1月16日   #16

 

最も優れた能力とは、いつでも何でもする用意ができていることである。

 

  今日の世界の偉大な聖人とは、何かなされる必要があるのを見ると、それをすぐに行なう、名もない人々です。そして、その人達のした事を耳にする事もめったにないし、その人達がいたことさえ知らなかったということがよくあります! でもその人達は、あなたが必要としている時に、常にそこにいてくれ、常に積極的に、なされるべき事を見つけ、必要に応えようとするのです。でも逆に、必要を見つけようともしていないために、する事を見つけられない人達もいます!

  もしあなたが、主と、他の人に対して真の愛を持っているのなら、あなたは、自分のまわりの必要に対して敏感になり、なされるべき事があれば、どんな事でもするでしょう。あなたが従順な人で、主が自分に求めておられる事はどんな小さな事でもする人だとわかるなら、主は、より重要でより大きな仕事をあなたに任す事ができると判断されるのです! しかし、主は強制はされません! すべてはあなたにかかっています。あなたがどれだけ主に委ねているか、また、自分を、喜んで何でもする人間に変えてもらうつもりがあるかどうかにかかっているのです。喜んで何でもしようという気持ちや、服従心を持つには、真の謙虚さが必要です。それは完全な愛と同じ事を意味します。それがあれば、あなたは、神を喜ばせ、他の人を助けるためなら、いつでもどこへでも行き、どんな人のためにでも、喜んで何でもする、名もない人になりたいと願うのです!

  あなたは、どんな事でもする用意ができていますか?−神が自分にしてほしい事なら、何でもするという用意が? 「兄弟達よ。そういうわけで、神のあわれみによって勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」(ローマ12章1節)