リンクアップ 1  PDFファイル

 

タイタニック号で何が起きたか

「僕はタイタニックと共に沈んだ

 

  タイタニック号は英国の超大型(総トン数4千6百トン)豪華客船で、専門家は不沈を信じていた。が、1912年4月14日深夜、ニューファンドランド南方の沖で氷山に衝突、翌日早朝、衝突後3時間足らずの間に海底に沈んだ。タイタニック号の沈没は、海事史上最悪の惨事である。乗員乗客あわせて2千2百人以上が乗船、内1千5百人が死亡した。処女航海ということもあり、死者には多くの有名人が含まれている。この事件は数々の本や映画にもなった。しかし沈没船の発見と写真撮影は1985年11月になってからである。

  僕はエドウィン。タイタニックと共に沈んだ、いや、むしろ「昇った」人間の一人です。父は、僕達家族の運賃の足しにするため、この船の機関室で働いていました。母と僕と三人の妹は、父と共に新世界、新しい生活、新しいスタートを夢見てこの船に乗ったのです。さて、確かに新しい世界、新しいスタート、新しい生活を見いだしたと言えますが、予想外の方法で見いだすことになったわけです。

  僕は野心家で若者らしい情熱に満ちていました。生まれは貧しかったので、夢は金持ちになる事でした。そして有名になり、重要人物になりたいと思っていました。上流階級の人達は一般の労働者階級を見下していて、僕はそれが大嫌いでした。負け犬として蔑(さげす)まれ、貧しい暮らしをするなど、まっぴらだったのです。

  うちは貧しい家庭でした。いつも困窮(こんきゅう)し、何とか暮らしを立てているといった状況でした。そんな時、全てを持っているかに思えた金持ちや裕福な人達を見ては、彼らと同じものが欲しいと思いました。自分が誇りにできる生活をしたかった。そしていずれできるだろう自分の子供達にもそうしてやりたいと思いました。

  巨大なダイニングで食事をする同じ年頃の人達をうらやみました。ただお金と地位があるというだけで、着たい服を選び、欲しい物を手に入れ、言いたいことを言え、しかも尊敬される、そういう彼らをねたみました。富を得ても幸せにはなれないと常に教えられてきましたが、そんなことはないと思っていました。

  僕の両親は神様のことや愛すること、善良に生きることを教えてくれ、僕はそれをずっと重んじてきました。少なくともその時までは。でも神は、僕が願う方法、つまりこの慎ましい生活に終止符を打ち、代わりに富と名声を得させるという形で、その愛を表してはくれていないと思ったので、目に見えない神など信頼しないと心に決めたのです。僕は、実際に自分が手で触れられるこの世のものにしがみついて行くつもりでした。僕は有名になって、富を得たかった。人生を楽しみ、幸せになりたかった。そして僕はその幸せを見つける方法を知っているつもりだったんです。

  その時、あの事故が起きました。タイタニックが氷山に衝突し、エンジンが止まったのです。皆、この船は沈まないと言っており、僕もそう思っていました。タイタニックは堂々たる船で、当時右に並ぶ物はありませんでした。最初パニックを起こすことはありませんでしたが、しばらしくして、父が上がってきて恐ろしい知らせを伝えました。船が沈んでいるのです。父は、なるべく早く戻ってくると言いながら、もう一度機関室に戻りました。母は、幼い妹達が何も気づかないようにしながら、父を待っていました。

  僕の心は神へと舞い戻りました。ほんの数時間前、神抜きの生活を送るんだと心に決めたばかりだったのに、今考えられることはただ、神に会うってどんなだろう、神は僕に何と言われるだろうという事だけでした。僕は、神は僕を幸せにできないと信じることに決めたはずでした。でも、死ぬかもしれないというこの時、子供の頃の信仰が自分にどっと戻ってきた気がしました。心の奥深くでは、本当に大切なのはただ神と信仰、そして次の世にも何かしら生きる目的があるという保証だと知っていたのです。富が人を救い得ないことはわかっていたし、神を離れ、自分が追い求めようと計画していた軽薄な人生を思うと、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。

  廊下を通り、ダイニングルームやリビングルームを歩き回りました。誰もが狂わんばかりに走り回っています。救命ボートを求める人、自分の財貨を守ろうとする人、何とか生き延びようとする人、様々です。豪華な船に乗った地上の栄光がすべて、あらゆる財宝や富みや宝石と共に沈んでいくのだと、僕は思いました。

  その後、パニックになりました。階下の部屋へと通じる通路が閉じられて、両親の部屋に戻れなくなったのです。その頃にはもう救命ボートは満員で、デッキに残された人々は半狂乱でした。でもボートが全部行ってしまうと再びゲートが開けられ、また家族と会うことができました。父と母は、子供達を落ち着かせて、最後の時を一緒に過ごすことを選びました。間もなく妹達は眠り、想像を絶する平安に包まれて家族全員が眠りについたのです。

  船が沈んだ時のことは覚えてさえいません。その時、そんなことはどうでもよかったのです。しばし、全てが闇に包まれました。それから僕達は大いなる光の中に入り、イエスと顔を合わせたのです。地上での人生が僕の頭の中から徐々に消えていきました。それはもう何の価値もないのです。

  この世の快楽を追い求めて生きようと心に決めた時、それがたった短い時間であっても、僕は事実上、主を否定したのだと思っていました。でも主は僕を快く迎えて下さり、人生で下した誤った決断のことで非難したり、僕に自分を責めさせるようなことは一度もされませんでした。天国はとても美しい所で、地上にいた時に願っていたものすべて、そしてさらにはそれ以上のものも手に入りました。

  たぶんあなたがたには、僕の話があまりピンとこないかもしれません。僕らの時代に生きたことがないからです。貧しい家庭で育ったわけではないし、タイタニックに乗ったわけでもありません。でもおそらく、自分で認める以上に、僕と共通点がある人がいると思います。今だってこの世界には階級があるし、この世からすれば、あなたがたファミリーの人たちは尊敬もされず、美しくもありません。あなたがたはイエスのための乞食です。イエスのために全てを捨て、見捨てられた人達を主に勝ち取るために貧しくなったのです。

  あなたがたは時々、不当に扱われていると思う誘惑に駆られるでしょう。気楽に生活できない、あと少しでもいいからこの世に尊敬されれば満足するのに、と思っているかもしれません。そして、イエスのために命を賭けることは本当に価値があるのか、これだけ犠牲を払う必要が本当にあるのかと思う事もあるでしょう。幸福は?人気や自由はどうなるんだろうか? 自分の周囲に溢れる歓楽はどうなんだろう、ってね。

  僕にはその気持ちがよくわかります。でも、あなたがたが持っている霊的な富を、物質的な富やこの世の快楽と引き替えるようなことは、どうかしないで。物や地上の快楽や喜びや感情などは、あっという間になくなることだってあるんです。でも、あなたがたの持つ富み、霊的な豊かさは残り、それを次の世界に持ってくることができるのです。

