは並外れた超人、超人類を信じるように準備されている。

 

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親友のために  

アルバートが語る

  ピエールは幼い頃からの友人だった。彼は陽気で冒険好きな性格で、私たちは共に幸せな日々を過ごした。だが、もうそれも変わってしまった。今日はピエールに会いに行くのだが、彼は、もうここ数ヶ月の間、ふさぎ込み、神経質で、痛みに苦しんでおり、今日も同じだろう。親友のピエールはガンを患(わずら)っているのだ。信じがたいことだが、現実だった。彼はゆっくりと死に向かっていて、だんだん衰弱していた。私も彼と共に死んでいくような気持ちだった。

  あの日ピエールの家に向かって川沿いを運転しながら、医者の言ったことを考えていた。仮テストによれば、私の骨髄が彼の命を救うことができるそうだ。私は自分が利己的で卑怯で偽善者のように感じた。人間性を試されているように感じ、どこかの医者に自分の骨髄をほじくり出されるなんてとんでもないことだと思った。骨髄移植の科学は完成されておらず危険が伴う。だが、ピエールを拒むことなどどうして考えられるのか? 私は一体どうしてしまったんだ? どんな人でも正常に考えれば、たとえ自分が傷ついても親友を助けるのをためらいはしないだろう。私は、ピエールを助けないことで、罪悪感に悩まされて生きていくという思いに苦しめられながらも、手術をして苦痛を味わわなければならないのにも耐えられない気持ちでいた。

  聖アウグスティヌス教会の前を通りすぎた。神のことを思い起こさせるものを見て、私はふと、心の内で神の導きを求めて祈った。「思い切って手術をして、間違ってかたわにでもなったりしたら?」、「神が私を守ってくれるっていう保証がどこにあるのか? もしものことがあったら…?」

  前の晩、ベッドの上で一晩中寝返りを打ちながらプラスとマイナス面をじっくりと考えた。友の命を救うであろうこの治療をするなら、最悪の場合にはどんな事態になるだろうかと思いをめぐらした。

  翌朝、最悪の事態が起こらないという確信が強まったわけではなかったが、手術をしてみることについて心に平安が宿るまでになった。友を助けるためなら、できることを喜んですべきだ。私は自分の命を神の御手に委ねた。神はすべてのことを扱えるほど十分に大きな方だ。

  その日ピエールは、ここ数ヶ月間と変わらない状態でいた。周囲は何もかも同じだ。公園にいる人達も、聖アウグスティヌス教会も。それでも私は違っていた。まるで、何かが起こる前触れの大きな波が私の内でわきあがっているようだった。何かが起こる瀬戸際にいるようだった。

  私は手術に同意したが、結局医者は私の骨髄は合わないと判定した。私はがっかりした。彼を助けるために本当に何でも与えるつもりだったのに。私たちが期待していた奇跡は起きなかったが、それでもピエールは私に感謝し続けた。それはピエールにもっと良いものを与えたようだった。私が心から気づかっていると知ったからだ。私が部屋に入るたびに、痛みにもかかわらず彼はもっと幸せそうだった。

  私が手術しないと決めていたら、どうなっていただろうか。ピエールが、自分がどれだけ愛されているか知ることはなかった。彼の命を救うことは私の責任ではなかったが、彼のために自分にできることをするのは私の責任だった。そしてそれが、ピエールが本当に必要としていたすべてだった。彼は私が、彼の命を救うためなら危険を承知の上で、何でも喜んで与えるほど気づかっている友だということを知る必要があったのだ。

 

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奴隷の主人

  私の名前はルイーナ・ケイ・クロウクですが、いつもリナと呼ばれていました。アメリカ南部のルイジアナ州ニューオーリンズ地域で生まれ育ちました。父は当時としては裕福なほうで、私たちの一家は農地を沢山所有していました。奴隷が解放されたアメリカの南北戦争の数年前のことです。私たちは白人で奴隷たちは真っ黒の黒人です。

 

  私の家族は農地もあればプランテーションもあり、奴隷も大勢いました。私も自分の奴隷というか、付添人と呼んでいた人がいました。一家の所有地の畑や農地で働いていた奴隷の数は100人近くいたと思いますが、全員が黒人でした。立派な白人はどんなことがあっても、奴隷たちと一緒に働く姿を見られたくありませんでした。ちょっと手を貸す程度でもそうなのです。

  両親は立派で、親切かつ礼儀正しい人でしたが、できるだけ奴隷たちから離れて過ごすようにしていました。ただし、父は奴隷たちのことを気にかけていました。自分が若い頃に苦労し、自分の所有地を失いそうになったので、自分の土地と呼べる場所がない奴隷たちの気持ちがわかったのでしょう。私たちの農地で働いていた奴隷たちに良くしようと努め、彼らに小屋ではありましたが家や休む時間さえ与えたのです。父のような主人を持った彼らは幸運でした。隣の家の人も含めて、他の白人の主人たちは、父のように親切ではなくて、奴隷たちが死ぬまで働かせることもあれば、奴隷たちの子供を、「みじめな生活を送らなくてすむように」始末することさえありました。

  非常に冷酷なことで、残った奴隷たちがさらに主人に敵対するよう促しただけでした。しかし、奴隷たちとほとんど接点がない主人たちは、迫り来る危険を察知することが全くできませんでした。私たちは彼らのことまでさほど心配しませんでした。何をしてあげられると言うのでしょう? 彼らは自分の棺おけを運んでいくための馬を用意しているようなもので、時が来るとまさにそうなりました。それも意外なほど素早くです。

  考えてみると、ある「白人の婦人」が惨殺されてから、母はショック状態に陥り、二度と回復することはありませんでした。事の成り行きはこうです。近所に、コーネル夫妻という夫婦がいました。夫人は、黒人のことを「汚い連中」と言い、面と向かって彼らをそう呼びさえしました。奴隷たちを汚らわしいと思っていた主人は沢山いたでしょうが、コーネル夫人のように口に出して言わないぐらいの分別は備わっており、たとえ言ったとしても、彼女のような残酷な響きをもって言う人はいませんでした。その夫人が、夫が仕事で数日家を留守にしている間に、いつもの気まぐれを始めたのです。そこの「汚い連中」を粛(しゅく)正し、「根性をたたき直そう」としたのでした。

