宝 P.579-583

 

死!−−私達の卒業!

「死から命に移っていく!」−−ヨハネ5:24

 

  世界でも名高いジャーナリストであり、著述家でもあるアーサー・ブリスベーンは前に、こんな光景を文章にしたことがあります。それは、毛虫の群が嘆きながら、抜け殻となったさなぎを墓地へ運んで行くところで、友を失った、かわいそうな喪服姿の毛虫達は、悲しみの涙を流していました。しかし、その上では、美しい蝶が幸せそうにひらひらと飛んでいたのです。あの地上の殻から永遠に解放されて!

  説明するまでもありませんが、ブリスベーンは、普通の葬式の様子を風刺していたのです。愛する人を失った時、そのさなぎの殻、つまり地上に残されたものだけを思い、美しい蝶のことを忘れてしまうことがいかに愚かなことかを、この描写を通して言おうとしていたのです!

  神を信じているというのは実に素晴らしいことです。愛する者が主の元に行く時、絶望の涙に浸ったり、耐えられないような深い悲しみに沈む必要はありません。もちろん、愛する人とそのような形で別れるというのは、ある意味では悲しい出来事です。しかし、あなたもその人もイエスを愛しているなら、あなたは再びその人と会うことができるとわかっています。もちろん別れは辛いかもしれませんが、その人のことを思うなら、喜んであげることができます。地上の体を持っていた時の試練や悩みから解放され、より良い人生と、より素晴らしい住まいのある所に行ったのですから!

  今、私達はこの肉体に束縛されています。けれども、この人生が終わって、私達が肉体から抜け出て霊の存在となると、この重荷がなくなるのです!ちょうど宇宙飛行士が無重力状態にいる時のように。もう重い肉体や人生の様々な問題に悩まされることもなくなります。この地上での人生という一つの学年を卒業し、永遠に続く天国の霊の世界へと進んでいくのです。−−第二コリント4:18。

  最近、幾人かの優秀な医師達が、臨床的に死んだと判断された患者が蘇生した事例を何百も報告しました。患者達は、実際に数分から30分の間、体の機能がすべて停止してしまったものの、その後で、蘇生したのです。そして、その報告によれば、何百人もの人達の体験内容には著しい共通点が見られるということです!

  ほとんどの人が、とても素晴らしい気持ちがしたと証言しています。体の重さがなくなり空中に浮かんでいるようだったと。自分が死んだことに気づいたものの、自分の魂は生きていて、神が自分のことを愛情深く世話して下さっていることがわかり、不安や悩みはすっと消えたのです。このような体験をした人のほとんどが、人生観が大きく変わったと言っています。そして、もっと優しくなり、信仰に満ち、人生に目的を持つようになりました。その人達は、自分が生き返ったのは、この人生に戻って何らかの任務を達成するという召しがあったからだと自覚しているからです。(R.A.ムーディー博士の「かいまみた死後の世界」という本には、それについて150以上の実例が載っています!)

 

私達の帰郷!

  たいていの人は死のことを話題にしたがりません。死について考えるのを好まないのです。遅かれ早かれ、死は誰にでも訪れるのですが、ほとんどの人は死を無視し、死に対して備えようとはしません。もちろん、特に若い時には、死はずっと先のことに思えるので、それについてあまり心配しません。しかし、病気や事故で突然、死に直面した時、又は年を取って死に直面した時に、もしその人が主を知らず、どのようにしたら救われるかも知らないなら、死ぬのはひどく恐ろしい経験にもなりえます! 全く知らない世界に入り込んで行くのですから!

  聖書には、「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たち」のことが記されています。−−ヘブル2:14,15。人が死を恐れるのは、ほとんどの場合、死ぬ準備ができていないからです。しかし、イエスが自分の導き手なら、死は何でもありません。怖がる必要はないのです。あなたがクリスチャンなら、死んだら天国に帰郷すると確信していて、備えができているのですから!

  生まれ変わった神の子供にとって、死とは、損失ではありません。「死ぬことは益である!」−−ピリピ1:21。「肉体から離れて、主と共に住む」のです。−−第二コリント5:8。 悩みはもうなくなります! 死ぬ際に幾らか痛みがあるかもしれませんが、死んだ後は自由になるのです! 突然、解放され、素晴らしい経験となるでしょう!

  死は、喜ばしい解放であって、それを通して私達は新しい世界、新しい人生に入るのです! 私達のこの体はとても重く、疲れたり、ケガをしたり、病気になったりします。しかし、死ぬ瞬間に、この肉体の殻から解放され、束縛のない霊の世界へと入るのです! 使徒パウロが死と直面した時、勇敢にもこう言い放ったのは、これが理由でした。「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。墓よ、おまえのとげはどこにあるのか。」−−第一コリント15:55。イエスがそのとげを取って下さったのです。私達は確かに死を経験しますが、それはとげのない死です。死んで私達は墓を通るものの、それは私達の勝利であって、墓の勝利ではありません! 主よ感謝します! それは帰郷であり、解放であり、この世から救い出されること。私達の戴冠式の日です!

  この人生の道の終わりは、私達にとって始まりにすぎません! 死別していた人達、愛していた人達と再会し、愛の神や愛する人達と共に、永遠の愛と喜びに包まれて、いつまでも幸せに暮らすことができるのです!

