宝 P.777-782

 

ハンディキャップの利点!

 

  アメリカの大統領だったセオドア・ルーズベルトは、最後の大きな選挙運動の最中に暗殺者に撃たれ、危うく命を落とすところでした。傷の手当にあたっていた医師は金属のメガネケースを渡して、それがルーズベルトの命を救ったと告げました。そのケースは、ルーズベルトがいつも胸ポケットに入れて持ち歩いていたものでしたが、それが銃弾の威力を弱め、心臓を外させたのです! 「それにしてもおかしなことだ。」めちゃくちゃになったメガネと穴のあいたケースを見ながら、ルーズベルトは言いました。「メガネをかけるのはハンディキャップだとずっと思っていたのに、それが自分の命を救うことになるとは!」

  なぜ苦しまなければならないのか私達にはよくわからないハンディキャップもありますが、確かなことは、そのハンディキャップが実は祝福であることも多いということです。「メガネをかけなければいけないことなんて、たいしたハンディキャップじゃない! 体の不自由な人や、耳の聞こえない人、目の見えない人達はどうなんだ? そんな大変なハンディキャップを持つことに一体どんな利点があるって言うんだ?」と言う人もいることでしょう。

  しかし、足が不自由だからと言って、シェークスピアは世界で最高の演劇を書くのをやめてしまったりはしませんでした! 盲目であることも、ジョン・ミルトンがイギリス最高の詩「失楽園」を書くことの妨げにはなりませんでした! 全く耳が聞こえなくとも、ベートーベンは最高傑作と言われる音楽を作曲しました! 歴史を見てみると、大変なハンディキャップにも負けず、偉大な業績を成し遂げた人達がたくさんいます。アレキサンダー大王はせむしでした。ホーマーは、盲目の吟遊詩人でした。ルノアールの最高傑作のいくつかは、リューマチで曲がってしまった指で描かれたものです。彼は、筆を手にしばりつけて描きました。ヘンデルが大作「ハレルヤ・コーラス」を作曲した時には、その右半身は麻痺していました。エジソンは、蓄音機を発明した時、耳が聞こえませんでした。

  それでも、 「彼らがハンディキャップを持っていなかったなら、もっと大きな業績が残せたのに。」と言う人がいるかもしれません。しかし、必ずしもそうではないのです。たとえば、古代のギリシャの兵士についての話があります。その兵士は病に苦しんでいて、いつ死んでもおかしくないほどでした。それで、いつでも死ぬ覚悟ができていた彼には、戦いの時に恐れるべきものは何もありませんでした。どっちにしろ自分は余命いくばくもないと知っていたからです。アンティゴヌス将軍は、この兵士の勇敢さに心を打たれ、最高の医者をあてがって、その病を治させました。ところがその時から、あの、かつては勇敢だった兵士の姿を前線で見ることはなくなってしまったのです。その兵士は、危険を避け、自分の命を守ることに懸命になり、もう戦いに命をかけようとはしなくなってしまいました。病に苦しんでいた時は、そのことのゆえに勇敢に戦いましたが、健康を取り戻し、安楽な生活を送るようになると、兵士として役立たずになってしまったのです!

  ハンディキャップを持っていることが、その人の最高のものを引き出し、苦悩と戦わせ、もしそれがなければ決して成しえなかったような優れた功績をあげさせるというのは、よくあることです。詩人のマイラ・ブルックス・ウェルチは、傑作 「The Touch of the Master's Hand (主がふれたことで)」を書きましたが、よく、車椅子のひじ掛けをたたきながら、「この事も神に感謝しているんですよ!」と言っていました。車椅子のことを感謝するなんて考えられますか!けれども、彼女の素晴しい才能は、車椅子の生活に入るまでは埋もれたままだったのです! しかし今では、彼女の詩は世界中で祝福となっています!

  ハンディキャップは人を良くも悪くもできます。イギリスの詩人バイロン卿と、ウォルター・スコット男爵は、二人とも足が不自由でした。バイロンは自分がびっこであることをとても気にしていて、人前でもいつも不機嫌で、人の目を気にしていました。それとは反対に、スコット男爵の方は、親友でさえ、彼が自分のハンディキャップのことで不平を言ったり、つらいと一言でも口にするのを聞いたことがありませんでした! ですから、スコットがバイロンから、「ああスコット、お前の幸せが手に入るものなら、私のすべての名誉も明け渡すのに!」と書かれた手紙を受け取ったのも不思議なことではありません!  チャールズ・エリオットは、ハーバード大学の偉大な学長の一人でしたが、子供の頃、生まれつき顔が醜いことをひどく悩んでいました。彼の人生を変えたのは、ある日、母親が与えてくれた助言でした! 母親は、「チャールズ、一番優秀なお医者様達に相談したけれど、お前のそのハンディキャップをなくすことはできないそうよ! でも、神様にお願いして、豊かな心と魂を育て、みんながお前の顔のことなんか忘れるようにすることはできるのよ。」と言ったのです。エリオットは、それを実行しました!