  ある黒人の一家が時間通りに仕事を終えられず、それは、監督の夫人が威張り散らすにはもってこいの状況でした。別にそうでなくても、夫人はいつも威張り散らしていましたが…。いつものやり方として、夫人は罰として食べ物を取り上げました。ただ、この時、奴隷たちは素直に受け入れませんでした。子供が重病で食べ物がどうしても必要だったのです。彼らは嘆願し、一生懸命説明するのですが、夫人はその夫婦をののしって立ち去ってしまいました。ようやくメイド頭(がしら)に来てもらって娘の容態がどんなに悪いかを見てもらい、彼女に代わりにコーネル夫人に嘆願してもらいました。

  メイド頭のケイティ・ブルワインは年長の白人女性ですが、感謝することに分別ある人で、裕福な家族と貧しい黒人の奴隷たちの間を取り持つ役目を幾度もつとめていました。奴隷夫婦にとってケイティこそ最後の望みで、彼女も夫婦のために最善を尽くし、コーネル夫人に哀願しました。けれども、あの石のように固い心を和らげることはできません。夫人は奴隷の娘を殺そうと決めていて、後からケイティに聞いた話によると、幼い娘の病気がどんなに重いかを耳にすると、夫人は邪悪なオーラで輝いたかに見えたほどで、せっかく始めた邪悪な計画を誰にも妨げさせまいと決意していたそうです。

  ケイティの哀れみのまなざしを見たコーネル夫人は、彼女に、男の召し使いと近くの町へ2日間行くようにと命じました。コーネル夫人が何をしようとしているかは明らかでした。夫人は、人から忠告されたり、阻(はば)まれたりすることは拒み、出かける準備もできていないケイティを無理矢理、馬車まで引っ張っていき、何の目的もない町への旅に出かけさせたのでした。ケイティが馬車に乗せられて出て行くまで、コーネル夫人はずっと立って見ていたそうです。心の優しいケイティが自ら幼い少女に食べ物を与えることがないようにでした。

  コーネル夫人は気が狂っていたのでしょう。でなければ、主人がいない時に信用できる男の召し使い2人とケイティを送り出したりはしなかったでしょう。自分の身を守るすべを自ら放り出したのですから。でも、自分ではそんなことは考えもしなかったのでしょう。奴隷の見張りを小さな邸宅の門に立たせていましたが、見張りは、瀕死状態の娘が小屋で待っているという哀れな奴隷の黒人と妻の話を聞いただけで、彼らを通しました。復讐を助けてくれる人を見つけるのは難しいことではありません。奴隷全員が味方なのです。

  奴隷たちの間で広まった噂は、瀕死の子供の両親が家族のために食料品を取りに邸宅に入っていったということです。コーネル夫人は食料品がなくなったことに気づくはずがありません。倉庫にどれだけ食料があるかも知らないのですから。けれども、余分の食料があるとケイティに言われても奴隷に与えることは断じて許さないことは確かでした。

  「自然界で腐るように、食べ物も無駄になるままにしておきなさい」と単純かつ無情に言ったものです。

  翌朝、コーネル夫妻の戸棚の食料品はかなり減っていたでしょうが、誰も気づきさえしなかったことでしょう。そしてもう一つなくなったものがありましたが、やはり誰も何とも思わなかったことでしょう。ケイティが家に戻ると、床の上の何かにつまずきました。コーネル夫人の死体でした。それはそれは、身の毛のよだつような殺され方でした。夫人が今まで哀れな奴隷たちに投げかけてきた闇の影が、今彼女の上に落とされていました。コーネル夫人の死体は2日ほど放置されていたので、無惨な姿をさらしていました。

  主人は知らせを聞くと飛んで帰ってきましたが、すでに片づけられていたのでその惨劇のあとを見たり、その悪臭をかがなくてもすみました。奴隷たちは確かに罰せられ、あの奴隷夫婦は残酷なむち打ちを受けることを覚悟していました。今まであらゆることに耐えてきた彼らは忍びがたいことをも耐え抜く強い精神力に恵まれていました。誰が実際に殺したか、誰にもはっきりわからなかったために、かろうじて命だけは救われました。ケイティは告げ口しませんでしたし、当然奴隷は誰も口を割りませんし、主人は奴隷の労働力が必要です。そこでひどい人生ではありましたが、そのまま続いていきました。

  コーネル氏が家に戻り、葬儀などが終わって、母がこの話を聞くと、ものすごいショックを受け、二度と立ち直れませんでした。自分と似たような白人女性が、ごく近辺であんなにむごたらしく殺害されたのが信じられなかったのです。それですっかり怖くなったのでしょう。奴隷たちと接することもあまりなかった母は、恐れでいっぱいになってしまいました。母はそれ以来、うちの最上階に閉じこもって暮らしました。奴隷は誰一人として、最上階に上ることも、彼女に近づくことも許されませんでした。メイド頭以外は信用しようとしないので、彼女が四六時中、母に付き添うことになりました。

  私たち子供にとっても怖いことでしたが、父はただ無視しているようでした。どう対応したら良いのかわからなかったのでしょう。同時に自分自身この状況を懸念していたと思います。あれ以来、私たちの奴隷には良くしようとさらに努めたのに気づきました。奴隷を「うちの人々」と呼ぶようになり、彼らはそれを気に入っていたようです。彼らと父との間には尊敬の念がありながらも、かなりの距離がありましたから、彼らが本当に父を気に入っていたのかはわかりません。第一、なぜ気に入るのでしょうか? 何しろ主人なのですから、彼らには自由などありません。

