宝 P.537-550

 

議論反対論!

 

  ある男の子が、父親にこう聞きました。「お父さん、戦争はどうやって始まるの?」「そうだな、たとえば、第一次世界大戦は、ドイツがベルギーを侵略して、始まったんだよ。」 すると、母親がこの話に割り込んできて言いました。「その子に本当のことを教えたらどうなの! 誰かが暗殺されたから戦争が始まったんでしょ!」 夫としての権威を保つために、父親は即座に言い返しました。「おいおい、この子の質問に答えているのは、俺なのか、それともお前なのか?」

  妻はプイと背を向けて、すごい勢いで部屋を出ると、ドアを思いっきりバタンと閉めました! その振動で揺れていた食器棚の皿のガチャガチャという音がやむと、重苦しい空気が漂い、その静けさを破るかのようにその男の子はこう言ったのです。「お父さん、戦争がどうやって始まるか、もう話してくれなくてもいいよ。これでよくわかったから!」

  言い争い! これは誰もが時々することです!言い合いをして、口の中がカラカラに乾き、腹わたが煮えくり返り、逆上しながらその場から去って行った後で、ひどい事を言って相手を傷つけてしまったと後悔した経験は、皆さんにもあると思います! 信じられないかもしれませんが、火事や家族の死よりも、口論が原因で家庭が崩壊する方がずっと多いのです!

  議論のために議論するというのは、全くの時間の無駄だということを私達は皆、百も承知していると思います! あれこれ言い合っても何の徳もないし、時間とエネルギーのロスで、友情まで失ってしまうのです! 口喧嘩に耳を貸すのは、隣近所の人ぐらいのものでしょう! それをして一体どんな益があるのでしょうか? ただ相手を憤慨させるだけです! では、議論または口論を避けるにはどうすればいいでしょうか? そして一旦始めてしまったなら、どのようにして止めればいいでしょうか? あるいは、もうやってしまったのなら、どうやって和解すればいいのでしょうか? ここで、こういった質問に対する答えを探してみようと思います!

 

言い争いを避けることの利点!

  ある人達は、好んで議論をします。何としてでも、自説が正しいということを証明しようとします! そのような人は友を失ってでも議論に勝とうとするのです! また、ある人達にとっては議論するのが癖になっていて、何かにつけて条件反射的に反論するのです!

  アメリカ建国当時の政治家であり、哲学者、作家でもあったベンジャミン・フランクリンも、まだ血気盛んな青年の頃、大変な議論好きという悪癖がありました。しかしある時、親友に手厳しい説教を食らったのでした。「ベン、君はどうしようもない奴だな。意見の違う相手には、まるで平手打ちを食らわせるかように議論をする! 君の友達は、君がいない方がよっぽど楽しいと思っているようだよ!君は、自分が誰よりも物知りだと思っている。だから、誰も君にものが言えなくなるんだ。事実、君と話せば不愉快になるばかりだから、もう相手にすまいとみんなが思っている! そういうわけだから、君の知識はいつまでたっても、今以上に増える見込みはない。今の取るに足りない知識以上にはね。」

  この手痛い真実の言葉を素直に受け入れたのが、ベンジャミン・フランクリンの賢く、偉大なところでした。この友人の言う通り、自分は破滅の淵に向かい、人生で大きな失敗をしているのだと悟ったあたり、彼は偉人であり、賢人だったわけです!そこで即刻、彼は回れ右をし、今までの傲慢で議論がましい態度をたちどころに捨て、アメリカ史上で最も愛され、最も賢明で、最も人扱いの上手な人の一人になったのでした。フランクリンのこの言葉はとても有名です。

  「議論したり反駁したりしている内には、相手に勝つことだってあるだろう。しかし、それは空しい勝利だ。相手の好意は絶対に勝ち取ることができないのだから!」

 

議論に勝つことはできない!

  議論には勝者などいません! 顔を真っ赤にして叫んだり、反論をしても、人は、自分で信じたいと思わない限り、あなたの言っていることが正しいと信じはしないからです! 又、相手があなたと同意したいと思っていても、あなたの声の調子のせいで、相手は自己防衛本能を起こしてしまい、あなたのほうが正しいと言ったり、あなたの言い分を少しでも認めたりするのは、まるで戦場で屈辱的な敗北をすることのように感じてしまうからです! そしてこのことを覚えていて下さい。その人が考えを変えたりなどしないぞと心に決めているのなら、どんなに意見を戦わせても、その人の心を変えることはできないということを! 議論はほとんど例外なく、双方に、やはり自分が正しかったと確信させて終わるだけだからです!

