エンドタイム・ニュース・ダイジェスト

 第15号 DFO 1999年2月

 

  編集部より:このEND特別版では、私たちを取り巻く世界を形づくっている影響力、特に現代生活や職場でのストレスとプレッシャーについて、じっくりと考えています。また、麻薬や中絶、思春期の問題、マスコミ、シングル・ペアレント、親密さの必要性、プラス思考と感謝の心が持つ力についての記事など、盛りだくさんです!

  現代社会における問題は数知れず、その原因は複雑化していますが、解決策も多くの記事に提示されています。一般市民から法王にいたる人々がコメントし、主と御言葉の必要性や愛の力について語っています。まず最初は、現代人のライフスタイルについて読んでいきましょう。

 

急速化した今世紀

AP通信

  20世紀は馬と時間で始まった。しかし、その終わりを飾るのは、スポーツカー、十分の一秒、ハイウエーを猛スピードで走る車、稲妻のように空をかけ抜ける飛行機、コンピューターを迅速に処理するマイクロプロセッサー、地球の周りを回るスペースシャトルだ。今世紀における猛スピードの革新がこのすべてと、人類にとって史上最高の狂気的な時代を作り出した。

  私達は電話し、ファックスを送り、ポケベルで人を呼び出し、Eメールを送る。生まれてから死ぬまで急ぎっぱなしで、振り返ることもほとんどない。テクノロジー、マスコミ、そしてさらに多くの量を、さらに良く、今日ではなくきのうの内にやってしまおうという気持ちが、私たちを忙しさの世界へとせき立てるのである。

  立ち止まって、花のにおいでもかいでみようか? もうそんなのは時代遅れだ。代わりに、7日間ダイエット、24時間ニュース報道チャンネル、1時間現像、30分ピザ宅配、10分間美顔術、1分で食べられるライスがある。

  ファースト・フード、ファースト・コンピューター、ファースト・レーン(追い越し車線)のファースト・カー。5段階のファーストフォワード(早送り)スイッチがそろったビデオレコーダー。一言で決めるコメント、競争社会、インスタントコーヒー、何でもござれだ。

 手っ取り早く金を稼ぎ、急いで生きて若死にし、しかばねも若いまま。ガス欠のまま走り続ける。ジャスト・ドゥー・イット。

  百年前の今頃、アメリカはまだ農業国だった。何時間もかけて夕食の支度をし、町へ行くには数日間かかった。

  しかし、その頃ですら人々はすでに人生の速いペースに驚嘆していた。100年前、サイモン・ニューカムという男は、1800年代を振り返って、こう言った。「貨物車に乗っている乞食の方が、百年前の王様よりずっと早く目的地に着く。」

  それから、すべてが加速化した。交通機関の画期的な進歩だけ見ても、驚きの連続だ。

―1903年:最初の制限速度(イギリス、時速32キロ)

−1908年:T型フォードの最高速度、時速72キロ。

−1911年:世界最初の航空便の一つ(インド)

−1933年:ボーイング247(960キロ間を4時間)

−1947年:チャック・イェーガーというテストパイロットが音速を破る。(時速1120キロ)

−1969年:アポロ10号の3人の宇宙飛行士が史上最高のスピードで飛んだ。(時速3万9666キロ)

  最近放送されたPBSドキュメンタリー番組「アメリカ1900」のプロデューサー、デービッド・グルビンは、「今世紀のような時代は今までなかった。私たちはただひたすら加速化している」と語った。

 

急速化した今世紀のおもな出来事

(素早く伝えるために、当然、手短に紹介)

―1968年:将来をほのめかすような初代「スタートレック」の一話で、カーク船長は人類よりもずっと速いペースの生活を営む「宇宙人」に遭遇。しかし、それには代価があった。「このレベルで生活すると、彼らは簡単にダメージを受けてしまう。加速化された生物はエネルギーを使い果たしてしまうからだ」と船長は語った。

―日本で「カロウシ」と「カロウジサツ」という二つの新語ができた。働き過ぎによる死と働き過ぎによる自殺である。

―また、現在、ニューメキシコ、カリフォルニア、ニューヨークの研究所は、世界で一番速いコンピューターを製作しようと競争している。1秒間で1兆以上の計算をやってのけるコンピューターである。それは、地球上の人全員が普通の計算機で200題の計算をするのに匹敵する。それをたった1秒でやってのけるのだ。

  我々20世紀の人間は忙しい。色々な場所に行き、色々な人に会い、システム手帳に予定を書き入れ、幾つものファイルをダウンロードし、支払いをし、飛行機に乗り、電子レンジで冷凍食品を温め、ウェブサイトをサーフし、子供を迎えに行き、ストレスにも何とか対処し、血栓症にかかり、スピード違反の罰金を払う。ほら、進み続けないと。

  20世紀ももうすぐ終わり。さあ、急ぎましょう。

 

  (イエス:)わがしもべ、ダニエルが預言したように、終わりの時には多くの者はあちこちと走り回り、知識が大いに増すだろう。人はより多くの量をより少ない時間でしようと走り急ぐ。そうすることを進歩、前進として考えているからだ。しかしながら、わが意思から外れてなされたことは、たとえそれがどんなに速くなされようとも、わが意思から外れている。そして、この急速化した現代の所産の多くが、わが意思から外れている。破壊の武器、地球を汚染する産業や化学薬品、人を堕落させる麻薬、ドライバーや人を殺そうとあたりを狂い走る戦車である。

  けれども、わたしはわが言葉を今まで以上に広めるため、わが子らがこれらの現代発明を使うのを許した。わたしを愛するあなたがたにとって、それらが益になるようにである。飛行機、船、車はあなたを証しさせ続け、コンピューターはわが言葉を処理し、インターネットで広く伝えてくれる。そして、テレビやラジオを使ってわが福音を宣べ伝えられない場所にまで伝えることができるのだ。だから、敵はこれらの手段を使って滅ぼそうとしているが、わたしは新しい命をもたらし、わが目的を達成させるために使っている。

  敵もまた、スピードをどんどん速めようとしている。それによって人が立ち止まって、わたしを求めたり、わたしを必要とすることを認めたり、わが静かで小さな声があらゆる創造物を通して語るのに耳を傾けたりすることができないほど忙しくなるようにだ。しかし、スピードは自己を満足させず、あせりはただ無駄を生み、空しさを残すだけだとわかるにつれ、人はこの世のものはこのやるせない空虚感を満たすことができないという事実を認めざるを得なくなる。わたしやわが愛なしには、テクノロジーの進歩は無である。だから、わたしはこれを使って人を引き寄せる。

  わが子よ、この終わりの日にあって賢く証ししなさい。これらの発明を利用しなさい。利用されてはならない。地上のものに心を引かれるのではなく、精神と心と思いを天国に留め続けなさい。わが言葉を出すために素早く移動しなければならない時もあるだろうが、わが言葉と霊に飢えている群衆を養う上で、それが必ずわが導きと指針にそったものとしなさい。

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死にかけている世界に手を差し伸べよう

クレイグ・マクミラン、ワールドネット・デイリー

  [1999年初頭にあたって]、世界中にいる何千万人という人々が「新年の決意」をすることでしょう。減量、家計をきちんと立てる、新しい仕事、車、恋人を見つけるなどいろいろあるでしょう。時間をもっと有効に使いたいと思う人もいるかもしれません。より多くの仕事をこなそうとか、本当に大切な仕事だけに集中しようとか…。

  しかしながら、私たちの心にしきりに食い入る「新年の決意」の内、魂の奥深い願望から出てきたものは一体いくつあるでしょうか? 私達アイデアや、自分自身とまわりの人への決意は、すでに私たちの今日という日だけでなく、今夜も、明日もずっと、ますます私達の心に食い入っていきます。現代社会には、魂を休める場所はないのでしょうか?