  誰もが衝撃を受けていました。何年も後になるまで、その事は話題にのぼりませんでした。私はケイティに、殺人のきっかけとなった、あの少女はどうなったか聞いてみました。きっと死んだものと思い込んでいましたが、生き延びたという話を聞いて喜び、彼女を見つけて友達になろうと決心しました。この事件のことでは、私も少なからず怒っていたのでしょう。私にとって彼女は最初の黒人の友達になりました。サフラといい、私の考え方をかなり変えてくれました。6才ほど年下でしたが、いろいろ苦労を重ねたせいか、知恵の面では私より劣っているようには見えませんでした。

  私の奴隷や黒人に対する見方を完全に変えてくれたのは彼女です。私は彼らに対して特にきつかったり、冷たくはなく、親に教わった通り、わりと寛容でした。けれども、サフラと親しくなるにつれ、違いなどないことに気づきました。彼女は奴隷で私は自由がある、それだけです。奴隷たちの間ではいつも革命が語られていましたが、この制度を変えることは私には無理だと彼女も私も知っていました。でも、彼女との友情のおかげで、この頃には私も前よりは革命に賛同していました。そして、ともかく奴隷にもっと良くし、友達やパートナーや働き人として扱うべきであり、もっといろいろ恩恵を授けるべきだということがわかりました。

  父にこの話をすると、気立ての良い父はじっくり考えた末、所有地内に奴隷たちが土地や家を買うのを許すことにしたのです。大した額ではありませんが、給料らしきものも与えるようになり、奴隷たちは大喜びでした。父がそばを通るとほほ笑みらしき表情が浮かびさえするようになりました。彼らは喜んでいました。ただし、これは秘密にしておくという取り決めがあり、近所の人には話しませんでした。働き人たちも他の人に口外することはなく、話したらこの特典を失うことになっていました。私たち白人にしてみたら、こんなひどい流行を始めたがゆえに、白人社会全体から責められる危険をおかすことはできなかったからです。母は話し合いに参加しなかったので、こういうことを知るよしもありませんでした。いまだにぼんやりした状態が続いていて、日を追うごとに、ますます、こもりっきりでした。

  こういう状態は何年か続き、サフラがいないのにあまり気づかれないようにしながら、二人でできるだけ一緒に時間を過ごしました。サフラの両親は快く容認してくれて、私たちの友情のことを内緒にしておいてくれました。コーネル夫人が亡くなってからは、彼らの主人も奴隷の監督にあまり力を入れませんでした。たぶん邸宅にいると、あの事件のいやな思い出がまとわりつくのでしょう。それから逃れるために、別の町で事業をするようになり、邸宅から離れて過ごすことが多くなったのです。

  ついにある日、奴隷たちの反乱が起こりました。主人たち、少なくともその何人かに復讐するためと、何よりも自由を手にするために、武力と暴力に走ったのです。奴隷たちが自分の主人たちを襲撃したという話を聞きましたが、これはコーネル夫人の殺害よりもずっと大きなスケールの事件でした。そしてついに私たちの町でも起こったのです。

  大きな奴隷の集団が農場や作業場から逃走しました。監督者でも主人でも、とにかくそのような人なら誰でも憎んでいた彼らは、私たちの地域を荒らしながら進んで来ました。家々を襲っては、殴ったり殺したりしながら、行く先々にすさまじい破壊を繰り返し、その勢いが私たちにも伝わってくるのでした。住んでいる奴隷たちは害を加えられませんでしたが、土地の主人や白人の住人は誰でも捕まえられました。

  私たちがこれを知った時にはもう手遅れで、何の手だてもありませんでした。暴徒たちが迫っていて、逃げ道はありませんでした。遠くに彼らの馬のいななきや叫び声が聞こえるので、ここの家や土地と共に滅ぼされるのは明らかでした。

  その時、正面の扉をドンドンとたたく音が聞こえました。私たち三人の子供は階段を駆け上がろうとしていました。父は扉を開けるつもりはないようです。「開けたいのなら扉を壊して入れ!」と言うかのような目つきでした。けれども、私は一瞬立ち止まりました。

  「お父さん、すごく必死でしつこくたたいているわ! 私に開けさせて。」 すると父は無言で開けに行きました。

  驚いたことに、奴隷のルースが戸の外に立っているではありませんか。それまで、戸をたたくことは許されてないか、少なくとも暗黙のルールだったので、そうしたことはありませんでした。

  でも今、ルースは震える手を伸ばして、父に触れ、強い調子でこう言いました。「家族全員で来てください。かくまってあげましょう!」

  父は、ショックを受けているようでした。

  「さあ、ぐずぐずしている暇はありません。」 ルースはそう言いながら、嘆願するように私を見ました。

  私は弟と妹の手を取り、父のそばを通る時に父のコートを力いっぱい引っ張って急いで外に出ました。父も後に続きましたが、一瞬、最上階にいる母のことを思って立ち止まりました。ルースはすでに母のことは考えていて、「ご主人さま、奥様を連れに頑丈な人を送ります。あなたは今一緒に来て下さい。」と言いました。

  奴隷にしては大胆不敵な言葉でしたが、父は何も言いませんでした。ルースに従って、離れた所にある小屋の集落へ、あの迫り来る恐怖の方向に向かって走りました。着くと、私たちは二つの小屋に分けられ、私たちの所で働く奴隷たちにかくまってもらったのです。一人は、数え切れないほど沢山の箇所がすり切れて薄くなった毛布で横をおおった質素なベッドの下に押し込まれました。1人は細長い板でできた木箱に入れられ、小屋にあったすべての台所用品が上に積まれました。父は道具小屋にかくまわれ、汚れた作業服と壁の間にいました。私は背が低かったし、家具のあまりない小屋には隠れる場所がもう残っていないので、太った黒人の母親とベッドに入れられました。彼女は少ない毛布を全部使って私をすっぽりくるむと、まるで幼い赤ん坊のように優しく揺さぶるのでした。

  私はほとんど息もできませんでした。近づく暴徒たちの騒音や叫び声がどんどん近づいてきます。この瞬間になって始めてどんなに絶望的な状況かがわかりました。奴隷たちにかくまってもらうのは危険そのものです。小屋をよく探れば見つかってしまうだけではなくて、働き人たちも確実に殺されるでしょう。どう考えても裏切り者とみなされ、私たちと一緒に即座に殺されるはず…。心臓の鼓動がどんどん速くなり、激しくなってきたので、隠してくれている女の人が私をぎゅっと抱いて、「静かにするんだよ! あんたが取り乱したら、皆がつかまっちまうんだから!」 それで、言う通りにして、できるだけ落ち着こうとしました。