  議論には勝ちというものはありません。なぜなら、負ければ負けですし、たとえ勝っても負けだからです! なぜでしょうか? たとえ議論に勝ち、相手の論理をぼろぼろに打ち負かして、相手が全くの愚か者だと証明しても、それでどうなるのでしょうか。あなたは満足するかもしれません。しかし、相手はどんな気持ちになるでしょうか? あなたはその人に劣等感を与えてしまったのです。彼の自尊心を傷つけたのです。あなたに負けたことを根に持つかもしれません。そして、「無理矢理納得させられても

結局、意見は変わらない!」

  「ボストン・トランスクリプト紙」は前にこんな短い詩を載せたことがあります。

「ウイリアム・ジェイ、ここに眠る、

彼は右折優先なのにと言いながら死んだ!

そう、確かに彼は正しかった。

しかし今、それが間違っていたかのようにここに眠る!」

  あなたは正しいかもしれません。あなたの言っている事は全く正しいかもしれません。しかし、相手の意見は変わらず、あなたのほうが間違っている場合と何ら変わりはありません! あなたはどちらを望みますか? 学術的、論理的に議論に勝つことですか? それとも相手の好意を得ることですか?一挙両得できる場合はほとんどと言っていい程ありません!

 

議論をすることなく、

相手を自分の考えに同意させる方法!

  イソップ物語に、太陽と北風の話があります。その話の中で、議論好きの北風は太陽に向かって自分の方が力があると威張ってみせます。太陽も自分の方が力があると主張します。そこで北風はこう言いました。「わたしの方が強いというところを見せてあげようではないか! コートを着ているあの年をとった男を見なさい! あの男のコートをあなたよりも早く脱がしてみせよう!」  そこで太陽が雲の後ろに隠れると、北風はごうごうとうなり始め、たつまきまで起こるほどでした! しかし、北風が吹けば吹くほどその男はコートをしっかりと握り締めたのでした! ついに北風は精根尽きて、吹きやんでしまいました!  そこで雲に隠れていた太陽が出てきて、この年とった男にやさしくほほ笑みかけました! しばらくすると男は額の汗を拭きながらコートを脱いだのです! 憤慨したり力づくでやろうとするよりも、優しく親切な態度の方がずっと力があるということを、太陽は風に示したのでした!

  ですから、子供を叱ってばかりいる親、権力を振り回す上役や夫、口やかましい妻、こういった人達は、人というのは、たいてい自分の考えを変えたがらないということを心得ておくべきです! 無理矢理、自分の意見に同意させることはできません!けれども、優しく打ち解けた態度で話し合うなら、考えを変えさせることができます! 人の考えを変えたいなら、怒鳴り散らしたり、頭をかっかさせても効果はありません。愛と思いやりを持って対応した方が、ずっと楽に人の意見を変えることができるものです! 人に何かをさせる一番良い方法は、相手をそうしたいという気持ちにさせることです!

  デール・カーネギーは、「人を動かす」という有名な本の中で、次のような話を書いています。「ずっと前のことですが、私の講習会にパトリック・オヘアという男が参加しました。教育はないが大変議論好きな男でした! トラックのセールスマンをやってみたがうまくいかないので、私の所にきたのです。2、3質問してみると、彼は、いつも客に議論を吹っかけたり、逆らったりしていたことがわかりました。売り込もうとしているトラックにちょっとでも客がけちをつけると、ひどくいきり立ち、議論ではたいてい相手に「勝って」いたようでした。彼はこう言っていました。『相手の事務所を引きあげる時、私は、どうだ一本やり込めてやったぞ、と独り言を言ったものです。私は確かに相手をやり込めはしましたが、トラックは一台も買わせてはいなかったのです。』

  私の最初の仕事は、オヘア氏に話し方を教えることではなく、彼を黙らせ、議論をさせないようにすることでした。

  そのオヘア氏が、今ではニューヨークのホワイトモーター会社の花形セールスマンとなりました。そのやり方を、彼はこのように説明しています。『今仮に私がセールスに行って、相手から『ホワイトモーターのトラック? あれはだめだ! ただでくれてもお断りだ。買うなら○○会社のトラックにするよ。』と言われたとする。そうすると私はこう答えるのです。『ごもっともです。全く○○会社のトラックはいいですね。あれはお買いになって間違いはありませんよ。会社は立派だし、セールスマンもみな良い人ばかりですから。』

