宝 P.711-716

 

歴史に見る冒険実話集!

カインの園!

−−創世記4章をドラマ化した物語!

  歴史の夜明け、まさに文明の始まった頃のこと、世界は新しく、汚れもなく、美しい姿をしていました。東の方に太陽が昇ってきて、遠くの山々全体を赤々と照らし始めました。そして、ひんやりとした朝靄(あさもや)が野原や丘をおおい、露が青々と茂る草木を潤しています。しかし、この原始的で、全く自然のままの美しさの中にも、人間の心の中に、罪の危険な影が潜んでいたのです!

  地球が創造されて以来、130年近くたっていました。エデンの園から追い出されてからというもの、アダムとイヴは素朴な農耕生活に落ち着き、たくさんの子供も生まれました。彼らがエデンの園を出てしばらくして生まれた上の二人の息子は、カインとアベルと言いました。長男のカインは、土を耕して一生懸命働き、一方アベルのほうは家畜の群れを世話していました。

  彼らの最初の小さな部落は、泥を日干しにして造った煉瓦でできた、様々な質素な建物の集まりにすぎませんでした。大きな母屋の近くには、羊小屋や小さな家が何軒かあります。そのそばには、広大な庭があり、その向こうには、早朝の太陽の光で金色にきらきら輝く豊かな麦畑が広がっていました。

  太陽がゆっくりと空高く昇っていき、朝靄を追い払うと、カインはすぐに、丈夫な草刈り鎌を持って、麦畑に出て行きました。アベルが、午前中ずっと近くの丘の上で羊の番をする間、カインは汗を流して働き、金色に実った穀物を刈り取っていました。

  お昼頃にはもう、小さな畑の刈り入れも終わり、汗だくで、すっかり汚れてしまったカインは、大股で大きな家に向かって歩いて行きました。イヴと、カインの弟や妹達はバターを作り、石でできたかまどで昼食の支度をしていました。

  カインが桶に入った冷たい水で体を流していると、アベルが野原の方からやって来て、羊飼いの杖を下に置いて手を洗いました。カインは、日に焼けた筋骨たくましい体を乾かしながら、アベルをあざけって言いました。「アベル、今日も一日中あそこの日蔭に座ってるのはどうだったか? 一体いつになったら一人前の肉体労働をするつもりなんだ?」

  アベルは、穏やかに答えました。「僕の仕事は兄さんの仕事ほどきつくないけど、僕はそこにいて、群れの番をしなければならないんだ。そしてその時間を使って、主に祈り‥‥」

  カインはせせら笑って言いました。「それが仕事だって?! はっ! もし本当に神に従って、神を喜ばせたいなら、俺の畑で一日中穀物を刈り取ったり、くわで土を耕したり、種を蒔いたりすべきだ!  神が、お父さんをエデンの園から出された時、お父さんに命じられたことを覚えていないのか?『神は、お父さんを追い出して、土を耕させられた!』 (創世記3章23節)  そうだろう? ただ何もしないで羊を見ているように命じられたわけじゃないんだ!

  それにおまえは、神からの直接の戒めをもう一つ破っているんだ! 神が言われた事を、そのまま言ってやろう。『あなたは顔に汗してパンを食べる!』(創世記3章19節)  俺は畑に出て、汗水たらして働いているが、おまえが一生懸命働いて、汗をかきながら食事を食べにやって来たためしがない。

  イヴは、料理する手をしばらく止めて、二人の会話に耳を傾け、 「カイン、私とお父さんは、あなたが精を出して働いてくれることをとても感謝しているけど、あなたの弟が家畜の群れの世話をしてくれなかったなら、私達にはミルクもバターもチーズも、それに寒い夜をしのぐための暖かい毛布も服もないのですよ。」とたしなめました。

