宝 P.513-518

 

歴史上の大いなる戦い!

 

壷、たいまつ、主の剣!

(士師記6−8章)

 

  それはイスラエルの民にとって悲しい時であった。彼らはすでに約束の地に住んではいたものの、敵による止むことのない猛襲のために、ただ命をつないでいくのにやっとで、その状況はほとんど耐え難いものになっていた。

  他の神々や偶像を拝し、その地からよこしまで邪悪な異教徒を追い払うことをしなかったイスラエルの民の罪の故に、真の神が自ら残虐なミデアン人(びと)、およびアマレク人(びと)を遣わし、イスラエルに敵対させて、彼らの罪への懲らしめと罰を下したのだ。(詩篇78篇62節)

  その当時、ミデアン人はその地の収穫物をあまねく荒らし、「イスラエルのうちに命をつなぐべき物を残さず、羊も牛もろばも残さなかった。」しかしついにイスラエルの民が神に呼ばわった時、神は民に一人の預言者を遣わして、その災いの理由をこう告げさせた。「あなたがたはわたしの言葉に従わなかったからだ。」(士師記6章10節)

  イスラエルの民が必死になって神に助けを呼び求めたために、永遠の愛と憐みを持った神は助け手を遣わされたのだが、その助け手とは誰だっただろうか? 実は、ある素朴な農家の息子だったのだ。影響力を持ち、高度な教育を受けた、どこかの尊敬されていた有名人物というわけではなかった。

  ギデオンが麦を打っていた時、主の使いが彼に現れて言った。「大勇士よ、主はあなたと共におられます!」ギデオンは答えた。「ああ、君よ、主が私達と共におられるならば、どうしてこれらのことが私達に臨んだのでしょう。私達の先祖が私達に告げたそのすべての奇跡はどこにありますか?」

  これは、問題を抱えた時に私達のほとんどが言うセリフに似ていないだろうか?「どうしてなのですか、主よ? どうして私達をもっと良く世話して下さらないのですか? なぜこんなひどい事が私達に起こるのを許されるのですか?」実際にはたいてい、私達の強情さや意地っ張りや不従順の故にそうしたひどい事が起こったのだが、私達は、自分を責めるかわりに神に責任をかぶせようとするのだ。

  しかし神は憐み深くあられ、ギデオンに、 「あなたはこのあなたの力をもって行って、ミデアン人の手からイスラエルを救い出しなさい。」と告げたのだった。ギデオンはなお、神が自分を使えるなどということは信じられず、こう答えた。「しかし主よ、わたしはどうしてイスラエルを救うことができましょうか。わたしの氏族はマナセの全部族の内で最も弱いものです。その上、わたしはまた、わたしの家族の内で最も小さいものです。」しかし主は彼を元気づけて、言われた。「わたしがあなたと共におるから、ひとりを撃つようにミデアン人を撃つことができるでしょう。」

    神は、ギデオンに、さらには全イスラエルに、神自らがギデオンと共におられ、イスラエルの力となられることを知らせたかったのだ。ギデオンは思い煩わなくてもよいのだった。もちろん彼の力は小さく、彼は弱かったが、神がそのすべてをなさろうとしておられたのだ! そしてついにギデオンは、ただ主が求められることに従い、それを行うことを承諾したのだった。

  そして主の御霊(みたま)がギデオンに下った。彼はラッパを吹き鳴らし、邪悪な敵共と戦うイスラエルの男達を呼び集めるために、使者達を遣わした。至る所から男達が軍に加わり始め、ついに3万2千の男達がギデオンのもとに集まり、かなりの軍勢ができあがった。翌朝、彼らは北の方角、すなわち、ミデアン人が陣を敷いている、モレの丘に沿った谷の方へと向かって行った。

  ギデオンにとって最大の信仰のテストが、この時始まったのだった。彼は強力な軍隊を編成し、敵陣に向かっていたのだが、突然主がギデオンにこう語られたのだ。「あなたと共にいる民が多すぎるため、この戦いに勝利させるわけにはいかない。イスラエルが誇って、『わたしは自らの手で自分を救ったのだ』と言わないためである。」きっとギデオンは、「一体どういうことなのですか? あんな強い敵を前にして自分たちの軍勢を減らすなど、全く正気の沙汰ではありません。」と思ったにちがいない。

  主は、ギデオンにこう告げられた。「『だれでも恐れおののく者は帰れ』と民に告げ知らせなさい。」このギデオンの思いがけないメッセージを聞いて、2万2千の兵士、つまり彼の軍勢の三分の二以上の者が立ち去ったのだった!

