8月29日  #242

                     

試練や苦しみや何らかのテストが訪れた時は、

いつも決断の時である!

 

  苦しみが訪れる時、その人が、苦しみに耐えるだけの信仰をすでに持っているか、あるいは、苦しみのゆえに神の恵みにすがり、神に呼ばわるようになるかがわかります。

  苦しみは常に以下の三つの内のどれかをなします。救われている人に対しては、不純なものを彼らから取り除き、謙虚にし、清めて、神により近づけさえします。そして、救われていなくても、苦しみにあうと主に呼ばわるようになる人もいて、その人達は神に助けを求め、悔い改め、救いへと導かれます。また、苦しみのゆえに、より一層神を呪い、そのために、主の裁きを受けるによりふさわしくなるような人達もいるのです。

  主は敵が人々をテストするのを許されます。そして悪魔は、しばしば人々に苦悩をもたらして、人々がその一切のことで神を責め、神に背を向けるようになるのを願っているのです。(ヨブ1章6-12節) 敵は神の愛に対して非難の指を向け、人々が、ヨブの妻がヨブに忠告したように、「神を呪って死ぬ」のを望んでいるのです。けれども主は、人がとにかく主に対する信仰と信頼を持って苦悩を耐え抜き、ヨブのように「たとえ彼が私を殺そうとも、わたしはなお彼に信頼する!」と言うよう願っておられます。(ヨブ13章15節) 主よ、私達が自分達の悲しみや苦しみのために恨みを抱くのではなく、より素晴らしい者となるよう助けて下さい。イエスの御名によって、アァメン!