宝 P.634-648

 

行ってみよう、

この世界の外に!

−−5次元に行こう!

−−霊の世界を見てみよう!

 

  現代の教会に通うクリスチャンや、牧師や、聖書を教えている人々は、霊の世界についてなかなか取り上げたがりません。というのも、そういった人々は、霊の世界の話というと、心霊術あるいは降霊術と呼ばれるものとあまりにも似通っており、また、天使や他界した聖徒達を話題に出すのは、幽霊について話すことや、聖書で神が厳しく反対しておられる、悪霊や悪鬼と何らかのかかわりを持つことのように感じるからです! しかし、聖書で、悪い霊とかかわることをとがめているからといって、それは、私達が神ご自身の住まわれる素晴らしい天国的な霊の世界の存在を無視したり、それについて無知でいて、全く知ろうともしないでいるべきだということではありません。神の霊の世界では、神ご自身が、御子イエスと聖霊、すべての神の御使い達や、神を信じる人々に仕える霊達、そして、何億にも及ぶ、他界して霊の存在となった良い人々と共に、住まわれているのです!

  私達は、神の霊の素晴らしい世界について、全く無知のままでいるべきではありません。神の霊の世界は、実在する全く現実の世界であって、それは永遠に限りなく続く世界、霊の領域、天国という次元、5次元の世界、スリルと興奮と驚異と栄光に満ちた、素晴らしい、目には見えない霊の世界です! 目には見えないと言うのは、人間の肉眼では見えないという意味です。−−第一コリント2:14。

  現代風の信仰の薄い牧師などよりも、今日の多くの科学者の方がよほど、霊の世界の存在を信じているようで、ESP(超感覚的知覚)や、テレパシーや、デジャブー(一度も実際に訪れたことのない場所なのに、その場所について記憶が残っていること) などについて語っています。科学者はもはやこれらの存在を否定することはできません。これらの事は、実際の体験や実験によって証明されており、まぎれもなく現実のものであることがわかったからです! 科学者はまた、別の次元、別の世界が、私達の生きているこの世界と共存し、私達の世界を取り巻いているということですら、科学的に言えば可能であると言っています!

  現代人の多く、特に真理を探し求める若い世代は霊の世界が現実のもので、神も悪魔も現実に存在するいうことに気づき始めています。純粋に霊的な事や真の宗教、及び、超自然的、奇跡的な体験を求めて、麻薬を使ったり、古代の神秘主義や、霊の世界に興味を抱く若者達が数多くいるのです。非常に多くの人達が、LSDやその他の幻覚誘発性の麻薬を飲んだ際に、想像を絶するような体験、時には身の毛もよだつような体験をするのは、彼らが実際に様々な霊や悪鬼を見たり、この世界とは違う霊の次元をかいま見るからです! しかし、それは子供が火遊びをしているようなものです! 主の保護なしに霊の世界に入り込むことは、非常に危険なことなのです!

  それでは、神秘のベールに包まれ、人間の目には見えない、霊の世界に住む様々な者達を見てみる事にしましょう。では、まず神から始めることにします。

 

万能の神!

  イエスは「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。」と私達に言われました。−−ヨハネ4:24。神は、全知全能で、あらゆる所に存在し、あらゆるものの内におられ、すべてのものを取り巻いておられます。至る所におられるのです! 神は、「天も、いと高き天もわたしを入れることはできない!」と言われます。−−列王紀上8:27。神は、地球よりも、私達の太陽系よりも、また銀河系よりも、さらにはこの宇宙全体よりも大きいのです! だから、「神の家」と呼ばれている物、つまり、人が造ったつまらぬ聖堂や教会の建物などに、神が入りきれるわけがありません! 神は万物の内におられ、神はすべてです! 私達人間の、限られた知力や理解をはるかに越えた方なのです!