  これには相手も二の句が告げない。議論の余地がないわけです。相手が○○会社が一番だと言ったことに対して、それは全くだと答えるのだから、相手には言うことがなくなる。こちらが同意しているのに、まだその上、『○○社のが一番だ、一番だ』と言い続けるわけにはいかないでしょう。そこで私は、今度は話を変えて、ホワイトモーター社のトラックの長所について話し始めるのです。

  昔の私なら、こんなことを言われると、すぐむきになってしまって、○○社のこき下ろしを始める。私がむきになればなるほど、相手は○○社の肩を持つ。肩を持って議論し返すうちに、競争相手の製品がますます良く思えてくる。

  今考えると、あんなことでよくも商売になったものだと、我ながら不思議なくらいです。私は長年、議論と喧嘩で損をし続けていました。でも今はしっかりと口を閉じています。おかげで商売繁盛ですよ。』」

  というわけですから、他の人達に同意させたいのなら、次のことを忘れないようにしましょう。不快な議論は、相手を前から抱いていた意見に固執させるという結果しか生みません。相手に自分の意見を聞かせたいと思っているのなら、まず最初に相手の意見に耳を傾け、相手側の意見を理解しようという態度を示すことです! その後で、それとなく、相手をあなたの意見に誘導していくのです。「こうなるべきだ。いやならやめなさい」という態度で押しまくるのではなく! フランス人の数学者であり、クリスチャンの作家でもあるパスカルはこう指摘しています。「たいてい人は、他の人に言われて納得するよりも、自分で見つけた理由によって納得するものだ!」

 

議論を避けるための11の方法!

  「争いの初めは水の漏れるのに似ている。それゆえ、けんかの起こらないうちにそれをやめよ。」−−箴言17:14。

  議論に勝つ最善の方法は、ただ一つ。それは、議論を避けることだと言われています! しかし、どうしたら議論を避けられるのでしょうか? どうしたら、不必要な議論を吹っかけないようにすることができるのでしょうか? それは‥‥

  1.自分が必ずしも正しくはないことを認めること。自分は間違っているかもしれないでしょう!そして、全ての事には三方からの見方があるということを覚えていて下さい! 相手側、自分の側、そして事実です! この最後の事実というのは、相手も自分もしっかり全体的につかんでいない場合があります! 使徒パウロはこう言っています。「『わたしたちはみな知識を持っている』ことはわかっている。しかし知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。もし人が、自分は何かを知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどのことすら、まだ知っていない。」−−第一コリント8:1-2。

  2.まず、自分は事情をすべて理解しているわけではないし、間違っているかもしれないと口に出して言うこと! これは、議論を避ける確かな方法で、こう言えば、相手もあなたと同じようにオープンで公平な考えを持ちます! 相手にも、もしかしたら自分も間違っているかもしれないと言わせることができます! イエスは、「あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。」と言われました。−−マタイ5:25。つまり、不必要な議論をしないということです! 愛と思いやりを込め、知恵を働かせて話しましょう!

  誰かが何か間違っていることを言っているのなら、たとえそれが絶対に間違っていると知っていても、このように切り出してみてはどうでしょうか。「そうですか。私はそうは思わないんですが、私もよく間違っていることがありますので、そうだったら改めたいと思います。一つ、事実をよく検討してみましょうか」と。あなたが、「私は間違っているかもしれません。一つ事実をよく検討してみましょう」という魔法の言葉を使うなら、誰だって反論することはしないでしょう。

  3.相手の意見に賛成できなくても、それには賛成できないよと頭から言うべきではありません。そうではなく、「このようにやってみればどうですか?」「こうすればもっと時間を節約できると思いませんか?」といった言いかたをするのです。これは、丁寧な方法で自分の意見を述べていることになります。また同時に、それについてどう思うかと、相手にも答えを迫っていることになるのです! 試してみてはどうですか? 「そうじゃなくて、このようにしなさい!」と言い切るよりは、もっと良い結果が得られることでしょう。

