宝  P.764-770

 

歴史に見る冒険実話集!

 

天の窓!

   (マラキ書1章6-14節、3章6-12節、およびネヘミヤ記10章35-39節、12章44-47節、13章4-13節を脚色したもの)

 

  どんよりとした曇り空でした。雲が、吹きすさぶ風に乗って、乾いたユダヤの丘の上をどんどん流れていました。一人の男が、重い荷を負ったろばを引いて、草の伸びた、険しい坂道を下って行きました。手に篭を持った子供も一緒でした。痩せていて、やつれた感じのその男は、風から身を守るために、身にまとった粗織りの外套をしっかりと握りました。二人が、丸くて巨大な岩を回って向こう側に行くと、前方の暗い谷には小さな町があり、その町のはずれには、農家の集落がありました。

  やがて二人は、ある粗末な土造りの家の戸口に着きました。庭には二本の枯れ木があって、その枝が風でカサカサと音を立て、家の中からは、人の声が聞こえます。ろばをつなぐと、男は重い篭をろばの背から降ろしました。そしてその小さな家に入って行くと、中には、ぼろをまとった人々がいっぱいいて、若いレビ人が、すり切れた古い巻物を彼らに朗読していました。

  そのレビ人は巻物から目を上げると、二人に声をかけました。「マラキじゃないか! それに、ヨハナンもだ! これは、これは! それは何だい?」

  マラキは篭を下ろすと、レビ人に挨拶してこう答えました。「穀物と、果実と、干しいちじくと、それに半頭分の小羊の肉です! 外にはもっとあります。」

  「でも、君の十分の一税は、二、三週間前に持ってきたばかりじゃないか!」とレビ人は言いました。

  するとマラキは微笑んで、「はい、そうです! でもこれは、私がそれ以外に捧げる自発の供え物なのです! 余分にあったし、あなたがたに必要かもしれないと思ったので。」

   「必要だって?! 何とありがたいことだ! 君は私達の祈りの答えだよ!」そのレビ人は、若い妻と共に、残りの産物を中に持って入るのを手伝いながら、感嘆の声をあげ、さらにこう言いました。「それにしても、君の家族みたいに忠実に与えてくれるところは少ないよ!」

  レビ人は、家の外で、真剣な表情でこうささやきました。「近ごろは、ほとんどの人が、自発の捧げ物をしないどころか、十分の一税として、自分の産物の十分の一を忠実に捧げることさえしない。貧しい者達や寡婦や孤児や旅人がやって来ると、私は少ない中からパンくずのようなものでもあげるのだが、それだってないも同然なんだ。でも、神の御言葉を読んで聞かせてやることはできるので、人々はそれを聞きに来るんだよ。」

  マラキはドンと壁をたたき、怒ってこう言いました。「エレアザル、あなたはそんなに素晴らしい仕事をしているのに! 主に仕え、他の人々を助けるのに、あなたは命を捧げてきたのだから、皆は当然あなたに与えるべきなのに、それをしないというのは正しいことじゃない! 私達は主の民なのか、それとも違うのか? もし人々が本当に主を愛しているなら、どうしてそうしろと言われているように、主のしもべに与えないんだろう?」

  息子のヨハナンが尋ねました。「父さん、みんな僕達のように十分の一税を納めることになっているの?」

  父親は答えました。「そうとも! 主はその民を豊かに祝福され、豊かな収穫を与え、その上、一年中守って下さる。そして、主はそのお返しとして、主が祝福して与えて下さったすべての産物の、わずか十分の一を与えることだけしか求めておられないのだ。

  主は、『あなたは畑が産するものの十分の一を必ず納めなければならない。地のすべての産物の十分の一は、主のものであって、主にとって聖なるものである。』と命じられたのだよ。」 (申命記14章22節、レビ記27章30節)

  「もしそれが神のものなら、どうしてレビ人に捧げるの?」と、子供は尋ねました。

  マラキはエレアザルに向かって微笑むと、こう答えました。「私達はそのようにして神に捧げるんだ。レビ人達は毎日、神に仕えるために自分の全時間を捧げているからなんだ。だから、主は、『わたしはレビ人には、イスラエルが主に捧げる十分の一をすべて与え、彼らがわたしに仕えているその働きに報いる!』と言われたのだ。(民数記18章21,24節)  主はまた、『謹んで、あなたが世に生きながらえている間、レビ人をおろそかにしないようにしなければならない。』とも言われた。(申命記12章19節)  だが、エレアザルさんを見てみなさい。彼はひどく痩せ細っている。他の人に与えるどころか、自分と奥さんに十分なものもないほどなのだ!」

