宝 P.554-556

 

批判についての言葉!

 

      ──────────────── 

   地上でキリストのために傷を負う人は、天国でキリストと共に星の冠をつける。             

      ─────────────────

  神の約束は、救命具のようなもの。魂が、困難という海に沈まないようにしてくれる。

      ───────────────── 

  神よりも賢くなろうとしないよう用心しよう。神が、その言葉を書かれたのは、私達がそれに意見するためではなく、私達がそれに従うためなのだから。

    ────────────────── 

  あらゆることに批判的な人もいれば、何でも喜んで受け入れる人もいる。賢い人は、何でも、御言葉をものさしにして検討する。

 

信仰は、望みがすべて消え去ったように見える時にも、一筋の光さえない時にも、信じる。

そして、深い悲しみや、疑いや、模索は、

ただ見えるものによって歩いている者達に任せておく。

 

信仰は、神が忘れてしまわれたかに思える時にも、なお神の数々の約束に信頼しきっている。

トマスのように、弱く、疑う者になることを拒み、しるしを求めもせず、自らの運命を嘆きもしない。

信仰は、神を信じ、

ある日実現する将来の希望を忘れない。

信仰とは、あらゆる望みが、ある日実現することを、

信じて疑わない勇気。

 

  ───────────────────

 中傷も、素晴らしいことをなす。中傷されると、私達は、天の父の御腕の中に飛び込むのだ。

  ───────────────────

 

  誰かが自分に他の誰かについて話したことを

他の人に言いたい誘惑にかられたなら、

口を開く前に、三つの門にそれを通しなさい。

その三つの狭き門とは、

第一に、「それは真実だろうか?」

そして第二に、「それを話す必要があるだろうか?」この二つの問いに心の中で正直に答えなさい。

そして最後の最も狭き門は、「それを話すのは親切と言えるだろうか?」である。

以上の三つの門を通り抜け、

喉元までそれが出て来るなら、

それなら、その話をしてもよい。

どんな結果になろうとも、恐れることはない。

 

  ────────────────

 人の顔に泥を塗るようなまねをしても、自分の手が汚れるだけだ 

  ────────────────

 神の預言者は、たいてい称賛の言葉ではなく、泥を投げられる!                                

  ────────────────

  もし、あなたが大勢の人達の間で目立っているなら、花束よりは批判を受けると覚悟していなさい。

     + + +

  無視されるよりは、批判されるほうがよい。

     + + +

  一部だけ真実の言葉に気をつけなさい。あなたが聞いたのは、真実ではないほうの部分かもしれない。

     + + +

  私は誰の悪口も言わない。たとえそれが真実であったとしても。むしろ、私は人の過ちを耳にしても、それを許す。そして、折をみては、どんな人についても、私の知っている良いことばかりを話すのである。−−ベンジャミン・フランクリン

 

  ────────────────

   中傷する者と暗殺者の違いは、中傷する者は、体ではなく評判を殺すということである。 │ 

  ────────────────

 

  決して、人を、その人の敵が言うことによって判断してはいけない。

      + + +

  うわさは小切手のようなものである。本物だとはっきりするまで、それにサインしてはいけない。

      + + +

  賢い人に知り合いの人が近づいてきて、ある人についての悪口を言おうとした。すると、賢い人はゴシップを言う人に言った。「少しでもその人のことを聞く前に、まず3つの質問をしたい。第一に、その話をすることによって私に益となるかね? 第二に、それを話すことはあなたの益になるかね? 第三に、あなたが話そうと思った人にとっても益となるかね?」 言うまでもなく、悪口を言おうとした人は恥入った!

      + + +

  ゴシップは、法律によって罰せられることはないが、一種の犯罪である。

      + + +

  あなたは、愛という衣で、あなたの同僚の欠点をおおうべきである。なぜなら、あなた自身の欠点をおおうには、サーカスのテントくらい大きなのが必要かもしれないから!

 

  ────────────────

   私達が、死んでいる聖徒を賞賛し、生きている聖徒を迫害するのはなんと嘆かわしいことか!  

  ────────────────