  しかしそのテストは始まりにすぎなかった! 次に主がギデオンに言われたことはこうだった。「民はまだ多い。彼らを導いて水ぎわに下りなさい。わたしはそこで、彼らを試みよう。」主は、御自身とギデオンしか知らない、このもう一つのテストによって、その軍勢の兵士の数をさらに減らそうとしていたのだった。

  兵士達が、水を飲むために水ぎわにやって来ると、主はギデオンに、 「誰でもかがんで水に口をつけて飲む者は帰らせなさい。しかし水を片手ですくって飲む、油断のない兵士は、戦いに選ばれる。」と言われた。常に敵に対して用心深く、忠実に油断なく気を配り、もう一方の手で武器をとれるようにしていた者だけが、ギデオンと共に行くに値する者とされたのだ。

  最初のテストに合格した1万人のうち、二番目のテストに合格したのは300人しかいなかった! まさに、集まった者の内、31,700人が基準に達しなかったのだ。若いギデオンの信仰は、ギリギリのところまで試されたわけだ。彼は自分の集めた軍隊の99%を失い、しかもミデアン人の軍隊は、何千、何万と無数にいたのだ。事実、「彼らはいなごのように数多く谷に沿って伏していた。」と記されている。

  しかし不思議なことに、気違いじみたことに思えても、ギデオンがただ単に主に従うたびに、彼の信仰は、どんどん大きく強くなっていった! しかし主はギデオンを励ますために、もう一つの切り札を用意しておられた。

  ギデオンは300人の兵士全員に、家に帰された者達から余分の食糧や水を入れる壷、また、あるだけのラッパを集めておくようにとすでに命じておいた。それから彼の軍は、ミデアン人の陣地に近い高地へと移動した。ミデアン人は、その下にある谷に陣をしいて眠っていたのだ。また主はギデオンに言われた。「もしあなたが攻め下ることをまだ恐れているならば、あなたのしもべプラと共に敵陣に下っていって、彼らの言うところを聞け。そうすればあなたは励まされるであろう。」

  そこでギデオンが敵陣近くにやって行くと、悪夢で目を覚ました者が他の者にこう言っているのを耳にはさんだ。「わたしは奇妙な夢を見た。その夢の中では大麦のパン一つが我々の陣中にころがってきて、我々の天幕(テント)を打ち、それをペシャンコに倒してしまった!」

  それを聞いた兵士が答えて言った。「それはイスラエルの人、ギデオンのつるぎにちがいない。神はミデアンの全軍勢を彼の手に渡されるのだ!」

  これを聞いてギデオンは主を拝し、勇気に満ちた! 彼は自分の兵士達のもとに帰って言った。

「立てよ、主はミデアンの軍勢をあなたがたの手に渡される。」

  そこで主はギデオンに、めいめいにラッパとたいまつと空の壷を取らせるように命じた。機を見て、たいまつを灯し、それを壷の中に隠す事になっていた。

  暗闇に潜み、ギデオンはその軍勢を三組に分け、ミデアン人の陣営を取り囲ませた。そして真夜中に彼の合図で、めいめいが壷を打ち砕いて、明るく輝くたいまつをかかげ、全ての者がラッパを吹き鳴らし声を張り上げて叫んだ。「主の剣、ギデオンの剣!」

  それはうまくいっただろうか? 彼らがそのラッパを吹き鳴らし、壷を打ち砕いて途方もない騒音を立てたので、眠っていたミデアン人は目を覚ました。そして彼らは、突然そのたくさんの輝く光を見ると、全世界が攻めてきたと思ったのだった!

  彼らは暗闇の中であまりにも興奮して、互いに同士打ちを始め、陣営を捨てて、気違いのようになって逃げていった。

  考えてもみなさい。ラッパと壷とたいまつしか持たないわずか300人の手勢が、13万5千人の軍勢の度肝を抜いたのである。その戦いが終わるまでに、12万人が戦死したと聖書に記されている!イスラエル史上におけるどんな勝利にも劣らぬ大いなる勝利だった。

  ギデオンがただ素直に神の御言葉を信じ、あせらずに主に従うようになった時に、神はギデオンの取るに足らないちっぽけな300人の軍勢に栄誉を与えられたのである。そして、歴史の記録の中でも最も気違いじみていると言える戦いにおいて、主は、彼らのした、わずかな行為を祝福され、途方もない敵に対する力強くすばらしい勝利をもたらされたのだ!

