宝 P.737-740

 

愚かさとふざけること!--これは笑い事ではない!

 

  1.ふざけるというのは、良く言えば、ちょっとくだけた冗談を言ったり、浅はかに振る舞ったりすることです。ちょっと見たところは、害がなく、悪いことでもなく、ただ緊張をほぐす一つの方法に思えても、結局は、馬鹿馬鹿しく、軽率で、非常識な振る舞いにつながることがしばしばです。ふざける霊に影響されている人は、他の人の注意を引いたり、笑わせたりするためなら、悪ふざけや人を傷つけるような言動も含めて、ほとんど何でもします。「愚かな者は戯れ事のように悪を行う」−−箴言10:23。

  2.「愚者のくちびるはその身を滅ぼす。愚者の言葉の初めは愚痴である、またその言葉の終わりは悪い狂気である。愚者は言葉を多くする。」−−伝道の書10:12-14。

  3.聖書にはこう書いてあります。「愚かな者の口は愚かさを吐き出す。」−−箴言15:2 「愚者」と「愚かさ」のもともとのヘブル語の意味とは、軽率で思慮に欠け、自信たっぷりで、自慢ばかりしていて、愚鈍で、知性に欠け、知恵がなく、鈍感で、ぬけていて、空虚で、無味乾燥なことです! 知っている通り、クリスチャンにとっては、ふざけて、愚かに振る舞うことは笑い事ではないのです!

  4.ユーモアのセンスを持つことと、ふざけることには大きな違いがあります。優れたユーモアのセンスは、人生において優れた資質ですが、過度にふざけるのは問題であって、祈り、神の言葉を真剣に学ぶことによって克服しなくてはなりません。

  5.私達がふざけている時、悪魔は頻繁に私達の人生に罪のくさびを打ちこみます。ふざけた振る舞いは、最初は、ただ面白くてコミカルで、人を楽しませ、害もなさそうに見えます。しかし、普通それが続くと、最終的には、聖書に書かれているような、「ますます不信心に落ちていく、俗悪な無駄話」になるのです−−第二テモテ2:16!

  6.ふざけたおしゃべりは、しばしば、大袈裟に言ったり、真実を歪めて言ったり、あからさまな嘘をついたり、だますことにつながります。「冗談」で言った害のないからかい言葉と思っても、聖書にはこう書いてあります。「隣人を欺いて、『ほんの冗談だった』と言う者は、燃え木、または死を投げつける気違いのようだ。」−−箴言26:18,19。

  7.「人は自分の愚かさによってその身を滅ぼす」−−箴言19:3。

  8.意味がなく、とりとめのない、無駄な会話は、悪魔が私達を油断させて入り込み、私達に、思慮に欠けたことや、冷たいことを言わせるための格好の機会です! だから、イエスは弟子達にこう言われたのです。「あなたがたに言うが、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである。」−−マタイ12:36,37。

  9.あなたの人生は必ず他の人達に影響を及ぼします! 「私達の内、誰一人として、自分だけのために生きる者はない。」−−ローマ14:7。誰もが誰かに影響を与えるのです。時々ちょっとした言葉を言ったり、ちらっと見たり、ほほ笑んだりすること、あるいはそうするのを控えることが、人に大きな影響を及ぼし得るのです。

  10.覚えておいて下さい。言葉は実体のあるものです。祝福するか呪うか、引き上げるか引きずりおろすか、救うか地獄に落とすかです! 「口と舌を守る(静かにしている)者は、その魂を守って、悩みにあわせない。」−−箴言21:23。

  11.世界中の人々が、快楽や娯楽などで気をまぎらわせようとしています。何時間もくだらない映画や、愚かで無意味なテレビ番組を見たり、浅はかで中身のない小説を読んだり、ものすごいボリュームでステレオを聴いたりして、自分が考えているべきことを掻き消してしまっているのです! 深刻な問題や緊張づくめの仕事から離れてリラックスする時間も確かに必要ですが、「軽い娯楽」もあまりに度が過ぎると、それは、私達が神の声を聞かないように気をそらさせるための悪魔の道具になってしまいます!

  12.たいていの人は、ただでさえ、祈ったり、神の御言葉を読んだり、主の愛を他の人に与えるための時間があまりないのに、せっかくのあいた時間を、浅はかなおしゃべりをしたり、ふざけたり、冗談を言ったりして無為に過ごしてしまうのは悲しいことです。

  13.まるでバケツに穴があいたかのように、しゃべりまくる人がいます。口を開くやいなや、頭の中にあったことが何もかも出てしまうのです! 「知恵ある者の舌は知恵をわかち与え、愚かな者の口は愚かを吐き出す。」−−箴言15:2。

  14.神の御霊の知恵の助けを借りないなら、かなりの愚か者になってしまいます!