  主があなたを連れ帰ると決めるのがいつかは決してわかりません。だから毎日を最後の日のように生きて下さい。あの夜、僕の人生が終わるなんて僕は知りませんでした。でもそれはそこで終わったのです。生きる価値のある事に生きるよう、がんばり続けて。この船が海のもくずと消えたように、消えてなくなくなってしまうものの為に、ファミリーで奉仕するという冠を捨てないで。僕はかつて社会の最下層に属し、全ての人から憎まれ、さげすまれ、拒まれる事がどういうことかよく知っているから、僕の話を信じて下さい。イエスはその全てを経験する価値があります! 嘘ではありません。度肝を抜かれるほどの天の宝を、あなたがたは持っているのです。

 

     ――――――――――

 

  預言:歴史の教科書から学ぶこともある。しかし霊の世界は別のものだ。表面的な現象が事の実体を表すとは限らない。人は自分の益と目的を求めて歴史を何度も書き換えた。あなたはどちらを信じるか? 人の言葉や歴史書か、それともわたしの言葉か? 選択の余地がある時もある。そういう時には歴史に反して進まねばならない。人の記した言葉に反し、わが言葉にしがみつくのだ。

 

     ――――――――――

 

  タビサ・プレイズモア、イギリス:私はホームのティーン達と一緒に映画「タイタニック」を見て、亡くなった人達の苦しみに心がとても動かされ、彼らのために祈るよう導かれました。その夜、ベッドに入る頃詩を受け取りました。とても力強く来たので、急いでペンと紙を取り書きとめようとしました。今までこんなふうに何かを受け取ったことはありません。その詩を与えている人は心底本気のようでした。名を聞くと、「エドウィーナ」という名前をもらいました。

  その後間もなく、町の大きな図書館に行ってタイタニックについて少し調べてみました。全乗客リストを入手できたのですが、何とそこに彼女の名があるではありませんか! エドウィーナ・セリア・トロント、27歳。イギリスのバースからマサチューセッツに行く予定でした。(ちなみに、エドウィーナという名前はこの人だけでした。)

 

     ――――――――――

 

  注意書:更にこれら2つのメッセージの神秘的な所は、エドウィンとエドウィーナという名は

似通っていても、預言を受け取った経路である人達は互いに遠く離れた所にいたということ

です。

 

     ――――――――――

 

 

死に行く者の心の叫び…

 

沈む、沈む、水の墓場へ

私の全ての所有物は

主を知らない私を運命の果てから救うことができない

沈む、沈む、水の墓場へ

この身も魂も、救ってくれる人は誰もいない

聞こえますか?

人々が解放を求めて泣き叫ぶ--私と同様に

 

見たこともない壮大な船―

夢の船と皆がたたえる

父と母と私と3人はあかぬけした乗客

交友達は

アーミン毛皮のコートと真珠のネックレスに身を包んだ

公爵伯爵の取り巻き

洗練された高貴な方々、粋な人々

夢のようなパーティーの連続

庶民や彼らの窮状など、構う暇はない

彼らの事なんて、笑いの種、ただからかうだけ

 

沈む、沈む、水の墓場へ

助けてくれる人は誰もなく、いるのは自分たちだけ

「女子供が先だ!」と叫ぶ人達

恐怖におびえた男達は

定められた運命から逃れようと必死に試みる

友人を、愛する家族を探し出して一緒になろう

彼らは、救命ボートで安全かもしれない。でも本当に安全だろうか?

海は、等級も階級も、豊かさも貧しさも知るよしはありません

金も富みも貴重な宝石も

その残酷な魔手は止められないのです

 

神を試みるとは―何たる愚かさ!

「絶対に沈まない!」「不滅だ!」

「人間による最高傑作!」と言われた船

だのに、時計の針が二回りもする頃には

多くの命がはかなく海にのみこまれたのです

昔の人は言いました

最良と思えた計画はしばしば無に帰する、と

人が手を休めて、神を認め、祈る時

名案が得られるというものです

 

私の航海が、

友人に囲まれたアメリカではなく

深い大海の底で終わると知っていれば

私の以前の考え方も違っていたでしょうに!

計画も違っていたし、祈りも忠実にしたし

若い頃にもっと忠実に聖書を読んでいたでしょう

でも、このような時にもほほえんでいられるのは

この時に学べてよかったと思うから

熱心な愛の嘆願によって救われ

救い主である方の愛を私は喜びます

 

聞いて! 私達の声が、風に乗って聞こえるでしょう

カモメの羽ばたきの内に聞こえるでしょう

命のはなかなさを

人の一生がいかに速やかに過ぎ去るかを、―この詩をもって証しします

 

さようなら! 時が来たので、私は帰ります

忘れたり、はねつけたりしないと、信頼していますよ

これをただの夢や幻想

この上もない想像の産物だと片付けないと

祈りによって天国まで送り届けるほど、私たちを愛して

永遠の平安と休息への

黄金の階段を踏めるよう、助けて

深い淵から私達を救い出し

涙を流す人のいない地にまで届けて下さい

すべての夢がかなう、約束の地へと

私たちの切符は、あなたが持っています。―どうしますか?■

 

     ――――――――――

 

  預言:この女性はタイタニックと共に沈まなかったが、彼女はその時の思い、感情、死ぬかもしれないという恐れを抱いた時の魂の絶望を語っている。エドウィーナは、この巨大な船が悲劇の運命をたどろうとしている時に誰もが直面した、来るべき悲惨な終わりに対する恐れを語っている。

  この人は、今わたしと共に天国で幸せだ。彼女はこの地上にいた時からわたしを知ってはいた。だから、彼女が救出され、命を長らえたのは、死に直面したときの必死の祈りに対する答の一部だ。

  祈りによって解放を求める時、共にいた乗客のために再び彼女は語っている。中には、この船に閉じこめられたままの人達もいる。死ぬ前にわたしを知らなかったので、今も霊界の中間地点に留められている者達である。

 

     ――――――――――

 

現代に換算した(片道)料金: 

1等(特等室):5万ドル

1等(寝台):1,724ドル

2等:690ドル

3等:現代に換算して172ドルから460ドル

乗客数: 

1等337人

2等285人

3等721人

乗務員885人

 

タイタニック号の値段1912年当時):75万ドル

現代に換算した建造費:        4億ドル

 

タイタニック号の食料物資

生肉34トン

鮮魚5トン

塩と干し魚2トン

ベーコンとハム3.5トン

鶏肉類11トン

生卵4万個

ソーセージ1トン

ジャガイモ40トン

玉葱1.5トン

トマト1.5トン

アスパラガス800束

生グリーンピース1トン

レタス7,000個

牛のすい臓1,000体

アイスクリーム800kg

コーヒー1トン

紅茶360kg

米、豆など4.5トン

砂糖4.5トン

小麦粉250樽

オートミール4.5トン

リンゴ36,000個

オレンジ36,000個

レモン16,000個

ぶどう450kg

グレープフルーツ13,000個

ジャム/マーマレード500kg

生乳6,800リットル

生クリーム1,100リットル

コンデンスミルク2,300リットル

生バター2.7トン

ビール15,000本

ワイン1,000本

その他アルコール飲料850本

炭酸飲料1,200本

葉巻8,000本

陶磁器類57,600個

ガラス製品29,000個

シルバーウェア44,000個

エプロン4,000枚

毛布7,500枚

テーブルクロス6,000枚

ベッドカバー3,600枚

羽毛掛けぶとん800枚

シーツ18,000枚

枕カバー15,000枚

ナプキン45,000枚

タオル36,000枚

 

