105 神との交わり

 

  1. 「エノクは神と共に歩み」に関する説教で、キャンプベル・モーガン神学博士は次のような話をした。

  神と共に歩むことに関して、ある幼い子供がこの上なく見事な説明をした。その子が日曜学校から帰ると、母親がこう尋ねた、 「さあ、日曜学校で学んだことを教えてちょうだい。」 そこで少女は言った、 「ママ、知らないの? ある日ね、二人は特別に長い散歩に出掛けたの。そしてね、どんどん歩いて行くと、神様がとうとうエノクにこう言ったわけ。 『お前は、もう家からだいぶ来てしまった。だから、このまま一緒に行ってしまうほうがいいだろう。』 それで、エノクは行ってしまったの。」

                     

  3.クリスチャンはこの世で生活しなければならないが、その資源はすべてこの世の外から引き出さなければならない。

                     

  4.今日の、サタンのやり方の一つとは、教会内を、組織、組織で振り回して、メンバーたちに神との交わりを持つ時間をとらせないことである。

                     

  5.人前での仕事が多すぎて、神の御前で待つ時間が少なすぎる。活動が増える一方で、塗油がますます減っている。

                     

  6.

        主は私の教師であって、

        私には知恵を失うすべがない。

        主は私を謙遜な学びの道に導き、

        日々、私のために教訓を備えられる。

        主は清らかな教えを見つけ、

        少しずつ真理の美しさを私に示される。

        世界は

        主の書かれた大いなる書物であって、

        私のために

        そのページをゆっくりとめくられる。

        そこには絵像や文字が書き連ねられ、

        その御声が絵と言葉とに光を注がれる。

        その言葉の意味を解すると、

        私の心は喜び、

        主は私の手を取って、

        知恵の丘へと導かれる。

        谷間にいても、主は私と共に歩まれ、

        暗き所では私の心にささやかれる。

        たとい、この教訓が厳しくても、

        絶望には終わらない。

        主は学びの遅い者たちに

        とても忍耐強くあられるからである。

        私の弱点のために

        しばらくの間、待たれ、

        私が涙を流しながら

        真理の言葉を読むのを助けられる。

        主よ、あなたは喜びと悲しみとをもって、

        私の日々を明るくされ、

        私をついに、

        神であるあなたの全き知識へと導かれる。

                       ヘンリー・バン・ダイク

                     

  7.キリストに満足していればいるほど、人は、キリストを満足させることに満足を見いだすようになる。

                     

  8.神に根づいている人生は、根こそぎにはできない。

                     

  9.主の御仕事を成そうとするあまり、私達はしばしば、その御仕事の神であられる主とのつながりを失ってしまう。

                     

  10.押し入れの中で神と一緒にいる能力は、押し入れの外で、神と一緒にいる能力の計りとなる。

                     

  11.主を一番良く知っている者が一番良く主

に尊敬を払う。−−ウィリアム・コーパー

                     

  12.神が語るのを聞くことができるほどの静かな人は、非常に見つけがたい!−−フランコイス・フェネロン

                     

  13.神との熱情的な体験をしている者は、論理でいっぱいの図書館に等しい。

                     

  14.神と二人だけになることは、罪人にとってはこの上なく恐ろしく、クリスチャンにとってはこの上なく素晴らしいことである。

                     

  15.私達は、この世と話をしている時でも、神との交わりのある生活を送っていなければならない。

                     

  16.聞くことを全然望まないのに、聴力を維持することなど期待できようか? 神があなたのために時間を取ってくれるというので、それを当たり前のことと思ってしまって、神のための時間を持てずにいるのである。

               −−ダッグ・ハンマルスクォルト

 

  18.

        時々、祈りが言葉にさえならない時

        私がすることは、この二つの手に

        心を乗せて、主の御前に捧げる。

        それを主はわかって下さる

     だから私は、とても嬉しい。

 

        時々、祈りが言葉にさえならない時

        私の霊は主の足元に伏す

        すると主の御手は私の頭に置かれ

        甘美な静けさの内に

        二人だけの交わりが生まれる。

 

        疲れ切り、安らぎがほしくて

        時々、祈りが言葉にさえならない時

        私の心は

        そのすべての必要願望を見いだす

        ただ、救い主の御胸に安らぐだけで。

                     

  19.ペンシルベニア州のピッツバーグでのある夕暮れのこと、一人きりになりたくて、ある奇妙な大聖堂に入り、私は静けさと薄暗さの中に腰を下ろしました。時間を考えると、そこは、いるには少し陰うつな場所でした。ステンドグラスが特に無気味でした。そこへ、管理人が近寄って来ました。きっと戸締まりが出来るように、出て行ってほしいのだろうと思って、私は立ち上がろうとしました。すると管理人が 「いいえ、大丈夫。行かないで下さい。明かりがつくまでは!」とささやいたので、私は待っていたのです。部屋はますます暗さを増し、陰は深まる一方です。窓は薄気味悪く、ぞっとさせるような感じで、私はもう出たくてたまらなくなっていました。その時、突然に、街灯がパッとついたのです。あたり一面がすっかり変わってしまいました!

  何という見事な変貌でしょう! そのような絶妙な色彩など一度も見たことはありませんでした!窓がその素晴らしい色彩で輝くところは、まさに天国をほうふつさせてくれました! すべてのものがこの世のものとは思えないほどの美しさで品位を帯びて見えました! 私は、もうこの美しさを捕らえて、永遠に自分のものにしておきたいと思うのでした!

  その時、私の思いからは、あれほども私の霊を包み込んでいた暗闇のことなど、全く消え去っていました。魂に主の喜び差し込み、主の光が溢れんばかりに満ち溢れるなら、説明の仕様もないほどの速さで暗闇は逃げ去ってしまうのです。 「主はわが暗きを照らす」! 私は、あの老いた管理人から、一つの奥義を学んだのです。そうです、確かに学んだのです!−− 「行かないでください。明かりがつくまでは!」

              −−フランシス・E・シーワース