宝 P.620-624

 

歴史に見る冒険実話集!

 

音楽の力! (サムエル記上16:14-23)

 

  王の精神状態がすぐれないとの噂が、エルサレムの都中に広がっていました。サウル王は、王座に腰をすえ、殆どの間、何も言わずに、ひたすら物思いにふけっていました。すっかり意気消沈して、ふさぎ込んでいるのは、誰の目にも明らかでした。

  王は、イスラエルの敵、アマレク人(びと)との戦いで軍を率い、大勝利を収めたばかりでした。ところが、邪悪なアマレク人の持ち物を「ことごとく滅ぼせ」との主からの命令にもかかわらず、自らの判断で、その王アガグを殺さず、彼らの羊や牛や他の家畜の最も良いものも滅ぼさずに残しておくという不従順を働いたために、すっかり挫折感に襲われていました。(サムエル記上15:1-9)

  神の預言者サムエルは、サウルの目に余る不従順を知った時、サウルの失脚の知らせとも言える、この主からのメッセージをサウルに伝えたのでした。「あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられた! 主は、きょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた!」(サムエル記上15:11-29)

  この不吉なメッセージを受け取ってからのことが、聖書にはこう書いてあります。「さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました。」(サムエル記上16:14)

  サウル王の憂うつと悲しみが、はなはなだしくひどかったので、王に仕える者たちは、王の精神状態をますます心配するようになりました。共に協議した後、サウルの給仕役であるヤベズが王の所に行き、意気消沈してふさぎこんでいる自分達の主人に助けになるのではと思われる事を王に提案する役に選ばれました。

  ヤベズは、贅沢に飾り付けられた王室にゆっくりと入ると、「陛下」と、うやうやしく王に話しかけました。

  「何の用だ?」とサウルは責めるような厳しい口調で答えました。「一体何の用でわしを悩ますのか? 邪魔されるのを好まんのがわからんのか?」

  ヤベズは、自分が王のところに赴いたわけを説明しました。「陛下、陛下のこの卑しいしもべ、そして、ここに仕えておりますしもべ達は一人残らず、陛下に忠義を尽くし、心よりお仕えしております。どうかご安心下さいませ! 陛下に不愉快な思いをさせるなどもってのほかです。私共は、陛下が悪霊に悩まされておいでなのを見て、何かお役に立てればと‥‥」

  「そのようなことをぬけぬけと王に語るとは、何という無礼者か!」 そう言うや否や、サウルは、かっとなって王座から立ち上がり、槍に手を延ばそうとしました。

  「陛下、どうかご慈悲を!」 ヤベズは、おののいて床にひれ伏し、泣きすがりました。「しもべは、誰か上手に竪琴を奏でることのできる者を探せとの命令を承りたく、お願いに上がったまでのことです! その者が竪琴を奏でるなら、悪霊が離れ、ご気分も良くなられることでしょう!」

  自分の給仕役が、自分を侮辱するつもりはなく、ただ力添えになろうとしているのだということを知って、サウルは、疲れたようにどさっと王座に腰を降ろすと、ヤベズが今言ったことを、じっくり考えていました。「ふーむ」と言いつつ、「どうだろうか‥‥主のために奏でられた音楽を聞くと、悪霊が去るというのはわしも聞いたことがあるが、もしかしたら、やってみるだけの価値はあるかもしれん。」と考えていたのです。

  「そうか、では、ヤベズよ、直ちに出て行って、上手に竪琴を弾ける者を捜し出し、わしのもとに連れて来るのだ!」

  すると、別の従臣が勇気を奮って進み出て、こう言いました。「陛下、去年の事でございますが、ベツレヘムに住む母を訪ねておりました時に、私は、エッサイの子でダビデと申す少年を見ましたが、ダビデは父親の羊の群れの番をするかたわら、主に向かって琴を鳴らし、歌を歌っておりました。琴の音色とその歌声は、それはそれは美しいものでございます。きっと主がこのわらべと共におられるに違いありません。」

  この質素な羊飼いの少年の奏でる音楽が何とか助けになるのではと期待を抱いたサウルは、即座に使いをベツレヘムのエッサイのもとに送り、「羊を飼っているあなたの息子ダビデをわたしのもとによこすように。」と求めました! エッサイは、即座に言われた通りにしました。というのも、息子の一人が王の宮廷で仕えるのは、非常に名誉あることだからです。