  イエスはよく魂について語られました。永遠を見通しておられた主は、私たちと違った見方されていたのでしょう。主は、「また、体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、体も魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」と警告されました。(マタイ伝10章28節)

  現代人の生活と、それが要求するもの、忙しい毎日、通勤通学、仕事、責任、自分や他の人への約束…。これらがどんなにか、魂から生命を徐々にしぼり取っていることでしょうか? 通勤通学による魂の死を? 自分の魂と触れ合うことを一番必要としている時に、携帯電話やEメールで人と連絡を取り合うのです。少しばかりの静けさを探しましょう。しばしの間、あの「静かな小さな声」に耳を傾けてみるのです。

  私たちの世界は死にかけています。そして、私たちの魂も同様である場合が多いのです。それでも、地の塩、光となるようにイエスが弟子たちを送られたのもこの世界です。偉大な医者である主は優しく語られています。私たちの魂は喜びで飛び上がるのです! 「死にかけている世界に出ていって、皆に良き知らせを告げなさい。わたしはこの世に勝った」と。

 

  (ダッド:)アーメン! 今年は今までにないほど、世界に福音の手を伸ばそうと決意しよう! 天の父がその御子を送られたように、御子も闇の中に座っている者たち、主の愛と光と命を永遠に必要としている者たちに求愛し、勝ち取るためにあなた達を送られるのだ! 全世界に出て行って、できる間に時を生かして用い、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよう! 今は悪い時代だからだ。

   

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「スピードを落として、考えなさい」

スピード狂世界に対して法王が力説

ロイター

  「この世界はあまりにも速く進んでいるので、人々はもはや生きる目的を問うことはしなくなった」と、ヨハネ・パウロ二世は、現在崇拝されるようになったテクノロジーによって、人類は魂を失いかけていると警告した。

  法王は最新の回勅「信仰と論拠」の中でそのように問いかけた。それは150ページにも及ぶ、人類の状態に関する、きわめて考えさせられる哲学的大作だ。

  重要事項を取り扱った、法王が全司教に送る通達の最新版である回勅には、人類は手っ取り早い成功は報われ、究極の真理を探し求めることは古臭いとする倫理相対主義を取り入れるのではなく、特定の真理を受け入れるべきだと語っている。

  法王はこう書いている。その探求とは、「私は何者なのか? どこから来て、どこに行こうとしているのか? なぜ悪があるのか? 死ぬとどうなるのか?」であり、現在社会では、人類はしばしば、いわゆる「データや情報の氾濫」に吸い込まれてしまっているため、大勢が「生きる目的を問うことは、今でも意味があるのだろうかと感じている」と。

  生きる目的を探すことは「今日、いっそう必要とされている。人類の技術的能力が限りなく拡大することによって、新たなとぎすまされた根本的価値観が要求されるからだ。」

  「現在のテクノロジーが単なる実用性だけを重んじる結末以上の何かによって治められていないなら、それはすぐに非人間的なものになり、さらには人類を破壊する可能性のあるものにさえなることがわかるだろう。」

  法王は、神の言葉が「人々がこの世でする様々な行動に対して一様の説明を与えてくれる」と語り、沈黙に耳を傾け、創造の驚異を静観するよう、強く勧めている。

 

  (ダッド:)法王に神の祝福があるように! 彼には確信があり、このようなことを告げるのを恐れていない。法王が語ったように、現代人は事実や情報を思う存分得ているが、真理に欠乏している。キリスト教は古臭く、時代遅れだと思っているからだ。だから、人々は本当なら主の救いの手をつかんでいなければならない時に「データや情報の氾濫」の中で沈んでいるのだ。主を受け入れ、救われていなければならないのに。しかし、これらの命綱を投げ続けてあげなさい。大勢の者がそれをつかみ、愛する主を見い出すようになるから!

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モラル不毛時代

デービッド・セルボーン、ロンドンタイムズ

  聖書の伝道の書にあるように「日の下に新しいことはない」とよく言われる。だが、「ガーディアン」紙に掲載された、キャッスルモーペス評議会のスポークスマンが言った、私設養護施設の老人は「収入源としての材料」であり、死者は「ビジネスによって生じた廃棄物」であるといった意見が、果たしてあっただろうか?

  現在、少なくとも毎日3校が放火されるというのは昔ながらの道徳行為か、あるいは新しい道徳行為なのだろうか? または3分の1の教会が、毎年、盗難・破壊行為・放火などの被害を受けることが予想されるというのは? 悪質な破壊行為が今では、鉄道事故の最大の原因になっていることは? さらにはロンドン警視庁の管轄区にある警報機の警報の内86%が、いたずらであることは?

  平和の時代に、かよわい老人が若者によってひどい暴行を受け、80代の老女でさえレイプされるなどどいうことが、今まであっただろうか? 毎年、約1000人の医者が襲われ、教師や聖職者が生徒や教区民から襲われる危険性を感じているというのは「日の下での古いこと」だろうか? それとも新しいことだろうか? 警察官が暴行を受けるのは4人に1人であるのに対して、看護婦の内3人に1人が救急処置室や救急室において暴行を受け、イギリスで「最も危険な職業」と見なされた時代など、今まであっただろうか?

  この道徳感覚の低下、人体に科学技術実験を施すという傲慢さ、自然秩序の遺伝学における濫用といった騒ぎにおいては、至る所に責任逃れがあるばかりだ。これらの言い訳は私たちに、もはやこのモラルの現状に対してなすすべはない、またはもともと別に間違っていたわけではないのだから何もする必要はないと信じ込ませようとしている。私たちの道徳観や社会の混乱を取り上げている一部の皮肉や道徳規準のなさは、罪悪をさらに助長するものだ。

  あなたは少女による暴力事件の増加に不安を感じているだろうか。深く案じているかもしれない。しかし、「タイムズ」紙の「プロフェッサー・ジェンダーリレーションズ」はそれに対してこう答えている。「若い女性は強い自信を持っており、独断的である傾向が多い…。女性が社会でより活躍するようになれば、男性のように振る舞うようになるだろう。」 さらに、「ガーディアン」紙で、ある女性学者はこう語っている。「女性が男性と対等に渡り合えることを証明するため、誰かを殴らなければならないとすれば、そうすべきです。」

  責任回避やウソは、一般的なモラルは存在すべきだという考えをうまく言いくるめるために広く使われている。フランス革命以来、すでに十分すぎるぐらい自由であると言える社会で、これほど人権の改善と拡大が深く考慮され、主張されている時代は他にない。それなのに、この人権の文化は、善悪の区別を冷笑する言葉や行動と共存しているのだ。善については何の疑問もないようだが、悪が熱心に奨励されているように思われる。この二つは強烈な組み合わせだ。

 

  (ダッド:)日の下に新しいことがないのは確かだ。モラルはイギリスや世界中で低下しているかもしれないが、人の心はいつの時代も同じだ。あらゆるものにまさってずるく、主と主の愛と恵みなしではひどく邪悪な存在なのだ。邪悪さはイギリスや、元キリスト教国であった他のヨーロッパ諸国から来ている。彼らはもうクリスチャンではないからだ。主に背を向け、子供たちにも同じように、さらにはもっと背を向けるようにさせたのだ。だから、モラルの崩壊以外、一体何が期待できるというのか?