  ついに奴隷たちが私たちの土地に入ってきました。柵が壊され、ブリキ缶や貯蔵の缶詰が倒される音がします。畑が燃やされる音が聞こえるか耳を澄ましましたが、まだ聞こえません。

  小屋の戸が開く音を聞いた時には、背筋の凍る思いでした。「ここの責任者は誰だ?」無作法で恨みに満ちた声がどなります。

  「私だ!」ルースの夫が答えます。それは、私たちがかくまわれている隣り合わせの小屋二軒の責任者は自分だということを意味していました。その男はルースの夫と小屋の外に出ると、少し二人の声が聞こえるだけで、何と言っているのかよく理解できなくなりました。その会話は永遠に続くかのようでした。

  「皆、聞け!」 さっきと同じ、怒りに満ちた男の声でした。まだ私たちの家や土地を滅ぼしにかかっていない部下の男たちに話しているのでしょう。「ここの兄弟たちが言うには、ここの主人らは留守にしているとさ。留守だとは彼らは運が良い。家に居残って彼らが帰るまで待つ暇はないからな。それで、汚い仕事はここの立派な兄弟がやってくれると言うので任せよう。他の主人も、俺たちの復讐を待っているだろうぜ。そうじゃないか?」 そう叫ぶと、「そうだ」という叫び声がとどろき渡りました。

  「だが」と、男はさも嬉しそうに続けました。「邸宅と土地を破壊しなくては! われわれがここに参上したというしるしを残そう!」 騒々しい集団から喝采や同意の声がまたも大きくあがりました。私は震えました。その時、きっとこの男の演説中も隣りに立っていたに違いないルースの夫が言い出しました。「わが兄弟よ、待ってください! 男たちに少しだけ待ってもらえるなら、あなたに話したい重要なことがあるのです。」

  尊敬がこもった口調は暴徒たちのリーダーを喜ばせたようで、男たちには戻ってくるまで動くなとぶっきらぼうに指示しました。不満の声が聞こえましたが、すぐに戸がきしみながら開く音が聞こえ、ルースの夫とリーダーがまたも小屋に入ってきます。男は、質素な小屋を見まわしてから、女の人が何やら毛布にくるまれたものを抱きながらベッドにいるのを見つけたのです。

  「あれは何だ!」そう詰問します。

  すると、この母親はこういうことについてその男には決してわからないようなことまでわかるのよ、と言うかのように、太く低い声で答えました。「子供よ。赤ん坊ではないけど、やはり私の子供だから。この子の幼い命と健康を守るために私が自分の体で暖めてやらなければならないの。だからしゃべる時は静かに、そして戸は閉めておきなさい。すき間風が吹いているわ。」

  彼女は若い男の出過ぎをたしなめる方法を知っていました。男はほとんど尊敬を込めてベッドの脇まで歩いてくると、手を私の背中に置き、やさしくたたきました。私のものすごい身震いは彼もわかったに違いありません。それから言いました。「奥さん、この子が元気でありますように。」

  「ああ、元気になるわ。きっと元気になるでしょう。」そう言うと、薄い金髪の髪が見えないように完全に毛布で隠された私の頭に、母親らしくキスしました。

  男は、それからルースの夫を見たのでしょう。夫は直ちに説明し始めました。「部下が土地を荒らしたり、家を破壊したり、欲しい物を奪うことに、異議はこれっぽっちもありませんよ。長い間、私たちには禁じられていた物やぜいたく品ですから。皆さんの心に燃えている深い恨みは心の底から理解できます。」

  「だから、一緒に破壊したいのか?」

  「そうですね、でも放火したり、破壊したりすれば、主人たちが帰るように誘うことは決してできないでしょう。あの連中がよくやるように、誰かを先に送って、家の支度をさせたり、食事を用意させるでしょうから。すべて滅ぼされたと聞いたら、ここに二度と戻ってはきませんよ。ここの主人はたいそう富んでいるので、ここの土地を失うだけでは十分な罰にはなりません。

  兄弟よ、ここにいる奴隷たちは、私に全面協力すると言ってくれるはずです。家と土地はこのままにしておきましょう。彼らが帰ってくると聞いたら、土地や畑や家はやりたい放題です。彼らの目の前で滅ぼし、何でも思うままにできます。そう、彼らは私たちの主人であり、私たちは奴隷として暮らしてきました。彼らはどの奴隷の主人とも変わらぬ主人でした。

  だが、私たちの計画をやらせてくれれば、私たちが奴らをいいようにしましょう。聖書にあるように…何でしたっけ? 『当然の報い』、そう、そいつを与えてやりたいのです。」

  「そうよ、仕返しをしてやる時の奴らの顔を見たくてたまらないわ!」 ルースができるだけ憎々しげに言いました。

  「聞いてるだけで元気が出るぜ。よく考えた計画だ。」リーダーが言いました。「俺は権威があるから、おまえたちの計画通りにさせてやろう。俺たちは次へ進むが、まず何か食わなければならない。俺の部下は騒々しい連中だから、おまえたちの主人の邸宅に近づけば、我慢できなくて、めちゃくちゃにぶち壊してしまうだろう。だから女たちに食い物を持ってこさせろ。主人たちは倉庫にたんまり貯め込んでるだろ?」

  「おやすいご用ですよ。皆さん全員の食べ物と、次の目的地に着くまでの分を用意しますよ。」ルースの夫はほほ笑みました。

  二人は小屋を出ると、六、七人の女たちの名を呼んでいるのが聞こえました。彼女たちは、できるだけ早く彼らを去らせるため、樽やブリキ缶を集めると、男たちのために食べ物や雑貨を取りに私たちの家に入って行きました。全員がここから去るまで一時間近くかかりました。私たちは隠れている場所から出たくて仕方なかったのですが、じっとしていなければならなかったなら、何時間でも動かずにいたでしょう。