  聖書はまた、ヘブル12:9の中で、神のことを「すべての霊の父」とも呼んでいます。そして、民数記16:22と27:16では「すべての霊の神」と言っています。ですから、神は霊なる神であって、霊の領域に住まわれ、その霊の領域において、人間がほとんどと言っていいほど目にすることのない舞台裏の働きをされ、すべてのことを指揮しておられます。

  私達は普通、神を人間のような姿をした存在として考えますが、それは、聖書において、一人の人物のように表現する以外に、神を簡単に言い表す方法がないからです。そのようにするのでなかったら、私達にとって神は全くつかみどころのない存在となってしまいます。しかし、明らかに、神は私達のような単なる人間ではありません。神は、宇宙をつかさどる力、愛という力の源であり、ある意味では、すべてであって、あらゆる場所におられるのです。

  聖書にあるように単なる土くれに過ぎない人間である私達が、一体どうやって、この宇宙の永遠の支配者である神を表現したり、頭に描いたり、理解したりできるというのでしょうか? 人はどうやって愛を描くというのでしょうか? 私達がこのような抽象的な概念を把握するには、それらを擬人化したり、人格化したり、象徴的に現すことによって、具体的な形にしなければなりません。聖書が神を人格化し、私達がもっとよく理解できる、愛情深い父親のような存在として描写しているのも、それが理由なのです。

  神は、私達すべてを創造して下さった、宇宙をつかさどる大いなる力、導く光です。そして、優しい父親のような創造主である神は、愛と生命と自由と幸福とを求める私達の切なる願いをかなえるという素晴らしい計画を私達のために持っておられます!

  聖書は、「神は霊である」と言っているだけではなく、「神は愛である」とも言っています!−−第一ヨハネ4:8。 ですから、神は、愛の霊です。そして、神は、どのようにその愛を私達に示して下さったのでしょうか? 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである!」−−ヨハネ3:16。

 

神の御子

  神は、ご自身を人間の姿で現して、神ご自身がどのような方であるかを私達に示すために、御子イエスを世に遣わされました。神は、ご自身を、私達人間が理解できるレベルにまで下げて下さったのです。というわけで、ご自身がどのような方であるかを私達に示すために、神は、ある意味では、イエスを、5次元から私達の目に見える次元へと下げて下さいました! そのおかげで、私達は神を、神の御子イエスの内に見ることができるようになったのです!

  イエスは言われました。「わたしと父とは一つである。」−−ヨハネ10:30。 人間の肉体を持ってこの地上に生まれる前、イエスは天国で父なる神と共におられ、神と非常に親しい交わりをもっておられたのですが、イエスは、この地上におられたしばらくの間、その父子の交わりを放棄しなければなりませんでした。「初めに言(ことば−−イエスのこと)があった。言は神と共にあった。言は神であった‥‥そして言は肉体となり、私達の内に宿った。」−−ヨハネ1:1,14。神は霊なので、肉眼では見ることができませんが、イエスは、地上に来られ、人となることによって「見えない神の形」になられたのでした。「キリストにこそ、満ち満ちている一切の神の徳がかたちを取って宿っている」からです。−−コロサイ1:15、2:9。

  イエスは、私達に神の愛を示し、私達の罪のために、十字架の上で私達に代わって死ぬため、私達のこの低い地上の次元へとやって来られたのでした。しかし、イエスは、天国の宮殿を永久に去って、この地上に永遠にとどまられたわけではありません! そして、十字架の死以来、ずっと墓で眠ったままでおられたわけでもありません! イエスは、よみがえられたのです! そして、復活の時に姿が変わり、今では、栄光と力に満ちた不朽のからだで、永遠に生きておられます! (この詳細に関しては、黙示録1:13-18を読んで下さい。) イエスは今では、「天にあって大能者の御座の右に座し」ておられるのです。−−ヘブル8:1。 (21ページの「すべての恋人の中で最高の恋人!」も参照。)

 

聖霊!

  三位一体の第三番目の存在、そして、おそらく最も謎に包まれているのは、聖霊です。イエスは、地上を去られる少し前に、弟子達にこう告げられました。「わたしが去って行くのは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主は来ないであろう。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう!」−−ヨハネ16:7,13。

  神のコミュニケーション・システムにおいては、何らかの理由で、イエスは神の右の座にいなくてはなりません。そこは、コミュニケーション本部であり、父の王座であり、いわば主要な放送局や、情報処理センターや、中央コミュニケーション・センターといった役割をしているところですが、そこでは、神の力が、神の聖霊の素晴らしい力とコミュニケーションを通じて、私達全員に平等かつ公平に、しかも同時に達するように、キリストが直接指揮しなくてはいけないのです!