タイタニック号の豪華度

ロウイング・マシーン、サイクリング・マシーン、乗馬マシーン付きの運動室。

温水プール(船内に設けられたものとしては初めて)。

医師2名、手術室もある最高技術水準を備えた医務室。

フランス人ウェイターのいる本格的パリ風カフェ。

トルコ風呂。

スカッシュコート。

1等、2等用図書館。

約1万平方メートルの1等ダイニングルーム。

本物のヤシの木があるベランダ・カフェ。

暗室。

船舶間電話用のスイッチボード50個とオペレーター。

電動エレベーター4機、オペレーター付き。

 

客 2228人

生存者 705人

死者  1523人

遺体発見数 306体

 

 

     ━━━━━━━━━━━━━━━

 

戦いの子の召命

  私の名前はサイモン。戦士である。数百年ほど前、フランスの地にいた。私は領主のために働く強い兵士で、怒濤(どとう)のごとく押し寄せてきた異教徒ムーア人と立派に戦った。私はキリストを固く信じる者だが、当時の教会の無情で愛のないやり方を拒んだ。彼らは主であり救い主である方の教えに従わず、愛がない。虫ずが走る。だからわが民の素朴な信仰を壊そうとする者たちに対し、武力で戦いを挑んだ。私は民のために戦い、彼らのヒーローとなったのだ。

  私は生涯ずっと戦わなくてはならなかった。私の目は生まれつき片方しか利かない。もう片方はほとんど見えなかった。家族の中に受け入れられるために戦い、甘やかされたり、ちやほやされることのないよう戦わなくてはならなかった。息子は私一人だったからだ。父に隠し子がいたので、家督を巡っても戦わなくてはならなかった。その子が大人になったとき、私が強く出、彼と勇ましく戦っていなかったなら、この地は占領されていたことだろう。

  もうこれ以上進めない、と思うこともあった。幼い頃に母が教え込んでくれたイエスの力がなかったなら、確かにとうに力尽きていただろう。私は王国の騎士として愛し仕えるよう教えられた。十字架に対して頭を垂れ、膝をかがめるよう、全員が教えられていた。そう、主の御前に頭を垂れることによって、私は力を得たのだ。戦いの前夜は必ず教会堂に行き、主の御前に身を投げ出す。神に、敵と戦う力と助けを求め、主の御名によって勝利を得られるよう求めた。

  私は誇りを持って一族の紋章を身につけた。白鷲が片足に聖句を、もう一方に剣を持っている紋章だ。その背後に「戦うはキリストのため」と書かれた楯がある。私の剣にはこう彫られている。「主の力によって勝利する」。そしてかぶとの銘はこうである。「御言葉が慰める」。

  私の死は、悲劇的で一風変わっていた。息子と剣の手合わせをしていて、少しの間、私は後退し、間を取った。しかし息子ヘンリーはその間合いに気づかず、その機を捉えて踏み込んだ。息子は、いつものように私がそれを軽々よけるものと思いこんでいたのだ。しかし、私は不意をつかれ、致命傷を負ったのである。

  こうして長年の戦闘と勝利の後、天国の報酬を受けた。地上では、主に心の中に入ってくださるようにと言葉では言わなかったが、まことに私は人生を通じて心を主に捧げていたのである。悲嘆にくれる息子を傍らに置いての死に際、見上げると私は見た。もっともすばらしく愛情深い、最高の道連れである方の顔を。

  主は私に微笑みかけてこう言われた。「あなたは天の故郷に帰る準備ができているか? わたしがあなたの罪のために死に、永遠の命をあなたに与えられることを信じるか?」と。私は痛みをこらえ、見上げてこう言った。「ああ、わが主なる神よ。この心をもう一度あなたに捧げます。私はこの命をあなたの御手にゆだねます。あなたと共に天に帰ることが御心でしたら、それを受け入れます。私はあなたの御名のために戦い、その名をわが一族の間に知らしめてきました。いやしていただけるのでしたら、これからも戦い続ける所存です。」

  主は私の目を愛情深く見やり、こう言われた。「息子よ。帰るときがきた。」その時、この地上での戦いが終わったことを知った。そこで息子の目を見ていった。「わが子よ、キリストが私を御そばに招かれておる。行かねばならぬ。行って、天であなたがたのために戦わねばならぬ。私は決しておまえのそばを離れない。さあ、私の剣をとって誓っておくれ。おまえも十字架のつとめに命を捧げ、この地の悪事を働く者どもを駆逐(くちく)すると。」

  息子は泣いていた。そして「父よ、あなたの栄誉のため、あなたの剣をもってキリストの名によって戦います。主の御名に挑むすべての者と死ぬまで戦います。あなたとキリストのために戦います。今は、あなたをわが創造主の御腕にゆだねます」と言った。このように解き放たれたため、私は肉体を離れて主の御腕に飛び込んだ。

  私は、ここに来てあなたがたダビデの子供達、勇士達を守り、あなたがたに戦い方を教えるこの機会に飛びついた。私は、訓練し共に戦うことのできる勇敢な息子達を求めている。私を訓練者として受け入れてほしい。ダビデの旗を掲げ、正義のために戦う方法をあなたがたが学ぶのを助けさせてほしい。ファーザー・ダビデに会い、何時間も話した。彼もまた戦う者であり、主の僕であったからだ。彼は、私にあなたがたのもとに行って、戦うようにと命じた。

  師範として、私を受け入れてくれるか? この忠誠の誓いを受け入れてくれるだろうか? 天国の名誉殿堂にかけて私は誓う。私は主が望まれる限りずっとあなたがたのそばにいる。あなたがたと共に戦い、あなたがたのために戦い、その手に戦争を教えよう。私は誓い、約束しよう。私にできるすべてのことで、あなたがたを助ける。わが戦いの子となってくれるようにという、私の慎ましい願いを受けてくれるか? 戦い方を学び、私と主と共に戦ってくれるか? 一丸となって、共に偉大な戦士となるために?

  では訓練を始めよう。戦い方を教えよう。緊褌(きんこん)一番、戦いに備えよ。戦いは、もう間近に迫っているから。■

 

     ━━━━━━━━━━━━━━━

 

天国にこの世のドラッグに勝るものはあるか?

僕はクリストン、ライディングディッシュのモニターだ。

  マリファナなんて目じゃない、スピードなんてトロい、コカインなんかへでもない、アヘンなんて足元にも及ばない! 