  ギデオンはあえて異なるものとなり、神が彼の心に置かれた異なったアプローチ、新しい方法、気違いじみたことを行ったのである! それは、彼が以前に試したこともない新しい戦法だったが、彼はそれがうまくいくと信じたのであり、神がその背後におられたため、うまくいった!

  ギデオンは、神が自分に望まれたところへ行ったので、神もまたそこへ行かれたのだ! そして彼の300人の小さな手勢もまたそこに行き、このような偉業を行なった。それは、神が彼らを通して働かれたからだった。

  聖書の中には、全体を通して、主が私達のような弱い者である主の子供達に奇跡的な力を授け、彼らを保護してこられた話がたくさん載っている。そして聖書の時代に起こったのと同じような力と保護と裁きの奇跡は、今でも起こり得るのだ!

  戦いに勝たれるのは神である! 神への従順は戦いに勝利をもたらす。あなたにあるのがたとえどんなにわずかでも、またあなたがどれほど無力に感じても、謙虚に神を信じる信仰があれば、戦いは勝利へと導かれる!

 

考えてみるべき課題

(「壷、たいまつ、主の剣!」からの覚えておくべき点)

 

  1.神は、善と、善を打ち滅ぼそうと狙っている悪の勢力との平和共存には我慢なさらない! (申命記7章2-4節)

 

  2.神はしばしば、敵との戦争や飢饉などの災害といった、超自然ではない手段を用いて、彼らの罪に対する懲らしめとなさる。(詩篇106篇34-44節)

 

    3.質素な農夫の息子ギデオンを使われたように、神はしばしば、弱く、一見不適格で教育もないような者達を使われる。そういう者達は、普通あまり高ぶらず、それ故に主に対してもっと従順なのだ。 (第一コリント1章26-31節)

 

    4.主は時に、私達とは違った見方で人を見られる。(サムエル記上16章7節)

 

    5.困難なことが起こると、それは自分の責任であるのに、神を責めたくなることがある!(詩篇107篇11-20、43節)

 

    6.あなたが従うという決心をするといつでも、主はあなたに、主からの仕事をするための超自然的な力を与えて下さる。あなたが信仰の故に神に従うその時、神はあなたが神の道を進み続けられるよう、祝福や霊的な強さを与えて下さる! (ヤコブの手紙1章22-25節)

 

    7.数の大きさは、神にとっては何の意味もない。事実、神は、弱い者、それも少人数の者を使って働くのを好まれる。それによって、それが主の力であって、私達自身によるものでないことを示すためである。 (サムエル記上14章6節、第二コリント4章7節)(「幾千人をも撃ち破った二人の兵士」も参照)

 

  8.恐れたりおじけづいたりせず、戦いのための信仰を持っている者達だけを、神は選ばれた。さもなければ伝染する恐れの霊は、軍全体に広がってしまっていたかもしれない!(申命記20章8節)

 

    9.この読みものから分かるように、しばしば主は、私達がテストされていると気づいてさえいない時に、テストしておられる。

 

    10.結局、神に選ばれた兵士というのは、一瞬たりとも油断しなかった者だけだった! 彼らは真剣で油断がなく、常に敵の急襲を警戒していた。 (第一ペテロ5章8節)

 

    11.主に従って初めて、主からの祝福を受けるのである。信仰によって、自分にできるだけのことをするなら、主はあなたの信仰を称え、あなたにできない部分をして下さる。神は従順を祝福されるのだ。(イザヤ1章19節)

 

    12.あなたが従い始めた後で、時々がっかりしてしまうことがあっても、主はあなたの信仰を励ますために奇跡を行なわれる!(第二テモテ2章13節)

 

    13.ギデオンは一つの夢、一つの小さな啓示によって、神が大いなる勝利を自分に与えて下さると鼓舞される思いだったが、それこそが、自軍の100倍もある敵軍に立ち向かって兵士を導くのに必要な励ましだった! そして彼らは戦いに勝ったのである! (民数記12章6節、イザヤ42章9節)

    14.主があなたのために勝ち取って下さった勝利の故に、神に栄光を帰せよ。賛美は信仰の声である! (詩篇149篇6節)

 

    15.神はしばしば、私達のあたりまえの理屈に反して物事をなされる。一体誰がラッパと壷とたいまつで戦うなどという事を聞いたことがあるだろうか! しかし武器に関しての神の考え方は、私達の考え方とは少し異なっているかもしれないのだ!