  イエスは、イエスを受け入れ、信じるようになった、すべての時代のおびただしい数の人々にご自分の聖霊を送るために、ほんの少数であるの弟子達のもとを去らなければなりませんでした! イエスが、人間として、ごく少数の者達と共に生活するのをやめられた理由は、ご自身の貴い聖霊の偉大なる力によって、私達すべての者達と共にいるため、すなわち、すべての時代を通じて生まれ変わりの体験をした何千万、あるいは、何億、何十億にものぼる、膨大な数のご自身の子供達と共にいるためだったのです! イエスが肉体を持ち、目に見える姿でおられた時には、それは決してできないことでした!

  これは、多くの人を驚かしているのですが、もう一つの驚異的な事実は、聖書の中で、聖霊が女性として描写されていることです! 慰めを与える愛の御霊、三位一体の中の母親的存在として描かれているのです。聖書の一番初めの書である創世記の1章、すなわち天地創造についての章には、こう書いてあります。「神はまた言われた。『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造ろう。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された!」−−創世記1:26,27。 ここで、私達には、父である神が、明らかに誰かと語っておられることがわかります。「われわれ」のかたちに、「われわれ」にかたどって人を造ろうと言っておられるからです。それから、「われわれのかたち」や「われわれにかたどって」造るとはどのようなことかを示すために、こう書いてあります。「すなわち、男と女とに創造された!」ですから、明らかに、神の三位一体の一人は女性であるに違いありません!そして、父である神と、その息子であるイエスは間違いなく男性です。となると、その三位一体の内で、女性となり得るのは誰でしょうか? 他ならぬ聖霊です!

  聖霊が女性として描かれていることの明確な裏付けは、聖書の箴言の中にもあります。そこでは、神の霊が「知恵」と記されていて、このように書かれています。「知恵は呼ばわらないのか、悟りは声を上げないのか。彼女 (訳注‥‥日本語ではそう書かれていないものの、原典のヘブル語で女性形を使ってあるので、英語の聖書もsheが使われています)は呼ばわって言う、『人々よ、わたしはあなたがたに呼ばわり、声をあげて人の子らを呼ぶ。聞け、わたしは高貴な事を語り、わが唇は、正しい事を語り出す。わが口は真実を述べる! 主がその昔そのわざをなし始められる前に、そのわざの初めから、わたしを得ておられた。いにしえの、地のなかった時、初めにわたしは立てられた! 神が天を造り、また地の基を定められた時、わたしはそこにいた。わたしは、そのかたわらにあって、日々に喜び、常にその前に楽しんだ!」−−箴言8章。

  勿論、神ご自身と同じように、聖霊も霊です。それが聖書では、人の姿を持っているかのように描写されているに過ぎません。そしてこの場合には、女性として記されており、三位一体の中の母親のような存在として描かれているのです。それは、神が父親のような存在として描かれているのと同じですが、必ずしも、実際に神が、多くの画家達が描いてきた絵のような方、つまり、長い白髪で、長く白い髭をたくわえた老人のような方というわけではありません。同様に、聖霊もまた実際の女性であるというわけではありません。これらは単に、霊を、象徴的に、わかりやすく描いたものであって、私達が、天の父とその貴い愛の聖霊を人間のような姿をした存在として考え、私達の限られた子供じみた理解力でも、神や聖霊を理解しやすくするためのものなのです! しかし、厳密に、神学的見地から言えば、イエスだけが、私達のような実際のからだを持っておられるのです!(聖霊についてより深く知るには、281ページの「愛の御霊!」を読んで下さい。)

 

御使いたち!

  霊の世界には、父なる神と、御子イエス、そして聖霊の他に、神に仕える実におびただしい数の霊たちも存在しています。聖書には、神の天の軍勢について、私達にこのように尋ねている箇所があります。「御使い(みつかい)たちはすべて仕える霊であって、救いを受け継ぐべき人に奉仕するために、つかわされたものではないか?」−−ヘブル1:14。全くその通りです! 「天使」、すなわち御使いという言葉は、「使い」、すなわち「メッセンジャー」という意味であって、御使い達はしばしば、聖書の中で、人に仕えたり、天国からのメッセージを告げたりすると言われています。御使いは、普通は目に見えませんが、時には、目に見える人間の形となって現れ、しばしば、私達が気づかない内に、私達の間を歩いていたりすることもあります!−−創世記19:1-2、士師記6:11-22、13:2-21、ヘブル13:2。

  御使いというのは、強力で決して滅びることのない霊的な存在であり(詩篇103:20、第二ペテロ2:11前半)、天地の創造の時にもいました。(ヨブ38:4-7)そして、主は、人を見守り、保護するために (列王記下6:15-18)、また、主の子供達に仕えるために、御使いを任命されたのです! 私達を見守り、絶えず保護してくれている、主の御使い達を神に感謝しましょう。その中には、あなたを守ることを自分の任務としている守護天使さえいるのです!