  「でも‥‥私達はなんとか‥‥」と、エレアザルは控え目にそれを打ち消そうとしました。

  「とんでもない! もし、主の民が、あなたがたを助けるために、当然与えるべきほど与えていないなら、一体どうやってあなたがたが主に仕え続けられるのですか? 私達はあなたがたに対してそうする義務があるのです! 御言葉の中で、主が、『それはあなたがたの働きに対して与えられる給料である!』と言われた通りです。 (民数記18章21節) そして、あなたがただって、自分の給料を求めるのをためらうべきではありません。そうでしょう?」

  エレアザルはマラキをじっと見つめて言いました。「君は、主に対して何てすごい情熱を持って献身しているんだ! 君を見たら、人は君を‥‥預言者だと思うことだろう!」

  マラキは笑って、「私はただ、良いことをしようとしている者にすぎません。私はこれからエルサレムの宮に行きます。そこで何かあなたのためにできることや、手に入れられるものがあるでしょうか?」

  エレアザルは答えました。「ああ、そうだ! 私の十分の一税をエルサレムに持って行ってくれるかい?」

  「もちろんです! そうしましょう!」

  彼らが残りの産物を家に運び終えると、エレアザルの妻はそれを種類別に分け、あらゆるものの中から必ず一番良いものを与えることができるように気をつけながら、もらったばかりのもの全部の十分の一を脇に置いたのでした。そして、それらを篭に入れて、ろばの背に乗せると、マラキとその息子は引き続き丘を下ってエルサレムへと進んで行きました。

  「父さん、どうしてあの人達は、僕達があげたものの中からも、十分の一を納めたの?」と、ヨハナンは尋ねました。「あんなに貧しいのに、どうしてその十分の一まで納めたの?」

  「それはね、神に全時間仕える神のしもべ達でさえ、十分の一税を納めることを要求されているからだよ。 (民数記18章25-29節) エレアザルさんと奥さんは主を愛しているから、主に忠実に従い、十分の一を納めるんだ!」とマラキは答えました。

  二時間もしない内に、二人はエルサレムに到着し、宮までの細長い通りを進んで行きました。息子と共に、マラキはその小さな篭を宮の倉まで運び、それを管理の者に手渡しました。そして、宮を抜けて中庭に入って行くと、そこには、長くて白いあごひげをたくわえた老人がいました。

  「わが主、エズラよ!」マラキはうやうやしくこう言うと、帯から銭入れを取り出して、穏やかにこう言いました。「約束どおり、お金をためて持って参りました。ここにあります。主の御言葉の写本を作るために働く、主のしもべの方々を援助するために捧げるお金です。」

  老人は、「ありがとう。神があなたを祝福されるように! 主の民の内に、あなたのように気前良く与えてくれる者がもっといたらいいのだが! だが、こう言うのは残念だが、主の御言葉の写本はこれ以上作れないかもしれないのだ。贈り物や十分の一税がひどく少ないので、この仕事のために必要とされている主のしもべたちの面倒をどうしてもみられないのだ。一番優れた写本作りは、ほとんどいなくなってしまった。」と答えました。

  「いなくなったですって? どこへ行ってしまわれたのですか?」

  「ほとんどの者達は、自分達に十分な食物を得て生活を支える為に、農場へ働きに行ってしまったよ。」老人はそう答えたのでした。 (ネヘミヤ13章10節)

  マラキは、いきり立って、こう問いかけました。「でも、ネヘミヤがユダの総督としてここにいた時には、民は、主の仕事と主のしもべ達を援助するために、忠実に十分の一を納め、また贈り物を与えると約束したではありませんか?」

  エズラは答えました。「それだけではない。人々は、主の仕事を援助するのをなおざりにしないとの誓約書に署名までしたのだが、ネヘミヤがいなくなって何年もたつ内に、その約束を忘れてしまったのだ。事実、倉は空っぽ同然だ。」(ネヘミヤ9章38節、10章28-29節,35-39節)

  年老いた長老は、溜め息をつき、疲れた声でこう言いました。「さてと、わしはとても疲れてしまった。おいとまさせていただこう。」エズラが部屋に戻ってしまうと、マラキは、息子と並んで、悲しげに宮の外庭の方へ歩いて行きました。

  「もし、民が主の働き人を援助しないなら、私達は一体どうやって神の御言葉の写本を作るのだろう?」と、マラキは幼い息子に問いかけました。

  少し考えてから、幼いヨハナンがこう言いました。「民に与えることを思い起こさせたらいいかもしれないね?」

  マラキは、「多分、そうすべきかもしれない!」と答えました。

  人々が行き来している外庭に出ると、マラキはエルサレムの裕福な貴族の一人が十分の一税である産物を携えてやって来るのを見ました。その産物を見てみると、その貴族の十分の一税には到底及ばないことがわかりました。もっと近寄って見てみると、マラキは思わず自分の目を疑いました。その産物は、収穫した内で最も出来の悪いものだったのです。小さくて、しかも虫が喰っていました。