  主が私達に語られるこれらの言葉は、何と美しく、慰めになることでしょうか。「わたしと共に永遠に支配するため、あなたがたが、わたしの王国にきて私と一緒になる時、その日は大きな喜びの日となることだろう! あなたがたは、今まで味わったことのないほど大きな喜びに溢れ、今まで見たこともないような栄光を見、すべてのことが報われるということを知るだろう!」

  「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。そして命と愛と希望の国に、わたしの子供達と共に永遠に住むであろう。あなたがたは永遠にわたしと共にわたしの家に住む。わたしを信じる者は、いつまでも死なない。わたしは、死ぬことなく永遠に生きる者達のために場所を用意しに行った。だから、わたしを信じる者は、よみがえって、わたしの家で永遠に生きるわたしの子供達と共に、愛と希望に満たされて永遠に生きるであろう!」−−(ヨハネ11:25,26、14:1-4参照)

  昔の美しい賛美歌では、こう歌っています。

「夜が明ける時、私は別れを告げる

地上の悲しみと、今日のすべての悩みに!

神の明日には、痛みも死もない

夜が明ける時、影は去っていく!

その時、この人生の悩みは小さく見え

私達の重荷も軽くなる!

深い悲しみも、過ぎ去った夢のごとく

あの祝福された朝に、忘れ去られることだろう!

 

死後の世界−−どのようなものか!

  霊の世界は、私達には想像もつかないほど、今のこの世界と異なっているわけではありません。でないと、そこに行った時、途方に暮れてしまうことでしょうし、極端なほど異なっているなら、順応することもできないでしょう。

  神の御言葉によれば、私達は今とほとんど変わらないようです。ただ、超自然的な体、つまり主がよみがえられた時のような体を持ちます。−−ピリピ3:21、第一ヨハネ3:2。イエスは現れたり、消えたりすることができました! 想像できますか? 主は一つの次元から別の次元へと移ったり、鍵のかかっている扉や厚い壁を通り抜けることができたのです!−−ヨハネ20:19,26。

  私達のこの滅びつつある、地上の肉体は土に帰ります。この古い地上の体を、完全に新しい天国の体と交換するのです。その新しい体は、空を飛ぶことができ、私達が夢にも思わなかったような強力なパワーを持っています! 私達の新しい霊の体は、光速どころか、それよりもはるかに速い、思考速度で移動できます。ある所にいることを考えるだけで、もうその場所にいるのです!

  しかし、このような霊の体を持っているからといって、もう人間ではないということはありません。イエスがよみがえられた後にそうだったように、あなたも、現在と同じようなことができることでしょう。主は、食べたり飲んだりできました。そして、人々は主に触ったり、主を実際に見たりすることができたのです! それでもイエスの体は、奇跡的で超自然的な体、新しい復活の体でした!−−ルカ24:36-43。あなたがあなたであることには変わりありません! 外見も、さほど変わっていないでしょう。ただし、はるかに良くなるのです! そして、あなたはもっと主と直接コミュニケーションできるようになり、神の愛と、きたるべき世界を存分に満喫することでしょう!

 

死からの赦し

  多くの人は、神は残酷な暴君だと考えているようですが、実際はそうではありません。すべての人を地獄に追いやるような恐ろしい方ではないのです。そうではなく、神は憐れみ深い方で、すべての人を愛し、天国に招き入れようとされています! 「なぜなら、神は愛だからある!」−−第一ヨハネ4:8。 主はあなたを助け、救い、ご自分の愛であなたを幸せにしたがっておられます。事実、主があなたを創造されたのは、あなたが神を愛し、神を永遠に楽しむようになるためなのです。あなたが現在の人生、そして死後の人生をも楽しむためです!

  しかし悲しいことに私達は人に対して、利己的だったり、意地悪だったり、愛に欠けていたり、親切でなかったりしたことがありました。神に対してさえもそうです! 「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっている」−−ローマ3:23。私達は天国に行くにふさわしくありません! しかし、聖書にはこう書かれています。「罪の支払う報酬は死である。しかし、神の賜物はわたしたちの主、イエス・キリストにおける永遠の命である!」−−ローマ6:23。

  神の贈り物である永遠の命を受けるのは、ちょうど免罪を受けるようなものです。神は私達を深く愛しておられるがゆえにイエスを送られ、私達が自分達の罪のゆえに受けるはずだった罰を、イエスが代わりに受けて下さったのです。−−ヨハネ3:16。それでイエスは、ご自分を信じる者達に「死を味わうことはない!」と約束されたのです。−−マタイ16:28。 私達が、イエスの贈り物である永遠の命を受けるなら、霊的な死という意味ではもう死ぬことはありません。また、死んだ時に、自分が神から離れてしまうと感じて苦しむこともないでしょう。「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、死から命に移っているのである!」−−ヨハネ5:24。

  あなたがまだ心にイエスを受け入れていないのなら、今日、たった今、この簡単な祈りを祈って受け入れることができます。「主イエスよ、あなたが神の御子(みこ)で、私のために死んで下さったことを信じます。どうか私の過ちをすべて許して下さい。イエスよ、どうか私の心の中に入ってきて下さい。そしてあなたの永遠の命という贈り物を下さい! あなたを愛し、あなたのことやあなたの愛と真理を話すことによって、他の人を愛することができるように助けて下さい。−−イエスのお名前によって祈ります。」

  イエスをあなたの心に受け入れたなら、あなたは人生で最も重大な決断をしたことになります! また、死に対して最善の備えをしたことにもなります! ですから、死ぬ時がきたら、ハレルヤ! あなたはこの地上での任務を終えたのです! それはあなたの卒業となり、永遠に続く、栄光に溢れた天国へと入って、主や愛する人達と共に永遠に暮らすことでしょう! 主を知っている私達は、死んだ時に、平和と豊かさと愛に満ちた、永遠の神の天の御国で目覚めるのです!

  備えはできていますか?