  「主の使いは主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる! 主はあなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で、あなたを守られる。彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。神は、御使いたちを霊とし、ご自分に使える者たちを炎、すなわち仕える霊とされる。」 −−詩篇34:7、91:11,12、104:4、ヘブル1:7,14。

 

他界した聖徒たちと聖なる霊たち!

  聖書の中には、天使ではなく、以前にこの世で生き、神に仕えていたけれども、死んで霊となった人達が、預言者あるいは神の人に神からのメッセージを伝えるためのメッセンジャーとしてつかわされた例がいくつか出てきます! 一つ例をあげると、死んだ預言者サムエルは、主からのメッセージを告げるために、サウル王のもとに現れました!−−サムエル記上28:13-20。

  黙示録の中で、使徒ヨハネは、「仕える霊」が彼に示した、神からの非常に大きな奥義に驚愕しましたが、彼は次のように書いています。「わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使いの足元にひれ伏して拝そうとすると、彼は言った、『そのようなことをしてはいけない。わたしはあなたやあなたの兄弟である預言者たちと同じしもべ仲間である。ただ神だけを拝しなさい!」−−黙示録22:8,9。ヨハネが「御使い」だと思ったメッセンジャーは、実際は御使いではなく、超自然的な霊のからだを持つ、他界した預言者だったのです!

  二人の他界した聖徒が、神の御子であるイエスのもとに現れたことすらありました! 聖書には、イエスの十字架での死の少し前に、「イエスは祈るために山に登られた。祈っておられる間に、み顔の様が変わり、み衣がまばゆいほどに白く輝いた。すると見よ、二人の人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、イエスが遂げようとされていた最期について話していたのである。」とあります。−−ルカ9:28-33。 これら二人の以前の預言者、モーセとエリヤは、この事の起こる何百年も前にこの世を去った人達でしたが、それでも神は、ご自身の御子と話しをし、彼を慰めるために、その二人をつかわされたのでした! ですから、神は、この世からすでに他界したご自分のしもべたちをつかわして、まだこの世界にいる私達に仕えさせ、助けさせることができるし、実際にそうなさるのです!

  聖霊は、神の子供達を導き、案内するために、聖なる霊たち、すなわち、他界した聖徒の霊を用いるのです。事実、聖霊によるバプテスマによって力を授けられた私達一人一人には、こういった霊たちが一人かそれ以上あてがわれていると、私は信じています。神の聖霊に満たされると同時に、私達は、特定の賜物を持つ、良い霊たちをも受け入れます。だからこそ、 第一コリント12:2-11に記されているような「御霊の賜物」があるのです。神は、これらの霊たちを、メッセージを伝えるためだけではなく、私達が聖霊を受け入れる時に、私達一人一人に特定の霊の賜物を与えるための仲介者として用いられるのです。

  このことから、例えば、人が異言の賜物を受けることについても容易に理解できます。異言というのは、一度も学んだことのない言語を流暢に話す能力です。神は、他界した聖徒達の霊に、あなたを通して、別の言語、すなわち、その特定の他界した聖徒の母国語を語らせるのです。パウロは、「たとい私が、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても」と言った時、このことを意味していたのです。−−第一コリント13:1。

   これらの他界した霊たちこそ、パウロがヘブル12:1で、私達のまわりを取り巻く「雲のような証人」と語っている人達です! そして彼らは、たった今、私達を取り巻いています! 「私達はこのような多くの証人に雲のように囲まれているのである!」 ですから、神の聖霊と、私達を助けてくれている、これらすべての神の良い霊たちを神に感謝しましょう!

  主は、イエスを受け入れて新しく生まれたご自身の子供達を、この素晴らしい霊の世界に歓迎し、招待しておられ、聖書の中でこう言っておられます。「あなたがたの近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、新しい契約の仲保者イエスである。」−−ヘブル12:22-24。ハレルヤ!