  さて、伝道の書には「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである」とも書かれている。裁きの日には、義人と悪人との区別がはっきりついているたろう。そして、言っておくが、善を悪と呼び、悪を善と呼ぶ者たちはその不義ゆえに裁きを受けるようになる。

  だれが何と言おうと、絶対的な方は存在する。善悪はあるのであり、神はすべての人間にその違いを知り、その行動によって裁かれる良心を与えられた。モラルの崩壊の中に留まることを好む者たちは、気をつけた方がいい。長い間に渡って、その実を刈り取るようになるからである。

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誰にも気づかれずに死ぬことを

恐れるドイツ人

ロイター

  先月、ハンブルグの小さなアパートで、ウォルガング・ダークスがソファーに座ったまま死んでいるのが見つかった。彼はクリスマス前に、テレビを見ながら死んだ。5年前のクリスマスに…。

  誰も、43歳になる、この離婚歴ある障害者が死んだのに気づかなかった。明らかに、彼の生存中にさえ、その存在に誰も気づいていなかったのだろう。

  ミイラ化した死体で発見された、退職したこの溶接工の孤独な死は大ニュースとなった。しかし、それからまだ1ヶ月も経っていないというのに、ドイツでは死後数週間、数ヶ月、さらには数年経った死体が発見されたという同じようなニュースを聞くのだ。

  ハンブルグの小さなアパートで起こったこの悲しい最期に、人々は深く考えさせられた。「ドイツはこんなに冷たい国になってしまったのか」と。

  「これは悲劇です。けれども、残念なことに私たちのような産業社会では、このようなことは日常茶飯事なのです」と、ボンにあるドイツ赤十字社のスポークスマン、ルエボ・ローワーは語る。「人々は以前のように、人々はお互いを気にかけることはしません。家庭は崩壊し、人は自分のことしか気にしないのです。」

  社会学者やソーシャルワーカーたちによると、ドイツ人たちは隣の人と「隣同士で暮らす」のではなく、「その隣に住む」という感覚が増えており、ダークスのような人がいなくなっても、誰も気づきようがないそうである。

  「今すぐ、ドイツにあるアパートを全部探せば、人知れずに死んだ死体が出てくると思います」と元牧師の、ボン・カウンセリング・センター局長、ラルフ・キルシュは語っている。「ドイツでは、社会の崩壊は大きな問題です。社会環境は悪化の一途をたどっています。」

  キルシュは、死後3ヶ月後に発見された旅回りのセールスマンの葬式に出席した時のことを話してくれた。「人々は、どんどん孤立した生き方をするようになってきています。友も家族もいないのです。死んでも誰も気づかないというのは間違っています。でも、これは頻繁に起こっていることなのです。」

 

  (ダッド:)終わりの時には、主が予告されたように多くの人の愛が冷えるだろう。道を外した、悲しい、寂しい世界であり、あなた達ファミリーはその中で明るく輝く光となっている。あなた達は異なっており、愛しにくい者を愛し、助けを必要とする者を憐れみ、苦しむ者に同情し、老人や孤児や受刑者たちを慰め、助けているからだ。彼らのためにイエスとなりなさい。彼らにはあなた達が必要だ! 彼らには主が必要なのだ!

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アニメがアメリカの実体を暴く

サンデータイムズ

  アニメ「サウスパーク」の人気キャラクターが、アメリカの雑誌ニューズウィークの表紙を飾った。でも、それが何だというのか?

  かいつまんで説明しよう。これは、コロラド州サウスパークにある実在の町を元にした、30分の露骨なアニメ番組「サウスパーク」だ。彼らの会話は、「ファット・アス(デカ尻)」「ミスター・ハンキー・プー(いかさま野郎)」などの言葉で成り立っている。この番組の4人のメイン・キャラクターは9歳だ。

  一話ごとのサブタイトルの中には「ゲイのアルがゲイの船に乗るの巻」や「カートマンのママはふしだら女の巻」というのがある。と同時に、これは現在アメリカの大衆文化を最も如実に描写していることも否めない。

  どうしてかって? このアニメは、婉曲した表現や政治的な思惑など全く入れずにアメリカの実体をありのまま描いているからだ。

  登場人物の1人、カートマンは思春期前の太ったうぬぼれ屋で、チーズ味のスナック菓子が大好物だ。カートマンの母親は先月、ポルノ雑誌「クラック・ホア」誌の表紙を飾った。

  カートマンはハロウィーンにヒトラーに扮した。学校でなぜヒトラーは悪人だったかを説明している教育映画を見た時、ナチはイカすというカートマンの信念は倍増しただけだった。カイルの母親を見ると、すべてのユダヤ系母親はバツの悪い思いがする。彼女は、「私はユダヤ人、クリスマスにはとても孤独」と感情たっぷりに歌わせるのである。

  ケニーはいつもフードのヒモをゆわえてかぶり、不可解な声で話す小さな男の子である。そして、救いようがないぐらい貧乏な暮らしをしているとして、バカにされるている。カートマンは一度、学校でケニーのにおいをかぎながら、「貧乏人って、どうしてみんな腐ったミルクのにおいがするんですか?」と先生に聞いたのだ。

  だから、このアニメは人種問題、セックス、社会的階級についての低俗番組である。アメリカ電話電信会社(AT & T)やカルバン・クライン、スナップルが30秒のコマーシャルに8万ドル払うのも無理はない。そして、このコメディー番組のケーブルチャンネルは、アメリカ全世帯の4分の1にしかつながっていないのに、同じ時間帯で放送されているネットワークより高い視聴率を上げているのである。

  緊迫した、アメリカが現代あるような多種多様な社会的秩序の中では、アニメ番組だけが人々の本音を告げられるようである。ところで、私は現実のコロラド州サウスパークの郡保安官代理の言葉に今でも驚嘆している。新聞記者から番組「サウスパーク」の礼儀のなさや低俗性、乱暴な言葉使いを批判する者に同意するかどうか尋ねられて、彼はただこう返答したのだった。「あれは、コメディー番組ではありません。ドキュメンタリーです。」 現代アメリカでは、真実を語れるのはアニメの中だけなのだ。

 

  (ダッド:)こんなアニメが娯楽番組になっているなんて、これはアメリカがどんなに低俗で、いや気がさす存在となってきたかを示している。ファミリーは誰もこんなひどい番組を見たり、このようなひどい言葉使いをしていないように望んでいる。

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死ぬまでに11年間、テレビに釘付け

ロンドンタイムズ

  「テレビ」に反対するキャンペーンを進めているある非営利団体の調べによると、平均的なアメリカ人は生涯72年間におおよそ11年間をテレビの前で過ごしているそうである。

  団体「TVフリー・アメリカ」は、「ナショナル・TV・ターンオフ・ウィーク(全国脱テレビ週間)」に先だって、ある統計を発表した。この週間は、テレビばかり見るカウチポテト族に、テレビ中毒になることによって「個人や家族、地域全体の健康に及ぼすダメージ」に気づいてもらうことが目的である。

  数ある中でもテレビは特に不眠症、ゆううつ、肥満、無教養、時間の浪費の原因とされている。同団体の統計によると、アメリカ人は平均、一日3.7時間テレビを見るそうである。つまり、一年で56日にも及ぶ。その計算でいくと、死ぬまでにテレビを見る時間はおおよそ11年間になるのだ。

  去年、アメリカ人はテレビを2500億時間見た。同時間数を時給5ドルの仕事にあてたとしたら、1兆2500億ドル稼いだことになる。

  シカゴで毎月、テレビに反対するキャンペーン・パンフレットを発行しているホワイト・ドットによると、平均的な子供は小学校を卒業するまでにテレビで8千件の殺人を目撃するという。18歳になるまでには、テレビで20万回の暴力行為を見るのだ。

  ジョンズホプキンズ・メディカルセンターの研究員は、十代の肥満とテレビを見る時間数との相互関係を発見した。テレビを見ることで運動する時間が減り、高カロリーのスナック菓子や清涼飲料の摂取を促すからだ。

  別の研究では、常習的にテレビを見ることで、自分の欲求が即座に満たされることを求め、落ち着きに欠け、過度に刺激を受けた異常に不活発な世代を作り出してしまったという。

 

  (ダッド:)テレビに、人生を取られてしまってはいけない。善を選び、悪を避けなさい。つまらぬゴミでいっぱいのテレビ番組に夢中になって、時間をムダにしないようにしなさい!

