宝 P.758-763

 

歴史に見る冒険実集 !

 

貧しい者達を守る!

(ネヘミヤ記5章)

  紀元前444年、ペルシャのアルタシャスタ王 (注: 一般には、アルタクセルクセス王と呼ばれています)が統治していた時代のことです。ユダヤ人であり王の給仕役であったネヘミヤは、エルサレムを再建するという大いなる使命に乗り出しました。エルサレムはネヘミヤの先祖の町であり、かつてはイスラエルの偉大な首都でしたが、ユダヤ人の罪と神に対する反抗のゆえにバビロンに征服され、ユダヤ人は何十年もバビロンの奴隷となることを余儀なくされたのです。その後、クロス王の治めるメド・ペルシャがバビロンを征服し、メド・ペルシャは巨大な帝国となり、 200年に渡って続きました。ユダヤ人の友人であり、援護者でもあったクロス王は、その統治の元年に、ユダヤ人は故郷のイスラエルに帰還を始めてよいという勅令を出しました。

  さて、それから100年たったというのに、エルサレムの復興工事はあまりはかどっていませんでした。かつて高くそびえ立っていた城壁は、まだ黒焦げのがれきの山にすぎず、都の門は完全に破壊され、焼け跡のままでした。

  自分の民の苦境に心を痛めていたネヘミヤは、アルタシャスタ王を説得し、エルサレムに戻ってもよいという王の許可をもらいました。これは、まさに奇跡でした! ネヘミヤの必死の祈りが答えられたのです! そして、ネヘミヤが忠実な給仕役であり、また王の良き友人でもあったことから、王はネヘミヤをユダヤの地の総督に任命しました。王はネヘミヤに公式の推薦状を与えただけでなく、エルサレムの城壁を再建するための資材と資金もたくさん与えたのでした。

  エルサレムに戻るとすぐにネヘミヤは、町を再建するため、彼の忠実な監督のもとで貴族や町の人々が一致団結するよう約束させました。最初、再建工事は順調にはかどり、急ピッチで進んでいきました。敵はそれを阻止しようと様々な手段を使いましたが、間もなく城壁は再び築き上げられ始めたのです。しかし、深刻な問題も幾つか持ち上がってきたのでした。

  その頃、大干ばつが襲い、作物の生産量が大幅に減少したため、農業で生計を立てていた人々は大きな痛手を被り始めました。しかし人々を窮地に追いやっていたのは、飢饉だけではありませんでした。エルサレムには、ユダヤ人の裕福な貴族達や金貸し達がいて、貧乏に苦しむ庶民の弱みに付け込み始めたのです。彼らは、経済危機で困っている人々を助けるどころか、その機会を利用して、どんどん金を儲けていました!

  まず、作物が取れなくなったために、普段は自給自足していた家庭のほとんどが、干ばつがおさまるまで食べ物を買わなくてはならなくなりました。そこで貪欲で暴利をむさぼる者達は貧しい人々に金を貸し、利息をつけて利益を得ようとしたのです。飢えて、せっぱつまった状態にあった多くの家庭は、金を借りるために自分達の畑やぶどう畑や家を抵当に入れることを強いられました。そうしなかった人達も、ペルシャ政府が全州において取り立てていた税金を納めるため、すでに自分達の土地を抵当に入れていたのでした。

  中には、すでに土地を抵当に入れていたけれども、それでも十分な食べ物が買えず、生活費を得るために、自分達の子供達を泣く泣く奴隷として売った人達もいました! それだけではありません。借金の利息が高くて返済できなくなったために、金貸し達が即座に抵当処分をして、土地を自分達のものにしてしまったのです。貧しい人々は、子供達を買い戻して自由の身にする希望も断たれてしまいました!

  事態はもう極限まできていました。何人かの指揮官達が、城壁の工事はあまりにも困難だと不満を訴えていました。彼らは、「荷を負う者の力は衰え、その上、灰土がおびただしいので、われわれは城壁を築くことができません。我々の敵は今にも攻撃をしかけると脅しています」と言い出し、前途は今までになく険しいものとなってきました。

  それまでネヘミヤは、どんな障害や反対にも負けずに城壁を再建し続けるようにと、絶えず人々の信仰を励ましており、彼の不屈の精神と忍耐力が人々を刺激し、意欲を奮い立たせていました。しかし、今ネヘミヤは、ひどく強力な敵が存在することに気づいたのです。それは、自分と自分の下で働いている人々の夢を完全に破壊してしまうことができるほどの敵でした。貧欲という邪悪な敵が、彼らの使命の成功を危うくしていたのです。ネヘミヤと共に働いていた貴族達や裕福な町の有力者達が、利己心のゆえに、もう少しで、彼らを失敗に追いやろうとしていたのでした!!