  チャールズ・エリオットやウォルター・スコット男爵と同様に、ファニー・クロスビーも、生まれてすぐ盲目になるというハンディを負いましたが、8歳の時に、決してそのハンディキャップのことを嘆いたりはするまいと決心しました。そして最初の詩を作りました。

 

「ああ、私は何と幸せ者なのだろう。

  目が見えなくても気にしない。

私は心に決めた。この世界で、

  いつも満足していようと!

他の人の受けられない祝福を

  どれほど私は楽しんできたことか。

目が見えないからと嘆き悲しむなど

  私にはできないし、しようとも思わない!」

  目が見えない代わりに、主は、他のたくさんの才能を与えて彼女を祝福されました。ファニー・クロスビーは一生の間に6千以上もの賛美歌を書きましたが、その中には、最も有名で、最も親しまれているクリスチャン・ソングもいくつか含まれています! 90歳の誕生日には、友人達に次のように話しました。「もし、私が生まれる前に一つ願い事ができたとしたら、それは盲目で生まれることだったでしょう!なぜなら、天国に行った時、まず最初に私の目を楽しませるのは、救い主、イエスの御顔に違いないからです!」

  また、ヘレン・ケラーの名前を聞いたことのない人などいるでしょうか? 彼女は耳が聞こえず、口もきけず、その上、目も見えませんでした! けれども、優しいクリスチャンの教師アニー・サリバンの愛と献身のおかげで、ヘレンは、書くことばかりか、話すことまで学んだのです! 彼女は世界的に有名な詩人、作家となり、講演もしました。そして、世界中の大勢の耳の聞こえない人、目の見えない人、口のきけない人にとって大きな励ましとなりました! ヘレン・ケラーは人々に、ひどいハンディキャップを負っていても、くじけたり、あきらめたり、自分は役立たずだと思う必要はないのだという希望を与えたのです!ある時ヘレンはこう言いました。「私は、自分のハンディキャップを神様に感謝しています。なぜなら、それらのハンディキャップを通して、私は自分自身を発見し、自分の仕事を発見し、神様を知ったからです!」

  神のやり方というのは、時には不可解なもので、私達には必ずしも、その裏側にある理由が全部わかるわけではありません。けれども一つ確かなことは、主はいつも理由と目的を持っておられ、「神は、神を愛する者たちにとって、万事が共に働いて益となるようにして下さる!」−−ローマ8章28節 −−ということです。たとえ、いつもそのように見えるというわけでなくとも。

  イエスは、私達をどんなハンディキャップや病からもいやし、救い出す力を持っておられます。けれども、時には私達をハンディキャップから救い出して下さらないこともあります。それは、何らかの理由で、それを持ち続けたほうが私達のために良いと、イエスが知っておられるからです。あなたが尋ねるなら、もしかしたら主はあなたにそのわけを教えてくれるかもしれません!

  正直なところ、私達は皆、事実であれ自分の想像であれ、何らかの欠点を持っています。誰でも、欠点や弱点、失敗や間違いというハンディキャップ−−霊的なハンディキャップ−−を持っています。それは、単なる肉体のハンディキャップよりもずっと重大なものである可能性があります。イエスが私達のために死ななければならなかったのはそのためです。私達の誰もが、罪というハンディキャップを負っているからなのです! しかし、私達のハンディキャップが肉体的なものであれ、精神的なものであれ、大きい小さいにかかわらず、私達は一生の間ずっと自分を哀れみ、自分がこうでなかったならいいのにと願ってばかりいるわけにはいきません! 主は、ご自身が造られたままのあなたに満足されています。だから、あなたが今の自分に満足できない理由などあるでしょうか?肉体的な災いやハンディキャップの中には、私達に必要な教訓を学ばせ、その役目を果たすと、主によっていやされるものもありますが、主の永遠の知恵により、私達が一生持ち続けることを許されるものもあります。時には、そのような弱点を素直に受け入れ、それらを最大限に使って進んで行かなければならないのです。

  最も大切なのは、自分のハンディキャップや弱点が何であろうと、イエスのための証人となることを投げ出したりせず、自分にできるどんな方法を使ってでも頑張り続けることです。ヴィクトリアは南アメリカの宣教師ですが、彼女の話は、ハンディキャップをどうやって利点に変えるかの良い例です。彼女は次のように書いています。「私は、2歳の時にポリオにかかって脚が半分麻痺してしまったので、それ以来ずっと松葉杖を使っています。ある日、私は街で若いクリスチャンのグループに会いました。彼らは、私が祈ってイエスを受け入れるのを助けてくれました。そしてその瞬間から、私の人生は変わったのです! 彼らは私に、他の人々に手を差し延べるのを助けるために、イエスが私を必要としていると話してくれました。私はそれを聞いて、強く心を打たれました。それまでは、誰も私を必要としてはくれなかったからです!