  最後に隠れ場所から出て来たのは父で、私たち三人の子供が待ちかまえていました。「お母さんは?」 父が少し不安な顔つきで尋ねます。

  「お母さん…」ルースが繰り返しました。「ああ、そうそう、奥様は何とか命拾いしたわ。私の息子が呼びに行ったのですが、怖がってて、全然来ようとしなかったんです。ついに猿ぐつわをしてから抱えて連れてこなければならなかったの。小屋まで間に合わなかったので、離れた所の茂みに一緒に隠れたみたい。それで、怖くて気を失ったのよ。静かにさせておくのは大変な人だから、奥様が失神して、息子は神に感謝したそうです。」

  父は、そんな事を言うルースをむち打ちにすることもできたのですが、父のほうを見ると、かすかな笑みを浮かべています。「ありがとう、ルース。」 父は心から礼を言いました。名前で呼んだのはきっとこれが初めてだったことでしょう。

  ルースもほほ笑み返します。「あら、どういたしまして、ご主人さま。」

  その後のふれあいは、今まで経験した中で一番なごやかでした。もはや主人と奴隷ではありません。友達であり家族です。私たちの命を救うために彼らは自分の命を危険にさらしたのです。なぜでしょうか? 彼らが言うには、私たちの親切さのゆえ、また彼らの生活を良くしてあげようと努めたことへの感謝のためだそうです。私たち一家をそのまま見殺しにすることもできました。そうすれば私たちの所有物をすべて自分のものにできたでしょう。でもかくまってくれました。私たちの土地や家や一緒の生活を守るために戦ってくれたのです。皆で肩を抱き合い、何時間も話し込みました。

  動乱の時はやがて過ぎ去り、変化の風がやっと奴隷制の南部にも吹きかけた時には、私たちの土地には奴隷は一人もいませんでした。全員が自由人であり、私たちのもとで永久に働こうと決めた人たちばかりでした。私たちは彼らに給料を払い、面倒もみました。自分たちが愛されていることを彼らは知っていました。けれども何よりもはっきりしていたのは、彼らが私たちを愛してくれていたことです。私たちの命を救ってくれたのですから。これこそ最高の愛であり、肌の色にかかわらず、一生、人を結びつける愛なのです。

 

歴史的背景:アメリカ合衆国には1600年代初期から1865年まで奴隷制が存在し、それが同国の歴史において、大きな役割を果たした。大多数の奴隷は、アフリカ系黒人やその子孫で、大多数の主人は白人のヨーロッパ人やその子孫だった。大半の奴隷は、主人と同じ敷地に住み、体の丈夫な大人の奴隷はたいてい農園で働いていた。

  多くの奴隷が奴隷制度について最も嫌っていたのは、強いられた重労働よりも、むしろ自分の人生が他人に支配されていることや自由がないことだった。奴隷たちはしばしば、自分たちなりの生き方を築いていき、自立することを目指していたが、主人たちは逆にそれを制限しようとしていた。奴隷たちはたいてい、夫婦とその子供たちで一緒に暮らしていたが、奴隷間の結婚は奴隷法により認められず、法律上は、主人が奴隷の子供たちに対する権利を有していた。売られることで、離別を強いられることが、すべての奴隷の家族が恐れていたことだった。一番よくあった抵抗の手段は逃走で、南北戦争前の数十年の間に毎年約千人の奴隷が北部への逃走に成功した。

  北部では、1830年代に、奴隷制度の廃止がほぼ完了したことで、アメリカは、奴隷制度維持派の南部と廃止派の北部に分裂した。奴隷制度により、南部は他の州や西欧の国々との亀裂(きれつ)をますます深めていくことになった。19世紀半ばには、奴隷制度が存在していたのは、ブラジル、キューバ、プエルトリコとアメリカ南部のみだった。奴隷制度をめぐる論争が、アメリカの政治を左右するようになり、ついにアメリカ南北戦争(1861-1865)へと発展し、それまで行われていた奴隷制度は、ほとんど幕を閉じた。           

 Encartaョ 98 Desk Encyclopedia(英語版)に加筆

 

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ゴースト・アンド・ダークネス

  ゴースト・アンド・ダークネス、1898年に起こった実話をもとにしたドラマ。英国の鉄道技師ジョン・パターソン(バル・キルマーが演じている)がアフリカのウガンダに行き、殺戮(さつりく)騒ぎを起こしている二頭の人食いライオンによって阻害されている鉄橋の建設に着手する。二頭のライオンは9ヶ月で135人を殺害し、残った労働者や村人のところに現れては彼らを恐れさせた。二頭は悪魔のようにずる賢く無情で、静かに獲物を小屋から引きずり出し、マラリヤ患者でいっぱいの病院さえ襲う。パターソンはアフリカとライオンに詳しい白人のハンター、レミングトン(マイケル・ダグラスが演ずる)と組み、地元からの助けを借りて残忍なライオンを追いつめ、最終的に殺した。最の一頭を殺した後、レミングトンは残りの一頭に殺された。

 

フランシス[YA]ヨーロッパ

  映画ゴースト・アンド・ダークネス(バル・キルマーとマイケル・ダグラス主演)を見た後で、実際はどうだったのだろうかと思いました。そこで主に祈って、実際に起きたことに関して説明してくれる人がいるかどうか尋ねてみました。主は技師のジョン・パターソン(バル・キルマー演じる)に語らせてくださいました。以下が、彼が語ったことです。

 

  これはあまり話したくない話題だよ。ぞっとする体験で、映画で描写されていたよりもっとひどかった。みな、ライオンに殺されることを恐れて、ある原住民は悪魔崇拝をしたり、インド人たちはお互いに争いを起こした。ライオンに面と向かうのは恐ろしい事だった。奴らは邪悪で、私達がしていた仕事を妨げるため、悪魔が悪鬼たちをそこに備えていたんだ。悪魔は、鉄道が敷かれるならもっと宣教師が来て、その時最も悪魔に支配されていた大陸を制覇されてしまうと知っていた。