  やあ、僕はクリストン、ライディングディッシュのモニターさ。ライディングディッシュって何かって? エキゾチック展覧会のパビリオンに、最近加えられたんだ。ここに来たらわかるけど、かっこいいなんてもんじゃない。オドロキモノだ。

  僕は地上に行ったことがない。人間になったこともない。でもそこにいたことがある人たちといい友達だ。オフレコでいいなら言うけど、僕にも人間っぽいところがある。最近ここに来たばかりのたくさんのティーンや若い人達から話を聞いたし、心を読む術を使ったり、何度も君達のいる星に降りた。君達みんなが最近一体何に夢中になっているか知るためにね。ここに来たときに、君たちに失望して欲しくない(天国で失望なんてことはあり得ないんだけど…)。とにかく、このパビリオンをもっと活気づけるための、新しい発明や珍しい仕掛けのアイディアを、そこからどっさりもらったんだ。

  地上で麻薬に手を出そうかと考えたことがある人も多いね。マリファナを勧められたり、覚醒剤や鎮静剤、その他もろもろに近づいたこともある。その時の事を振り返ってちょっとぐらいやっておけばよかったと思うなら、僕、クリストンの事とこちらで体験できる事を思い出してくれ。君達の世界では、不法な麻薬の恍惚感はどんなのでもたった一秒しかもたない。しかしこちらの世界には、一体どんなところに来ちまったんだって思わせるようなスリルがある! こちらではあらゆる種類のハイなフィーリングを試す事ができるんだ。夢を旅して戻ったり、無重力体験、超自然的な力、超絶能力なんかをね。それが全部ここ、ライディングディッシュで楽しめる。

  天国に来ればたくさんの霊的ハイフィーリングを味わい、目新しい体験をしてわくわくするだろう。でも、このパビリオンは、霊の体になった時に受ける通常の感覚や力とはまたひと味違うんだ。これは付加的なもので、僕達のパビリオンに来ないとこの感覚は体験できない。天国についてすぐこんな力がもらえるなら、パビリオンや遊園地の意味がなくなってしまうだろう? 神はその場所でしか手に入らないものがあるようにされたんだ。

  ここには霊的なハイフィーリングや次元が常に存在する。それは充電力抜群だよ。ルシファーが墜ちた時、この秘密の力を幾つか真似して作ろうとしたが、霊の世界では決して成しえなかった。今もできないでいる。堕落して以来、あいつは偽造しようとしている。神の造られたものを真似しようとね。

   麻薬はサタンが作りだした。そしてサタンの手に触れられたものは全て、悪と破壊によって汚される。でも僕達のスリルは完璧だ。今、偽造品に手を出すなら、その痕(あと)が体と霊と思いに残り、害を及ぼす。

  さて、君達のことを待っているよ。僕達のブースにもう少し人手が要りそうな気がする。ラプチャーの後はきっと満員御礼だ!それまでは、道ばたで売られているハイグッズに手を出すなよ。ホンモノを待つんだ!■

 

     ──────────

 

  アヘン:黄みがかった茶色で苦味がある。し癖性の強い麻薬。熟する前のケシのさやを絞って、その汁を干したもの。このケシは、多くはトルコやインドで育つ。(鎮静剤や痛み止めとして用いられる)適法な需要以外に、大部分は人為的な恍惚感を得るために売られている。ヘロインもケシから採れる。

  アンフェタミン;メタンフェタミン(他にメタ、スピードとも言う):中枢神経(脳と脊髄)に強烈な刺激を与える一連の薬。心拍血圧を上げ、疲れをとる。

  コカイン:コカノキの葉から得られるアルカロイド*。部分麻酔に用いられる。1970年代後半から1980年代にかけて最盛期を迎えた。コカイン塩酸塩、水溶性塩は渇いた白い粉で、鼻孔に細い管を差し込んで吸入する。ごくまれに静脈注射することもある。

 

  麻薬の症状:上記のような麻薬を摂取するとまず最初に感じるのは快感と陶酔感であり、機嫌がよくなり、能力と敏活さが増す。しかし常用していると体は、同じようなよい気分になるためにもっと多くの薬を要求するようになる。薬をやめることは非常な苦痛であり、一般的に常用者は薬がないときの苦痛を逃れるため薬をやり続ける。もともとは薬から得られる陶酔感のためであったがそうでなくなるのだ。完全な浄化にはしばしば何年もの社会的医学的リハビリが必要となる。

  中毒症から来る病気は、栄養失調、呼吸器官の合併症、低血圧などである。アンフェタミンを多量に摂取するとけいれんと発汗、動悸と不安感をもたらす。効果がなくなると疲弊感とうつ感がおそう。長い間常用すると偏執症(パラノイア)、誇大妄想症、幻覚、暴力的になるなど、深刻な精神病を引き起こす。

  コカインを常用すると皮膚の膿瘍や鼻の隔壁貫通、体重減少、神経系統の損傷を引き起こす事もある。極端に落ち着かない、苦悶、興奮といった精神的なマイナス作用があるほか、時には偏執症などの精神病になる。少量の摂取でも死に至る場合があり、普通は心臓発作で死ぬことが多い。

 

  *アルカロイド:塩基性化合物の総称。ニコチン、キニーネ、コカイン、モルヒネなど。

 

     ━━━━━━━━━━━━━━━

セリーナ

  私は歌うのが大好きだった。音楽が大好きだった。ステージも大好きだったし、これが私の情熱になった。生まれつきの才能があって、カリスマが自然とほとばしり出てきたって感じね。大勢の人に囲まれて、声援を受けるのがたまらなかったわ。まぶしいライトも大好きだった。活気のある生活や栄光もね。無関心や先入観に囲まれて育ったので、あっと言う間にスターの座にのし上がれた時は、すごく力強い波に乗ったようだったわ。でもこうした世間の名声やスターの座への道をたどりながら、自分の奥深い所で、空しさに気づき始めていたの。何かが悲しいほどひどく欠けていたのよ。それは目に見え、触れることが出来、感じられるほどだったけど、それについてほとんど誰とも話せなかった。だってそうでしょう?

  人気や栄光の波に乗ると、私の心と思いの中でたくさんの疑問がわいたわ。周りから幸せの鍵だと言われたものをすべて手にしているというのに、私は、人生にはもっと何かがあるはずだと心の奥で確信していた。引き裂かれる思いだったわ。私の成功を無邪気に喜んでいる両親や愛する人たちをがっかりさせたくなかったけど、名声や幸運や世間での成功といった、彼らが願い望んでいるすべてのものがあるのに、どうして満たされない思いが残るのか、私にはわからなかった。

  この世で言う名声や幸運に恵まれた時、私はその一瞬一瞬を楽しんでいた。でも知ってる? 世間の名声や幸運、それに地上での充実感でさえ、まったくの無だったわ。自分のゴールを達成し、自分の衣装をデザインし、自分の歌を歌い、ファンの人たちに何らかの喜びをあげて、自分の音楽を通して人々を慰めたりしたけれど、そんなのはファミリーが手にし、イエスが現在と将来にあなた達を通してこの壮大なエンドタイムショーでしようとしておられる事に比べたら、大海の一滴にも満たない! 月とスッポンよ! ヒューストンのスタジアムだって、あなた達が上るステージに比べたら、子供のおもちゃだわ!