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思春期は廃止!

トーマス・ソーウェル、

フォーブズ

  歴史的に見てみると、十代の若者が思春期を過ごすというぜいたくをするようになったのは、比較的近年のことである。現在では「十代の母親」と考えただけで我々は仰天するが、ほとんどの時代において、大抵の母親は十代で第一子を産んだ。だが、彼女たちは思春期の少女ではなかった。

  少女は十代で結婚し、家庭を築き、子供を育てるのに必要な成熟さと様々な身につけるべきということになっていた。少年も同様に、男としての責任を負う準備をしなければならなかったのであり、それには工場や農場で労働だけでなく、特に開拓地では家庭や家族を守ることも含まれていた。

  当時は、現在のティーンエイジャーたちから連想するような無責任でわがままな態度を取る余裕などなかった。当時の生活はつらかっただろうか? 時にはそうだっただろう。しかし、人生におけるチャレンジに応じ、それを克服するという個人の満足感もあったのだ。

  記録的な自殺件数に達し、麻薬や他の自己破壊的行為に逃れ場を求めているのは、現在の甘やかされたティーンエイジャーである。過去において一人前の男女を作り出してきた人生本来のチャレンジは、今ではいまいましい学校体制、厳格な児童労働法、子に甘い親によって、大幅に取り去られてしまった。

  学校では果てしない数の非実用的なプロジェクトが与えられて、想像できないほど時間を無駄にさせられているのだから、現在の高等教育を8年に凝縮してしまうのは何でもないことだろう。これは推測ではない。それはすでに行われていた。

  昔、8年生を及第するために受けた試験を思い出してみれば、現在のハイスクール卒業生の内、一体何人がこのような試験に合格するだろうと誰もが考えざるを得ない。

  当時も今と同じく、お粗末な学校があった。しかし、私がここで言いたいのは、子供は学校で今教えているものよりももっと多くのことが学べるということがすでに証明されているということだ。しかも、より少ない年数で。

  本当に役立つ教育だけを8年間受ければ、ティーンエイジャーたちは社会に飛び出せばよい。そしてそこで成長するのだ。もっと教育を受けたい者はそれを続ければよいし、後でそうしたい者はそうすればいい。しかし、ティーンエイジャー達は、自分たちの仕事を正当化するために誰でも彼でも必要としている教育制度や、組合員による競争を減らしたがっている労働組合の益のために、必須出席日数に関する法律や児童就労法によって人質に取られている必要はない。

  学校、それもカレッジにすら、学校に行きたくもなく、時間と税金を無駄使いしている若者が大勢いすぎる。このいわゆる「教育」は、現実からの非常に高くつく隔離とほとんど変わらない。

  納税者が教育費に払っている何十億もの税金は、やる気のない生徒が払う額よりもはるかに多く、彼らは不必要にも思春期を長引かせている。中には、全然成長しない者すらいるのだ。

 

  (ダッド:)その通り! これは現在、あまり好かれるメッセージではないが、それでも真実だ。

  子供たちが基本的な学科を学ぶだけでなく、兄弟姉妹や友達と敬神的なホームで成長できるホームスクーリングを励まそう。これこそ、最高の訓練だ。一般の学校体制は未成年期と同様、かなり新しい試みで、どちらもうまくいっていない。

  さて、ティーンたち。私は十代やその楽しみや喜びをやめるべきだと言っているのではない。この世にいる同年代の者たちの内にはびこる悪魔的で破壊的な行為についてだけだ。

  そして親たちよ。私は一般の学校に完全に反対しているわけではない。他に方法がないなら、一般学校に子供を送らなければならないだろう。しかし、必ずホームで子供たちに霊的な教育と世話を与えるように。さもなければ、あなたの子供は間違った面で「一つになる」ことになる。愛している!

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野良猫より赤ん坊の方が大切

ジョン・ドゲット、ワールドネットデイリー

  テキサス州、オースティン繁華街の広告掲示板には次のような広告がある。「殺すなら、道から外れたのは人間の方。殺さないで。絶対に。」 この言葉と共に、親猫の巨大な写真が貼ってある。これは動物愛護協会オースティン支部の広告だ。

  サンフランシスコでは、SPCA(英国動物愛護協会)がアパートを12室、購入した。全室エアコン付きで、天窓、ふかふかのじゅうたん、趣味の良い家具が野良犬や野良猫のために用意されている。いろいろな論争の結果、SPCAはホームレスの人々が犬や猫と一緒に部屋を使うことを許した。なぜかって? 犬や猫が寂しくないようにだ。しかしながら人間は夜、泊まることはできず、シャワーも使うことができない。

  去年の春、「ピープル・フォー・ザ・エティカル・トリートメント・オブ・アニマル(動物への倫理的待遇を望む人々)」という団体が、アメリカ人が魚を捕って食べるのを止めないと文明は途絶えるだろうと語った。魚は脊柱動物で脳があるので、痛みを感じると言うのだ。痛みを感じるのなら、魚を殺すべきではないと。だが、動物愛護協会は中絶に対して同じ見解を持ってはいない。それどころか、動物愛護活動家の多くが人間の中絶を支持している。

  どこかが、非常に間違っている。なぜ、こんなに大勢のアメリカ人が、胎内にいる赤ん坊を守るよりも、動物愛護により大きな関心を持つのか? 「女性の選ぶ権利」というのは、実のところ「母親が自分の赤ん坊を殺す権利」のことなのだと気づかないのはなぜか? 学校で2,3人の子供が銃で撃たれたと聞けば私たちは動揺するのに、なぜ毎時間150人の赤ん坊が中絶によって殺されていることを無視するのか? ちっともわけがわからない。

  世界中のどんな社会でも、赤ん坊(すでに生まれている)や子供を殺す者を最も卑劣な犯罪者として考える。それなのに、中絶に関してはころっと変わる。一部の人にとっては。

  ジェシカ・スミスがサウスカロライナ湖でまだ赤ん坊の息子をおぼれ死なせた時、ニューズウィークの表紙には「どうして、こんなことを!」という見出しが大文字で出された。テロリストがオクラホマシティーの連邦ビルを爆破した時、全アメリカがニューズウィークに載った赤ん坊の写真に釘付けになり、涙を流した。それなのに、毎日アメリカでは4400人の赤ん坊が母親の胎内から取り去られ、殺されていると聞いても、ほとんどのアメリカ人はこの大虐殺に背を向ける。

  毎日、4400人の赤ん坊を殺すという犯罪者たちを許すような政府はいったいどれだけ続くだろう? 赤ん坊をいっぱい載せたジャンボジェットが11機、毎日、墜落し、炎上しているとしたら、世界はどんな反応をするだろう?