  「わかりました、お母さん。」とカインはぼそっと答えました。「多分お母さんの言う通りでしょう。アベルは、全くの役立たずというわけではないのでしょう。」そう言うと、タオルをそばの手すりにたたきつけて、恨みのこもった目つきで弟をにらみ、何年もこつこつと手入れしてきた畑に向かってさっさと歩いて行ってしまいました。

  よく手入れが行き届いた野菜畑のうねの間を歩いていると、カインの心はうぬぼれでいっぱいになり、「何と素晴らしい汗の結晶なんだ!」とほれぼれした様子で当たりを見回しました。「私の手のわざだ!」右側には、ナツメヤシといちじくの木の下に、すっかり熟して大きくなったメロンやきゅうりやかぼちゃがまっすぐに、列をなして植えられていました。左側には、豆やトマトや数えきれないほどの種類の熟れた野菜や果物が並び、収穫を待つばかりでした。

  「神は、父と母の罪のために地を呪われたかもしれないが、私の畑を見たら、そんなことは絶対にわからないだろう!」と、彼は、にやにや笑っていました。「私の勤勉な手入れによって、本当に祝福されたものとなった!」(創世記3章17,18節)  突然、名案が浮びました。「ああそうだ。それはいいぞ!」と思い、畑を去って、家に帰って来ると、

ちょうどみんながテーブルの回りに座って、食事をしているところでした。そこでカインは、「神は、私がよく働いたことをとても祝福して下さいました。だから今日私は、神に捧げ物をすることにしました!」と、みんなに言いました。

  「それは良い考えだ」と、父のアダムは言いました。「おまえには本当に感謝すべきことが沢山あるからな。」するとアベルがていねいにこう言いました。「私も主に捧げ物をしたいです。主は、私達がミルクやチーズや羊毛を豊かに得ることができるように、私達の家畜を安全に守り、増やして下さったからです。」 「ああ、もちろんだとも。今は、おまえたち二人が主に感謝を示すのにとても良い時だろう。おまえたちがそれぞれ主に小羊を捧げるなら、きっと主は喜ばれると思う。」

  「小羊だって?!」カインは驚きのあまり目を丸くして言い返しました。「アベルが小羊を捧げたいならそれで構わないけど、神は、私を地の作物と穀物によって祝福して下さったのです!」アダムは、穏やかにこう言いました。「そうだ、わかってるよ。だがおまえも知っているように、主が私達を世話し、私達の全ての必要を満たして下さっていることに対する、私達の愛と感謝を示すためにだけではなく、私達が主の憐れみに頼っている事を示すためにも、私達が小羊を犠牲にすることをいつも主は求められるのだ。私達は皆罪を犯したので死ぬ事に値するのだが、主に従い、小羊を捧げるなら、その時主は御自身の憐れみによって私達を許して下さるのだ。」

  「でも、私は罪など犯していません!」とカインはかっとなって言いました。「私は、神に従い、本当に一生懸命働いてきました! それに、私には小羊がありません!」

  イヴは優しく提案しました。「それなら、アベルの小羊とあなたの持っている作物を交換したら‥‥」するとカインは怒って立ち上がり、「いやです!」と叫びました。「私の畑、私の庭で私は働いてきたのです。神が命じられたように汗を流して畑を耕したのはそこなんです。だから、私はそこから穫れた物を神に捧げます!」

  その日の午後、カインは家の前に石で祭壇を築きました。彼は、その祭壇の上に枯れ木を積み、挑戦的な態度でその上にかぼちゃやメロン、さらにひとかかえの穀物や、いろいろな果物や野菜の入ったかごを乗せました。

  カインは怒りに燃える目で、弟アベルが近くの丘に作った小さく質素な石の祭壇の方を見ました。アベルは、群れの中で一番最初に生まれた小さな小羊の内の一匹を縛って、祭壇に置かれたたき木の上にそっと置くとこう祈りました。「主よ、日ごとに新しく与えられるあなたからの憐れみを感謝します。あなたが私達を世話して下さり、保護し、必要なものを満たして下さっている事を感謝します。そして‥‥」と言って、ひざまずいて涙を流しながら、「私達を愛し、私達の罪を許して下さる事を感謝します!」と言いました。

