1月24日  #24           

 

証しをすることは犠牲である!

 

  ある女性が、証しに行かなくてはならないと言われた時に、「まるで死ぬような気持ちだわ!」と言ったという話がありますが、証しをするというのは実際、そういうものであるはずなのです! 証しをすることは、あなたのプライドを殺すことになり、自我や利己心、エゴを殺し、肉体的な犠牲や緊張さえも要するかもしれません。 (ヨハネ12章24,25節参照)

  証しが、時には危険になることさえあります! 迫害を受けることもあるのですから。けれども、それでも証しをすべきなのです! 初期の使徒達はすべて殉教者として死に、初代クリスチャンの多くも、同じように死にました。それでも彼らは死に至るまで、忠実な証し人であり続けたのです! 堂々とライオンの前に出て食い殺されるのがいやで、闘技場を去り、特別観覧席に腰を落ち着けるようになるや、教会の人々は、何もしないまま、老衰で死ぬようになってしまいました! 観覧席で年をとって死ぬよりも、証し人として、ライオンの牙にかかって死ぬ方がよほどましです! イエスも、あなたがイエスのゆえに苦しみを受けるなら、イエスと共に支配者となるだろうと約束されました! (第二テモテ2章12節) あなたは、この世で少しの間だけ支配し、後で多くの苦しみを味わうつもりですか? それとも今は少しばかり耐え忍び、永遠にこの世界を統治したいですか?

  「賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう!」(ダニエル12章3節)