  地上での私の命が絶たれて、みんなはショックを受けたけど、主には計画があったのね。主は、それが起こるべき時に起こるのを許されたの。だって主はご存じだったんだもの。イエスはいつ私を天のふるさとへ連れて帰るのがベストか、正確に知っておられたのよ。世間は私の死を見て、フェアじゃない、悲劇だと思う。確かに悲劇だったわ。でもね、私の死には別の目的があって、これを聞くとびっくりするかも知れないけど、それは私の密(ひそ)かな祈りへの答えだったのよ。

  別に私は死にたくはなかった。地上の人生を終わらせてと求めたりはしなかった。そんなこと考えもしなかったわ。人生を精一杯生きたかったから。でも私が求めたのは、真理を知ること。そして真の自由が心底ほしかったの。地上ですべて理解できたわけじゃないけど、ここ天国に着いた途端、物事がはっきりしたわ。地上では、私はかごの中に閉じ込められていた。すでに激しい生存競争に巻き込まれていたのね。はかないこの世の価値観に、あっと言う間に巻き込まれてがんじがらめになっていたの。取り返しのつかないことをする所だったわ。私の命と有益さを売り渡し、魂を奴隷と束縛に明け渡すところだったの。

  でもイエスは私の心と、心の底に秘められた切なる願いと望みと祈りをご存じで、それに答えて下さった。ただ予想もしていなかった方法でね。私の死は二つの目的があったの。時のしるしとしての世界への警告、それに私にとっての解放と新しい始まりよ。

  私が心の底では反抗者だってことをご存じだったのね。私が情熱と人生における真の価値、つまり自由と愛を求めていると知っておられたの。私がどれほど自分の音楽を使って世界に違いをもたらしたかったかもご存じだったわ。だから私が人生と魂をこの世の道に渡してしまうことから、間一髪の所で救って下さっただけでなく、今度は本当に価値のあることをしたいという私の心の願いもかなえて下さったってわけ。今私は、主と主の本来のやり方についていろいろと学んでいるところよ。最も大切なことに、私が訓練を受けているのは、地上でのあなた達ファミリーの仕事を助けるためよ! 私なんてまったくふさわしくないのに、主は私に栄誉を与えて下さったの!

  天国でファミリーに会った瞬間、これこそ私の目的だって確信しました。地上で会っていたらきっとジョインしたかったでしょう。だってファミリーのみんなは本物だもの! あなた達のしていることは、永遠に続くのよ。でも私がしたことや生きた目的は、あっと言う間にすぎてしまったわ! イエスは、私を天のふるさとへ連れ戻して、私の真の家族であるファミリーに会わせてくれた。だから今、主の恵みと助けによって、私はあなた達ファミリーの若者の仕事を助けられるのよ。驚いたことに、私があんなに若くして死んだのは、違いをもたらす音楽、意味のある音楽をあなた達が歌うのを助けるためだったのね。

  愛するファミリー、あなた達の愛は想像をはるかに越えて遠くまで広がるわ! あなた達の音楽もよ! それを過少視しないでね! 見くびらないで! あきらめちゃだめよ。だってものすごいことが用意されていて、それはまもなく届くから! あなた達ファミリ−のみんなは、終わりの時のスターなのよ! 真の栄光、真の素晴らしさ、真の充実感を持つに至るのはあなた達だわ。そして中でも最高なのは、それが永遠に続くってこと! 自分の冠にしがみついた人で、新人スターが出てきたからって脇にやられて忘れられてしまう人は一人もいないの。永遠から永遠に渡って輝くのよ! みんな、それこそ本物のスタ−だわ!

  それに、ヘイ! ミュージシャンやシンガーの中で、何か新しい音楽を試してみたい気分になったら、私が助けになれるかも。私はまだほんのベ−ブだけど、私はここにいるから、いつでも呼んでね!やってみたいなら、私、がんばるわよ。

  終わりに言いたいことは、私のモットーが「毎日を精一杯生きよ!」だってこと。貴重な時間を無駄にしないで。生きて、愛して。人生の一日一日を大切にね! それが最後の日であるかのように、毎日を精一杯生きるのよ!

     ――――――――――

セリーナ・ペレス(1971-1995)は、8歳から10歳の頃にプロの歌手として歌い始め、12歳で最初のアルバムを出した。テハノ音楽を、結婚披露宴の余興から6万人収容スタジアムでのコンサートに変えた。6つのテハノ音楽賞、第8回最優秀女性歌唱賞を受賞。1995年3月31日、セリーナのファンクラブの元会長ヨランダ・サルディバーにより、テキサスのコーパス・クリスティのホテルの前で射殺される。23歳だった。ヨランダは終身刑となった。

     ――――――――――

  ジョーン、USA:ホームで「セリーナ」の映画を見た後、私たちの何人かは、彼女が何か言いたいのかもしれないと重荷を感じ始めました。

  私たちは控え目に言っても「忙しく」、時間を見つけたいと誠実に願ってはいたものの、どうしても起こりそうにありませんでした。でもセリーナはそれほど簡単にはあきらめませんでした。数日後、私が料理をしている最中に、ロビン(1歳)が間違ってラジオをつけてしまい、彼女のスペイン語の歌が流れたのです! クラウニングで出ている時も、3人もセリーナという名前の子に会ったり、私たちが顔を向ける方向にはあらゆるところに彼女の写真や名前、または彼女を思い出すような何かがあったのです。

  ある夜、私達は何が何でも時間を取って波長をあわせることにしました。以下が彼女の言葉です。

     ――――――――――

  ハイ! 私よ、セリーナ。あなた達に話したくてずいぶん待ったわ。地上では、私の最高の喜びは歌うことだった。大好きだったのよ。ここ天国でも歌ってるわ。歌いまくってるの。プレイズソングやラブソングを、心行くまで歌ってるわ。

  とても大切なことを伝えたいの。私が地上にいた頃、いろんな場所に行って歌う機会があったけど、し忘れたのは、真理と希望の歌を歌うこと。そして何よりも大切なことに、イエスについての歌を歌わなかったわ。メキシコに行った時、そこの大勢の人々に歌うチャンスさえあったのよ。その人たちの前に立って、私に向けられたみんなの声援を聞いてゾクゾクしたわ。でも私は、大変な毎日を送っているその人たちに必要な希望や真理を与えなかった。

  私があんなに若くしてこの地上を去ったのは、ダビデの子供たちとファミリーを霊感して、世界に違いをもたらす美しい歌を歌うのを助けるよう、ここ天国でイエスが私を使ってくださるためだったの。新しいスペイン語の歌の数々で、メキシコの人々に必要な霊感や言葉の出版を助けられるわ。今、イエスが歌うと言うこの賜物を使ってほしいと望んでおられるのがわかるわ。

  イエスが聖書の中で言っておられた、タラントをもらった3人の人のようね。私は1タラントをもらった人みたいだわ。自分のタラントを隠して、主に返すときになって、十分役立てなかったことがわかったのね。少なくとも、今私はファミリーを通して自分のタラントを使い、喜びと真理の歌を歌えるわ。それこそ本当に歌を歌うってことよ。

  というわけで、がんばってねってみんなに伝えたかったの! 心配しないで! すべてがうまくいくって信頼するのよ。がんばって、自分のすべてを与えるの。私だってステージが恐くなったことがあると思わない? もちろん、あるわよ! でも自分の中に勇気を見出したの。だから主が共にいてくださると知って、みんなももっと勇気を持つべきだわ。私に起こったように、人生なんて短いものよ。無益なことをするのに忙しくなっちゃだめ。