  それからアベルは立ち上がって、ナイフを手に取り、小羊をいけにえとして主に捧げ、祭壇の上のたき木に火をつけると、すぐに甘く快い香りがひとすじの煙になって天に昇って行きました。それは、アベルの謙遜で従順な心から出た感謝の贈り物でした。そして、主はそれを喜ばれました。

  腹立たしげに、カインは燃えるたいまつを手に持って、家族全員に聞こえるよう、大声で祈りました。「聖なる正しい神よ、あなたは、あなたに従い、力を尽くして正しく懸命に働く者に報いられます! 私の働きの実を見て喜んで下さい!」それから彼は、たいまつをたき木の上に放り投げました! 彼は誇らしげに立って、炎が上がるのを見ていましたが、驚いたことに燃える野菜から黒い雲が立ちのぼったのです。風向きが変わって、突然、いやな臭いの黒い煙がカインのほうに押し寄せました。主は、明らかに喜んでおられなかったのです!

  カインは咳込み、この息が詰まりそうな煙を手で払いのけ、怒って、足を踏みならしながら畑に出ました。随分時間がたってから、やっとカインは落ち着き、主に、何故その捧げ物を拒んだのか尋ねました。突然、静かな、しかし威厳に満ちた声が彼に語りかけました。

  「カイン、なぜ怒っているのか? なぜ、顔を伏せるのか? 正しい事をしているのなら、受け入れられるのではないか? だが、もし正しい事をしていないなら、罪が門口であなたを待ち伏せ、あなたを捕らえることを慕い求めている!」

  カインは答えませんでした。それどころか、くやしそうにこぶしを握り締め、険悪な顔つきをしました。ゆっくりと、不吉な、そして怒った足どりで家に向かい、祭壇の前で祈り終わったばかりのアベルの所を通りかかりました。

  くわを手にしたカインは、アベルを見下ろし、努めて冷静さを装った声で「アベル、畑の方に行こう。話したいから。」と言いました。アベルは驚いてカインを見上げ、「いいよ。」と言って立ち上がりました。二人の兄弟は、ゆっくりと近くの耕されたばかりの丘に登り、家から見えない所までやって来ました。

  突然、カインはくわを頭上に持ち上げると、アベルの上に思いっきり振り降ろしたのです!

  もう取り返しがつきません! カインは、弟の息絶えた体を暫く見つめていましたが、それから狂ったように地面に穴を掘り始めました。カインは、その中にアベルの死体を放り込み、土をかぶせました。その時、自分の手が弟の血で染まっている事に気づき、くわを放り投げると、野原を全速力で駆けて行き、犯罪の証拠を洗い落とす為に、羊の水飲み場まで来ました。

  突然、主の厳しい声がして、カインの動作がピタッと止まりました!「カイン! 弟のアベルはどこにいるのか?」

  カインは、反抗的な口調で、言い返しました。「知りません。私が弟の番人でしょうか?」

  すると主は、怒った調子で言われました。「カイン、あなたは何をしたのだ!? あなたの弟の血の声が土の中から私に叫んでいる。今、あなたは呪われてこの土地を離れなければならない! この土地が口をあけて、あなたの手からの血を受けたからだ! あなたが土地を耕しても土地はもはやあなたのために豊かな収穫を与えない! あなたは、地上の放浪者となるだろう!」

  それから主は、カインを御自分の前から追い出されました。カインは自分の妻を連れて、一層深まった夜の暗闇の中を、平野を横切って逃げ、東の、荒れたノドの地に住みました。

 

考えてみるべき課題

  (注: イヴは、「すべての生ある者の母」なので、この時、アダムとイヴには他の子供達もいたことがわかります。それゆえに、カインの妻は妹の一人に違いなく、彼は放浪者として自分自身の兄弟達から逃げなくてはならなかったのです。−−創世記3章20節,4章14,17節)