  このことで私はすっかり面目がつぶれ、謙虚にさせられたよ。一番経験豊富な技術師でありながら、二頭のライオンのせいでちっぽけな橋すら建てられなかったのだから! 君たちは、それはライオンのせいであって私が非難を受けなくてもいいと思うだろうが、もし私がもっと主に導かれていたなら、ほとんどの人達は死なずに死んだことだろう。私は自分の理解力に頼って、やろうと決めたことは必ずできると思っていた。私達は十分祈り深く進めず、結果として多くの人々が命を失う事になった。私は困難な方法で学んだが、一つ言わせてもらうなら、一度悪魔を自分の人生に入れてしまうと、奴はどんなことでもするだろう。

  ほとんどの原住民達は完全に悪魔に魂を売っていて、私たちがそこに到着する以前にすら、恐怖と悪魔のやり方を押し広めていた。もちろん、何人かは主に勝ち取ることができ、主に勝ち取られた者たちは誰一人としてライオンの害を受けなかった。主がレミングトン[マイケル・ダグラス演じる]が殺されるのを許されたのは、彼が悪魔崇拝者で、何度もチャンスを与えられたのにイエスと救いを拒んだからだ。私達は道を変えるように彼を説得しようと努めたが、彼は拒み続けたので、残酷でひどい死を味わわなければならなかった。サミュエル[ジョン・カニ演じる]は後にイエスを受け入れ道を変えたため、主は彼の命をながらえさせた。

  これは悪魔と戯れても傷つかずに済むと思っている者たちへの警告だよ。決して君と君のすべきことの間に悪魔を入り込ませないように。状況が厳しくなって、もう一日も持ちこたえられないと感じた時でも、私達はあきらめなかった。私達はしがみつき、最終的には勝った。

  もう一つ、映画やテレビが好きな人に言いたい事がある。それは、たとえ実話でも、映画やテレビで見たことをすべて信じちゃいけないということだ。悪魔は吠えたける獅子のように食い尽くすものを求めて歩き回っているからね。だから、自分の力だけですべてをしようとしたり、主の導きに頼らないという、私達と同じ間違いを犯さないように気をつけるんだ。

 

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天国のスポーツ

  僕の名前はアレン、大のスポーツファンだ! おっと、聞き違いなんかじゃないよ。ぼくはスポーツが好きだ。ここ天国にもスポーツはあるんだよ。信じられないかもしれないけど、バスケットボールやフットボールやサッカーなんかの、地上でやってるのと同じスポーツを観戦して楽しむんだ。たまに立体テレビのチャンネルをひねってみたりもするよ。

  ここ天上での一番の違いは、みんなフェアプレーだってことだね。誰もずるいことをしたり、反則したり、暴力的になったりはしない。スポーツはもともと楽しくあるべきで、ゲームやレクリエーションや運動などを楽しむためにある。でも残念なことに、地上では長年の間にだんだん質が落ちてきて、今では戦争の霊まで入り込んでいる。人々は興奮しまくって、アドレナリンの値がとても高くなり、競争心があおり立てられ、コントロールが効かないほどだ。選手もファンも両方ともね。

 

フェアなプレーってあるの?

  天国でスポーツをする時、もしみんなに、思考の力や、現われたり消えたりする能力といったパワーがあるなら、どうやってフェアなプレーができるの? 例えば、仮に野球をやるとしても、相手側のチームはいつもボールをキャッチできるわけだし、逆にこっちはいつもヒットを打てることになる。それと天国では、考えたり、分析したり、理論立てたりする必要のあるゲームもするの? 互いの考えてることが分かるなら、そんなに楽しめるとは思えないんだけど?

 

  僕たちも地上でやるのと同じゲームをする。ただ、乱暴なところや、地上のスポーツを動かしている駆け引きはなくて、基本的に楽しむためにやる。もちろんオリンピックみたいに優勝争いをすることもあるけど、スケールははるかに大きいね。種目もずいぶんたくさんあるし。僕たちはみんな一つの国、国民、家族だから、それぞれの国を代表するということはない。自分たちでチームやグループをまとめたりして、確かに競い合うけれど、競い合うこと自体、楽しみのためなんだよ。

  でも、もし誰がゲームに勝つか分かっていたり、得点を付けないんだったら、あんまり楽しくないよね。でしょ? そういった意味では、ここ天上でも同じだよ。ここには負けたときのくやしい思いや、勝ったり何かのスポーツに秀でている時に、鼻高々になったり生意気になったり高慢になったりというようなこともなく、すべては完ぺきだ。負けとか勝ちという言葉は使わない。でも得点をつける方法があって、こういったスポーツを楽しむ人たちが技術を向上させるのにいい刺激になっている。

  みんな、思考を読むことについてはどうなるのか知りたがってるね? ここではある程度までお互いの思いが読めるわけだけど、すべては主にコントロールされていて、人によって思考を読める度合いも違う。まわりにいる人たちの思いをひっきりなしに聞いているわけじゃないし、自分の考えていることが開けっぴろげに皆に伝わっているわけでもない。ラジオのチャンネルみたいに、誰でも聞きたい人が波長を合わせるんだ。

  それは精巧に発達した天国の術で、それをマスターするには練習や訓練がいる。それに使用許可のレベルもまちまちで、誰しもが、「そうだな、誰それは今なにを考えてるんだろう」と思うだけでいつでも知ることはできない。

  場合によってはそれもできる。あなたが同意していて、また主がそう定めている場合だ。いつでもどこにいても相手の考えが分かるように、お互いの間で全面的なテレパシーの使用許可があるんだよ。誰かと、部分的にクリアなコミュニケーションを持つこともある。その場合は、相手がその場にいれば考えていることを全部読めるが、遠くにいる時は、電話通信のように話せるものの、絶え間なく自分の思いをお互いに伝えることはできない。