 

サタン、堕落した大天使

  残念なことに、霊の世界には、私達があまり話題に出したくない暗い面もあります。あまり話したくない理由は、人々がそれについて語ると、敵である悪魔に、あまりにも多くの栄光を与えてしまいがちだからです。しかし、神の御言葉は、悪魔の策略に無知でいてはならないと警告しています。−−第二コリント2:11。悪魔も悪霊もいない、悪などというものも存在しないと言って、その事実を無視しようとしても、何の役にも立ちません! ことに、神の書である聖書が、そのような悪霊たちや邪悪な霊の軍勢に対して明確に警告を与えておられるなら、なおさらです。

  これらの邪悪な霊の軍勢は、堕落した大天使であるサタンが率いています。聖書はサタンを、「悪霊のかしらベルゼブル」と呼んでおり、(マタイ12:24) また、「この世の神」であるとも言っています。−−第二コリント4:4。(ルカ4:5-7も読んで下さい。) ユダは、サタンの邪悪な軍勢を、「自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使いたち」と語っています。−−ユダの手紙第6節。

  実はサタンは、悪魔になる前には、ルシファーと呼ばれ、光をかかげる者で、天使の中でも最も力のある天使でした! サタンは、神の右腕となって働いていたのです! そして宇宙を支配し、神に次ぐ第二の地位にありました! ところがサタンは、その地位では満足せず、光をかかげる者ではなしに、光そのものになることを、つまり神になることを望んだのです! しかし、そのような高慢さのゆえに、神に逆らって立ったサタンは、結局のところ、すべてを失ってしまったのでした! サタンは、神になりたかったのです! 権力に対する欲望から、自ら堕落の道を選んだのでした! サタンの堕落については、イザヤ14:12-15とエゼキエル28:13-17を読んで下さい。

  御使いの軍勢の大半が、サタンの反抗に反対しているのは明らかです。というのは、大患難の始まりにサタンがついに天国から追放される時(マタイ24:21、黙示録12:4)、 サタンが引き連れて行くのは、御使いの3分の1だけだからです! ですから、神に感謝することに、サタンとその悪霊どもは小数派です!

  神やイエスや聖霊とは違い、悪魔はどこにでも存在可能なわけではありません。悪魔の行動範囲には制限があります。悪魔は単なる神の創造物の一つに過ぎず、一度に一つの場所にしかいることができないのです。ですから、悪魔はその世界規模の悪巧みのほとんどを、悪霊ども、すなわち堕落した御使いたちを通して行わねばなりません。そして、これらの邪悪な霊たちを通して、世界の大部分をまんまと支配しているのです。(ダニエル書10章及びルカ4:5-7を読んで下さい。)

  サタンとその悪霊たちの軍勢は、神の光の国へ魂を勝ち取るという主のご計画と仕事を、何とか妨げ、阻止しようと躍起になっています。それゆえ、私達、それにすべての活動的なクリスチャン達は、サタンとその憎むべき悪霊どもと、絶え間なき交戦状態にあるのです。「私達の戦いは血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである!」−−エペソ6:12。

  しかし私達には、サタンやそのすべての軍勢を恐れるべき理由など何ひとつありません。サタンはすでに、十字架上のキリストによって打ち負かされているからです(第一ヨハネ3:8)。 そして、イエスの御名によって、私達には、悪魔にまさる絶対的な力と権限があります! イエスは私達にこう言われました。「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害を及ぼす者は全くいないであろう。」−−ルカ10:19。 (日々の食物 No.28 10ページの「いかにして悪魔と戦うか!」も参照。)

 

亡霊、幽霊、惑わす霊!

  他界した神の聖徒達が死ぬと、良い霊となって、霊の世界で引き続き神に仕えるのですが、主の救いなしに死んで行く人達もまた何十億といます。まもなく出版される「宝」に入っている読み物、「天国と地獄とその中間」に書かれているように、そのような人々は、死んですぐ地獄に行くのではなく、目には見えない霊の世界の、幽霊たちがとどまる場所、「黄泉(よみ)」において、最終的な裁きを待つのです!