  4.相手の意見を尊重しているという態度を示すこと。相手の観点を理解してあげるようにし、相手がどうしてそのように考えているのかを理解してあげるのです! 決して「あなたは間違っていますよ」と頭から言い切ることはしないように。又、間違っていると言葉に出して言わなくても、あなたの目つきや、声の調子、態度などがそう語っている場合があります。人というのは、自分が間違っているから、それじゃあ、あなたの意見に賛成しようかという気持ちになるものでしょうか? いいえ、全くその反対です! それは、ちょうど相手の判断力、プライド、自負心に矢を突き刺すようなものです!相手の反撃したいという気持ちをあおるだけで、あなたの意見に同意したいという気にはさせません!チェスターフィールド卿は息子にこのように言いました。「できるなら、相手よりも賢くありなさい。しかし、自分が相手よりも賢いとは決して口にしてはならない!」

  5.「では君に、どうしてこれこれになるのか教えてあげましょう」という前置きで話し合いを始めるのは禁物です。それは「私はあなたよりも賢いのだ! よく言い聞かせて、あなたの考えを変えてやろう!」と言っているようなもので、これはまさに挑戦です。相手に反感を抱かせ、まだ話しを始めてもいないのに議論したいという気持ちにさせます! 人に恥ずかしい思いをさせたり、見下すような態度を取らずに、常に相手にも五分の理を認めることによって、議論を避けることができます!

  6.議論を招くような言葉は使わないこと! 例えば、「そうかな?」とか、「そんなばかな!」とか「そう考えているのは、君だけだよ!」とか「嘘っぱちだよ!」「どこからそんな気違いじみた考えが出てきたんだ?」といった言葉です。

  こういった表現は、まるで議論をしましょうと言わんばかりです! ですから、あなたの日常用語からなくしてしまいなさい。そうすれば、議論で時間を無駄にすることもなくなるでしょう! 「柔らかい言葉は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りを引き起こす。」−−箴言15:1。

  7.決めつけるような言い方は避ける。たとえば、「君はいつも約束の時間に遅れる!」「あなたはいつもそんな事を言うのね!」「女はみんな感情的だ!」「男の人ってみんなそうだわ!」「みんな君がこれこれこんな人だと思っているし、僕もそう思う!」といったような言葉です。

  8.大袈裟に言ったり、いやみを言ったりしないこと! 「愛にあって真理を語りなさい。」−−エペソ4:15。話す前に祈ると非常に効果があります! 言うべきでないことを言わないでおくなら、後で言ったことを取り消す必要もありません!

  9.人々が過敏になる傾向のある話題に軽々しく触れないこと。あなたと意見が違う人に不必要に意見を言うなら、議論のきっかけになること間違いなしです!

  10.「そんな風に感じるべきじゃないよ!」とは言わないこと。ものの感じかたは人によって違うし、相手は、実際にそう感じていなかったなら、言わなかったことでしょう! ですから、その場合はどうしてそのように感じるかを尋ねることです。あるいは、単純に「その気持ちよくわかります。」と言います。そうすれば、議論せずに会話を続けて行くことができるでしょう。

  11.議論を避けるのに役立つモットー:「もし、自分が間違っているのなら、間違っていると言う。しかし、自分が正しいのなら、口を閉ざしておく。」 確かに、正す必要のある大切な事柄もあります。しかし、他の人の間違いを指摘しようとするなら、謙虚で丁寧な態度ですることです。

  それから、また、すぐその場で話すのは、タイミングが良くないかもしれません。あなたの言うことを素直に受け入れられるようなムードになるまで待つことです。「愚かな者は怒りをことごとく(即座に)表し、知恵ある者は静かに(後まで)これをおさえる。」−−箴言29:11。 ですから、相手の気持ちを察し、それに対して敏感になるように! 「知者の心は時と方法をわきまえている。」−−伝道の書8:5。

 

議論を挑まれてもそれに応じない7つの方法!

  「おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように、争いを好む人は争いの火をおこす。」−−箴言26:21。

  1727年、ヴォルテールがイギリスに行った時、イギリスではフランス人の評判は良くありませんでした。ロンドンの街を歩くにも、身の危険を覚悟しなくてはならなかったのです! ある日、散歩をしていると、怒ったイギリス人の群衆がこう叫びました。「奴を殺せ! フランス人だ! 吊してしまえ!」 ヴォルテールは立ちどまり、血気づいた群衆に向かってこう叫びました。「友よ、憐れみを持って下さい! 私は、イギリス人でないというだけで、もう十分な仕打ちを受けているではないですか!」 そう言うと群衆はワァーという歓声をあげ、護衛までつけて、ホテルまで無事に送ってくれたのです!