  ダビデに会ったサウルは、すぐにダビデが気に入りました。そして、給仕役に、「その子供を王の部屋に連れて来て、わたしのために琴を弾かせよ!」と命じました。

  そこでヤベズは、ダビデをかたわらに呼び、ダビデがどうして王の宮殿に連れて来られたのか、その理由を説明しました。サウルの悩みを聞いて、ダビデは、「自分のような者が、イスラエルの王様の御前で琴を弾くなんて!?」と思いました。

  「さあ、来なさい、王がお待ちだ。王の前までわしが連れていって、どこに座ったらよいか教えてやろう。」とヤベズは言いました。ぼんやりとあかりの灯った王の部屋に入って行きながら、ダビデは、声には出さずに、心を込めて祈り、主が彼を助け、御心を行なって下さるよう求めたのでした。

  サウルはダビデに何の言葉もかけず、そこに座って、黙ってダビデを眺めていました。決まり悪く、何をしたら良いかもわからず、ヤベズの方に目をやると、ヤベズが竪琴を弾き始めるようにと合図してくれました。そこで、琴を手に取って目を閉じると、ダビデは、のどかな丘の上で、父親の羊の番をしていた時の自分の姿を思い浮かべながら、弦をかき鳴らし始めたのでした。間もなく、王室全体に、ダビデの奏でる、心休まる美しい調べが流れました。ダビデは、その曲に合わせて、「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ‥‥」(詩篇23篇)と歌ったのでした。

  王は、このベツレヘムから来た名もない子供の奏でる調べに熱心に耳を傾けるにつれて感情が高まり、リズムに合わせて、足を踏みならし始めたほどでした。突然、サウルは、自分がもう何年も経験していなかったものを感じました。それは、安らぎでした! 王は心の安らぎを感じたのです! そして悪霊が自分から離れて行ったことがわかりました!

  聖書には、こうあります。「神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴を取り、手でそれを弾くと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた!」(サムエル記上16:23)

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  これは、何と驚くべき話でしょうか。神の霊感を受けた音楽には霊的な力がある事が分かります!神の御霊によって霊感された音楽には、神の御霊が宿っているのです。そして悪魔はそれが大嫌いです。サウルの例で明らかなように、悪魔はそれに耐えることができません。サウルが、神に霊感された音楽家であるダビデが主の歌を奏で、歌うのにしっかり聴き入るや否や、悪霊は、サウルから離れました!

  しかし、悲しいことに、主からの霊感を受けた良い音楽に神の御霊が宿っているのと同様に、悪い音楽、すなわち悪魔の音楽には、サタンの霊が宿っているのです! このために、今日のいわゆるポピュラー「音楽」の多く、例えば、ハードロックや「ヘビーメタル」、「パンクロック」などのような、騒音とたいして変わりないようなものは、聴く人々に悪魔的な影響を与えるのです。この種の、汚染された音楽を聴くことは、地獄の悪鬼そのものをもてなすようなもので、あなたがそれと戦い、それを退けるのでない限り、悪い霊的な影響を受けるのは避けられません!

  医師や心理学者たちでさえ、今日のモダンミュージックの多くが若者たちに「有害な心理的影響」を及ぼしていることを認め、それについて懸念を抱いています。その影響は、特に、ディスコやロックコンサートに頻繁に出かけたり、ステレオヘッドホーンで、鼓膜が破れんばかりに、ガンガン音楽を鳴らしている若者達に見られます! かつては1時間に1万ドルから4万ドルものギャラを稼いでいたロックスターの「リトル・リチャード」は、イエスを受け入れて、悪魔の音楽をきっぱりとやめた後で、こう言っています。「ロックンロールは、感覚を麻痺させ、脳を催眠術にかけてしまう!」と。

  優秀な心理学者や医師たちの調査研究によると、てんかん持ちの人がロックを聞くと発作を起こしやすく、また、ロックがいつもかかっていると、家の中の植物が枯れてしまったり、鳥が家に近寄らなくなったりするということです! また、ロックをいつもガンガン鳴らしていることが原因で、驚くほど大勢の若者たちが聴力にひどい障害をきたしているそうです! 年々増えている殺人や自殺もまた、様々なポピュラー・ロックグループの熱狂的なファンである人々の間で頻繁に起こっていることがわかっています。それらのポピュラーなロックグループの悪魔的な音楽は、妖術や悪魔主義や、オカルトの儀式や、悪魔崇拝、その他数え切れない程多くの極悪な、神に反する行為をあからさまに奨励しているのです!