  医者はいつも私に、疲れすぎないよう、あまり歩き回らないようにと忠告し、人並みの生活を送ることはできないとも言いました! ところが証しに出て、他の人々にイエスのことを話すようになった途端に、疲れて弱くなったりするどころか、それまでよりも強くなり、自由で幸せになったのです!

  これは9年前のことでした! それから主は、私に夫とかわいい男の子を与えて下さり、さらには南アメリカで真の宣教師として仕えさせて下さっているのです! もう私は、なぜ自分が松葉杖を使わなければいけないのか神様に聞く必要はありません。主が、松葉杖を素晴しい方法で使われているからです! 私が福音を差し出すと、ノーと言う人はほとんどいません。それに、普通の人達よりももっと多くの人々に証しをすることもよくあります! それから、ハンディキャップを持った人達は、私を見て、自分達も幸せになり、主に仕えることができるのだという信仰を得ることができます! 今、なぜ主が私にこのようになってほしかったのかがわかります。そして、進み続けるための力を主が与えて下さらなかったことなど一度もありません! 神をほめたたえます!」

  だから、ハンディキャップの利点を決して過小評価してはいけません! 「私達が弱い時にこそ、私達は強い。主の力は私達の弱いところに完全に現れる。その測り知れない力は神のものであって、私達から出たものではないことが、現れるためである!」−−第二コリント12章10節、4章7節。神は、弱い人々、打ちひしがれた人々、それにハンディキャップを持った人々、自分が取り柄のない人間で、何も持っていないことを知っている人々を助けるのが好きです。そういう人達を助ける時、神はご自身の力と強さを現すことができるからです! ですから、あなたにハンディキャップがあるからといって、決してすべてが終わりでありません。それどころか、他の人達に主の愛を伝えるという、新しく素晴しい人生の始まりなのです!「私達自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、人々を慰める。」−−第二コリント1章4節

  デイルとロイ・ロジャース夫妻は、カウボーイ映画の有名スターですが、二人には幼い蒙古症の娘がいました。デイルはその娘について、「姿を変えた天使」という本まで書き、その少女がどれほど二人の人生を変え、どれほど素晴しい影響を与えて、より主に近づけさせたかを語っています!

  実のところ、この事は、障害児を持った家庭のほとんどすべてにも言えることで、そのような子供は普通、家族全体にとても良い影響を与えます! 子供の苦しみを通して、その子への家族の憐れみと愛情が大きくふくらんでいき、家族みんなをもっと謙遜で愛情深く優しくし、思いやりを持たせます! たいていの場合、家族みんながもっと主に近づいて、信仰が強まり、愛情も深まり、忍耐強くなり、謙遜など、その事がなかったなら決して学べなかったような多くの教訓を学ぶ、かけがえのない経験となるのです!

  蒙古症の子供達は、子供のまま一生を過ごします。そのため、大人になる過程で抱える問題の多くを持たずにすみます。それに反して多くの人達は、そうした成長期に抱える悩みや問題が原因で主から離れ、道を外してしまうのです! けれども、蒙古症の子供達は、いつまでも子供のように素直で、信仰を持ち、愛らしく、優しいままでいるので、その家族もみんな同じようになる助けとなっています! そして結局のところ、愛情深くなるのを学ぶこと、それこそ私達が生きている最も大切な理由の一つなのです!

  というわけで、神は、このようなことにも目的を持っておられます! 主の方法は、私達の考えをはるかに越えているのです。「天が地よりも高いように!」 −−イザヤ書55章8,9節。神はよく、その愛を不思議な方法で人々に示されます! ですから、主に信頼しなさい! 主は、あなたを愛しています。あなたのことを気づかい、「あなたの弱さを思いやって」下さっているのです。−−ヘブル4章15節。 自分のハンディキャップの利点を知って下さい! そしてハンディキャップのことで、ひねくれた心を持つのではなく、自分がより良くなるようそれを役立てるのです! アァメン? 神があなたを祝福されますように!