宝 P.594-598

 

神に与える!      あなたの報酬

 

  聖書には、エリヤの時代に起こった物凄い飢饉のことが記されています。その飢饉の時、ザレパ

テの町で貧しいやもめ女が、飢えで死んでしまう前に自分と自分の息子に最後の小さなパンを焼こう

として、火をおこすためのたき木を拾っていました。しかし、神の預言者がやって来て、こう言いま

した。「まず、私のために小さいパンを焼いて、その後で、あなたとあなたの子供の分を作りなさい。

そうすれば、あなたのかめの粉は尽きず、びんの油は絶えないでしょう!」と。そして、まさにその

通りのことが起こったのでした! (列王紀上17章10-16節)

  そのやもめ女は、神と、神の宣教師である神の預言者とを優先し、まず彼に食べさせ、世話をし

てあげました。それによって、彼女は3年に及ぶ長い飢饉を奇跡的に生き延びられたのです! 彼女

のかめの粉は決して尽きることがなく、びんの油は決して絶えることがありませんでした! 3年の

飢饉の間、彼女はその同じかめの粉と、その同じびんの油を使い続けたのです!

 

  その話は、私が聖書大学に通う貧しい学生だった頃のことを思い起こさせます。当時私は、妻と二人の幼い子供達と共に、4メートルほどの小さなトレーラーの中で、みじめにも1ケ月にわずか25ドルというお金で生活していこうとしていたのでした。その時妻は、私達の持っているものがわずかであっても、もしその十分の一を納めるなら、神は祝福して下さるだろうと提案しました。

 

  僕達には1セントだって納める余裕はないよ! 全部、生活費に必要なんだから!

 

  僕達の収入では生活費だって十分まかなえないんだよ! それなのに、どうやって何かをあげるなんてことができるんだい?

 

  でも、私達がそのことについて祈り、主に尋ねてから、聖書を開いてみると、開いたところは、あのやもめが、主のさいせん箱に自分の持っていたレプタ二枚を投げ入れた話が書かれている箇所でした。イエスはこう言っておられます。

 

  「あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたのである!」 (マル

12章44節)

 

さて、私もそれには返す言葉がありませんでした!

 

  私は、生活費の十分の一を入れる余裕なんかないと言っていたのに、聖書の中では、やもめがその生活費全部を入れていたのです! そこで、私達はその次の日曜日に自分達の収入の十分の一である2ドル50セントを教会に納めました。私達はそこしか十分の一税を納める場所を知らなかったからです‥‥

 

  ‥‥そして翌日、つまり月曜の朝、私が聖書の授業に出ると、教授がこう言ったのでした。

 

  デイブ、ある人から、君に渡してくれと、これを頼まれたよ!

 

どうもありがとうございます!

 

  すごい! 20ドル札だ! 僕達の納めた額の10倍近くもある! イエスよ、感謝します!

 

 

  そう、神はそのような方なのです。神は、あなたが与える以上に与えることを本当に好まれ、あな

たがどんなに多く与えても、必ずそれ以上あなたに与えて下さいます! 神はいつも、あなたが与える

よりも、ずっとずっと多く与えて下さるのです。あなたが正しい心で与えるなら、神が与えて下さる以

上にあなたが与えることは決してありません。宮があの貧しいやもめの僅かなお金を必要としていたか

どうかさえ私には確かではありませんが、神はそれでもやはり彼女の犠牲を称えられたのです。

 

  よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人達の中で、誰よりも沢山入れたのだ。みんなの者は、あり余る中から投げ入れた。

 

しかし、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたのである!

 (マルコ12章41−44節)

 

  だから、たとえ生活費全部を投げ入れたとしても、それでも損にはならないのです。神がそのこと

のゆえにあなたを祝福して下さるからです。もし、あなたの動機が正しく、誠意をもって純粋な目的で

与えるのなら、神はそれを祝福して下さり、そのことのゆえにあなたを称え、栄えさせて下さるのです。

  これは神の約束です! 神は、「十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわた

しを試み、わたしが天の窓を開いて、入りきれないくらいのあふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否か

を見なさい。」と言われます! (マラキ3章10節)−−「まず神の国を求めなさい。そうすれば、これら

他のものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6章33節)

 

  神があなたに返報して下さいます! 「かかった費用が幾らでも、わたしが支払います。」誰が

こう言ったか覚えていますか? この言葉は、良きサマリヤ人についての、あの素晴らしい物語の中

にあります。このサマリヤ人は、強盗どもに襲われ、殴られた哀れな人を道端で見つけたので、彼を

起こし、宿屋に連れて行き、宿屋の主人に、「かかった費用は幾らでも、わたしが支払います。」と

告げたのです。(ルカ10章30-37節) そして実のところ、その良きサマリヤ人とは、一体誰だったので

しょうか? 良きサマリヤ人は、実は主だったのであり、宿屋の主人は、あなたや私のような、主の

家令なのです! そして、これらの人々を助け出し、魂を救うためにどれだけ代価がかかっても、主

はそれより多くを返して下さるのです!

  だからあなたは、神と神の仕事に与えても、本当に犠牲を払っているわけではないということを知るようになると思います! あなたがしているのは投資であって、あなたが投資したのをはるかに上回るものが返ってくるのです!

 

かかった費用は幾らでも、わたしが支払います!

 

わかりました。良く世話してさしあげましょう!

 

 

  だから、岩なるキリスト・イエスと、神の御仕事に投資しなさい。そうすれば、神の御仕事に投資したものから、決して失うことなく、いつまでも刈り取るようになる永遠の配当を受け取るようになるでしょう! 神をほめたたえよ!

 

  そして、神はその事のゆえにあなたを祝福され、あなたが与えたことで損害を受けることのないように、またそれから沢山の配当を得るように取り計らって下さるでしょう。つまり、最高の配当である魂を! あなたはいつまでも、あなたが与えた結果勝ち取られた、魂という永遠の報酬に預かるようになるのです!

  だから、神を何よりも優先し、神の御仕事のための十分の一を最初に取っておくのです。そうすれば、神は、あなたに豊かな祝福を与えると約束しておられます! 神は、あなたに抱えきれないほど、十二分にあなたに報い、返済し、祝福して下さるでしょう!

(マラキ3章10節) 神はそう約束されました! アァメン?