  「中絶支持」の団体は私たちに、女性は妊娠すると体内に「赤ん坊」ではなく、「胎児」を抱えているのだと信じさせようとしている。また、この「胎児」は妊娠後期になるまでは人間にならないとも。

  あなたは「おめでたパーティー」に招待されたことはあるだろうか。もうすぐ生まれる新しい人間の誕生を祝うため、プレゼントをしに行くのだ。誰も「お腹に胎児がいるのよ」とは言わない。「赤ん坊がいるの」と言う。医者や助産婦、科学者たちは出生前のケアは、新生児の健康を強めるのに非常に重大なものだと証明している。親がまだ胎内にいる赤ん坊に話しかけるなら、その赤ん坊は生まれた後、より早く読めるようになることも証明されている。

  英国動物愛護協会は野良猫を救うために多額の資金を費やしている。人間の赤ん坊を救うために、私たちはそれ以上のことをする気があるだろうか。私達は、妊婦に一生母親となってほしいのだ。あなたは一生里親になる気はあるだろうか。中絶を考えている妊婦達が、彼女らの産んだ赤ん坊が一人残らず、愛ある人に里子として引き取られると確信できるようになるまで、私達は、野良猫を救う方が人間の赤ん坊を救うよりずっと大切だと考える世の中に暮らし続けることだろう。

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広告は中絶を強引に売りつけている

ドン・フェダー、ジューイッシュ・ワールド・リビュー

  中絶擁護者は中絶を強引に売りつけている。死に笑顔をつけているのだ。全国中絶解放プロジェクトでは様々な印刷広告を試験的に市場に出している。

  「必要な時に中絶機関は助けてくれますか?」という広告がある。その広告には、「妊娠した時、親友は『責任を取って』産むべきだと言ったわ。でも、私にとっては中絶こそ責任ある選択」と本音を語る魅力的な若い女性のイラストが載っている。

  それは単に彼女の選択であるだけでなく、「責任ある選択」だと言うのだ。だが、それはまだ生まれぬ赤ん坊にとってもよい選択だろうか?

  おっと…赤ん坊ではなく、選択の話だった。もちろん、子供がほしいなら別だが。その時点で、お腹の子供はどういうわけか「胎児」から「赤ん坊」へと、不思議な突然変異を遂げるのである。

  1973年以来、およそ3600万件の中絶が行われている。自分がひどい間違いを犯していると強く感じながらクリニックにいく女性はどれだけいるのだろうか? また、後でせめて自分でそれを認めた者は?

  この間、その一人と話をした。カレンは16歳の時に妊娠した。中絶した時、自分が責任ある選択をしたと堅く信じていたという。「まだ若すぎたし、大学に行くつもりだった。することがいっぱいあったもの。」

  彼女はエール大学とハーバード・ロー・スクールに行くつもりだった。そして、19歳の時、再び予期せずして妊娠した。この時は中絶せず、里子に出した。「この小さな女の子を身ごもり、赤ちゃんをとてもほしがっていた夫婦に里子に出すことで、前に失った赤ちゃんに償いをし始めたのです」と、カレンは言った。

  今では三児の母親となったカレンは、中絶反対の集まりで語った。

  私はこう尋ねた。「自分の体験談を話す時、『中絶したことがあるけど、何とも思っていないわ。罪悪感もないし。中絶後のトラウマもないわ。それはあなたの感じ方であって、一般的にそうだと言うことはできないわ』と、若い女性から言われたことはありますか?」

  カレンは、次のように答えた。「いつか、子供がほしいと思って妊娠するかもしれません。その時、ほしいかほしくないかの願いを別にしても、お腹の中にいる赤ちゃんと中絶してしまった赤ちゃんとの間には何の違いもないのだということに突然、気づくようになるでしょう。」

  中絶への自由な選択をよく暴いていると思える記事は1990年、ニューズウィークに掲載されたキム・フロディンの寄稿だろう。(ホワイ・アイ・ドォント・マーチ「私が堂々と歩かない理由」) 彼女は16歳の時に中絶し、その一年後にも中絶した。

  フロディンは、中絶した最初の子供がビーチではしゃいでいる夢を見ることがあると認めている。赤いバケツを手に持ち、きれいな足を波が洗い、潮風がその子の茶色のくせ毛をなでるのだ。フロディンはこう書いている。「私は過去、二回妊娠しました。そして全く利己的な理由で、その子たちの生きる権利を奪い取ったのです。私がもっと良い人生を送られるように。」

  この言葉を自由選択支持の広告に採用してはどうだろうか?

 

  (ダッド:)自由選択支持は間違った選択だ。あなた達の体は神のものだ。神に栄光を与え、神と人を愛し、神の子供を「産んで、増やし、地に満ちる」ように造られたのだった。神こそ、命の創造主であり、「胎児」は何かの間違い、または生物学上の偶然ではない。その子供はあなたが愛し、またあなたを愛するために神が造られたのだ。赤ん坊を持つことは重荷ではなく、素晴らしい祝福なのだ!

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ヘロインと生き地獄の日々

ガーディアン

  ウォレン・フェローズはヘロイン密輸の罪により、悪名高いタイのバンカン刑務所で12年間の地獄を味わった。それだけではない。その体験を本にしたのだ。

  「ダメージ・ダン」はオーストラリアで出版されて以来、ベストセラーとなった。一夜にして、フェローズはただの元麻薬ディーラーから、メッセージを携える元麻薬ディラーになったのだ。

  その内容は生々しく、その苦悩を厳しく描写してある。夜になるとドブネズミが群をなしてやってきて、悪臭放つトイレの穴にかがむ収容者を攻撃する。刑務所での主食は少量の油でいためた、塩をふったゴキブリ。受刑者たちが卵を産みつけに首にはい上がってくる虫に悲鳴をあげる日々を送るという光景を、我々は見せつけられるのだ。

  「一日が無事に終わったことなどなかった。暴動か殺人が必ず起きた。ナイフで刺されるのではないかと、夜もおちおち眠れない。」 これは、本からのショッキングな内容だ。

  愚直、欲張り、罪悪感…。このすべてが、フェローズにあてはまる。それでも、最初のページから彼はこの本を書いた目的を断言している。彼が書きたかったのは、刑務所での悲惨な体験以上のものだった。

  「子供たちにこの本を読んでもらいたいです。彼らが決して麻薬に手を出さないように。いつかは捕まりますからね。また、親の皆さんにも読んでもらいたいです。麻薬に手を出すならどうなるかわかるように。」 タイの刑務所で、受刑者たちはそう望んでいることだろう。

  (ダッド:)闇の王国がどんなものか試してみたくて麻薬に手を出そうと思っている者は気をつけた方がいいだろう。破門に値する違反である他に、この哀れな男性のように、長い間、刑務所に入ることになるかもしれない。それどころか、麻薬保持は死刑に値する国もあるのだ。

  たとえ刑務所で生きたとしても、死んで、イエスと一緒になるために天国に行きたいと思うかもしれない。刑務所は世界中どこでも、極悪非道な行為でいっぱいだ。あなたは、すぐに次のように言うはめになるだろう。「そうしていたなら…。麻薬には価値がないという、親やシェパードの言うことを信じていたなら…。関わりを持つなという主のチェックを心に留めていたなら…。ただ従っていたなら…」と。

  従っているなら、この類のことを心配する必要はない。罪人の道は滅びだ。信頼し、従い、祈りなさい。そうすれば、あなたを守り、耐えられる以上の試練を決して与えないという主の約束を持つことができる。

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楽しい思いは、風邪を寄せつけない

エレクトロニック・テレグラフ

  研究者によると、楽しかった一日は医者を寄せつけないそうだ。エンジョイメント学研究協会によると、たとえそれがちょっとしたことでも、楽しい体験は体内の保護免疫システムを数時間に渡って高めるというのだ。一方、罪悪感や悲しい体験は保護免疫システムを減らすそうだ。

  研究者は、人が楽しい経験をした時と楽しくない経験をした時の唾液中の抗体レベルを調べてみた。この抗体は、風邪や気管支炎から最初に体を守る働きをする。協会会長であるレディング大学教授、デービッド・ウォーバートンは楽しい経験をした20分後に抗体レベルは二倍に上がり、その後、45分間、レベルが上昇するのを知った。