  1.次のことを覚えておいて下さい。最低二人が参加しないなら、議論はできないということを!怒鳴り声には、決して怒鳴り声でやり返さない事です。議論になるのは、二言目の返答からなのです。「タンゴは一人では踊れない!」という西洋のことわざがあります。議論を吹っかけて、あなたの時間やエネルギーを無駄にしようとする批評家や道徳家や皮肉屋などのわなに陥らないように気をつけましょう! 全くささいなことを、熱狂的な議論に発展させてしまう人達がいます! 最低二人が参加しないなら、議論は成り立ちません。ですから、あなたが議論することを拒否するだけで、相手は議論する相手を失ってしまうのです!

  2.「いや、そんなことしていない!」「君、そうしたじゃないか!」「いや、していない!」といったような会話は極力避けること! 「議論の火花が散る時、賢者は沈黙を持ってその火を消す!」という格言を心に留めておきましょう。

  3.これは議論になりそうだと思ったら、それを避けるため、即座に言葉を返してはいけない。誰かが、あなたに向かって嫌悪感に満ちた態度を取ったり、怒っている時には、冷静な態度を保つことです! まずは、相手にそれがどういう意味なのかよく尋ねるのが最善でしょう。もしかしたら、あなたは、相手の言ったことをちゃんと聞かなかったかもしれないし、また意味をよく理解していないのかもしれません。自分が攻撃されていると判断した場合でも、次のことを自分に問いかけてみて下さい。「『目には目を』とやり返すのが自分にとって益になるのだろうか。怒るのは最も効果的なことだろうか? 怒ると、どのような結果がもたらされるだろうか?」 すぐにやり返したりしないで、ちょっと間をおいて、このようなことを考え、祈ってみるなら、多くの場合、不必要な衝突を避けることができるでしょう! 「悟りは人に怒りを忍ばせる。あやまちを許すのは人の誉れである。」−−箴言19:11。

  4.怒りが込み上げてきたら、自分の口を閉じるように習慣づけること。「愚かな者も黙っている時には知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じているときは、さとき者と思われる。」−−箴言17:28。相手の言うことに耳を傾けるのが最善の策です。返答する前に、まず耳を傾けるなら、相手側の意見をもっと理解することができるでしょう。それから、質問をします。最初から自分の意見を相手に言ってしまうなら、相手の意見には反対だということを初めから表明することになって、自分の意見が通る可能性は全くなくなってしまうかもしれません! ですから、まず相手に話すチャンスを与え、終わりまで話を聞くことです。話の途中で口をはさんではいけません! 逆らったり、自己弁護したり、議論し始めないことです。そんなことをしても、相手との間の壁を厚くしてしまうだけです! 相互理解の橋をかけるように努力して下さい!

  5.議論が生じたら、ひたすら忍耐を持つこと。感情をしっかりコントロールし、衝動的にならないようにします! 怒りたい気持ちをコントロールするのです。人の偉大さは、その人が何に対して怒るかを基準にして計ることができるということを忘れないで下さい! 「憤りやすい者は争いを起こし、怒りをおそくする者は争いをとどめる。」−−箴言15:18。

  6.相手が怒ってしまっている時に、「そんなに怒らなくても!」とか「怒るようなことじゃないわよ!」と言うのは最悪。こう言うと逆効果になってしまいます! そうするよりも、できるだけ穏やかにこう言ってみてはどうでしょうか。「どうも怒らせてしまったようですね。それなら、謝ります!どうしたらいいでしょうね?」

  7.それから、私達の霊は伝染するということを忘れないで下さい! 私達が正しい霊、正しい態度を示し、平穏な態度で、信頼感を示し、忍耐を持ち、信仰に満ちて、落ち着いているなら、相手もそのように反応します。しかし、私達がいらいらしていて、大声を出したり、短気になって忍耐を失い、きつい言葉を浴びせるなら、残念なことに相手もそのような反応をしてくることでしょう!

 

 一旦始まってしまった議論をストップする方法!