  15.ふざけた会話は、知的な現代人の気晴らしとなっていますが、それは、自己中心的に、世俗的な「賢さ」を誇示するものであるばかりか、やめるのが極度に困難な悪習慣でもあります。また、風刺や皮肉が混じることもよくあります。これに、他人に対するあざけりや批判がこめられると、感情を傷つけたり、争いを起こしたりすることになるのです。

  16.たとえ5千万人の人が愚かな事を言っても、それが愚かな事であることに変わりはありません!

  17.「知恵ある者と共に歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。愚かな者の前を離れ去れ。そこには、知識の言葉がないからである。」−−箴言13:20と14:7。

  18.神の子供達が愚かになり、浅はかなことをし、浅はかなことを話し、ふざけた振る舞いをするのは、非常に悲しいことである!

  19.「愚かな者の計るところは罪である。」−−箴言24:9。

  20.世間の人々が日ごろ接するのは、浅はかさや、軽薄さや、機嫌とりや、偽善ばかりです。だから、多くの人は、誰か真剣に物事を考え、自分に関心を持ってくれる人に会うととても感謝します。そんな人になら、心の奥で考えていること、感じていることや、恐れていることさえも打ち明けられるからです。うわべはふざけているかのように見せかけていても、ほとんどの人は、心の奥底では、真の愛や深いコミュニケーションや真の理解を求めているのです。

  21.世俗的なこととふざけていることは一つであるも同然で、同じことです。「この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである。」−−第一コリント3:19-20。

  22.あなたが自分の目や耳や心を、世俗的な知恵や、人間の愚かさで満たすなら、必ず、それがあなたの心や霊に悪い影響を与えます! だから、読むものやテレビで見るもの、他の人と話す内容に注意しなさい!

  23.ふざけることに対する最善の解決策と治療法は、神の御言葉を読み、心と思考を御言葉で満たすことです。イエスは言われました。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」−−ヨハネ6:63。命を与え、霊感に満ちていて、信仰を築く神の御言葉で自分の思いと心を満たすために毎日少しでも時間を取るなら、神の言葉は、あなたの心と霊に浸透し、あなたの思いや生活や会話の中にも現れてきます。

  24.「卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。」−−エペソ5:4。

  25.クリスチャンが浅はかで、主にあっても御霊にあっても深くなく、肉の内に浅はかで、理解することにおいても肉的で、肉の思いを持っていることは、危険なことだ。

  26.「思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩め。」−−箴言9:6。

  27.馴れ合いは侮りを生む。

  28.「無知な者は愚かなことを喜び、さとき者はまっすぐに歩む。」−−箴言15:21。

  29.空の器が一番騒々しい! 「愚かな者の声は言葉の多いことによって知られる。」−−伝道の書5:3

  30.「死んだ蝿は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。僅かな愚行は知恵と名誉より高くつく!」−−伝道の書10:1。

  31.いつ笑い、いつ真剣になるべきかや、その違いを知る方法を知るのを神が助けて下さるよう求めなさい! すべてのことにおいて、節度を持ち、うまく、この二つの間のバランスがとれるように、神に助けを求めなさい! 「あなたがたの中庸を、みんなの人に示しなさい。」−−ピリピ4:5。あまりにも気まじめになりすぎたり、浅はかになりすぎたりすることのないように。「すべてのわざには時がある。泣くに時があり、笑うに時がある。」−−伝道の書3:1,4。

  32.聖書にはこう書いてあります。「愚かなことが子供の心の中につながれている。(つまり、子供の心の中は愚かなことでいっぱいだということです。) しかし、懲らしめのむちは、これを遠くに追い出す!」−−箴言22:15。 子供にふざけないようにと教えるには、時々、厳しいお仕置きが必要となることもあります。主が、大人から、ふざけた態度をたたき出すために、しばしば懲らしめの杖を使わなくてはいけないのと同じように!

  33.浅はかで思慮がなく、主と正しい関係にない人が回りにいるのは、危険なことである。もしあなたが彼らを戒めないなら、神が彼らをお仕置きされることだろう。しかし、あなたがそのツケを払うことになる!

  34.「思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩め。」−−箴言9:6。

  35.主イエスよ、どうか、うんざりするような浅はかさとくだらなさとそのようなゴミから私達を救い出して下さい。それらは、中身がなく、意味もメッセージも、真の価値も何もなく、何の実も結ばないからです!