  僕たちがゲームやスポーツをする時、サッカーを例にとると、僕たちの間には、紳士協定みたいなのがあって、ゲームを始める際に、相手の思考に対する受容性のレベルをぐんと下げることになってるんだ。それによって、地上にいる君たちと同じぐらいのレベルになる。誰かのことをよく知っていて一緒にプレーしているなら、どういった行動や反応をするかや、次どんな動きをするか、だいたい見当がつく。特にそれについて話し合ったり作戦を練っていたりした場合はね。ここではもっとそれが高められる。ジョニーと僕が同じチームでプレーしていたとして、右サイドに6メートル程のパスをすべきだと感じて、得点するためにジョニーにそこにいるように合図を送る。でも、思考で会話する時ほどクリアなレベルではない。少し低くて、ゲームを続けるのに必要な程度くらいなんだ。もちろん、ちゃんと耳を傾けていなくちゃならなくて、ボーッとしていたらだめだよ。

  相手のチームに対しては、同じようにコミュニケーションV−チップス(訳注:ボタンの操作一つで、特定のテレビ画面を見えなくするマイクロチップ装置)のようなものがあって(他にこれを言い表せるような言葉がないんだ)、レベルを上げたり下げたり、

完全に消したりできる。種目によって、相手から何らかの印象が伝わるようにするか、すっかり閉じて全くのお楽しみにするかを決める。といっても、完全に分からなくなるわけでもない。地上でやる時も、大まかな動きや、相手チームが何をしそうで何をしそうでないかは見当がつくだろう。ゲームの前に、どの程度のレベルでするか同意しておくんだ。とても低いレベルにするにしろ、完全に消すにしろ、同じレベルに合わせる。だから少なくともフェアってわけさ。

  瞬間移動に関して言えば、それは、たくさんのゲームで使ってはいけないパワーの一つだよ。ゲームごとに独自のルールがあり、ここ天国では、「消えて1.5メートル先でまた出現してはならない」のような補助的なルールが幾つかある。

  みんなが知らない新しいゲームや、旗取りゲームやかくれんぼに手を加えたようなものもある。スーパーパワーがあるから、楽しさも倍増だよ。分かるよね!

  境界線はある。だいだい「今日の午後のゲームでは木星は立ち入り禁止」みたいにね。ハ! ゲームの内容次第で、もっと境界線を広げることもあれば、狭めることもある。それでも、狭いものでも地球にいるみんなにとっては大きいことだろうね。でも疲れないし、いかした移動パワーがあるから、長い間かくれんぼで走ったり遊んだりできる。当然一定のルールは定まっていて、できることできないことがある。もし僕がマークから隠れていても、マークが可視光線をフルに使って見ているならあっという間に見つかっちゃうだろう? だから、みんなそれは使わないで、追いかけっこを楽しくさせるんだ。

  脳細胞をよく使う、分析やパズルやなぞ解きや難題解決といったゲームの場合も、だいたい同じようにする。僕たちの頭脳はずっと進んでいて、もっとたくさんの教育を受けるので、はるかに多くの知識や情報を持っている。だから、そういった能力を要するゲームでは、君たちの想像を絶する程の高いレベルになるんだ。その種のゲームが大好きな人は、ここでもそれが出来る。頭脳にチャレンジし、知識や問題解決能力を伸ばすのは楽しいものだよ。

  特定のゲームに秀でていても問題にはならない。ゲームやスポーツを職業とすることはないし、仕事と主への奉仕が一番大切だからね。ここにはプロの運動選手やプロのチェスやポーカーのプレイヤーなんてものはない。僕たちがプレーするのは、楽しみやリラックスのためだ。それは、主からの祝福と愛のしるしなんだ。主は特に、地上でそういうアクティビティーが好きだった人たちのために、そうされるんだよ。

  僕は人間として地上に住んだことはないけど、僕の父さんはある。バスケットボールが好きだったから、ここに来てからもやりたがった。だからここでもプレーできることを、とっても喜んでるよ。僕が生まれてから、父さんは僕と一緒にできたら楽しいだろうなと思っていたんだけど、本当にそうだった。ゲームはフェローシップ、娯楽、団結のためにも素晴らしいよ。

  ここ天国では、興味のある技能や技術を何でも向上させられる。それに、時間もたっぷりあるし、学習能力だってもっと発達している。ここでもまだ学ばなくちゃならないんだよ。ただやってきて「ピアノが学びたい」と言ってから、もう5分後にはすらすら弾いてるという訳にはいかない。やはり学習するんだ。君たちが5年15年かかるところを、5ヶ月くらいかかる、と言っておこうか。

  もちろん、主が地上で与えたタラントや技術は無くなったりしないよ。興味にまかせて他の技術を向上できるといっても、みんながすべての面で同じになるわけじゃない。それぞれの人が輝ける特別な分野があるんだよ。また、音痴で歌えないなんてハンディキャップもない。スポーツで、ボールをキャッチできないとかシュートできないなんて人もいない。誰でも少しの練習で何かできるようになる。もっと練習して時間を費やすならもっと上手になる。でも、誰もひけらかしたりはしない。ほんとのところ、これらのゲームはたいしたことじゃないんだ。

  霊的な体を使ってもっとすごいことができるんだけど、そういった芸当をひけらかしたりはしない。物事はバランスよく保たれているからね。でも、飛行みたいに、霊の能力や力を使う方法なんかの発見は山ほどある。あることは練習や経験がいる。だから、とっても楽しいのさ。でも、他の誰よりもずっと速く飛べるすごいやつなんてのはいない。飛行のレースをすることもあって、それは楽しいけど、誰かが誰かよりも優れていることを証明するために競ったりはしない。ただ、楽しみと気晴らしのためだ。フライングショーは見るべきだけどね。それに似たものと言えば、シンクロナイズドスイミングや、水中バレエ、それに空中サーカスぐらいかな。でも水やブランコはなくて、空中でやるんだ。とても美しい。女の子たちは一生懸命練習してかっこいいフォーメーションやダンスを空中でする。それは見てて本当に楽しいよ。僕の姉妹もそれをやっていて、振り付けを手伝ったりもする。それは彼女の趣味で、素質があって、それをしたいと願う人たちに主が与えられる賜物の一つなんだ。

  そういう訳で、スポーツやゲームが好きなみんな、ここでは全く同じではないけれど、レクリエーションのために出来る楽しいことはたくさんあるよ。天国的な力があると、楽しみが減るどころか、増えるばかりだ。普段持っている力をしばし使えないようにすることも面白い。地上にいるみんながいつもどんな風に感じるかがわかるし、ゲームをする時も面白くなる。でも、いつもそうでなくてよかったけど。ハ!   