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感謝の心は割に合う

UPI

  カリフォルニア大学の研究員が、感謝の心を持っている人の方が持っていない人よりも人生を満喫しているという研究結果を発表した。

  デービスにあるカリフォルニア大学の心理学者、ロバート・エモンズ教授によると、200人の学生からなる3つのグループを対象とした研究は、昔からのことわざ「感謝に満ちた心は、さらに感謝することをもたらしてくれる」を証明しているそうだ。

  過去、10週間の間に感謝していることを5つ書いたグループは、ちょっとした不平やいざこざを書いたもう一つのグループより、感情面でも身体面でももっと健康的だと報告された。第三番目のグループは同じテスト期間に、自分たちに起きた一番大きな出来事や状況を書いたのだが、そこからの成果は多種多様だった。

  教授によると、感謝しているグループはあまり病気にならず、エネルギッシュなため、一週間につき他のグループより1時間多く運動をしていたそうだ。そして、30種の感情ムードにおいてポジティブな割合を示した。

  研究者によると、統計的に見てこの結果は「かなり高く」、百分の一以下の確立で同じ結果が起きるだろうと我々に告げている。

  教授は、中にはその結果に驚いて、これからも続けると言った学生もいたと語った。「人生観が変わりました。人生が大きく変わったからです」と告げた学生も数人いたそうだ。

  (ダッド:)積極的な賛美の力と感謝の心は素晴らしい! 学生たちが研究に参加している間、私がそこに行ってこの力について話し、彼らを救いに導くこともできたのに。ハ!

  毎日のプレイズタイムを怠ってはならない。効果は目に見えないかもしれないが、それでも効き目はあり、あなた達を身体面でも霊的な面でも助けているのである!

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親密さの力

ディーン・オーニッシュ医師、ボトムライン

  私たちは皆、愛と親密さが人生の質を高めることは知っています。それなのに、ほとんどの人は、これらがどのくらい寿命に、つまり生存に影響するかに気づいていません。

  孤独で、落ち込み、孤立している人々は、友人や親戚、近所の人と近い関係がある人より重い病気にかかったり、早死にする割合が3倍から5倍高くなっています。

  私は、食餌療法であれ、喫煙であれ、運動、ストレス、遺伝子学、麻薬、手術であれ、どんな薬にも、人生の質や病気、早死にに対して、愛と親密さからくるいやしの力より大きな効果があるという事実関係を私は何も知りません。

  健康における愛の力について話す場合、私はロマンチックな愛だけについて話しているのではありません。そうではなく、愛する気持ちや親密さ、つきあいを奨励するようなものには何でもいやす力があり、私たちを健やかにしてくれるのです。

  親密さは現代社会において、ますます手に入れにくくなっています。以前、たいてい人は一生を同じ町や同じ近所の顔ぶれの中で過ごし、お互いにお互いのことをよく知っていました。今では、大勢の人々が孤立して生きています。

  ある人に対してどの程度感情的に無防備になろうとするかに応じて、親密になれるものです。それに伴う恐れとはもちろん、誰かに心を開き、ありのままの自分を示し、本当の気持ちをさらけだすなら、傷つくかもしれないということです。

  私たちの文化では、感情的な防御をゆるめて、本当の気持ちをさらけ出せるぐらい信頼できる人がいる人はほとんどいません。そのため、本当の気持ちを隠す壁が立ったままになってしまいます。

  逆説的に言うと、大勢が信じている自己を守るというこの態度は実のところ、命を脅かす存在となっています。

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信頼と礼儀をはぐくむ

クリスチャン・サイエンス・モニター

  エール大学法学部教授であり、情熱的な作家ステファン・カーターは、6冊目の著書として、礼儀についての本を著述した。

  礼儀は「相手への尊敬を示すように行動する」ことが要求されると、同氏は語っている。そして、知らない人に対してでさえも犠牲を払う必要性に気づかなくてはいけない。つまり、「代価が高くつくかもしれない場合でも寛大であり、リスクがある場合でも信頼すべき」であるということだ。

  カーターの新しい本「シビリティー:マナーとモラルと民主主義のエチケット」は、アメリカ社会での礼儀のなさに大勢が嘆いていることを示す調査書となっている。政治攻撃から、音楽や映画、日常生活における相手をののしる言葉、トークショーでの殴り合いから路上でのケンカ騒ぎまで、礼儀のなさの数多くの面は日常生活でのまさつを大きくし、私たちをさらに孤立させているようだ。

  礼儀には自己の興味や願いを相手のために捨てることが要求されることがしばしばあると、同氏は語っている。それこそ、文明というものだ。

  「多くの子供が、改めて道徳的な教えを受けずに育ちます。いろいろな場所で、ちょびちょびとモラルを身につけるのです。テレビを見て、不健全な価値観を一つ学びます。その価値観はインターネットをサーフすることで、または政治を見ることによって、大人がお互いに振る舞う態度を見ることによって強められるかもしれません。もし、これらが子供たちが受け取っているメッセージであるならば、公立学校の教師89%が、頻繁に生徒のののしり言葉を耳にすると聞いても驚きではありません。…これはぞっとさせられるデータです。」

  言葉には力があります。カーターは著書で、言葉にはいやす力と傷つける力の両方があることを探求しています。「言葉は人を傷つけることができます。…使い方が大切なのです。」

  同氏は、言葉への宗教的な認識だけがこの一般的な文化傾向を迎え撃つことができると感じています。宗教は、礼儀の基本となる、愛と犠牲の正しい言語を供給するのです。

  「人々は、私の妻が呼ぶところの『魂の穴』を満たす方法を探しています。株の取引もそれを満たせません。仕事も満たせません。友情でさえも、それがとても大切なものでも、この魂の穴を満たすことはできないのです。…この魂の穴を満たす方法を見い出さない限り、私たちはこの深く犠牲的な相手に対する思いやりという面で礼儀を取り戻せるとは思いません。その方法とは、神とのつながりを深めることなのです。」

 

カーター教授の「シビリティー・ルール」の抜粋

◆ 人に礼儀正しく振る舞うという私たちの義務は、相手を好きかどうかとは関係ない。

◆ 知っている人だけでなく、知らない人にも犠牲を払うべき。

◆ 礼儀には二つの役割がある。代価がかかる時でも寛大であること。リスクがある時でも信頼すること。

◆ 礼儀はただ相手を傷つけないという否定的な義務だけでなく、正しい行いをするという積極的な義務を生み出す。

◆ 相手は正しく、自分は間違っているかもしれないという可能性を考えて、相手に耳を傾けるべきである。

◆ 相手への尊敬を示すような方法で自分を表現すべき。

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独身の父親が持つストレス

ロンドン・タイムズ

  「どうぞ朝でありませんように! 朝でありませんように!」 これは離婚したの二児の父親、エリック・フィーブルの目覚めの祈りである。エリックは、BBC第2チャンネルの「シンプソン一家」風の人気アニメシリーズ「ストレスド・エリック」の主人公である。このシリーズは、仕事と家があって1日あと23時間ほしいという親が日々奮闘する姿を捕らえている。

  テレビはさておき、イギリスには約15万人の独身の父親がいる。その内の17%が妻と死別、74%が離婚または別居したためだ。数は少ないが「未婚の父」というのも増えている。同棲生活にピリオドを打った後、赤ん坊を引き取った礼儀正しい男たちだ。