  そういった霊の中には、生前に悪い行いをし、邪悪な生き方をしたために、自分が死んだ場所や、住んでいた家にとどまって苦しみを味わうよう定められている霊たちもいます。昔から、幽霊屋敷で実際に幽霊を見たという話はよく聞きます。悪い幽霊も存在しますが、必ずしも全部がそうではありません。ただ罰として、自分が閉じ込められた場所を離れることのできない幽霊もいるのです。

  しかし、他界した人間の霊の中には、全く邪悪な霊もいます! それらの霊は、神に敵対し、悪魔に仕え、この世においてのみならず、死んだ後も、サタンに引き続き仕えて、悪をなす者たちです! 聖書が次のように私達に警告しているのは、そのためです。「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、試しなさい(テストしなさい)。多くの偽預言者 (の霊ども) が世に出てきているからである。」−−第一ヨハネ4:1-4。 これらは、「惑わす霊」などと呼ばれているもので、これらに対して、聖書ははっきりと警告しているのです!−−第一テモテ4:1、使徒行伝16:16、レビ記20:6,27、 申命記18:10-12。もしそれらの霊が、イエス・キリストは神の御子で、人間の姿をして来られたと、躊躇せずに認めることをしないなら、それらの霊を叱責し、何のかかわりも持たないようにしなければなりません!

  また、主を愛するクリスチャンは、占いや妖術や魔術やオカルトにかかわったり、魔法に興味を持ったり、降霊会のようなものに参加したり、未来を知るために「占い」をしたり、こっくり板などに面白半分で手を出したりなど決してすべきではありません。これらのものはすべて、悪魔が入り込むすきとなり、その結果として、悪魔に取りつかれてしまうこともありうるからです。(もしあなたが救われていないなら。)あるいは、少なくとも、汚れた霊があなたにつきまとったり、絶えず話しかけてきて、あなたを悩ましたりすることになるのです。催眠術では、自分の意志や霊を他の人のコントロール下に置くことになるし、いわゆる「超越瞑想」においても、自分の思いが霊的な影響を非常に受けやすい状態になるので、それらはいずれも非常に危険なものです! 救われた神の子である私達は、神の聖霊に満たされ、キリストの光の王国に満足しているべきであり、何であれ、霊的に悪い影響を与える疑いのあるものに、遊び半分に手を出したり、興味を抱いたりすることによって、「悪魔に機会を与える」べきではありません。−−エペソ4:27。

 

天の協議会並びに裁判

  神が宇宙の政府をどのように運営されるかを完全に理解するのは、私達の理解力をはるかに越えたことですが、私達は、ヨブ1:6、列王紀上22:19-22、 及び他の章句によって、神がある種の天の協議会、いわば報告会のようなものを開かれるということは知っています。裁判がなされ、それにおいては、イエスご自身が弁護する者と呼ばれており(イザヤ9:6、ローマ8:34)、サタンは、「聖徒を訴える者」と呼ばれています。−−黙示録12:10、ヨブ1:9-11、2:4-5。

  これらの裁判において、神は、検察側と弁護側の双方から、訴えや証言を聞き出し、それに従って裁きを下されるようです。ここで言っているのは、黙示録20:11-12に出てくる、大いなる最後の審判のことだけではありません。主は今でも裁判を行っておられ、ヨブや他の者たちに対して行われたように、今生きている者たちを裁いておられるのです。

  また私達は、神がご自身の主要な相談役や霊、及び御使いたちを呼んで、様々な状況に関する彼らの意見や助言を求めることも知っています。神は、彼らの様々な意見や提案に耳を傾けた上で、最終的な裁きや決断を下されるのです!−−列王紀上22:19-22、ヨブ1:6-12など。

  これらの裁判において、悪魔は、私達の事を神に訴えます。神が裁判官であられ、イエスは私達の弁護士であり、悪魔は、裁判官に絶えず法律のことを思い起こさせる検事なのです。事実、悪魔というのは、この宇宙でも最も法を重んじる者です! 誰であれ法を犯す者を、神が取り締まり、罰することを願っており、あくまでも法に従って裁きを下すことを主張するのです! 悪魔は、人々に悪い事を行うようそそのかしておきながら、その後で神の王座にやって来ては、それらの者たちが悪い事をしたと非難します! 黙示録12:10、ゼカリヤ3:1、ヨブ1:9-12を読んで下さい。

  しかし、法や規則を定められた方は神であるものの、神は、私達に憐れみを示し、許しと救いを与えることを望んでおられます! 「父がその子をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えておられるからである。」−−詩篇103:13。そして、神がイエスを地上につかわされたのも、イエスが、人間であるということがどんなであるかを知って、もっと私達を深く理解し、私達に憐れみを持たれ、そのことによって、私達をとりなす方、並びに仲保者となることができるようにだったのです。イエスは、私達をかばい、私達のためにとりなしをし、神に、私達に憐れみをたれて下さるよう嘆願して下さいます。ヘブル2:17-18、4:14-16、7:25。イエスは、父の右に座し、同情と憐れみと理解とをもって、私達を弁護して下さるのです。

 

霊の世界での戦争!