  ある午後、ネヘミヤが馬に乗って、城壁の工事の経過を検査していると、突然、大勢の貧しく薄汚い労働者達が近づいてきました。そして、経済的困窮のゆえに自分達を奴隷同然にしてしまった金持ち達のことで、怒りを込めて抗議してきたのです! 「我々はこれらの裕福な者達の同胞であり、我々の子供達も彼らの子供達と等しいのです。それなのに我々は食べて行くために子供達を奴隷に出さなくてはなりません。すでに息子や娘を売ることを余儀なくされた上、我々の畑や土地がそれらの者達によって没収されたため、子供達を取り戻すことができないのです。」

  この訴えを聞いて激怒したネヘミヤは、大勢の民衆の前で公開裁判を開き、それらの利得者達に厳しく対処しました。「あなた方は何ということをしているのですか? あなた方はどうして自分の兄弟から抵当を取るようなことができるのですか? 神がモーセに言われた律法の中で、ユダヤ人が、収益を得るのが目的で自分の同胞に金を貸すことは禁じると言われたのを忘れたのですか?」(出エジプト記22:25-27と申命記23:19,20)

  その裁判が進行するにつれ、ネヘミヤはますます憤りました。「我々は人々を助けるためにできる限りの努力をし、奴隷となった多くの兄弟を自分の金で買い戻して、自由の身にすることさえした! しかしあなた達は彼らを、奴隷に戻らなければならないような状況に追いやっている! 我々は何度彼らを救い出したらよいのか?」 群衆は静まりかえり、ネヘミヤは金貸し達が返答するのを待っていましたが、罪ある者達は返す言葉がありませんでした。

  もともと、借金に利息をつけることは律法にかなっていないと彼らは知っていました。ユダヤ人同士での金の貸し借りはすべて利息なしで行わなければならなかったのです。さらには、貸す人は借りる人の経済状態と返済能力を考慮することが義務づけられていました。それが、貧しい人々を助けるための神のご計画であって、貧しい人々の持っている少しの物から金利を強要することは許されていなかったのです!(申命記15:1-11)

  ネヘミヤはさらに、集まった人々に向かって、自分の主張を訴えました。「あなたがたがしていることは神の目から見れば邪悪なことだ! もし我々が自分達の民の最悪の敵になってしまうのなら、主が我々の国と民とを祝福されることがあろうか? あなたがたは神を恐れつつ事をなすべきではないか? 我々自身の中に敵を持たなくても、我々を滅ぼそうとしている敵が諸国にいくらでもいるのではないか?

  私も私の兄弟達も私のしもべ達も、金と穀物とを利息なしに貸している。さあ、利息をつけて貸していたあなたがたは一人残らず、金銭、穀物、ぶどう酒、油、何であろうと、その負債をすべて今日にも帳消しにし、彼らから取っていた畑や、ぶどう畑や、オリブ畑および家屋を直ちに返しなさい!」

  訴えられた人達は、ネヘミヤと全会衆を前にして、一人また一人と、恥じながらネヘミヤの要求に応じ始めました。自分達の利己心が全会衆の前で暴露され、彼らには言葉もありませんでした。貧しい者達から過酷にも利益を搾り取っていた者達が、兄弟達を助けると約束するところを、民衆は驚きのまなこで見守っていました。彼らは何と、利息を取ることなしに、また、土地を担保に入れたり、子供達を奴隷に売るよう要求することもせずに、兄弟達を金銭的にも物質的にも援助すると約束したのです。

  祝賀会を開くにふさわしい機会のようでしたが、ネヘミヤは気を許したりはしませんでした。すぐにネヘミヤは祭司を呼び出し、約束を実行するという正式な誓いを罪のある者達に立てさせました。(当時では、公での誓いは、契約書と同じくらい拘束力がありました! 申命記23:21-23)それからネヘミヤは腰帯を外して、彼らに向かって振ると、「この約束を実行しない者は、神がこのように打ち払われる!」と警告しました。「拒む者には誰でも、神の呪いが下るように! そして、自分の言葉を守らない者は、神がその家および財産を滅ぼされるように!」 民衆は皆、「アァメン」と言って大いに喜び、主を賛美しました。そして、それらの金持ち達はみなこの約束の通りに行なったのです。

  この最も危険な敵、つまり、人々の心の中に巣くう敵に対して勝利したため、城壁の修復は前よりも速いスピードで進んでいきました! 城壁が完成した時には、人々の団結のゆえに、また人々が主や主の選ばれた指導者に対して従順であったために、大いなる霊的な信仰復興がすべての人々の心に及んだのです。