  ギャリー・ノールは、その著書“Man And HisWhole Earth”の中で、ピッツバーグ大学でなされた研究について報告しています。同大学では、ロック音楽がモルモットの神経組織に与える影響を見る実験が行われました。「2週間、20匹のモルモットを十代の若者が普通聴いている80デシベルの音量でロック音楽がひっきりなしに鳴る状況に置いたが、その結果は恐るべきものだった。モルモットの行動に著しい変化が現れ、共食いをするもの、ホモになってしまったものがあるかと思えば、あるものは生殖能力を失い、あるものは心臓発作を起こした!」

  これでは、悪魔的で、野蛮かつ残酷な、今日のいわゆる「ロック」という暴力的な騒音に巻き込まれてしまったために頭がおかしくなってしまった哀れな若者が大勢いるのも不思議ではありません! 聖書にはこうあります。「神は無秩序の神ではなく、平和の神である。」(第一コリント14:33)しかし、現代の世界の若者たちを邪道に導いている、混乱と暴力以外の何ものでもない音楽と呼ばれるものは、平和とはほど遠いものです! それは、まさに混乱を生み出した張本人であるサタン自身から来る、全くの混乱なのです!

  正しい種類の音楽に耳を傾けるのが非常に大切なのは、このためです! あなたがイエスを受け入れた神の子供であるなら、今日はやりの、物凄い騒音を立てる「音楽」でよく聞く地獄の恐怖や悪鬼の叫びとしか言えないものは、捨て去らなくてはいけません! 今日のロックミュージックによくある、太鼓を打ち鳴らすようなアフリカのジャングルから来たリズムは、あなたの頭を空っぽにし、そこに悪霊や悪鬼を入り込ませ、気を狂わせてしまいます!

  ちょうどダビデによって奏でられた神の音楽がサウルから悪霊を離れさせたのと同様に、悪魔の音楽は、悪霊どもを呼び出し、その悪霊どもは、悪魔の音楽に聴き入る者を悩まし、さらにはその人に乗り移りさえするのです! ですから、用心しなさい!

  聖書は私達に、「犬は自分の吐いたものに戻り、豚は洗われても、また、どろの中に転がって行く」ということにならないようにと警告しています。(第二ペテロ2:22) この聖句は、イエスとその素晴らしい新しい人生を見いだしたものの、結局、この世の「掃きだめ」の中に戻り、主に出会う前の、神の教えに反する生き方に戻って行ってしまった神の子供の様子をよく表しています。

  もしあなたが、真に「新しく生まれて」、「キリストにあって新しく造られたもの」であるなら、イエスとのこの新しい人生にまで、豚の泥の中の、汚く、空しいかすを引きずり込むようなことはしたくないでしょう? そして、もしあなたが、悪魔の世界に属する悪魔的な音楽に浸ることに慣れているなら、ぜひとも、あなた自身の魂のために、そのようなこの世のくずとも言えるものを捨て、後に残して来て下さい! もしあなたがまだ、その種の、精神を汚染するものに飢え、そういったものを聞きたいと思うなら、あなたは主に祈って自分の欲求を変えて下さいと求め、何かもっと健全なものを聴き始めるのです!

  美しく軽快で、神の霊にあふれた私達のファミリーのミュージック・テープを聴いてみて下さい!それはあなたに、神の御心を行いたい、神や神に従う者達を愛したい、という気持ちを起こさせることでしょう! それに反して、悪魔の音楽は、あなたにサタンの考えていることを行わせ、サタンと、悪魔に属する者達を愛するようにさせるのです! あなたは、そうしたいとは思わないでしょう? 「あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい!」(ヨシュア24:15)

  「新しき歌を主にむかって歌え。主はくすしきみわざをなされたからである! 主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引き上げて、私の足を岩(イエス!)の上に置かれた! 主はわたしに新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげる賛美の歌を、わたしの口に授けられた!」 アァメン?(詩篇98:1、40:2,3) 悪魔にではなく、神に栄光を与える美しい音楽を聴いて下さい! あなたはそうしますか?