  目には見えない5次元の世界で起きている、もう一つの劇的な出来事は、二つの世界の間での全面戦争です! それは、善と悪、神と悪魔、義と不義、天使と悪霊たちとの間の戦争であり、天国の良い霊と地獄の悪い霊との間の絶え間なき戦いであって、双方が、人の魂だけではなく、その肉体をも獲得しようと戦っているのです!

  先に述べたように、私達は、いつでも望む時に、おびただしい数の天の助け手たち、つまり、神の良い御使いたちと、すでに他界して主の元へと行った聖徒たちの霊の助けを借りることができます。神の御使いや聖徒達は、私達が地上で主の仕事を遂行するのを助け、私達を励ましたり、元気づけたりしているのです。そして、これも先に述べた事ですが、悪魔とそのすべての手下どもは、私達の主のための仕事に対抗して、それを邪魔し、阻止しようともくろんでいます。

  勿論、心にイエスを受け入れた私達は神の子供達であって、永遠に救われているので、悪魔は私達を自分のものであると主張することは決してできません。私達は永遠に主のものなのです! しかし悪魔は、私達が主に仕え、神の目的を果たすことを懸命に阻もうとします。そのため、霊の世界では、私達を励まし、私達に力を与えて、正しい方向に進むのを助けようとする神の良い軍勢と、私達をそそのかしたり、邪魔したりして、誤った方向に進ませようとするサタンの邪悪な軍勢とが、激しい戦闘を繰り広げています!

  私達をめぐって、霊の軍勢が戦っているのです!そして、その戦いの行方は、完全に、私達の決断、私達の進む方向にかかっています! 戦いの行方を左右するのは、天国の霊の軍勢でもなければ、地獄の霊の軍勢でもありません。それらの霊たちは、私達に味方して戦っているか、私達に敵して戦っているかのいずれかであって、私達を助けているか、邪魔しているかのどちらかに過ぎません! そのどちらの軍勢の力を解き放たせるかは、私達が何を行い、どのようにやり、何を選択するか、すなわち、私達の行うことが正しいか、間違っているかによって決まるのです!

  イエスはこう言われました。「よく言っておく、あなたがたが地上でつなぐことは天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でも皆解かれるであろう!」−−マタイ18:18。イエスは、天で解かれることは、地上でも解かれるとか、天でつながれることは、地上でもつながれるというふうには言われませんでした。天でなされる事は、私達の決断や行いによって決まるのです!

  天の軍勢が敵の地獄の軍勢と戦えるように、天の軍勢を解き放つ力を、神は他ならぬ私達に与えて下さっています! ですから、天の軍勢が何を行うかは私達次第であって、私達の決断や選択や祈りや行動にかかっているのです! 正しいことを行い、正しい選択をし、正しい方向に進んでいるなら、私達は、天の軍勢を呼んで、彼らに、私達を助けて、悪の軍勢を征服し、打ち負かすよう命じることができるのです!−−イザヤ45:11。

  しかし、もし私達が誤った選択をし、誤った方向に行き、誤った事を行うなら、天の全軍勢が私達を助けたいと思っているにもかかわらず、敵は私達を打ち負かすだけの力を持つのです! それが、霊の世界での戦争のルールなのです!