  (1) カインは、非常に信心深い人でした。彼は、神に捧げ物をし、自分は神を崇拝しているとさえ言ったのです。そして、彼は、自分は正しい人間で、神からほんの少し助けてもらうだけで救いを手にすることができると信じていたのです。それは、その時から現在に至るまでの、とても多くの「信心深い」人々が思っているのと同じことです。多くの人々は、神を崇拝し、救いを得るために神に頼っていると主張しているものの、救いを得ようと懸命に努力しているのだから、神の助けがあろうがなかろうが、自分は救いを得るのにふさわしいと考えるのです。しかしエペソ2章8節と9節にはこうあります。「あなたがたの救われたのは、実に恵み (受けるにふさわしくない憐れみ) により信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して自分の行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」(ローマ11章6節も参照)

  「アベルは、カインよりもまさったいけにえを神に捧げ」ました。(ヘブル11章4節) なぜなら、アベルは彼のしたことによって、神だけが自分を救えると信じていたことを示していたからです。彼は、神だけが正しい方であることを知っていたので、神の憐れみと許しとに完全に頼っていたのです。 (ローマ7章18節、テトス3章5節)

  (2) 一番最初から、主は罪のための燔祭は生き物のいけにえ、つまり小羊のいけにえでなければならないということをはっきりさせておられました。 (創世記22章7節) 神の御子であるイエスは、その最終的ないけにえであって、「世の罪を取り除く神の小羊だったのです。」(ヨハネ1章29節)  イエスは、私達の罪のために死なれ、私達を罪から救うために御自分の血を流されました。そして、それこそが私達の救われるただ一つの道なのです! 宗教上のおきてを守って「義人」になろうと自己努力をすることによってではなく、神の愛情深い恵みと憐れみによって救われるのです。(ガラテヤ2章21節参照)

  (3) カインのように、「善良」だと思われている人々の多くは、実は独善的で、無情で、憎しみに満ち、同胞に対して恨みを抱き、許すことをしない人々なのです。それなのに彼らは、自分は神を愛していると言うのです。しかし神の言葉には、こう書いてあります。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者は偽り者である。すべて兄弟を憎む者は、死のうちにとどまっていて、人殺しである。」(1ヨハネ3章11-15節、4章20節)  もし、私達が兄弟を憎むなら、神は私達の祈りを聞かれず、私達が懸命に働いたり、犠牲を払ったりしても、報いて下さることはないと警告されました。 (詩篇66篇18節、マタイ5章23,24節) 愛がなければ、私達がどれだけ「良い行い」をしても全く意味がないのです。 (1コリント13章3節)

  (4) 聖書には、カインの「わざが悪く、その兄弟のわざは正しかった」ので、カインがアベルを殺したと書いてあります。(1ヨハネ3章12節) なぜ神は、アベルの行いを正しいと見なされたのでしょうか? なぜならアベルは、神に謙遜に従っていて、神に頼り切っていることを示していたからです!  このことは、自分の救いを自分の行いによって手に入れようとしていた、働き者のカインを笑い者にしてしまったので、カインはアベルを殺したのです。神に対するアベルの単純な信仰が、カインの心の内を暴露したからです! これが、神を真に崇拝する者に対して、独善的な宗教家が行なった迫害の始まりだったのです。そうした迫害は、現在に至るまで、長い時代に渡って激しく続いています!(ヨハネ16章2,3節とガラテヤ4章29節参照)

 

   祈り: 主イエスよ、私は、自分で救いを手に入れることができるほど善良な人間でも、正しい人間でもないことを知っています。だから、私が救われるように、私の罪のために十字架で死んで下さるほど、あなたが私を愛して下さったことを感謝します。私が、完全にあなたの憐れみと許しとに頼るのを助けて下さい。イエスの御名によって祈ります。アァメン。