  マラキは他の人々が燔祭のための家畜や子羊を引いて来るのも見ました。しかし、ショックだったことに、携えて来られた動物の殆どが、めくらか、びっこか、病気持ちだったのです! 主の祝福に対する感謝をこめて、家畜や産物の中から一番良いものを主に捧げる代わりに、人々はただ、くずやかすのようなものを主に与えることで済ませようとしていたのです。

  目に涙をためて、マラキはその場に立ち尽くしました。すると、その時突然に主の御霊(みたま)がマラキに下ったので、彼はさっと宮の階段に上がってこう叫びました。「主はこう言われる。『あなたがたが盲目の獣を、又足のなえたもの、病めるものを捧げる時、わたしはそれを受け入れるであろうか? それをあなたのつかさに捧げてみよ! 彼はあなたを喜び、あなたを受け入れるであろうか?』と。」(マラキ1章8節)

  その裕福な貴族に向かって、マラキは言葉を続けました。「主はその民に命じて、『あなたがたの十分の一をことごとく携えてきて、レビ人、父親のいない子供、寡婦らが来て、食べて、満足するようにしなさい。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行なうすべての事にあなたを祝福されるであろう。』と言われた。」(申命記14章28-29節) 恥じ入った貴族は、返す言葉もありませんでした。

  一人の太った商人は文句を言いました。「一体どうやって十分の一を納められるのか? ただでさえ私は政府に税金を納めなければならないのに! 主に捧げたいと思っていたお金も、『王の税』に取られてしまうんだ!」

  マラキは声を張り上げました。「あなたの利益の十分の一は神のものだ! あなたは、王の王にそれを支払う義務があるのであり、『王の税金』を支払う前にそれを支払わなければならない! もし神の十分の一を最初に納めるなら、神はあなたを祝福され、あなたが税金を納める事ができ、さらにはあなた自身の為にあり余るほど残っているようにさえして下さる!」

  すると、一人の農夫が抗議しました。「どうして私に与えることなどできようか? イナゴなどの害虫が私の畑の作物や果樹を喰い荒らしてしまったのに!自分の家族に食わせるのがやっとなんだ! 十分の一を神に捧げる余裕なんてあるわけないだろう?」

  マラキはきっぱりとこう言いました。「わからないのか? そもそもあなたが十分与えなかったがゆえに、そういった問題が引き起こされたのだ! もし、あなたが神を敬い、十分の一を納めるなら、神はあなたを祝福し、害虫があなたの作物を喰いつぶさないように防ぎ守って下さるだろう!」(マラキ3章11節)

  人々の多くが、マラキの言葉によって心を動かされたのは、ありありとわかりましたが、お互い同士でぶつぶつと不平を言う者も、やはりいました。与えるなら、神の祝福を受けるのはいとも簡単なことなのに、それにもかかわらず、利己的になって、与えることを差し控え、神にその10%を納めないことによって、彼らは神の祝福を逃しているばかりか、神から盗むことさえしているのです!

  涙をぼろぼろと流しながら、マラキはこう預言しました。「主はこう言われる。『人は神の物を盗むことをするだろうか? しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる!』」

  「神の物を盗むですって? 私達が一体どうやって神の物を盗んでいると言うの?」と敬虔な貴婦人が強く反発しました。 (マラキ3章8節)

  「十分の一と、捧げ物をもってである!」主の答えが群衆の上に響き渡りました。「自分達の土地がどうして呪われているのか、どうして十分に祝福されていないのかとあなたがたはいぶかしむが、それは、あなたがたがわたしの物を盗んでいるからである。わたしの宮に食物があるよう、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい!」(マラキ3章9-10節)

  それからマラキは、黒雲の切れ目から、金色に輝く美しい陽光が差し込んでいる天に向かって両手を挙げ、さらにこう預言しました。「『これをもってわたしを試みよ。わたしを試みよ! あなたがたの十分の一と捧げ物を与え、わたしが天の窓を大きく開いて、入れる場所もないほど多くの恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさい!』と主は言われる。」(マラキ3章10節)