  マイケル・オドハティーに出会ったのは2年前だ。彼が運転する小型タクシーで、待ち合わせ場所に行く時だった。その途中で、彼の携帯電話がなった。子供からの電話で、電子レンジで何かを調理するにはどうすればよいかと尋ねてきた。妻がその前の年に、17歳、14歳、7歳の息子を残して突然先だったのだった。その携帯電話は、夕食のお金はどこにあるかから二次方程式の解き方にいたるまで、ありとあらゆることを子供に教えてやる命綱のようなものだった。

  その会話はまるでホームドラマのようだった。状況は困難だが心が暖まる。だが、これは現実なのだ。妻の死は突然のことだったので、彼には全く心の準備ができていなかった。オドハティーが内気そうに言うには、自分は今まで一度も料理したことがない男だったそうだ。「妻が死んで数日後、子供の服を洗ってやらなければならなかった。でも、洗濯機のふたをあけることさえできなかったんだ。いろいろやってみたが、どうしてもわからなかった。ついに、近所の人を呼んできて、やり方を教わったぐらいだった。」

  独身の父親である最悪の部分が孤独感であることは誰もが知っている。ある独身の父親はこう語っている。「話し相手がおらず、また全部自分で決断しなければならないのはどうしようもなく寂しいことだ。」

  オドハティーも同感だ。「落ち込んでいるとか、寂しいとか言う人がいるけど、それが実際どういう意味なのかわかっているのか、って言いたくなる。」

 

  (ダッド:)世界中のかわいそうな独身の親たち! 彼らは本当に奮闘している。ファミリーを主に感謝します。問題はあるかもしれず、一緒に暮らし、働く人たちは聖徒ではないかもしれないが、それでも大勢の外の人たちよりはずっと良い状況にいる! 良い面で、比較するのは時には助けになるものだ。

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野心家はこう認める「ボスとは数奇な

人生を歩むものだ」ある野心家の言葉

ウォールストリート・ジャーナル

  ジョー・ミントンはいわゆる成功した人生を歩んでいる。3年前、26歳という若さで大企業の営業部で働き、年収6万5千ドル、そして管理職の地位を提供された。しかし、彼には別の考えがあった。「企業国家アメリカに挑戦して、自分にはその力があることを証明し、起業に必要な資金が貯まったら会社を辞めようと思っていた。」

  29歳の今、彼はコンピューターゲームを制作する新設会社「サイバーローア・スタジオ」の共同経営者かつ重役だ。一見、華やかそうに見えるが、マイナス面もある。責任と、成功しなければというプレッシャーに押しつぶされて、まだ若いのに老けつつあるという苦痛だ。「何歳で成功すべきであるというハードルも高くなっているのです」とは、「サイバーローア・スタジオ」社長であり、ミントンのボスであるレスター・ハンフリー、35歳だ。「30代か40代の内に成功し、財産を築き、それからリラックスして人生を楽しもうという気持ちです。」

  ミントンは、会議や電話、また私的な事柄を対処するのにほとんどの時間を費やしている。「もう、くたくたです。僕には『君みたいな仕事でなくてよかったよ』という友達がたくさんいます。」 部下の業績を検討し、次から次へと開かれるスタッフミーティングによる長い一日が終わった後、彼はそう言った。

  プレッシャーと、多くを期待されることは、ある意味で、成功のチャンスの多さと共にこの世代の目立った特徴だ。ミントンのガールフレンドで、25歳のレイチェル・マイヤーズの仕事は契約を取ることで、10万ドルを稼ごうとしているが、歩合制の給料に取り組むうえでのストレスに嘆いている。

  ミントンは旅行が好きだが、ここ3年は1週間以上の休暇が取れたことがない。結婚したいが、子供を持つような時間などないかと思っている。「結婚は非常に大きな責任ですからね。」 それに、結婚以外にもいろいろ興味がある。「良いと信じているものは、後の楽しみに取ってあるんですよ。」

  以前は同僚と親しくしていたが、今では隔たりを感じている。「上下関係はないんですが、それでも僕がボスなんです。変ですね」と、彼は語っている。

 

  (ダッド:)たくさんの物を持っていても、人の命は持ち物にはよらないのである。中には自分に命や満足感や幸せをもたらすと考えて、たくさんお金を稼いでおいて、それから退職して人生を楽しもうと決め、お金に命を捧げる人もいる。残念ながら、ほとんどの場合、そのようにうまくいかないのだ。

  良い行いの内に豊かになることこそ、本当にリッチだと言える。満足するために、まず人に満足感を与えなさい。成功するには、まず主と主の愛を人に与えなさい。幸せになるには、人を幸せにしなさい。愛を見い出すには、愛を与えなさい。神の霊の原則は、地上の人々が生きている原則とはかなり違っている。しかし、主は決して失敗されないのだ!

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高くつくストレス

エイジ・メルボルン

  ストレスの多くが職場での変化のスピードについていけないことから起こるが、それはオーストラリア社会に年間50億ドルもの被害をもたらしている。長期欠勤、病気、離婚・別居、暴力、自殺などがそれである。

  これは、メルボルンで開かれた第二回、世界ストレス会議のセミナーで議長を務めたグラハム・バロー教授の見解である。

  この問題はオーストラリアだけではないと同教授は語り、2020年には、世界中の医学上の問題のトップテンの内、5つが、ストレス関連疾病になるだろうという世界保健機関の統計による予測を引用した。

  ストレスやそれに関連するもの、心配やゆううつさは先進国、発展途上国にかかわらず、世界中に広がっているようであり、心臓血管疾患の次に一般的な病気だったそうだ。

  オーストラリアのメンタルヘルス協会会長であるバロー教授は、ストレスは体内の化学的状態を変え、ホルモンや細胞、脳にも影響を及ぼすと語っている。

  ストレス関連疾病には心臓病、脳卒中、糖尿病も含まれる。ストレスの徴候としては疲労や皮肉っぽくなる、情緒不安、心配、ゆううつ、睡眠妨害などがあげられるそうだ。

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職場でのいじめ

ガーディアン

  働き過ぎでストレスのたまった経営者が、職場でのいじめをはやらせている張本人である役職者を、人格上の欠点があるとしてクビにしている。最近の一連の調査によって、職場でのいじめと虐待が増加し、高くついていることがわかり、それに続いて[イギリスで]初めて、マンチェスター大学による全国調査が行われた。

  マンチェスター・スクール・オブ・マネージメントのケアリー・クーパーはこう語っている。「今までも、少数の精神的いじめは常にありました。子供の頃からいじめっ子で、職場でもいじめるんです。でも、今までなかったのは、働き過ぎからのいじめの数が増えているということです。ストレスがたまって、それにどう対処すればよいかわからず、怒りやいらだちを同僚にぶつけるケースです。」

  労働組合評議会(TUC)では、500万人が職場でいじめを受けていると推測している。これは大抵、執拗なおどしや屈辱、または過小評価されるなどで、この冬、「悪い上司ホットライン」にかかってきた電話内容の40%が、上司や重役からのいじめに関する苦情だった。

  「パーソネル・エンド・デベロブメント」研究所の調査では過去5年間、8人に1人の社員が大抵は先輩からいじめに合っている。専門職または管理職社員も後輩としてよくいじめに合っている。

  公益事業組合「ユニゾン」が1997年に行った労働組合員を対象した調査によると、その3分の2が職場でのいじめを目撃したか、経験しており、4分の3がストレスやゆううつさによって身体的または精神的な影響を受けたと語っている。

  「パーソネル・エンド・デベロブメント」研究所によると、典型的な職場でのいじめには不当で過度な批判や人前での脅迫、仕事の目標を頻繁に変更したり、非現実的な目標をたてる、仕事の成果を過小評価する、どなる、ののしるなどがある。

  (ダッド:)何てことだ。それなのに、人々は私たちのようなグループは有害だと言う。ハ! 現代社会の職場はストレスやプレッシャー、いじめ、悪どい行動、不敬神的な態度や神を敬わない人々などゆえに、考えられる中でも最もひどく有害な場所だと言える。すべての職場がそうだとは言わないが、統計から見てわかるように多くの職場がそうだ。それに、天国にいる大勢の人たちからの証言は言うまでもなく、私自身の経験からだけでも多くの例をあげることができる。だから、あなた達はファミリーで地上の天国のような日々を過ごせるという祝福を数えることができる!

