宝 P.673-680

 

イエスか、それともマルクスか?

−−あなたはどちらを選ぶでしょうか?!

 

  共産主義が初めてソ連および中国で権力の座にのし上がった時に両国で起こった、身の毛もよだつような大虐殺や、「反革命分子の粛正」や「追放」については、現代の人々のほとんどが聞いたり、読んだりしたことがあると思います。たとえなくても、もう少し最近のところで、60年代に中国を荒廃させてしまった「文化大革命」についてや、70年代にカンボジアで起きた、ポル・ポト政権による大量虐殺で、国民の三分の一が殺されたことについては、ある程度知っておられることでしょう。

  けれども、共産主義政体が実に幾千万もの人々を殺害するという、想像を絶する残酷な極悪非道行為をしてきたにもかかわらず、共産主義イデオロギーは広まり続け、新しい信奉者を赤の集団の中におびき入れています。共産主義理論および教義のすべての基盤は、その創始者であるカール・マルクスの著書にあります。

  クリスチャンが共産主義イデオロギーに出くわしたり、それについて考えたりする時、根本的な疑問が頭に浮かんできます。それは、マルクスの教えはイエスの教えと比べてどうなのかという疑問です。その二つは共存できるのでしょうか? キリスト教とマルクス主義、この二つが信じている基本的な教義をかいつまんで見てみるなら、その答えは明白です。

  イエスは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である!−−誰もわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない!」 −−ヨハネ14章6節また、「神の言葉は真理である。そして、真理はあなたがたを自由にするであろう!」−−ヨハネ17章17節、8章31,32節

  マルクスは、著書「共産党宣言」の中で、「共産主義は永遠の真理というものを闇に葬る! 共産主義はあらゆる宗教、あらゆる道徳を闇に葬る!」と豪語しました。

  というわけで、二つの全く相反する主張があるわけですが、正しいのはどちらか一つでしかあり得ません。自分が「真理」であることを断言したイエスは、共産主義によって闇に葬られてしまったでしょうか? あるいは、神の御言葉はマルクス主義の台頭以来、すたれてしまったのでしょうか?−−いいえ、勿論そんなことはありません! いわゆる「鉄のカーテン」とか「竹のカーテン」の背後でも、文字通り何百万もの正真正銘のクリスチャン達が、力強く活動を続けているのです! クリスチャンを抑圧し、撲滅しようとあらゆる手だてを尽くす赤の政体の下で暮らしているにもかかわらず! イエスとその真理は今日も生きていますが、マルクスはとっくの昔に死んでしまって、地獄の火の中で、当然の報いを受けているのです!

  聖書には、イエスは「隅のかしら石、礎石であって、それにより頼む者は、決して恥じることはない!」とあります。−−第一ペテロ2章6-8節、第一コリント3章11節

  マルクスはこう記しています。「私はすべての神々を憎む!神がいるという発想そのものが歪んだ文明のかなめ石なのだ。--それは破壊されなければならない!」

  マルクスがさげすみ、破壊したいと望んだ「かなめ石」こそ、イエス御自身です。でも、イエスが滅びるなどということはありえません! 事実、聖書によると、イエスはまもなく戻って来られ、この世界を支配なさるのです。預言者の一人は、イエスの再臨を象徴的に表す幻を見ました。その幻とは、大きな石が天から落ちてきて、人間による最後の政府である統一世界共産政府−−それは今世界の支配権を握る過程にありますが−−を打ち、「それを粉々に砕き、人間の諸王国を滅ぼして、かわって天の神が、決して滅ぼされることのない神の御国を建てられる」というものでした!−−ダニエル2章44,45節

  イエスは、「わたしの言葉をあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にとどまるため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである! もし、わたしの教えを知っていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである!」と言って、イエスとその教えに従うすべての者達に、真の永遠なる幸福を約束されました。−−ヨハネ15章11節、13章17節

  マルクスは全く正反対のことを言っています。「人民の真の幸福を獲得するためには、宗教的な偽りの幸福を破棄することが必要だ! そのための第一歩として、宗教に対して攻撃をかけなければならない!」

  マルクス主義のこの反神的な原理をみると、これまでに権力の座についたすべてのマルクス主義政体が、どうして、神を崇拝する者達に敵対するようになったのかがわかります。その結果、共産主義社会全体で、文字通り何千万もの無実な神の信者達が冷酷無悲にも弾圧され、投獄され、拷問にかけられ、殺戮されてきたのです!そうした信者達の犯罪とは、ただ、自分の信仰を断念するのを拒み、いわゆる「マルクス教」を受け入れなかったことだけでした!

  主と主の愛なしでは、マルクスが得々として学説づけている「人民の真の幸福」などあり得ません。−−それに加えて、もし共産主義がそのような「真の幸福」を提供しているのであれば、何故、東ドイツやソ連は、悪名高い「ベルリンの壁」を築いて、国民を国内に閉じ込め、彼らがいわゆる「退廃した西側」に逃げないようにする必要があったのでしょうか? また、まさに何十万もいる哀れな「難民」は、何故、命をかけてまで、いわゆる「解放された」東南アジアの国々から逃れようとするのでしょうか?

  神の御言葉には、「愚かな者は心のうちに、『神はない』と言う!」とあります。−−詩篇14篇1節  共産主義は、神を全く信じないと主張し、いわゆる無神論者の多くも口先では、「神はいない」と語りますが、私達の住むこの大いなる宇宙の背後に創造主などいないと心の内で信じているのは、全くの愚か者、本当の馬鹿だけなのです!

  しかし、マルクスは馬鹿ではなく、神は実在すると知っていたのですが、彼は神を憎み、神に反抗し、神が人々に対して持っている影響力や権威を破壊しようと決意していたのです! 「天において治める者に復讐してやりたいものだ!」 これはマルクス自身の言葉です!