  議論になってしまったら、どうしたらいいでしょうか? 枯れ草に火がついたように燃え上がってしまった議論の炎は、どうやって静めればいいでしょうか? 次にあげるのは、効果が実証ずみの方法です。

  有名な心理学者のカール・ロジャーズは、誤解を解く方法として次のテクニックを提案しました。「どちらかが、自分の言い分を言う前に、まず相手が満足するまで相手の意見を繰り返して言うのです。これをルールにするなら、相手側は、どうしても耳を傾けざるをえなくなり、必然的に、あなたの意見さえも理解しようと努めなくてはならなくなります! そうすれば、議論が感情的な路線を突っ走ることはありません。双方ともに、もっとじっくりと考え、聞くということを始めるのです! 人が冷静に考え始めるなら、双方が同意点に達する可能性が大いに増すわけです!」

  話の本筋から外れないこと! 議論の要点を見いだすように努め、その要点にとどまりましょう!筋違いの話や、重要ではない事柄を持ち出さないことです。このように言ってみるのもいいでしょう。「この会話はこのへんでちょっと中断して、今、何について議論しているのか考えてみましょうか! もう一度最初から話して下さい。注意して聞きますから。もしかしたら、私が誤解してしまっているのかもしれません。」

 

  声の大きさに注意すること! 私達のほとんどが、話が熱をおびてくると声を大きくしてしまうようです! しかしそれでは、こう言っているようなものです。「普通の声ではわかってもらえそうにない。あなたは、私の言っていることに対して、つんぼになっているようだ。だから、大声をあげて話さなくてはならない!」 あなたが声を大きくすると、相手は自分の言い分を何がなんでも守り通さなければならないかのように感じてしまいます。それに、そんなことをすると、自分は怒りを抑えられないから冷静な状況判断ができないと言っているようなものです。

  人のあらや間違いをだしにした冗談を言わないように! 確かに、意見の相異がある時に冗談や軽いジョークを言うとその場の緊張をほぐすことができますが、ユーモアを交える時には十分注意し、その前に、自分に質問してみて下さい。「これを言うことによって、この緊張状態が余計に張りつめたものになるだろうか、それともほぐれるだろうか?」「自分を笑っているユーモアだろうか。それとも、相手をだしにして笑う冗談だろうか?」「優越感に浸るために、こういったキザな事を言うのだろうか?」 他の人達を批判して笑いの種にすることは決してしないように。

 

  おおげさに言わないこと! 自分の意見を強調するために、事実を少しばかり誇張したくなることはよくあります。これは、状況を悪化させるだけで、事態をもっと困難にしてしまいます! 特に、あなたがおおげさに表現していることが相手に知れている場合はそうです! 相手は、あなたの意見は完全に間違っていると確信してしまいます!

  お互いを攻撃するのではなく、問題に対して攻撃すること! 議論が、お互いに対する個人攻撃にならないよう最善を尽くしなさい。あてこすりや、中傷や、「鋭い」事を言い合って互いを攻撃し合うより、真に問題になっていることをアタックするのです。

  同意点を強調する! 意見が相異している点に重点をおいて話さないこと! お互いに同一の目的に向かって努力しているのであって、意見が異なっているのは、その方法に関してだけだということを絶えず強調するのです! お互いが同意している点に重点を置き、相異点ばかり話さないこと! あら捜しをやめて、意見が一致する事柄をできるだけ多く見いだすよう努力して下さい! 「そうですね」と相槌を打たせ、相手に賛成してもらうように。そうすれば、相手は自然に、「いやそうじゃないよ」とは言えなくなってしまいます。

  妥協する余裕を持っておくこと! 相手寄りの意見に変えるようにすることも非常に大切です! 会話が全く行き詰まってしまったなら話題を変えてみるか、その問題に対するアプローチの仕方を変えてみます。様々な要点を考慮した妥協案も役に立つかもしれません。それは、いうなれば、相手が折れて自分の意見を変えても相手の面目をつぶすことのない方法です!

  自分の意見を撤回するだけの謙虚な気持ちを持つこと。自分が正しく、相手が間違っていると思っていてもです。スイスの有名な宗教改革者ツヴィングリは、この点について教訓を学びました。アルプスの狭い山道を歩いている2頭のヤギを見かけた時のことです。1頭は山を登ろうとしていて、1頭は山を降りようとしていましたが、山道の一番細くなっている所ですれ違うことになりそうでした。

  そのヤギ達は、曲がり道を回って、お互いがよく見える所まできました。その2頭は、今にも戦いを始めるかのように後ずさりしたのですが、その時、驚くべきことが起こったのです! 下の方にいたヤギはひざをついて体を低くし、もう一頭のヤギが、そのヤギの背中の上を歩いて行ったのです。それから最初のヤギは起き上がり、山道を登り続けました。

  議論において、謙虚に自分の意見を撤回することほど立派な行為はありません。こう言うのをためらってはいけません。「ここで、ちょっと中断しませんか。本心でないことまで、どんどん口をついて出てしまうし、こんなふうに言い争いをしたくはありません!」と。「争いに関係しないことは人の誉れである。すべて愚かな者は怒り争う。」−−箴言20:3。