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レポート:

「労働者よ、人生を楽しみたまえ」

UPI

  仕事によって大勢のアメリカ人が家庭で不機嫌になり、自分たちにとって大切な人と色々なことをするエネルギーを取り去ってしまうことが、ある研究でわかった。

  企業団体「ファミリー・エンド・ワーク」研究所の研究によると、要求がきびしい仕事や非協力的な職場は社員の個人的な問題のおもな原因となっており、生産性を減少させるというのだ。

  レポートには、てんてこ舞いの重労働の一日を過ごした社員に、仕事の後「人生を楽しむ」ための何かをさせてあげることが、長期に渡る社員の生産性を高めるのに非常に重要かもしれないと書かれている。

  26%の社員が、仕事からの疲れなどで家庭での自分の機嫌が悪いことがよくあると言っている。そして、28%が家族や自分にとって大切な人と色々なことをする体力がないことがあると語った。

  約4分の1の社員が不安やストレスを感じると言い、13%が日常生活での必要にうまく対処できないそうだ。

  レポートによると、仕事はより不安定で、要求はよりきびしくなり、エネルギーを消耗するものとなってきており、仕事と個人の生活とのバランスを取るのがますます難しくなっている。

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現代人は笑いを忘れている?

サンデータイムズ

  こんなに悲しい時代はない。研究によると、生活は豊かになったものの、90年代の人間は40年前の人間より悲しいそうだ。

  専門家たちは、物やキャリア、成功を絶えず求めることがその原因だとしている。「お金で幸せは買えない」という昔からのことわざを支持しているわけだ。

  冷戦による不況のため、50年代は質素な生活を強いられた時代として考えられている。しかし、スイスで開かれた国際ユーモア学術会議に提出された資料によると、50年代の人間は一日平均18分笑ったそうだ。しかし、90年代の人間は、生活が大きく向上したにもかかわらず、6分間クスクスと笑うだけだ。

  ドイツ人心理療法医であるマイケル・ティッツェ博士は、バーゼルで400人以上の出席者に向かってこう話した。「どうやら私たちは、個人の業績や成功を大いに奨励する社会を造り上げてしまったようです。そのため、人々がそのようなレベルに達することができないと恥ずかしく感じ、落ち込んでしまいます。彼らは笑う理由などないと考えるのです。逆境にいる自分自身に対してさえも。」

  心理学者オリバー・ジェームズの研究でも、モダンライフは勝者をも敗者のような気分にさせているという意見を支持している。「精神科医の間での一致した意見は、私たちは50年代と比べて十倍も簡単に落ち込みやすいというものです。進歩的な消費資本主義が、以前よりもいっそう、互いに比べ合うという人間の本能を利用しています。生活は豊かになっているものの、まわりの人に対してもっと不満を抱くようになっています。」

  去年、ジェームズは本「ブリテン・オン・ザ・カウチ」を出版した。その中で、同氏は遺伝子ではなく、その人の生き方が体内のセロトニンという「幸福感」を与える脳の物質レベルを低くすることを証明しようとしている。

  落ち込みという現代の傾向は、アメリカだけでなく、イギリスやその他のヨーロッパ諸国にも広がっている。1957年、シカゴ大学での意識調査によると、35%が「とても幸せだ」と答えた。一方、最近行われた同調査によると、「とても幸せだ」と答えたのはたった30%だ。インフレを考慮に入れても、その期間中、アメリカ人の給料は4倍にも増えているというのに。

  何が答なのか? オクスフォード・ブロックス大学心理学部の名誉教授マイケル・アーガイルは25冊以上の本の著者であり、「幸福学」についての専門家である。彼は著書「金銭心理学」で、こう結論を出している。「一番大切なものはお金だと考えている人はより不満を抱いており、精神的にもあまり健康ではありません。これはきっと、お金はうわべだけの満足感しか与えないからでしょう。」

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われわれの主の年に

ウォールストリート・ジャーナル

  タルソのサウロがダマスカスへの旅に出た当時、知られていた世界はすべて隷属状態だった。当時、国は一つしかなく、それはローマ帝国だった。指導者は一人しかおらず、それはティベリウス・シーザーだった。

  どこもかしこも治安は安定していた。ローマの法の手はすみずみまで行き届いていたからだ。政府も社会も安定していた。少なくとも、百卒長はそう思ったようだ。

  しかし、それ以外の要素もあった。皇帝の友ではない者にとっては、弾圧があった。畑から穀物を、紡錘(ぼうすい)から麻を奪う取税人もいた。軍隊を養ったり、神聖なるティベリウスが決して飽くことのない宝庫を満たし、そこから気前よく人々に与えるためである。競技場に出る者を強制的に召集する者もいた。皇帝が死刑を布告した者の刑を執行する死刑執行人もいた。皇帝に仕える以外に生きる目的はあったのだろうか?

  あえて違った考え方をする者や、奇妙な声を聞いたり、奇妙な写本を読んだりする者への迫害もあった。ローマ人ではない民族は奴隷にされた。何よりもまず、人間の生命への侮辱がいたるところにあったのだ。権力を握る者にとっては人が一人や二人死んでも、どうということはなかったのだ。

  そんな時、突然、光が現れた。そしてガリラヤから来たキリストと呼ばれる一人の男が、「カエサル(シーザー)のものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と語ったのだった。

  ガリラヤから来たその男は新しい王国について語り、そこではだれもが直く歩み、神だけを拝むようになるとシーザーに挑んだ。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さな者の一人にしたのは、すなわちわたしにしたのである。」 そして、地の果てまで御国の福音を送ったのだった。

  というわけで、地上に光が訪れた。闇の中に生きていた者たちは恐れ、光を隠そうとした。それによって、人民が指導者たちの内に救いがあると信じるように。

  しかし、真理が人を自由にする時が来た。闇の人々は怒り、光を消そうとした。

  ダマスカスに行く途中、まばゆいばかりの光が輝いた。だがその後、タルソのサウロはひどく恐れた。彼は別の皇帝たちや預言者たちがいつの日か、自分たちには奴隷を救うことはできず、食べ物のために神から与えられた長子の権を放棄し、自由の内に歩かないようにと人民を説得してしまうのではないかと心配したのだ。

  その後、闇が再び地をおおい、本は焼かれ、人は食べ物や着る物のことだけを考え、新しい皇帝と偽預言者だけに注目するようになる日が来るのではないかと。

  そこで、使徒パウロと名を改めたサウロは、ガリラヤの人々に説いた。キリスト紀元後、私たちの心に残るパウロの言葉である。「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」

 

  (イエス:)わたしを知っている者はまさに自由である! 光の中で生き、喜べるように闇から解放されたのだ。永遠にわたしと生きられるように、死と罪から解放されたのだ。わたしには人生への希望と目的があるため、苦しみや空しさから解放される。わたしが信仰を与えるため、恐れから解放されるのだ!

  十字架を負って、わたしについてくる者はまさに自由だ。しかし、悪魔のウソにひっかかって、体制の奴隷のくびきにつながれてはならない。この世の思いわずらいや富の惑わしは、わが言葉を詰まらせる。この世にではなく、わが言葉に目を向けよ。そして、真に自由になるのだ!