  私に出来なかったことをしてくれる? イエスが愛しておられることを人々に示し、イエスは、彼らが幸せの鍵だと思っているどんなものより満足を与えて下さるってことを教えてあげて。おねがい! 私の耳となり、口となり、足となってくれる? 頼りにしているわ。あなた達を見守っているわよ。ありがとう! あなた達ならきっとしてくれるわね。■

     ――――――――――

  「私の人生を描いた映画は、状況がかなり正確に表れていたわ。スターになるのは大変だったし、仕事はとてもキツかった。でも楽しかったわ。歌うのが本当に楽しかったの! 歌の題材がある時に歌えるのは素晴らしいことだわ。そしてファミリーには、世界で最高の理由があるのよ!」

 

     ━━━━━━━━━━━━━━━

 

海での改宗

  とても暗い、寒い夜だった。分厚い雲がおおっていて星は全く見えない。私は夜遅くまで起きていて、地図や海図をにらんでいた。敵との応戦に備え、何かしら作戦を立てておこうと思ったからだ。わが旗艦ボノムリシャールと他の4隻は、敵の領海奥深く、イギリス諸島周辺の危険な海域に出撃を命じられていた。油断もスキも許されない。

  早朝、私はデッキに上がって見張りがどうしているか見てみようと思った。操舵手は、船長と乗組員のあるべき関係を保ちつつも、私の友人だった。彼の名もまたジョン、だが氏はロジャーズである。しかし私達の名が混同される事はない。誰も船長を、不遜にも「ジョン」と呼ぶ者はいないからだ。私は「司令官」、「艦長」、または親しい仲では「ジョーンズ艦長」と呼ばれていた。

  その夜の海は静かで、船は順調に航海していた。船のへ先はやすやすと漆黒の海をかき分けていた。夜の海は嵐でなければこうも美しいものなのだ。しかし、嵐でさえ私には楽しいものだ。私は、チャレンジ精神をかき立てるものには喜んで受けて立った。たとえ、それが船全体の運命に関わるような戦いであっても。嵐を恐れる人の気が知れないと思ったものだ。臆病さではなかろうか、と。当時の私は忍耐だとか理解というものを悟っていなかった。私はエネルギーのかたまりで、生まれつき兵士であって、弱者や人の弱さを思いやるという事はできなかった。

  甲板の上はとても平穏だった。ジョンが舵を取り、見張りが2人任務に就いていた。私は舵輪の方に行った。

  ジョンが「ご苦労様です、司令官」と言った。

  私も「ご苦労、ロジャーズ」と答えた。

  私も彼も口数の少ない方なので、私達の交わす会話は大抵こんなものだ。ロジャーズは私を尊敬している。一度だけ彼と対立した事があるが、それにも関わらず、いやそのゆえにお互い尊敬すると言うべきか。だがその対立の勝者は言わずもがなだ。海では自分の上官に口答えしたり、口論したりしないものだ。ともかく、それは思い出に残る出来事だった。それが今日、わたしが語る話である。つまり、私が救い主を初めて知ったときのエピソードだ。

  さて私が海軍に入ったのは、それが家族の願いだったからだ。また私も世界を見て回りたかった。色々な船で働いたが、独立戦争が始まると、私は海軍艦船の士官に任命された。しばらしくして自分の船を任された。それからついに司令官となったが、しかしまだ権威が身に付いていなかった。私は厳しいばかりか、早合点で、船員の助けとなるよりは傷つけるような厳罰を下したものだった。しかし、ジョン・ロジャーズが私を変えた。

  何年か前のある晴れた夏の日、ココナッツや新鮮な水その他を補給するため、私たちの艦船はある島に寄港した。荷物の積み込みはほとんどを島民達がやってくれる。通例に違わず、海兵達はその日とその夜、船から出ることを許可された。皆は子供のように喜び勇んで出ていった。足を伸ばし、地面を踏みしめながら。しかし、休養許可が出る時はいつも、兵士達が問題を起こす危険もはらむ。厳罰が処せられるが、それはほとんど必ず起こるようだ。あの時も例外ではなかった。

  その時一線を越えてしまったのはシムズだった。およそ8ヶ月前、この航海が始まる時に強制的徴募された者だ。彼は、後に残してきた妻と6人の子供のことが頭から離れず、上陸した機会に乗じ、強いココナツ酒を飲んで寂しさを紛らそうとした。こういう事はよくあることだ。男が問題を起こさず、帰艦報告をし、決められた時間までにしゃっきとして任務に戻る事ができる限り、このような酒は大目に見られるものだ。

  

  しかしシムズの場合は違った。悪酔いして我を失い、港の村を騒がし、若い女性を侮辱することまでした。これを見逃すことはできない。ここの島民達とは良好な関係を保たねばならないからだ。この島民はその海域を通るわが艦船に供給してくれるのだから。

  翌朝、艦のボートが水兵達を連れ戻しに来たときシムズの姿はなかった。周辺を捜索すると、まだ酒に酔って木の下で眠っていた。水兵たちは、彼が帰艦したら直面する事を憐れみながら足を引きずって連れ帰った。

  船に戻って10分としない内に、乗組員達は哀れなシムズに何が起こるかを知った。彼らの多くは、九尾のムチがどんなものかよく知っていた。船ではこれが一般的な処罰だ。問題は、彼はそれで何回打たれるか、である。水兵たちは情状酌量の余地があると思ったに違いないが、最悪の事態を予期していた。

  私が船の指揮官である間は、自分が厳格であることを示すため、むち打つ時は相手の背中が血で染まり、泣き叫び、気を失っても構わないという態度をとった。気を失ったら一口ラムを含ませ、目を覚まさせてからまた打った。そこまで厳格に罰を与えたのはたったの一度であったが、私から同情を得られる事はあり得ない事を船員達は充分納得しただろう。当時私は同情やらゆるしやらを見下していた。それは女々しい軟弱さだ、我々は男であり、戦(いくさ)をしているのではないか、と考えていたのだ。

  私は自分に言い聞かせた。「シムズは自分が大へまをやらかした事ぐらい分かっている。だから、この程度の罰は覚悟しているはずだ。」そこで、30回のむち打ちを命じた。処罰は翌日と決められた。

  その日、酒からだろうか、シムズは発熱し非常に病んだ。白人の胃にあの酒は合わぬと聞いている。しかし私は、翌日、むち打ちを決行することにした。シムズは大砲にくくりつけられ、2人の執行人もむちを持ってその脇に立った。私がうなずけば、それでむち打ちが始まる。全員が直立して見守っていた。みせしめとなるよう、全員がこれを見るのだ。執行人が私の合図を待ってこちらを見ている。私はまさにゴーサインを出そうとしていた。むちが上に上げられ、それを待つ。水を打ったように、あたりが静まった。船体に当たる波の音以外何も聞こえない。

  合図を出す直前、一瞬私はためらった。これを中止させる力はある。「この男はこれ以上、苦痛を味わう事もない」という思いがよぎった。「これは正しいことだろうか? この男は既に充分苦しんだではないか。今も高熱にうなされている。少なくとも、これほど厳しい折檻(せっかん)を受ける必要はない。もし、彼が回復しなかったら? ただこう言えばいいんだ。『解散!』と。そうすれば、誰も傷つくことなく全てが終わる。」