  それは、美しい約束でした! そして、群衆の中にも心を打たれて涙を流し、十分の一税を納め始めようと心に決めた人達がいました。

  ユダの総督ネヘミヤが戻ったのは、その後まもなくのことでした。自分の留守中に主の仕事がいかになおざりにされていたかを知ったネヘミヤは、自ら十分の一税を納めて手本を示し、その後で人々に、彼らもそれと同じことをして、主のしもべたちを援助するために与えるよう、公然と強く促したのでした! それから、ユダのすべての民は再び自分達の十分の一を忠実に与え始め、ネヘミヤの生きながらえている間、そうし続けたのです。 (ネヘミヤ13章6-12節,12章47節)

 

考えてみるべき課題

  (1) 神と神の仕事のために人々が与えると、神は常にそのことで彼らを祝福してこられました。もし、神のことを優先するなら、神はそのことであなたを祝福されるというのが、神の経済の根本法則です。イエスはこう約束されました。「与えよ、そうすれば、自分にも与えられるであろう!」(ルカ6章38節)  神はそのような方なのです。つまり神は、あなたが与える以上に与えることを非常に好まれ、あなたがどれほど与えても、必ず神はそれ以上あなたに与えられるのです! あなたが与えれば与えるほど、神は与え返されます!「あなたの財産と、すべての産物(収入)の初なりをもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる!」(箴言3章9,10節)

  神は必ずしも単なる金銭で報いて下さるとは限りません。保護という形で報いられることもあるでしょう。あなたが与えたものが何であれ、その100倍もかかってしまうかもしれないような事故や災難や重病から救って下さるのです! だから、どのような形であれ、神は必ずあなたに報いて下さるのです!

  (2) マラキを通して与えられた神のメッセージは、神の約束をテストにかけるよう人々にチャレンジしました! 主は言われました。 「(あなたの収入の10%を納めることによって) わたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みをあなたに注ぐか否かを見なさい!」(マラキ3章10節)

  与えるには信仰がいります。なぜなら、初めの内は、ただ自分の犠牲しか目につかないからです。それによって損害が出るかのように、また、損しているかのように見えますが、あなたが、単純な信仰と、主がもうすでに与えて下さったすべてのものへの感謝の気持ちを持って行動し、実際に与えるなら、主はさらに多くのものを与えてあなたを祝福して下さるのです!神とその御仕事に関する限りでは、主に与えることがあなたにとって益となるのです。それは、あなたが投資できるどんなものをもしのぐ、一番最高の利息率と配当率が確実に稼げる投資なのです。

  (3) 昔のレビ人のように、私達もまた、活動的で全時間を捧げて神に仕えています。だから、私達の友人達や援助者達の経済的な助けなしには、どうしても私達の奉仕を続けて行くことはできません。イエス御自身にさえ、彼と彼の仕事を援助していた者達がいました。 (ルカ8章1-3節) その人達は、世の中のあらゆる階層からなる人々でした。その人達自身は、イエスの御仕事に直接携わってイエスと一緒に旅をしていた、活動的な全時間を捧げての弟子ではありませんでした。でも、イエスと弟子達とがそのきわめて重要な霊的な奉仕を遂行することができるようにと、物質面での必要物を供給し、自分達に寄付できるものは何でも寄付することによって、彼らを援助したのです。

  (4) 使徒パウロはこう説明しました。「宮で働くレビ人達は、その食物を宮から得る。 同様に、福音を宣べ伝える者たちも福音を宣べ伝えることから生活費を得るべきである。 もし私達があなたがたの間に霊的な種をまいたのなら、あなたがたから物質的な収穫を刈り取るのはごく当然のことである。」(第一コリント9章7-14節)

  (5) 私達の仕事を忠実に援助してくれている私達の親愛なる友人達は一人残らず、イエスのために世界中の人々に救いの手を差し伸べる上で、極めて重要な役割を果たしています! 世界中で宣教を遂行するための活動を私達がさらに進めていくのを助けるため、彼らが送ってくれる寄付はすべて、その人の分身として、宣教の地へと出かけて行くのです! 彼らが送ってくれる寄付は、主と主の仕事のための、彼らの重労働によって流された彼らの血と汗と涙の賜物であって、その結果、文字通り幾千万もの魂が救われ、神の愛と力とによって幾千万もの人生が変えられるのです!

  あなたは、あなたの人生において、神の祝福の窓を開いていただきたいですか? また、神の御仕事に投資することの喜びを発見したいですか? もし、そうなら、今日私達に連絡して下さい! 定期的に与えることによって、あるいは、毎月十分の一税を納めることによって、あなたも地上で最も偉大なる仕事に携わることができるように、私達はその方法を喜んで説明したいと思います。あなたは、他の孤独な人達がイエスの内に救いを見つけるのを助けてあげることによって、天国で永遠の配当を刈り取るのです!