 

ここにあるスポーツスタジアムを見られたらいいのに。地上のものがちっぽけに見えるよ。時々、ものすごい催しのために集まるけど、スポーツ一点張りということはないよ。

 

一緒に楽しむことは他にもたくさんある。食事、美しい音楽鑑賞、ダンスや劇や、生(なま)の歴史を見たり、自分でダンスや歌や演奏をしたり…。時には一度に全部するんだよ。

 

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こん棒 対 ベルベットの手袋

テディー・ルーズベルト

  若かりし頃というのは随分昔のことだが、1世紀以上前は私も若かった。私は26代目のアメリカ合衆国大統領だった。みんな、「口調は優しいが、手にはこん棒」という私のモットーを知っているだろう。私は確かに、優れた統率力のゆえに、高い地位につき、偉業を成し遂げた。

  私は普段から活動的でエネルギッシュだった。しかし幼少の頃に病気がちだったため、うっ積した感情が内にたまっており、同年代の子供のように感情を発散させることができなかった。そして憤りを心の内にためていった。時がたつにつれ体も丈夫になり、それ以後は、大統領に就任していた時期でさえもスポーツを楽しんだが、荒々しい怒りの炎は私の内で消えることはなかった。

  若い頃はずっとその怒りの炎を内に抱いており、それは、私のした幾つもの無分別な行動に表れている。そのほとんどは歴史の書には記録されていないが…。怒りや不満が爆発した時には、私は相手構わずそれをぶちまけたため、良き友人も幾人か失ってしまった。口を慎むことを学ばなかったために、ある時は、忍耐と理解不足のせいで、もう少しで婚約者を失うところだった。

  40になる頃には、自分の気質をどうにか制するようになっていた。私は、寒くじめじめしたニューヨークの街を歩いていた。夜もふけてきたきた頃で、選挙戦の真っ最中のことだった。私はくたくたに疲れており、夜の空気を吸おうと少しだけ住まいから外に出たのだった。暗闇の中で歩道を歩いていたのだが、そこに横たわっていた男の姿に気がつかず、つまずいて、体を強く打ってしまった。

 「くそっ!」 私は叫び、悪口がついて出てきた。体を起こした男の方を振り向き、不注意を厳しく非難し、いらだちをぶちまけた。

  しかし、ついに私の憤りがそのまま戻ってきた。私が短い攻撃演説を終えるやいなや、彼も激しく言い返してきたのだ。しかし彼の場合は、そうして当然だった。私はちゃんと暖かい格好をしており、家もあり、雇い人までいる。だが歩道で横たわっていた男は、私がごく基本的な必需品と考えるものさえ持ち合わせていない。それなのに私は、いらだった感情を抑えることができず、その男をひどい言葉で打ちのめすほどの図太い神経を持ち合わせていたのだ。その男の言葉に、私は生まれて初めて目が覚めた思いだった。彼は、自分の前に立っている無情で卑劣な男、つまり私のことをののしった。あの夜私は、人の目を通して自分自身を見、自分がその州の知事選で立候補していることなど、すっかり忘れていた。私がこの要点をつかむには、自分の選挙区民から教えられることが必要だったのだ。

  この出来事があって以来、私の態度はがらっと変わった。熱意に満ちた人間であることは変わらなかったが、この荒々しい霊をなくすために懸命な努力をした。時々後戻りしてしまい、ある時には、愚かな性急さのせいで高い代価を払った。大統領就任期間中にプロボクサーと試合をして、片方の目の機能を失ってしまったのだ。失敗は確かに教訓を確固たるものにしてくれる。

  私の行動や決断の多くは、賢明なるものとして一般大衆に歓迎され、私はだいたいにおいて、アメリカ史上でも人気のあった大統領の一人とされているが、ここでは故意に、自分の経歴の詳細や、私の取った行動や決断の背後にあった考えなどは省いた。政治の裏には多くのことが隠されており、当時は、善は今よりずっと良く、悪でさえも今の悪に比べればさほど悪くはなかったものの、それでもサタンの陰には大きな誘惑が常にひそんでいた。

  そう、私は最善を尽くそうと努力し、死に至るまで、激しやすい性質のことで苦労した。だが、すべての人間関係において私は、より賢い人間は穏やかな対応をすること、そして、一番説得力があるのは、こん棒によるのではなく、ベルベットの手袋のような優しさをもってする説得だと学んだのだった。

 

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02 セックスと救い

ちょっと変わった実話。セックスを通して救われた娼婦が、誰のおかげで救われたかを語る。

 

05 UFO

UFO、それは天使か、それとも宇宙人か?

 

06 親友のために

友人の命を救うために、あなたはどこまでするか? 自分の命を危険にさらすだろうか?

 

08 奴隷の主人

若い白人の女の子、死んでいく黒人の子供、近くで起こる殺人。奴隷たちだけが、彼らの望み。

 

16 ゴースト・アンド・ダークネス

俳優たちの演技は良かったが、映画は正確に描写していたのか? ライオンに面と向かった男から聞く。

 

18 天国のスポーツ

思考を読みとる能力やその他の超自然的力は、天国でのスポーツで使われるのか? 天国にいるスポーツファンが語ってくれる。

 

22 こん棒 対 ベルベットの手袋

テディー・ルーズベルトが、怒りの霊をなだめてくれた経験を物語る。

 

一番最初の読み物の内容のゆえに、この出版物を読むよう勧められる年令は16才以上です。親やシェパードの判断により、一部をそれより年下の子供達と一緒に読んだり、彼らに読ませたりしても構いません。

 

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