  しかし、私の中で冷淡で強い性格が再び顔をもたげた。「そんなことない! 気は確かか! 以前にもしたことがある。私は柔弱になったのか?」この思いが私を駆り立てた。自分が躊躇したことを乗組員に悟られまいと決意した。私は執行人に合図を出した。それまでの静けさを引き裂くように、むちが音を立ててしなる。一回、また一回むちが加えられる。その時、私にとっては前代未聞の事が起きた。

  「やめろ! むちを下ろせ!」という声が響いた。

  2人の執行人は良く訓練されていて、その声を無視して司令官に従いむちうち続けた。

  「お願いだ、もうやめてくれ!」 おののく船員達をかき分けて、ロジャーズが進み出た。

  「お願いです…船長! やめさせて下さい。シムズは死んでしまいます。」

  私は中断を合図した。普通、懲罰に関し水兵が上官に疑問を差しはさむと、その場で罰を受ける。つまり、それと同じ懲罰を受ける事になる。しかし、このロジャーズの声は私の心に触れるものがあった。彼の言い分を聞きたいと思った。

  「執行中だ、何を邪魔する!」 怒ったふりをして、声を荒げた。

  「司令官殿、シムズは病気です。30回もむち打てば死にます。」

  私は、切り返した。「私に何ができる。兵は規定に背いた。上官をあなどったのみならず、この島の人々との良好な関係にひびを入れようとした。この罰は妥当だ。ロジャーズ、同じ罰を受けたくなかったら引き下がれ。」

  「しかし船長、分からないんですか? 奴は強制徴募されたんです。守らねばならない軍規など知るよしもありませんでした。シムズの奥さんは病気です。もしかしたら死んだかも知れない。少しは哀れめないんですか? 船長、後生です!」

  私は厳しく、「他の水兵への手前、処罰は行われなければならない。選択の余地はない」と言った。

  ロジャーズはシムズを肩越しに見た。熱に震え、出血し、うなだれていた。ロジャーズは私に向き直りこう言った。「選択はあると思います。私が代わりましょう。私が罰を受けます。」

  私は驚いた。そしてその申し出に興味を持った。シムズは確かに有用な水兵だ。彼の命に無関心を装っても、本心では彼を生かしておきたかった。今回の船出では、これまでに壊血病で一人を失った。これ以上一人も失いたくない。今後の戦いには一人も欠かせないからだ。私はそばにいた副官を見た。

  「可能か?」

  「いえ、そのような事例はないと思います。」

  航海長が口を開けて言った。「失礼ですが、船長殿。事例はあります。」そして、ある司令官が同じような状況下でそれをしたことを言った。口実はできた。

  わたしはロジャーズに言った。「よかろう。お前の言葉どおりにしよう。」 それから船医に言った。「ラニー医師、シムズを診るように。」

  シムズの縄をほどき、代わりにロジャーズを縛るのに少し手間取った。哀れなシムズ、熱と痛みで意識がもうろうとしながらも、ロジャーズに礼を言い、そして彼を止めようとした。しかし彼は弱っていた。シムズはただ彼を驚きの目で見つめるだけだった。私たち全員があっけにとられていた。恩もない人の身代わりになれるなど、一体どういうつもりだ?

  それからロジャーズはむちを21回受けた。シムズの罰の残った回数分である。水兵たちは何も言わず彼をほどき、傷の手当をするために連れていった。

  あの夜、私は眠れなかった。昼間のあの出来事が頭を離れなかったからだ。いんぎんではあるが、熱のこもったロジャーズの嘆願。そして、苦痛に満ちたシムズのうめき声。ロジャーズが彼の身代わりになろうとしていることを知った時の彼の感謝と驚きに満ちた顔。強制されてではなく、同情から彼はそれをしたのだった。これほど確信に満ちた強さを持った人を、わたしはその時まで見たことがなかった。

  その行為について満足できる説明を考えようとしたが、いくら考えても分からず、何度も寝返りを打つばかりだった。数時間後、私の頭を駆けめぐるこの疑問に対する答を直接聞く事に決めた。彼に聞いてみなくてはと思ったが、でも、水兵たちの部屋にどうしてこちらから行けようかとも思った。私がこんなふうに関心を寄せていることは、誰にも気づかれたくなかった。しかし、それはささいなことだ。私は彼の答が私の人生を変えるのではないかという予感がしていたのだ。

  それから私は甲板に上がった。驚いたことに、医者がロジャーズのために簡易ベッドをそこに置いていた。これは前代未聞のことだ。水兵は決められた場所以外で寝てはならない。当直の兵たちは一体どうしてこれを止めず、私に報告もしなかったのか? ロジャーズの犠牲的な行為が兵隊たちの心に触れたようだ。それに、これは医者が命じたことで、彼の責任だ。自分たちのせいではない。私はと言えば、他の人に聞かれることなく彼と話ができる事が嬉しかった。

  私は彼の所に行ったが、彼は寝ていた。どうするか決めかねて、躊躇した。やはりやめたほうがいいと考えて引き返そうとした時、彼が目を開けた。私を見て、彼は気をつけの姿勢をとろうとしてもがいた。しかし傷がひどく、私は彼にそのままでいるよう合図した。

  「ありがとうございます。」彼は言った。

  私は口を開かなかった。と言うより、何と言うべきか必死に考えていたが思いつかなかったのだ。静寂が辺りを包んだ。

  しばらしくて彼がうつぶせのまま言った。「船長…。こんな事を言っても何の足しにもならないとは思いますが、今日は逆らってしまって申し訳ありませんでした。どうしても黙っていられなかったので…」声がだんだん細くなっていく。「船長、シムズはいい奴です。ただ家族のことが心配でしょうがなかったのです。あいつは死んでいたかも知れません。」

  「なぜだ?」私は出し抜けに始めた。「シムズがお前の友達だとしても、どうしてお前が苦痛を引き受けたのか理解できない。」

  彼はぽつりぽつりと答えた。「彼は別に友人ではありません。彼はののしりたい時にののしりますし、殴りたいときには殴ってきます。他の水兵と同様、愛想の悪い奴です。」

  私は言葉に詰まった。「じゃあ、なぜだ? なぜなんだ? そんな男のためにどうして苦痛を身に負うのか? そいつが死のうと生きのびようと、どうして構うのか?」

  「船長、それは私がクリスチャンだからです。私はイエスを愛してます。海軍に強制徴募される前、私は伝道師になろうとしていました。会う人すべてに主の愛の話をしました。主の愛こそ、私にとって一番大切なものです。今日私の払った犠牲に感心なさったようですが、私は仲間のためならもっとひどい仕打ちにも耐えましょう。イエスが私のためにそうしてくれたからです。十字架の話はご存じですか?」