  もし自分が間違っているなら、それを認めること! 次のように言えばいいでしょう。「これは私が悪かった。あんなことを言ってすまない。君を傷つけてしまったね! どうしたら許してもらえるかなあ?」 自分が間違っていて、相手が正しいということを正直に認めると、コミュニケーションは千倍改善されて、その人との関係が深まることになります! 自分の間違いをかばうのが人の常です。しかし、自分の間違いを認め、「互いに罪を告白し合う」には、神からの謙虚さを要します。−−ヤコブ5:16。これはしばしば起こることですが、相手が最後までかっかと怒っているようだったら、謙虚に相手の言うことに同意し、自分が悪かったともう一度言うか、口を閉じていることです。「温順は大いなるとがを(さえ)和らげる。」−−(伝道の書10:4) そうすれば、じきに相手はあなたに同意するようになり、あなたに対する反感も和らいでくることでしょう。

  口論している人達の仲裁に入って、意見を言う必要がある時には、祈り深く、慎重に考慮した上で話すこと。話す前に「誰が正しいか」ではなく、「何が正しいのだろうか?」ということを自分に問うて下さい。アメリカの南北戦争中に、アブラハム・リンカーンは、神が彼の側についているかと質問されて、こう答えました。神は正しい側についている。そして、北軍もその正しい側についていることを願っていると!

  ほとんどの場合において、一方が全面的に正しくて、もう一方が完全に間違っているということはありません。必ずと言っていいほど、双方に正しい点と間違った点があるのです! しかしそれを見極めるには、知恵と洞察力と謙虚さが必要です。

  他人の議論に口をはさまないこと! 箴言26:17では、「自分に関係のない争いにたずさわる者は、通りすぎる犬の耳をとらえる者のようだ!」と書いてあります。

 

議論した後で和解する方法!

  たとえ自分が正しくても、自分の方から許してあげ、進んで過ちを忘れてあげましょう! 誰かを傷つけ、あやまる必要があるとわかっているなら、必ず、許しを乞うべきです! 聖書には、お互いの過ちを告白し、お互いのために祈るようにと書いてあります!−−ヤコブ5:16。又、相手が自分の間違いを告白し、過ちを認めるなら、必ず、自分がもう許したということをその人に告げるように! 箴言17:9には、「愛を追い求める人は人の過ちを許す!」と書いてあります。

  決して恨みを抱かないこと! コロサイ3:13には、「互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあるなら、許し合いなさい。」と書いてあります。ある人達は、「手斧を埋めてしまっても」(和睦するという意味)、手斧を埋めた場所を必ず覚えているようです! 許すことは難しいと思うなら、恨みを抱く方がエネルギーを消耗するということを覚えておくといいでしょう。許すなら、心も大いに安らぎます。

  議論した後、一緒に祈るよう提案するとよいでしょう。一緒に祈った人に対して、反感を抱き続けるのは難しいものです。

 

結婚生活での口論!

  結婚生活という愛のグラスを

      愛で一杯に満たしておきたいのなら

  自分が間違っている時には、そう認め

      自分が正しい時には、沈黙を守ること!

        −オグデン・ナッシュ

 

  悲しいことに、自分が最も親しく、最も愛している人を一番傷つけてしまうのが人の常です。結婚している人が一番よく口論する相手とは、一緒に住んでいる夫または妻のようです! 夫婦間で口論が絶えないという問題を抱えているなら、もちろん、今まであげたポイントは助けになりますが、さらに幾つかの秘訣を付け加えておきたいと思います。

  オペラのテノール歌手ジャン・ピァースは、結婚50年目に、次のように語りました。「私達夫婦は、昔一つの協定を結び、どんなに腹の立つことがあっても、これを守り続けてきました。二人のうちどちらかが怒鳴り始めたら、もう一人は黙ってそれに耳を傾けるという取り決めです。なぜなら、二人とも自分の言い分を通そうと怒鳴り始めたら、たちまち意志の疎通は吹っ飛び、あとはただ騒音で、陰険な雰囲気が漂うだけだからです!」

 

  議論の途中でぷいと出ていかないこと。そして、「憤ったままで日が暮れるようであってはならない。」−−エペソ4:26。

  相手の良い点を常に思い起こすこと! 相手の長所のリストを作り、結婚したもともとの理由を紙に書きなさい。そのリストを財布やハンドバッグの中に入れておいて、相手に対して腹が立つ度に、読み直すのです!