  もし、まずネヘミヤ自らが、すべての者達に対して、神や民への愛や、非利己的さや、犠牲的精神を示す手本とならなかったら、ネヘミヤが人々を説得し、そのような勝利を収めるのは、きっと非常に困難だったことでしょう。ネヘミヤは、12年の間、総督としてユダを治め、自国の民がどれほど苦しい生活をしているかをよく理解していました。それゆえ、彼は政府から給料を得ることを拒否したのです。ネヘミヤは日記にこのように書いています。「私はイスラエルの人々からいかなる手当も援助も受けなかった。」

  これはユダの以前の総督達とはかなり違っていました。以前の総督達は、民から毎日、食物やぶどう酒や百ドル相当の現金を要求し、そして、その配下の者達が、民を抑圧するに任せていたのです。しかしネヘミヤはこう語っています。「私は神に従っており、民に税を課していたエルサレムの以前の総督らの模範にならうようなことはしない。かえって私は城壁の工事に携わり、私も私の下の役人たちも個人的な利益を得るために自分達の地位を利用することはなく、どんな土地も買ったことはない。

  私はすべての部下が城壁での仕事に携わるようにした。その上、私の食卓には、ユダヤ人のつかさたちがいつも150人も座り、そのほかに、われわれの周囲の異邦人たちも私の食卓についている。それは私にとって多額の出費であった。それでも、民の労役が重かったので、総督としての手当を得るのを拒んだ。」

  これは聖書に書かれている歴史に残る実話です。ネヘミヤは、敬神的かつ献身的で、非利己的なリーダーの、素晴らしい模範だったのです。彼はそのように生きただけではなく、当時、貧しい庶民から搾取して私腹を肥やしていた者達を暴露することも恐れてはいませんでした。

  もし貧しい者達が引き続き食い物にされ、虐待されていたなら、エルサレムはどうなっていたことでしょう。何と言っても、城壁の再建に携わる労働者の大半は、貧しい者達ではなかったでしょうか?敵の攻撃から国を守るために朝から晩まで武器を手にしていた者達の大多数が、一般大衆だったのです! 彼らの支持や助けや協力なしには、エルサレムの再建は実現せずに終わってしまっていたでしょう!

 

考えてみるべき課題!

  (1)しばしばこの世の統治者達は自分達の罪のゆえに盲目になっているようです! その罪とは、貧しい人々を虐げる事です! 金持ちは金儲けは上手かもしれませんが、貧しい人々を虐げてでも私腹を肥やすため、政府でも何でも自分らの思うままに運営しようとして邪悪な政策を施行することで、かえって自らの没落を招いているのです。なぜなら、神はほとんどいつもと言っていいほど貧しい人々の味方で、結局は貧しい人々が勝利するようにされるからです!

  (2)この場合、神は貧しい人々を救出するためにネヘミヤを送られました。利己的な金貸し達がネヘミヤの要求に従ったので、主は民を祝福し、その地を守られました。もし金持ち達が従っていなかったなら、彼らは間違いなく破滅の運命をたどっていたことでしょう。神の御言葉はこのように警告しています。「耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、自分が呼ぶ時に聞かれない。」(箴言21:13) しかしこうも書かれています。「貧しい者をかえりみる人は幸いである。主はそのような人を悩みの日に救い出される! 主は彼を守って、生きながらえさせられる。彼はこの地にあって、さいわいな者と呼ばれる!」(詩篇41:1,2)

  (3)神は人が富を持つ事に反対しておられません。間違った考えを持っている人達がいますが、神は裕福であることに反対してはおられないのです。ただ、貧しい人が大勢いるのに、ほんの僅かな人々だけが多くの富を所有することを嫌われるのです! 実のところ、神は裕福であること自体は大変良いことだと思っておられます。そして、すべての人々が十分なものを得ることができるよう、あなたが富を分け与えるなら、神はあなたにあふれんばかりの富を与えて下さるのです! 裕福な人が、便利で快適な生活をすること自体は罪ではありません。それによって、貧しい人々をより助けることができるからです。その方がもっと良く物事を成し遂げられる場合が多いようです! しかし裕福な人々の犯す罪とは、必要を抱えている人々と分け合わない事なのです。

  (4)ネヘミヤの場合でもわかるように、神の人々は、正直に生き、主に使われようとするなら、しばしば孤独な存在となりました! いつもいつも人々を喜ばすことはできません。彼らは、真理と正しいことのために戦わなくてはならないため、必ずしも人々から好かれているわけではありませんでした。しかし、どちらが良いでしょうか? 神を喜ばすことでしょうか、それとも人を喜ばすことでしょうか? 使徒パウロはこのように語っています。「今、わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか? あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか? もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストのしもべではあるまい!」(ガラテヤ1:10) あなたは誰のしもべですか?