  「ああ、何となくはな。」 私は何とか口を開いた。彼の行為は思ったより複雑そうだ。気が動転してしまった。

  「それでは、イエスが私たちのために死なれたことはご存じですか?」

  「まあ、大体の所は…。」

  「主は私たちのために全てを捨てられました。天国の家、栄光と名誉、天国での快適な生活、持っていた力のほとんどをあきらめ、ついには命も捨てられたのです。それも、最もむごく、苦痛の伴う方法で。主は、私たちを愛されたからそうされました。主は、あなたも私も、シムズのことも愛されています。だから、船長、私はイエスのためには何でもします。イエスはその全てを私に与えてくれたからです。」

  私は反論した。「まてまて、今日はイエス様が御難を被っていたわけではない! ただの人間だ。いつもはお前の顔につばきする水兵だ。」

  「端的に申しましょうか?」ロジャーズが言った。

  私は首を縦に振った。

  「私やシムズは確かにただの船乗りです。私たちが仕事さえこなしていれば、あなたはそれでよろしいはずです。あなたには、私たちが有能な水兵で命令に従順であればそれでいいのです。でも、私は他の人を見る時、そこにイエスを見ます。私には、他の人が困った時こそ、イエスに対する私の愛を示す機会となるのです。誰か困った人や苦しんでいる人がいると、私は主が彼らをどれだけ愛しておられるか考えます。そうすると、何でもできることはしたいという気になるのです。主は言われました。『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわちわたしにしたのである。』 だから、私が今日したことはシムズのためと言うよりは、イエスのためだったのです。」

  あの夜、私と彼は長時間話し込んだ。夜番が2回も変わった。しかし、私は彼の言うことがだんだんわかりかけた。夜明けと共に、私はイエスを私の救い主として受け入れた。その時から私の人生は変わった。

 

  その夜の出来事の後、何年もがたった。私はまた眠れずに甲板に行ってロジャーズと話した。彼は私に仕え続けてくれたのだ。

  朝日が昇る頃、大西洋の海上にはもやが立ちこめていた。あの夜明けの時の思い出がどっとわき出してきた。まるで昨日の事のようでもあり、またずっと昔のことのようでもある。私たちはそれからずっと辛苦を共にしている。マストの上の見張りは水平線の彼方を見ていたが、その時突然叫んだ。「船影発見!」

  「方角は?」大声で言った。

  「右舷から2ポイント(訳注:約25度)の方角!」

  セラピスだ。この戦いは君たちもよく知っていることだろう。海軍史上に名を残す戦いが、この数時間後に起こった。それは大激戦だった。私たちは敗北寸前だった。しかし敗戦を覚悟しながらも、イエスが私を支えられ、敗北を拒んで戦い続ける勇気と力を与えてくれた。主にそうしていただくなら、主はあなたのためにも同じことをしてくれる。だから勝ち目があってもなくても、決してあきらめてはいけない! ■

     ──────────

水兵強制徴募とは? 志願制だけでは、充分な数の水兵を得られなかった事があった。特に戦時中はそうである。だから人を連行し水兵になることを強制する事を許す法律があった。名目上は既に船乗りである人だけが強制されるはずであったが、実際には、強制徴募隊は奉公人や労働者などそれ以外の人も多数連行した。強制徴募は1700年代に横行し、1850年までの長きに渡って存続した。船上で厳罰が処された理由は、家族から引き離された男達の怒り悲しみがあった事も一つである。

―英国国立海事博物館の好意による

     ──────────

1850年、議会は海軍のむち打ち罰を禁じた。

     ──────────

  ジョーンズ、ジョン・ポール1747-1792)、スコットランド生まれのアメリカ海軍司令官。初めて海に出たのは12歳の時、給仕としてである。19歳の時には、帆船で奴隷船の一等航海士を務める。1773年、西インド諸島で商船の船長であった彼は、反乱を起こした水夫のリーダーを殺した。それから彼は逃亡生活に入り、英国司法当局から逃亡者とされた。

  1775年、アメリカ独立戦争が始まると、独立革命軍に参加。1776年には大佐に昇格した。1779年、ジョン・ポール・ジョーンズ大佐は五艦からなる小艦隊を率いて、イギリス諸島に向かった。その年の9月23日、旗艦セラピスに率いられる英国海軍艦隊と交戦した。兵器兵員共に優勢だったジョーンズは接近戦に持ち込み、艦をセラピスに接近させた。大砲がぶつかり合うほどの近距離から、互いに砲弾を撃ち込み合った。自分の艦ボノムリシャールが沈みはじめても、ジョーンズは敵と交戦を続け、ついに降参を迫られても、「戦いはこれからだ!」と答えた。3時間半に渡る死闘の後、325人中100人を失ったセラピスが降参、ジョーンズは332人中150人を失った。ジョーンズは生存者をセラピスに移し、ボノムリシャール号は沈むに任せた。

  1787年、アメリカ13州連合議会が彼に金メダルを授与。1788年、ロシアの女帝、エカテリーナ大帝に請われ、その海軍に入隊した。1790年引退。

 

     ━━━━━━━━━━━━━━━

「天国に、メッキャップはある?」  私、アンジェラ。

  天国にメーキャップがあるかって? うーん、ちょっと笑っちゃうな。だってここには、顔に色を付けるなんてことはないんだもの。誰もが完璧な顔色だから。頬も唇もバラ色よ。メーキャップなんて全く必要ないわ。ファンデーションで隠す汚点もない。不自然に目を際立たせる必要もないのよ。主の愛と光でキラキラ輝いているから。皮膚の色と濃淡も完璧。誰もが美しく輝くような微笑みを浮かべていて、健康的でハッピーよ。だからメーキャップなんて本当に必要ないの。みんな人生最高の顔をしているわ。

  主がすべてを取りはからって下さったから、私たちは身だしなみを整えるのに時間を割かなくていいの。体が汚れないから、シャワーの必要もない。衛生面でも何も心配いらないのよ。私たちは自分の事に時間を使う必要はなく、主の仕事や、他の人を愛すること、主が下さった任務と召しを果たすためにすべてのエネルギーと力を注ぎ出せるの。

  きょうは自分がきれいかどうか、髪は整っているか、体は臭わないかなどと考えなくてもいいわ。これらはすべてきちんと対処されているので、もう心配しなくていいの! すごいでしょう? これも天国の美しさと祝福の一つよ。■

 

     ━━━━━━━━━━━━━━━

この出版物はジェッツから上の年令のためです。親やシェパードの判断により、それより下の子供達に一部を読ませたり、一緒に読んだりすることもできます。

 

リンクアップは非営利的な目的で、メンバーのみに無料で配布されている出版物で、再販はできません。Copyright ゥ 1998 by the Family.  DFO

 

リンクアップのトピックについて提案があれば、またこのマグのために寄稿したい場合は、グレープバインを通して送って下さい。

 

 2 タイタニック号で何が起きたか

二人の乗船客が人生と死について語る

 

 8 戦いの子の使命

昔の戦士が戻る。あなたは彼の申し出を受けるか?

 

10天国にこの世のドラッグに勝るものはあるか?

聞いたこともない天国のパビリオン、要チェック。

 

13セリーナ 

彼女は23歳で死んだ。彼女の最大の願いは何だったか?

 

16海での改宗

情け容赦ない罰に異議が唱えられると・・・

 

23天国にメーキャップはある?

アンジェラが天国での美について語る。女の子のため。