  聖書のダニエル10章を読むと、霊の世界における、目には見えない舞台裏での驚くべき事実をかいま見ることができます。その章には、神の「仕える霊」すなわち神からの使者が、非常に大切な預言のメッセージを、神の預言者ダニエルに伝える任務を受けたものの、「ペルシャの国の君」という、サタンの悪霊のかしらの一人がその使者を攻撃してきたために、その任務が遅らされたことが書いてあります。しかし、ダニエルが熱心に祈り続けたので、天の勢力がダニエルの側につき、邪魔していたこの悪霊を打ち負かすために、大天使ミカエルがつかわされました。そのおかげで、この仕える霊はダニエルに神の重要なメッセージを告げることができたのでした! (ダニエル10章を読んで下さい。)  というわけで、戦いの行方は私達にかかっており、私達がどれだけ熱心に祈るかや、喜んで「信仰の戦いを立派に戦う」気持ちを持っているかどうかにかかっているのです!−−第一テモテ6:12。

  正しい事を行い、正しい方向に進み、祈り、正しい選択をしている限り、私達は、敵を完全に征服し、打ち負かすために神が与えて下さった霊的な武器を行使することができます! 「私達の戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力のあるものである。」−−第二コリント10:4。もし私達がイエスに近くとどまり、祈り深く、従順で、主を喜ばし、最善を尽くして主に仕えているなら、聖書には、「平和の神は、サタンをすみやかに、私達の足の下に踏み砕くであろう!」とあります。−−ローマ16:20。

  神の御言葉は、私達にこう保証しています。「あなたがたのうちにいますのは(イエス)、世にある者(悪魔)よりも大いなる者なのである!」−−第一ヨハネ4:4。 ですから、私達は、サタンの取るに足らない力を恐れたり、心配するには及びません。聖霊の力によって守られているからです。聖霊の力は敵の力よりもはるかに大いなるものです! イエスと聖霊がついているなら、私達は、神の超自然的な力によって、おおわれ、守られています。それは、ちょうど私達のまわりを取り巻く、力の場のようなもので、敵はその力の場を突破することはできません! 神はそれを、「正しい者が逃れて隠れ場とする堅固なやぐら」に例えています!−−詩篇91:1-4,9,10、箴言18:10、詩篇144:2を読んで下さい。

  そういうわけですから、イエスの近くにとどまり、神の聖霊に満たされていて下さい。そうすれば、あなたには、何一つ恐れるものなどありません! 神の力強い天使と、霊の世界にいる聖徒たちがあなたを見守り、導き、あなたに天国からのメッセージを与えてくれているので、あなたは絶えず、主と緊密なコミュニケーションを取ることができます! そして、神の良い霊の世界において、素晴らしい体験をすることができるのです! ハレルヤ!

 

結論として‥‥

  多くの人々は、神の霊的な王国というものは、宇宙のはるかかなたにある、天国と呼ばれる所で、そこには死んでからでないと行けないと考えているようです! しかし、イエスご自身、「神の御国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われ、それが真実ではないことを証言されました。−−ルカ17:20,21。あなたはそこに入るのに、死ぬまで待つ必要はありません! 事実、あなたがイエスを心に受け入れ、聖霊によって満たされているのであれば、神の御国はすでに、あなたの心の中にあるのです! そしてたった今、あなたは、神ご自身がお住まいになっている、素晴らしい神の霊の世界において、胸をときめかせる光景やビジョンを見たり、音楽や声を聞いたりして、胸躍るような体験をすることができるのです!

  その素晴らしい世界では、今私達の肉眼で見える世界よりも、すべてがはるかに現実的で、はるかに美しく、永続します! 「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである! あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない! 目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた。−−そして、それを神は、御霊によって、私達に啓示して下さったのである!」−−第二コリント4:18、コロサイ3:1,2、第一コリント2:9,10。

  驚異に満ちた素晴らしい霊の世界は、すべてあなたのためのものであり、あなたも、たった今、そのスリルに満ちた世界で、最高の喜びを味わうことができます。さらには、昔の預言者達がしたように、イエスご自身の聖霊に導いてもらって、その世界を訪れることすらできるのです! 実際にそれを体験し、楽しんで下さい! 「御霊に満たされなさい!」−−エペソ5:18。御霊に満たされているなら、霊の世界を訪れても心配ありません!

  あなたは、「この世界の外」に行ってみたいですか?! では、イエスとイエスの聖霊を今すぐに受け入れて下さい! この短い祈りを祈るだけでいいのです。「イエス様、私には助けが必要です。私は自分で自分を救うことはできません。あなたは神の御子で、あなたを通して、愛情深い父である神を知ることができると聞きました。どうか、私の心に入って、すべての恐れや暗闇を追い出して下さい。そして、あなたからの贈り物である永遠の命を与えて下さい。また、私をあなたの聖霊で満たし、いつもあなたを愛し、あなたに従えるように助けて下さい! イエスのお名前で祈ります。アァメン。」