 

  珍しく心情を吐露した詩の一節の中で、マルクスはこう書いています。

 「私は天国を放棄した

  そのことは百も承知だ。

  かつては神に

    誠を尽くしたわが魂

  だが、私は地獄を選んだ!」

 

  イエスは、神が人に与えられた最も大切な戒めは、「心を尽くして神を愛し、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛する」ことだと言われました。−−マタイ22章37-39節  マルクスと彼の信奉者達はそれと全く正反対のことを宣べ伝え、実践したのです!   マルクスの親友であり、同志であったマッツィーニはこう記しました。「カール・マルクスは破壊的な精神の持ち主だった。彼の心は、同胞に対する愛というよりはむしろ憎悪ではちきれんばかりだった!」

  マルクスの献身的な弟子であり、1917年のロシヤ革命を率い、世界初のマルクス主義政体を確立したウラジミール・レーニンは、その師であるマルクス同様、神や信仰に対して憎悪を抱いていました。レーニンはこう言っています。「宗教は人類の阿片である!あるいは、宗教は人間の精神にとって、ジンのようなものであって、資本主義の奴隷達は、それに酔いしれて、まともな人間らしい暮らしをする権利を主張することも忘れてしまう。従って、当然ながら、マルクス主義は無神論を信奉し、無神論とマルクス主義は切っても切り離すことができない!」

  イエスは愛に生き、愛を教えられました。「わたしの戒めは、これである。あなたがたは互いに愛し合いなさい! 互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしに従う者であることを、すべての人が知るであろう!」−−ヨハネ15章12節、13章35節

  レーニンはこう書いています。「われわれは憎まねばならない! 憎しみこそ共産主義の基盤なのだ! もし親がクリスチャンであるならば、子供たちは親を憎むように教えられなければならない!」

  聖書は、「神は愛」であり、「永遠の命とは、神がつかわされたイエス・キリストを知ることである」と私達に教えています。−−第一ヨハネ4章8節、ヨハネ17章3節 信者達にとって、一番素晴らしい最高の経験とは、主と主の愛を見つけ、それを知り、主の素晴らしい愛と、救いという贈り物を他の人達に分け与えることです。

  しかし、レーニンはこう告げます。「いかなるものであれ、宗教的な考え方をすることは、また神という概念をもて遊ぶことさえ、言語に絶するほど卑しむべきことである! 神という概念を容認するのは、自らを堕落させる最悪の方法である!」この発言からも、世界中のすべての「プロレタリアートによる独裁政権」が真のクリスチャンを弾圧し、迫害する理由がわかります! 倒錯し、憎悪に満ち、反神的な、共産主義の創始者達は、共産主義を信奉する者達に、神の愛について、また永遠の命という希望について考えることさえ「言語に絶するほど卑しむべきことだ」と見なすように教えたのです!

  今日の共産主義者の多くは、自分達は寛容な心を持っていて、今はキリスト教に対してもっと寛大で、「ひらけた」ものの考え方をしていると言うかもしれませんが、彼らのしてきたことは、彼らが相も変わらず反キリスト的である事を再三再四に渡って証明してきたのです! 神の存在を認めない当局に対してキリストを否むよりは、むしろブルガリヤの強制収容所で13年間を過ごす事の方を選んだ、有名な牧師ハーラン・ポポフは、著書「信仰のゆえに拷問されて」の中でこう警告しています。

  「共産主義者は、権力を握っていない時には、意図的に、気の合った協調的で温和な者を装う。しかし、彼らに権力を握らせると、その本性が現れる! 東欧の刑務所には、共産主義が単なる『諸政党の一つ』に過ぎないと思って、それを黙認し、後になって投獄され処刑された人達が数え切れないほどいる。世界の人々よ、用心せよ!」

  ソビエト連邦の元指導者ニキタ・フルシチョフは、こう言いました。「我々がほほ笑むのを見て、我々がマルクス、エンゲルス、そしてレーニンの教義を破棄したと考えるのは、大間違いだ。我々がそうするのを待ち望む者達は、エビが口笛を吹くようになるまで待たなければならない!」

  また、ローマ法王、ピウス11世はこう警告しています。「信仰や文化が確立されている国々においては、共産主義者はしばしば、共産主義が権力の座についても、非常に温和な政策をとり、宗教の実践には干渉せず、思想の自由も尊重すると偽り、それを人々に信じさせようとする。

  兄弟よ、信仰ある者達が欺かれてしまわないように気をつけなさい! 共産主義は本質的に間違っている。だから、キリスト教国を残したいと思うなら、いかなる条件の下であろうと共産主義と協調してはならない! 欺かれて共産主義の勝利に手を貸すようなことをする者達は、その過ちの最初の犠牲者となるであろう!」

  真のキリスト教と神を認めない共産主義の無神論との際立った違いは、一見して明らかです。だから、分別のある人なら誰でも、「誠実なクリスチャンに、一体どうしてそのような反キリスト的で神を否定する体制を容認する事などできるのか、いわんや、それをおおっぴらに支援するなどどうしてできるのだろうか。」と首をかしげてしまうに違いありません!聖書は、「実を結ばない闇のわざに加わらないで、むしろ、それを暴露しなさい!」と私達に告げています! −−エペソ5章11節

  「あなたがたの仕える者を、今日、選びなさい!−−主が神ならば、主に仕えなさい!−−しかしバアル (サタンと、神に敵対する共産主義) があなたの神ならば、その神に仕えなさい!−−ただし、わたしとわたしの家とは、共に主に仕えます!」−−ヨシュア24章15節、列王紀上18章21節

  あなたはどうでしょうか?

 

イエス? それともマルクス?