  「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳と言われるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心に留めなさい!」−−ピリピ4:8。

    次に、ある妻からのこんなアドバイスがあります。その人は、しょっちゅう夫を非難していて、二人の間には喧嘩が絶えませんでした。「私達が言い争うのをやめるよう助けて下さいと祈った後で、主こそ私の夫の性格をつかさどる方だということを、主が示して下さいました。そして、主は、私達が解決を求めて、もっと主に近くなるよう、私が夫の欠点だと思っていたことを使っておられたということがわかったのです! それ以来、私はもっと神に信頼するようになりました。夫の性格に改善が必要な点があっても、私が祈るなら、主が改善して下さると!」

  もしあなたが大切な話を持ち出したいなら、邪魔の入らないような時と場所を選ぶようにして下さい。たとえば、なるべく子供達が寝静まった後などにし、夕食の時に言うのは避けるといったように。

  しかし、両親にとって、子供達の前で口論をしないようにするというのは、なかなかたやすいことではありません。ですから、子供達に、お父さんとお母さん、または家族同士で意見が異なる時もあるということを教えておいて下さい。しかし、それは、穏やかに話し合い、祈って解決できないということではありません。子供達は、口論や言い合いをするパターンを、あなた達から学ぶということを心に留めておくように!

  性格的な面で衝突することがあるというのは理解できます。しかし、愛は決して敗れません。このようなものは、謙遜と愛と神の御霊の導きで解決できるのです!

  結婚においては、夫婦はできる限り平等であり、何でもできる限り一緒にすべきです。共に話し合い、祈り、愛し合い、相談し、共に決断し、互いに同意するべきです! しかし、もし夫がクリスチャンで、主に仕え、正しいことをしようとしているのなら、夫が、最終的な決断を下すべき人です。家や家族についての決断をする場合、夫の方が上に立ちます。聖書には、女性はその夫に従うべきであるとはっきりと書かれています。−−エペソ5:22-24,33; 第一コリント11:3,8-9; 第一ペテロ3:1,5-6。 もし、クリスチャンの妻のほとんどがこうするなら、口論や意見の不一致や言い合いはもっと減ることでしょう! また、たとえ夫を信頼することができなくても、少なくとも主を信頼することはできるでしょう!

  事実、家庭内に平和と団結、調和を保ちたいなら、二人とも主を信頼しなければなりません! たとえ妻や夫を信頼することができなくても、少なくとも主が何とか解決して下さると信頼すべきです!

 

「あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、

どこから起こるのか?」−−(ヤコブ4:1)

  ヤコブはこう続けています。「それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。」−−ヤコブ4:1-2。欲張ったり、利己心を起こして、ただ自分のために何かを手に入れようとすることは、言い争いのもとになります。

  もう一つ、プライドが原因となって議論になることもあります。箴言3:10にはこう書いてあります。「高ぶりはただ争いを生じる。勧告を聞く者は知恵がある。」

  又、これまでにお話ししたように、独善が原因で議論になることもよくあります。自分の言いたいことを押しつけたり、自分が正しいと思い込んで、自分の言い分を押しつけたり、相手の意見に反駁して、相手をやりこめたりするのです!

  ですから、結局のところ、愛の欠如が原因です! 議論すること自体は問題ではありません。議論はただの兆候で、問題の核心は愛の欠如なのです。主は、私達が、他の人をどのように愛するか、どのようにして共に働くか、人の扱い方、相手にも5分の理を認める方法、ただ利己的に反論して、相手の意見を徹底的に破壊するのではなく、建設的に話を持っていく方法を学ぶのを望んでおられます!以上のことはどれも、人を愛し、人の身になって考え、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りに」することを学んでいくためのものなのです−−マタイ7:12。

  ですから、もっと愛を持てるよう主に祈り、議論する癖を克服するよう助けて下さいと求めなさい! この読み物の中であげた実際的な事柄を実行してみるなら、きっと助けになるでしょう。しかし、霊的な解決法を与えてくれ、心と霊を変えてくれることができ、あなたの心を愛と喜びと安らぎで満たし、忍耐と親切心と善意と忠実さ、やさしさと自制心を与えてくれることができるのは、イエスだけです。−−ガラテヤ5:22。議論をしないように助け、人を愛するための力と恵みを与えて下さるのは、ただ主だけなのです! ですから、イエスに近くとどまっていなさい!